HOME > コラム「図書館とわたし 本とわたし」
コラム 図書館とわたし 本とわたし
「珊瑚集」
御朱印
午後三時のビール
俳句入門書
「東南アジアの洞窟遺跡」
「エストニア紀行」とウォーレンバーグ
「糸暦」
「チェコの十二ヵ月」
巨勢山のつらつら椿
邸宅美術館
老人は纏めたがる
「紫苑物語」
隅田川に消えた版画家・藤牧義夫
旅行と本
「54字の物語X」
本で紹介された本
「させていだだく」
モロッコ椅子
解釈は難しい
もうすぐたべられるぼく 乾京子
香薬師
「刑罰(シーラッハ)」 muca
イギリス観察辞典
イギリス大好き書誌学者が書いた本
モノクロームの写真
郷土本と郷土カルタ
老いたる母
「禁忌(シーラッハ)」 muca
あたらしい娯楽?
「言語学バーリ・トゥード」
恩送り
「もう一度 倫敦巴里」
ダンス・マカーブル
文体模倣
「大好きな町に用がある」
「教養としての上級語彙」
募金・寄付あるいはDonation
飛び地の町“バールレ・ナッサウ”
ハウフの童話 小岩昌宏
図書館のメールマガジン
フランダースの犬
バーミヤンの石仏
名画の盗難
将棋とAI
「スマホ断食」
「文豪たちの西洋美術」
「知的生活」
改装なった図書館での立ち読み
パロディあるいはパスティーシュ
紙の本と電子書籍
オードリーが愛した詩
「音」と「訓」
歯科医院に置かれた本
格闘家の詩集
English から Englic
大阪ことば事典
読書に関する世論調査
天使の序列
AIが作った感想文
読めない画集
「とび出すぞ 子供は急にとまれない」
大阪の洒落言葉
一億円と千両箱
「国際感覚のズレ」と「生活の座」
「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」
「クアント」「メ・エクスリーベ」
エレジー
思い出す書店主
またまたフェルメール
もう一度「児童文学」
「日本語ドリル」
「圓生とパンダが死んだ日」
本の読み方
湖北の観音さま
「想い出の流行歌」
「コクリコ」から思い出すこと
フォトブック
新聞・雑誌のスクラップから
「阿呆船」あるいは「愚者の船」
命のビザ
「開高健 ポ・ト・フをもう一度」
児童文学を楽しむ(1) けふばあ
私と図書館、そしてお礼の言葉 KEI
本棚と人間性 KEI
剣客商売読本 KEI
本が売れなくなった KEI
覚え違いタイトル集 KEI
児童文学 KEI
キチンと読むこととボンヤリ眺めること KEI
春風と秋風 KEI
春の楽しみ KEI
再読「世界 名画の旅」 KEI
閃く小太刀の書評 KEI
田原坂の英単語カード KEI
エリートという言葉、教養という用語 KEI
儀礼の急所 KEI
「一人でぽつんと生きればいい」 KEI
故園黄葉 KEI
星の王子さま KEI
村上華岳の裸婦図 KEI
江戸古地図 KEI
提灯に火をつける KEI
京の道 KEI
アブダビ日本人学校図書室 林知子
花と「うた」 KEI
桔梗(キキョウ) KEI
大津市 こんな図書館あったらいいな 林知子
石上露子と小板橋 KEI
送られてきたOB会報 KEI
「本を選ぶ」ということ-子どもの本 けふばあ
増田明美さんの人生相談 KEI
人称代名詞 KEI
「本を選ぶ」ということー児童文学 けふばあ
絵画の修復 KEI
酒を勧む KEI
マクソーリーの酒場と私の酒場 KEI
『旅の絵本』のこと けふばあ
予約本確保メール KEI
安野光雅美術館と「もりのえほん」 けふばあ
バルト3国 KEI
一年に一回開く本 けふばあ
郷愁の詩人 与謝蕪村 KEI
クマムシ けふばあ
本を選ぶ KEI
移動図書館「さざなみ号」 けふばあ
人の為と人の夢 KEI
読書会の一コマ けふばあ
ちょっと変わった辞書・英和辞典 KEI
「おとうさんのちず」 けふばあ
漢語だから誤読 KEI
三びきのやぎの がらがらどん けふばあ
書き取り総合練習帳 KEI
おまじない!! けふばあ
幸田真音の経済ホラー小説 KEI
いいことって どんなこと けふばあ
挨拶はむづかしい KEI
「はるまでおあずけ」 けふばあ
秋の七草 KEI
「だめよ、ディビッド!」 けふばあ
人生七十古来稀なり KEI
大人になってもう一度絵本にであう けふばあ
新着本は漫画本 KEI
岸和田の姫 KEI
レファレンス協同DBを使ってみた KEI
お名前は? KEI
吹雪の夜の侍 KEI
栞(しおり) KEI
古書店主のレファレンス KEI
漢字表記辞典 KEI
ふたつよいことさてないものよ KEI
「本の虫の本」 KEI
「地図の博物図鑑」 KEI
世界の路地裏 KEI
本から思い出す今は亡き人 KEI
ちょっといい話 KEI
本を処分する KEI
「辞書の仕事」 KEI
「東海道五十三次をよむ」 KEI
白い歯の美しい女の子 KEI
「九十歳。何がめでたい」 KEI
“風”こと百目鬼恭三郎さん KEI
歩いた、よかった、ふれあった。 KEI
「古文研究法」 KEI
「邦人奪還」 KEI
すごい美味しい KEI
男の美学 KEI
新書365冊 KEI
「大作家は盗作家(?)」 KEI
「池波正太郎のそうざい料理帖」 KEI
古色蒼然たる文庫本 KEI
1冊で1000冊 KEI
自ら老いを戒める KEI
再びフェルメール KEI
「青春」という名の詩 KEI
「英語教育大論争」 KEI
ビブリオエッセー KEI
「闇の絵巻」 KEI
探した本 KEI
「信長の棺」 KEI
新設図書館 KEI
書評 KEI
リタイアした企業人が書いた本 KEI
「芭蕉発句新注」 KEI
「乗り鉄」が書いた本 KEI
霊柩のご送還 KEI
「エンド・オブ・ライフ」 KEI
手作りリーフレット その1 林知子
運(うん) KEI
小さなかわいい文庫 木戸文庫 べーちゃん
落語家、大学で教える KEI
移動図書館ミッケル号(2) H・T
移動図書館ミッケル号(1) H・T
「大河の一滴」 KEI
聖徳太子はいなかった KEI
「知らない日本語 教養が試される語」 KEI
アマチュアが書いた旅の本 KEI
本棚の飾り物 KEI
シャーロッキアン KEI
図録は書籍ではない? KEI
「詩」を探す話 KEI
外交官の小説三部作 KEI
アメリカのリーガル・サスペンス KEI
小さな旅とくつろぎ散歩 KEI
謎解き伴大納言絵巻 KEI
「アメリカ50州を読む地図」 KEI
言葉と文章 KEI
迷宮美術館 KEI
東山魁夷さんの「白夜の旅」 KEI
洛中獨歩抄 KEI
女優中谷美紀さんの「インド旅行記1」 KEI
阿久悠さんのアフォリズム KEI
「天の涯まで」 KEI
塩野七生さん描く歴史サスペンス・ロマン KEI
国語辞典の遊び方 KEI
声に出して読みたい日本語 KEI
野の花さんぽ図鑑 KEI
大津市立図書館協議会に思う H・T
蔵書の行方 KEI
外山滋比古さんの老い方 KEI
路上の文字 KEI
扁炉(ピェンロー) KEI
「職人の昔ばなし」 KEI
返さなかった本 KEI
若者が行くべき海外の10ヶ所 KEI
「ホット・ゾーン」 KEI
二人の名探偵 折口信夫と芥川龍之介 KEI
廃市と死都 KEI
ヨハネス・フェルメールの絵と本と KEI
「復活の日」 KEI
路地の風景 KEI
旅の本 KEI
卯の花は匂うか KEI
「サピエンス全史」とコロナウイルス KEI
タンポポ KEI
巨星墜つ KEI
「北京的胡同(ペキンのフートン)」 KEI
図書館の学習室 H・T
学校図書館の働き H・T
DONDUG KEI
諸橋大漢和辞典の「子(ね)と子(こ)」 KEI
百人一首 KEI
「万葉集 Man'yo Luster」 KEI
「うちの美術館」と「ユニークな美術館めぐり」 KEI
二人のエリザベート KEI
「パリの国連で夢を食う」 KEI
ラジオ深夜便と二つの塔の物語 KEI
秋津温泉 KEI
読書鼎談 KEI
京の古道 KEI
拾い読みと積読 KEI
町の小さな文庫 べーちゃん
食通知ったかぶり KEI
学校図書館と公共図書館の連携 H・T
書籍の処分 KEI
愛読書 KEI
木を植えた男 KEI
ばあばの読書ライブ けふばあ
取扱説明書 KEI
読めない絵本 KEI
ツケ置きのコーヒー KEI
越後路のとなり KEI
団塊の秋 KEI
新刊案内 KEI
コスモス KEI
開架の大切さ muca
ルビ(振り仮名) KEI
フロントページ KEI
手帳に書かれた文章と数字から KEI
3人の三国志の読み方 KEI
涙が止まらない二つの挿話 KEI
お話し会とろうそく べーちゃん
若き司書の意見 KEI
ばばちゃんと絵本 ITOKO
公共図書館の冒険 KEI
おはなしコロボックルの会(3) さくらこ
図書館関連の統計数字あれこれ KEI
おはなしコロボックルの会(2) さくらこ
待合わせ場所はいつも本屋さん KEI
ネパールの文庫 ネパールの魔女
おはなしコロボックルの会(1) さくらこ
生き直しー図書館へ 都忘れん子
電車は図書館なのだ KEI
書架で出会えるもの muca
汚された図書館の本 KEI
もう一つの「私の図書館」 KEI
絵本のある子育て4 nao.nao
まち角の図書館 KEI
小野瀬さんの講演から 北小松圓男
書架の片隅で muca
なくなった「私の図書館」 KEI
本のある光景 味野素子
変幻自在の本棚 KEI
対談が、ふんだんな本 muca
どう考えればいいんだろうを読んで けふばあ
図書館って(その2) けふばあ
図書館はどこへ行く KEI
図書館って(その1) けふばあ
どう考えればいいんだろう KEI
ある読み聞かせの会の話 林田素子
図書館条例 KEI
瑞峯さんのなかよし文庫 林田素子
感慨深い話 としょこ
国立国会図書館からのお礼状 KEI
貸出手続き muca
豊島区立中央図書館 栗原女以
図書館クイズ KEI
懐かしい本 さくらこ
「うた」の中の図書館 KEI
ランドセルと移動図書館 T・H
寄り道 KEI
働き方改革と図書館司書の仕事 べーちゃん
蔵出し一冊 KEI
こんな図書館に
夢の中の図書館 KEI
図書館にできること さくらこ
絵本のある子育て3 nao.nao
学校図書室は、どんなところ? 学校と本好きおばさん
小さな小さな本棚 KEI
自動車文庫があったら さくらこ
和邇館で干し柿づくり みっちゃん
図書館見てある記3 けふばあ
物語の題名 ワニファン
図書館徘徊中 muca
自分探し 図書館の思い出 都忘れん子
便利というべきか KEI
ネパール 五つ目の文庫 ネパールの魔女
図書館でビデオテープを借りた KEI
外国の図書館見学 T・H
いろいろ大変だなあ KEI
図書館見てある記2 けふばあ
図書館あれこれ KEI
子ども雑誌の思い出 まっしゃん
図書館の書庫 KEI
ツバメがやってくる図書館 T・H
収集癖はないのだけど muca
こんな図書コーナーが欲しい べーちゃん
図書館みてある記1 けふばあ
子どもの雑誌 島田 耕
図書館と縁遠い人の話 さくらこ
妖精に会いたい チャッピー
原作と映画 H・K
ライブラリー KEI
借りたくないなぁ ベーちゃん
好奇心の寄り道 A・N
本を読む姿 ゆうちゃん
私専用の図書館 KEI
学校に司書が欲しい 子育てオバサン
記憶に残る小説 さくらこ
時代小説との出会い ひーちゃん
絵本のある子育て2 nao.nao
司書の力 エッセイの文探し T・H
司書の職場から I・S
一冊の本から けふばあ
図書委員 muca
忘れられない司書さん2 はやP
忘れられない司書さん1 はやP
時代遅れ? 和邇館利用者
島根県立図書館だより T・H
和邇図書館 T女
読書の楽しみ ケロちゃん
ミッケル号 ワニファン
図書館30分見学記 T女
図書館が好き びわこ
「湖の南」を読んで mn女
和邇図書館と我が子たち 三匹の子ヤギの母
図書館の風景 さくらこ
ぼくの図書館の原点 K・K
レファレンス けふばあ
お元気ですか べーちゃん
司書さんとレファレンス・サービス KEI
「ぐりとぐら」の思い出 I・S
三冊ご用意できています 龍野健
魔女になりたい チャッピー
とっておきの一冊 フムフム
絵本のある子育て nao.nao
本棚の風景 K女
サパナ(夢)図書室 ネパールの魔女
図書館とわたし KEI
自習室だけ借りてた頃 muca
図書館(室)との出会い さくらこ
本との出会い けふばあ
図書館がムラに来た K・M
今月の特集 ヒラマロ
我が故郷の図書館 T・H
「珊瑚集」                      啓          (2024/05/22)
御朱印                        啓          (2024/05/15)
午後三時のビール                   啓          (2024/05/08)
俳句入門書                      啓          (2024/05/01)
「東南アジアの洞窟遺跡」               啓          (2024/04/24)
「エストニア紀行」とウォーレンバーグ         啓          (2024/04/17)
「糸暦」                       啓          (2024/04/10)
「チェコの十二ヵ月」                 啓          (2024/04/03)
巨勢山のつらつら椿                  啓          (2024/03/27)
邸宅美術館                      啓          (2024/03/20)
老人は纏めたがる                   啓          (2024/03/13)
「紫苑物語」                     啓          (2024/03/06)
隅田川に消えた版画家・藤牧義夫            啓          (2024/02/28)
旅行と本                       啓          (2024/02/21)
「54字の物語X」                   啓          (2024/02/14)
本で紹介された本                   啓          (2024/02/07)
「させていだだく」                  啓          (2024/01/31)
モロッコ椅子                     啓          (2024/01/24)
解釈は難しい                     啓          (2024/01/17)
もうすぐたべられるぼく                乾京子        (2024/01/14)
香薬師                        啓          (2024/01/10)
「刑罰(シーラッハ)」                muca         (2024/01/07)
イギリス観察辞典                   啓          (2024/01/03)
イギリス大好き書誌学者が書いた本           啓          (2023/12/27)
モノクロームの写真                  啓          (2023/12/20)
郷土本と郷土カルタ                  啓          (2023/12/13)
老いたる母                      啓          (2023/12/06)
「禁忌(シーラッハ)」                muca         (2023/12/03)
あたらしい娯楽?                   啓          (2023/11/29)
「言語学バーリ・トゥード」              啓          (2023/11/22)
恩送り                        啓          (2023/11/15)
「もう一度 倫敦巴里」                啓          (2023/11/08)
ダンス・マカーブル                  啓          (2023/11/01)
文体模倣                       啓          (2023/10/25)
「大好きな町に用がある」               啓          (2023/10/18)
「教養としての上級語彙」               啓          (2023/10/11)
募金・寄付あるいはDonation              啓          (2023/10/04)
飛び地の町“バールレ・ナッサウ”           啓          (2023/09/27)
ハウフの童話                     小岩昌宏       (2023/09/24)
図書館のメールマガジン                啓          (2023/09/20)
フランダースの犬                   啓          (2023/09/13)
バーミヤンの石仏                   啓          (2023/09/06)
名画の盗難                      啓          (2023/08/30)
将棋とAI                      啓          (2023/08/23)
「スマホ断食」                    啓          (2023/08/16)
「文豪たちの西洋美術」                啓          (2023/08/09)
「知的生活」                     啓          (2023/08/02)
改装なった図書館とそこでの立ち読み          啓          (2023/07/26)
パロディあるいはパスティーシュ            啓          (2023/07/19)
紙の本と電子書籍                   啓          (2023/07/12)
オードリー・ヘップバーンが愛した詩          啓          (2023/07/05)
「音」と「訓」                    啓          (2023/06/28)
歯科医院に置かれた本                 啓          (2023/06/21)
格闘家の詩集                     啓          (2023/06/14)
English から Englic へ               啓          (2023/06/07)
大阪ことば事典                    啓          (2023/05/31)
読書に関する世論調査                 啓          (2023/05/24)
天使の序列                      啓          (2023/05/17)
AIが作った感想文                  啓          (2023/05/10)
読めない画集                     啓          (2023/05/03)
「とび出すぞ 子供は急にとまれない」         啓          (2023/04/26)
大阪の洒落言葉                    啓          (2023/04/19)
一億円と千両箱                    啓          (2023/04/12)
「国際感覚のズレ」と「生活の座」           啓          (2023/04/05)
「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」          啓          (2023/03/29)
「クアント」「メ・エクスリーベ」           啓          (2023/03/22)
エレジー                       啓          (2023/03/15)
思い出す書店主                    啓          (2023/03/08)
またまたフェルメール                 啓          (2023/03/01)
もう一度「児童文学」                 啓          (2023/02/22)
「日本語ドリル」                   啓          (2023/02/15)
「圓生とパンダが死んだ日」              啓          (2023/02/08)
本の読み方                      啓          (2023/02/01)
湖北の観音さま                    啓          (2023/01/25)
「想い出の流行歌」                  啓          (2023/01/18)
「コクリコ」から思い出すこと             啓          (2023/01/11)
フォトブック                     啓          (2023/01/04)
新聞・雑誌のスクラップから              啓          (2022/12/28)
「阿呆船」あるいは「愚者の船」            啓          (2022/12/21)
命のビザ                       啓          (2022/12/14)
「開高健 ポ・ト・フをもう一度」           啓          (2022/12/07)
児童文学を楽しむ(1)                けふばあちゃん    (2022/11/30)
私と図書館、そしてお礼の言葉             KEI        (2022/11/23)
本棚と人間性                     KEI        (2022/11/16)
剣客商売読本                     KEI        (2022/11/09)
本が売れなくなった                  KEI        (2022/11/02)
覚え違いタイトル集                  KEI        (2022/10/27)
児童文学                       KEI        (2022/10/19)
キチンと読むこととボンヤリ眺めること         KEI        (2022/10/12)
春風と秋風                      KEI        (2022/10/05)
春の楽しみ                      KEI        (2022/09/28)
再読「世界 名画の旅」                 KEI        (2022/09/21)
閃く小太刀の書評                   KEI        (2022/09/14)
田原坂の英単語カード                 KEI        (2022/09/07)
エリートという言葉、教養という用語          KEI        (2022/08/31)
儀礼の急所                      KEI        (2022/08/24)
「一人でぽつんと生きればいい」            KEI        (2022/08/17)
故園黄葉                       KEI        (2022/08/10)
星の王子さま                     KEI        (2022/08/03)
村上華岳の裸婦図                   KEI        (2022/07/27)
江戸古地図                      KEI        (2022/07/20)
提灯に火をつける                   KEI        (2022/07/13)
京の道                        KEI        (2022/07/06)
アラブ首長国連邦 アブダビ日本人学校図書室      林知子        (2022/07/03)
花と「うた」                     KEI        (2022/06/29)
桔梗(キキョウ)                   KEI        (2022/06/22)
大津市 こんな図書館あったらいいな          林知子        (2022/06/19)
石上露子と小板橋                   KEI        (2022/06/15)
送られてきたOB会報                  KEI        (2022/06/08)
「本を選ぶ」ということ−子どもの本          けふばあちゃん    (2022/06/05)
増田明美さんの人生相談                KEI        (2022/06/01)
人称代名詞                      KEI        (2022/05/25)
「本を選ぶ」ということー児童文学について       けふばあちゃん    (2022/05/22)
絵画の修復                      KEI        (2022/05/18)
酒を勧む                       KEI        (2022/05/11)
マクソーリーの酒場と私の酒場             KEI        (2022/05/04)
『旅の絵本』のこと                  けふばあちゃん    (2022/05/01)
予約本確保メール                   KEI        (2022/04/27)
安野光雅美術館と「もりのえほん」           けふばあちゃん    (2022/04/24)
バルト3国                      KEI        (2022/04/20)
一年に一回開く本                   けふばあちゃん    (2022/04/17)
郷愁の詩人 与謝蕪村                 KEI        (2022/04/13)
クマムシ                       けふばあちゃん    (2022/04/10)
本を選ぶ                       KEI        (2022/04/06)
移動図書館「さざなみ号」               けふばあちゃん    (2022/04/03)
人の為と人の夢                    KEI        (2022/03/30)
読書会の一コマ                    けふばあちゃん    (2022/03/27)
ちょっと変わった辞書・英和辞典            KEI        (2022/03/23)
「おとうさんのちず」                 けふばあちゃん    (2022/03/20)
漢語だから誤読                    KEI        (2022/03/16)
「三びきのやぎの がらがらどん」           けふばあちゃん    (2022/03/13)
書き取り総合練習帳                  KEI        (2022/03/09)
おまじない!!                    けふばあちゃん    (2022/03/06)
幸田真音の経済ホラー小説               KEI        (2022/03/02)
いいことって どんなこと               けふばあちゃん    (2022/02/27)
挨拶はむづかしい                   KEI        (2022/02/23)
「はるまでおあずけ」                 けふばあちゃん    (2022/02/20)
秋の七草                       KEI        (2022/02/16)
「だめよ、ディビッド!」               けふばあちゃん    (2022/02/13)
人生七十古来稀なり                  KEI        (2022/02/09)
おとなになってもう一度絵本にであう          けふばあちゃん    (2022/02/06)
新着本は漫画本                    KEI        (2022/02/02)
岸和田の姫                      KEI        (2022/01/26)
レファレンス協同データベースを使ってみた       KEI        (2022/01/19)
お名前は?                      KEI        (2022/01/12)
吹雪の夜の侍                     KEI        (2022/01/05)
栞(しおり)                     KEI        (2021/12/29)
古書店主のレファレンス                KEI        (2021/12/22)
漢字表記辞典                     KEI        (2021/12/15)
ふたつよいことさてないものよ             KEI        (2021/12/08)
「本の虫の本」                    KEI        (2021/12/01)
「地図の博物図鑑」                  KEI        (2021/11/24)
世界の路地裏                     KEI        (2021/11/17)
本から思い出す今は亡き人               KEI        (2021/11/10)
ちょっといい話                    KEI        (2021/11/03)
本を処分する                     KEI        (2021/10/27)
「辞書の仕事」                    KEI        (2021/10/20)
「東海道五十三次をよむ」               KEI        (2021/10/13)
「白い歯の美しい女の子」               KEI        (2021/10/06)
「九十歳。何がめでたい」               KEI        (2021/10/29)
“風”こと百目鬼恭三郎さん              KEI        (2021/09/22)
歩いた、よかった、ふれあった。            KEI        (2021/09/15)
「古文研究法」                    KEI        (2021/09/08)
「邦人奪還」                     KEI        (2021/09/01)
すごい美味しい                    KEI        (2021/08/25)
男の美学                       KEI        (2021/08/18)
新書365冊                     KEI        (2021/08/11)
「大作家は盗作家(?)」               KEI        (2021/08/04)
「池波正太郎のそうざい料理帖」            KEI        (2021/07/28)
古色蒼然たる文庫本                  KEI        (2021/07/21)
1冊で1000冊                   KEI        (2021/07/14)
自ら老いを戒める                   KEI        (2021/07/07)
再びフェルメール                   KEI        (2021/06/30)
「青春」という名の詩                 KEI        (2021/06/23)
「英語教育大論争」                  KEI        (2021/06/16)
ビブリオエッセー                   KEI        (2021/06/09)
「闇の絵巻」                     KEI        (2021/06/02)
探した本                       KEI        (2021/05/26)
「信長の棺」                     KEI        (2021/05/19)
新設図書館                      KEI        (2021/05/12)
書評                         KEI        (2021/05/05)
リタイアした企業人が書いた本             KEI        (2021/04/28)
「芭蕉発句新注」                   KEI        (2021/04/21)
「乗り鉄」が書いた本                 KEI        (2021/04/14)
霊柩のご送還                     KEI        (2021/04/07)
「エンド・オブ・ライフ」               KEI        (2021/03/31)
手作りリーフレット その1              事務局 林知子    (2021/03/24)
運(うん)                      KEI        (2021/03/17)
小さなかわいい文庫 木戸文庫             べーちゃん      (2021/03/10)
落語家、大学で教える                 KEI        (2021/03/03)
移動図書館ミッケル号(2)              H・T        (2021/02/24)
移動図書館ミッケル号(1)              H・T        (2021/02/17)
「大河の一滴」                    KEI        (2021/02/10)
聖徳太子はいなかった                 KEI        (2021/02/03)
「知らない日本語 教養が試される341語」      KEI        (2021/01/27)
アマチュアが書いた旅の本               KEI        (2021/01/20)
本棚の飾り物                     KEI        (2021/01/13)
シャーロッキアン                   KEI        (2021/01/06)
図録は書籍ではない?                 KEI        (2020/12/30)
「詩」を探す話                    KEI        (2020/12/23)
外交官の小説三部作                  KEI        (2020/12/16)
アメリカのリーガル・サスペンス            KEI        (2020/12/09)
小さな旅とくつろぎ散歩                KEI        (2020/12/02)
謎解き伴大納言絵巻                  KEI        (2020/11/25)
「アメリカ50州を読む地図」              KEI        (2020/11/18)
言葉と文章                      KEI        (2020/11/11)
迷宮美術館                      KEI        (2020/11/04)
東山魁夷さんの「白夜の旅」              KEI        (2020/10/28)
洛中獨歩抄                      KEI        (2020/10/21)
女優中谷美紀さんの「インド旅行記1」         KEI        (2020/10/14)
阿久悠さんのアフォリズム               KEI        (2020/10/07)
「天の涯まで」                    KEI        (2020/09/30)
塩野七生さん描く歴史サスペンス・ロマン        KEI        (2020/09/23)
国語辞典の遊び方                   KEI        (2020/09/16)
声に出して読みたい日本語               KEI        (2020/09/09)
野の花さんぽ図鑑                   KEI        (2020/09/02)
大津市立図書館協議会に思う              H・T        (2020/08/26)
蔵書の行方                      KEI        (2020/08/19)
外山滋比古さんの老い方                KEI        (2020/08/12)
路上の文字                      KEI        (2020/08/05)
扁炉(ピェンロー)                  KEI        (2020/07/29)
「職人の昔ばなし」                  KEI        (2020/07/22)
返さなかった本                    KEI        (2020/07/15)
若者が行くべき海外の10ヶ所              KEI        (2020/07/08)
「ホット・ゾーン」                  KEI        (2020/07/01)
二人の名探偵…折口信夫(釈迢空)と芥川龍之介     KEI        (2020/06/24)
廃市と死都                      KEI        (2020/06/17)
ヨハネス・フェルメールの絵と本と           KEI        (2020/06/10)
「復活の日」                     KEI        (2020/06/03)
路地の風景                      KEI        (2020/05/27)
旅の本                        KEI        (2020/05/20)
卯の花は匂うか                    KEI        (2020/05/13)
「サピエンス全史」とコロナウイルス          KEI        (2020/05/06)
タンポポ                       KEI        (2020/04/29)
巨星墜つ                       KEI        (2020/04/15)
「北京的胡同(ペキンのフートン)」          KEI        (2020/04/01)
岸本さんの講座から学んだこと2 図書館の学習室    H・T        (2020/03/18)
岸本さんの講座から学んだこと1 学校図書館の働き   H・T        (2020/03/04)
DONDUG                     KEI        (2020/02/19)
諸橋大漢和辞典の「子(ね)と子(こ)」        KEI        (2020/02/05)
百人一首                       KEI        (2020/01/22)
「万葉集 Man'yo Luster」               KEI        (2020/01/08)
「うちの美術館」と「ユニークな美術館めぐり」     KEI        (2019/12/25)
二人のエリザベート                  KEI        (2019/12/11)
「パリの国連で夢を食う」               KEI        (2019/11/27)
ラジオ深夜便と二つの塔の物語             KEI        (2019/11/13)
秋津温泉                       KEI        (2019/10/30)
読書鼎談                       KEI        (2019/10/16)
京の古道                       KEI        (2019/10/02)
「拾い読み」と「積読」                KEI        (2019/09/18)
町の小さな文庫                    べーちゃん      (2019/09/04)
食通知ったかぶり                   KEI        (2019/08/21)
学校図書館と公共図書館の連携             H・T        (2019/08/07)
書籍の処分                      KEI        (2019/07/24)
愛読書                        KEI        (2019/07/10)
木を植えた男                     KEI        (2019/06/26)
ばあばの読書ライブ                  けふばあちゃん    (2019/06/12)
取扱説明書                      KEI        (2019/05/29)
読めない絵本                     KEI        (2019/05/15)
ツケ置きのコーヒー                  KEI        (2019/05/01)
越後路のとなり                    KEI        (2019/04/17)
団塊の秋                       KEI        (2019/04/03)
新刊案内                       KEI        (2019/03/20)
コスモス                       KEI        (2019/03/06)
開架の大切さ                     muca         (2019/02/20)
ルビ(振り仮名)                   KEI        (2019/02/06)
フロントページ                    KEI        (2019/01/23)
手帳に書かれた文章と数字から             KEI        (2019/01/09)
3人の三国志の読み方                 KEI        (2018/12/26)
涙が止まらない二つの挿話               KEI        (2018/12/12)
お話し会とろうそく                  べーちゃん      (2018/11/28)
若き司書の意見                    KEI        (2018/11/14)
ばばちゃんと絵本                   ITOKO      (2018/10/31)
公共図書館の冒険                   KEI        (2018/10/17)
「おはなしコロボックル」の会(その3)        さくらこ       (2018/10/03)
図書館関連の統計数字あれこれ             KEI        (2018/09/19)
「おはなしコロボックル」の会(その2)        さくらこ       (2018/09/05)
待合わせ場所はいつも本屋さん             KEI        (2018/08/22)
ネパールの文庫                    ネパールの魔女    (2018/08/08)
「おはなしコロボックル」の会(その1)        さくらこ       (2018/07/25)
生き直しー図書館へ                  都忘れん子      (2018/07/11)
電車は図書館なのだ                  KEI        (2018/06/27)
書架で出会えるもの                  muca         (2018/06/13)
汚された図書館の本                  KEI        (2018/05/30)
もう一つの「私の図書館」               KEI        (2018/05/16)
絵本のある子育て4                  nao.nao     (2018/05/02)
まち角の図書館                    KEI        (2018/04/18)
小野瀬さんの講演から図書館の重要性に想いをはせて   北小松圓男      (2018/04/04)
書架の片隅で                     muca         (2018/03/21)
なくなった「私の図書館」               KEI        (2018/03/07)
本のある光景                     味野素子       (2018/02/21)
変幻自在の本棚                    KEI        (2018/02/07)
対談が、ふんだんな本                 muca         (2018/01/24)
「どう考えればいいんだろう」を読んで         けふばあちゃん    (2018/01/10)
図書館って その2                  けふばあちゃん    (2017/12/27)
図書館はどこへ行く                  KEI        (2017/12/13)
図書館って その1                  けふばあちゃん    (2017/11/29)
どう考えればいいんだろう               KEI        (2017/11/15)
ある読み聞かせの会の話                林田素子       (2017/11/01)
図書館条例、管理運営規則と館外貸出規程        KEI        (2017/10/18)
瑞峯さんのなかよし文庫                林田素子       (2017/10/04)
感慨深い話                      としょこ       (2017/09/20)
国立国会図書館からのお礼状              KEI        (2017/09/06)
貸出手続き                      muca         (2017/08/23)
豊島区立中央図書館                  栗原女以       (2017/08/09)
図書館クイズ                     KEI        (2017/07/26)
懐かしい本                      さくらこ       (2017/07/12)
「うた」の中の図書館                 KEI        (2017/06/28)
ランドセルと移動図書館                T・H        (2017/06/14)
寄り道                        KEI        (2017/05/31)
働き方改革と図書館司書の仕事             べーちゃん      (2017/05/17)
蔵出し一冊                      KEI        (2017/05/03)
こんな図書館に                    M          (2017/04/19)
夢の中の図書館                    KEI        (2017/04/05)
図書館にできること                  さくらこ       (2017/03/22)
絵本のある子育て3                  nao.nao     (2017/03/08)
学校図書室は、どんなところ?             学校好き本好きおばさん(2017/02/22)
小さな小さな本棚                   KEI        (2017/02/08)
自動車文庫があったらいいなぁ             さくらこ       (2017/01/25)
和邇館催し 干し柿づくり               みっちゃん      (2017/01/11)
図書館みてある記(3)                けふばあちゃん    (2016/12/28)
物語の題名                      ワニファン      (2016/12/14)
図書館徘徊中                     muca         (2016/11/30)
自分探しー図書館の思い出               都忘れん子      (2016/11/16)
便利というべきか                   KEI        (2016/11/02)
ネパール 五つ目の文庫                ネパールの魔女    (2016/10/19)
図書館でビデオテープを借りた             KEI        (2016/10/05)
外国の図書館見学                   T・H        (2016/09/21)
いろいろ大変だなあ                  KEI        (2016/09/07)
図書館みてある記(2)                けふばあちゃん    (2016/08/17)
図書館あれこれ                    KEI        (2016/08/03)
子ども雑誌の思い出                  まっしゃん      (2016/07/20)
図書館の書庫                     KEI        (2016/07/06)
ツバメがやってくる図書館               T・H        (2016/06/29)
収集癖はないのだけど                 muca         (2016/06/22)
こんな図書コーナーが欲しい              べーちゃん      (2016/06/15)
図書館みてある記(1)                けふばあちゃん    (2016/06/01)
子どもの雑誌                     島田 耕        (2016/05/25)
図書館と縁遠い人の話                 さくらこ       (2016/05/18)
妖精に会いたい                    チャッピー      (2016/05/11)
原作と映画                      H・K        (2016/05/04)
ライブラリー                     KEI        (2016/04/27)
借りたくないなぁ                   ベーちゃん      (2016/04/20)
好奇心の寄り道                    A・N        (2016/04/13)
本を読む姿                      ゆうちゃん      (2016/04/06)
私専用の図書館                    KEI        (2016/03/30)
学校に司書が欲しい                  子育ておばさん    (2016/03/23)
記憶に残る小説                    さくらこ       (2016/03/16)
時代小説との出会い                  ひーちゃん      (2016/03/09)
絵本のある子育て2                  nao.nao     (2016/03/02)
司書の力 エッセイの文探し              T・H        (2016/02/24)
司書の職場から O先生のこと             I・S        (2016/02/17)
一冊の本から                     けふばあちゃん    (2016/02/10)
図書委員                       muca         (2016/02/03)
忘れられない司書さん その2             はやP        (2016/01/27)
忘れられない司書さん その1             はやP        (2016/01/20)
時代遅れ?                      和邇館利用者     (2016/01/13)
島根県立図書館だより                 T・H        (2016/01/06)
和邇図書館                      T女         (2015/12/30)
読書の楽しみ                     ケロちゃん      (2015/12/23)
ミッケル号                      ワニファン      (2015/12/16)
図書館30分見学記                  T女         (2015/12/09)
図書館が好き                     びわこ        (2015/12/02)
「湖の南」を読んで                  mn女        (2015/11/25)
和邇図書館と我が子たち                三匹の子ヤギの母   (2015/11/18)
図書館の風景                     さくらこ       (2015/11/11)
ぼくの図書館の原点                  K・K        (2015/11/04)
レファレンス                     けふばあちゃん    (2015/10/28)
お元気ですか。また、どこかで会いたいものです     べーちゃん      (2015/10/21)
司書さんとレファレンス・サービス           KEI        (2015/10/14)
「ぐりとぐら」の思い出                I・S        (2015/10/07)
三冊ご用意できています                龍野 健       (2015/09/30)
魔女になりたい                    チャッピー      (2015/09/23)
とっておきの一冊                   フムフム       (2015/09/16)
絵本のある子育て                   nao.nao     (2015/09/09)
本棚の風景                      K女         (2015/09/02)
サパナ(夢)図書室                  ネパールの魔女    (2015/08/26)
図書館とわたし                    KEI        (2015/08/19)
自習室だけ借りてた頃                 muca         (2015/08/12)
図書館(室)との出会い                さくらこ       (2015/08/05)
本との出会い                     けふばあちゃん    (2015/07/29)
図書館がムラに来た                  K・M        (2015/07/21)
今月の特集                      ヒラマロ       (2015/07/15)
我が故郷の図書館                   T・H        (2015/07/08)
「珊瑚集」
啓(2024年5月22日)
「緑の遊歩道」と名付けられた我が家の近くにあるウオーキング道を歩いていた時の妻とのたわいのない会話である。傍らに植えられたサンゴジュやクチナシを眺めながら「葉が随分と傷んでいるね、虫がついているのだろうか」「昔、庭に咲いていたクチナシの葉もよく虫に食われていたね」「サンゴジュは葉が厚く甘いので虫がよくつく」。
 妻とのこの会話に出てきた「サンゴ」と言う言葉が契機になったのかどうか、頭の中で突然に、誰だったかが永井荷風の「珊瑚集」についてどこかのラジオ番組で話をしていたのが蘇った。いい加減に聞いていたのでどのような話だったのか覚えていることは少ない。覚えているのは話の主人公が、 80 年以上前に1円 80 銭(だったと記憶している)で 1,000 部(と覚えている)発行されたこの本を神田の有名な古書肆(名前は忘れた)で 5,500 円で買ったこと、その内の幾つかの詩(どのような詩だったかは全く覚えていない)を紹介していたこと位である。本は戦前のものとは思えないほど保存状態がよく綺麗だったそうだ。
 私は、永井荷風についてはその名前と幾つかの作品のタイトルと彼に関しての幾つかのエピソードを断片的に知っているだけである。「珊瑚集」というのは確かフランスの近代抒情詩の訳詩集だとのおぼろげな記憶も残っている。これら以外には彼についての知識はない。彼の作品を読んだ記憶はない。
 差し当たり読むべき本もないので図書館の蔵書を検索し、荷風全集(岩波書店)の第 11 巻と第 28 巻を借出した。昭和 40 年代発行のこれらには昔の小学校の図書室の本がそうであったように表紙裏に図書カードを入れる小さな袋が張り付けられていた。本自体は、借り出した人も少ないのだろうか、赤茶けていたが綺麗な状態だった。
 珊瑚集は第 11 巻に置かれていた。第 28 巻には「珊瑚集校異」として「籾山書店版」と「元版『荷風全集』版」を上下におき、それぞれの差異が詳細に書かれていた。後者は私にとってはあまり意味がないように思われたので第 11 巻を読むこととした。
 訳詩の全ての漢字にはルビが振られ、その意味ではとても読み易く感じた。訳の巧拙については私には語る資格がない。
 書籍本体に張り付けられた月報で詩人の牧 羊子(開高 健夫人)が書いている「……荷風のそれ(文体)は全く独自の文語体であります。一見、文語体にみえながら、その訳語をもう一度注意してみなおすと、これはもう、今日私たちが平常語として使っている、何気ない平易な、のびのびとした、若い口語体のことばであります」というのが私が読み易く感じた本当の理由かもしれない。
  10 代後半に意味も分からず、背伸びして気取って読んだボードレールの「悪の華」以来何十年か振りに思いもかけずフランス詩人の訳詩集を読んだということになる。

御朱印
啓(2024年5月15日)
 御朱印帳を持って神社仏閣巡りをする女性が増えており、御朱印女子、御朱印ガールなる言葉もあるそうだ。そう言えばラケットボール仲間の女性も、最近友人の影響で西国三十三所詣でを始め御朱印を戴いているそうで、折々、詣でたお寺の写真やその近くの風景写真をエピソードと共にラインで送ってくれる。
 御朱印と言えば、どこで得た知識かは記憶していないが「参拝者が写経をして、それをお寺に納めた証(あかし)としてお寺から授与される朱の印を押した書面」だということは知っている。ところがウィキペディアでは「朱印(しゅいん)は、主に日本の神社や寺院において、主に参拝者向けに押印される印章、およびその印影。敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれる。‥‥‥現代では朱印は納経とかかわりなく参詣の証明となっている」と説明している。
 神社の御朱印? 神社にお経を納めた証? 今まで「神社と御朱印」や「神社と納経」については考えたこともなかったが、「そう言えば友人が宮司として奉仕している神宮でも御朱印を授けていると言っていたなあ」と昔話を思い出した。
 手元には決定版御朱印入門と愛蔵版御朱印巡礼(いずれも編者 淡交社編集局、発行所 淡交社)がある。そこには数多くの寺院や神社の御朱印が載せられており、その読み下しが付いている。そこに掲載されている御朱印には四国八十八ヶ所の第一番札所霊山寺、西国三十三所の第八番札所長谷寺などのお寺の御朱印だけでなく、伊勢神宮、熊野本宮大社、湊川神社などの神宮・神社のものもある。
 寺院と納経は理解できるが、神社と納経については気になった。決定版御朱印入門では、八木 透氏が「御朱印とは、元は寺院で写経し、それを奉納した証として授与されるものであった。……やがて、社寺参詣が観光の旅と結びつき、一般参拝者が増加するようになると、御朱印本来の意味が、経を納めなくとも、単に参拝した証として御朱印が授与されるようになる。またこのような慣習が神社にも影響を与え、後の時代には、寺院と同様に神社でも御朱印を出すようになったものと考えられる」と書いているが「このような慣習が神社にも影響を与え」という説明では、まだ疑問が残る。
 そこで、神社本庁が御朱印についてどのように説明しているかを、神社本庁のWEBで調べた。そこには
 神社参拝した証として戴く「御朱印」。
 その起源は、奈良・平安の昔。神社仏閣に書写した経典を奉納した際に戴いた「納経受取の書付」ではないかといわれています。
「神社へ経典を奉納したの?」と思われる方もあるかも知れませんが、こうした例の代表に「平家納経」があります。これは時の天下人・平清盛が神仏習合思想の影響をうけ、「厳島神社の御祭神は、十一面観音がお姿をお変えになったもの」と解釈して奉納したものといわれています。
 こうした納経は徐々に一般にも広がり、社寺から「納経受取の書付」を戴いていたことが、やがて納経をせず参拝のみをした場合にも証明を書いてもらうというように変化していったものと考えられています。(以下省略)
とあった。「平家納経」「神仏習合思想の影響」と言われると何となく納得してしまう。
 最近の御朱印女子、御朱印ガールについては、「……入門」で八木氏が書いている「……特に戦後になり、西国巡礼や四国遍路が新しい旅のスタイルとして定着するようになると、巡礼による御朱印収集は一つのブームとして大流行してゆく。由緒ある寺院に参詣し、仏の教えに近づくことで心の渇きを潤し、癒しを欲する心身を満たさんとするような旅のあり方は、現代日本人の旅志向を象徴しているように感じる。……御朱印収集という新しいスタイルのコレクションへの関心が見え隠れしているように思えてならない」が正解かも知れない。
 私には八木氏の「御朱印収集という新しいスタイルのコレクションへの関心が見え隠れしている」や寺社参詣三十年の軌跡として、180冊を超える御朱印帳を有している人物の対談での発言「御朱印集めに関しては、正直、スタンプラリー化してしまっていますね」は本音だろうと思う一方、コレクションやスタンプラリーであっても敬虔な気持ちで神社や寺院にお参りするという行為にははっきりとは説明できない何か精神的なものがあるのではないかとも思う。

