
今から、三十年くらい前のある村の話だ。
村のはずれの小高い丘の上に「見徳寺」という寺があった。寺の和尚の名前は「瑞峯」。みんなは、「ずいほーさん」と親しく呼んだ。
ずいほーさんは、本が大好き。お寺のお参りの仕事が終わると、いつも本堂横の鐘撞堂の下で本を読んでいた。夏には、風が通り、冬にはポカポカと日ざしか注ぐいい場所だった。
ある日のことだった。村の男の子の大ちゃんが本を読むずいほーさんの肩越しからのぞいた。
「あれあれ。大ちゃん。本が読みたいかな」
「うん」
「ちょっと待ってな。大ちゃんが好きそうな本がたしか蔵にあったので。待っててな」
ずいほーさんが持ってきたのは、「イソップ物語」だった。黄色くなった本は、字が小さくて大ちゃんが読めそうもない。
「話は、おもしろいけど、これじゃあ。大ちゃんにはむずかしいなぁ。よし、わしがよんでやろうか」
ずいほーさんは、大ちゃんを前に座らせると本を読んだ。大ちゃんは、目をまん丸くしたり、そっと笑ったり、小さな声を出したりして聞いた。ずいほーさんは、何とも不思議な喜びを感じたのだった。
「明日もきていい? 学校が終わったら来ていい?」
「ああ。いいとも。明日のお参りは午前中に終わるから、おいで」
次の日。だいちゃんは、友だちのしんちゃんを連れてきた。ずいほーさんは、蔵の奥から「日本の昔話」の本を引っ張り出した。
次の日は、友だちが五人に増え、毎日、子どもが増えてきた。とうとう、鐘撞堂では狭くなり、その隣の観音堂が本の部屋になった。子どもたちは、棚の観音さんに手を合わせてから、ずいほーさんが読んでくれるお話しを聞いた。
「困ったことになった。私が持っている子どもの本は、あれぐらいしかない。どうしたものか。そうだ」
ずいほーさんは、村々の家を一軒ずつ訪ねていった。
「子どもが読める本はありませんか。いらなくなった本をいただけませんか」
そうしたら、あれよあれよという間に、子どもが読める本が寺に届けられた。
また、困ったことが起こった。お寺の仕事はなかなか忙しくて、学校が終わってからやってくる子どもたちの面倒をいつもみてはおられない。でも、「明日はダメだからね」と告げた時の子どもたちの寂しそうな顔を見ると、何とかしないといけないとずいほーさんは思った。
ずいほーさんは、檀家さんの家を一軒ずつ回った。
「夕方。子どもたちが本を読んでいるとき、留守番をしてくださる人はないでしょうか」
何とびっくり。
「ずいほーさんみたいに本を読むのは苦手だけど、昔話を話してもいいよ」
「もちろん応援するよ。留守番だけでなくて、ちゃんと本を読んでやるよ」
「おやつも作っていこうかね」
こうやって、観音堂の毎日は、誰かかれか村の人の声が聞こえた。
そんなある朝のことだった。2年生になったけんちゃんとおかあさんが見徳寺にやってきた。けんちゃんは、ランドセルを背負っていた。
「和尚さん。この子、どうしても学校に行きたくないと言うのです。どれだけ聞いても何も言わないし、とにかく、行きたくないとだけ」
けんちゃんは、おかあさんの後ろで小さくなっていた。
「お寺の観音堂で本を読むといいのです。私も仕事があるし、ここにいさせてもらってもいいかしら。昼には、迎えにきますから」
ずいほーさんは、ニコニコして言った。
「いいとも。でも、一人でがんばれるかな」
それから、けんちゃんはランドセルを背負って毎日観音堂にやってきた。ごろりごろりと寝転がって本を読み、読み終わった本は山のようになった。時には、ずいほーさんと庭の草取りをした。
「けんちゃん。今日は、けんちゃんがわしに本を読んでくれないかな」
「うん。いいよ」
けんちゃんは、大きな声で『ネズミの嫁入り』を読んだ。
「おお。上手いなぁ、いい声だ」
ずいほーさんは、けんちゃんの頭をなでた。
その日のお昼。迎えにきたお母さんにけんちゃんは言った。
「母さん、明日は学校に行く」
けんちゃんのお母さんは、目を丸くした。
ずいほーさんは、観音堂にもう一つの名前の札をつけた。『なかよし文庫』だった。
それから二十年ほどたったころ、見徳寺の近くに『村立図書館』が建った。建設の歩みの冊子の中に「瑞峯さんのなかよし文庫」の記録があった。にぎやかな図書館になった。
あっ。赤ちゃんを抱っこして本を探しているのは。もしかしてけんちゃん?
きっとけんちゃんの赤ちゃんも本が好きになるね……。