自ら老いを戒める
KEI
 最近、「キレる老人」と言う言葉を以前に増して聞くことが多くなった。残念ながら街中(まちなか)でこれらの人を目にすることもある。専門家はその原因をいろいろ説明してくれる。
 しかし、私は病気に起因するものを除いては、それぞれの人の心の持ち方の問題だろう、と単純に思い、自らはこのような「キレる老人」にならないようにと身を処している(つもりである。)
 還暦が近くなった頃に書店で手に取り迷わず買った本が曽野綾子さんの「完本戒老録」(祥伝社)だった。この本は現在89歳の曽野さんが65歳を迎えるころに刊行されたもので、その副題は「自らの救いのために」である。
 曽野さんのエッセイや評論は宗教的思惟を秘め、思いやりがありつつ視点がきっちりと定まっており、それに加えて切れ味がよく、私はそれまでにもかなりの冊数を購入していた。
 この本は三回目の改訂版であるが、どこから読んでも智恵が与えられ、考えさせられる箴言が、3つに分類して合計121並んでいる。例えば、

他人が、何かを「くれる」こと、「してくれること」を期待してはいけない。そのような受身の姿勢は、若い時には幼児性、年とってからは老年性と密接な関係を持つものだからである。
 曽野さんは別著「晩年の美学を求めて」(朝日新聞社)で「くれない」族と言うタイトルで「自分の精神がどれだけ老化しているかを量るには、どれくらいの頻度で『くれない』(「誰々が何々をしてくれない」と言う言葉)を発するかを調べてみるといい」とも書いている。

若さに嫉妬しないこと。若い人を立てること。
 これがなかなか難しい。すぐに大人気(おとなげ)のない行動をしそうになる。

明るくすること。心の中はそうでなくても、外見だけでも明るくすること。
 曽野さんの「老いの才覚」(ベスト新書)にある「いくつになっても『精神のおしゃれが大切』とも一脈相通ずるのだろうか。

嘘をつかぬこと。
 これには、注が要りそうだ。曽野さんは「日本人には遠慮という表現法があるから、その嘘も、決して悪意からでたのではないのである」と書き、「むしろあからさまに、自分の望みを言うことのほうが、はたから見てかわいらしい老人に見える」と書いている。遠慮という名の嘘の意である。

攻撃的であることをやめること。年寄りは、保守的どころか、破壊的、攻撃的である。口汚く、人やものの悪口を言わないこと。
 曽野さんは「怒り、ののしることは、自分を受け入れられなくなることに対する八つ当たりだと自戒したい。・・・どうしても関心や同感がもてなかったら、ただ静かに遠ざかればいい」と書く。精神衛生上もその方がいいと私も思う。

他人の手を借りる時は、職業として割りきってやってくれる人を使うこと。他人の好意をうまく利用しようとするさもしい根性はいけない。
 高齢者に手を貸すこと自体が喜びだと考え、実行する人びとも数多く存在する。私の身近にもいらっしゃる。「それをする人」と「それを受ける人」との関係を外野から見ていると上手くは説明できないが、実に理想的のように思われる。
 そして曽野さんは「ここに書いてあることの、どれ一つとってみても、私はそれにまったく反対の生き方があることを肯定する」と書く。確かに人生というものは人の数だけあり、それぞれが人生なのだから。
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