午後三時のビール
啓(2024年5月8日)
 午後三時のビールとは極めて魅力的な言葉である。
 現役であった頃には、在宅勤務ならず休日の仕事として持ち帰った契約書の立案や検討作業が予定より早く終わったときに、午後三時のビールを楽しんだことがあった。リタイア後暫くの間は「このような時間にビールを飲むのはアルコール中毒の始まりかな」などと冗談を言いながらのんびりと気だるい時間を過ごしたこともある。いずれも勤務を終えて仕事仲間と行くビアホールでのビールとは一味違っていたように思ったことである。
 手にした中央公論新社編の酒場作品集「午後三時にビールを」(中公文庫)で開巻最初に飛び込んでくる文章は、萩原朔太郎の「虚無の歌」である。それは「午後の三時。広漠とした広間(ホール)の中で、私はひとり麦酒(ビール)を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。暖炉(ストーブ)は明るく燃え、扉(ドア)の厚い硝子を通して、晩秋の光が侘しく射してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の数々」で始まっている。
 この文章については朔太郎が自註で「……私は相当に言葉の音律節奏に留意した。ボードレエルのいう『韻律を踏まないで、しかも音楽的節奏を感銘づける文学』に多少或る程度まで近づけようと努力した。……」と書いているのを付記しておくべきだろう。
 午後三時のビールというと私は池波正太郎の「食卓の情景」や「散歩のとき何か食べたくなって」などの書物を思い出す。池波正太郎もきっとこれらの本の中で日が高いうちのビールやお酒について書いているに違いない。彼がこれらの書物でどのようにそれらを描いているか、書庫に残された本を捜索した。ところが池波正太郎の著書は「剣客商売」全巻を除き全て処分済みだった。後ろ髪を引かれる思いでこれらを処分したことを思い出した。
 この本「午後三時にビールを」に池波正太郎の文章として選ばれていたのは「藪二店」というタイトルのもので、彼が「まだ日が落ちぬうちに」飲むのは蕎麦屋での日本酒である。
 この本に掲載された文章に現れるお酒は、日本酒が多く(燗酒、ひや酒、コップ酒、升酒等種々の表現で現れる)他には焼酎、泡盛、ウイスキイ、ジン、ウオトカ、キュラソ、ポオトワインなどなど。「午後三時にビールを」というタイトルには全く合致していない文章が並んでいる。羊頭狗肉ではないか、といささかの憤りと落胆を感じて読み進んだ。副題が酒場作品集とあるのでまあいいかと思いながらページを進めると向田邦子の「『ままや』繁盛記」が現れた。
 これは「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店」を造ろうと考えた向田邦子が、店は妹にやらせ、自らは「資金と口は出すが、手は出さない。黒幕兼ポン引き兼気の向いた時ゆくパートのホステス」になった話である。店は繁盛しているが「夜原稿を書いていて店が気になって仕方がない。雨の日は特にそうである。ホステスとして出勤しようかなとウズウズする。ベンチを出たり入ったりする長島監督の気持がよく判るようになった」という一編にはお酒を示す言葉は何一つ現われない。これこそ「看板に偽りあり」だろうと思うが、面白く、かつ気に入った短編を知ったことで許すとしようか。
  2023年6 月初版発行とあるこの中公文庫に掲載されている文章は初出が 1935 年から 2009 年までの作品であり、2点を除き全て 1900 年代のものである。過去に読んだことがある古き良き時代の酒場風景が描かれており、それはそれで楽しかったが、新しい出版物としてはこのような出版は如何なものか。取り上げた作品群について私にはそのコンセプトを理解できない。

俳句入門書
啓(2024年5月1日)
 私は俳句や短歌を作ることはできないが、読むことは好きである。と言っても例外はあるものの特定の俳人や歌人の句集、歌集を丁寧に読むのではなく、日常生活で目にする新聞、雑誌その他に掲載されているその道の専門家の作品や専門家により選ばれた一般人の作品が対象である。選者の解説を読んで感心することもあり、私の解釈とはちょっと違うなあ、と思ったりずぶの素人として楽しんでいる。
 図書館で書棚を順に眺めていた時に「岸本葉子の『俳句の学び方』」( NHK 出版)が目についた。岸本葉子さんは「 NHK 俳句」という番組の司会を務めている人物だそうだ。
 カバーの折り返し部分には、 NHK 俳句選者の「学ぶ立場からの入門書があっただろうか?」「迷える初心者を導く本物の入門書」との推薦の言葉が書かれていた。
 今までに出版された俳句入門書がどのようなものかは全く知らないが、この本は自らは作らず他人の俳句を読むだけの門外漢の目から見ても面白かった。
 その第1章は「入選に近づく 10 の格言」であり、「私が語らず、モノに語らせる」「言外に匂わせない」「見てきたような嘘をつく」「つぶやいて音を確かめる」などの自らが作った格言それぞれについて、自らが最初に詠んだ句をどのように考えて推敲したのか、その推敲過程を丁寧に説明している。
 私がなるほどと思ったのは格言その6「よくある詠み口に陥らない」の中の次の説明である。
 多くの俳人から挙がるベストセラーにしてロングセラーというべき「あるある」が、「どこどこに一つの何々」です。島にひとつの信号機、村にひとつの荒物屋、といったもの。(以下略)
「軋む」「傾く」「欠けた」は3Kと呼び、私が警戒するものです。……きれいでないもの、不完全なものを詠むのが俳句らしいと思うからでしょうか。わびさびの感じもでますしね。(以下略)
「すくすく」育つ、「でっぷり」太る、「どっかと」腰を下ろしたる。用法は正しく、散文ならば伝達力が高そう。でも俳句でこういう表現が出てくるとそれだけで、一句が見慣れた印象になってしまうと聞きました。(以下略)
 母は小さくなり、どこへも行かない。父の背中は広く、子ははしゃぐ。「あるある」ですね〜。母とはこういうもの、という社会通念に、発想をつい合わせてしまうのです。(以下略)
 これを読んだときに不躾にもかつて落語で聞いた「根岸の里の侘住居(わびずまい)」というフレーズを思い出した。初代柳家小せん宅の運座の席で八代目入船亭扇橋が「梅が香や根岸の里の侘住居」と詠んだ句が最初だそうだが、これは上五にどのような言葉を入れても一応の句になる、と諧謔を交えて語っていた。確かに素人の私が「初雪や」「落ち葉して」「小春日の」を入れてもそれなりの句になる。
 閑話休題
 この本に書かれている内容は、著者が“はじめに”で書いているが、番組収録の前後に聞いた選者のコメントを「控え室でもどこでも常にノートとペンを構え、選者の一言半句も聞き漏らすまいと耳を傾けた」結果である。
 最後に、選者の一人との対談形式での「助詞力アップ 添削十番稽古」がある。それぞれ納得させられる添削であったが、第十番の「の、に、は」の項では、「助詞だけで考えず十七音全体、さらには発想に立ち返って考えることも学」んだ。と結んでいる。
(原句) 乗り込んでバックミラーの花明かり
(添削@)乗り込んでバックミラーに花明かり
(添削A)乗り込みしバックミラーの花明かり
(添削B)乗り込んでバックミラーは花明かり
(選者)
 @は「乗る」「ミラー」「花明かり」という気づきの順番に沿った書き方。乗り込んでミラーを見たら桜の花が映っていた。Aは、@の結果だけを事後的に示す書き方。Bは「ミラー」というモノを強調した書き方です。どれが正解ということでなく、いろいろ試して助詞の効果を体験していただければと思います。表現をいじっている内に元の句とコンセプトが変わってくることもあります。
(著者)
 私の推敲は、「この助詞はよくないと聞いたことがあるから、リスクを避けたい」という、消極的なものが多いと解りました。でも一概に避けた方がいい助詞などなく、内容との関係なんですね。それぞれの助詞のはたらきを正しく知って、積極的に選び取れるようになりたいです。(以下略)

「東南アジアの洞窟遺跡」
啓(2024年4月24日)
 図書館の新着本の棚にポツンと一冊残されていた本が福井洞窟ミュージアムと東南アジア考古学会の編になる「東南アジアの洞窟遺跡」(雄山閣)だった。洞窟や遺跡にはそれほどの関心を持っているという訳ではないが、アート紙で印刷されたその本を手に取ってみると各頁に遺跡の全体写真や出土した諸々の写真・関連する図表が掲載されており、眺めるだけでも面白そうだったので借り出し手続きをした。
 ペラペラと頁を繰ったときに「泰緬(たいめん)鉄道と洞窟」という項目があり、映画「戦場にかける橋」のクワイ川鉄橋の写真が載せられていたことも借り出した理由の一つでもある。
 人類の洞窟利用とその痕跡というタイトルで書かれた個別の洞窟遺跡についての8頁前後の文章がこの本の中心だろうが、取り上げられている洞窟それぞれの関係がよく理解できない。
 例えば「仏像が静かに眠る洞窟」との見出しではラオスのタムティン洞窟が取り上げられているが、水辺の聖地、信仰の場・観光の場、岸壁に描かれた壁画という切り口で説明され、「東南アジアで最も美しい洞窟」としてタイのプラヤナコーン洞窟ではカオ・サームローイヨート国立公園、王を魅了した洞窟、国立公園内の洞窟壁画が説明されている。
 それぞれを読んでみるとなんとなく洞窟と歴史を切り口とした観光案内書のような感じである。かつてテレビの旅番組で観光地として紹介されていた洞窟もある。
 この本で知った言葉、初めて出会った言葉に「ホアビニアン(ホアビン文化)」がある。「 1920 年〜 1930 年代、マドレーヌ・コラニによって、ホアビン省を中心とするベトナム北部の石灰岩洞窟群から発掘された、安山岩や玄武岩を石材とする石器群をもとに、ホアビニアンが定義された」という説明では私にはよく理解できない。そこでインターネット検索をするとベトナム語を翻訳したもののような説明文が現れたが、極めて稚拙な訳文であった。
 世界大百科事典の「インドシナ半島を中心に、中国南部から島嶼部に広がる石器時代文化。ベトナム北部、ハノイ南西のホアビン Hoa Binh 地方の石灰岩洞窟多数を、 1926-29 年にフランスの考古学者コラニ M.Colani 1866-1943 )が調査し、その出土品によって命名された」が私には理解しやすい。
 読みながら一つの疑問が生じた。ここで取り上げられている洞窟の定義はどのようなものだろう、洞穴や鍾乳洞とどう違うのか。鍾乳洞は石灰岩が水によって侵食されてできた洞窟で洞窟の下位概念なのだろうか。かつて京の古道歩きの途中に友人たちと訪れた日向大神宮の天岩戸も洞窟の一種なのだろうか。などと素人の考えは変な方向に向かう。
 最後までこの本の性格が分からなかったが、最終頁に「企画展『東南アジアの洞窟遺跡』とその図録である本書は……」と書かれてあったので、何となく納得した。
 多くの人がそれぞれの文体や切り口で自由に書かれている文章の羅列であり読むのに難渋した。しかし、資料的価値のある書物だろうとは思う。

「エストニア紀行」とウォーレンバーグ
啓(2024年4月17日)
 新潮社から「エストニア紀行」という本が発行されている。正式な書名は「エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」といい、著者は私にとっては初めてお目にかかる梨木香歩という女性である。 1956 年生まれの児童文学作家と紹介されていた。
 思い入れが詰まった文章が並び、文体も私の趣味には合わないが、好きな人にとっては心地よいだろう。紀行と名付けられているようにエストニア全土を通訳とカメラマンとコーディネーターの4人で2週間ほど(と思われる)旅行をした記録である。
 首都タリンの旧市街にある地下通路や歌の原(エストニアの独立回復を牽引した“歌う革命”の舞台)の訪問記、ヴォルにある森やその近郊村での茸や蜂蜜の話、バルヌのホテルでの怪談話、キヒヌ島、ムフ島やサーレマー島の昔ながらの生活風景などが書き連ねられている。白コウノトリを見ることが出来なかったことについても、著者たちがエストニアの空港に降り立った翌日に吹いた強い北風に乗って南へと旅立ったと、頁を費やしている(白コウノトリは、われわれが普通にコウノトリといっている鳥のようだ)。環境やそれとの関係で植物や鳥に深い関心を持っている人らしく、そこかしこに私の知らない知識が披露されていた。
 この本で知ったことにブダペスト領事館駐在のスウェーデン公使ラウル・ウォーレンバーグがある。彼も杉原千畝やオスカー・シンドラーと同じようにユダヤ人の保護に全力を尽くしている。彼はユダヤ人をスウェーデンの保護下に置くための保護証書を(この文書自体は国際法的には全く意味のない文書であったが)発給し続け 10 万人に及ぶユダヤ人を救い出した。最後はスパイ容疑でソビエトに連行され行方不明になっている。
 ラウル・ウォーレンバーグのその後について、手元の 2016 3 30 日の産経新聞朝刊では「 10 万人のユダヤ人を救った『スウェーデンの杉原千畝』  71 年前に消息絶った外交官の死亡認定へ」との見出しのもと次のように報じている。

ロイター通信によると、スウェーデンの税務当局は 29 日、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチス・ドイツの迫害から救い、約 71 年前に行方不明となったスウェーデンの外交官ラウル・ウォーレンバーグ氏について、財産管理人から死亡認定申請があり、半年後の今秋にも死亡が確認される可能性があることを明らかにした。

ウォーレンバーグに救われたユダヤ人ら(は)、戦後「国際ウォーレンバーグ協会」を設立して手掛かりを求め(てい)た。

(行方不明後の彼の)生死は不明で(彼は)「墓場なき英雄」と称されている。

1996 年にはイスラエル政府がユダヤ人を救済した功績をたたえて、日本人外交官・杉原千畝と同じく(彼に)ヤド・ヴァシエム賞を贈った。 1979 年にイスラエルで(彼の)顕彰碑が造られた。

「糸暦」
啓(2024年4月10日)
 図書館から「予約された資料を受け取れます」というメールが送られてきた。「最近は何も予約していないのに」と思ったが、内容を見ると小川 糸さんの「糸暦」(白泉社)だった。著者の小川 糸という名前を見て記憶が蘇った。
 半年以上前に送られてきたメールマガジンで新着資料としてこの本が紹介されていた。かつて面白く読んだ「ツバキ文具店」の著者の新刊小説だろうと思い、予約を入れたのだった。その時点で予約者は既に3桁になっていた。「忘れた頃に連絡があるだろう」と思ったが、本当に忘れた頃に連絡があった。
 受け取った「糸暦」は小説ではなく1テーマ3頁のエッセイであり、作者の余裕のある落ち着いた丁寧な生き方が書かれ、それぞれに趣味の好い乙女チック(と言っていいのだろうか、私には適当な言葉が思いつかない)な挿絵が添えられている。
 タイトルに暦とあるように卯月から始まり弥生で終わる1年の各月の生活を、主として食物に関する二つのエッセイで描写している。
「ラッキョウも、然(しか)り」「極力スケジュール帳は空(から)にしておく」「濃いめに淹(い)れたコーヒー」「後ろ姿に縋(すが)りつきたい」「いやが上(おう)にも気合が入ってしまう」などにルビが振ってあるのは著者の気持が何となく分かるが、最後の「上(おう)」というルビには疑問が残る。
 神無月ではそのテーマの一つに「栗ごはん」が取り上げられていた。
 あなどれないものに、栗がある。栗は、何にしてもおいしい。おいしいが、食べるのには難儀する。そもそも、あのイガが曲者だ。イガから外してもなお、おいしさに辿り着くまでには手間がかかる。
 幼い頃、運動会のお弁当は栗ごはんと決まっていた。その日が近づくと、母は方々の八百屋に顔を出し、どこの栗が一番よさそうかをチェックした。その栗を運動会の前日に入手し、夜、栗の皮を剥くのである。
まずは鬼皮を剥がし、更に渋皮も丁寧に剥いていく。朝起きると、綺麗に剥き上がった栗の実が、水を張ったボウルの中で泳いでいた。
(中略)
 こんなに手間のかかる作業を、母は一言も文句を言わず、毎年やってくれていたのだ。母とは本当に色々あったけど、母が栗ごはんを作ってくれていたのは、ひとえに私が喜ぶからで、それこそが無償の愛だった。そのことに気づいた時、私は栗の皮を剥きながら、号泣した。
 この文章を読んで、この秋も栗ごはんが大好きな孫のために秋の夜長の食卓で同じ作業をしていた妻と、その横でそれを眺めて雑談していた私を思い出した。
 出羽三山を訪れる行者の宿として昭和初期に創業した山菜料理の老舗の料理とその経営者との交流を描いた文章二編が最後に添えられている。山菜の名前が数多く現れたが、半分以上が私の知らない言葉だったのには驚いた。先人は季節それぞれの数多くの山の恵みを享受していたのだろう。
 この本の中から、心に残った言葉をちょっと拾ってみよう。

家に持ち帰った山椒の実は、一つずつ手に取って、細い茎を取り除く。この作業が、実にちまちましている。……大好きな音楽を聴きながら、山椒の実のお世話をするのは、至福のひとときと言っても過言ではない。(皐月)

大人になり、初めて、皮が薄くてふわふわの大粒の梅干しを食べた時は、目から鱗が落ちそうになった。……それはまるで宝石のような存在感で、立派な「ご馳走」だった。(水無月)

味噌作りの過程で、塩と生麹を混ぜている時間が好きだ。だんだん気持ちが穏やかになって、瞑想しているような気分になる。味噌には、宇宙の銀河にも匹敵する、無数の命が宿っている。……一度、ものすごく悲しい気持ちで、味噌を仕込んだことがあった。数ヶ月経って様子を見ると、なんとその味噌からはカビが生えていた。……やっぱり味噌も生き物なのだということを痛感した。(神無月)

コゴミは……集団で芽を出すので、内側は残し、外側だけを採るようにすると、来年も太く立派な芽が顔をだす。欲張って全部を摘んでしまったら、翌年は貧弱な芽しか出てこない。(出羽屋さんへ、春、再び)
 読み易い文章で、あっという間に読み終えた。

「チェコの十二ヵ月」
啓(2024年4月3日)
 図書館の書棚を左から右に順に眺めていると「チェコの十二ヵ月」と言うタイトル、「おとぎの国に暮らす」という副題、そして著者名の「出久根」が目についた。「出久根」の下部は図書の分類番号と思われる「Eデクチエ」が印刷されたシールが張られ名前の部分が隠れている。
 出久根と言う苗字からは私は出久根達郎さん以外の人物は思い付かない。出久根達郎さんがチェコでの生活について書かれたのだろうか、チェコに住まわれたことがあったのだろうかと思い、ちょっと手に取った。
 手に取ってよく見ると著者は達郎ならず育さんで、本自体はところどころにカラーやモノクロームのファンタジーというのかロマンチックという言葉が適当なのか心が楽しくなるような絵が入った、読み易そうなエッセイ集だった。手元には差し当たって読む本もないので、借出した。
 初出を見るとウエッブエッセイ「プラハお散歩便り」とある。興味本位で原典を当たってみた。 2006年6 月を第1回とし、現時点では 2023年10 月の第 77 回が最新となっている。不定期に掲載されているのだろう。
 ウエッブに掲載された作品のうち 17 を選び出し、加除添削をして作られたのがこの本なのだろう。
 その17の文章の一つにヴェリコノッツエ(復活祭)と題された文章があった。
 復活祭といえば、卵を思い浮かべるでしょう。生命の象徴である卵は、棒に刺してマザネツという丸いパンに立てて飾ったり、紐を通して、庭の木の枝や玄関先などに吊るします。また、地方ごとに特徴を持ち、伝統柄にペイントされたヴェリコノチュニー・クラスリツエ(復活祭の卵)は、人にプレゼントしたり、家の中に飾ったりします。……さて、復活祭の月曜日には、チェコ土着の風習としてポムラースカ(芽吹いたばかりの柳の枝を編んだ鞭)で男の子が女の子のお尻をたたくという習慣があります。……この鞭で叩かれた女の子はその年健康に過ごせると言い、大人の女性であれば一歳若返ると言われています。女性はお返しに、ペイントされた卵を男性にプレゼントします。……
 出久根育さんの文章中には、私が今まで知っていた「復活祭の休日(もしくは春)を祝うための特別に飾り付けられた鶏卵をイースター・バニーというウサギが隠す、という伝承にもとづき復活祭の朝に子供たちが隠された卵を探す」というイースター・エッグの風習は書かれていない。
  20 年ほど前に偶々イースター・サンデーにベルギーのアルデンヌ地方にあるアンヌボア城を訪れた際には、お城の庭で、籠やナイロンの袋を持って卵(ウズラの卵を一回り大きくしたようなチョコレート菓子)を探している子供たちの姿を見たが、国や地方によっていろんな風習があるのだろう。
「雪が降ると私は好んでスケッチに出かけます。プラハ城の向かいにあるペトシーンの丘から眺める、谷間の林檎林が特に好きな場所です。上へ横へと光を求めて枝を伸ばす木々の姿が、愛すべき風景となって私の心をとらえるのです」で始まる「雪景色」というタイトルの文は、雪やそれに纏わる記憶の諸々について触れ、冬の日本海に臨む村々の風景に及ぶ。そこから「つる女房」や「かさじぞう」で赤羽末吉が描く冬景色を書き、彼の「雪は美しい華である。だがその底には、人の命も軽々ととってしまう魔性がキラリとひそんでいる」と言う言葉を引用する。
 ゆっくりと読み、そこに書かれていることを契機にいろいろと想像し、思いを巡らすのがこの本の正しい読み方だろう。こう考えながらのんびりと活字を追った。

巨勢山のつらつら椿
啓(2024年3月27日)
 万博記念公園の「つばきの森」には約 100 品種、 260 本の椿が植栽されている。また服部緑地の都市緑化植物園にも「椿山」と温室内の椿コーナー「カメリアルーム」の2つの椿エリアがある。何年か前までは、季節になると妻とよく訪れ写真を撮った。
 我が家の庭の隅でも肥後椿と名前を知らない椿が咲いていた。
 椿の花を見ると「巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)ばな巨勢の春野を」(坂門人足、万葉集巻一ノ五四)が口について出る。この歌は大学を出たばかりの新任の国語教師だった先生から中学1年生の頃に教わった。
「つらつら椿つらつらに」という音が心地よく響いたのだろう、直ぐに覚えた。
 上下2巻からなる堀内民一の「大和万葉旅行」(角川新書)の上巻にある「巨勢・宇智万葉の道」44「巨勢の春野・巨勢山」では、この歌が最初に紹介されている。
 巨勢という地はどこにあるのか漠然と都からそれほど遠くないところだろうと思っていたが、この本には「南葛城郡葛村古瀬を中心とする山峡の地であろう」とある。現在の奈良県御所市の南東部、近鉄吉野線沿線の地のようだ。最寄り駅は近鉄吉野線の吉野口駅だろうか。
 そしてこの本には巨勢山の椿について
 ……道のべに群生する椿の花などは、巨勢野を愛する都人士の目にとまり、さかんに歌によまれ、椿の花の名所として、ひろく知られたのである。……古瀬の村の、各社寺境内地や民家には、そのヤブツバキが今も目だって多いのは、むかしの名残をとどめているのだろう。……
と書かれている。
 ちなみに万葉集には椿を詠んだ歌が9首あるそうだ。萩 141 首、梅 118 首、桜 50 首に比べて少ない。
 戯れに奈良県立万葉文化館のホーム・ページを見ていたら、この歌の歌碑が 10 ヶ所に建てられているという記事が目に留まった。歌碑が建てられた地は奈良県御所市「阿吽寺境内」は当然のこととして、北は福島県須賀川市の「翠ヶ丘公園」から南は鹿児島県薩摩川内市の「万葉の川筋散策の路」に及んでいることが書かれていた。いずれも万葉植物園とか万葉の森、万葉の道と言った場所に建てられているのだろう。

邸宅美術館
啓(2024年3月20日)
 美術品の一大コレクションを築いた大富豪の蒐集品を展示するために建てられた美術館はよくある。例えば実業家のアントン・クレラー・ミュラーとその夫人ヘレンにより蒐集された数多くのゴッホの作品を含む1万点余の美術品を有するクレラー・ミュラー美術館、日本では倉敷の実業家大原孫三郎により蒐集された西洋美術、近代美術を展示する大原美術館、株式会社ブリヂストンの創業者である石橋正二郎の蒐集による西洋美術、日本近代絵画のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)等々。
 これらの美術館以外に欧米には個人の邸宅を美術館として公開した「邸宅美術館」が数多く存在する。欧米の 15 の邸宅美術館を数多くの写真と共に紹介する朽木ゆり子さんの「邸宅美術館の誘惑」(集英社)を図書館から借り出した。この本には「アートコレクターの息づかいを感じる至福の空間」との副題がついている。
 選ばれているのはアメリカ5邸、イタリア3邸、ベルギー3邸、フランス2邸、スイス2邸の邸宅美術館である。著者は「特徴のあるコレクション、物語のあるコレクター、美しいセッティング」の3点からこの15の美術館を選んだという。
この15の邸宅美術館の建物とその由来、主(あるじ)の絵画の蒐集に関する意見や考え方、見方の諸々はとても興味深く読んだ。例えばボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館は、ガードナー夫人の「私が死んだ後で、何も変えないように」との遺言を遵守している。
 それぞれの人物がその巨万の富を美術品蒐集に当て、それをそれぞれの方法で後世に伝え、現在の我われがそれを楽しんでいるということに、改めてこれら蒐集家の想いを感じ、後世の我われは彼らに感謝すべきだろうと思う。
 掲載されている15の邸宅美術館の内、私が訪れたのはたった1ヶ所、ニューヨークにあるフリック・コレクションだけである。
  40 年ほど前、米国企業買収案件交渉中の日曜日を利用して一人で訪れたのが、フリック・コレクションだった。大都会ニューヨークの喧騒とは別世界の大邸宅の空間を楽しんだことと、のんびりと展示絵画を見て交渉の疲れが癒されたことだけを覚えている。そして、それぞれの絵画とそれを見る私との距離が非常に近かったことも。
 ここはフェルメールを3点保有しているが、当時はまだフェルメールに関心を抱いていなかったのでそれらを見たというはっきりとした記憶はない。ただ、この本に掲載されていた如何にも由緒ありそうな椅子の後ろの壁に掛かっているフェルメールの「兵士と笑う女」の写真を見て、少し記憶が蘇った。その時「椅子の後ろに絵画が掛けられているのは、絵画とそれを見る人の距離を、ロープではなく椅子により自然に取るためだろう」と考えたことも思い出した。
 日本にも個人の邸宅を美術館とした例はある。東京都港区白金台にある東京都庭園美術館がそれで、ここは旧朝香宮邸である。東京単身赴任中に何度か訪れ、建物と同時にそこで開催されている美術展を楽しんだ。また、阪急電鉄の創業者小林一三の邸宅(雅俗山荘)は小林の没後、小林が蒐集した美術品を展示する逸翁美術館として開館した。美術館は現在では別の場所に移転し、雅俗山荘は小林一三記念館となっている。

老人は纏めたがる
啓(2024年3月13日)
 どの本だったか、誰のエッセイだったかを覚えていないのが残念だが「老人は纏めたがる」ということについていろんな例を挙げて、一見論理的に見えるような形で検証されている楽しい文章を記憶している。そのときには自らを省みて「全くそのとおり」「よく観察されているなあ」と思った。その後、お酒の席や雑談・閑談・歓談の折にこの意見を紹介したが、その場の多くの賛同を得た。
 私もその「纏めたがる」例に洩れず、過去の仕事に関連して得た知見・知識・知恵・心得を取り纏めたものを作ってみたり、友人と京の古道を歩いた記録を纏めたり、妻との海外旅行についての旅行記を書いたり、現役の頃に社外に発表した論文等を整理したり、といろいろ“纏め”た。
 先日、かつて仕事上で関係のあった他社の先輩から「ある法務マンの会社自分史」という502頁の堂々たる書物を頂戴した。送り状には「謹呈 会社生活の記憶を纏めてみました。思いがけず大部になったので戸惑っております。一部でもお読みいただければ幸いです。ご批判、ご感想などいただければ幸栄です」とあった。私と同じ企業法務の世界におられた人物だけに私にとっても興味深い諸々が書かれていた。
 また、何年か前にはある会社の元社長・会長から「川の流れに身をまかせ」とのタイトルのもと書かれた上・中・下3冊本の合計1,000頁を超える会社生活、会社経営についての書物も頂戴した。
 私の元の勤務先の先輩からは自らが読んだ書物の批評や感想を纏めた書物、1年後輩からは海外出張や海外勤務についての経験談を書いた書物も貰った。
 これら書物は全て自費出版されたものである。
 自費出版と言えば、最近の新聞には自分史を纏めたり、自らの詩、短歌、俳句その他の作品を集めて自費出版をすることを勧めたりすることと、これら自費出版についての情報を提供する広告をよく見かける。これも「老人は纏めたがる」ということを示す好例か。
 などと「老人は纏めたがる」の例を思い出したが、最初に戻って、あのエッセイには他にも“纏める”対象について触れていたようにも覚えている。そこに何が書いてあったかは全く思い出せない。
 一体全体どのようなことが書いてあったのだろう。老人は何を“纏め”ていたのだろう。

「紫苑物語」
啓(2024年3月6日)
  10 月中旬の爽やかな午前、我が家の庭の片隅に紫苑が咲いているのに気が付いた。六十年もの昔と同じ位置に咲いている。妻は「私がお嫁に来たときからここに咲いている」という。
 薄紫のこの花を見ると高校生の頃に石川淳の「紫苑物語」を「名作だ。読む価値がある」と教えてくれた中・高・大学を通じての友人だった今は亡き友を思い出す。いつもは欧米の名作推理小説を教えてくれていたのにどうしてこの本に言及したのか、その時にどのような話をしたのかは全く覚えていない。ただその時に彼が発したこの言葉だけを覚えている。
 彼の意見に従って直ぐに書店で文庫本を購入し読んだ記憶があるが、現在では「短編小説であっという間に読み終えたこと、友人の言は正しかったと思ったこと」を除き「紫苑物語」がどのような小説だったかは全く記憶していない。
 紫苑の花を眺めながら、久し振りに読んでみようと思い、図書館から石川淳全集第五巻を借り出した。
 流麗な文体と言うのか、言葉がリズムを刻み、独特の語り口の文章がそのまま心の中に入ってくるような気持ちでアッという間に読み終えた。久し振りに読書らしい読書をした気分になった。
 歌の家に生まれた「いずれ勅撰の集の選者ともなるべきもの」としての才能を捨て、弓の道に入り、その力は「知の矢」から「殺の矢」「魔の矢」へと上昇し、乗り越えるべき自己として現れた人物と対決し、彼を射ることにより自らも死ぬ。 最後の一節は
 月のあきらかな夜、空には光がみち、谷は闇にとざされるころ、その境の崖のはなに、聲がきこえた。……とどろく音は紫苑の一むらのほとりにもおよんだ。岩山に月あきらかな夜には、ここは風雨であった。風に猛り、雨にしめり、音はおそろしくまたかなしく、緩急のしらべおのずからととのって、そこに歌を發した。なにをうたふとも知れず、余韻は夜もすがらひとのこころを打った。ひとは鬼の歌がきこえるといった。
である。
 この物語中では、紫苑については
「この血がながれたあとに、紫苑を植ゑさせておけ」「紫苑はものをおぼえさせる草、いつまでもわすれさせぬ草じゃ」「紫苑の茂みに誓かたきおん振舞のかずかずをおしるしなされてか。草は秋ごとに花をつけて、ひとの目にあたらしく、いつの世にもわすられず、これを文に書きのこすよりも、たしかなるしるしでございませう」「夜があけると、晴れた空の下に館の跡はいちめんの灰にうづもれ……その中に、ただ一ところ、……風になびいてゐるのが見えた。紫苑の茂みであった」「ここから遠く望めば、あたかも紫苑の一むらの背景をなすために、岩山がそこにそびえて……」
とある。
 近時では紫苑の花言葉は「追憶」「君を忘れない」「遠方にある人を思う」とされているようだ。

隅田川に消えた版画家・藤牧義夫
啓(2024年2月28日)
 私には幾つかの贔屓の YouTube 番組がある。そのうちの一つはウィキペディアでは評論家・編集者・タレント・コラムニストと紹介されている山田五郎氏が泰西の絵画について幅広く自らの考え方を基にわかりやすく解説する約 30 分の「山田五郎オトナの教養講座」である。先日のこの番組では泰西名画ではなく「隅田川に消えた版画家・藤牧義夫」が取り上げられた。私はその時点までこの夭折の版画家については全く知らなかった。
 この2回に分割された合計約1時間の番組では藤牧義夫の生涯と彼の作品に纏わる様々な疑問が取り上げられ、山田五郎氏が興味深くいろいろと解説してくれた。
 この番組を視て、ちょっと藤牧義夫について勉強しようと番組で触れられていた「相生橋煙雨」(文藝春秋、野口冨士男)と「君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実」(講談社、駒村吉重)を図書館で借り出した。
 前者は昭和 57 年、後者は平成 23 年発行である。
 藤牧義夫は総延長 60 メートルにも及ぶ桁外れの大作「隅田川両岸絵巻」と光の表現に優れた「赤陽」等の版画を始め数多くの創作版画で知られる人物で「手元にある自作を(関係のあった)小野忠重に託し、極貧のうちに昭和 10 年に 24 歳で豪雨のなか隅田川で行方不明になった」とされている。
 野口氏の著書では「隅田川両岸絵巻」に描かれた場所を実際に歩き、詳細に現地と絵巻に描かれた風景とを比較したり、視点の移動について考察したりしているところを興味深く読んだ。藤牧義夫自身やその失踪に関しても述べられているが、これらは約 30 年後に発行された駒村氏の著述が詳しい。
 駒村氏の書物では、巷間言われている彼の一生やその作品群についてのいろんな疑問を、丹念に渉猟した多くの資料や生前に少しでも関係のあった人のヒアリングをもとに考察して、それぞれについて結論を出している。私にとってはあまりにも詳細な記述であり、読むのにはいささか難渋した。が、幾つかの疑問について駒村氏の出した結論は私には納得できるように思われる。
 例えば、駒村氏は藤牧義夫の行方不明になった少し前の写真や残された資料から「(藤牧義夫研究の第一人者であり木版画界の重鎮でもあった小野忠重により)今まで語られてきた藤牧の伝記は事実ではない」「行方不明の直前の藤牧はいろんな書物に書かれているような極貧の生活をしていたのではない。藤牧の人生は順調だったといっていい」「小野忠重が藤牧についていろんなところに書いている内容の間にはかなりの矛盾が見られたり、新たなエピソードが付け加えられたりしている」と書いている。
 さらに「行方不明から 20 日後や1ヶ月後に開催された展覧会には藤牧作品が展示されていた」「藤牧が消息不明になってから半年後に初めて消息不明が報じられた」等の事実も調査し、「暫くの間、行方不明が報じられず、その間に行方不明者の作品がこれらの展覧会に出ているのはいかにも不自然だ」とも書き、そこからある推理をする。
 また、「小野忠重が存命中に彼が全集などに掲載、あるいは展覧会に出品した藤牧作品(失踪直前に藤牧から託されたとされる作品だろう)の総数は八十五点となる。そのうち五十四点は、別人による後刷りか、構図の改竄がなされているか、原作にないはずの色がくわえられているか、あるいはまったくの他人作か、いずれにせよまがう方なき捏造作品だったのだ」という衝撃的な事実も述べる。
最後に著者の駒村吉重はエピローグで
 それでは、だ。
 貧困がきわまった藤牧が、精神をかきみだし隅田川に飛びこんだと暗示させるあの結末はまったくの小野の創作だったのだろうか。
 残念ながら、謎の核心部にあるそれについても、こたえをもっていない。
 だが、小野忠重はなにかを知っていたのではないかとまでは、想像することが許されまいか。
 なにかとは、昭和 10 年9月2日の雨の晩、藤牧の身に、なにごとか不測の事態がふりかかった、ということである。
 ひっかかる、小野の言葉があった。
 それは、昭和 31 年刊行の『現代版画の技法』初版のなかに、なんの脈絡もなくぱっとあらわれる。
「私は彼が死んだと信じている。けれども死んだ証拠はないのだ」
 こんな不可解なひとり語りを、この時期に彼が書けたわけが、わたしにはどうしても見つからないのである。
と書いている。この含意を私はなんとなくだが、分かったような気がしている。
 最後の3行は
 大谷(芳久)もわたしも、そして先に逝った洲之内徹(注:いずれも藤牧作品やその失踪について詳しく調査した人物である)も、藤牧がみずから命をたったというできあいの悲劇を、これっぽちも信じていない。
 おーい、藤牧義夫よ、きみはどこへ行ったんだい。
である。
 深読みかも知れないが、これらから駒村氏はそれとなくある結論を暗示しているのではないかと思った。私も彼の思っている結論は正しいものだと思いながら巻を措いた。

旅行と本
啓(2024年2月21日)
  2023 年8月 13 日付読売新聞朝刊には特集記事として2頁に亘る「旅行中に読みたい非日常を味わう本」の欄があった。
 この特集記事は「新型コロナウイルスの感染症法上の分類が『5類』に引き下げられて初の夏休み。海へ、山へ、ふるさとへ足を運ぶ人も、昨年などに比べると、増えるかも知れません。そんな時、旅行かばんに入れ、旅の『お供』にしたくなる一冊を挙げていただきました」との紹介の下、いろんな分野の学者、作家、編集委員など 21 人が18行の文章で、それぞれの一冊を選び、紹介していた。
 この記事を眺めた私の最初の反応は「書を捨てて旅に出よう」という言葉だった。どこで知ったのかは覚えていない。寺山修司は「書を捨てよ町に出よう」と言ったと言うがこれを間違って覚えたのかも知れない。「旅行で列車やバスに乗ったら窓外の風景を楽しみ、そこでの生活の諸々を感じるのが旅の醍醐味ではないか」「それぞれの土地の生活を心と体の全体で受け止めるのが旅ではないか」「ビールを飲みながら車窓の風景を眺め、いろいろと思いを巡らすのが楽しいのに」だった。
 私の場合は車中での読書は通勤時の電車の中、年に何回も往復した新幹線車中に限られていた。旅の車中での読書など考えられない。また旅行先で今まで知らなかった新しい書物を読む気にはならない。
 百歩譲って旅行中や旅先での読書を考えるなら、今まで何度も読み内容をよく知っている本について今までとは異なった非日常の生活の中でその内容を改めて考える、考え直すということはあるだろう。このような読書の意味は考え得るが、今まで知らなかった書物と対峙するのは旅先である必要はあるまい、というより刺激の多い旅先では無理である。
 このような悪口を思いながら紹介された 21 冊の紹介文を眺めた。小川 哲氏は「旅の醍醐味の一つは非日常を味わえることで、移動中や空いた時間に読む本が日常を感じさせてしまうと、せっかくの体験が台無しになってしまうかもしれない」、池澤春菜氏は「旅の間の読書というものは普段と時間の使い方が少し違う。……隙間や合間でも楽しめるように、短編集はどうだろう」、金子 拓氏は「非日常という外部空間にて読む本は、逆に自分自身の心の深いところに沈み込んでゆく内省を誘うような、外の世界から隔絶された孤独を感じるためのものがいいのかもしれない」、堀川惠子氏は「旅先には少し重い内容だが、旅先でこそ発想を変えて読んでみたい良書」との文言を付してそれぞれの一冊を紹介してくれる。
「鄙びた温泉宿に長期間逗留し、読書三昧と温泉を楽しむ」などと何かの小説の主人公のような旅ならば、自らの人生と持参した本にじっくり向かい合ったり、新しい考えに思いを巡らし思索に耽ったりすることはいいかもしれないが、時間を遣り繰りし、何日間かの非日常の時間を作り出す多くの現代人にあってはこういった旅や読書は夢物語である。
 番外編として掲載されていたよみうり堂店主の「目的地に着くまで本の世界にどっぷり浸りたい人もいるだろうが、せっかくの旅なら私は本だけでなく、車窓からの風景や駅弁も楽しみたいタイプ。本→風景→本→駅弁→ビール→本。そんな読み方だから(以下省略)」という文章が私には一番ぴったりする。
 もし私が旅に持って行くとしたら、「旅行鞄にもするりと入る小ぶりの造り」の今まで楽しんだ良質のエッセイ集、好きな詩人のお気に入りの詩集だろう。と書きつつ現実の旅行鞄の中には(私にとってはあまり役に立たない、お洒落な)旅行案内書だけが入っている。

「54字の物語X」
啓(2024年2月14日)
 図書館の新着本コーナーに発行直後のこの「54字の物語X」が置かれていた。副題には「意味がわかるとゾクゾクする超短編小説」とある。発行所はPHP研究所、著者は氏田雄介氏。
 大きな活字で書かれた6行×9字= 54 字に収められた 90 の物語と200字前後の文章による解説文から構成されており、物語が書かれた頁の裏に当たる頁にそれぞれの解説が置かれている。
 読者は短い物語を読んで、自分の頭でその意味を考える。次に作者による解説を読んで、もう一度物語に含まれる意味を考えて欲しい、ということか。
 この本を手に取った最初の感想は「へえー、こんな本があるんだ」「これも SNS に代表される最近の短い文章による情報提供の申し子か」というものだったが、結構面白い。しかし軽い内容の文章が多い。
「アンドロイド殺し」という物語がある。54文字で書かれたその内容は「アンドロイドに感情なんてない。だから殺したって問題ない。ただ機械を壊しただけ。罪悪感を抱くヒツヨウナドナイ」である。そしてその解説文は「アンドロイドを殺しても問題ない、と言っているこの人物は何者でしょうか。いくらアンドロイドといえども、壊す時に罪悪感がない、ということはこの人物自身も感情を持たないアンドロイドなのかもしれません。それとも、自身の感情を押し殺し続けた結果、アンドロイドのようになってしまった人間なのでしょうか……?」
 確かに技術の進歩により感情を持たない「人造人間(アンドロイド)」のような人間が生まれてくる可能性もありそうだ。
ABC 殺人事件」では「相田、遠藤、そのあと江藤が殺された。五十音順に狙われているようだ。私は『深田』だからまだ……誰か来たようだ」とあり、実は五十音順ではなくアルファベット順だった、と謎を解く。
 私たちは何かの法則を考えるときアルファベット順を横に置き、無意識に五十音順やいろは順を考える。
 たまたま目に留まったこの二つから私は、なんとなく作者はアガサ・クリスティーのファンであり「アクロイド殺し」や「ABC殺人事件」が念頭にあったと推測しているのだが。深読みかも知れない。
 その他「定着」では「キャッシュレスも当時は抵抗があったけど、今は当たり前のことでしょ?肉体を持たない生活だって慣れれば便利だよ」と書き「……未来の世界では、さらに肉体を捨ててバーチャルな空間で暮らす世界に。肉体を捨てるなんて、今は考えられませんが、キャッシュレス生活と同じように、いずれは慣れてしまうのかも……?」との恐ろしい予言も。
 相対的幸福では「幸福度が数値化されるようになって早一年。俺の幸福度はたったの3%。だが問題ない。他の人はマイナス値ばかりだ」と書きつつ「いっそ数値化をやめれば、みんな少しずつ幸せになっていくかも知れませんね」となんでも数値化をすることに対する問題点に触れる。
「AI政治家が登場し、意思決定がスピーディになった。ときどき国会中にスリープモードになってしまうのが難点だが」には笑った。
 裏表紙には「シリーズ 10 巻目となるこの本のテーマはSF(すこし不穏)。世界の終わり、変な動物、未来のテクノロジーなどダークで非日常的な話が盛りだくさん。……」とあったが、確かに著者の言うとおりの書物だった。なお、お粗末なことだがタイトルのXが 10 を意味することはこの裏表紙で気が付いた。

