フェルディナント・フォン・シーラッハの著作に興味を持ち、短編集2作品の後に読んだのですが(酒寄進一訳)、理解するのが難しい長編でした。
推理小説の場合ならできる限り早めに事件を発生させるのが常道で、それによって読者は書かれていることの内、注意して読むところとそれ以外の区別がしやすくなり、以降はいくら読者の頭を混乱させても問われないことになっています。これはレイモンド・チャンドラーが言っていたことを私の好きなように解釈したのですが(笑)。
ところが「禁忌」は半分近く読み進んでも事件が起こらず、いずれ被疑者になるはずの男の数奇な生い立ちと特異な才能ゆえの危ない生活ぶりばかりが連ねられていきます。書かれていることの何が事件の契機になるのかが予想できず、最初からていねいに読んでいた私は次第にいらいらしてきました。
本の半分ほどのところまできて、ようやく事件が起きました。「事件」としか書かないのは、犯罪の実体がはっきりしないのに、確かに犯罪があったような状況があるからです。この辺り、分かりにくいことを書いていますね? お察しします。私も分かってないからです。
弁護士「ビーグラー」が依頼を引き受けてから流れは分かりやすくなりました。物事を整然と理解しようとする人物を中心に語られると分かりやすくなるのは自明の理です。ビーグラーのとんまなところと気難しさに人間味を感じるような描き方がうまいなと思いました。
最後に事件の内容が明らかになります。明らかにはなりますが、この作品全体が私に理解できるものになったかどうかはまた別のはなしです。「訳者あとがき」の次の部分で、私の理解力はそれほど絶望的でも悲観的でもないように感じました。