本で紹介された本
啓(2024年2月7日)
 本を読んでいるとそこに著者がいろんな意味を込めて薦めていたり、言及したりしている著者以外の人物による本についての記述を見掛けることがある。激賞と言う表現が相応しい言葉が並んでいることもある。そしてそこから新しい著者や今まで知らなかった書物との付き合いが始まる。このようにして知った書物が何冊か書棚に並んでいる。
 借りていた本の返却で立ち寄った図書館で、中国文学者、エッセイストの高島俊男氏の「お言葉ですが…」シリーズの「司馬さんの見た中国」(お言葉ですが…別巻E)(連合出版)を借出した。
 その中に「型を持った文化の、型を持った表現を学ぶ」というタイトルの5頁のエッセイがあった。そこで高島氏は相原茂著の「午後の中国語 ことばのエッセイ」(同学社)を紹介し、著者について「相原茂氏は、そうした黄金の四十代研究者のなかのピカ一――と言ってはほかの人にわるいから、ピカ一の一人である。……」と紹介していた。
 そこでピカ一の学者による、中国語についてのエッセイを読んでみようと、図書館の蔵書を検索し、高島氏お薦めの本を借出した。あとがきには
 ……それまで書き散らしていた雑文、駄文のたぐいを何ということなしにひとまとめにし、いつものように、風呂敷で包んでおいた。……(その後それを読んだ編集者の)「面白いですよ。あれ、出しましょう」(という経緯を経て出版された)……どうか、生気溌剌とした午前中や、静思に向く夜ではなく、誰にでもある、ものうい午後に、紅茶かコーヒーでも飲みながらパラパラ拾い読みをしていただければ幸いである。
と書かれていた。
 著者のご要望どおり「小雨降るものうい午後に、紅茶を飲みながらパラパラ拾い読み」をした。初出一覧を見ると1978年から1990年となっており、現在の中国の状況とは異なることが多いだろうとは思いながらも楽しく読んだ。
 その中に「礼ハ往来ヲ尚ブ」というのがあり、「おごる」「招く」「タバコ」「あげる」等についてのエッセイの後に「名前」についての2頁の短文があった。
 そこでは、
 日本人は初対面の人と会った場合、まず自ら「私は〇〇という者ですが」と名乗るが、中国人は相手の姓名を先にたずねる。自分の姓名は普通たずねられなければ言わない。これは一つには「自分は名乗るほどのものではありません」という謙遜の気持が働いている。……電話をかける方も受ける方も先方が誰かを必ず先に問う。
と書いている。
 そして名前を書くことについて、日本では小学校入学以来、持ち物に名前を書くことを例に挙げ、「中国人は日本人のこういうあけっぴろげな点に驚く。何もそこまでプライバシーを公開することもあるまいにと思うのである」とし、「中国で中国人から手紙をもらう。差出人の名前もなければ住所もなくて気味が悪かったことを覚えている。住所を書いてくる人はいるが、名前が書いてなかったり、あっても姓しか記していないというのが普通のようだ。……これすべて、個人的情報をむやみに他人に知られたくないためである」とする。
 さらに
 当然、人目にさらされるハガキで用件を述べる、などということは彼らには想像もできない。年賀状でも彼らは封書で出す。……専門雑誌に論文がのる。もちろん記名だが、所属する研究機関名が書いてない。本にも著者名があるが、どこのどういう人かは分からない。日本でよく見かけるような「著者略歴」など、もっての外という感覚である。
と書いている。
 この状況が現在の中国に当てはまるか否かについては知らない。
 その他、中国語の勉強方法について極めて具体的な提言も書かれており、現在の私には関係がないと思いつつも「なるほど、なるほど」と読み進めた。
 たしかにピカ一の学者の書いた文章だった。

「させていだだく」
啓(2024年1月31日)
 この「させていただく」については、 2020年11月11 付のこの欄で、私は「私の大嫌いな語法」と書き、丸谷才一氏が「桜もさよならも日本語」の中で「現代日本人はあの慇懃無礼に恩を買ふ……欺瞞的低姿勢の語法をもう少し慎むほうがいいと思ふ」としていることを紹介した。
  2023年4月16 日付の読売新聞朝刊の「広角多角」欄で編集委員の森川暁子氏が「『させていただく』 使いどころは?」とのタイトルで紙面の三分の一を使って文章を書いているが、正直に言って何を言いたいのか、がはっきりしない内容となっている。私もこの問題は論点が多くとても難しい問題で簡単に短く纏めることはできないとは思っているのだが。
「個人的には連発をやめようと思っている」ことと「正解はマニュアルでなく、相手と自分の間にある。そこが難しく、面白い」が森川氏の結論なのだろうか。
 森川氏の論稿のなかで紹介されていた法政大学文学部教授の椎名美智氏の「『させていただく』の語用論――人はなぜ使いたくなるのか――」(ひつじ書房)と「『させていただく』の使い方 日本語と敬語の行方」(角川新書)の2冊を図書館から借り出した。
 前者は著者の博士論文をもとに加筆修正された専門書であり、とても私の手に負えるものではなかった。関心のある部分だけを誤解をしないよう注意しつつ、つまみ食いならぬつまみ読みをしただけである。後者は前者にもとづいて書かれた一般書であり読み易い文章で書かれているが、テーマがテーマだけに慎重に読む必要があった。これらで述べられている数多くの調査方法や調査結果そしてその分析を完全に理解できたとは思っていない。
 後者に現れる種々の場面における「させていただく」の実態調査、意識調査を読んで、これほど多くの場面で使われているのか、と呆れると同時に、それぞれの場面におけるニュアンスの違いにも少なからず驚いた。例えば SMAP 解散時の「解散させていただくことになりました」とX6解散時の「僕たちX6は……解散します」にも解散に際してのニュアンスの差異があるという。
 また
「させていただく」は謙譲語がなかったり、「お……する」を使ってへりくだった表現が作れない言葉(例えば、帰る・使う・参加する・変更する、など)では、「させていただく」を付けると「帰らせていただく」「参加させていただく」というようにへりくだる言葉が作れる。
との国語辞典編纂者の飯間浩明氏の指摘(著者の文中に引用されていた)は目を開かせてくれた。私は今までこのようなことを考えたことは無かった。単に敬語の知識が乏しく、何でもかでも「させていただく」を使っているのだと思っていた。
 おわりにの項で著者は「言葉は時代と共に、そして私たちの言語意識に合わせて変化していきます。……そもそも『させていただく』が使われるようになったのも、他の敬語が使えなくなったからにほかなりません」と書いている。私も適切な敬語を使えなくなった結果汎用的な「させていただく」のオンパレードになったのはその通りだろうと、著者の指摘に同意しながらも、それなら適切な敬語を使えるように勉強するのが第一だろうと考えている。

モロッコ椅子
啓(2024年1月24日)
 私たち夫婦は月曜日の夜に BS 日テレで放映されている「 BS 日本・こころの歌」のファンである。コーラスグループ・フォレスタが、童謡・唱歌や明治から昭和期までの「想い出の流行歌」を歌う番組である。余計なナレーションや演出は一切ない。
 あるとき、この番組で鶴田浩二の「赤と黒のブルース」(作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正)が歌われた。 1995 年のこの歌は二人とも知っていた。コーラスを聞きながら妻が「モロッコ椅子ってどんな椅子?」と聞いた。
 歌詞の3番には「月も疲れた 小窓の空に 見るは涯ない 闇ばかり 倒れて眠る モロッコ椅子に 落ちた涙を 落ちた涙を ああ 誰が知ろ」とある。
 聞かれて初めて「モロッコ椅子」について何も知らないのに気が付いた。今まで見た映画から漠然と「肘の付いた、背もたれの高い、ゆったりとした椅子」だとイメージしていたが、正確なことは何も知らなかった。
 いい機会だからちょっと調べてみようと思い、インターネットで「モロッコ椅子」を検索した。画面にはいろんな形の椅子が現れたが、どうも変である。
 そこで試しに国立国会図書館のレファレンス協同データサービスに「モロッコ椅子」と打ち込んだ。
 そこには「鶴田浩二の『赤と黒のブルース』という曲の3番に出てくる『モロッコ椅子』がどのような椅子か見たい」との質問に対しての 2020 年3月の神戸市立中央図書館の次のような回答プロセスと回答内容が掲載されていた。
回答プロセス
 当初の質問が「モロッコ椅子が見たい」とのことだったので、家具に関する事典や図書を確認するもなし。モロッコの文化について書かれた本にもなし。ガイドブックの土産物の雑貨などで載っていないか調べたが出てこず。インターネットにもはっきりとした情報がない。
 改めて利用者にどこで聞いた言葉なのか確認したところ、「鶴田浩二の『赤と黒のブルース』の3番の歌詞に出てくる」とのことだったので、『日本のうた 第3集』で歌詞と作詞家を確認。
 作詞家の宮川哲夫についての図書を検索したところ、『街のサンドイッチマン』があり、目次に「モロッコ椅子」という項目があったので確認した。
回答内容
(モロッコ椅子は)「赤と黒のブルース」の作詞をした宮川哲夫の造語である。『街のサンドイッチマン:作詞家宮川哲夫の夢』第三章 影法師の95頁(にある)「モロッコ椅子」(という項の)97頁(以下に)インテリアデザインを職業とする人から、モロッコ椅子というのはどんなデザインの椅子なのかという質問状がきた話があり、その礼状について以下のような記述がある。
「…略… 先生のおっしゃるコーチ風<寝イス状> やハイバック<背もたれの高い> のラタンチェア<籘イス> が小道具としてあらわれ、炎暑のけだるい画面を効果的に表現しておりました。詩人の目が、それを<モロッコイス> と見事に表現されたことを知り、先生のポエジイに敬意を表した次第です」。モロッコ椅子は、宮川哲夫の造語だったのだ。
 これだけの文章では意味がはっきりしないところがあるが、宮川と質問者の間には何か前提となる画面があったのだろうと思われる。なお()内は私が補足したものである。
 結論は簡単だが、そこに至る神戸市立中央図書館の調査の過程を興味深く読んだ。私は、作詞者である宮川哲夫の著作を調査することまでは思いつかなかった。
 なお、参考資料として「日本のうた 第3集」(野ばら社編集部編、野ばら社)、「街のサンドイッチマン:作詞家宮川哲夫の夢」(辻由美、筑摩書房)が掲載されていた。いつもの癖で原典にあたろうと後者について我が市の図書館の在庫状況を検索したが保有していなかった。

解釈は難しい
啓(2024年1月17日)
 2年前に携帯電話をスマートフォンに代えたとき、それを知った大学写真部 OB 会の後輩の一人が彼と同時期に部活動をしていた7〜8人と作っているラインのグループに参加するよう勧めてくれた。
 新しいおもちゃ(?)の操作になれるのにも役に立つだろうと思い、喜んで参加した。日常生活の諸々やゴルフの成績の報告があったり、最近作った料理の写真や庭の花の写真が掲載されたりと、結構面白い。
 昨年末だったか、大雪が降った時に埼玉県の郡部に住んでいる仲間から「昼の雪凍て柿つつく四十雀」と言う投稿が雪中の柿の樹の写真と共になされた。短歌や俳句の素養のない私は「なるほど」と思ったが、しばらくして日経歌壇に何度もその短歌が掲載されている仲間から「雪は冬、柿は秋、シジュウカラは夏の季語で季重なりでございます。云々」というメールが入った。これに対して作者は「三季重ね草間弥生ですねえ」と返した。(この返答の含意は私には不明である)
 今、私は「俳句の世界――発生から現代まで――」(小西甚一、講談社学術文庫)を私の知っている俳句を中心にその解釈やその「歴史的な流れの中での位置づけ」を眺めている。
 そこには「句の解釈は作者の解釈が必ずしも正しいとは限らない」ということに関して面白い話が書かれていた。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は中村草田男の代表句の一つであり、私の好きな句でもある。この句に関して草田男は自身の説明として、次のように書いている、という。
 歳末のある日、赤坂あたりのかれの母校―小学校―を二十年ぶりに訪れたときの句である。突然、金ボタンの黒外套を着た子どもが数人、校庭に走り出た。草田男は、二十年の歳月を,ふいに意識させられた。かれの念頭には、黒絣の着物に高下駄、黄色い草履袋をさげた小学生の姿だけが在ったからである。そのとき降りだした雪にかれは、遠い回想の情を大きく動かされた。「降る雪や」に、その詠歎の深さがこもる――。
しかし、小西氏は
 以上は、作者の自解による説明だから、これほど確かなものはないとも見られよう。しかし、わたくしは、この解釈を支持しない。わたくしは、むしろ、墨田川の水がまだきれいだった頃の濱町あたり、初代市川左團次や花井お梅(注:幕末から大正時代にかけての芸妓。犯した殺人事件が、種々の演芸に脚色され、演じられた)なんかの昔をしのばせる下町情緒に解したいのである。同じ雪でも、池袋や澁谷に降るのは、日本橋や深川に降るのと、まるきり肌が別物ですよ。「明治は遠くなりにけり」の詠歎に対して降る雪は、どうしても下町でないといけません。
と主張する。さらには「草田男がどうしてもかれの解釈を譲らないならば、わたくしは、この句を、失敗作なりと断定するよりほかない」とまで書いている。
 そして「作者自身の解釈と違ったって、たいして心配するにはおよびますまい」として芭蕉が去来の「岩端やここにもひとり月の客」について述べた次のような意見を紹介している。
 芭蕉「……しかし、いったいどんなつもりで詠んだのかね」。去来「月がきれいなものですから、野山をぶらついていますと、岩の出っぱった所に月見の先客をひとり発見した――といった句のつもりでございます」。芭蕉「そりゃ拙いよ。これはね、先着の人から、月見なかまがもうひとりございますよ――とよびかけた句に解釈しなさい。それなら、りっぱな句だ」。あとで去来は「やはり先生はたいしたものだ」と感服した。
 確かに、草田男よりも小西甚一、去来よりも芭蕉の解釈の方が句の深みがあるように感じられる。
 が、作者自身の解釈を横に置き独自の解釈を主張することはそれなりの理由、裏付けがあるときに限られよう。少なくとも私のような人間は作者自身の解釈に従う方が無難だろう、と思いつつも「一旦発表されてしまえば、その解釈は自由であってしかるべきだ」とも思う。
 そして私は、草田男の句からは小学校の校庭よりも川瀬巴水の版画、例えば「芝 増上寺」、に描かれた雪の風景を想起する。これはたぶん小西甚一の解釈に近いのだろう。

もうすぐたべられるぼく
乾京子(2024年1月14日)
 去年の3月のある日。東京在住の友人が「本屋絵本賞をとった本なんだけど、文庫にどうかしら?」と絵本を贈ってくださった。パステルカラーのかわいい絵本。「ワーッ、ありがとう!!」
読んでいるうちに、気持ちがざわざわしてきて、(う〜ん、なんだかストンとこないなぁ。なんかなぁ?)と、引っかかってしまう。
『もうすぐたべられるぼく』 はせがわゆうじ作 中央公論新社
 帯には、「TikTokで300万回再生された泣ける話」「この絵本に出逢った時の感動を今でも覚えています!!」「自分の一番大切な人に読んでもらいたくなる一冊です。」山口もえさん推薦!「たくさんの命をもらっている以上、大事に生きなきゃ」「感謝は、一番大切だとおもった」「まじでいい話すぎる」・・・・・・など反響続々。
 次の日、ちょうど毎月集まっている読書会があったので読んでみた。
「どう思う?」
「う〜ん、なんか気持ちを強制されているような気がする」
「なんかなぁ、言わずもがなってことを安易な言葉で流している」
「絵がかわいいだけに、ちいさな子が手に取りやすいことも問題かなぁ」
「TikTokで300万回再生されて、それでそのまま本になるというのもなぁ?」
 集まったメンバーは、毎月児童書を読んで、いろいろ話し合っている仲間。結構手厳しい感想が次々述べられる。う〜ん、実はなんか引っかかるのだけれど、うまくことばにならなかった。そうだよね。私の引っかかったのは、「気持ちを強制される」「どうだ!お前たちもこの命をもらってるんだぞ、大事にしろよ!」という“上から目線”
 また、文庫のOGがやってきた時(50代の母親)「わ〜たまらん。あかんわぁ、もう、涙出てきたぁ!!」
 その娘(20代前半)
「おかあさんは、すぐ同調するからなぁ。もう、この子のお母さんの気持ちになってるやろ。」
「でも、これって絵本やろ。子どもに渡す本ちゃうん?私が小さい子どもやったら、もう、お肉食べられへんわ」
 その後、また毎月集まる文庫の仲間にも読んでみた。
 ほぼ、読書会の仲間の感想と一緒で、その日、ちょっと若いメンバーも参加していて、彼女は、「そもそも、これ乳牛、ホルスタイン違うの?乳牛はミルクをとる牛やし、肉牛とは違うから、オスが生まれた瞬間に処分されちゃうんじゃない?お肉として出回るかなぁ?」
その後、本の話から、流通の話に発展し、経済と子ども、どんどん話題は広がっていった。
 さてその後、迷ったけれど、本を贈ってくれた友人に正直に文庫おばさんたちの感想を届けた。
 その返事。「すごく参考になった。みなさん賛否両論、正直に話し合える場所があっていいですね。でも、私もネットで調べてみたんだけど、乳牛も国産牛として出ているみたいよ。調べてみて!」というわけで、県立図書館に行ってきた。
「乳牛に関する資料を見せていただけますか?」
「乳牛のどういう資料をお探しですか?」
「じつは、この絵本が元なのですが、読書会で話すうちにいろんな疑問が出てきて・・・・」
「分かりました。探してみますね」
 持ってきてくださった資料には、しおりが挟まれ、机の上に山になっていく。『ウシの科学』広岡博之 朝倉書店、『日本の肉用牛繁殖経営』−国土周辺部における成長メカニズムー大呂興平、『乳牛飼養と生乳生産』 小林茂樹、『肉用牛の科学』肉用牛研究会、『日本食品用準成分表』、『アニマルウェルフェアとは何か』―倫理的消費と食の安全―枝廣淳子、などなど。
≪わかったこと≫

乳牛も生まれた子牛が雄の場合、去勢をした上で半年ほど飼育の後、国産牛として市場にだされる。またミルクの出が悪くなった乳牛も肉牛として扱われるそうです。

もともと日本では肉食の風習がなかった。牛は主に使役牛として飼育されていたのだが、農業の機械化・食生活の欧米化が進むにしたがって、使役牛が肉牛として生産されるようになる。

畜産物の自由化により、安い輸入肉が入るようになり、日本の肉牛はブランド化、高級肉牛化の方向に。

日本の畜産農家に厳しい現状。劣悪な環境での飼育で家畜にストレスのための病気もある。そのため、抗生物質が多量に投与されたり、死亡することもある。

家畜の飼育環境、衛生環境なども考慮し、消費者も経済だけでなく、食の安全、家畜の安全にも考慮すべきであるというようなアニマルウェルフェアという考え方もある。
 などなど、一冊の絵本からずいぶんたくさんのことを学ばせていただいた。

香薬師
啓(2024年1月10日)
 ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
 処分対象とした何冊かの古い文庫本の中から現れた「自註鹿鳴集」(会津八一、新潮文庫)にはこの歌が掲載された頁にだけ付箋が貼られていた。いつ貼ったか、どのような理由で貼ったか、は全く覚えていない。
 ただ会津八一のこの本は 20 代前半に買ったことと、何か淋しくなったとき気持ちが衰えたと感じたときに手に取り、適当なところから適当に読み始めたことだけは漠然と記憶している。こころが高揚している時に手に取った記憶はないが、ひょっとしたら奈良の社寺を訪れるときに車中での無聊を慰めるために持って行ったこともあるかも知れない。
 この本には昭和二十八年に会津八一自身の手によりなされた注釈が一首ごとに記載されている。前掲の歌には「あふぎみれども・高さ二尺四寸の立像にして、決して高しとはいふべからざるも、薬師堂の正面の壇上に、やや高く台座を据ゑたれば、『仰ぎ見る』とは詠めるなり。……」との自註がある。
 この歌の直前に置かれているのは「香薬師を拝して」と題された「みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし」であり、その自註は「香薬師・奈良時代前期と思しき形式を、その製作の細部に有する小像にて、傑作の名高かりしを、昭和十八年(1943)第三回目の盗難に罹りたるままにて、遂に再び世に出で来たらず。惜みても余りあり……うつらまなこ・何所を見るともなく、何を思ふともなく、うつら、うつらとしたる目つき、これこの像の最も著しき特色なり。……」である。
 これらの歌が納められた「南京新唱」には「明治四十一年八月より大正十三年に至る」とあることから会津八一がこれらの歌を詠んだ頃は香薬師は本堂におわしたことが解る。その後自註が書かれた時点までの間に盗難にあった。
 私は平成25年3月に古道歩きの友人たちとこのお寺を訪れ、国宝の薬師如来坐像や十二神将像を拝観しているが、そこには明治23年、明治44年、昭和13年と三度の盗難に遭っている香薬師の姿はなかった。現在では右手だけが戻ってきており、偶に拝観の機会があるそうだ。
 この香薬師像の盗難については「香薬師像の右手〜失われたみほとけの行方〜」(貴田正子、講談社)というノンフィクションがあることまでは調べたが、読む気力が続くかどうか、最近視力が頓に衰えたこともあり態度を決めかねている。「奈良歴史漫歩 117 新薬師寺・香薬師像の三度の盗難と戻ってきた右手」と題するブログで詳述されているこの本の要旨を読んで満足することにしようか。

「刑罰(シーラッハ)」
muca(2024年1月7日)
 この短編集の最初の「参審員」で、ドイツの司法制度というものに抱いた疑念が、残る11編に影を落としてしまいました。
 悲惨な目に遭った証人(原告)の証言を、自分の経験と同じように感じた女性参審員が泣き出したために、弁護人の動議が認められ、刑事訴訟手続きは中止、被告人は釈放となります。
 その参審員(カタリーナ)は始末書を書かされ、4か月後、その証人が被告人に殺害されます。
 カタリーナは裁判所に、自分を参審員名簿から抹消して欲しいという長い嘆願書を書きましたが、裁判所はこれを却下します。
 ドイツの司法制度が今も当時のままかどうかを知らないのですが、参審員としての適格性より義務の公平性に重きを置くような考え方は、検察側と弁護側が最善の努力を尽くして争うべき公正な裁判という面で大いに疑問であると思わせられました。
 短編集の最後は「友人」という題です。弁護士と仲の良かった友人は子どもの頃から多彩な才能がありましたが、悲痛な後悔を抱えることになり、自暴自棄の生活の果てに亡くなります。この1編は次の文章で終わります。
 刑事弁護士になって二十年、段ボール箱がひとつだけ残っている。つまらないものしか入っていない。書き味の悪くなった緑色の万年筆、ある依頼人からもらった煙草入れ、数枚の写真と手紙。新しい人生を歩みだせば楽になれると、私は思っていた。だが楽になど決してなれなかった。結局おなじなのだ。薬剤師であろうと、家具職人であろうと、作家であろうと。それぞれの決まりごとはすこし違うものだが、疎外感は残りつづける。そして孤独感やさまざまな思いも。
 不条理に翻弄された被告それぞれが冒した犯罪。それらの記憶は弁護士をやめた今も居座り続けるという、「あとがき」とも言える著者の述懐に思います。何れも1編ずつ読んでいくのが私には重い短編集でした。登場人物に感情移入するような読み方をしていると非常に疲れるので、書かれていることだけに注意して読むようにしたのです。
 本を読むということは、書かれていることから直接的に知識を得るだけではなく、肯定的であれ批判的であれ、何らかの啓示を見いだすことでもあります。それが読者である私に「自分で考える」ことの大切さを教えてくれるのだと思います。
 読後に、この本の訳者「酒寄進一」の名前で図書館の蔵書を検索してみました。検索のキーワードを訳者の名前にしてみたのは初めてですが、彼の(翻訳対象を選ぶ)眼力を信頼して本を選ぼうとしたわけです。
 ヒットした中から選んだ1冊を図書館に予約したのですが、この選択方法がどう出たかを次の機会に書こうと思います。

イギリス観察辞典
啓(2024年1月3日)
 前回で少し触れた「イギリス観察辞典」(林 望、平凡社)はとても面白い(私の手元にあるのは「大増補新編輯版」である)。
 著者は凡例で「本書は、古今英国の諸事情をあまねく知らんと欲する人の為には、ほとんど何の役にも立たないことを目的として……偏狭なる視点をもって選び出したる八十九項目よりなる辞典である」と本書の内容を説明する。しかしその実態は優れたエッセイ集であり、八十九項目それぞれについて読むに値するイギリスをテーマとした文章が五十音順に(英語の副題を添えて)配列されている。
「図書館」(Library)というタイトルでは
 ケンブリッジ大学図書館に一人の名物男がいた。イギリス人としては随分小柄な三十を過ぎた男で、今時流行おくれな長髪をし、若草色の褪せたようなコーデュロイのジャケットを着、毎朝深刻そうな顔をして、どこからか図書館に通ってくる。そうして、いつも同じ席に坐って、なんだか古ぼけた難しい哲学の本を読んでいる。……ときどき他の人と話していることもあったけれど、ついぞ愉快そうな顔をしていた試しがない。……それから六年ほど経って、私は再び夏のケンブリッジを訪れた。懐かしい図書館に行ってみると、ああ、あの同じ席にやっぱり彼が坐っていて、同じように眉根に皺を寄せて本を読んでいる。……もしかしたらその着ている上着の方が、分厚い書物よりも、その男の『哲学』であるかも知れない。
で終わる2頁の文章が書かれていた。
 英国の「図書館」(Library)について書くのなら、著者はたぶん大英博物館図書館での南方熊楠の全 52 冊の「ロンドン抜書」作成やカール・マルクスの毎日 12 時間に及ぶ読書などのエピソードを書いているのに違いない、と読み始めた私だったがその思いは空を切ったようだ。がよく考えてみると著者のなんということもないこの文章がそれなりにイギリスの図書館についての雰囲気と言うか在り様を教えてくれているような気にもなっている。
「紅茶」(Tea)の項では6頁に亘って「自らが正しいと信じる紅茶の入れ方」を楽しく論じている。
 最初に日本の喫茶店やホテルで出される紅茶について「単純な原理を踏み外しているためおしなべてあのように信じ難くまずい」と書く。
 次にその単純な原理とは「一、たっぷりの煮えくり返った熱湯 二、適切な量の茶葉 三、あつーくした大型のカップ 四、冷たいままの牛乳」であるとし、これらを使った具体的な理想の紅茶の入れ方を説明する。その伝授の仕方は諧謔も交えつつ誤解を生じさせない解り易い文章で書かれている。
 彼我の水道水の差(日本の水は軟水であるのに比してイギリスの(ことにイングランドの)水は極めて石灰分に富む硬水である)に触れて、日本茶は日本の水では美味しくいれられるが、紅茶をいれるときには「出すぎる」と説明する。「出すぎた紅茶は、まず渋い、そして苦い。そこで、この渋みと苦みに覆われてしまって、紅茶本来の色も香りも死んでしまうことになりかねない。それでは、というので、茶の葉を少なくしたり、湯をぬるくしたり、または湯を差してから置く時間を短くすると、こんどはお湯くさくて一向に味が出ない、と言う具合になる」とかつて私が感じていたことを説明してくれる。
 この後に著者が正しいと思う入れ方の指南が具体的に書かれている。
 この項を読みながら、現在ではティーバッグを使って簡単に一日に3〜4杯の紅茶を飲んでいる私であるが、かつては一点を除きこの指南どおりに紅茶を入れていた(この入れ方もある書物に書かれていた方法である)こともあるなあ、若かり頃、イギリス企業との総代理店契約締結交渉で初めてロンドンを訪れたとき交渉の席で、紅茶が出される際に「Black or White?」と聞かれ、一瞬戸惑ったこともあったなあ、と紅茶に纏わる昔話を思い出した。
 巻末の丸谷才一による解説がまた読んで楽しい。本文と同じような形式を踏襲し、しゃれた解説文が書かれている。

イギリス大好き書誌学者が書いた本
啓(2023年12月27日)
 図書館から借り出した「『どこへも行かない』旅」(光文社)の著者である林 望さんは、私にとってはエッセイスト、書誌学者であり、リンボウ先生と言われている人物、同時にイギリスが大好きな人物で「イギリスはおいしい」(平凡社)、「イギリスは愉快だ」(平凡社)「イギリス観察辞典」(平凡社)の著者であること程度の理解だった。イギリス関連のこれら書物は手元にあり折に触れて楽しく読んでいた。
 ところがあるとき著者の別の側面を知ることとなった。著者はインタビューに答えて自らの大仕事について「ひとつ目の大仕事は、 30 代のときに手掛けた『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』、ふたつ目の大仕事は、 50 代の前半を費やして完成した『薩摩スチューデント、西へ』(光文社)という歴史小説(維新前夜 1865 年に薩摩藩が極秘裏にイギリスへ送った俊英留学生 15 人と秘密使節4人の群像劇)、そして、みっつ目は『謹訳 源氏物語』という大仕事」と発言している。
 全て私の全く知らない業績だった。
 この「『どこへも行かない』旅」は指南編、実践編と別れ、指南編では「観光しない観光」「私の歩き方」「見知らぬ町へ」の3項目で著者の意見を書き、実践編では日本の町について 36 項目、イギリスについて 13 項目の数頁の文章が書かれている。
 それぞれに面白いが、私は「私の歩き方」中の「宿を探す」をとても興味深く読んだ。イギリスでもっとも普通の宿としてのB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)について、いろんな意味でのいい宿の探し方の考察は、本題を離れてイギリスと言う国の具体的なイメージを知ることもできる文章で溢れていた。
 例えば
  A39 国道より至近。まことに素晴らしい古農家の建物、イクスムーア(デヴォン北部の美しい原野)周縁部に位置する申し分のない立地。広々とした快適な客室を七部屋提供。そのうち三室は立派なお風呂場付き、全室近代的設備完備。各部屋眺望絶佳。自家栽培の素材による美味しい料理、焼き立てのパン。健康食志向のベジタリアン。なおオーナーのストラットン氏はシェフである。……
などと言う文章を読むと、自動車でしか辿り着けない場所にあるに違いないが、ここを訪れ、数日間ここに泊まり、のんびりとイギリスの田舎を楽しみたい、と思ってしまう。しかも大事なのは、これらが信頼できる記述だということである。
 実践編の日本の項では、川瀬巴水(大正から昭和の初めにかけて、数多くの風景版画の傑作を描いた版画家)の風景を求めて霞ヶ浦を訪れる話や宮崎から大分のほうへ少し北上した海岸にある美々津という港町(神武天皇東征のお船出の古港だそうだ)での食事を巡る地元のオカミサンとの交流などのなんとはない文章を読みながらなにか懐かしい心地がした。
 また、収められている写真の多くは、その場所に実際に行ったこともない私ではあるが、古き良き時代の日本のそこかしこにあっただろう風景を感じさせてくれた。
 このようなことを思いながら読んだのだが、著者の文章について作家・評論家の丸谷才一は著者のある著作の解説で「……そこでは和漢洋にわたる教養と学識が悠々たる世界を形成している。わたしはとりわけ、彼がイギリスについて語った文章を好む。精神がいきいきと反応して、未来に向かってゐるやうな気がするからである」と書いている。
 この本を読み終わったので次は、著者が大仕事と発言した「薩摩スチューデント、西へ」を読んでみようかと、図書館の蔵書を検索した。そう言えば、今読んだ本の中にロンドン・ブルームズベリーの古書店で「薩摩の一行がロンドンまでの航海中に立ち寄ったアジア・アラブ各寄港地の古い地図やら写真やら絵図やらを一財産傾けるほど」買った話が書かれていた。

モノクロームの写真
啓(2023年12月20日)
 最近の私が撮る写真はすべてデジタル・カメラによるカラー写真である。家庭の記念写真は言うまでもなく、仲間との写真展や写真集の為の写真も同じである。多くの方々がいろんな場面で撮られる写真も同様だろう。
 かつて多くの人たちが撮っていたモノクローム・フィルムによる写真は遠い昔の話になったようだ。
 しかし、写真部OBの懇親会に同席していた孫のような後輩の大学写真部現役部員に聞いたところでは、入部してしばらくの間は、技術と理論の習得のためモノクローム・フィルムの使用が義務(?)となっているという。そして最近のモノクローム・フィルムの市場はかつての状態から大きく変化しているとともにフィルム自体の価格も随分と高くなったということをも教えてくれた。どうも絶滅の危機にあるらしい。
 何をするということもないのんびりとした午後に私が眺めるのは、フィルムカメラで撮られた「古き良き時代」の日本の田舎や山里を収めたモノクローム風景写真集である。訪れたこともない土地が殆どだが、なにかしら懐かしさを感じる。
 海辺に立つ「はんこたんな」を顔に巻いた山形県温海(現在は鶴岡市)の女性の写真が表紙を飾っている「ふるさと 園部澄写真集」(園部澄、山と渓谷社)には、どの頁をとっても、郷愁を誘うような写真が溢れている。
 この写真集は私が最初に買った写真集でもある。
 津軽の漁港、漁網を繕う漁師、竜飛岬など津軽の写真からスタートし、山形県田麦俣を経て安曇野さらには竹ノ内街道、柳河ときて最後は開聞となり開聞岳と畑のシルエットの写真で終わる。これらの場所で撮られた写真を見るたびにフィルムカメラで撮られたモノクロームの写真の良さが心に沁みる。
 写真集の最後に「私の写真作法」という文章があり、そこで写真家は
 猫がシャッターを踏んでも写るどころか、アリがレンズの前を横切っても写るようになるかもしれない時代に、残るのは「私は、何を、どう撮ったか」ということしかない。どう撮ったかは、私がどう撮りたかったかで決まり、写真はそのことを写していなければならない。
と書いている。
 確かに、この写真集は写真家の「撮りたいものを撮った結果」であることがよく分かる。
 友人からのメールに「書物の整理の際に今まで集めた写真集もすべて手放した。悲しくなるような値段だった」というのがあった。私の手元にある写真集は 10 冊程度であり、頭の中では一応保存対象としている。小さな活字を追う必要もなく、心の赴くままに頁を繰り、安らぎと明日への活力を得るために。

郷土本と郷土カルタ
啓(2023年12月13日)
 手元に著者の謹呈サインがある「千里の歴史と伝統」(北田順三、(財)大阪府千里センター)という本とそこに挟まれた小冊子「郷土カルタ解説書」(吹田市郷土民話かるた普及会)がある。近くの古本屋で十数年前に買ったことを覚えている。本を貰った人が古本屋に売ったのだろう。過去にも著者の署名のある謹呈本を古本屋で買ったことがあるので、このこと自体にはそれほどの驚きは感じなかったが、贈ってくれた著者に対しては失礼な態度だろう。
 新しく開発された住宅地ならどうかは知らないが、古くから人が住んでいた土地にあっては、いろんな言い伝え、民話、伝承さらには歴史的遺産があることは想像に難くない。何がきっかけかは分からないが、これらについて調査し、取り纏めようとの動きが発生することは容易に想像できる。
 手元にあるこの本とそこに挟まれていた小冊子はまさにそのような動きの結果なのだろう。
 ここに書かれている諸々は私にとってはいずれも興味深いものだが、他地域に住んでいる人には関心も持たれず面白くもないだろう。
 と言うことで多くの人に関係のありそうな飲食に関することを少し紹介する。
 タケノコと言えば京都西山近郊が有名だが、かつては我が市の北部では「銀だけ」として珍重されたタケノコが生産された時代もあったという。このことは知らなかったが、それが生産されていたとされる場所の近くを何年か前に通ったときに見た竹藪は手入れがなされず荒廃していた。
 祝儀野菜として有名なクワイでは、小ぶりながら味がよく、歯ごたえがあり江戸時代には宮中へ献上されていたスイタクワイが載っている。このクワイは僅か4個の絶滅寸前の状態から保存・増殖の活動が篤農家により始められ、現在では小学校の校庭や公園に水田を作ったり、希望者には球根や苗を分けるなど、いろんな方法により増殖努力がされている。私はこの活動のことは知っていた。
 因みに吹田市のいわゆる「ゆるキャラ」はクワイをイメージした「すいたん」と名付けられた男の子である。
 その他では、三島ウドや高槻の寒天が載っている。
 北摂にも名酒がある。池田の酒はあまりにも有名だが、富田には「けさたんと のめやあやめの とんたさけ」という回文で有名な酒がある。この句は芭蕉の高弟・其角の作だと中高時代の友人であるその酒造会社の社長が教えてくれた。
 小冊子に掲載されていたカルタの文章はそれぞれに興味深いものだったが、「ち」では「父は長柄の人柱」という文が選ばれていた。
 これは土地の長者巌氏(いわうじ)が自らが提案した方法により長柄橋の人柱になった話(長柄橋架橋の難工事を進めるため、袴に継ぎがあたっている人を人柱を立てることを言い出した長者自身の袴に継ぎがあり、自らが人柱になったという故事)とその娘・光照前(てるひのまえ)の「物いわじ父は長柄の人柱 鳴ずば雉子も射られざらまし」が関係している。
「口は災いの元」という解釈もあろうが、私は長者自らが人柱になることを心に決め、人柱の候補者を選ぶ方法を提案したのだと思っている。

老いたる母
啓(2023年12月6日)
 何年前のどの新聞の歌壇だったか、記憶は定かではないが「百歳の母に八十の友来たり楠公正行の別れの歌和す」が選ばれていた。「楠公正行」には「なんこうまさつら」とルビが振ってあった。
 百歳の母というからにはこの短歌の作者も七十歳台だろう。正成、正行を正しく読める若者がどれだけいるか、心もとないが、この三人、百歳の母、八十の友、この短歌の作者には「青葉茂れる桜井の」で始まる楠公正行の桜井の駅の別れを詠った「桜井の訣別」(作詞:落合直文、作曲:奥山朝恭)は、若き日を思い起させる歌なのだろう。
 私自身もこの歌は6番まで正確に歌える(注)。歌いながらいつも気になるのは、5番の最後のフレーズである「行けよ正行 故郷へ 老いたる母の 待ちまさん」である。
 この別れの後の湊川の戦いで、楠正成が自害したのは延元元年(建武3年)5月25日(1336年7月4日)で 43 歳だとされている。とすると正行の「老いたる母」である正成の妻は 40 歳台以下と思われ、現在の我々の「老いたる」という感覚と大きなずれがあるように思うのだ。
 楠正成の「妻」については、「楠木正成の夫人は名は久子といい、甘南備の豪族南江備前正忠の妹で、ここ甘南備の矢佐利に生まれた。1323年(元亨3年)20歳で正成と結婚。二人の間に、正行、正時、正儀を始め6人の子がいる」との記述を見つけた。この記述が正しいとすれば、桜井の駅での別れの時の正成の妻(正行の母)の年齢は 33 歳ということになる。
「老いたる」というのは、作詞者落合直文の詩的真実と考えるべきなのだろう。こう思っていたが、桜井の駅での別れのときの正行の年齢を 20 歳前後とする説もあるらしい。この説が正しいとしても、 40 歳前後の女性を「老いたる」というのは、すこし気の毒だ。
 と、ここまで書いて、この文章を一旦終えた。その後何かの拍子に作家阿川弘之の娘である阿川佐和子の発言を思い出した。彼女のエッセイのどこかに書かれていたか、あるいはインタビューでの彼女の発言であったかは不明である。
 そこでは阿川佐和子は自らの結婚に関して「父は私が 27 歳になったとき、歌舞伎の世界では 27 歳は“ロウジョ”と言うんだ。早く結婚しろ、と言った」という。文化勲章も受賞している文学界の大物が 20 代の娘をつかまえて、嘘をつくはずはない。 27 歳がロウジョとはどういうことだ、と気になった。
 調べてみると文楽の頭に老女方(ふけおやま)というのがあり、説明には「 20 代から 40 代までの婦人役です。時代物・世話物のどちらにも幅広く使われます」とあったが、歌舞伎に関しては調べが行き届かなかった。
 そうすると落合直文が「老いたる母」と言ったのは、歌舞伎や文楽の素養からのごく自然な発想で、明治後期の人々はそれを当然のことと理解し、受け入れていたのだろう。とこう結論付けたが、文楽や歌舞伎の知識が全くない素人の杜撰な推理である。諸賢のお教えを乞いたい。
(注)
 その後この歌は正しくは「楠公の歌」で 15 番まであり、6番までの「桜井の訣別」に続いて7番、8番の「敵軍襲来」、9番から 15 番の「湊川の奮戦」があることを知った。

「禁忌(シーラッハ)」
muca(2023年12月3日)
 フェルディナント・フォン・シーラッハの著作に興味を持ち、短編集2作品の後に読んだのですが(酒寄進一訳)、理解するのが難しい長編でした。
 推理小説の場合ならできる限り早めに事件を発生させるのが常道で、それによって読者は書かれていることの内、注意して読むところとそれ以外の区別がしやすくなり、以降はいくら読者の頭を混乱させても問われないことになっています。これはレイモンド・チャンドラーが言っていたことを私の好きなように解釈したのですが(笑)。
 ところが「禁忌」は半分近く読み進んでも事件が起こらず、いずれ被疑者になるはずの男の数奇な生い立ちと特異な才能ゆえの危ない生活ぶりばかりが連ねられていきます。書かれていることの何が事件の契機になるのかが予想できず、最初からていねいに読んでいた私は次第にいらいらしてきました。
 本の半分ほどのところまできて、ようやく事件が起きました。「事件」としか書かないのは、犯罪の実体がはっきりしないのに、確かに犯罪があったような状況があるからです。この辺り、分かりにくいことを書いていますね? お察しします。私も分かってないからです。
 弁護士「ビーグラー」が依頼を引き受けてから流れは分かりやすくなりました。物事を整然と理解しようとする人物を中心に語られると分かりやすくなるのは自明の理です。ビーグラーのとんまなところと気難しさに人間味を感じるような描き方がうまいなと思いました。
 最後に事件の内容が明らかになります。明らかにはなりますが、この作品全体が私に理解できるものになったかどうかはまた別のはなしです。「訳者あとがき」の次の部分で、私の理解力はそれほど絶望的でも悲観的でもないように感じました。
 本作はドイツで出版されたとき、問題作として受け取られた。評価が賛否両論に分かれたのだ。「小説にはまだ上があった」と称賛する声がある一方で、「二度読んでも理解できなかった」と首を傾げる書評家もいた。はじめての短編集「犯罪」以来、シーラッハの文体は極限まで刈り込み、研ぎ澄まされたところに真骨頂がある。この作品でもそれは健在だが、今回読者は、あてどなく漂う小舟に揺られるような感覚に襲われるだろう。特定の方角へ舵を切ることなく、波のうねりにたゆたう文体。小舟の居場所は波頭の上かと思えば、波間に吸い込まれる。
 事件が起きるまでの被疑者の危うい生活ぶりについて、これほどの様々なエピソードを挿入する必要はなかったのではと感じます。けれど、簡潔な文章をたたみかけるようにつないでいくことで、読者の不安と緊張を高めていくシーラッハの技量に感心する私もいるのです。

あたらしい娯楽?
啓(2023年11月29日)
 前回に続き川添 愛氏の「言語バーリ・トゥード」より一文。
 同書125頁から始まるテーマは「あたらしい娯楽を考える」であり、雑誌「散歩の達人」に触発されて「変な文探し」を開始したことを書いている。
 開始するにあたっての心得というかルールについて最初に思いを巡らし、「個人がするうっかりミスや間違いを対象にしないこと」「『人目に触れることを前提に作られている文』を対象にすること」と対象表現の範囲、範疇を限定した態度は、長年法律に付き合ってきた私には極めて合理的な思考と映る。
 このルールに基づき著者が採集した「変な文」は
〇「カワイイはつくれる!」(花王)
〇「遠い国の女の子の、私は親になりました」(プラン・インターナショナル)
〇「パンにおいしい」(よつ葉バター)
〇「海老名市最高層を、住む」(小田急不動産)
であり、言語学者として、いろいろと考察を巡らせている。書かれている内容はとても興味深かったが、正直に言って私には難解な解説だった。
 この文を読んで、かつて私が散歩の途中で見た二つの変な文章を思い出した。
 その一つは、市立図書館本館へ連なる道の途中にある広大な空き地の囲いの傍にあった「関係者以外は無断で立入りを禁ずる」という語句と管理している会社の名前が書かれ、要所要所に設置された立て札である。
 この横を通るたびに、「この文章の間違いを見つけ、正しい表現に直しましょう」とでもすれば、小学生の国語の問題に最適ではないかといつも思っていた。どうして「関係者以外の無断立入りを禁ずる」あるいは「関係者以外が無断で立ち入ることを禁ずる」と書くことができないのか。
 二つ目は、我が家の近くにある比較的安い値段でガソリンを販売しているガソリンスタンドの掲示文である。あるとき「諸般の事情により閉店する」という趣旨の掲示がなされた。諸般の事情とは何かは分からないが「残念だが仕方がない」と思ったものである。その後、しばらくすると「お客様各位へ  諸般の事情により従来通り営業を続けます。よろしくお願い致します。 店主敬白」との看板が出された。
 私の言語感覚では、後者のような場合に「諸般の事情により」を使うことは理解できない。「皆様の強いご要望により」とか何とか書いた方がよいのでは、と思ったことである。
  50 年以上の昔の話になるが、日本語として変な文章の表示がなされている看板や掲示を見つけるたびに、その看板や掲示を撮った写真を同封のうえ掲示者に注意し、改善を喚起する丁寧な手紙を送っていた老人の話を読んだことがある。改善された場合には、その改善内容も写真に撮り「これでよろしい」とユーモアたっぷりに発表していたという。私にはその気持ちがとてもよく理解できるが、ギスギスしたことの多い現代にあってはこのような余裕のある遣り取りは期待できないだろうとは思う。

「言語学バーリ・トゥード」
啓(2023年11月22日)
「言語学バーリ・トゥード」(副題([Round 1、AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」](東京大学出版会)は、かなり読み進んで、どういう種類、性格の書物なのか、言語学の何についてどのような切り口で書かれた本なのかが分かった。
 著者・川添 愛氏については奥付では作家とあるが、前書きには言語学を専門とする博士であり人工知能の分野にも少しいたこともあり、同時にプロレス愛好家でもあると書かれている。
「バーリ・トゥード」は、ポルトガル語で「何でもあり」の意味という注があり、ルールや反則を最小限にした格闘技の一ジャンルで、「言語学バーリ・トゥード」という名は、担当者が著者に「何を書いてもいいですよ」と言ったことに由来するとある。
 ということでこの本は言語学についての諸々の話題、テーマを幅広く取り上げ、テーマ毎に参考文献も書かれており、結構面白く読んだ。
 例えば副題にある「AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」については「意味(各単語の辞書的な意味や文そのものが表す内容)」と「意図(単語や文章に載せて話し手が聞き手に伝えたいこと)」の例としてこう書いている。
 分かりやすい例を挙げよう。ダチョウ倶楽部・上島竜兵氏の「絶対に押すなよ!」である。「熱湯コマーシャル」でおなじみのこの台詞は、ここで言う「意味」と「意図」が正反対になっている例だ。この台詞の文字どおりの「意味」は「(自分を)押すな」であるが熱湯風呂のふちでこれを口にする上島氏の「意図」が「押せ」であることはあまりにも有名である。
 私はこのコマーシャルを知らないが、著者は、「AIにとっての問題は、『意図を特定するための手がかりが、言葉そのものの意味の中に入っていない』ということである。つまりAIにいくら言葉そのものの意味を教えても、それだけでは意図をきちんと推測するためには不十分、ということだ」と説明し、AIにとっての「意味と意図」と人間にとっての「意味と意図」が必ずしも一致していないという。
 確かに、意味は分かるがその意図が意味とは異なっている文章もありそうだ。この種の文章を読まされるAIはどのような対応、反応をするのだろう。
 ユーミンこと松任谷由実の「恋人{は/が}サンタクロース?」の項では、自らが長い間「恋人はサンタクロース」と間違って覚えていたこと(正しくは「恋人がサンタクロース」)から論を進め、「は」は旧情報に付き、「が」は新情報に付くという情報の流れに従った「直観的に分かりやすくて実用的なため、広く用いられている」と説明している。
 具体的にはこうである。
 この歌の歌詞において、「サンタクロース」という言葉は序盤に導入されているため、サビの「サンタクロース」は旧情報だ。そして、サビで「サンタクロース」と関連づけられる「恋人」は、ここで新規に導入される新情報だ。もし、ここでサビの歌詞を「恋人はサンタクロース」にすると、「は」の性質上、「恋人」が旧情報として提示されることになり、そこまでの情報の流れから見て不自然である。文脈にあった情報の提示の仕方を考えるならば、「恋人がサンタクロース」のように、「恋人」を新情報として提示する歌詞が選ばれてしかるべきなのである。
 ただ、この説明の後に、「『は』と『が』の違いというのは、言語学においては、そこに足を踏み入れたが最後、その後何十年も出られなくなる底なし沼の一つだ」と、この問題が難問であることを示唆している。
 そしてその上で「AはBだ」に対しては五種類の解釈、「AがBだ」については四種類の解釈を区別している論文の存在もするという。そして「A{は/が}Bだ」という構文はシンプルであるが、「あなたの恋人が言語学者だったら……頼んでもいないのに分析を始め、夜通しあなたに自説を語りかねない」と説明している。
 私たちが無意識に使っているこれらの表現については場合によっては意図と反対の意味に解釈される恐れもあることを例を挙げて示している。
「本当は怖い『前提』の話」の項では、「(キムタク主演の)警察学校の生活をリアルに描いたドラマ『教場』」(私はこのドラマを見ていないし、放映されていたことすら知らない)の一場面をスタートに、ある事実を決定事項とする前提を利用した誘導尋問に論を続け、ナンパ術の本にある記載にも触れる。そしてこの種の前提の利用は「日常の何気ない会話や仕事のメールなんかにも潜んでいる可能性がある」というのである。
 さらに、「ただの主張を前提として述べると周知の事実のように聞こえ、疑われにくくなる」という効果について述べ、その例として「言語学は儲かる!」というタイトルの本よりも「なぜ言語学は儲かるのか!」のタイトルの本の方が手に取ってしまう人が増えると思う、という。確かに後者では「言語学は儲かる」という単なる意見、主張が周知の事実にされている。
「『前提』には、私たちの無意識というか、こころのスキマにするりと入り込むような怖さがある」という結論である。
 なお、副題にある「 Round 1」は多分、第一巻の意だろう。
(追記)
 この文章を仕上げてから半年ほど経った 2023年5月14 日付読売新聞朝刊の「空想書店」の欄で、店主である広瀬友紀東京大学教授が「店主の一冊」として「言語学バーリ・トゥード」を挙げ、この本について「言語学に関心ある人向け良書は数多あるので、言語学に関心ないという人にあえて渡して笑わせたい本を挙げた」と書いているのが面白かった。

恩送り
啓(2023年11月15日)
 三井住友信託銀行が発行している宣伝リーフレットに掲載されていた「わたし遺産」の受賞作品によって“恩送り”という言葉を知った。“恩返し”は知っているが“恩送り”は知らなかった。恩を受けた人に直接返すのは“恩返し”、受けた恩を周りの誰かに送るというのが“恩送り”だそうだ。
 受賞作品の作者の母は作者に「だけん、返したらそいで終わるじゃなかね」と言い、作者は「恩は次の人に送れば終わらない」と書いている。確かに受けた恩を返したら、それで終わる。しかし、受けた恩を他人に送り、恩を送られた人がさらに別の人に送るなら、恩は永遠に続く。“恩送り”は、ある意味“恩返し”よりも深い意味を持つようだ。
 幾つかの“恩送り”に気が付いた。
 芸能の世界で師匠が内弟子として衣食住の面倒を見て若者を育てる、育てられた弟子が同じようにしてその後輩を育てる、これは“恩送り”に違いない。この話から思い出したのだが、サラリーマン生活の頃に個人的に後輩と飲食をしたときには、先輩が私にして下さったように後輩の代金を私が当然のこととして負担していた。小さいことだがこれも先輩から受けた恩を後輩に送ったことになるのだろう。
 阪神淡路大震災で被災し、多くの助けを受けた人たちが、東日本大震災の被災地に手を差し伸べたのは、まさに“恩送り”といえる。 1890 年の和歌山県大島島民による「トルコ・エルトゥールル号遭難者救出」と 1985 年イラン・イラク戦争時の「トルコ航空機による日本人救出」は世代を経、国境を越えた“恩送り”と言えるかもしれない。
 老齢になって初めて“恩送り“という言葉を知ることになったのは恥ずかしいが、よい言葉を知ったと嬉しく思っている。私自身は気が付いていない多くの恩を、先人から受けている筈である。これからは意識して恩を送ろうと考えたことである。
 英語圏の国では“Pay it forward”という考えがあるそうだ。詳しいことは知らずちょっとものの本で読んだ程度の知識しか持たないが、現在ではこれも“恩送り“に違いないと思っている。
 と、ここまで書いて“Pay it forward”と言う言葉をもう少し詳しく知ろうとインターネット検索をすると、このフレーズの初出( 1916 年の出版物にあるそうだ)についての説明や 2002 年に角川書店から発行された「ペイ・フォワード」(キャサリン・ライアン・ハイド著、法村里絵訳)という小説についての記述が表れた。
 ちょっと気になったのでこの小説を図書館から借り出し、読んだ。こなれた訳による軽い文体の本だった。
 この本では、 12 歳の少年が「3人の知人に何かいいこと」をする。自分に対するお返しの代わりには「3人の他人に何かいいことをして欲しい」という。これも恩送りだろう。
 そしてこの恩送りを続けてゆくと、世の中が変わるかも知れない、いや変わりそうな気がする。

「もう一度 倫敦巴里」
啓(2023年11月8日)
 前々回のこの欄で和田誠の「倫敦巴里」を取り上げたが、その後「もう一度 倫敦巴里」(ナナロク社)があるのに気が付いた。
 続編かな、と思い手に取ったが奥付の上部に小さな字で「本書は、 1977 年8月、話の特集より刊行された『倫敦巴里』に新たに……を加え、再編集したものです。著者監修のもと、原画がカラーで描かれていた作品は、カラーで掲載しています」とあり、広い意味での再刊のようである。
 ここでは「『もう一度 倫敦巴里』によせて」を書いている清水ミチコ、谷川俊太郎、堀部篤史、丸谷才一各氏の文章から、この本の紹介内容を書き抜く。
 清水氏と谷川氏が同じようにこの本に特別な愛着を感じ、堀部氏と丸谷氏が同じようにここに書かれたパロディのすばらしさに言及しているのも興味深い。
 清水氏(倫敦巴里リターンズ)は「『倫敦巴里』はすっごく大切に読み返してる本です」で始め「念のために二冊買ってあります。本棚に入れて置く用のと、読み返す用のと」とこの本に対する愛着を述べる。そして人に差し上げるために買おうとするとどこにも売っていないと自らの経験を嘆き、最後に「図書館にあって、アマゾンになくって、ヤフーオークションでは飛び切り高いものなーんだ」となぞなぞを出す。
 谷川氏は「やきもき」と題して「『倫敦巴里』が我が家の本棚から行方不明になったことがある。和田誠ファンの何者かが誘拐したのに違いない」で始め「何ヶ月か待ったが消息がつかめず、身代金の要求もなかったから、仕方なくアマゾン河のほとりにある書店に買いに行き、定価の何倍かの金を払って無事本棚に帰還させた」と続け、この本に対する愛着を述べている。
 堀部氏(「倫敦巴里」って何なのさ?)は「本書『倫敦巴里』はパロディの対象や引用元を知らずとも楽しめる優れた作品であり、そういうものに触れれば引用元や関係性を知りたくなる。……本を閉じればすぐにでもオリジナル……にあらゆる手法でアクセスしたくなるだろう。『倫敦巴里』はそのような強度を持った時代を超越する書物だ」と激賞している。
 丸谷氏(戯画と批評――和田誠『倫敦巴里』)は「パロディが文学の一形式としてすこぶる楽しめるものだといふことは、西欧では常識となってゐるが、わが近代文学では……のほかは、あまり見当たらない。そのなかで和田誠の『倫敦巴里』は、伝統の浅さを克服した秀逸だらう。つまり彼の才能はそれほど豊なのである。たとへば和田は、川端康成の『雪国』の書き出しを、いろいろさまざまな人の文体で書いて見せる。……それが全部が全部ではないにしても、たいてい、なかなかの出来なのだから、舌を巻くしかない……」と書いている。
 最後に、次の文章も「雪国」の冒頭文を和田誠さんが、丸谷才一文体によって模写したものであるが、数多くの丸谷才一本を読んだ私には内容も含めて氏の文体の特徴がとてもよく掴まえられていると思っている。特に内容については私は舌を巻いている。
 なにがしといふ人の説によると、国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国ださうである。この説はすこぶる評判がいい。言葉にはずみがあるし、むやみに単純で切れ味がいいし、第一わかりやすいからでせうね。おまけに雪が喜ばれるといふ民俗学的状況も見逃がせない。雪が降るのは豊年の前兆で、めでたいものなんです。それに闇のトンネルを抜けてまつ白な世界に出てゆくのは黒の王が白の王によって倒されるのを祝ふカーニヴァルのやうな、祭祀としての性格が感じられ、呪術性が作用する。言ふまでもなく無意識のうちにであるけれど。(以下省略)

ダンス・マカーブル
啓(2023年11月1日)
「死者たちの回廊 よみがえる『死の舞踏』」(平凡社ライブラリー、小池寿子)を手に取ったのには格別の理由はない。その小さな理由はただ一つ、新聞の書籍紹介欄の約半頁を使っての「欧州壁画巡り無謀な車旅」という見出しの文章だった。
 ここで著者の小池寿子さんは現存する「死の舞踏」壁画を全て制覇しようとの目論見でヨーロッパ各地を車旅した思い出話を書いている。この文章を読んで「死の舞踏」壁画とは何ぞや、といささかの野次馬根性が芽を出した。
 著者は「免許取得1か月、欧州で初めて運転する私がプジョーを駆って、アルプスを一気に下ったのである」「格安レンタカーを借り、……ローマを出発してアッシジ、ラヴェンナ、フィレンツェを巡る車旅は無謀としか言えない行程であった」と書いている。
 そして思い出話の最後に「1か月余の『死の舞踏』の旅」の理由として「大学時代は 15 世紀ネーデルランド美術の中でもキリストの磔刑を研究テーマとしていたが、恩師からパリ、サンジノサン墓地回廊に描かれていた壁画『死の舞踏』木版画複製本をいただき、大きな方向転換をした」と書きつつ、「しかし、それは決して方向転換ではなかった。死はつねに身近にあり、私にささやきかける『お前もいつか死ぬのだと』」と纏めている。
「死の舞踏」という言葉から私が思い出すのはただ一つ、エストニアの首都タリンにあるニグリステ教会の「死のダンス」画だけであり、ガイドブックにあった「法王や皇帝、皇女、枢機卿、国王らが『死』とともにダンスを繰り広げる様子が描かれています」という説明だけである。その時は、「骸骨と人間がダンスをしているような絵は見たくない」と思い、その教会を横目で見て通り過ぎた。
 図書館から借り出した「死者たちの回廊」を読みながら、現時点ではいささか残念な気持ちもある。
 著者はこの著書の中で次のように書き
 中世の美術において最も重要な部分をなしていたのが、死後の世界の表現であろう。……教会の正面(ファサード)に刻まれた「最後の審判」図と、それにともなう「天国」と「地獄」の図をみた中世の人々は……善生善死の必要性を説きつけられ、それを実践することを強いられたであろう。……ところが十四世紀から十五世紀末にかけての……時期には、死後の世界よりむしろ、人間の死そのもの、つまり死後の姿があからさまに表現されたのであった。
「死の舞踏」という言葉については、こう説明している
「死の舞踏」は、腐乱した屍か、あるいは骸骨に近い状態の死者が生きているものの手をとり、または肩に手をかけ、不気味な笑いを浮かべて墓地へいざなう姿を描いた絵図である。この生者と死者は、交互に配置され、十数人から三十余人がくりひろげる行列をなしており、あたかも舞踏を踊るような足どりと身振りであるため、「死の舞踏」(ダンス・マカーブル、Danse Macabre)という名称を与えられているのである。
 著者も書いているように「死の舞踏」を成立させた背景には、教会分裂、黒死病、百年戦争の三大危機を抱えた現実があったのだろう。
 結果的に字面を追っているような読書、疑問が生じても遡って解決しようなどと思わない読書、微に入り細を穿った説明について感心するだけの読書、となってしまったが、偶にはこのような学術的な文章を読むことも頭脳の活性化のためにはいいものだ、とやせ我慢をしたことである。
 著者の小池寿子さんは自らの処女作が出版後4年にして絶版となったが、本書副題の「よみがえる『死の舞踏』のごとく、今回復刊されたことを喜んでいる。

文体模倣
啓(2023年10月25日)
 どれを読んでも面白い。どこから読んでも面白い。
 昭和 52年8 月株式会社話の特集から発行されたこの本「倫敦巴里」をメールマガジンの「蔵出し一冊」欄で紹介してくれた図書館員はどのような人なのだろう。著者は 2019年10 月に亡くなった和田誠。
 特に私が気に入ったのは川端康成の「雪国」の有名な冒頭部分「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」で始まる400字弱の文章をいろんな作家の文体を模倣して書かれたパロディ(戯作)である。
 雪国の長いトンネル。そこを抜けると雪国の筈だった。信号所に汽車が止まる。どこからともなく一人の娘が立って来て、エヌ氏の前の窓を開けた。なまぬるい空気が流れ込んだ。娘は窓からからだを乗りだして叫ぶ。
「駅長さーん、駅長さーん」
 明かりをさげてやって来た男は、おどろいたことに顔も手足も緑色だった。(以下省略)
 この文章はショートショートの名手の星新一の文体をまねたものである。
 星新一の文体模倣にも感心したが、次の三つも楽しく読んだ。順に池波正太郎、田辺聖子、司馬遼太郎の文体を模倣した文章である。私が感じていたそれぞれの特徴をよく掴んだ文章であると驚きかつ感心して読んだことである。
 それは……。
 文筆家・島村が、再び〔湯沢温泉〕を訪れるための汽車の旅であったが、〔国境〕の長いトンネルを抜けると、(あっという間に……)そこは〔雪国〕であった。
 信号所に汽車が止まった。外を眺めると、バラックが山裾に寒々と散らばって、(雪の色が闇に呑まれるような……)夜であった。
 その時。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。
「ああ……実に、さわやかな……」
 おもわず口にのぼせて、島村は胸いっぱいに窓から流れ込む雪の冷気を吸い込んだ。この白い夜の底は、(やはり、東京とは大分ちがう)のである。
 娘は窓いっぱいに乗り出して呼んだ。
「駅長さあん、駅長さあん」
 やや甲高い声であった。と……。
 襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂らした男が、雪を踏んで近づいて来た。
 国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった。夜の底が白くなり、汽車が止まったところは信号所である。
 島村はそんなにはやっているというのでもない作家であるが、それでも地方新聞にこんど連載小説を書くことになったのだ。その取材をするため、雪国にやってきたのである。
(えらいさぶいなあ・・・)と島村は思った。それは前の席に坐っていた娘が、窓を下におとしたからである。
「駅長はあん、駅長はあん」と娘が遠くへ叫ぶ。島村は外をみた。鉄道の官舎らしいバラックがぽつぽつとあり、山裾には濃い闇がひろがっているだけだった。雪が風に吹かれて天空に流れている。(以下省略)
 島村を乗せた汽車がトンネルを出たのは七時四十分である。そこは雪国であった。
 トンネルは群馬と新潟の県境にある。大正十一年から昭和六年にかけて作られた。長さは九七〇二メートルである。
(夜の底が白くなった)と島村には感じられる。信号所に汽車が止まった。婦人が立ち上がって、窓を開けた。島村は、途上、窓ガラスに映る婦人の横顔を観察している。
 ――うつくしい。と、その時おもった。婦人は窓に乗り出して、「駅長さあん」と叫んだ。駅長と呼ばれた男は、明かりを下げ、雪を踏んで近づいてきた。(以下省略)
「倫敦巴里」では、このような調子で「雪国」の冒頭部分を 32 人の作家の文体で模写している。笑いながらそして舌を巻きながら楽しんだ。
 この文章を書きながら、これだけ引用部分が多いとこの文章自体が著作権侵害問題を惹起するのではとちょっと心配している。

「大好きな町に用がある」
啓(2023年10月18日)
 何を借りようという当てもなく図書館でエッセイの棚をのんびりと眺めていると角田光代という名が目に入った。この名前は彼女が直木賞を受賞した時に新聞に書いていた謝辞によって記憶している。素直ないい文章、人柄を表しているような文章だと思って感心して読んだことを覚えている。
 借出した本は「大好きな町に用がある」(株式会社スイッチ・パブリッシング)という5〜6頁ほどのエッセイが集められたものであった。
 若かりし頃に訪れた外国の土地や、かつて取材で訪れた国内外の町について書いているが、タイトルに選ばれた「大好きな町」とはタイのバンコクであり、どれほど好きかということを
 ラオスにいくのにタイを経由したり、マレーシアに行くのにタイから入ったり、タイの、それまでいったことのない島を訪ねたりした。私のパスポートにあまりにもタイの出入国スタンプが多いので(しかも陸海空とさまざまに)、何かよからぬ目的があるのではないかと疑われ、成田空港の税関で荷物を全部調べられたことがある。下着の入った袋や、化粧ポーチまで開けて調べながら、「なんでこんなにタイの出入りが多いの」と税関の人に無愛想に聞かれた。「好きだからです」と答えたが、納得はしてもらえないようだった。
と書いている。
 そして「用がある」とはボクシング小説に関連してのムエタイやそのジムの取材だった。著者はムエタイスタジアムの話だけではなく、「はたしてこの先に何があるのかと不安になるような細い路地をずっと入った先にある」ムエタイジムや「バイクタクシーの人が周辺の人に訊きまわって何とかたどり着ける」ようなジムを幾つも探して取材をした。普通だったら「地獄の底にへばりついたように絶望するのだが、そんなことも苦にならなかった。取材がたのしかったのではなくて、タイにいることがただひたすらにうれしかったのだと思う。しかもタイに『用がある』ということが」と述べている。
 国内外の旅や訪れた町について若かりし頃の著者の見方、考え方、思い出がいろんな切り口で描写されている。
 私が面白くそして納得して読んだのは、「ブノンペン発、シアヌークビルいき(「行」ではなく「いき」とあった」の中に書かれた一文だった。
 そこでは「もしこのバスに何かあったら……人里離れた場所でエンストしたら、大雨が降って先へもいけずあとへも戻れなくなったら……私はこのバスに乗っている人たちと協力してかんばらなければならないのだ、と思う」と書いている。確かに「たまたまその日、その時間、そのバスに乗り合わせただけの、なにも起きなければ、言葉を交わすことも再会することもない人たち」であっても多分、必然的にそれぞれの知識、経験や腕力を総動員して困難に立ち向かうだろう。
「再訪の旅」では 2016 年のヤンゴン再訪の旅での感想が「希望だ、と思った。この町の人たちは今希望を持っている。見ていておもしろいほどはっきりわかる」と町の人たちの行動を書き、16年前のミャンマーの首都ヤンゴンを「なんにもない」と言う形容がぴったりの町だったという見方を改めている。(注:これは 2021 年のミャンマークーデターの前の話である)
 そして「地図と私」の項では「ロンリープラネット」や「地球の歩き方」について述べる一方で、最近の「お洒落で可愛い」ガイドブックにも言及し「しかし実際の旅にこのガイドブックを持っていくと、不便この上ない」と私と同じ感想を書く。ただ「ガイドブックの名誉のためにいえば、それは本のせいではなくて私のせいだ」と大人の対応をしている。
 気楽に読んだが、ところどころにさりげなく書かれたハッと思い当たる言葉や文章があり、ポストイットを張り付ける代わりに該当ページに細く切った紙を挟みながらの読書となった。これは今は亡き先輩の真似である。

「教養としての上級語彙」
啓(2023年10月11日)
 その人物紹介に博覧強記との修飾語がつく評論家宮崎哲弥氏の「教養としての上級語彙」(新潮選書)が近々出版されることを知ったのは Podcast で聞いていた東京の放送局のラジオ番組からだった。そこでは「単に言葉を並べその意味を明確にするだけでなく、ワンランク上の言葉遣いを求める書物」と言うような言葉で紹介されていた。
 さらに著者が「ノートに中学生の頃から書きつけてきた1万語から厳選された 500 余語についてその意味と用例が生きた文章のなかで説明されている」との付言があった。
 このような経緯もあり、この本は出版直後に手に入れた。
 そこには「本や雑誌、新聞を読んでいて意味も発音も分からない言葉があった場合には、漢和辞典や国語辞典で意味を調べ、当初の書籍や雑誌や新聞に立ち戻り、文章全体を理解することになるが、それでは『理解語彙』が増えるに留まる」との趣旨の文章があり、次が続く。
(調べた)この言葉はまだ能動的に使えない。「使用語彙」ではない。未だ自家薬籠に収まっていないのだ。その後何度かその言葉に出会い、幾つかの異なる用例に触れて、反復的に学習がなされ、やがて「使用語彙」に耐える精度に達する。読書量と語彙量、とくに「使用語彙」の量に強い相関関係が認められるのは、こういう仕組みだ。
 この見方に全面的に賛成する。
 選ばれた上級語彙を上級語彙を使いながら説明している文章がまた興味を引く。例えば「不言実行」について、その意味の説明に続けて、
 この「不言実行」こそが日本人本来の行動の原則であり、「有言実行」なる新しい四字熟語の定着は、何事によらず、まず〈事挙げ〉しなければ気がすまない近年の日本人の傾向を映し出している、などというもっともらしい論評を見掛けることがある。しかし「躬行(きゅうこう)」のごとく、伝統的な語彙のなかにも「有言実行」と同様の意味を持つ語があることを〈看過〉した議論だ。
 と、事挙げ、躬行、看過という上級語彙を使って不言実行、有言実行に関する文章を書く。
 ひもとく(繙く、紐解く)についても「本を開いて読むこと、書物で調べて明らかにすること」との説明に続いて
 かつて和本は痛みを防ぐため「帙(ちつ)」と呼ばれる厚紙に布を貼った丈夫なカヴァーで覆われていた。このカヴァーが紐で閉じてあったために、書を読むにはそれを解かねばならなかった。これが転じて〈紐解く〉即ち「書物を読む」ことになった。
 とその由来を説明するとともに、多くのキャスターやアナウンサーが何の「ひも」を解くのかわからないままに「さあ、事件の謎をひもといてゆきましょう」「次のコーナーでは、この姉妹の隠された素顔がひもとかれます」と言っていると、やんわりと皮肉を書いている。
 一世を風靡した「忖度」については「『忖度』という語の運命」の小見出しのもと
〈忖度〉という熟語の運命も奇妙な成行きを辿った。 2017 年に持ち上がった、いわゆる「森友学園問題」にまつわって新聞の政治面やニュース番組などでこの言葉が盛んに取沙汰されるようになるまでは、一般にはこの語の意味はおろか、読み方すら碌に知られていなかったのだ。
 と書き、最後に「私は時折、使っていたが」と書いている。
 私もこの「忖度」という言葉は昔から使っていた。ただ、現在では手垢のついたこの言葉、何か特定の色がついてしまったように思われるこの言葉を使うことは殆ど無い。ちょっと違うなあと思いながら「慮り(おもんぱかり)、推察、推量」などと書いている。
 この本を熟読することにより、著者により上級語彙として選ばれた言葉について意味の理解だけでなく、単に本を読むだけではなかなか身につかないこれら語彙を効果的・効率的にかつ正確に自らの使用語彙化することができそうだ。そうでなくても少なくともその一助にはなるだろうとの期待を込めて楽しく読んだ。
(追記)
 この文章を書いた何日か後の 2023年2月2 日付読売新聞朝刊に著者・宮崎哲弥氏のインタビュー記事が掲載されていた。そこで氏は、次のように述べている。
 人は言葉によって考え、存在を認識する。全て言葉に絡めとられる。言葉を単なる道具だと甘く見ない方がよい。極論すれば、社会問題、政治問題に対して、日本人がかなり平板な思考しかできなくなってきている一つの要因は、語彙の衰退にあると思っている。
 同感である。

募金・寄付あるいはDonation
啓(2023年10月4日)
 辞書によると、募金とは「寄付金をつのること」、寄付とは「公共事業または社寺などに金銭・物品を贈ること」とある。 Donation とは「寄付、寄贈」を意味する。
 私はどうもこの寄付や Donation を上手くできない。ケチなのかどうか、定められた金額ならキッチリと支払うのだが、支払うか否かを決め、支払うとした場合に自らが額を決めて支払うという行為はなかなかスマートにできない。
 寄付という言葉から、私が通っていた中高一貫校の老校長を思い出す。当時、学校にはいろんな団体から寄付をして欲しいという要請がなされていたようだった。あるときの朝礼で校長は次のような話をされた。
「学校にはいろんな団体から寄付をして欲しいという依頼があるが、私は一つの依頼を除き全て断っている。唯一の例外はこれから話す『らい病』(当時はこのように呼ばれていた。現在のハンセン病である)への寄付である」としてこの病気についての詳細と当時の社会での患者の扱いを話され、生徒として寄付をするようにと促された。私はこのときの朝礼の話からこの病気について知り、小遣いの中から寄付をした。
 赤い羽根募金については、私たちの結婚の仲人をしてくださった老婦人が駅前に立っておられたときは、幾ばくかの金員を箱に入れていたが、女学生などが並んで頭を下げている列を前にすると、なんとなく違和感を覚え足早に通り過ぎるのが例であった。赤い羽根その他の募金については町内会では会費の中から一定額を会として寄付していると妻が教えてくれた。
  Donation で思い出すのは、欧米の美術館の入場料である。妻との英国旅行の際にフェルメールを見るべく訪れた英国ナショナル・ギャラリーやロンドン郊外のケンウッド・ハウスでは入場料は規定されておらず Donation とされていた。周りの人達の行動を眺め、結果的には無料で入場することになった。
 かつて米国出張の際に空き時間を利用して訪れたニューヨークのメトロポリタン美術館では当時 Suggested Donation (推奨寄付額)として US 15 だったか US 20 が表示されていた。私にとっては suggest された方が支払いやすい。
 寄付については、日本ファンドレイジング協会発行に係る「寄付白書 Giving Japan2021」という書物がある。
 ここでは寄付を「自分自身や家族のためではなく、募金活動や社会貢献等を行っている人や団体に対して、金銭や金銭以外の物品(衣料品、食料品、医療品、クレジットカードのポイント、不動産など)を自発的に提供する行為」と定義し、いろんなデータを提供している。
 政治献金やふるさと納税も寄付に含まれているのにはちょっと違和感を覚えるが、同協会は寄付に含むとしている。
 そして同協会が実施した 2020 年全国寄付実態調査の結果では、寄付を行った人は 44,1% となっている。半数近くの人が何らかの形で寄付をしている。そして寄付の平均金額は 37,657 円である。
 寄付の動機・きっかけとしては「関心があったから」「毎年のことだから」「自治会や町内会が集めに来たから」「税の優遇措置があったから」などである。
 個人寄付総額は日本が1兆 2,126 億円であるのに対し、アメリカは 34 5,948 億円(1ドル 106.7 円換算)で、人口を計算に入れても極めて多い。
 このようなデータを眺めながら「法隆寺が、境内の整備費用捻出のため始めたクラウドファンディングでは目標額( 2,000 万円)の7倍を超える1億 4,600 万円余りが集まっていたなあ」「私の元上司の未亡人も『国境なき医師団』への遺贈を遺書に書かれたなあ」などと寄付あるいは Donation について思ったことである。

飛び地の町“バールレ・ナッサウ”
啓(2023年9月27日)
 緯度を基準に考えた場合、アラスカを除くアメリカ合衆国と沖ノ鳥島を考慮した日本とは大体同じ範囲にあるのだなあ、東京とアテネはほぼ同じような緯度にあるんだなあ、ロンドンやパリは北海道の遥か北に位置するのかと「大きな文字の地図帳」(帝国書院)をぼんやり眺めながら、日本と世界の幾つかの国、日本の都市と世界の幾つかの都市の所在地の緯度について考えていた。
 その後「そういえば、アラスカはアメリカの飛び地だなあ」と考えが飛び地に移った。世界には幾つかの飛び地がある。ポーランドとリトアニアに挟まれたカリーニングラードはロシアの飛び地であり、ドブロブニクはボスニアヘルツェゴビナにより隔てられたクロアチアの飛び地である(下記注)。また、テレビの旅行番組でよく紹介されるイベリア半島の南東端に突き出した小半島のジブラルタルもイギリスの飛び地である。
 そもそも飛び地とはどのような土地のことを言うのだろう、国単位での飛び地の定義はどのようなものなのだろう、これらについて考えてみた。
 国単位での飛び地の定義としては「他国の領土によって本土から隔絶された場所」というのが考えられる。これには2種類ありそうだ。一つは周囲の全てを他国に囲まれた内国の飛び地であり、もう一つは陸上では他国の領土によって本国から隔絶されているが、海に面している飛び地である。前者は外国領地を通らなければ本国に行けないが、後者は海上交通機関を使い領海から公海へ出ることにより他国の領土を通過することなく本国に行くことができる場合もある。航空機を使えばいずれの場合でも他国の領土を通過することなく本国へ行くことができそうだが、領空問題も考えなければならないだろう。やはり2つのケースに分けて考える必要がありそうだ。と理屈っぽいことを考えた。
 バールレ・ナッサウという町は「オランダ領の中にベルギーの飛び地があって、その中にオランダの飛び地がある」と紹介される。この町は「愉快な飛び地の町」として観光地にもなっている場所だそうだ。
 具体的には、ベルギーとの国境に近いオランダ領内に 21 ヶ所のベルギーの飛び地があって、その中に7ヶ所のオランダ領の「飛び地の中の飛び地」がある。また近くのベルギー領内にもオランダの飛び地が1ヶ所あるという。バールレ・ナッサウ(オランダ側)の人口は約 6,000 人、バールレ・ヘルトフ(ベルギー側)の人口は約 2,000 人だそうだ。なお、家の中を国境線が通っている場合は、その家の住民全員が正面玄関がある方の国民ということになっているという。
 私がこの事実を知ったのは何年か前にたまたま見た BS11 チャンネルの「世界の国境を歩いてみたら…」という番組からだった。
 この番組では万里紗と紹介された女優が国境ハンターとして、ベルギー・オランダの東西約 400 キロメートルの国境に立てられた 350 本のポールを辿り西から東へ歩いて行った。その途中にバールレ・ナッサウがあり、そこで彼女はいろんな経験をし、いろんな知識を得たという訳である。
 面白い町であるようだ。この町を観光で訪れた人のブログ「飛び地天国」を読んだが、そこには次のように書かれていた。
「小さな町なのに教会が2つある」「役所も2つある」(これは当然のことだろう)、「地面に国境を示す表示がなされ、どちら側がベルギー(B)かオランダ(NL)であるかの表示がなされている」「町のなかで国境線が直角に折れ曲がっている所がある」「国境線上の建物には住所表示が2つあるがそれぞれに国旗が描かれており、どちらの国の住所表示かが分かる」「道を歩くと入国・出国を繰り返すことになる」
 行ってみたいな、この町の地図が欲しいな、と思ったのは私の好奇心が未だ衰えていない証拠か。この人物はブリュッセルからの行き方を書いていたので、メモしてあるが、これに従ってバールレ・ナッサウを訪れることはまずないだろう。
 それよりも、なぜこのような複雑なことになったのか。歴史的な理由がありそうだ。かつて結ばれた条約が関係しているのかもわからない。
 と、このように考えたが、西洋史について基礎的な知識も保有していない私にとってはその理由を調べることは至難の業だろうと諦めた。ただ、国立国会図書館のレファレンス協同データベースを使って一応の検索をした。が、調べ方が適当でなかったのか、答は得られなかった。
(注)この文章を書いた後に「以前はボスニアヘルツェゴビナ経由でないとクロアチア本土から飛び地であるドブロブニクへ行けなかったが、現在では 2022年7 月末に開通した海上を渡るペリェシャツ橋を使って直接ドブロブニクへ行ける」との旅行案内パンフレットの記事を見つけた。

ハウフの童話
小岩昌宏(2023年9月24日)
 戦中戦後に小学生だった私たちの世代は、本に飢えていた。もののない頃で、新しい本の出版は少なく、本屋の店先には粗悪な紙の薄っぺらな本しか並ばない時期が続いた。母親が昔読んだという小学生全集を実家から借りて来てむさぼり読んだ。また友達からも借りあさって読んだものである。そんな1冊だったと思うのだが、奇妙に印象に残る話を読んだ。
 ある国でのこと、医術を学んだことのある男が奇妙な依頼を受ける。「私は外国から妹とこの国へやってきたが、妹は病を得て死んでしまった。国の習慣として、遺体を運ぶことができないなら首を持って帰らねばならない。私には愛しい妹の首は到底切り落とせない。あなたは医学を学んだ方と聞く。どうか切ってください」依頼を受けて、その娘の首を切り落とす時、娘はカッと大きな目を見開く。死んではいなかったのである。その男は殺人犯として逮捕され裁判にかけられる。弁護人の働きで死刑は免れ、左手切断・財産没収の上永久追放となった。
 その本は、表紙どころか目次など最初の数ペ−ジが欠落しており、本の題名・著者名を確かめるすべはなかった。もっとも、小学校3、4年であった私は、欠落がなかったとしてもお話の中味だけに気を取られて、著者が誰かを気にとめることはなかっただろう。それから 20 年ほど経った頃、ふとこの話が気になり出した。はっきりしているのは日本の話ではないことで、どこの国のお話かもわからない。大きな書店の児童用書籍・民話などの書棚の前に立って、各国の童話などを拾い読みして探しつづけた。そんな探索の日々の数年後、苦労の甲斐あってその物語にめぐり合うことが出来た。ドイツの作家ハウフの「隊商」であった。ドイツの友人によると 20 世紀の中ごろまでは「どの家にもハウフ童話の本がある」と言っても過言でないほど、親しまれた存在であったようだ。
  1826 年に出版された「隊商(Die Karavane)」は、砂漠を旅している商人が休憩地で休むごとに交代で語る物語から構成されている。
(1)コウノトリになったカリフの話(2)幽霊船の話(3)切り取られた手の話(4)ファトメの救い出し(5)小さいムクの話(6)偽りの王子のおとぎ話
 この第3話が本稿の冒頭で述べた物語である。そのあらすじを記しておこう。
切り取られた手の話 一あらすじ
 ギリシャ人である私ツァロイコスは、コンスタンチノ一ブル(トルコの首都)で生まれた。父は香水、衣料の店を開いており、私をパリに送り医学を学ばせた。3年後に外科医となって帰ってみると、父は2ヶ月前に亡くなっており、残しておいてくれたはずの巨額の財産もなくなっていた。店を売り払い、香油・ショール・絹を買い入れフランスの各地を回って商売をした。元手を作ってからイタリアへ行った。フイレンチェが気に入り、しばらく滞在した。サン夕・クローチェという町に店を借り、医者と小売商を開いたところ大繁盛だった。開店間もない日の深夜、ボンテ・ヴェツキオ橋の袂まで呼び出された。行ってみると、まっかなマントを着た男が私に頼みがあるという。「妹と二人で遠い国からやってきた。妹が急病で死んでしまった。首を持って帰って祖先の墓に葬らねばならぬ。あなたは医師だから首を切ってほしい」という。男が案内した大きな屋敷の一室の寝台に美しい女が横たわっていた。医者としていつも持っていたメスを取り出して、一気にのどをかき切ったところ、死者はぱっちりと目を開け、次の瞬間目を閉じて本当に死んでしまった。私はこの女を殺してしまったのだ。……
 部屋に残したメスから足がつき、私は逮捕された。私が殺した娘は、結婚式を翌日に控えた総督令嬢ビアンカだった。事情を説明したが誰も信じてくれず死刑が宣告された。しかし、パリ時代の友人が救ってくれた。フイレンチェの古い書物を調べたところ、昔同じような事件があり「その者の左手を切り、財産を没収し、フイレンチェから永久追放した」とあった。そこで私も死一等を減ぜられ、片手を切り落とされて釈放された。
 故郷のコンスタンチノープルへ帰ってみると、立派な家が用意され、店と商品までもが備わっていた。毎年、多額の金も送られてくる。私をひどい目にあわせたあの男の償いのつもりだろう。
 やがて旅を終えて隊商が解散するとき、ツァイコロスに娘の首を切ることを依頼したのは旅の途中から一行に加わった男であったことが判り、その事情が説明される。
ハウフの生涯
 ウイルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff, 以下WHと略記)は 1802年11月29 日、シュツットガルト(ドイツ南西部の都市)に生まれた。7歳のとき父親(内閣秘書官だった)が病死し、母、兄、2人の妹とともに母親の実家で暮らすことになった。母方の祖父はチュービンゲン市の高等法院判事で、膨大な蔵書を持つ文学愛好家であった。WHはその書庫からゲーテ、シラーをはじめイギリスやドイツの長編小説など世界の名作を持ち出して耽読した。WHは12、3歳のころから妹や友達に自分の作った話を聞かせるのを好んだという。
 母親は彼が15歳になったとき、牧師にするつもりで神学校に入れた。これは父のない子が官費で学問を修めることのできる唯一の道であった。そこで自由のない息苦しい日々をすごした後、チュービンゲン大学神学部へ進んだ。この学部の先輩にはヘーゲル、ヘルダーリン、メーリケなどそうそうたる文人、哲人がいたが、WHはこの学問になじむことはできなかった。しかし、神学校での規則正しい生活で体が丈夫になったのを幸い、友人たちと徒歩旅行を楽しむなど学生生活を満喫した。
(写真は、ハウフとその作品“リヒテンシュタイン城”、“小人のムクの話”を描いた切手)
  1824年10 月、学士号を得てヒューゲル男爵家の家庭教師になった。男爵は夫人とともにWHを親切に遇し、創作活動にも理解を示したので、かねてから構想を暖めていた童話を書き進めることができた。創作童話を男爵家の2人の息子に話して聞かせると、聞き手に加わっていた夫人が本として出版することを熱心に勧めた。そのようにして出来上がったのが「隊商」で、「 1826 年のメルヒェン年鑑」として 1825年10 月に刊行され、続いて 27 年度、 28 年度版が出された。これらは後に増補され、「教養ある階級の子女のための御伽噺」としてまとめられた。これらは以下の3篇でいずれも「枠物語(下記注)」の形式で数個の物語から構成されている。
(1)「隊商 (1826)」
(2)「アレッサンドリアの酋長とその奴隷たち (1827)」
(3)「シュペサルトの料理店(1828)」
注: 導入的な物語を「枠」として使うことによって、ばらばらの短編群を繋ぐ物語技法。
  「額縁小説」とも呼ばれる。「千一夜物語」はその典型例である。
  1827年 2月、3年前から婚約していた従妹のルイーゼと結婚し、美しい庭付きの一戸を構え、 24 歳の若さで名声と安定した家庭を手に入れた。前年の旅行で訪れたブレーメンを舞台とした“ぶどう酒綺譚”などの短編を矢継ぎ早に発表した。ところが、急に体の変調をきたして床につき、長女の誕生の1週間後の 1827年11月18 日、享年わずか 25 歳で帰らぬ人となった。
ハウフゆかりの場所を訪ねる
シュトゥトガルト
  1984年5月8 日から約6週間、ヨーロッパの研究機関を訪問した(イタリア、スイス、ドイツ)。ドイツではシュトゥトガルトとミュンヘンに滞在した。シュトゥトガルト市内にはハウフにゆかりの場所がいくつかある。
 市の中心部にある Hoppenjan Friedhof (ホッペンラウ霊園、コンサートホール Liederhalle の近く)にハウフの墓がある。竪琴を模した墓標は文人・詩人の墓に多い。 墓地から南西方向 約2km離れた地点 Hasenbergsteige の小さな公園にハウフの胸像がある。
ハウフの墓 
ハウフの胸像 
フィレンツェ ポンテ・ヴェッキオ
 ところで、「隊商」の第3話“切り取られた手の話”の事件は、ポンテ・ヴェッキオ( Ponte は橋、 Vecchio は古いという意味)での赤いマントを着た男との出会いから始まる。 1993年 9月、イタリアで開かれた国際会議に出かけた機会にフィレンツェに立ち寄ってこの橋を歩いてみた(写真右)。
 アルノ川に架かるこの橋は河川の氾濫などで何度かかけ直されており、現在の橋は 1345 年に再建されたもの。橋の両側には店が並んでおり観光客でにぎわっているので、ぼんやり歩いていると、橋の上にいることに気が付かない。ヨーロッパにはかつて多くあったという家付き橋である。当初は肉屋やなめし革職人の店などがあったそうだが 16 世紀末( 1593 年?)に、フェルディナンド1世が、肉屋などを放逐して金銀細工の店に変えてしまったとか。また家の上に重なるように連なるのは、「ヴァザーリの回廊」と呼ぶ廊下で、北側のヴェッキオ宮からウフィツィ美術館を経て、南側のピッティ宮殿まで続いている。橋の中央部だけは家並みが途切れてちょっとした広場になっており、川の眺望が楽しめる。
 ハウフの話中の人物 ツァロイコスが深夜 12 時にポンテ・ヴェッキオにでかけたときは“人通りは途絶え、月がこうこうと照らす寒い夜であった”という設定であるが、それとはうらはらのにぎやかな雰囲気の場所であった。時代、季節、時間帯が違うせいかもしれない。しかし、“ほとんど生地の周辺を離れたことがなかった”というハウフは、フィレンチェを訪れこの橋に立つ機会もないままに、この物語を書いたのではないだろうか? そんな疑問が心をよぎった。
図書館のメールマガジン
啓(2023年9月20日)
 わが市の市立図書館からは毎月 10 日と 25 日にインターネット経由でメールマガジンが送られてくる。
 記憶は定かではないが、メールマガジン発刊のことを知った時に登録したに違いない。この文章を書いている時点では382号となっている。
 今号の内容は

図書館インフォメーション

本の紹介 <蔵出し一冊>「図書館職員が今までの読書体験の中から紹介する珠玉の1冊」

調べ物手伝います

子どもの本っておもしろい! <よんだーブック>

月間予約ランキング(文芸以外)

休館(室)日のお知らせ
となっている。が、私は基本的には第2項目の「本の紹介」<蔵出し一冊>を見るだけであり、その他の項目は殆どスキップしている。
 今回の<蔵出し一冊>は「はい、チーズ」(カート・ヴォネガット、河出書房新社) だった。その紹介文には
 スナック感覚でさくっと読めてしまう短編集ですが、うがった見方をすると、哲学的問いやテクノロジーへの疑念が浮かび上がってきます。収録作品「耳の中の親友」では、人間の人間らしさ、そしてそれを暴く機械が描かれます。私たちは技術がもたらす利便性の対価に、何を支払っているのでしょう。娯楽として読むも良し、哲学的思索にひたるのも良し。ヴォネガットの作品は二度おいしいのです。(さ)
とあった。
「スナック感覚でさくっと読めてしまう短編集」との表現から(さ)さんは若い女性と推測したが・・・。「娯楽として読むも良し、哲学的思索にひたるのも良し」の文章に触発されて予約した。この時点ではカート・ヴォネガットという作家については何も知らなかった。
 第3項目の「調べ物手伝います」では「玉をはじいて点数を競うゲームの台の作り方を知りたい」という依頼に対し
 ゲームの正式な名称が不明だったため、児童書の本棚で工作をテーマにした本の中身を見ながら探しました。材料は洗濯ばさみ、紙コップなど身近な材料を使っているものから、段ボールを組み立てて、はね車をつけた大作まで、何冊かご提供しました。
とあり、3冊の本のタイトルが表示されていた。たぶん子供の夏休みの宿題のお手伝いだろう。
 第4項目の「子どもの本っておもしろい! <よんだーブック>」では「たいふうのひ(武田美穂、講談社)」が200字弱の短い文章を付して紹介されていた。
 第5項目の「月間予約ランキング(文芸以外)」では、1位から 10 位までランキングを付けて並んでいたが、当然のことながら全て私の知らない著者の本だった。
 事務的な通知や広報もあるが、私はそれなりに工夫を凝らした内容に好感を持っている。

フランダースの犬
啓(2023年9月13日)
  23 年間に亘ってベルギーに関わってきた著者がベルギーとの触れ合いの中で感じたさまざまをエッセイの形で取り纏めた「晴れた日のベルギー」(宮下南緒子、丸善ブックス)はいろいろな切り口でベルギーを描いているが、その本質は「ベルギー気質」を書くことにあるのだろう。短文で読み易いエッセイ集だった。また、各エッセイに添えられた藪野 健氏のスケッチが素晴らしい。
 この本の前書きで著者は小学校の頃に読んだ「フランダースの犬」について触れ、あまりにも悲しい物語の結末に「母親に呼ばれても返事をする声も出なかった。泣きべそ顔の私を見て母はびっくりした」と書いている。
 私もベルギーと聞くと最初に「フランダースの犬」を思い出す。そして語られているネロとパトラッシュの悲しい物語を。老齢になった今でもこの物語を思い出すと自然と目頭が熱くなる。
 ここでは私たち夫婦がこの物語の舞台のホーボーケンを訪れて知った幾つかの話を書く。
 ベルギー・オランダ旅行中の一日、アントワープにあるノートルダム大聖堂を訪れ、ネロ少年がどうしても見たかった、そして死の直前に見た、ルーベンスの祭壇画を彼らの悲しい物語を思い出しながら見た後にホテルに入ったのだが、その時にそのホテルの所在地がホーボーケンであることを知った。
 その地名を聞いた妻は「ネロとパトラッシュの村に近いのに違いない」と言い、夕食までの3時間30分を利用して二人で訪れることとした。ガイドブックには「アントワープからトラム4番に乗り、トラムの終点のカペル通りで降りると、ホーボーケン村の観光案内所があり、その建物の前には少年ネロとパトラッシュの像が建っている云々」と書いてある。
 この案内を信じ、そしてトラムの乗客の若い男女の助けを得て目的地に着いた。そこにはネロとパトラッシュの銅像があった。銅像のパトラッシュはちょっと私のイメージとは違うなあ、と思いながら写真を撮った。
 その後、案内所で幾つかのパンフレットと地図を貰い、「ネロとパトラッシュの散歩道」という小冊子を買い、ネロとパトラッシュが葬られたとされるかつて墓地だった教会の裏庭や小学校兼幼稚園の庭に再建された五分の一の小さな風車を訪れた。
 この時に手に入れたオランダ語、英語、日本語の3ヶ国語で書かれた“Nello Patrasche”には「フランダースの犬」に纏わる興味深い話が書いてある。
 それによるとアントワープやホーボーケンでは「フランダースの犬」の物語を知る人はいなかった。しかし、アントワープを訪れる多くの日本人観光客から「フランダースの犬」について尋ねられることに疑問を抱いたアントワープ観光局の職員がその原因を調査し、英国の作家ウィーダが書いた日本で大変人気のある子供向けの本が原因であることを突き止めた。物語はノートルダム大聖堂から5キロメートル離れた赤い風車のある村を舞台にしていることから、その村がホーボーケンであることが確認された。そこでそこにネロとパトラッシュの像を作る計画が立てられた。その除幕式(1985年)には駐ベルギー日本大使やアントワープ市長が出席した。それまでは「フランダースの犬」についてホーボーケンでは知る人もいなかったのに。
 名所はこのようにして作られるという典型的な話だが、「フランダースの犬」の物語が大好きな人たちにとってはこれでいいのだ、と思う。現に私たちは「今私たちが乗っているトラムが通る道をかつてネロとパトラッシュが重いミルク缶を積んだ荷車を引いて通ったのだろう」と思い、彼らの銅像の写真や風車の写真を撮ったのだから。
 そして、銅像の写真を撮るだけが目的の日本人観光客を乗せたバスも現れたのだから。

バーミヤンの石仏
啓(2023年9月6日)
 大学写真部の後輩が「バーミヤン残影」とのタイトルの自らの写真を集めた写真集を贈ってくれた。彼は私より数歳若く現役時代の写真部活動での直接の接点はなかったが、最近に至り何回かのメールの遣り取りがあった。
 彼は大学4回生の頃にバーミヤンに行きたいと思ったそうだ。1年遅れて卒業し新聞社に入社、その後ニューデリー支局に赴任、最初にタリバンの取材をしようとしたという。
 送られてきた写真集には 1995 年から 2003 年にかけてのバーミヤン仏教遺跡とこれに関連する写真が収められていた。
  1997 年の写真には破壊される前の高さ 55 mの西大仏とその前を頭に荷物を載せ、歩いている地元の女性数名が写っている。 2001 年の写真には無残に破壊された西大仏とその前に集まっている 10 名強のタリバン兵士が写っている。このときに同時に撮られた写真の中に「悪は消えた」という落書きがある岩もあった。
 写真集の最後の写真は破壊された東大仏(38m)とその前をロバに乗った老人がゆっくり進んでゆく 2001 年に撮影された写真だった。その写真には「破壊の生々しい傷跡は麦畑や並木の緑の中に溶け込んでしまって、古代から変わらぬシルクロードののどかな雰囲気がある」とのコメントが書かれていた。
 写真集の最後のこの写真を見た私の感想、想いに対して彼は「私もそのように思い、この写真を載せました」との返事をくれた。
 話は変わる。
 図書館で句集や短歌集の棚を眺めていた時、「皇后美智子さまのうた」(朝日新聞出版、安野光雅)が目についた。何気なく手に取ったが、そこには皇后美智子さまのうたとそれに関する安野さんの文章さらには極めて上品に描かれた植物の水彩画が添えられていた。
 この本に収められた最初の短歌はアフガニスタンに関するもので、
  果の地の白砂のさ中空の青落ちしがに光る湖ありき
  知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在さず
  バーミアンの月ほのあかく石仏は御貌削がれて立ち給ひけり
だった。
 安野さんは第二、第三の御歌に関して「わたくしも写真その他で、顔を撃たれた御仏を見たことがある。戦う相手が大切におもうらしい文化の核心に弾を撃ち込んでも、撃つ方は痛みを感じないというところが、相手の国の旗を焼くなどの意思表示と似ているような気がする。一説には偶像崇拝を禁じている宗教を持つものが、仏像を見た場合の反応だとも聞くが、たしかなことはわからない。文化の違う所に立つ自分自身をかえりみて、何もできなかった自分もまた「知らずして」(相対的に)弾を撃つ立場にいたのではないか、と哀しまれるおもいは、痛切である」と書く。

名画の盗難
啓(2023年8月30日)
 フィクション、ノンフィクションを含めていろんな物語を読んでいるとそこに名画の盗難事件が出てくることがある。そのたびに私は「犯人の目的は何だろう」と思ってしまう。名画を盗んだとしてもそれを美術品市場では売れない。換金することはできない。秘密裡に愛好家に売ったとしても購入者は他人にその名画を見せて自らの蒐集品を自慢することもできない。せいぜい地下の蒐集品保管室でワインを飲みながら眺めてひとりで優越感を抱くだけである。自分一人が楽しむためだけに極めて危険な盗難名画を買うとは思えない。
 このようなことを考えていたら、ロンドンのケンウッドハウスからフェルメールの「ギターを弾く女」を盗んだ犯人は、 IRA のテロリストであるブライス姉妹を北アイルランドに移送することを要求したことを思い出した。盗難品を政府恐喝の道具として利用したのだ。
 その他、盗難事件の被害者である美術館が提供するであろう報奨金を目当ての泥棒もいそうだ。また、犯人が保険会社と取引して保険会社に安く盗難品を売る場合もあるかも知れない。何となれば保険会社としては盗難保険金を全額支払うよりも、犯人から内密に安く絵を買い戻した方が経済的に有利であると考えても不思議ではないのだから。
 私が知っている美術品盗難事件は海外のものが多いが、日本でも美術品泥棒は発生している。1968年の京都国立近代美術館からのロートレックの「マルセル」の盗難事件は何かで読んで知っていたが、1990年晴海のアート・エキスポ会場からアンディ・ウォーホルの版画、1994年の新潟のコレクター宅からルノワールやピカソなどが盗まれたことは知らなかった。
 朽木ゆり子さんの「盗まれたフェルメール」(新潮選書)は何度も盗まれているフェルメール作品の盗難事件のみならず、有名絵画の盗難事件についてその発生から解決に至る道筋を新聞記事の記述を中心に関連資料も参考に再構成している。
 特に史上最大の美術品泥棒とされる1990年に発生したボストンのガードナー美術館事件については1章を設けて各種の大量の資料を基に臨場感を持って詳細に描いている。仮説として日本人犯行説もあったそうだが、バブル期に日本人が英米のオークションで盛んに絵を買っていたことに対する反感に端を発していたのかも知れない。
 多めに見て全世界に 37 点しか存在しない、私の大好きなフェルメールの作品は何度も盗難の憂き目にあっている。
 1971年9月には「恋文」(アムステルダム国立美術館)、1974年2月には「ギターを弾く女」(イギリス・ケンウッドハウス)、同年4月には「手紙を書く女と召使」(アイルランド・ナショナルギャラリー)、1990年3月には「合奏」(ボストン・ガードナー美術館)が盗まれている。「合奏」は未だに見付かっていない。また「手紙を書く女と召使」は1986年にも盗まれている。フェルメールの作品は、合計 5 度の盗難事件の被害者(?)となっている。
 朽木さんは「世界中には名画と言われる作品が山のようにあることを考えれば、現存点数の少ないフェルメールの絵が、政治的絵画窃盗事件の半分以上を占めているという事実は非常に興味深い。フェルメールが『人質』になり得たのは、まさに彼の絵が値段を付けることが不可能なほど貴重である、と考えられていたからではないだろうか」と書いている。
 なお、各国で発生した盗難美術品についてはそのデータがロンドン・ニューヨーク・デュッセルドルフに本拠を置くアート・ロス・レジスターに届けられる。ここのデータ・ベースには2000年現在で約 10 万件の盗難品情報が入っているそうだ。現時点ではもっと増えていることだろう。

将棋とAI
啓(2023年8月23日)
 私は将棋については駒の動きを理解している程度の人間であるが、棋士が将棋を離れて書いた本は何冊かを保有している。さらにこれらの人のインタビューでの発言などの幾つかは記憶している。
 将棋の羽生善治氏は囲碁の井山裕太氏と共に国民栄誉賞を授与された人物であるが、この際の新聞社のインタビューに答えて将棋とAIについて発言しており、私は彼の発言を面白く読んだ。
 IBM社のホームページでは、人工知能(AI)について「人工知能とは、コンピューターや機械を利用して、人間の問題解決能力と意思決定能力を模倣するものです」とあった。
 正しいかどうかは知らないが、いま漠然と私の頭にあるのは「AIとは人間の知能に近い判断をするものなのだろう、人間の脳が行っている知的な作業を模倣したコンピューターのソフトウェアやシステムのことなのだろう、人間のように論理的な推論を行ったり、経験から学習したりするコンピュータプログラムなどのことをいうのだろう」というものである。
 羽生氏は「ここ数年、人工知能(AI)が強くなって、将棋も囲碁もプロ棋士の在り方が問われています」と言う記者の質問(この質問自体も何を聞きたいのかはっきりしない愚問であるが)に答えて「AIは何かの競争をしたり、生活をより便利にしたり、という目的で使われがちですが、人間の才能や能力を伸ばすツールとして使うこともあり得ます。囲碁・将棋の世界でそれが実践できれば、AI時代での伝統的な世界の在り方を示すことができる、と思います。ソフトが強くなるのと比例して棋士も強くなれば、ですね」と答えている。
 私は、彼の答の中にあった「人間の才能や能力を伸ばすツールとしてAIを使う」という発想に目を開かされた。「人間の判断をAIに任せる」「人間の判断がAIに取って代わられる」との考えをよく聞くが「あくまで人間が主体でAIは人間の才能や能力を伸ばすツールである」との考え方は科学というものを正しく捉えているのではないだろうか。
 この話から唐突に将棋の故大山康晴氏がかつて新聞のインタビューに答えた言葉を思い出した。
 それは「かつては一つひとつ丁寧に筋を読んで次の一手を考えたが、今は何手か先のあるべき局面を頭に浮かべ、それに最も近い手を打つ」というものだった。
 この大山名人の思考とAIの思考とは同じなのだろうか、それとも異なったアプローチなのだろうか。また、現在のAIは大山名人の思考をどう考えるのだろうか。AIが教えるあるいは評価する次の一手は大山名人の次の一手と同じように考えて決定されているのだろうか。
 AIについても将棋についても、何も知らない全くの素人の愚問である。
 ここまで書いた後、書庫に眠っている将棋の米長邦雄さんの書物のうち勝負について書かれた何冊かをAIを意識して卒読したが、私の読み方が不十分だったのか、勝負における人間の脳の働きについて言及されている文章を見つけることはできなかった。
 ただ、囲碁の藤沢秀行さんとの対談本「勝負の極北」(クレスト社)の中に米長さんの次のような発言を見つけた。
「詰むや詰まざるや」は江戸時代に作られた問題集です。……私は昔、プロを目指す若い人たちに「これを全部解き終えたら四段になれる」と言ったんです。……私自身も、第一問目の69手詰めを解くのに、毎日6時間くらい考えて一週間かかりました。……実戦にはまず出ないような、きわめて複雑な詰将棋を、必死で解くことに意味があるんです。つまり、集中力と根気を養う、頭脳を鍛える。……そのひとつひとつの苦労が、血となり骨となります。
……羽生はそれを十代で気付いたんです。「先生、あれには大変な意味が隠されてますね。毎日毎日将棋を考えているということが大事で、その情熱を失わないことが大事なんですね」と、あるとき私に言ったんです。
 なんとなく羽生善治氏の“脳の見方”を知ったように思った。インタビューでの羽生氏の意見と十代の羽生氏の米長氏に対する答えとは同じように見えるのだが。
 なお、近時大活躍をしている、私もファンの一人である藤井聡太七冠は将棋の研究に際しコンピューターを積極的に活用していると報じられている。彼のAI観はどのようなものか気になるが、このことに関する彼の発言を報じた新聞記事や書物は知らないので、残念ながらここに書くことはできなかった。が、何となく羽生氏と同じように「AIは人間の才能や能力を伸ばすツール」と位置付けているように思っている。
(追記)
 この文章を書いてから数ヶ月経った頃、あるところで巷間「AI越え」と称されている一手についての藤井さんの次の言葉が引用されているのを見付けた。原典は何だかは知らないし、正しく引用されているか否かも知らないが、何となく納得のできる言葉であると思った。
「一言で説明するのは難しいですけど、人間であれば条件を整理し、条件に沿った手を考えていきます。その中で導き出した手でした。現状、ソフトが大変強いことは言うまでもないことですけど、部分的には人間の方が深く読める局面もあると個人的には考えていたので、それが現れたのかなと思います」

「スマホ断食」
啓(2023年8月16日)
  2022年11月26 日付の読売新聞夕刊の「いま風」欄に黒井千次氏が「電車スマホ『7分の1』の謎」と題して
電車の七人掛けの横に長いシートに座って前を見ると……なぜか七人のうち六人は機器を操作しているのに、一人だけ機器をいじっていない。……全員電子機器をいじっているケースにぶつかったことがなく、いつでも一人だけ他の六人と違う人がいる。
と自らの観察結果を書いている。
 私も同じことを思っていたのでこの 90 歳の文化功労者でもある小説家の観察結果を面白く読んだ。ただ、私は車内の目の届く範囲でのスマートフォン操作人数の割合を計算し「8割強9割弱の人がこの新しく開発された電子機器をいじっているのだなあ、本を読んでいる人はほとんどいないなあ」と思っていたのだが、同じことを書いても、この老小説家の書き振りはさすがに上手く記憶に残る表現である。
 黒井氏の七分の六、私の8割強の人の中には巷間いうところの「スマホ依存症」あるいはその予備軍がいるのかも分からない。ちょっとスマートフォンの利用に関する諸々について最近の状況を勉強しようと思い、当市の図書館のメールマガジンで紹介されていた「スマホ断食」(藤原智美、潮出版社)を借出した。
 私自身はスマートフォンを使い出して未だ2年経っていない。そして利用時間は平均して日に 30 分を超えることはない。利用範囲はニュースの概要を知ったり日常の疑問点を解決したりするための検索がほとんどで、これに加えてときどきのラインによる連絡と写真撮影だけである。客観的に見て「スマホ依存症」にはほど遠い位置にいる。
 もっともこの状態は「スマートフォンの使い方を知らない」ため「スマートフォンを使いこなしていない」結果であろう。またラインで連絡を取り合うような交友関係が少ないことも関係がありそうだ。
 借り出した「スマホ断食」は書名から予想されるようないわゆるハウツウ本ではなく、スマートフォン利用に関する諸々の社会現象とその拠って立つところを非常に広範囲な情報をもとに書かれている社会科学の本だった。幾つかのハウツウも書かれていたが、少なくとも私は社会科学の本と思って読んだ。
 引用されている事実や文献は極めて網羅的であり、読み捨てるにはもったいない一冊である。これだけの内容を新書版200頁強に纏められたのは元芥川賞選考委員の力量だと感じた。
 これはこれで素晴らしい一冊だと思ったが、もう少し丁寧な分析を付し参考文献を網羅した大部の書籍にするか、論点を整理し結論だけを分かり易く述べるハウツウ本の方向に向かうかいずれかにした方がよいのでは、と生意気にも感じた。
 副題には「コロナ禍のネットの功罪」とあるが、コロナ禍があぶり出したことは否定できないが、書かれている内容はネット自体に内在しているものだろう。
 興味深く読み終えたが、印象に残ったあるいは気になった幾つかの言葉を記録した。

現代の私たちは一人だけの独立した時間を失いつつある。ちょっとぼんやりしよう。

私という存在が「リアルな私」から「(個人情報を纏めた)デジタルな私」へと入れ替わってゆく。

無神経で軽率な言葉であふれた世界。ネット上に存在する情報の多くには実名がない。

世代が若くなるほど、コピペも無断引用も悪くないばかりか、賢い情報活用であるという意識が強くなっている。(私は知的所有権を侵害するとんでもない考え、行為だと呆れているが)

若い世代になればなるほど、紙に記された言葉よりも、ネット上の言葉を信用してしまう。

紙の本が思考を鍛える。手書きが脳を活性化させる。(「そのとおり」と思いながらも、この文章はパソコンに入力している)

書き言葉がストック、ネット言葉がフロー。書き言葉が「私」の中に掘られた井戸に溜まっていくとすれば、ネット言葉は「皆」の間を川のように流れてゆく。三日もすれば忘れ去られる。(と言うものの知らないところで何時までも残るのでは?)

「文豪たちの西洋美術」
啓(2023年8月9日)
 図書館の新着本案内を見ていたら「文豪たちの西洋美術」(谷川 渥、河出書房新社)が目に留まった。小説の中に現れる西洋美術を論じた本だろう、どのような西洋美術が誰の小説にどのようなシチュエーションでどのように描かれているのかについての本だろう、と単純に思った。
 そして同時にこの本に関連するような二つの話を思い出した。
 その第一は、夏目漱石の「坊っちゃん」のなかの「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」や「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」だった。
 その第二は、 YouTube 番組「山田五郎オトナの教養講座」中の又吉直樹との対談だった。
 そこでは又吉氏は、太宰治語録(小野才次郎)の中に書かれている「岩陰に隠れて笛を吹いている化物みたいなのがいるだろう。表では人魚が、笛を聴いている。芸術家はこのもののように陰にいて他を楽しませればよい。人前に姿を現さないものなんだよ」から、太宰がいうところの絵を特定したと言い、山田氏がそれに対し意見を述べ、最後にはアルノルド・ベックリンの絵の幾つかを題材に話が進んでいった。
 この対談で山田・又吉両氏は太宰の残した文章から太宰がベックリンのどの絵のことを言っているのかを、楽しく推理していた。
 話は元に戻るが、借出した本を読んでみると、著者はまえがきで「作家たちはその作品、つまり小説や詩のなかで、西洋の美術作品にどのように言及し、それを文学的契機としてどのように用いているか、そしてそこにどんな象徴的意味を込めようとしているのか、そうしたことを……作家たちの作品のうちに概観してみたい……」と書いている。
 私が単純に思った小説の中に現れる西洋美術を論ずるものではなかった。
 例えば、著者は梶井基次郎の項で「梶井の作品の全体からうかがわれるのは、なんといってもオランダのレンブラントとの親近性である。……『城のある町にて』の中で……『時どき烟を吐く煙突があって田野はその辺りから展けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。黒い木立、百姓家、街道、そして青田のなかに堆砂の煉瓦の煙突……ササササと日が翳る。風景の顔色が見る見る変わってゆく』……肺結核に冒されて三十二歳でみまかることになる作家にとって、それらはいずれも『死の影』にほかならなかったのである」と書く。
 最初に取り上げられている夏目漱石の項では、私の期待に反して「草枕」の中のジョン・エヴァレット・ミレーのオフィーリアと「永日小品」で言及されているレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザだった。
 いずれも私のよく知っている泰西名画であるが、漱石の文章の中に現れているのは覚えていない。
 選ばれている文豪の文章から読むのではなく、文豪によって選ばれた私の知っている絵からこの本を眺めたのだが、エドゥアール・マネの「ナナ」を森鴎外、ギュスターヴ・モローの「出現」を木下杢太郎、ラファエロ・サンティの「システィーナの聖母」を堀辰雄、アルブレヒト・デューラーの銅版画「騎士と死と悪魔」を中村草田男、ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」を野間宏、ポール・セザンヌの「エスタックの岩」を川端康成、がそれぞれその作中で言及している。
 また、山田・又吉両氏が話題としたベックリンの絵については夢野久作が「死神のいる自画像」、渡辺啓助が「死の島」で言及しているとされているが、残念ながら私は両作家の作品を読んだことはない。
 著者紹介に美学者とあるこの本の著者はあとがきで「日本近代文学史と西洋美術史の特異な交錯をお楽しみいただけただろうか。……日本がいかに駆け足で西洋的なものを摂取し、あるいはそれと対峙してきたかを、改めて知らされる思いである」と書いている。
 新しい切り口で日本の小説や詩と泰西名画の関わり合いを述べている100頁強のこの本を、小雨降る午後に、のんびりと紅茶片手に楽しんだことである。
 ただ、いずれも絵画のスペースを含めて2頁弱の論考だったので、ちょっと掘り下げが少ない、もう少し丁寧に論を進めて欲しい、と思ったのは事実である。

「知的生活」
啓(2023年8月2日)
 かつて「知的○○」や「○○の品格」というタイトルの書籍が数多く発行され、よく読まれた。私も「知的生活の方法」「続・知的生活の方法」(いずれも渡部昇一、講談社現代新書)や「国家の品格」(藤原正彦、新潮新書)からは多くの示唆を得た。
 ここで取り上げた P,G ハマトンの「知的生活」(講談社)は原題を The Intellectual Life といい、英語のタイトルをそのまま素直に日本語に訳したものである。手元にあるのは 1979 年発行の第2刷であり、あとがきで訳者の一人である渡部氏は自らと The Intellectual Life との関わりやハマトンの生涯について詳しく書いている。
 この本には、この本を紹介する「小さな活字の赤茶けた4× 6.5 p大の新聞記事切り抜き」が挟まっていた。いつの記事かはメモされていないが、一部に私が赤のボールペンでサイドラインを引いている。そこには、次のようなことが書かれていた。
 知的生活を目指す人にとって最も重要な問題の一つは、「時間の節約」である。それには、何かを学んだり、行ったりする時は「必ず完全にモノにするのだ」という強い気持ちをもって臨むことが必要だ。そして、もしどうにもならない限界がみえた時は、いさぎよくそれを認めることだ。
 小さな活字で組まれた菊版418頁の本を再読することは諦め、6頁に亘り細かく書かれた目次を眺め、何十年か前に私が栞を挟んだ「肉体の運動を怠った学生へ」の項と「将来の職業をまだ決めていない有能な教養のある紳士へ」の項とその他の幾つかを再読した。
 いわゆるハウツウ本とは異なり、実在する人物を念頭に置き、淡々と書かれたこの本には空疎な議論はないように思われる。また、訳者は「その文章は全て切実な実体験を踏まえている」と書いているが、内容から判断しその通りだろうと思ったことである。
 訳文がこなれているのには改めて感心した。
 この本のほんの一部(これは洒落ではない)を再読しながらかつて読み覚えているある文章を思い出した。そこには「歳を取ってからも読書を続けようと思うなら、文庫本ではなく装丁のしっかりした本を集める必要がある。歳を取ってからでは文庫本などは読めたものではない」という趣旨が書かれていた。もっともだと思いながら、そのような本を集めたのだが、活字の大きさにまで思いが至らなかったのは、少し残念である。

改装なった図書館とそこでの立ち読み
啓(2023年7月26日)
 最近では「立ち読み」などという言葉は、私にとって遠い存在になっている。品揃え豊富な町の書店の減少の結果立ち読みの機会が減ったこともあるが、視力の悪化がその主因であろうと思っている。ところがつい最近、改装なった図書館で、立ち読みを経験した。
 書店での立ち読みは不思議ではないが、図書館での立ち読みはよく考えるとその理由はない。わざわざ立ち読みしなくても借出せばいい。なぜ、図書館で立ち読みしたのかは不思議である。
 以下にその経緯を書き記す。
 諸橋轍次の大漢和辞典でちょっと調べたいこともあり、改装なった市立中央図書館本館へ行った。かなり前に1年以上かかった耐震・改装工事が終わったことは知っていたが、分館で用は足りていたので特に行くことはなかった。
 我が家からは駅前ビル5階にある図書館分館のほうが少し近いし、周囲に銀行、医院や家電量販店さらには 100 円ショップもあり、序に幾つかの用事も同時に済ませることができる。図書館の予約本も全てこの分館で受け取ることができるように設定している。
 中央図書館本館へは氏神様の参道を上り、途中で左に折れ、氏神様の裏山に造られた公園を突っ切っても行けるが、近道となる新設大学の構内を通り抜けることが多い。「大学構内にある通路を通り抜けること自体は多くの大学にあっては大学当局も認めている」「妙心寺の境内も近所の人々は日常的に通り抜けている」ということを思い、疾しさを少し慰めながら……。
 改装に伴い書棚の配置にも少し変更が見られたが、全体としての印象はそれほど変わってはいない。奇をてらったような書籍・書棚の配置もない。極めてオーソドックスな配置状況である。
 新型コロナウイルス対応の結果か、かつての大きな机を囲み数多くの椅子が置かれていた状況とは異なり、読書用スペースは一人ひとりに区切られている。ここに座って書籍や新聞を読んでいる人物の平均年齢はかなり高い。一方、児童室は子供を連れた若いお母さんで賑わっていた。この風景は私がいつも行く分館と同じである。
 言い古された言葉ではあるが、図書館利用者の二極化という現実は変わらない、と書きつつ、多くの勤め人が訪れることができる夜の時間帯に図書館を訪れたこともないので、ひょっとしたらこれらの時間帯には多くの勤め人が帰宅途中に訪れているかもしれない、と希望的なことも考えた。
 調べたいことは直ぐに解決したが、折角来たのだから何か借りて帰ろうと「あいうえお順」に並べられたエッセイの棚を眺めた。ここからが立ち読みの話になる。
 今回も青木玉、赤瀬川原平、阿川佐和子ときて阿川弘之で目が止まった。約 25 年前に文藝春秋に書かれた文章を集めた「葭の髄から」(文藝春秋)である。
 ぺらぺらと頁をめくっていると「転倒事故始末記」というタイトルが現れたので、6頁ほどのその内容を立ち読みした。このようなタイトルやその内容が気になるのは、私が常日頃から不注意で転倒することを気にしているからに違いない。
 ここには「阿川さんが休養先のハワイで、親しくしている店舗へ雨の中、文藝春秋社からのファックスを取りに行き、店先の濡れた敷石道で転倒し10分間意識を失っていたこと」が書かれている。
 日本人ドクターの診察は「頭部裂傷、左鎖骨骨折、全治六週間」だった。医師は阿川さんに「あまり軽々しく考えてはいけない」と言い、幾つかの注意をした。
 ここからが、私が関心を持った記述である。ハワイに住んでいる日系アメリカ人が異口同音に言ったのは「スー(sue)するつもりか」「スーしなくてもいいのか」「スーをしないで日本に帰ってしまうんですか」だった。阿川さんとしては「自分がそそつかしくて転んで、ファックス取次役にとんだ迷惑をかけた。その上いろいろと配慮してくれた。ご親切ほんとにありがとう」の気持ちだった。
 家族を始め周囲の日本人の反応は「大難が小難ですんでよかった」だったが、長男(ニューヨーク州とワシントン DC の弁護士資格を有し、当時アメリカで活躍していた直之氏のことだろう)だけは違った、とし11行を使ってこのような事件でのアメリカ人の行動と阿川さんが今後とるべき対応についての直之氏の意見が書かれていた。私も家族が同じような目にあったら直之氏と同じようなことを言うだろう、と思いつつ読んだことである。
 最後にこの事件を契機とした阿川さんの日米を比較しての感想が9行に亘って書かれており、その中には「あのフランクで明るくて親切なアメリカの人たちが、自分の利害得失の絡む問題となれば、直ちに弁護士を立ててスーすることを考える。云々」との文章があるが、これにも同意する。
 以上、改装なった市立中央図書館本館とそこでの立ち読みについて書いた次第。

パロディあるいはパスティーシュ
啓(2023年7月19日)
 書庫を整理していて「シャーロック・ホームズの秘密ファイル」(ジューン・トムスン著、押田由紀訳、創元推理文庫)と「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」(故 J.H. ワトスン博士著、ニコラス・メイヤー編、田中融二訳、扶桑社ミステリー)を見つけた。何故にこの2冊が残されているのか、不思議に思った。
 ずっと以前に、手許にあったコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物は全て孫に渡したこと、そのパロディあるいはパスティーシュは全て友人に渡したことを記憶している。
 友人に渡したことについてはある研究会終了後の雑談が関係している。友人が病床にある彼の友にその無聊を慰めるために自分の持っているコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を全て送ったと話したので、それなら私は手許にあるそのパロディあるいはパスティーシュの全てを読んでもらおうと言い、後日友人に託した。「処分するつもりの本だから、気にしないで」と言い添えて。
 その際、この2冊が漏れていたのだろう。
 辞書によるとパロディ(英 parody )とは「他者によって創作された文学や音楽、美術、演説などを模倣した作品、あるいは作り替える行為そのものを指す」とあり、パスティーシュ(仏 pastiche )とは「作風の模倣のこと。音楽・美術・文学などにおいて、先行する作品の要素を模倣したり、寄せ集め、混成すること」とある。私は多くの場合パロディと言う言葉を使っていたが、両者は同じような意味なのだろう。
 私は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物が大好きで延原 謙さんの翻訳で何度も読み、そこに現れるホームズの言葉を暗記しているほどである。
 あるとき、ホームズ物のパロディというかパスティーシュが何冊か発行されているということを知り、購入を始めた。
 最初に買ったのはコナン・ドイルの実子と有名推理小説家の共著になる「シャーロック・ホームズの功績」だったと記憶しているが、その後は目に付いたつど、買っていた。それがかなりの量になっていた。
 現在なら、インターネットの検索画面に「シャーロック・ホームズ パロディ」とでも打ち込めば、そこから芋ずる式にかなりの情報が得られるだろうが、当時はそのような便利な方法はなかった。書店に顔を出すつど、関係のありそうな棚を眺めたのだろう。
 この文章を書くに当たり改めてグーグル先生が教えてくれたパロディ、パスティーシュ全作品(だろう)の表紙の画像を眺めたが、日本人推理作家によるものを除きほとんどの本は手に入れ、読んでいたことを知った。
 
 私がこれらの本を手に入れた頃には、未だ現在の超大型書店は存在していなかったが、当時の一般的な町の書店であっても品揃えはそこそこ素晴らしかったのだろう。
 現在では町の書店の存続に対するささやかな協力の意味もあり、新刊書を買おうとするときには未だ健在である駅の反対側にある書店に出向いている。が、結果的には何度も空振りを経験し、結局はアマゾンで購入することが多い。
 書庫に残された2冊のシャーロック・ホームズのパロディあるいはパスティーシュから一つの思い出とそれに関連して現在の普通の町にある一般書店の品揃えについての拙文を書いた。

紙の本と電子書籍
啓(2023年7月12日)
 私は現時点で電子書籍は一冊も保有していないし、また死ぬまで保有することはないだろうと予想している。
 とは言いながら、今でも読書用メガネを使用しても(さらにはハズキルーペを使っても)本を読むのに苦労していることを考えた場合、字体を大きくすることが可能な電子書籍に移行する可能性もある。まあ、そのような状態になっても読書に興味を抱いて居ればの話だが。
 私が現時点で電子書籍を忌避している理由を考えると、紙の本については装丁や大きさを含め一冊ずつの外形が異なっている、活字の大きさも異なり版の組み方も違っている、紙質も違っていると言った理由により一冊一冊がそれぞれの顔を持っていることにある。
 その結果、その本全体から醸し出される諸々が、内容だけでなくその本を買った経緯やそれに纏わるいろいろの思い出を視覚的に私に与えてくれる。
 このようなことを考えているのだが、つい先日紙の本と電子書籍について触れている文章に出会った。そこでそこに書かれている意見や WEB で知ったジャーナリスト・評論家の佐々木俊尚氏の見解も参考に頭の整理として、紙の本と電子書籍について以下のように纏めてみた。
 電子書籍というものについて私は詳しいことは理解できていないが「単なるデジタルデータ」ではないだろうか。そしてそのデータはとても小さく「漫画のような画像中心の電子書籍データでもせいぜい 100 メガバイトぐらい、ふつうの長さの小説だと 10 メガバイトぐらいしかない」そうだ。
 ちなみに私が撮る写真1枚は6メガバイト前後である。素人考えだが、ビッグデータの席捲する現代においては、この電子書籍1冊のデータ量は殆ど無視できる程度の大きさなのだろう。
 このことは電子書籍には絶版ということがなく、永遠に残ることになり、いつでも直ちに必要な書籍を入手できるということになる。出版社を経営している友人によると「紙の本だと印刷し保管するのにコストがかかるから、刊行から年月が経って売れなくなった本は絶版にする」という。
 真偽のほどは知らないが、一般的に「世界にはこれまで数百億冊の本が作られたが、そのうちいまも市場で流通しているのはわずか 10 パーセントしかない」と言われているそうだ。
 一方で、電子書籍でも「電子書籍のストアが閉鎖されたり、ストア側の一方的な都合で絶版されたりしてしまえば、端末の電子書籍リーダーで読めなくなってしまうという問題もある」と指摘されている。このようなリスクは紙の書籍の絶版と比べてどれほどの大きさなのだろう?
 電子書籍の利点として「文章を検索できるということがあります。紙の本ではこれはできませんでした。シェイクスピアの文学の中には『愛』という言葉がどれだけ出現するだろう?というようなテーマは、それを調べるだけで昔はひとつの研究として成り立ったと思いますが、今だったらキンドルの検索機能で一瞬にして調べられてしまいます」と書かれた文章がある。
 この話は私が高校3年生の夏休みに「平家物語では『こころ』という言葉がどのような折にどのような意味で使われているか」を調べたことを思い出した。私の調査には数多くの脱漏があっただろうことは想像に難くないが、電子書籍では 100 %捕捉できるだろう。
 電子書籍の更なる利点として「他の書籍やウェブページにリンクを張れるということがあります。書籍の『知』がいったいどこからどこにつながっているのかを、マウスのクリックだけでたどることができるのです。これは情報の体系化にはとても便利だといえるでしょう。紙の本では、巻末の参考文献リストなどで手探りでたどらなければなりませんでした」とある。
 この意見には全面的に同意するが、あまりにも簡単に数多くの関係情報を知り、関連する知識を得ることのマイナスはないのだろうか。情報は多ければ多いほど良い、というものでもあるまい。自らの灰色の脳細胞に汗をかかせていろいろと調べ、その結果を比較考量し、結論を導くという地道な努力をすることによるプラスはきっとあるに違いない。
「メリット・デメリットを考えて、参考書は紙の本、漫画や小説は電子書籍、などといったように紙の本と電子書籍を併用して利用するのが、最も賢い本の読み方なのかもしれません」「大事にとっておきたい本は紙の書籍、一度読んだらもう読まないといった本は電子書籍、など自分なりに分類して両方をうまく使い分けすることが、最も快適に本を楽しむ方法です」などと書かれているが、まあ「こんなところだろう」というのが自らを棚に上げての現時点での第三者的な私の意見である。

オードリー・ヘップバーンが愛した詩
啓(2023年7月5日)
 スクラップと言うほどのものではないが、新聞、雑誌その他諸々の印刷物に書かれたちょっと気になる記事は、該当頁をそのままビリビリと破いたり、該当記事を切り抜いたりして時系列に一定の場所に保管している。体系だった整理は一切していない。時々見直してその時点で不要と思ったものは処分しているため増加の一方ということにはなっていない。
 この「スクラップもどき」を眺めていた時に、クリアファイルに挟まれた二枚の紙が目にとまった。一枚目は 2013 年の日付のある私が勤務していた会社の OB 会からの連絡文書で、その末尾に「余白を利用してちょっとご紹介」として、一つの詩が印刷されていた。この詩を、私は赤いボールペンで大きく囲んでいた。
 もう一枚は、そこに書かれていた詩の原文だった。多分インターネットを使って検索し見付け出したのだろう。
 それはオードリー・ヘップバーンが愛した詩と言われているものだった。 10 数行の詩だが以下に最初の数行を原文とともに引用する。
 魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
 愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
 スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
 豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
 美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
 For attractive lips, speak words of kindness.
 For lovely eyes, seek out the good in people.
 For a slim figure, share your food with the hungry.
 For beautiful hair, let a child run his figures through it once a day.
 For poise, walk with the knowledge you’ll never walk alone.
 この詩について OB 会連絡文書は「オードリー・ヘップバーン遺言より」とし、私がかつて検索した文書では「オードリー・ヘップバーンが亡くなる年の最後のクリスマス・イブに、2人の息子に読み聞かせた」とある。
 どのような人物がこの詩を作ったのか、そしてそれはどの詩集に掲載されているのか、少し気になった。
 以下はちょっと調べた結果である。
 作者とこの詩については「サム・レヴェンソンというアメリカの喜劇俳優、作家、教師、テレビ司会者、ジャーナリストが自分の孫へあてて書いた手紙の中の詩です」というのや「この詩の原文は、アメリカの詩人サム・レヴェンソンが孫娘にあてた手紙だそうです」「アメリカの著名詩人 Sam Levenson の『Time Tested Beauty Tips』(時を超えた美しさの秘密)という美しい詩」「この詩は『時の試練を経た人生の知恵』という詩集に収録されているものです」等々とある。
 どうも作者はサム・レヴェンソン(Sam Levenson)という人物のようだが、彼は詩人なのか否か、詩集に収録された詩なのか手紙の一節なのか、よく分からない。
 国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」にはレファレンス事例詳細(Detail of reference example)として香川県立図書館の調査結果が掲載されていた。
 そこでの質問は「サム・レヴェンソンの詩集はあるか。『時の試練を経た人生の知恵』という詩を見たい」というものであり、回答は「オードリー・ヘップバーン下の344頁に『時の試練を経た人生の知恵』の日本語訳あり」というものだった。(注:これはオードリー・ヘップバーン物語(下) (集英社文庫)のようであるが……)そして参考資料として幾つかの言及があるが、いずれも詩そのものについてであり、詩集についての言及はなかった。
 ここまで調べて「私はなんと馬鹿なこと、意味のないことをしているのだろう。彼女が好きだったという詩そのものを素直に読めばいいのに。そしてそれは手許にあるのに。それをどこの誰が書いたか、どの詩集に載っているなんてことは、どうでもいいではないか」と原点に立ち返ることとした。
 詩には引用した文章に続いて、「転べば立ち上がればいい、失敗すればやり直せばいい」「自分自身と他者を助けるために二つの手がある」「女性の美しさは瞳の奥にある」「本当の美しさは精神に反映されるもので、年を追うごとに磨かれて行く」がある。
 私は映画「ローマの休日」のアン王女とユニセフ親善大使としてユニセフ活動に貢献した人物としてしかオードリー・ヘップバーンを知らないが、このような詩を愛した人物でもあるのは「さもありなん」と思った。

「音」と「訓」
啓(2023年6月28日)
 頭の老化を防ぐ目的での漢字の書き取り練習を、妻と合戦の方式でしていて、気になっていることがある。熟語として出てくる漢字は直ぐに書けるのだが、同じ漢字が訓読みで現われると「ん?」と考えることがしばしば起こる。
 例えば「前例にナラって処理をする」や「素行のオサまらない弟」などの場合、直ぐには正しい漢字を思い出せない。頭の中で「モホウ(模倣)」「シュウシン(修身)」などと関係のありそうな熟語を思い出し、そこに含まれている漢字から訓読みの漢字を思い出す。漢字そのものは知っているのだが、訓読みでは直ぐに出て来ない。妻も同じ状態のようだ。
 この理由は何だろう、と気になっていた。
 この欄でかつて紹介した「閉ざされた言語・日本語の世界」(鈴木孝夫、新潮選書)にある「『音』とは何か、『訓』とは何か」を読んでいて、私の疑問について考えるヒントを得たように思った。
 そこには
 例えば水という漢字を考えてみよう。
 音は「スイ」で訓が「みず」だということは一体何を意味するのだろうか。これは水という概念が(古代)中国語では「スイ」という音形を持ち、日本語では「みず」という形で音声化されるということに他ならない。そしてこのような音声化を受ける以前の、水の概念そのものは、視覚に訴える「水」という文字で表記されているのだ。
 私たち日本人がある漢字の訓と音を知っているということは、とりもなおさずその漢字で示された概念の、二つの別の言語における音的実現体が、同一の文字表記をつなぎとして頭の中で癒着していることに他ならない。
 しかもこのような同一の表記をめぐる音と訓との対応関係が、日本語では非常に徹底しているため、……(例が挙げられている)……本来の日本語と外来の借用語である古代中国語の対応という形で記憶されているのだ。
 運動や動作を表わすいわゆる動詞についても……(例が挙げられている)……どれをとってみても音と訓が対応している。
とあった。
 私が「ナラって」から「すでにある物事をまねること」を意味する「模倣」を思い出し、「倣って」と漢字で書き、「素行のオサまらない」から「自分の行動や心がけを正しくするように努力すること」を意味する「修身」を思い出し、「修まらない」が書けるのは日本語では「音」と「訓」とが対応しているからだろう。
 私のささやかな疑問はこれで解決したように思うのだが、他に理由があるのかもしれない。
 鈴木氏は、漢字の学習について次のような文章も残している。
 たしかに漢字の学習には時間がかかるかもしれない。しかしひとたび学習された漢字は、日本人の日常卑近な生活のレベルに必要な安定したことばと、抽象度の高い高級な概念とを連結する真に貴重な言語媒体としての機能があったことを、改めて認識する必要があるのではないだろうか。

歯科医院に置かれた本
啓(2023年6月21日)
 私は歯が痛くならない限り歯科医院には行かない、という歯科医師から見れば言語道断な患者である。兄弟のように育った従弟が歯科医師であるためこのような怠惰な態度を続けている。
 彼は「できるだけ歯は抜かない」という意見の持ち主のようで、グラグラとしている歯をもう 10 年も保たせてくれている。これについては歯垢を取ってくれる歯科衛生士もいつも感心している。治療した虫歯はあるが入歯はなく、同年輩と比べても自分自身の歯の数は多い方だろう。
 と、ここまで意味もない文章を書いた後に本について書く。
 彼の経営している医院の待合室に「どうぞお持ち帰り下さい」と書いた箱にいつも 2〜30 冊の新しい文庫本が置かれていた。
 自宅から医院まで約1時間の通勤時間中に医師が読んだ本を置いてあるのだろう。本は文庫化されたかつてのベストセラーであったり、タイトルから見て5〜60代の男性が興味を持つような内容のものが多い。医院に行くたびに箱をチラッと見るのだが内容が少しずつ変わっていることから、患者の中には持ち帰る人もいるようだ。
 あるとき面白そうなタイトルの本があったので「貰っていくよ」と言い、持って帰った。タイトルや著者名はすっかり忘れてしまい内容も朧げに覚えている程度である。記憶を辿ると、首都である東京に外国発の未知の強毒性インフルエンザが蔓延し、白熱の議論を経て首都の封鎖が行われ、これらに対応する医師や自衛隊の活躍を生き生きと描いたものだった。はっきりとは覚えていないが世界的な視野での話もあった。確かラブストーリーも含まれていた。
 これは現在世界に蔓延している新型コロナウイルスが発生する何年も前のことであった。とても面白くあっという間に読み終えたと記憶している。私の後に読んだ妻も面白いと感じたようだ。
   隣家に住んでいる息子が我が家に来たときに、偶々手近にあったその本を眺めていたので「面白かったよ」と言ったところ持って帰った。
 その後、何日か経って「あの本はどうだった?」と聞いたところ「面白かった」と言い、彼の長男もあっという間に読み終えた、と教えてくれた。中学1年生が読んで解ったのかなあ、と思ったが、彼なりに理解したのだろう。
 私たち大人3人の「面白かった」との言葉の意味合いは多分性別・年代の差によりそれぞれ異なっており、中学1年生の感想もその年代の特有のものがあるのだろうが、詳しいことは何も聞いていない。
 この本のその後の行方は知らないが、これを買った歯科医師を含めて少なくとも5人には読まれたことになる。 
 歯科医院の待合室に置かれた箱は、小さな小さな小さな図書館でもあった。
(補足)
 再読するつもりはないが、気になるので記憶を辿り、それらしき本を探し出した。どうも「首都感染」(高嶋哲夫、講談社文庫)がその本らしい。

格闘家の詩集
啓(2023年6月14日)
 ジャイアント馬場氏(1999年1月31日死去)に続いて2022年10月1日にプロレスラーのアントニオ猪木氏が亡くなった。マスメディアはプロレスラーとしての、また政治家としての氏の活躍・功績を報じた。
 私にとってのプロレスラーは力道山でありルー・テーズである。ジャイアント馬場やアントニオ猪木についてはそれほど多くのことは知らない。
 私の古くからの読書好きの友人はどこで知った知識なのか「ジャイアント馬場は大変な読書家でいつも何か本を手元に置き、年間 200 冊以上読んでいる」と尊敬の念を込めた言葉で何度も私に語った。その時にどのような読書傾向なのかを聞き漏らしたのが今では少し残念に思われる。
 アントニオ猪木には「猪木詩集」がある。私はこのことを花田紀凱(かずよし)氏の発言で知った。氏は「角川書店在籍時にこの本を出版したところよく売れた」と言っていた。市立図書館から借り出した「猪木詩集」は第10刷だった。
 ゆったりと組まれた詩のそれぞれは素直な言葉により詩人のこころの声が聞こえてくるように、あるいは詩人のこころが織り込まれているように感じた。
 私が今までに愛誦した詩とはかなり傾向が異なっているが、自らの生活や場合によっては試合に関して書かれたこれらの詩は素晴らしい。中でもモハメド・アリ戦の後に行われたパキスタンの英雄アクラム・ペールワンとの闘いの経緯を描いた93行の「英雄」は私のこころを打った。
「それでいい」と題された詩では、次のように自らの今までを描いている。
 心の赴くままに/勝手気ままに生きてきた/人は言う/「誰もがうらやむ人生だ」と・・・/世の中そんなに甘くない/幾度 頭を下げてきたことか/幾度 涙を流してきたことか/その度ごとに/惨めな自分と出会ってきた/その度ごとに/尖った自分が削られてきた/でも人間は/坂道を登っている時には/頭を下げ/歩いていくもんだ/それでいいんだよ
「駄洒落の神様」は
 慌ただしかった一日が終わり/静かな時が帰ってきた/等身大の鏡の前で/裸の自分と向き合った/湯気に曇った鏡の中で/百面相よろしく/いろんな顔を作ってみる/怒った顔には怒った顔で/悲しい顔には悲しい顔で/笑った顔には笑った顔で/大きな鏡は答えてくれた/もしかして/かがみの真ん中/が(我)が取れたなら/心の真ん中に/かみ(神)が住む?
「馬鹿になれ」との副題の付されたこの詩集には、詩人の百瀬博教(ひろみち)氏の「まえがきに代えて―「非常識な友へ」という5頁の文章と「圧倒的な悲壮感と感受性」と題された7頁の詩人新川和江氏と百瀬博教氏の対談が載せられている。
 まえがきに代えての文章の中で、百瀬氏はアントニオ猪木が「敬語」をきっちりと使っていることに触れている。3歳年上で同じ2月20日生まれ血液型も同じAB型の百瀬氏をアントニオ猪木が誕生祝いに招待したときの電話は「猪木でございます。ぜひ御招待したいと思いましてFAXを差し上げました」で始まっていた。
「日本語よりポルトガル語の方が上手だった青年を、敬語の名手にさせたのは力道山だ」と書いている百瀬氏の言葉の真意を掴むのには少し苦労した。
 百瀬氏はこの言葉の後に19行を費やし、修行中の青年猪木に対する力道山の理不尽な暴力行為を書き連ね、最後にそれを正当化する力道山の言葉を書いた後で「言葉は虚しい。アントニオ猪木は益々『知性』を磨いた」と書いている。
 今まで知らなかったアントニオ猪木の一面を知った一冊だった。

EnglishからEnglicへ
啓(2023年6月7日)
 かつて読みいろんな意味で感激した本を何年か後に読んだところ、「いいことは書いてあるが、それほどでもないな」「何について感激したのだろう」「どう言って人に薦めたのだろう」と思うことが偶にある。
 昭和 50 年の発行後に直ちに買った「閉ざされた言語・日本語の世界」(鈴木孝夫、新潮選書)を再読した。当時、非常に感銘を受け、何人かの友人に薦めたことを思い出しながら卒読したのだが、今、改めて読み返し、その当時に「何に特別に感心したのだろう」「どの論に心をゆすぶられたのだろう」と思った。
 論理を尽くした刺激的な意見も述べられており、「文字と言語との関係」の項に書かれている「『音』とは何か、『訓』とは何か」などはいま読んでもとても面白い。しかし、どのような理由で他人に一読を勧めたのかは思い出せなかった。
 再読して見て「今でも通じるな」あるいは「今こそ考える必要がある」と思ったのは「英語はもはや『英語』ではない」ということだった。
 そこには「英語は徐々に、そして第二次世界大戦後は急速に(イギリスやアメリカといった)特定の国々の国語としての狭い枠をつき破って、事実上世界の共通語の性格を帯びるようになった。……このことを少し違った角度から言うと、まず英語という一つの言語があって、それをそのまま世界語としていろいろな国で、さまざまな場面において用いられているのだと思うのは間違いであって、世界語としての英語と、特定の国の国語としての英語は、もはや別のものと考えるべきだと言うのである」と書かれている。
 そして「英語国民に特有の思考の枠組、文化(そして独特なイディオムと発音)からできる限り解放された英語をイングリック Englic と呼んで、英国の英語、アメリカの英語を基本として考えるイングリッシュ English と区別すべきだ」と主張する。(手元の辞書数冊をチェックしたが、Englic という単語は載っていない)
 さらに進んで「 EnglishとEnglic とは、たしかに歴史的、発生的には密接な関係があるが、今では別のものと考えてよいほど、語学的にも機能的にも別のものとなっている。……今日私たちが国際的な場面で、実際に出会う英語は想像を絶するほど多様な性格をもっている」として、ある学者が経験した(当時)「オーストラリアではアメリカで出版された(コンピューター関係の)本を(オーストラリア英語に)翻訳するという仕事が商売になっていた」話が書かれている。
 言語というものは「その言語を生み育てた人々の文化、思想、そして世界観と表裏一体をなしている」ことを考えると、イングリッシュ English ではなく、イングリック Englic を使うことにより「自ずとそこに現れてくる使用者(発言者)の母国語の影響と、彼の個性が横溢した、英語に非ざる言語」を話すことになる、とする。
 確かに、テレビ画面に現れる多くの国の人びとが話す英語は、発音や文法の点からは多くの間違いがあるようであるが、話し手の母国語のよって立つ精神的影響や思考基盤に支えられた英語になっており、しかも聞き手には充分に理解されている。
 我われも日本の思考や精神に裏付けられたこのような英語である Englic を話す必要があるのではないか、と考えさせられる論稿だった。

大阪ことば事典
啓(2023年5月31日)
 厚さ約3センチの文庫本「大阪ことば事典」(牧村史陽編、講談社学術文庫)がある。この本は辞典でもあり事典でもある。言葉の意味や用例などを知るため(辞典)だけでなく、事柄を表す語の解説(事典)もしてくれる。おまけに「方言の研究は発音を除外しては成立しない。大阪ことばの肌ざわり、ぬくもりをできるだけ正確に伝えるため」との考えから全ての言葉にアクセント符号が付されている。
 編者(というよりも著者だろうと私は思っているが)は、はしがきで「本書は単なる大阪弁だけでなく、特殊な人名・地名の解明、あるいは歌謡・俚諺・遊戯・風俗・習慣・俗信仰・年中行事のいっさいを詰めこんだものとなった。いわば大阪風俗事典あるいは大阪百科事典として活用されることを期待したからである」と書いている。
 その説明は極めて具体的かつ詳細で例えば「おでん」の項では「田楽。大根やこんにゃくを水煮して味噌をつけたもの。東京でいう煮込みのおでんとは別のもので、この方は大阪では関東煮という」とあり、71行に亘って関連する俗謡や関連文等を書いている。そして「かんとだき(関東煮)」では「おでん。大阪でおでんといえば豆腐田楽のことで、東京でいう煮込みのおでんを大阪では関東煮というので、名称は同じでも東西では内容は全く違っている」とし、ここでは「しかし、大阪の関東煮と東京のおでんとは、串に刺すものが多少の違いがあって……」と続く。
 よく使われる「けったい」については「妙な・変な・変てこな・おかしな・奇態な・いやな・不思議な等、いろいろな意味を含んだ実にケッタイな言葉であって、エゲツナイとともに、上方弁の両横綱といってよい」と説明し、続けて64行を費やして、明和・享和・文化の舞台での使われ方や用例を具体的に示している。「大言海」の解釈についての言及もある。
 用例中に「ケッタイな人!」があり、括弧書きで(若い女性から言われたら、常識を逸した男という意味にもなり、いやらしい人、助平ともなる。しかし、求愛などの場合に「ケッタイな人」と軽くあしらわれるようなこともあって、そんな時にはまだ脈があるかも知れず、その場の空気によって的確な判断が必要である)とあるのは「ご親切に」と言わざるを得ない。協力者も多数いるだろうが、実例収集の態度には感服する。
 大阪ことばで思い出す一つの挿話がある。
 私が初めて東京勤務になったとき、アシスタントをしてくれた生粋の東京人の女性から「(私の苗字)さんは関西出身ですね」と言われた。その理由は標準語で話す私の話し方やアクセントが変だからではなく、私が「物差し」を「サシ」、「茄子」を「ナスビ」と言ったことにあると種明かしをしてくれた。ひょっとしたら私が仕事で使った資料について「これナオシテおいて」と言ったことも一つの理由だったかも知れない。
 大阪人の私にはどこから読んでも楽しい一冊である。昔話を思い出しながら面白そうな言葉を適当に眺めたが、字体の小ささには閉口した。

読書に関する世論調査
啓(2023年5月24日)
 文化庁では平成7年度以降毎年全国の16歳以上の男女を対象に「国語に関する世論調査」を実施している。その目的は「日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査し,国語施策の立案に資するとともに,国民の国語に関する興味・関心を喚起する」ことにあるという。
 平成30年度の調査では、調査項目の一つとして「読書について」があった。そこでは「@1ヶ月に大体何冊くらい本を読むか」「A人が最も読書すべき時期はいつ頃だと考えるか」「B読書量は、以前に比べて減っているか、それとも、増えているか」「C読書をすることの良いところは何だと思うか」「D自分の読書量を増やしたいと思うか」「Eふだん,電子書籍を利用しているか」の6問について聞いている。
 私の関心は@とBにあったので、その調査結果の概要を書き記す。
 1ヶ月の読書量としては「読まない」が 47.3%,「1、2 冊」が 37.6%,「3、4 冊」が 8.6%,「5、6 冊」と「7 冊以上」がそれぞれ 3.2%となっている。この数字は、過去の調査結果(平成 20,25 年度)と比較しても,余り変化は見られないそうだ。
 文化庁は「1 冊以上読むと答えた人の割合が 52.6%である」としているが、逆に1冊も読まない人が約半数いるとは、私にとってちょっと衝撃的だった。
 以前と比べての読書量の増減については、減っているが 67.3%,それほど変わっていないが24.3%,増えているが 7.1%となっており、この点に関しては過去の調査結果との比較では「読書量は減っている」は増加傾向にあるという。
 この調査結果をどのように考えるか。
「IT技術が進化した現代では情報自体またそれを入手する方法が大きく変化・変貌・変容している、この結果として読書量の減少は時代の流れである」と考えるのは、読書をしていない人たちに対してあまりにも寛容な態度だろうか。「本離れ」は時代の流れとしてある程度は当然のことと考えるのは時代迎合の態度だろうか。
 このように考えつつも読書文化が廃れるのは残念であるとの思いが強い。私は読書文化の質的向上を願っているが、さてその方策については残念ながら今のところこれといった意見はない。
 ここで、私がかつて読み記憶している大読書家の「元来、読書は『得意の人』『順風満帆の人』『悩みのない人』のすることではないようで、読書には『退隠の気配』『失意の情』がよく似合う」という若干皮肉が込められた趣旨の言葉からすると、現代は「得意の人の時代」「幸せな時代」ということになるのだが。

天使の序列
啓(2023年5月17日)
 どこで読んだのだろうか、天使の序列について書かれた文章を記憶している。記憶を辿るとそこには「ヨーロッパ絵画で多く描かれているものの一つに天使があげられる。代表的なものとしては『受胎告知』の大天使ガブリエルであろう」とあり、ここから天使たちのヒエラルキーに話が及ぶ。
 そして西洋の学者の書物を引用し「大天使といっても位は低い。軍隊でいえば軍曹、相撲番付では十両か、会社でいえば係長クラスなのだろう」とあったことを覚えている。
 残念ながら引用されていた文献のタイトルやその筆者の名前も全く記憶していない。ただ、そのとき私は「ユネスコの世界遺産になっているフランス・モンサンミシェルの聖堂の塔の先端にはミカエルの像が取り付けられているが、ミカエルも大天使だなあ」と考えていた。
 思い出したこの話を契機として暇つぶしに天使の序列についてちょっと調べてみようと思った。もちろん興味本位である。キリスト教について全く知識のない私であるから、とっかかりとしてグーグルの検索欄に試みに「天使の序列」と打ち込んだ。
 そこにはいろんな情報に交じって「天上位階論」という書物について触れた一文があった。なんとなくこの本が目的の本のような気がして、この言葉で市立図書館の蔵書を検索した。「中世思想原典集成 3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想」(上智大学中世思想研究所、平凡社)1冊だけがヒットした。全20巻の全集の中の一冊である。
 タイトルからして私にはチンプンカンプンだったが、借り出したこの本は厚さ5.5p、975頁の堂々たるものだった。目次を眺めていくとディオニュシオス・アレオパギテス著の「天上位階論」があった。
 この「天上位階論」について訳者である今 義博山梨大学教育学部助教授(当時)が前文で解説されている。そこでは、著者ディオニュシオス・アレオパギテスやその著作「天上位階論」について


著者はパウロに従い信仰に入った人物であり、その著書は「ディオニュシオス文書」と呼ばれ、キリスト教関係の文書のなかで「聖書に次ぐ権威」を持っていた。

しかし、19世紀末から20世紀初頭にかけてなされた実証的な研究によってこれら文書は紀元500年頃に書かれたものであることが確証された。しかし、現時点では、真の著者が誰であるかということが確定されていないためその著者を「偽ディオニュシオス』と呼んでいる。

「天上位階論」は天使の秩序組織と機能を体系的に解説したものである。

天使は、上位、中位、下位の三階級に分けられ、各階級が三隊に分けられている。最上位の階級には熾天使(してんし)、智天使(ちてんし)、座天使(ざてんし)が属し、中位の階級には主天使(しゅてんし)、力天使(りきてんし)、能天使(のうてんし)が属し、最下位の階級には権天使(けんてんし)、大天使、天使が属している。(私には天使が9つに分類されているということ以外には全く理解できない)

最下位の知性が特に「天使」と呼ばれるのは、その階級の知性がわれわれ人間に最も近い位置にいて神の神秘をわれわれに伝達する働きが、われわれの方から見るときにまさに「使者」としての働きであるからである。
 と説明している。
 私が、その意味するところはともかく、言葉として理解できたような気がしたのを纏めるとこのようになる。
 解説を読んだ後に、60頁強の本文と格闘したのだが、当然のことながらあえなく轟沈。
 今回テーマとした「天使の序列」問題は何となく分かったこととして、手にしたこの本に関して図書館の役割の観点から一つ気の付いたことがある。
 この分野を専門とする学者以外には絶対に売れないと思われるこのような本が出版されるということは、とても素晴らしく大切なことではあるが、採算を考えた場合、出版社は出版には二の足を踏むだろう。出版社に出版を決意させたのは、文化を育成する、学問の進歩に貢献するという心意気を補完する何があったのだろう。
 それは大学図書館を始め全国の図書館が購入してくれればある程度は売れて、儲けは少ないかもしれないが、採算は取れると期待してのことだろうか。あるいは出版に関して何らかの学術的な補助金の交付が関係者に対してあったのだろうか。
 この全集を保有している当市の図書館はどのような経緯でこの図書を入手したのだろう。購入したのか寄贈を受けたのか、いずれにしてもこの全集を蔵書の一部として保有している当市の図書館に拍手をしたい。
 ここにも文化を育てるという公共図書館の役割があるのではないか、と思ったことである。

AIが作った感想文
啓(2023年5月10日)
 世間を賑わせている ChatGPT を使ってみようとソフトをインストールした。ITリテラシーの低いことを自認している私であるから、パソコンにアップロードされているいろんな記事で事前にインストールの方法を勉強しておいた。その結果、トラブルもなく完了した。
 無事にインストールが終わったので、最初にどのような質問をするのかを考え「星の王子さまの感想文を小学6年生の立場で400字で書いてください」とした。私がこの最初の質問を考えたのは、「星の王子さま」に関しては既に数多くの比較的まっとうなデータが蓄積されているだろうということを想定したからである。ただ、星の王子さまと言うだけの言葉で私が期待しているサン・テグジュペリの本にたどり着いてくれるかを一瞬気にしたが……。
 結果は631字のなかなかの出来栄えの回答だった。「何となくいい感じの文章」で書かれていた、「私でも簡単には書けないような文章だ」とは言いたくないが。
 感想文作成ではなくレポートの作成に関してであるが、(講義を英語で行っている)ある大学教授はラジオ番組で「 ChatGPT で幾つかの(英語で作った)問題につき答を求めたが、全て合格点だった。今後は学生のレポートについてはそれを前に置き、学生と質疑応答をして採点するつもりである」と発言していた。(「合格点」という発言については、膨大な量の情報が既にデータとして存在している英語圏を対象にしていることを考慮する必要があるだろう)
  ChatGPT には、その他に「人間が書いたような文章であるから誤りに気が付かない」「著作権侵害の可能性がある」「機密漏洩の恐れもある」等々の問題も指摘されている。
「星の王子さま」に続いて、それほどには人口に膾炙していない小説(失礼)についてはどのような感想文を作るのだろうかと、ちょっとテストしてみようと思った。
 そこで2021年4月7日付のこの欄で紹介した「エンジェルフライト」の感想文を1,200字で書かせてみた。その結果は次のようなものであり、それなりに形の整った感想文になっている。ただ、著書内容からは少し離れた作文も幾つか入っているようだ。そして私の記憶では主人公は女性であったはずだが、感想文では「彼」と表示されている。また主人公の姓が「佐藤」とされているが、著書では「佐藤」ではなかったように記憶している。
「エンジェルフライト」は、国際霊柩送還士という職業に焦点を当てた佐々涼子氏のノンフィクション作品です。霊柩送還士とは、亡くなった方を故郷や希望する場所へ遺体を運び返す仕事をしている人たちのことです。
 この本は、主人公の霊柩送還士である佐藤さんの生き方や思考、仕事のやり方などを通じて、死や喪失、そして生きることの意味について考えさせられる作品です。
佐藤さんは、亡くなった方の遺族や友人、そして一緒に働く仲間たちに寄り添いながら、遺体を運ぶことで、故郷や希望する場所に帰ることを可能にしています。彼の仕事は、単なる荷物の輸送ではなく、亡くなった人の最後の希望を叶えるための大切な役割を果たしているということが伝わってきます。
 本書は、佐藤さんの言動や思考を通じて、死と向き合うことの大切さや、死に至るプロセスを過ごす人たちへの思いやり、そして生きることの意味について深く考えさせられます。また、遺族の心情や、遺体を送り届けるために必要な手続きや準備などについても、詳細に描かれているため、一般の読者にも分かりやすく説明されています。
 一方で、本書は、ある種の暗さや重さも感じさせます。死というテーマは、明るいものではないため、読みながら胸が締め付けられるような感覚を覚えることもあります。しかし、そこには佐藤さんや彼の仲間たちの暖かさや思いやりがあり、読者に勇気や希望を与える要素も感じられます。
 総じて、「エンジェルフライト」は、人生の最後の旅を支える大切な役割を果たしている霊柩送還士たちの姿を通じて、死や喪失、そして生きることの意味について考えさせられる本です。この本を通じて、読者は死というテーマに向き合い、それを乗り越えるための勇気や希望を得ることができます。また、遺族や故人への思いやりや、人間の命の尊さについて改めて考えさせられることもあるでしょう。
 佐々涼子氏は、文章力に優れた作家であり、本書でも彼女の描写力や文章の魅力を感じることができます。また、佐藤さんや彼の仲間たちの人柄についても詳しく描かれており、彼らの存在感や暖かさに触れることができます。
 一方で、この本は、ある種のノスタルジーを感じさせる場面もあります。佐藤さんが取り扱う遺体は、故郷や希望する場所へ戻るためのものであり、その場所が彼らにとってどんな意味を持っていたのか、その背景にあるストーリーを知ることができます。
 総じて、「エンジェルフライト」は、死や喪失に直面する人たちに向けて、温かみや勇気、そして希望を与える作品です。霊柩送還士という職業を通じて、人生の意味や尊さ、そして生きることの意味を考えることができるでしょう。是非、多くの方に読んでいただきたい一冊です。
 この感想文を採点するとすればどのようになるだろう。形が整っていることを考慮しぎりぎりの合格点だろうか。それとも事実の誤りや、キーワードの一つである“国際”について触れられていないことを考慮すると合格点は「甘すぎる」と言われるだろうか。
 いずれにしてもこの文章を下書きと考え、自らの言葉で添削する必要はありそうだ。
 現在の私は「今後は(現在の状態での) ChatGPT を使うことはないだろう」と思っている。データの第一次検索はグーグル先生の助けを得るかも知れないが、文章の作成にあたっては、過去に数多く出版された信頼のおける書籍を参照しつつ、自らの頭で考えることを続けるだろう。

読めない画集
啓(2023年5月3日)
 美術展で買った数冊の図録の隣に同じ大きさの1冊の画集が並べられている。現役の頃ノルウェー・オスロ郊外100キロのモスという小さな町にあった、ある分野では世界第一の技術を有する会社との技術提携交渉が無事に終わり、オスロ市街に戻った後の散歩の時にふらっと立ち寄った書店で買ったことを覚えている。
 何か記念になる本を買おうという気持だったのだろう。「読めない文字ばかりの本を買っても意味がない、絵が入った本を買おう」と考え、平積みされていた表紙に水彩画の風景が描かれている本を手に取った。
 この本には水彩で描かれた素朴なカラー風景画10数点と数多くのモノクロームの風景画さらには同じくモノクロームの人物のデッサンと北欧の伝説に題材を取ったのだろうかおどろおどろしい絵などが収められていた。時々は手に取っていたが単に絵を眺めていただけである。
 モノクロームの絵にはかなり丁寧な説明文や解説文と思われる文章が添えられているが、もちろん私にはチンプンカンプンである。そもそも表紙に書かれた文字列を見てもどれが画家の名前かもわからない。
 このような状態でこの本は長年の間、書斎の書棚に鎮座していた。
 時間もあることだし、この本についてちょっと調べてみようと思った。
 最初に中央部に一番大きな字で印刷されている KARL ERIK HARR という言葉をインターネット検索機能を使い検索した。ウイキペディアを示すようなノルウェー語のタイトルがあったのでそこに記載された文章を翻訳機能を使って日本語に翻訳した。そこには「カール・エリック・ハー( Karl Erik Harr 、1940年5月8日〜 )は、ノルウェーの画家、イラストレーター、グラフィックアーティスト、作家であり、ノルウェー北部の風景と沿岸の歴史の表現で最もよく知られています」とあった。画家の名前だった。
 次にインターネット検索画面に著者の名前と思われる AV IVAR B.M.ALVER を打ち込んだ。ノルウェー語のそれらしきタイトルが幾つかあったので、適当に選んだうえでこれも翻訳機能を使った。変な日本語訳だったが、日本語ではイヴァル・エルフと書くノルウェーのジャーナリストであることや、さらに彼が北ノルウェーの画家カール・エリック・ハーの伝記を書いていることも分かった。
 最後は表紙の上部に書かれている長い言葉 KUNSTNPORTRETTER である。ちょっと苦労をしたが「アーティストの肖像画」という意味らしいことが解った。後ろから数えて10文字は英語のPORTRAIT(ポートレート)に当たるノルウェー語かも知れない。
 最終頁には略歴が書かれ、自画像と思われるパレットを持つモノクロームの絵が2枚掲載されている。眼鏡をかけた顎鬚を生やした人物である。1940年生まれであるから未だご存命だろう。
 私のようなITリテラシーの低い人間でも、このようなことをそれほどの時間をかけずに調べることができる世になったことに少し驚いている。

「とび出すぞ 子供は急にとまれない」
2023/04/26
 阿川弘之さんの「故園黄葉」(講談社)の112頁に八島太郎遺作展推薦と題した文章がある。遺作展のパンフレットに書かれた文章のようだ。
 私は寡聞にして八島太郎という名前を知らなかった。グーグル検索をすると「日本とアメリカとで活動した画家、絵本作家である。日本在住時代は風刺漫画家としても活動した」とある。1994年6月にお亡くなりになっている。
 阿川さんはその文章を「二十数年前の思ひ出だが、来日中の八島太郎さんが、交通事故防止の子供向け標語、『とび出すな くるまは急にとまれない』を見て、こりゃをかしいと言ったのに、私は感心した。『とび出すぞ 子供は急にとまれない』、これがほんとだ。自動車を運転する人たちへさう呼びかけるべきだといふのが、くるまの国から来た画家の意見であった」で始めている。
 この標語を表示している看板についてウィキペディアは「子供が道路に飛び出して自動車などと接触する事故を防止する目的で『とび出すな くるまは急にとまれない』を表示している看板が各地で作られ、運転手への注意喚起のため通学路などに設置されている。いろんなところで見かけるいろんなデザインのこの看板は一般的に『飛び出し坊や』と言われている」と説明している。
 ウィキペディアの言うように「運転手への注意喚起のため」に運転手から見える所に設置するのであれば、八島さんのご意見のように「とび出すぞ 子供は急にとまれない」が正解であろう。
 子供に対しての注意喚起なら、そして通学路の子供が見える位置に設置するなら「とび出すな くるまは急にとまれない」でいいだろうが。
 我が家の近くでは見ることもないが、一体全体「飛び出し坊や」は誰に向けて、どのような道路のどのような場所に、どのような方向(誰が見るように)に設置されているのだろう。
 インターネットで検索した幾つかの画像では、どうも運転手から見えるように設置されているようだ。それなら「とび出すぞ 子供は急にとまれない」だろう。
 設置者の意図はともかく私は運転手に向けての言葉であって欲しいと思うのだが。

大阪の洒落言葉
2023/04/19
 吉本新喜劇の影響だろうか、関西出身の若手タレントに原因があるのだろうか、テレビで大阪弁と称して使われている品のない、猥雑な言葉が気になって仕方がない。そもそも大阪弁なる言葉遣いがあるのだろうか。同じ大阪と言っても、摂津、河内、泉州では言葉遣いが大きく異なる。話せる人は少なくなったが、大阪の中心である船場の旦那さんやご寮はんの言葉はとても美しいのだ。
 テレビで大阪弁として喧伝されているような言葉は私にとっては吉本弁、大阪若手芸人弁である。私や妻の言葉を彼らの言葉と「いっしょくた(一緒腐)」にして大阪弁と言って欲しくない。
 と言葉遣いについて、気になっていることをいささか品のない表現で書いた上で、大阪人がかつて使っていた洒落言葉を紹介する。最近の若い人や東京人には解らないかも知れない。
 大阪の郷土史家の代表と目されている牧村史陽さんの「大阪ことば事典」(講談社学術文庫)には「大阪の洒落ことば」が付録として付いている。これが滅法面白い。
 私が皮肉を込めて使いたくなるのは「うどん屋の釜」である。今まで口に出して言ったことはないが、心の中ではよく言う。「うどん屋の釜」の中は「湯だけ」で、言うだけで実行力の伴わない、口先だけの人間を指している。同じような意味の言葉には「髪結いの正月」があるが、もう時代遅れだろう。髪結いさんは正月には食事の時間も惜しんで一所懸命に髪を結う、「髪を結うばかり」で「言うばかり」となる。この言葉も口先ばかりの人間を指している。
 これらによく似た意味の言葉に「やもめの行水」がある。主人が行水をする場合にお湯を取ってくれるのは奥さんであるが、やもめには奥さんがいない。その結果「勝手に湯取れ」となる、つまり「勝手に言うとれ」である。理屈ばかりを言っている人間に対する非難の言葉であり、相手にしないことを意味する。
 単なる物知りは「牛のおいど」である。「おいど」とは「お尻」のことであるが、大阪弁と称する言葉を使っている最近の若手の芸人は知っているだろうか。「牛のおいど」とは「モウの尻」、即ち「物知り」である。この言葉は相手を尊敬しているのではなく「単なる物知り」に過ぎない、何か成果を挙げてこそ物を知っている意味がある、単に物を知っているだけでは意味がない、ということを「牛のおいど」で表現している。
「坊主のはちまき」という言葉もある。谷沢永一氏はその著書「読書人の浅酌」(潮出版社)の中でこの言葉を説明するに際し、例として何人かの大学教授が一つのテーマをそれぞれ部門別に手分けして調べるという形式で行っている共同研究を、皮肉を込めて、挙げていた。そこでは「自分はわずかしか勉強しなくても、他の人が勉強した分を全部耳で聞けるわけですから、耳学問と言ってさしつかえない」と書いている。
 ところで「坊主のはちまき」の意味はどういうものか。「坊主のはちまき」はどこで止まるか。毛髪のある人間の場合、はちまきは髪で止まる。髪を剃っている坊主の場合は、耳でようやく止まる。つまり「坊主のはちまき」は「耳で持っている」。自分ではちゃんと勉強せずに、あっちで聞いたことをこっちで言い、こっちで聞いたことを別のところで言う、という「耳でもっている受け売り屋」を「坊主のはちまき」と言う。谷沢氏はこの言葉は「聞きかじりを偉そうに吹聴するのはけしからん」という意味が込められている、と言う。
 落語家・桂文珍さんの関西大学での講義を纏めた「落語的学問のすすめ」(潮出版社)にも同じような洒落ことばが載っている。
 東京の下町にも同じような洒落言葉がありそうだが、大阪人の私は知らない。ただここに書いたような洒落言葉は船場の旦那さんやご寮はんの言葉ではなく、これらの人に使われていた丁稚さんやこれらの人の家に出入りしていた職人さんの言葉ではある。
 洒落ことばではないが、「大阪学 世相編」(大谷晃一、経営書院)にも言葉に関する幾つかのエッセイがあり、これも読んで楽しい。

一億円と千両箱
2023/04/12
 気楽に読んでいる江戸時代を対象とした小説には千両箱という名がよく現れる。最近のドラマではどうなっているのか知らないが、かつては千両箱を担いだ盗賊の姿をテレビ画面でよく見たものである。
 千両箱の重さはいったいどの程度なのか、担いで塀を乗り越え、走って逃げることができる程度の重さなのか、くだらない疑問だと思いながらも気になっていた。
 文部科学省は統計法に基づき社会教育調査として図書館、博物館、青少年教育施設など9種の施設について調査している。最新の調査結果である平成 27 年度調査では図書館数は 3,331 博物館及び博物館類似施設は合計で 5,690 となっている。
 この博物館の一つに貨幣博物館がある。貨幣博物館はテレビ中継でおなじみの日本銀行本店正門の道路を隔てた反対側にあり、日本銀行金融研究所に属している。かつての私の勤務地のすぐ近くだが、現役時代にはついぞ入ったことはなかった。しかし、常に気にはなっていた。
 リタイア後に東京に行った時、約束の時間に少し間があったので、ここを訪れた。開館時刻の 10 時少し過ぎに入館したが、入館料は無料。入場に際し住所氏名は要求されなかったが、住所地の都道府県名、同行人数(1人で行ったのでゼロの欄にチェック)を書面で提出。
 誰も来ていないだろうと思ったのは浅はかな考えだった。1人あるいは数人のグループがポツリ、ポツリと現れ、展示場には常に20人ほどがいた。
 小学生の観覧も予定されているのだろう、クイズやゲームを使った説明もあった。中で大人の私も興味を抱いたのは、千両箱や一億円の包みの重さを実感することであった。千両箱は25s、一億円の包みは重さ10sだそうだが、両者それぞれの模型を実際に手に取りその重さを実感することができた。一億円は簡単に持ち上がり、「ああ、これが一億円か」と思ったが、千両箱を持ち上げるには少し力が要った。
 ところで千両箱に入っている小判は現在価値で幾ら位になるのだろう。小判といっても発行された時代により金の含有量が異なっているため、単純には計算できず、また現在価値に換算するときに、何を尺度にするのか、どの物価を基準にするのかによって異なることになる。はっきりとはしないものの1億円から2億円程度と考えられているようだ。
 その他、日本銀行券偽造防止技術のすばらしいことや中世に中国から流入した銭貨(センカ、渡来銭)が使われるようになり商品経済が発展したことなどは興味を引いた。現在有効な銀行券が展示されている壁の前では「これは知っている」「子供のときに使った」などとグループで来た私と同年配の人たちが騒いでいた。
 この展示により、千円札については最新(平成 16 年発行開始)のものは、その肖像は野口英世だが、昭和 59 年発行開始、平成 19 年発行停止のそれは夏目漱石、昭和 38 年発行開始、昭和 61 年発行停止のものは伊藤博文、昭和 25 年発行開始、昭和 40 年発行停止のそれは聖徳太子であることを改めて確認した。
 現在ではそれほどの量が流通してはいないと思われるこれら発行停止のいずれかの紙幣についても、お釣りなどとして手渡されれば特に違和感なく受け取るだろうと思ったが、これは紙幣全体としての印象で理解したり記憶したりしている人間の不思議な能力によるのだろう。
 たまには何の目的もなくこのような博物館に入り、ゆっくりと過ごすこともいいものである。ただ、いつも思うことだが、博物館や美術館に行くと足が疲れる。その点、図書館は小さく、体を休める椅子もあり足が疲れるということはない。
 余談だが、私の机の引き出しには板垣退助の皺くちゃの 100 円紙幣が1枚眠っている。これは契約交渉のために来日した米国企業の法務部長から何十年も前に「この紙幣は使えるか?」と聞かれて、「使えるが、トラブルが生じるかもしれない。現行の 100 円硬貨に代えてあげる」と交換したものである。交換したものの私も使いようがなく、銀行の窓口で預金するのが最善の方法と思いながら時間が経過し、現在に至っている。

「国際感覚のズレ」と「生活の座」
2023/04/05
 イザヤ・ベンダサン名義で書かれたベストセラー「日本人とユダヤ人」(山本書店)を含めて手元にある山本七平氏(1991年没)の書物を全て処分しようと整理している。
 処分に先立って何冊かを眺めた。例えば「『常識』の非常識」、「『常識』の研究」(いずれも日本経済新聞社)「『空気』の研究」(文藝春秋)などなど。いずれも50年以上前の本であるが、教えられるところが多い。現代に置き換えてもそのまま通るような論が述べられている。
 過去はどうだったかは思い出せないが、現時点での私の心に留まった二つを記録して、追悼の辞に替える。
 その第一は、マスメディアの報道について「国際感覚のズレ」という観点からの文章である。
 そこでは「国際感覚のズレ」は、必ずしも情報の量の問題ではないと「日本ぐらい、海外情報が解説つきで多量に報じられる国は少なく……その総量は世界一かも知れない」と例をあげつつ自らが感じたズレを書く。
 ズレの原因について氏は、日本は国際情報についての歴史が極めて新しく、世界の情報についての情報史的な厚みのある蓄積を有していないことによるという。私は「情報史的」という言葉の意味をよく理解できないのだが、例としてパレスチナ報道についての解説の基礎となる幾つかの氏が基本と考える資料の名が挙げられていた。氏がその資料の一つの海賊版をエルサレムのアラブ人の本屋で入手したときには「目がとび出る」ほどの値段だったそうだ。
 山本氏は自らが深遠な知識を有するパレスチナ関連報道の解説について「英語圏における過去の情報量の膨大さ、その情報史的な厚みは、まさに段違いと言わねばならない」と書き具体的に例を挙げて説明する。そしてそれと比較し日本のマスメディアの報道は、具体的に例を示した上で「『日本人的世界』のニュースに還元されており、外人名を冠した国内ニュースになっているのである」とする。
 これがいわゆる「国際感覚のズレ」の原因なのだろう。
 この文章を読みながら、最近のロシアのウクライナ侵攻に関する我が国のマスメディアの報道内容や解説を思い出した。その多くは山本氏に言わせれば「『日本人的世界』のニュースに還元された『国内ニュース』」の報道であり解説になっているのだろう。
 しかし、50年前と格段に異なる情報環境、情報化社会となった現在では山本氏の見方も少し修正する必要があるかも知れない。このように思いつつも過去に文字で積み上げられた数多くの知識や情報の意味がなくなったとは決して思えない。依然として、あるいは今まで以上に重要性を増していると思われるのだ。
 第二として、氏は「生活の座」を考えることの必要性について「語られた言葉は同じでも、その言葉をそのまま受け取るのと、その言葉が語られた『時』と『場所』すなわち生活の座においてそれを受け取るのとでは、意味が全く異なってくる」と当然と思われることから議論を始める。
 そして、その例として最近の(著書が発刊された当時の)日本の新聞には、例外を除けばこの常識さえなく「この二つを峻別するという意識さえ皆無に近いことに気が付いた」と書き、その著作が書かれた当時の新聞記事の記述の問題点を具体的に指摘している。
 氏はいろんな事実やそこで語られる言葉を、その事実が発生し、その言葉が語られた「生活の座」において解釈することが必要であることを教えてくれた。当然と言えば当然のことであるが、うっかりするとこのことを忘れてしまう。
 現実に氏の言を実行することには難しい場合もありそうだが、何事によらず書かれあるいは発言された「言葉の意味」を解釈するにはそれらの「生活の座」を常に意識する必要があると反省した。
 私自身もいろんな報道に接した時にその内容に「ん?」と思うことがあるが、それはそれらの報道内容が「生活の座」を離れた、報道者自らが構築した「頭の中の座」からの解釈が原因なのかもしれない。
 このようなことを思いつつ夜のニュース番組を眺めながら、やっぱり山本氏の著作は残しておこうかと何度目かの逡巡の時を過ごした。思い切りの悪いこと甚だしい。

「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」
2023/03/29
 マスメディアは「厚生労働省は( 2022 年9月)16日、全国の 100 歳以上の高齢者が 15 日時点で、前年比 4,016 人増の9万 526 人になったと発表した。……女性が約9割の8万 161 人で、男性は1万 365 人だった。『敬老の日』(19日)を前に、厚労省が集計した」と報じた。
 最近では 100 歳に近い高齢者の活躍やその生活がマスメディアでよく報じられている。我が家の檀那寺の元坊守さんは 101 歳だが、元気に定例法座や法要の席に顔を出しておられる。このような幾つかの事実には気が付いていたが、 100 歳以上の高齢者が9万人超であるとは思いもよらなかった。
 老人福祉法が制定された昭和38年には 100 歳以上の老齢者は153人だった。
 この記事にある「『敬老の日』を前に(厚労省が集計した)」との表現はマスメディアの勉強不足あるいは誤解だろう。「敬老の日を前に」であることはその通りだが、厚生労働省が「15日時点で」発表したのは、9月15日が老人福祉法第5条2項で「老人の日」と定められていることが念頭にあったはずだ。同法では「老人の日は九月十五日とし、老人週間は同日から同月二十一日までとする」と定められている。「敬老の日」は国民の祝日に関する法律で9月の第3月曜日である。9月15日と特定されているのではない。
 もし、「〇〇の日を前に」と書きたければ「『老人の日』を前に」とすべきであろう。
 このようなどうでもいいことに気が付き文句を言うのは老人の悪い癖だと思いながら、佐藤愛子著「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」(小学館)を読んでいた。
 比較的活字が大きなこの本はあっという間に読み終えた。理由は、老齢者を対象にした分かりやすく、達者かつ小気味好い文章と構成にあると感じた。ただ昔話が多いように思ったが。
 いろんなことに楽しく文句を付け、思い出話を書いておられるが、以下に私が面白いと思った内容三つを書き留める。
〇(町のささやかな個人開業医院と比較して)病院という大きな組織の中では、我々患者は「人間」ではなく「患者」という「物」としてあつかわれる。病院へ行くということは、「物」になり切る覚悟というものが必要なのだ。
〇(新聞の人生相談の内容に関して)「うーん、今はこういうこと(相談内容の意)になったのか」
〇(老いてからの歳月を前向きに過ごすにはどうすればいいか、との質問に対して)べつに老人が前向きに生きなければならないってことはないんじゃないの?……しかし考えてみると、老人の前向きは往々にして、はた迷惑になりかねない場合があるようで……。
 そして最後の文章では「さようなら、みなさん」と題し「最近では、グダグダに伸びてたるんで色褪せた脳細胞……から絞り出されてくる文章を、翌日読み返すとどうにも我慢出来ないお粗末さで、思わず原稿用紙をべりべりと剥がし、丸めて捨てる。新しく書き直す。翌日読む。べりべり……そのくり返しで毎日が過ぎて行く」と現状を冷静に分析し、書くのを止めよう考える。ところが2人の人物から「書くのをやめたらこの人は死にます」と言われる。が、死なないために無理やり書くというのも情けない話だ、と考え家族に断筆することを宣言する。
 この本の最後の一文は「みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。 2021 年庭の桜散り敷く日」である。

「クアント」「メ・エクスリーベ」
2023/03/22
  2022年9月10 日のマスメディアは「日本人を含む 2,977 人が犠牲となった 2001 年の米同時テロから11日で21年を迎える。当時を知らない世代が増える中、8月中旬には遺族らが運営してきたニューヨーク・マンハッタンの『 9・11 トリビュート博物館』が閉鎖した。関係者からは記憶の風化を危ぶむ声も上がっている」と報じた。
 あの衝撃的なテロ事件からもう21年も経ったのか、と思うと同時にこの報道はこの事件をスペイン・コルドバのホテルで知ったことや私たち夫婦のツアー旅行中の二人だけの小さな旅も同時に思い出させてくれた。
 中丸 明著「スペイン5つの旅」(文春文庫)はタクシーをチャーターしての数時間の小さな旅を教えてくれた。
 現在はどのような状態かは知らないが、当時は旅行代理店も「自由時間を使っての移動にはタクシーを利用することを勧める。スペインのタクシーは料金が安くかつ安全である」と明言していた。中丸氏の著書でもそのように書かれていた。
 そこで私たち夫婦はスペイン初日のトレド美術館訪問の後の午後の自由時間にタクシーを使って、マドリード南西約 40q のところにあるアランフェスの春の離宮とマドリードから南東約 45q のところにある小さな村チンチョンへ行くこととした。その前日に生まれて初めてスペインに足を踏み入れ、スペイン語は一言も知らないのに。
 ホテル前に駐車しているタクシーの運転手に、中丸氏の本に書いてあった「プリメーロ(はじめに)アランフェス、ルエゴ(次に)チンチョン、イ・アキ(そして、ここ)」「クアトロ・オーラス(4時間)」「クアント(いくら)」「メ・エクスリーベ(書いて)」と告げた。運転手は「15」と書いた。1万 5000 ぺセタは約1万円弱である。
 このようなことは普通の旅行ガイドブックには書かれていない。スペインの小さな田舎町に移住し、スペインに関係したエッセイや著作を数多く発表している人物だけが書ける内容だろう。
 私はこの本以外に同じ著者の「スペインひるね暮らし」(文春文庫)「スペインうたたね旅行」(文春文庫)を持っている。前者からは社会における「広場」「バル」「カフェ」の持ついろんな意味を教えられ、後者からはスペインの田舎町の日常生活を知った。後者は飄々としたタッチで日常生活の諸々を描いているが、文章作成上のテクニックとして意識的に使われている顰蹙を買うような表現や卑猥な言葉が散見されるのには閉口した。
 スペインは、幾つかの調査による「定年後に移住したい国・住みたい国」の10ヶ国には必ず入っている。私はスペインに移住したいとは思わないが、そのように考える人の気持ちも何となく理解できる。
  2001 年の 9.11 米国同時テロ事件に関する報道から思い出した「あの本 この本」とそれに連なる思い出を書いた次第。

エレジー
2023/03/15
「田舎の墓地にて詠める悲歌」と日本語で書かれたトーマス・グレイの ELEGY が書庫の片隅から出てきた。著者は増田藤之助氏、発行所は研究社である。表紙に硬い紙が使われた僅か 43 頁の冊子は昭和36年発行で定価は130円。
 若かりし頃に読んだか否かは覚えていないが、栞が挟まれていることから読んだように思われる。僅か43頁の冊子であることもあり、再度挑戦しようと読み始めたが、英和辞典と国語辞典さらには漢和辞典を参照しながらの難行苦行となった。
 最初の4行は、春あるいは秋の夕景を紹介している。
  The curfew tolls the knell of parting day,
  The lowing herd slowly o’er the lea,
  The ploughman homeward plods his weary way,
  And leaves the world to darkness and to me,
 であり、増田氏の訳は次のとおり。
  夕鐘陰々日の暮れ去るを告ぐ
  歸牛は吼えつつ遅々として野邉をたどり
  耕夫は家路を指して疲れたる歩を運ぶ
  天地冥黯吾れ獨り遺る
 このように原文と訳文が最初に示され、その後に増田氏の解釈や翻訳文の基礎となった諸々の考え方・意見やその根拠が書かれている。
 例えば最初に現れる curfew については「 curfew はむかし火や光を消して家々就寝すべき合圖として、夜の八時或は九時に鳴らされたる鐘、茲にては入相の鐘の意、此の語殆ど廃語に属すべかりしをグレーが之を用ひたるが為に、今にてもカァフュウといへば人をして此の悲歌の冒頭を憶ひ起こさしむるに至れり」という具合である。
 更に「 weary は人に冠せしむべき形容を移して人の歩むところの道に冠せしめたる、修辭學に所謂 Transferred epithet にして、即ち『疲れたる道を歩む』とは『疲勞してとぼとぼと道を歩む』との意」と修辭學からの説明もある。
 新体詩抄(明治15年発行)にも訳文があるのではないかと考え筑摩書房版の明治文學全集 60 巻(明治詩人集(一))を参照した。そこでは、矢田部良吉が「グレー氏墳上感懐の詩」として次のように訳している。
  山々かすみいりあひの  鐘はなりつゝ野の牛は
  徐に歩み歸り行く  耕へす人もうちつかれ
  やうやく去りて余ひとり  たそがれ時に殘りけり
 インターネットを使い、現代文でこの詩を訳している人がいないかを調べた。訳者は誰だか不明だが最初の部分だけを訳したものが見つかった。
  教会の塔の鐘は夕刻を告げ
  草地で牛は鳴きつつ巡る
  鋤き返しに疲れた農夫は家路を辿る
  あとに残るのは闇とこの私だけ
 三者三様の翻訳であり、それぞれに素晴らしいが、私には矢田部氏の七五調の訳が好ましく思われる。
 この小冊子には何枚かのモノクロのスケッチが収められている。作者は誰とは書かれていない。一見すると、時代は異なるが、テレビの美術番組で何度もお目にかかったジョン・コンスタブルの絵をモノクロにしたような風景画である。イギリスの田舎の生活については何冊かの本で読んだ以外の知識はないが、この画を眺めていると何か懐かしさを覚える。

思い出す書店主
2023/03/08
 内容よりもそれを入手した経緯やその際に書店主と交わしたいろいろな話を思い出させる本がある。
 手元には加藤秀俊編の「紛争の研究」(農山漁村文化協会)がある。まえがきによると、これは通産省企画室産業研究所(当時)からの委託により行われた研究会での発表をもとに参加者が執筆した論文を纏めたものである。古びたこの本を見るたびに会社からの帰り道に私がよく立ち寄った書店とその店主を思い出す。
 その店は大阪駅に近い4〜5階建てのペンシルビルの2階にあった。当初は同じ場所にあった平屋の店だったが、土地の有効活用のため貸しビルを建て、自らは2階に入った。2階という書店には不向きな立地条件ではあったがいつも何人かの本好きが本を選んでいた。友人との待ち合わせ場所にここを選んだこともある。
 この書店は雑誌、週刊誌やベストセラーなどは一切置いておらず、店主によって選ばれた本だけがきっちりとした分類に従って並べられていた。ジャンルは極めて広範囲だった。「あれ?この本が」と驚いたことは幾度もある。賞を取った文芸書が置かれていたか否かは覚えていない。
 ある時、私は店主に私が作成したある学者の著作の一覧表を渡し「チェックしてある本は保有している。未チェックの本とここに載っていないこの人物が書いた本を全て入手したい。ただし、学術論文集は不要である」旨を伝え、本の入手を依頼した。私の考えでは未チェックの本を含めて数冊程度だろうと思っていたが、店主からの連絡で店に出向いたときにはその倍の数の本が手渡された。
 その中には、共著本は勿論一部分だけに著者の文章が掲載されている本もあった。店主の知識あるいは調査能力に感謝するとともに、どのようにして探し出したのだろうかと思った。
 上に述べた本はその際、店主が探し出してくれた一冊である。
 店主は淡水魚を保全する会を主宰していた。国内のみならず東南アジアの国、確かネパールだったと記憶しているが、その国の淡水魚保全・保護にも力を入れており何度か現地を訪れたようだ。店主が発行した淡水魚保全活動に関する小冊子も何冊か貰った。
 当時は若かった私より20歳以上年長だと思っていたが、実に穏やかな人物だった。私の質問に対しても控えめに的確に答えてくれた。
 このコラム欄のタイトル「あの本 この本」から「この本」を探してくれた店主とその思い出を書いた次第。

またまたフェルメール
2023/03/01
 1回でも利用すると通信販売会社からはその後は継続的にかなり分厚いカタログが送られてくる。旅行代理店からの案内も同じである。現在我が家宛にはそれぞれ3社からの送付がある。無駄だなあと思う反面、結果的には効率的な営業なのだろうと結論付けるのは長いサラリーマン生活の性か。
「もう海外旅行をすることもないなあ」と思いながら、送られてきた海外旅行パンフレットを眺めていたら、オランダ旅行の旅程の中に、アムステルダム国立美術館で開催される「過去最大のヨハネス・フェルメール展」を訪れる日程が組まれているのに気が付いた。
 このときまで、私はこの美術展について一切知らなかった。インターネットで調べると2023年2月10日から6月4日にかけて28点の作品が展示されるという。現存する作品の数が30数点と言われていることを考えると、フェルメール・ファンにとっては見逃せない展覧会であろう。
 フェルメールの全作品を見るために世界各地の美術館を訪れるという各国の熱狂的なフェルメール・ファンの存在は何かで読んで知っていた。その中には「フェルメールの全作品を見る」ことを目的に旅をしたジャーナリストの朽木ゆり子さん(「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書))や作家の有吉玉青さん(「36作品への旅 恋するフェルメール」(白水社))もいらっしゃる。
 これらの人々にとってもこの展覧会は見逃せないものだろう。
 時間とお金があっても世界中にあるフェルメール作品を全て見ることはそう簡単なことではない。個人所蔵の作品もあり(これは展覧会に貸し出されるのを待つしかない)、美術館所蔵作品であっても他館に貸し出されている場合(私がルーブル美術館を訪れたときには本来「レースを編む女」が掛かっているべき壁面は空白だった)もある。さらには英国王室コレクションの「音楽の稽古」は、現在はどうなっているのかは知らないが、かつてはエリザベス女王が宮殿を留守にされる7月末から9月中旬までしか見ることができなかった。それに盗難に遭い現在行方不明の絵も1点ある。
 事実、朽木ゆり子さんは、最初の旅行では事前に慎重に調査したにも拘らず全点踏破はかなわず、3点を見ることはできなかった。有吉玉青さんは1990年10月から2006年7月まで9回の旅行と東京(上野)と大阪の展覧会で「現在みられる35点を見るに至った」が、「それを所蔵する美術館を訪ねるという意味では未だ……に行っていない」と書いている。
 このようなことを考えると、一つの展覧会で28点の作品を見ることができるというのは稀有の機会だろう。世界中から多くのフェルメール・ファンが訪れることは想像に難くない。
 現在展示作品リストとして公表されているのは28点だが、格別の留保がなされていないところを見ると展示替えはなく、全期間に亘って全28点が展示されるのだろう。
 どのような作品が展示され、それらを私たち夫婦がどこかの美術館や展覧会で見たか否かをチェックしてみた。私たち夫婦が国内外で見た作品は21点あった。残りの7点については1点を除き全てアメリカの美術館の所蔵作品である。これらの将来の国内展での展示を期待しよう。

もう一度「児童文学」
2023/02/22
 どうも「児童文学」という言葉が頭のどこかに住み着いたようだ。図書館で何を探すというあてもなく、棚を順に眺めていると「児童文学入門(谷本誠剛、研究社出版)「児童サービス論」(編集:植松貞夫・鈴木佳苗、樹村房)「子どもと本」(松岡享子、岩波新書)が目に止まった。
 最初の二冊は大学教科書あるいは参考書、最後の一冊は著者の経験を基礎に子どもと本についていろいろな観点から書かれた一般書と見たが、この見立ては正しいだろうか。
 最初の二冊の本では「児童文学をどのように捉えているか」、また三冊目の本は「アメリカの図書館では児童室の書籍をどのように選んでいるか」との観点から眺めたが、いろいろと教えられることがあった。
 私にとって新しい観点、知らなかったこと、もう少し考えてみようと思ったことを書き留める。
「児童文学入門」では最初に「1.児童文学のはじまり―児童文学とは何か」が置かれている。そこでは「児童文学が子どものために書かれた、子どもの本であるというのはその通りである」と書きつつ「『子どものために』というのは、実はそう簡単なものではない」とし「いずれにしても児童文学史上の傑作とされる作品は、ほぼ例外なく大人の心や想いそのものにかかわるものとなっている」と述べる。
 結論として「つまり児童文学には、大人読者そのものを当初から想定している部分がおおいにあるということである」とする。
 ただ、「児童文学創作の背後には子どもをどうとらえるかという『児童観』の問題がある」との指摘は、よくは理解できなかった。「罪ある子ども(sinful child)」「子どもは天使である(angelic child)」「小型の大人(miniature adult)」「あるがままの子ども(children as they are)」と捉え方によって児童文学が変わるということだろうか。
「児童サービス論」では図書館のヤングアダルトサービスを知った。その対象は「主に中学生・高校生を対象の中心としているが、小学校高学年から大学生までを対象として視野に入れている館が多い」としている。しかし、ヤングアダルト向けの図書とはどのようなものを言うのかということについてははっきりとは書かれていない。
 ここでは、ヤングアダルト文学は、児童文学の「タブーの崩壊」以後の流れのなかで出てきたという意見を紹介している。ここでいうタブーとは性・自殺・家出・離婚などを言う言葉らしい。
「子どもと本」では著者がアメリカの図書館で働いた経験に基づき書かれた「児童室の選書」を面白く読んだ。そこでは「図書館員は(割り当てられた図書に)自分なりの評価を下すわけですが、このときの基準になるのは、自分自身の読書体験(とくに子どものときのそれをよく思い出すように、とすすめられます)、図書館学校で学んだ評価の基準と方法、それに(自らが勤務している)図書館の児童書の選書方針の三点です」と明確に述べている。
 これらに基づいた選定結果を評価用カードに記入する。カードはノンフィクションとフィクションに分かれ内容や評価その他を詳細に記入する。本の装丁、造本、印刷、紙質などに問題があるときはそれも記入する。これらに基づき選書会議で決定する。
 図書館が選書方針を明らかにしているのは、訴訟社会アメリカの一面を垣間見るような気がするが、そのようなことがなくても選書方針が明確であることは必要だろう。
「選書会議では、読んできた委員が、短く口頭で本を紹介し、ほかの委員が意見を述べます」などと決定方法を詳しく紹介している。結果的には「どの本も少なくとも二人以上の図書館員が読んでいて、選書委員会で討論の上、委員会として受け入れを決定しているのです」となるそうだ。
 これらが、三冊の本の上っ面を撫でただけの私が気が付いたこと、新しく知ったことだが、これらの本を読んでも、児童文学やその選書についての私の知識は「単に象の一部分を撫でたに過ぎない」ような気がしないでもない。

「日本語ドリル」
2023/02/15
 新しく発行された本についてだったか、よく売れている本についてだったか、どのような欄に書かれていたかは全く覚えていないが、新聞の数行の記事でこの本が紹介されていた。「知らなきゃ恥ずかしい!?」との副題の付された上田まりえ著「日本語ドリル」(祥伝社黄金文庫)である。著者は元アナウンサーだそうだ。
 図書館の在庫を検索すると100人を超える予約が既になされていた。自分で買うほどの本でもあるまいと思い、忘れた頃に連絡があるだろうと一応予約の手続きをした。
 手にした本は予想どおりの内容だった。比較的間違いやすい表現や用語について正しいものと間違っているものを並べ、簡潔にその説明をしている。ほとんどの問題は正しく答えることができたが、「存亡の危機」(正しくは「存亡の機」)「見かけ倒れ」(正しくは「見かけ倒し」などは、過去に無意識に間違った表現を使ったこともあるかも知れないと反省した。
 なかに「とんでもありません!」と「とんでもないことです!」があった。これを見たときにかつてあるテレビ番組から引退するアナウンサーの渡辺真理さんが最後の番組でそれまでの彼女の貢献を最高の誉め言葉で称えられたときに、彼女がきっちりと「とんでもないことでございます」と言ったことを思い出した。
「舌鼓」をどう読むかの問題では、テレビの旅番組のナレーションを担当している落語家がきっちりと「したつづみ」と発音しているのを聞いて「前座の頃に師匠にきっちりと教育されていたのかも知れない」と思ったこともある。
 著者は「一番最初」と「一番はじめ」については「最初」は「一番はじめ」の意だと書き、「一番最初」は重複表現になってしまう、と教えてくれる。「まず最初に」も同じである。
 私は文章でよく「一番最初に……」と書く。そのときは私のパソコンではその下部に二重線が引かれ、検討するようにと教えてくれる。多くの場合、パソコン先生の指摘に従って表現を改めるが、場合によっては文章の勢いからそのままにすることもある。「従来から」も同じような理由で使うことが多い。ただ「過半数を超える」は使わないようにして「半数を超える」や「過半数に達する」とするように努めているつもりである。
 また、無意識に書く「違和感を感じる」も読み直したときに「違和感を覚える」や「違和感を抱く」と書き換えるようにしている。
 著者はあとがきで語法に存在する「ゆれ」について「近年はSNSなどの普及により、誰もが気軽に広く世の中に発信できるようになりました。そのため、言葉の変化していくスピードが、一層速くなっているように感じます。本書に掲載した語も、おそらく数年以内で変化するものが出てくると思います。言葉はその時代を映し、後世に歴史を伝える重要な役割を担っています」と書いている。「ゆれ」についてどのような意見なのかははっきりとは書かれていないが、「ゆれ」の存在を認めつつも、あまりにも早い「ゆれ」はいいことではない、と思っているのだろう。
 私自身は「言葉は変化する」ということは認めつつも、ちょっと辞書を引けば簡単に正しい表現が分かるのに、その手間を惜しんでかどうか、誤った言葉や用法が使われ、それが世を席巻し、それに追随する形で正しい言葉や用法が「ゆれ」るのは賛成し難い。
 今もテレビから「なにげに」という言葉が聞こえてきた。

「圓生とパンダが死んだ日」
2023/02/08
 書庫を整理していたら矢野誠一著の「圓生とパンダが死んだ日」(青蛙書房)が目に付いた。数年前に廃業した近くの古本屋で30年ほど前に買ったことは覚えている。あとがきには著者の世界にいるひと、著者との交遊関係にあるひとの「人物論めいたもの、人物誌、交遊録、そしてレクイエムが中心である」と書かれていた。
 著者の矢野誠一氏については落語を中心として評論活動を行っている人物としか知らなかった。それと入船亭扇橋を宗匠にして小沢昭一、永六輔、江國滋、柳家小三治、桂米朝(いずれも故人である)などがメンバーである「やなぎ句会」の一員であるということと。
 古本屋の雑然とした棚を順に眺めていて、この本に目が止まり買ったのはそのタイトルが理由である。
 1979年(昭和54年)9月3日に上野動物園のジャイアント・パンダ「ランラン」が死んだ。その日は落語家・元落語協会会長六代目三遊亭圓生が死んだ日でもあった。
 新聞各紙は圓生の死よりもランランの死を大きく取り上げ、なおかつ、私の記憶しているところでは、朝日新聞は「パンダが死んだ円生も」という見出しで報じた。違和感を覚えると同時に、なんという見出しを付けるのか、と内心腹が立った。古典落語に深い造詣を有する会社の先輩もこの見出しには怒りを露わにしていた。
 この本の最後に「圓生とパンダが死んだ日」とのタイトルで書かれた8頁の文章がある。著者は三遊亭圓生の死を行きつけの酒場で新聞社からの連絡で知り、依頼により電話口で(当時は携帯電話はなかった)圓生の芸や人となり、さらには自分の気持ちについて話したが、それを漏れ聞いた人が「かわいそうに、パンダが死んだらしいワ」と他の客に囁き、店中に広がった。著者は「ちがうよ、パンダじゃないよ、圓生さんだよ」と訂正するが、「なるほど、流言飛語というのは、こうして伝達するものか」と書いている。
 そして「古今亭志ん生は……脳出血に倒れていらい、身体が自由にならず、不本意な高座をつづけた。……桂文楽は……口演中絶句、『まことに申し訳ありません。台詞を忘れてしまいました。……』の言葉を残して高座をおりていらい、その年の暮に世を去るまで、ついに落語を口にしなかった」と書き、「三遊亭圓生は、芸人としての生涯を、そのピークで終えることができたのだ」と3人の名人の最後を描く。
 圓生の最後の高座が「檜舞台での人情噺の大作ではなく、地方都市の結婚式場で、小噺に毛の生えたようなはなしをして、去って行った姿勢が、芸人らしくて、圓生のために、よかったという思いがするのだ」とし、「きけば奇しくも自分の誕生日であったというではないか」を加える。
「翌朝の新聞をひろげると、パンダの死が報じられていた。……仕方ないこととはいいながら、圓生の訃報よりも、はるかに大きな扱いであるのが、芸人圓生のために、ひどく悲しかった」で終える。
 人を気安く受け入れようとしない姿勢や人一倍名誉欲が強かったことなど明治生まれの無邪気さとかたづけてしまうわけにはいかない複雑さを秘めていたということも書き、三遊亭圓生という人物に対するレクイエムとしている。

本の読み方
2023/01/01
 お粗末な話だが、本の読み方も年齢によって、人生経験によって変わる、という当たり前のことに気が付いた。
 書棚にあった「スイス賛歌 手作り熟年の旅」(高田信也、文芸社)を取り出した。この著者の手作り熟年の旅シリーズについては「アマチュアが書いた旅の本」というタイトルで2021年1月20日に少し紹介した。
 この本の処分に先立って、もう一度ざっと目を通した。頁を追いながら、ツアー旅行中の自由時間を利用してマッターホルンがいちばん美しく見えるスネガの展望台へ地下ケーブルカーを使って行き、そこでビールを飲みながら、心行くまでマッターホルンを眺めたことやツアー同行者と離れ、列車、ロープウェイ、電車、ケーブルカーを乗り継ぎ、遠くに数人の旅人の姿が見えるだけの「アルプスのお花畑」を独占し、カウベルの音を聞きながら散歩したことも思い出した。
 全頁を眺めたが、その時に以前には気に留めなかった幾つかの記述に目が止まった。
 著者は、はじめにとして14頁、あとがきとして6頁を使い、力を込めてその当時の日本の状況を憂えていた。「平和であるということは無条件に歓迎すべきことだが、モノが豊かで物質生活が満ち足りているということが、直ちに人間の幸せに結びつくかどうかについては、おおいに疑問がある。それに、世界が、本当に平和なのかどうかでさえ、怪しくなってきた」と書き、その後に、次のような文章を載せている。「とどまるところを知らない物質的欲望を充足させるために、飽くことなく経済成長を追求する先進国……年々進行する地球環境の変化……まさに歯止めのないままに驀進するこの地球」「私たち人間の住むこの小惑星は、かつて考えられたような無限のものではない」
 著者が「一人当たりの国民所得が世界一」であり「小国ながら『物心ともに豊かな国』」と考えているスイスを鏡としてささやかな比較文化論を展開していることに、今回の読み直しにより気が付いた。最初に読んだときは、併せて145歳の熟年夫婦が何回か訪れたスイス、しかもその内の1回は3ヶ月間の滞在、の旅行記として読んだようだ。
 これも読み手としての私の関心の差なのか、心の向く方向が変わったのか、個々の事件や事案よりもそれを含む全体、格好よく言えば物事を俯瞰する見方になったのか、いずれにせよ同じ本を読んでも読み方や読後感が変わるということに改めて気が付いた。「気が付くのが遅すぎる」という批判は甘受する。
 同じことは私が愛読し、保存対象としている幾つかの書物についても言えそうだ。今まで読み過ごしていた表現や言葉が違った意味、より広い見方を表していることもあるかも知れない。それに気が付かず読み飛ばしているとすれば残念である。

湖北の観音さま
2023/01/25
 今までに数多くの観音さまにお目にかかってきた。思い出すだけでもいろいろなお寺や展覧会で拝観した聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音があり、泉涌寺では楊貴妃観音、安曇野の道端ではそっと置かれた馬頭観音にお目にかかった。
 仏教そのものや仏教美術には全く疎い私であるが、訪れたお寺では釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像、観音菩薩、文殊菩薩などの菩薩像を始め明王その他の仏像の前で手を合わせてきた。考えてみると多くの場合、何を祈るという気持もなく、我が家の仏壇に手を合わせるような気持で瞑目し合掌していた。
 湖北の観音さまについては若い頃から気になっていた。「多くが僧侶もいないお堂にひっそりと祀られ、村人たちの素朴な信仰によって守られてきた」という文章がその理由だろう。
 一度訪れたいと何度も思ったが、何に書いてあったか、どこで読んだか「それぞれがかなり不便なところにあること、管理をしている村人に予め連絡を取ってお堂の鍵を開けてもらう必要がある場合もあること」など京都や奈良のいわゆる観光寺院のような訳にはいかないことを知っていた。
 それでも、いつかは訪れようと、県立長浜北高等学校の美術講師・椙村睦親さんの「湖北観音巡礼 観音の里」(睦画会)「十一面観音の旅」(丸山尚一,新潮社)「観音のきた道」(鎌田茂雄、講談社現代新書)「京都・滋賀 かくれ里を行く」(監修:木村至宏・森谷尅久、淡交社)などは目に付いたときに買っていた。これらの内の一冊には「湖北の観音」について書かれた1995年の新聞特集記事も挟まっている。
 予めいろいろとアレンジし、タクシーをチャーターの上、幾つかの湖北の観音さまを拝もうと思ったことも幾度もあったが、具体的に計画することも無く現在に至っている。
 最近では「十一面観音の旅」に収められた数多くの写真を眺め、その説明文を読み、「湖北観音巡礼」に描かれた歴史や言い伝え、土地の人びとが守っている習俗などに思いを馳せるだけになってしまった。
 己高山石道寺(ここうざんしゃくどうじ、木之本町石道)は、江州伊香三十三所観音霊場の第三十三番目の札所であるが、ここの十一面観音は重要文化財に指定されている。椙村氏は「国鉄木ノ本駅から・・・(中略)・・・石道(いしみち)の部落に入ると道端に『石道寺案内所』の立札が立っております。そこが観音堂をお守りしておられる当番の家です。家並の東のはずれの神前(かみさき)神社参道石段を背にして北に入り山裾をめぐると、桜木立に囲まれた小さなお堂が見えます。このお堂が現在の己高山石道寺です」と訪問の道筋を丁寧に教えてくれる。
 一方、丸山氏はそのお顔を「温かみに満ちた平安期の鮮やかな彩色像である。仏の威圧感など微塵も感じさせない。・・・仏の顔というより、さっき出会った石道の娘のふっくらとした顔にそっくりである。・・・(中略)・・・井上さん(同行の作家・井上靖氏)が嬉しそうに、一緒に拝みにきた村の娘さんたちの顔を見ながら『そっくりでしょう』と小声でぼくに呟(つぶや)かれたのを、よく覚えている」と書いている。
 添えられた写真をみて私も丸山・井上両氏と同じように、健康的な、素朴な、初々しい娘さんを感じた。
 湖北の観音さまが、現在でも、これらの書物に書かれたのと同じような状態でお祀りされているか否かは知らないが、過疎化現象の影響が観音の里のお祀りに及んでいないことを祈っている。

「想い出の流行歌」
2023/01/18
 書棚の片隅から文庫本の大きさの昭和52年発行「想い出の流行歌」(新興楽譜出版社)が出てきた。奥付には日本音楽著作権協会承認第○○〇番の記載と共にJASRUCの証紙が貼られており、著作権処理はきっちりとなされていることを窺わせる。内容はと言えば昭和3年の「出船」「波浮の港」から昭和35年の「霧笛が俺を呼んでいる」「さすらい」まで438の歌謡曲の歌詞だけが並んでいる。昭和52年改訂第九版発行とある。
 買ったことは覚えているが、どのような折に、どのような気持ちで買ったのかは全く記憶がない。幾つかの歌詞にチェックが付されているが、それらから何かが分かるというようなものではなかった。
 もともと私は自分自身を音痴(近年の動向から考えて、この言葉を使用するのはよくない、といわれそうなので「調子外れ」と書き換えるべきだろうか)だと思っており、カラオケは頭から敬遠していた身であるから、カラオケに関連することがこの本を買った理由ではないこともはっきりとしている。
 買った理由は思い出せないが、処分にあたって中味を眺めているとなかなか面白い。何よりも多くの歌にあっては言葉が綺麗である。ほとんどが大和言葉である。同じことを言う場合でもいろんな種類の表現が適切に使われている。一番から二番、三番と歌詞を読んでいくと少しずつ違った言葉や表現が使われ、場面や情景や心理の移動が目に浮かぶようである。
 順不同で幾つかの歌詞を頭の中で曲を思い浮かべながらゆっくりと読んだ。
 私はこのような気持ちで歌詞を読んだのだが、何時だったかラジオで懐かしのメロディを聞いている時に、傍にいた孫が「暗い」「陰気だ」というような意味の言葉を発したのを思い出した。
 現在の若者の間で流行している音楽には疎く、全く知識がないが、ひょっとしたらそれらは歌詞もさることながらメロディが評価されているのかも、と思ってしまう。
 手当たり次第に眺めたが、ほとんどの歌詞とメロディを知っていることに気が付いた。そして幾つかの歌詞からはラジオを聞きながら勉強していた受験時代を思い出した。
 このような経緯を経て、この本について処分はもう少し後にしようとの救済措置を取ることにした。「このようなことをするから書庫の整理が捗らない」と思いながら。

「コクリコ」から思い出すこと
2023/01/11
 妻との何の会話からだっただろうか、コクリコという言葉が口から出た。同時に、学生時代に友人宅を訪ねた時に、いつもその母堂が出して下さったケーキの箱に書かれていたコクリコという店名と「君もコクリコ、われもコクリコ」というフレーズが、頭の中に蘇った。「コクリコ」とは「ひなげし(雛芥子、雛罌粟)」のことである。
 このことを契機として蘇った記憶、「コクリコ」に纏わる諸々を思い出すままに書き連ねる。
 最初は洋菓子店の名前の「コクリコ」とは何か知らなかった。が当時大学生で第2外国語をフランス語として勉強していたことからフランス語らしいと気が付き調べたところCoquelicot であり「ひなげし」であることが解った。
「君もコクリコ、われもコクリコ」はシベリア鉄道で大陸を横断し、夫与謝野鉄幹の許を訪れた妻与謝野晶子がフランスで作った短歌「ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は火の色す 君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟(こくりこ)」(日本の詩歌4、夏より秋へ)である。
 ひなげしは、ヨーロッパ原産のケシ科の一年草であるが、英語ではポピー (Poppy)、スペイン語ではアマポーラ(Amapola)と呼ばれる。日本語の虞美人草(グビジンソウ)もこのひなげしのことである。
 この虞美人草という名は、中国・秦の時代の武将・項羽の愛人であり、項羽が四面楚歌の状況になったとき自ら命を絶った虞美人を葬った墓地に翌年赤く咲いた花がこれであった、という有名な伝説に由来する。
 同じように思い出すひなげしは、クロード・モネの「アルジャントゥイユのひなげし」(Coquelicots a Argenteuil)であり、アグネスチャンの「ひなげしの花」(作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一)であるが、これらは省略。
 序に、芥子(ケシ)については、麻薬のアヘンの原料となる種があるため、その栽培に注意する必要がある。
 このこととの関連で思い出すのは、かつて訪れた京都市立植物園では、栽培が禁止されているケシは金網で囲った場所で展示されていたことや、河原に生えていた野生のケシの中に、栽培禁止種が含まれていた、とのテレビや新聞の報道である。
 厚生労働省は「けしの仲間(ケシ属植物)は、春から夏にかけて色あざやかで美しい大きな花を咲かせるものが多く、ガーデニングや切り花用の植物として人気があります。しかし、けしの仲間には、法律で栽培が禁止されているものがあります」と注意を喚起し「これらは、外観の特徴から、園芸用のけしと区別できます。けしの仲間を正しく見分けましょう」と写真入りのパンフレットで教えてくれている。
 最近の私のウオーキング道にも野生の芥子が咲いており、近くの保育園から散歩に来ている幼子が飽きずに眺めているのを見ることもある。
 花の名前について触れた際には、花言葉を書くのが常識だろう。「恋の予感、いたわり、思いやり、陽気で優しい、忍耐、妄想、豊饒」とあった。

フォトブック
2023/01/04
 数年前から気が付いていたのだが、アルバムに貼られた写真などの家庭写真を一冊の本にすることを勧める広告がパソコン画面によく現れる。この現象はデジタルカメラやスマートフォンの普及と諸々のデジタル化の進歩に大いに関係がありそうだ。
 載せる写真の数や印刷の質、さらには製本の方法により金額は異なるが、一冊数百円から数千円で一冊単位で自らが選んだ写真を一冊の本にすることができる。子どもの成長記録や家庭の記録としてはアルバムで残すよりいいかも知れない。
 趣味仲間の作品を集めて一冊のフォトブックにしたものを法律の規定に基づき国立国会図書館に納本したところ受け取って貰ったとの話を仄聞したこともあることから、フォトブックもこの欄の表題にいう「あの本 この本」の「本」に含まれる、と解釈し以下の文章に続ける。
 我が家には結婚以来の写真が張られた99冊のアルバムがある。日付順に整理された我が家の諸々を記録したこのアルバムはそれなりに意味があるとは思うが、私たちが死んだ後は子どもたちはその処置に困るだろう。
 どこの家庭でも写真の整理は一つの問題である。作家の曽野綾子氏はその著書で残すべき写真100枚を選んだと書いている。友人の弁護士は今までのアルバムを全てスキャンしDVDに記録させ、子供たちに渡したと言っている。人生の記録を100枚の写真に託すのは至難の技であろうが、DVD化したアルバムよりも見て貰えるチャンスは多いかもしれない。
 我が家の場合は99冊のアルバムから選んだ写真をフォトブックにすれば嵩も格段に小さくなり、書庫にある本棚に占めるスペースもほとんどゼロとなる、と考えた。また子供たち、孫たちも偶には見てそれぞれの成長を確認してくれるかもしれない。
 このように考えて我われ夫婦が営んできた家庭の歴史に意味があると思われる写真を選び出し、それに付箋を貼った。これを基礎に妻の意見も参考に残すべき写真を選び出した。約1,200点になった。
 選び出された写真はフィルムカメラで撮影されたものとデジタルカメラで撮影されたものがあったが、その割合はざっと見て6:4だった。そのフィルムカメラで撮影された写真は、スキャナーを使ってスキャンしデジタル化した。この作業は妻と二人で役割分担をして行った。楽しくもあったが結構面倒な作業だった。
 フォトブックの作成に使ったソフトはかなり良くできており、パソコン技術の極めて乏しい私でも簡単にというかそう悩まずに作業ができた。結果として1冊に約400枚の写真が掲載された3冊のフォトブックが完成した。3冊合計で3,000円強だった。
「歩み来し日々」とのタイトルが付いた3冊のフォトブックを眺めて一人で悦に入っている。が、アルバムそのものは未だ処分できていない。
 今までの写真の整理はこれで一段落というところだが、今後増え続ける写真の整理はどうしよう。

新聞・雑誌のスクラップから
2022/12/28
 最近では新聞や雑誌はほとんど読まないが、それでも人に教えられたり、目に付いたりした文章は切り取り、順不同でクリアファイルに挟み込んでいる。長年の性だろうと苦笑せざるを得ない。
 このような結果溜まったスクラップを整理していたら、世界的ベストセラー「サピエンス全史」上下2巻の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が、2020年3月15日TIME誌に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」が見つかった。
 これと併せて、2021年12月19日の読売新聞朝刊1面の「地球を読む」欄に掲載された山中伸弥京大IPS細胞研究所長(当時)の論稿「コロナが示す科学の課題」も。
 いずれも新型コロナウイルスに関連する文章との理由で切り抜いたに違いない。
「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか」についてハラリ氏は「今こそグローバルな信頼と団結を」と言う。
「感染症と人類の戦い」について
 過去に世界的規模で発生した黒死病(ペスト)、天然痘、1918年の悪性インフルエンザ(スペイン風邪)では多くの人が死んだが、その後はエイズやエボラ出血熱などの恐ろしい感染爆発はあったものの、21世紀に感染症で亡くなる人の割合は、石器時代以降のどの時期と比べても小さい。
 これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が隔離ではなく情報であるためだ。人類が感染症との戦いに勝ち続けてきたのは、病原体と医師との間の軍拡競争で、病原体がやみくもな変異に頼っているのに対して、医師は情報の科学的分析を拠り所としているからにほかならない。
 感染症の大流行の原因がいったん解明されると、感染症との戦いははるかに楽になった。予防接種や抗生物質、衛生状態の改善、医療インフラの充実などのおかげで、人類は目に見えない襲撃者よりも優位に立った。
と、天然痘の根絶の経緯を述べる。
「この歴史は、現在の新型コロナウイルス感染症について、何を教えてくれるのだろうか?」との問いには
 第一に、国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能であることを歴史は示している、第二に、真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成されることを歴史は語っている。
と述べ、
団結の例として
「1970年代に人類が天然痘を打ち負かすことができたのは、すべての国のすべての人が天然痘の予防接種を受けたからだ。たとえ1国でも国民に予防接種を受けさせることを怠っていたら、天然痘ウイルスがどこかに存在して変化を続けていたら、いつでもあらゆる場所に拡がりうるからだ。
という。
 今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。
 信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、将来、この種の大流行に繰り返し見舞われる可能性が高い。だが、あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい。
とハラリ氏は結論付ける。
 ハラリ氏の意見は尤もだ、と思う反面そのためには人類はもう少し賢明に、いま以上に賢明にならなければならない、と強く思う。
 山中伸弥京大IPS細胞研究所長(当時)の論稿「コロナが示す科学の課題」では研究成果の発信についての卓見というかマスメディアが現時点で全く忘れている基本的な事柄が落ち着いた淡々とした口調で述べられている。
 氏は、最初の21行を使って現時点での新型コロナウイルスの状況を「このオミクロン株に関する記述は、12月中旬での情報を基に出来るだけ正確を期したつもりである」との留保のもと纏められている。
 このように現在の状況を纏めながら、「半年後には全くの間違いであったということになるかもしれない」と現時点までの新型コロナウイルスに関する科学者の見解を次のように客観的に記述している。
 曰く「新型コロナウイルス発生当初、多くの科学者は、症状のない人がマスクをすることにはあまり意味がないと考えた。効果的なワクチンが迅速に開発され1年以内に接種が始まると考えた研究者はあまりいなかった。デルタ変異株による我が国の第5波が急激に終息すると予測できた研究者も少数だった」。
 確かに山中教授の言われるように、マスメディアに登場した専門家と紹介された科学者は全て「マスクは感染者が他人を感染させないためのもので予防には意味がない。ワクチンは早急には開発されない。各国の状況から判断してデルタ株による第5波は早急には終息しない」と声を大にして発言していた。
 山中教授は「これが科学の限界であり、課題である」と書き、そして「科学者として自らの限界を認識し、謙虚になることの重要性を再認識する機会となった」と続ける。
 この「謙虚になることの重要性」について、教授は「情報の確からしさは明確に区別されずに伝わっていることも多いと思う」と遠慮がちに書かれているが、この文章の前に「科学の成果は多くの過程を経て検証される。生命科学においては最初の実験に成功したのち、@自ら何度も再現性を検証し、A論文として投稿し、数人の専門家による検証(査読)を受け、B論文公表後は世界中の多くの研究者による検証を受けることにより、成果の“確からしさ”が増す」と書かれている。
 山中教授はその論稿の後半において、研究結果を迅速に、分かりやすく、確からしさとともに伝えることについて「いま情報の発信に際して必要なことは、いたずらに多くの情報を発信することではなく、その確からしさを伝えることにある」とされる。
 マスメディアには山中教授のこの発言を尊重してもらいたいと思うと共に、情報の受け手である我われもその「確からしさ」につき常に思いを致すことが必要だろう。
 以上は二つのスクラップを処分するに際しての記事に対する弔辞である。

「阿呆船」あるいは「愚者の船」
2022/12/21
 図書館からセバスティアン・ブラントの「阿呆船」上下(尾崎盛景訳、現代思潮新社)を借り出した。今の今まで全く知らなかった著者のこの本を借り出したのには次のような経緯がある。
 発端は私たち大学写真部OBの30数人が毎年秋に京都文化博物館で開催している写真展に、私が出展した3点の作品の一つに写っていたモニュメントである。このモニュメントは旅行で訪れたドイツ・ニュルンベルクの市街地の広場に設置されていた。私は設置されている大きな彫像作品を背伸びして眺めている子供の後ろ姿を写真に撮った。
 写真を撮りながら面白い作品だとは気になっていたが、縁に手を添えて背伸びをしてそれを眺めている赤いセーターを着た変わった髪型の男の子が可愛く、彼の方に関心が向いていたので、モニュメント自体の全体像についてはあまり関心を抱かなかった。
 忙しい中、展覧会を見に来てくれた若手女性法律家2人のうちの1人が、写真に写っているモニュメントが気になったようで「あれは誰の作品?」だったか「あれは何?」だったか、このような表現で私に質問した。
 その場では「知らない」と答えたが、時間もあることだし、ちょっと調べてみようと思った。玉石混交、不正確な情報や誤った情報が混在している、孫引き・曾孫引きが多い、など問題は多々あるものの「とっかかり」としては便利なインターネットで検索することから始めた。
 予想どおり観光客が撮った問題の物体の写真とその感想が書かれた画面が数多く現れた。その中に「この彫刻は15世紀のドイツ作家セバスティアン・ブラントによって書かれた風刺文学の作品をモチーフにしています・・・ルーブル美術館に収蔵されているヒエロニムス・ボスの『愚者の船』も同じ題材の作品です」との文章があった。
 この文章から、セバスティアン・ブラント、愚者の船、をキーワードとして再度検索すると、解説・太田泰人(神奈川県立近代美術館 普及課長)とのコメントの付いた次のような文章も見つかった。
「『愚者の船』は、ドイツの学者・諷刺作家セバスティアン・ブラントの長大な寓意詩。“愚者の楽園” ナラゴニアに船出する愚か者たちの物語で、同時代の愚行や乱れた生活態度、暴飲や好色などの悪徳、聖職者や法律家の腐敗などについて諷刺的な批判が盛り込まれている。(以下略)」
 ブラントのこの寓意詩についてウィキペディアは「1494年に発刊され、ラテン語、英語、フランス語、オランダ語など各言語に翻訳されて16世紀ヨーロッパにおけるベストセラーになった。・・・(中略)・・・巻頭第一章を飾るのは、万巻の書を集めながらそれを一切読むことなく本を崇めている愛書狂(ビブロマニア)であり、ここでは当時勃興した出版文化の恩恵に与りながら、有効活用もせず書物蒐集のみに勤しむ人々を皮肉っている」と説明している。
 多分最後まで読み通すことはないだろうと思いながらも、ひょっとしたら私もその端に連なるかもしれない愛書狂(ビブロマニア)についてどのように書いてあるのかが気になり、図書館の在庫を検索し借り出し予約をした。
 借り出した本は訳註まで入れると上下で548頁の堂々たるものだった。原文が韻文で書かれていることを尊重して全編を七五調で訳されているため、極めて読み易い。
 最初に「一 無用の書物のこと」とあり「わたしが船首におりますは、伊達や酔狂ではござらぬて、期するところがあればこそ。書物はわたしの生きがいで、宝の山と積んである。中味は全く分らぬが、蠅一匹にもふれさせず、あがめまつってありまする」で始まり、「それにわたしはばかせでござる。耳はかくれておりますな、粉屋のロバではござらぬぞ」で終わる。34行の文章である。
 その後は気になったところから適当に読み流したが、結構面白い。
「三一 日延べのこと」は34行詩で「一日二日と日を延ばし、明日の命も知らないで『あした、あした』と鳴く阿呆。『あした、あした』と歌いつつ、多くの阿呆が死んでった」と歌う。「三十八 言うことをきかぬ病人のこと」の94行詩には笑った。「病気を早くなおすには、なによりはじめが肝心だ」や「医者をたのんでおきながら、指図をまもらぬ阿呆者」は現代にも通じそうだ。
 最後に女性法律家の「この彫像の作者は?」については、ミュンスター生まれのユルゲン・ウェーバーとの記述を見つけたがその真偽は不明のままである。ニュルンベルク市当局にメールで照会することも考えたが、調査はこれで終わりとすることとした。
(注)訳者はタイトルについて「表題の“Narrenscniff”は一般にわが国では「愚者の船」と訳されていることが多い。もちろんそれで正しいのであるが、どうも批判の面が強すぎ、滑稽味に乏しいように思える。・・・それで「阿呆」という語を選んでみた・・・」と書いている。

命のビザ
2022/12/14
“日本のシンドラー”と称されている杉原千畝リトアニア領事代理の有名な「命のビザ」に関する話は知っている。命のビザの発行に関して私が抱いている若干の疑問の解決と杉原千畝自身やその行動についてもう少し当時の政治情勢と関連付けて勉強しようとの思いで、入手できた下記の4冊を読んだ。
「六千人の命のビザ」(杉原幸子、朝日ソノラマ)「諜報の天才 杉原千畝」(白石仁章、新潮選書)「千畝 1万人の命を救った外交官杉原千畝の謎(原題 In Search of Sugihara)」(H.レヴィン著、諏訪澄、篠輝久訳、清水書院)「杉原千畝と日本の外務省」(杉原誠四郎、大正出版)。
 杉原千畝が、記録されているだけで2,139枚の日本の通過ビザを発行し、数多くのユダヤ人の命を救ったことは紛れもない事実であり、また領事館を閉鎖し、公印を次の任地であるベルリンに送ってしまった後も、ビザに代わる渡航許可証を発行しユダヤ人の命を救おうとした事実も残されている。
 私の小さな疑問は杉原千畝のこの行為、行動が巷間語られているように「法律に違反し、さらに当時の日本政府の意向に反して行われた」のかどうかである。もし本当に「法律違反」のビザ、「日本政府の意向に反した」ビザであったとすると、このビザを使ってなぜ日本国に入国でき、そこから中南米オランダ領キュラソに出国できたのか、ということにある。
 上記の書物(「杉原千畝と日本の外務省」)には、次のような記述がある。
 当時の日本の外務省の規定では「日本に入国滞在する入国ビザは本省に事前打ち合わせする必要があったが、通過するだけの通過ビザならば領事の判断だけでできる」ことになっていた。この規定は、ビザの発給に関して領事に裁量権があることを示している。ただ、優秀な外務官僚として杉原千畝は自己の保身は図っている。多量の通過ビザ発行について本省の許可を求めたり、本省に「ウラジオストックでは行き先国等、上陸許可等の要件を満たした者のみ、乗船させよ」と伝えたりしている。杉原はあくまで合法範囲内の行為であることに拘っていた。
 また、合法であることを示す傍証としては「松岡(洋右)は、通過ビザによる日本滞留期間を10日から外国に出発する準備に必要な1ヶ月に延ばすことを示唆し実行させている」という事実もある。
 さらに幸子夫人の著書(「六千人の命のビザ」)には「お金を持たない人たちのために、アメリカのユダヤ人避難民救援会を組織して、日本やソ連の旅行社との交渉にあたりました。ユダヤ人協会が保証することを条件に、シベリア鉄道はソビエト国営旅行社インツーリストが、ウラジオストックからアメリカまでの斡旋は現在の交通公社の前身だったジャパン・ツーリスト・ビューローが引き受けることになりました」「アメリカのユダヤ人協会とジャパン・ツーリスト・ビューローとの契約を認めていた外務省は、一方では、ウラジオストックにあった日本領事館に『受け入れ国の入国許可を持つものだけを乗船させろ』という命令を出していました」と書かれている。
 よくは分からない記述だが、旅費を持たないユダヤ人が目的地まで行けるようにユダヤ人協会が保証し、それを外務省が認めて「旅費を持っている」と判断したということか。
 これらの事実から考えると、杉原千畝は当時の一部政府の関係者の意向には沿わなかったかも知れないが、全く法律規定を無視して日本通過ビザを発給したとは思えない。もし、法律違反の通過ビザならば、入国拒否が当然ではないだろうか。それにも拘わらず、なぜ当時の日本政府が入国を拒否しなかったのか、そして日本滞留期間を延長するという恩典まで与えたのか、この間の事情をぜひ知りたいと思っている。
 この4冊では、その他「6,000人という数字は何に基づいているのか」とか「杉原千畝は、日本政府の指示あるいは法律違反を犯したことを理由に外務省を追われたのか」とかについてもいろいろと検討されているが、法律を勉強した私の関心は専ら「杉原千畝は法律規定に違反して日本通過ビザを発給したとは思えない」点にある。
 これらの本を読んで巷間「杉原千畝は、外務省の命に背いてユダヤ人に日本を通過するビザを発給し、数多くのユダヤ人の命を救った」とされているのはちょっと違うのでは、と思ったことである。杉原千畝は優秀な外交官として法律規定を最大限に拡張解釈し、自らの保身も図りつつ裁量の範囲内という形で、ビザを発給したのだろう、
 ただ、多くのユダヤ人のために寝食を忘れ、さらには大使館閉鎖後もビザの発給に努めたことは忘れてはいけない。バルト3国を訪れた際、リトアニアのカウナスにある旧日本領事館(現在は杉原記念館となっている)の杉原千畝の机の前に置かれた椅子に彼がそうしていたような形で座った私はそう思う。
 最後に、昭和44年(1969年)、杉原千畝が初めてイスラエルに招待されて勲章を授与されたとき、イスラエル在の日本大使館は彼の滞在を無視するような行動をとったとされている(寡聞にして私はこのことを知らない)が、もしそうであればその理由は何なのだろう。

「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」
2022/12/07
 開高 健の著作は新潮社版「開高 健全集」全22巻に収められている。ここに収められていないエッセイ等を調査し、世に出したのが谷沢永一・山野博史共編の「開高 健 われらの獲物は、一滴の光り」(KKロングセラーズ)である。
 そして、その後に山野博史が発掘し纏めた逸文の一冊がこの「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」となる。
 ○○全集と言う言葉を聞くと、私などはその人物の全ての著作が含まれている全集である、それを読破(これがなかなか難しい、というより私には不可能である)すればその著者の全てを読んだことになる、と思ってしまう。
 ところが書誌学者に言わせると多くの全集にはいろいろと逸文、遺漏があるそうだ。ことに完璧と言われている全集ほど危ない、として「定本柳田国男集」(筑摩書房)や「定本漱石全集」(岩波書店)が取り上げられている。「露伴全集」(岩波書店)などはもう一冊発行できるぐらいの遺漏があるそうだ。
 書誌学的には「完璧な全集というのはこの世に存在しない」ことになりそうだ。
 全集という名を冠する限り、著者が月報、パンフレット、内容見本、アンケートに書いたものや、インタビュー、座談会や対談での発言さらには談話の記録なども含むべきであろう。例えそれがあまり意味を持っていないと思われても。
 どの作家についても全集は「敬して遠ざけている」私であるから、逸文、遺漏を集めたに過ぎない「開高 健 ポ・ト・フをもう一度」を読む意味はどこにある、と言われそうだ。その言は正しいが、この本を読んでいると開高 健という人物の知られざる側面が顔を出しているような気にもなる。と同時にこのような諸々を発掘した著者の開高 健に対する尊敬の念と学者としての地道な努力を感じる。
 エッセイ20編、インタビュー9編、談話記録6編等、合計49編が収録された本を楽しく読んだ。
 そこには開高 健の新刊「紙の中の戦争」についてのインタビューの際の発言として「しかし残念ながら、人類はたたかう理由を発見し続けていきます」が載っていた。
 また、朝日新聞の「文学はどこへ」のインタビューでは「・・・いま人間は精神のダイエットを忘れているんじゃないですか。でも精神のぜい肉がふえる一方で、実は本物を求める要求が強くなっているような気がする。そして、ものみな過剰生産の時代に読者をダイエットさせるのが、文学でありますまいか」という。

児童文学を楽しむ(1)
2022/11/30
けふばあチャン
湖北の野鳥センターにオオヒシクイを見に行って、ついでに近江孤蓬菴に寄って、道々名残の紅葉を眺めながら帰ってきました。家の雑用を終え、PCを開いて、いつものように
「図書館を考える大津市民の会」のホームページを開いて、・・・・驚いています。
楽しみに読んでいたKEIさんのエッセーが、今日のが最後と書かれていました。なんということ!
KEIさんのエッセーを読んでは、心の中で(ああ、そうそう)(こんな本もあったんだ)(なるほど、読んでみなくっちゃ!)(へ〜、そうなんや)(ああ、知らなかった)(行ってみたいなぁ)(ううん、むつかしいなぁ)(いやぁ、すごい!)(いろんな図書館を利用されているんだなぁ)(司書さんもすごいなぁ)・・・・などなど、独り言ちしながら、自分では感想も書かず、表面無反応。申し訳ないなぁと思っています。できれば、しばしの休養の後、再登場になればいいなぁなどと勝手なことを思っています。
児童文学について、少し書いたことがありました。それに対して、いろいろ調べて、書いてくださっていました。(紙上対談でもできたらいいなぁ)、そう思いながら、続きが書けないままに今日を迎えてしまったことが残念です。
私は、友人たちとひと月一回、いわゆる児童文学(どちらかというとヤングアダルトと言われる範疇に入るものが多いです)を一冊読んできて、わいわいぺちゃくちゃと感想であったり考えたことであったり、それから派生して自分自身の子どもの時の話題だったりと、話はあちこちしながら、一冊の本を通してのおしゃべりを楽しんでいます。主人公は、10歳から17歳くらい。テーマはいろいろですが、家族の問題、友だちとの関係、自分自身のこと、いろんな問題を解決しながら成長していく主人公。その周りの大人たちが(これがしっかり描かれているのがおもしろい)陰になり、日向になり、時には反面教師になったりと、主人公の成長を促しているのですね。
E・L・カニグズバーグ、ルーマ・ゴッテン、イリーナ・コルシュノウ、ジル・ペイトン・ウォルシュ、ティム・ボウラー、フィリッパ・ピアス、・・・・すてきな作家の作品の数々をひたすら楽しんでいます。どういうわけか翻訳物が多いのですが。多分、それなりの理由もあるのでしょう。いつになるか?次回も児童文学について(定義はなくともいいと思っているのですが)たのしんでいる…その一部でもご披露出来たらと考えています。
KEIさん、ありがとうございました。そして、また、お待ちしています。

私と図書館、そしてお礼の言葉
2022/11/23
KEI
「本は自分で買うものだ」という意識が強かった私は、図書館の役割や意義について考えることは殆どなかった。
「図書館の悪口は言わない、図書館に要求をしない」態度を前提に図書館について考えるという会の趣旨にある意味感動し、この欄にコラムを書き始めた。しかし図書館については何も知らないことに気が付き、ちょっと図書館について考えてみよう、勉強しようと思い、まず最初に司書さんに選んでもらった大学教科書「図書館概論」を一冊だけだが丁寧に読み通した。
 また、その後には「未来につながるヒストリー」との副題を持つ、オルタナティブ図書館史研究会「公共図書館の冒険」(みすず書房)で公共図書館が歴史的にどのように進展してきたか、と同時に情報環境が過去とは異なる現在や未来において果たすべき役割はどのようなものと考えられているのか、等につき具体的に勉強することができた。
 公共図書館について多くの問題点を指摘している薬師寺仁志、薬師寺はるみ両氏の共著になる「公共図書館が消滅する日」(2020年5月、牧野出版)は発行後直ちに読んだ。そして、この本で指摘されている事実の幾つかについては「図書館について考える場合には避けて通れない」問題であると、素人考えであるが、思った。ただ、両氏が指摘されている問題を現在の図書館界(同書ではこの言葉が使われていた)ではどのように評価されているのか、どのように考えられているかについては、残念ながら私は知らない。
 司書さんに幾つかの情報調査を助けて貰ったり、調査自体をお願いしたりしたこともあり、その際に図書館の選書についての話を聞いたこともある。図書館のバックヤードの見学会にも参加した。どのような方がどのように図書館を利用しているのか、について観察というには程遠いが少し気を付けて眺めたこともあった。
 図書館の歴史やその意義について書かれたエッセイや図書館自体さらにはそこで働く司書を主人公とした小説も何冊かは読んだ。
 これらが図書館に関する私の知識の全てである。
 広く言われていることだが「現在の公共図書館は、基本的に相互に矛盾する役割を求められ」ている。その結果として公共図書館の理想像あるいは期待されることや進むべき方向についても多種多様な考え方、見方がなされ、それに従って意見も異なっているように思われる。更に、これらは時代によって変わって行く、進歩して行くのに相違ない。
「図書館の悪口は言わない、図書館に要求をしない」態度を前提にして、公共図書館のあり方について真正面から向き合っておられる「図書館を考える大津市民の会」の活動が大きくなること、そしてそれが新しい図書館像を造る大きなきっかけになることを期待し、信じつつ、最後のコラムとさせていただきます。
 以下は感謝とお礼の言葉です。
「図書館とわたし」「図書館とわたし 本とわたし」「図書館とわたし あの本 この本」というテーマで駄文をこの欄に多数掲載して戴きました。今回の文章が最初から数えて187番目になります。この数字に格別の意味があるとは思いませんが、私自身が若干マンネリを感じていることもあり、KEIとしてはこれを最後とすることといたします。
 このような機会を与えて下さったことと拙文をお読みいただいたことにつき感謝とともに厚く厚くお礼申し上げます。最後に三好達治の処女詩集「測量船」の巻頭の「春の岬」でお別れ致します。ありがとうございました。
 春の岬旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも

本棚と人間性
2022/11/16
KEI
「本棚を見ればその人が分かる」と言ったのは誰だっただろうか。この文言は「あなたの本棚を見れば、あなたがどのような人物かを当てることができる」だったかも知れない。
 友人の元大学教授のフランス文学者に誰の言葉だったかをメールで照会したところ「欧米起源のようですが、特定の作者はないようです」との答だった。
 また、海外のことは知らないが、日本では古書店主は「お客様の蔵書をひとわたり拝見すると、その人の大体がわかる」と考えているという。そして、これは畏友から教わったのだが、米国人作家ガブリエル・ゼヴィンは小説の主人公である小さな書店の店主に「そのひとを知るには、そのひとがなんの本が好きか訊けばわかる」と言わせているそうだ。
 この欄に掲載戴いた文章で私は、私が所有している、あるいは愛読した本をほぼ全般にわたり取り上げたように思っている。図書館から借り出した本についても書いた。ただ、数多く所有している気楽に読んだ推理小説や時代小説には殆ど触れなかったようだ。
 また、自らの仕事に関係する書物と多くのサラリーマンが読んでいるその時代時代の経済動向や社会情勢に関する書物は意識的に除いたつもりである。前者は多くの人には関係ないだろうし、後者は・・・・・特別な理由はないが一過性の書物のような感じがしただけである。この種の本の中にはオイルショックの頃、この問題の行方をデータに基づききっちりと予測した長谷川慶太郎氏の著作のように何れの時代にも意味があるものもあり選んでもよかったのかも解らない。
 このような意識のもと「本とわたし」「あの本、この本」という切り口で幾つかの駄文を書き、ここに載せて戴いた。結果的に皆様に私の本棚をご覧いただく機会を提供し、私は裸になった、あるいは私がどのような人間かを全てさらけ出した、ということにもなってしまった。現在ではいささか恥ずかしい思いをしている。
 ここまで書いて電子書籍に思いが至った。もし、その人物が電子書籍の読者なら本棚を見ても本はなく、その人物がどのような書籍に関心があるかは分からない。
 しかし、公益社団法人全国出版協会出版科学研究所のデータによると2021年の「紙+電子出版市場」は1兆6742億円で、その内、紙書籍は6804億円、電子書籍は548億円(その他は紙雑誌、電子コミックである)となっている。この事実からは「本棚と人間性」について言われていることは未だ厳然と存在している、といっていいだろう。
 それはさておき、現在は書庫や書棚にあるこれらの書籍の処分が私の頭の中でかなりの部分を占めている。しかし遅々として進まない。「もう読まない」「読む時間がない」と考え、思い切って処分すればいいのだが、思い切りの悪いことに我ながら呆れている。
 もし望みどおりに書籍の処分が終わり、残された書籍が置かれた本棚を見た人は、現在の私とは異なった人物像を描くことになるのだろうか。冊数は減ったが現在と同じような内容の本が並んでいるということにもなりかねない。多分そういうことになるだろう。

剣客商売読本
2022/11/09
KEI
 平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」(文春文庫)34巻を読み終えた妻にこれはどうかと池波正太郎さんの「剣客商売」(新潮社)全16巻を手渡した。
 この物語の主人公は秋山小兵衛と大治郎の非常に対照的な親子の剣客。父親の小兵衛は小柄であり剣客として多くの修羅場を潜り抜けており、人間としてかなりの老獪さを有する。一方、息子の大治郎は非常に大柄で生一本の真面目な青年である。この二人が江戸の市井のいろいろな事件に関わり、見事解決していくという物語である。折に触れての主人公の剣の捌きが見事な筆致で描かれている。
 剣客が主人公のこのシリーズが女性に相応しいか否か若干気になりつつも2度テレビドラマ化され、舞台でも上演されたことを知っていたので、妻に手渡したわけである。このシリーズには手渡したこの16巻の外に番外編として2編があるがどういう訳か私の書棚にはない。これは図書館で借りることにしよう。
 妻は現在この本を読みつつあるようであるが、その感想を聞いてはいない。
 この本と同時に私が書棚から見付け出したのが「剣客商売読本」(新潮文庫)である。内容はと言えば、「池波正太郎『剣客商売』を語る」と題して池波さんが過去に「剣客商売」に関連して書いた短いエッセイを纏めたり、「剣客商売」事典としてそれぞれの場面に登場する人物を数行で紹介した一覧表、作中に現れる食べ物一覧、作品中に現れる出来事の年表などを掲載したりしている。
 さらには「剣客商売」の楽しみとして佐藤隆介、池内 紀など5人が短文を書いていたりする。
 番外編を含めた剣客商売18巻に現れる諸々をこのシリーズの愛読者が楽しんで纏めたようなマニアックな一冊である。
 なかでも私が楽しく再読したのは、「剣客商売」私ならこう完結させる、と題する大石新三郎(学習院大学名誉教授)、縄田一男(文芸評論家)、諸井 薫(作家)の鼎談である。ここでは3人は池波さんを横に置いて自由に自らの考えで作品を読み、それを解釈し、登場人物を評価する。
 そして対談の掉尾は老人スーパーマンのあらまほしき最後についての話になる。華々しく戦って死ぬとか、最後は剣豪小説から老境小説へと持って行くとか楽しく話しをしたのちに「何はともあれ明るくほのぼのと締め括りたい、これだけは多くの愛読者の偽らざる気持ちでしょう」(大石)で話を終える。
 カバー裏に特別付録として物語に現れる場所を現在の地図上に示してある今昔地図が印刷されているのは編集者の遊び心か。この編集者の配慮には今回の再読で初めて気が付いた次第。
 平成2年5月に亡くなられた池波さんであるが、没後に愛読者によりこのような本が編まれたのは作家冥利に尽きるとお考えだろうか。それとも・・・。

本が売れなくなった
2022/11/02
KEI
 仕事の関係で相知り、その後も仕事を離れて親しくしている東京在の若い友人からメールが入った。仕事で大阪に来るという。「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」ということで昼食を共にし、いろいろと話を聞いた。
 彼は私より10数歳若く、現在では法律関係書籍を出版する会社の社長を務めている。一昨年度、昨年度の売り上げや収益の話もしてくれたが、成績はそこそこで従業員にも賞与をきっちりと出したという。他人事ながら喜ばしいと思ったことである。
 食事をしながらいろいろと話をしたが、印象に残っているのは彼の「一般論としての話だが、本が売れなくなった」という発言である。確認はしなかったが、社会科学関係の専門書のことを言っていたようだった。
 例としてある難関国家試験の受験生の部屋を覗いたところ、参考とすべき専門書は一切なく、本棚にあったのはその国家試験の予備校の教科書だけだったという話をしてくれた。しかもそのような状態の受験生が試験には合格したとか。
 また、専門家の中には意見書を書くのに、基本的な電子書籍とその検索ツールだけを使い、必要な情報を得る人もいるという。その結果、意見書の内容やその優劣に大きな差ができているそうだ。
 友人は食事の場では相応しくないと言いながらこのような話をしてくれた。
 知人の元大学教授は、大学生が専門書を買わず、図書館の本で間に合わせていることを嘆いていた。同じようなことを書いたエッセイもどこかで読んだ記憶がある。
 これらは一つの例であろうが、確かに紙媒体の専門書の売れ行きは芳しくないようだ。本当にそうなのか総務省統計局のホームページから「書籍新刊点数」の「社会科学部門」のデータに当たった。平成29年から令和元年までは15,422、15,220、15,482と1万5千を超過した数字が並んでいるが、令和2年は14,068となっている。前3年に比し新刊発行点数は1割弱減っている。
 因みに全部門の数字も73,05771,66171,90368,608と年を追うごとに減少している。
 販売額については、社会科学部門だけの書籍販売額の推移についての数字を見つけることはできなかったが、書籍全体の販売額については見事に右肩下がりの状態である。社会科学部門にあっても例外ではないだろう。売れないことと新刊発行点数の減少は無関係ではあり得ない。
 ただ、児童書や学習参考書は毎年伸び続けているそうだ。となるとその他の部門の新刊発行点数や販売額の減少は推して知るべしであろう。
 また、出版指標年報 2022年版によると電子出版も含めた2021年度の推定販売金額は16,742億円であるが、そのシェアは紙書籍(40.6%)、電子コミック(24.6%)、紙雑誌(20.2%)、紙コミックス(11.0%)、電子書籍(2.7%)となっている。因みに2014年の紙書籍のシェアは43.8%で、電子書籍のシェアは1.1%であり、紙書籍のシェアが減少する一方で電子書籍のシェアは増加している。
 友人の「本が売れなくなった」との述懐から、友人の属する業界の書籍新刊点数や右肩下がりの状態にある書籍販売金額に占める紙書籍の割合などを興味本位で調べてみた。ちなみに我が家の書籍における電子書籍のシェアは0%である。

覚え違いタイトル集
2022/10/26
KEI
 妻宛に送られてきたある国文学会の会報に福井県立図書館で長年司書として働いてきた人物が、自らが力を入れている業務としてのレファレンス・サービスについての短文を寄せていた。
 そこで紹介されていたのは「利用者が覚え違っていたタイトルと司書が探し出した正しいタイトルとを表形式にして公式サイトに『覚え違いタイトル集』というページを公開している」というものだった。
 興味本位で、紹介されているサイトを眺めた。眺めてみると「散歩する漱石」(正しくは「闊歩する漱石」)「もたれない」(正しくは「倚りかからず」)「カラダの豚」(正しくは「ガダラの豚」)など結構面白い間違いが現れる。2022年6月2日現在で1057例が紹介されている。
 同図書館によるとこの項目の目的は2つあり、その1は「カウンターで職員にたずねてくださるお客様はほんの一握りで,多くのお客様は検索した結果『ない、みつからない』としょんぼりしておられるはず。そのような方に,ヒントとして活用していただきたいと思ったから」で、その2は「レファレンス・サービスの認知度を高めること」だそうだ。
 紹介されている照会結果にあった「外国(アメリカ?)のおじいさんが死んでいく様子を写真で紹介している絵本。20年ぐらい前にどこかの図書館で借りた。実話だった」という情報で「おじいちゃん」(マーク・ジュリー写真・文 、ダン・ジュリー写真、重兼裕子訳)を探し出したり、「数年前に読んだ本で、昔何かの小説の賞をとった本、フランスが舞台で、貧しい主人公の少年が貴族の少年に気に入られて、同じ学校で学ぶことになるお話です。表紙には2人の顔が載っていたと思います」という照会から「一滴の嵐」(小島小陸著)を回答したというのは、どうしても書名を思い出せない場合は、私もこのような照会の仕方をするだろうと思いつつ読んだ。
「齋藤孝の本 タイトルはわからない 37冊読んだら大丈夫みたいな内容」というのがあり、これは齋藤孝著の「何のために本を読むのか」だったという笑えるような照会も掲載されていた。
「千年の蝉」が「百年の蝶」(深月ともみ著)だったり、「女はいつもよんじゅうすずめ」が「女はいつも四十雀」(林真理子著)だったり、「そして、のらには、ひげがない」が「粗にして野だが卑ではない」(城山三郎著)だったりするのは、司書さんがクイズを解くように頭を回転させた結果であろう。
 同図書館によるとこのサイトを書籍化した「100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集」が、20213年10月に講談社から刊行されたそうだ。ちょっと興味があったので当市の図書館の蔵書を検索したところ、所蔵数4、予約数97だった。

児童文学
2022/10/19
KEI
 かつてこの欄に、長年「子どもの本」の世界に関わってきた方が「児童文学という位置づけは大切だと思っている」とし、「子どもを内部に生かし続けている大人が、子どもの時の物語を言葉に変換してくれることで、子どもたちは物語を読むことで、物語の中で生き、冒険をし、子どもを生きる。そして、未来(大人になっていく先)を信じて一歩一歩と成長の階段を上っていく。人生に必要な言葉を獲得し、しあわせな結末を求めて、物語の世界に飛び込んで行けるーそういう児童文学を選んで、子どもたちの前に差し出したいと思うのです」と書かれた。
 児童文学について今まで考えたことがなかったのでちょっと勉強しようと思い、その方法を考えた。市立図書館の蔵書を「児童文学」というキーワードを使いチェックすると、雑誌「日本児童文学」や、いわゆる児童文学書を始めとして2171件がヒットした。素人が一つ一つチェックするのは大変だ、司書さんに相談しようかとも思ったが、国立国会図書館が何か情報を提供しているかも知れない、と考えた。
 そこで見つけたのが、YouTubeで発信されていた国立国会図書館主催の図書館員向け研修ビデオ「児童文学基礎講座:児童文学とは何かというとても難しい問題」である。講演者は日本女子大学教授で日本児童文学会理事でもある川端有子氏。
 レジュメの最初で、「児童文学という言葉がよび起こすイメージは、ひとによって様々な上に曖昧です。子どもが読む本でありながら、おとなによって書かれ、売り買いされ、評価されるという児童文学の特殊性と、その定義の難しさについて考えます」と書いている。
(以下、枠内はその講演から引用した部分である)
 自身が書いた「児童文学の教科書(玉川大学出版部)」でも定義をしていなかったということに気が付きました。あえて定義は避けて、そういう固定概念は間違っている、というアプローチをしていました。
 私は、約半世紀の間、法律に付き合ってきたあるいは法律に関する仕事をしてきた身であるためか、何かを考えるときには直ぐにその言葉の持つ意味、定義を考えてしまう、そこから頭の中で議論を始める。児童文学についても同じであり、その定義からスタートするものだと思っていたが、児童文学についてはどうもそうではないようだ。
 児童文学を定義する場合に「子どもとは何か」と「文学とは何か」がはっきりとしていることが前提となるが、それぞれについて「時代縛りの定義しかできない」「歴史的な概念である」との理由で明確にするのは難しい。イギリスで児童文学を学んだ時には、「定義から入るのではなく、origin and developmentという形で学んだというのも、起源と歴史にこそ意味があるということだったのだろう。
 このように述べた後、戦後に非常に大きな影響力を持った「子どもと文学」(石井桃子、いぬいとみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松居直、渡辺茂男、中央公論社)について…
 この「子どもと文学」を今読んでみると、児童文学についての普遍的な定義というものはありえないということを逆に照らし出しているような感じがします。ただし、この後これほどクリアに子どもと文学について考えて本を出した人はいなかったということは確かなので、そういう意味ではここを出発点として考えてみるということも必要かもしれません。
 続いて、児童文学の定義に重要な関係があると思われるその内容について、川端氏は「子どもと文学」に書かれている「子どもの文学は面白く、はっきりわかりやすくなくてはならない」「死や孤独を書くのは不必要である」との主張について典型的な児童文学を例に挙げて次のように否定している。
 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、ビアトリクス・ポターの「ピーター・ラビット」、ジェームズ・マシュー・バリの「ピーター・パン」には、大人が児童文学には不適切、不必要だと思われることが多く含まれているが、子どもたちは結構、好きなところを自分で好きなように読むのではないかと思います。
 また、キャサリン・ストー作、猪熊葉子訳「マリアンヌの夢」(岩波少年文庫)を例に挙げ…
 たとえ子どもたちにはわからないことが書かれていても……自分なりに好きなところだけ取って食べてしまう……それをこちらで規定してしまうことはあまり必要がないのではないか。
 子どもの文学では「死や孤独を書くのは不必要である」との主張に対しては次のように反論している。
「死」という問題は児童文学が始まって以来、子どもの本の中になかったことは多分ない、と言ってもいいぐらいなのに……
 最後に…
 最終的に、児童文学とは何かという難しい問題に、私は答えが与えられません。けれどもこれは、子どもが読むことになっている、又は子どもが読むことになった文学作品というふうに、緩く定義しておいて、それからはみ出るものがあったとしてもそれは別に良いことにしておくというような、周辺領域の曖昧さを許して置いておくぐらいの寛容さが良いのではないかと考えます。むしろそれよりも大事なのは、「子ども」とひとからげにしてしまわない個々の読者であり、「文学」とひとからげにしてしまわない個々の作品で あると思うからです。
 解ったようで解らない結論に思うが、児童文学というものは発言される人、発言される場によってその範囲、内容が異なるのだろう。確かに「児童」の「文学」と言ってもそれぞれの言葉自体が画一的に定義できないのだから。
 いずれにしても、今後児童文学について話をしたり、議論したりする場合は、自らが児童文学と考えている内容、自らの児童文学の定義を明確にした上で、行うことがより必要であり、それが建設的な意見交換に連なるのでは、と感じたことである。
 それにしても市立図書館の児童室や子ども室に並んでいる本はどのような判断基準で選ばれているのだろう。
 この疑問に対しては直接的な答ではないが、市立図書館の司書さんは「当館ではこれらの部屋と一般図書の部屋それぞれに『ヤングアダルト』という棚が設置されている」と教えてくれた。生活の知恵だろう。

キチンと読むこととボンヤリ眺めること
2022/10/12
KEI
 最近の目の衰えが原因だろうと勝手に自らに都合のいい理由を付けているが、書籍や新聞の文章について読んでいるのではなく、単に眺めているのではないか、と少し気になっている。
 具体的に書かれている書籍の内容や新聞の記事に関して、書かれている内容を簡単な言葉に纏め、そこに私の意見を追加して抽象的に妻に話すと、妻から具体的なことに関しての質問が返ってくる。
 が、私はその具体的な事実についての質問というか疑問に直ぐには答えられず、書かれた内容を再度チェックし補足のうえ返事をすることになる。ということは私は書かれた具体的内容を何も読んでいない、理解していない、単に文字面を眺めていた、具体的な事実やデータを横におき現象面だけを抽象的に捉えていたに過ぎないということに連なりそうだ。
 いわゆる5W1H「When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)How(どのように)」を横に置いているようだ。
 このような読み方では例えばある本についてその感想を他人に話すこともできないし、感想を述べたとしても時には一言で終わってしまい話が膨らまず話題にもならない。
 最近では意識してこれら具体的な事実を頭に入れようとしているが、これがなかなか難しい。直ぐに「何が起こったか」「何が言われているか」でいいじゃないか、それが大事なことだろう、と思い具体的内容を飛ばしてしまう。
 文章や単語をきっちりと読んでいない例として最近知った固有名詞の問題がある。
 カメラのキャノン株式会社の正式社名は「キャノン」ではなく「キヤノン」で、ゴム印のシャチハタ株式会社の正式社名は「シャチハタ」ではなく「シヤチハタ」で、マヨネーズのキューピー株式会社は「キューピー」ではなく「キユーピー」で、OA機器の富士フィルム株式会社は「富士フィルム」ではなく「富士フイルム」で、シャッターの三和シャッター工業株式会社は「三和シャッター」ではなく「三和シヤッター」だとは知らなかった。
 何れの会社も正式社名では、小文字の「ャ」や「ュ」や「ィ」やではなく、大文字の「ヤ」「ユ」「イ」を使っている。
 発音は富士フイルムを除き、小文字のときと同じでいいようだ。これらの会社が小文字を使わず大文字を使う理由は見たときのバランスにあるようだが、本当のところは知らない。私の探し方が下手なのか、各社のホームページからはその理由を知ることはできなかった。
 いままでは、このことを知らずにいた。もし、これらの会社が私が勤務していた会社の取引先あるいは関係先であったなら注意していただろうが。
 マッキンリー(最近ではデナリというそうだが)で行方不明になった世界的な冒険家である植村氏の名前は「ナオミ」だとは知っていたが、漢字ではどのように書くのが正しいのかは考えたことはなかった。
 何年か前の新聞の「植村直己、直已、直巳」との見出しのコラムには「彼の戸籍名は『直已』。両親がへび年生まれにちなんで『直巳』と届けたが、役場が間違え『直已』とした。大学生になった植村は『へび(巳)よりおのれ(己)が格好いい』と『直己』と改名した」とあった。
 ということは、植村氏に関してはどのように書いても一応理由を付けられる、ということになろうか。私のパソコンで「うえむらなおみ」と打ち、変換すると第一の候補として「植村直己」が出る。

春風と秋風
2022/10/05
KEI
 近代俳句についてちょっと知りたいことがあり、手元の「日本の詩歌」30巻の俳句集を手に取った。知りたいことは直ぐに解決したが、その巻の松根東洋城の頁に付箋が張られていたのが気になった。そこには11の句が並んでいた。松根東洋城という名前は知っていたがその句について何か調べたという記憶はない。
 並んでいる11の句の内で唯一私が知っているのは「いづれのおほん時にかと読む長閑(のどか)かな」であるが、わざわざ付箋を貼った記憶もない。いろいろと思い悩んでいると突然久保田万太郎の「いづれのおほんときにや日永(ひなが)かな」を思い出した。これが付箋を貼った理由かも知れない。
 このことから、唐突に私が現役の頃、数年間新入社員100名弱を対象に2分弱のお祝いと激励の言葉を述べた際に先人の句を引用したことを思い出した。確か外付けのハードディスクに原稿が保存されている筈だと探し出した。
 最初の年に選んだのは私が一番好きな高浜虚子の「春風や闘志抱きて丘に立つ」だった。この句を紹介した後に「皆さんの今の気持ちにぴったりの句ではないでしょうか。今、皆さんは、心に大きな志を抱いておられます。そして、その志を実現すべく『努力しよう』と心に思い定められています。その志を忘れることなく一歩一歩着実に前進されることを期待しています」と続けた。
 二年目は虚子の次女・星野立子の「春草を踏み行きつつや未来あり」とした。この句に続けて「今、植物は新しい芽を吹き、これからの成長を感じさせています。未来に向って、いろいろな可能性を求めて、新しく会社生活を始められる皆さんにぴったりの句ではないでしょうか。皆さんの心の中の大きな志を実現するために、未来に向って、着実に歩んで下さい」とした。
 三年目は新聞の読者投稿欄にあった「春風に大きな活字踊りをり」を選んだ。そして「春風のなか、大きな幟(のぼり)が翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)っている。そこには何か大きな字が書かれている。そういった意味でしょうが、今、皆さんの心の中で踊っている『大きな活字』は何でしょうか?『夢』でしょうか、『志』でしょうか。それともご両親あるいは恩師から贈られた言葉でしょうか。皆さんのそれぞれの心には、『大きな活字』があります。その『大きな活字』を忘れることなく、日々努力されることを期待しています」だった。
 四年目は、その年のお正月の新聞に掲載されていた虚子の孫である稲畑汀子の「初春の道志ありてこそ」という句だった。そして「今日は、皆さんにとっては、文字どおり『初春』です。そして皆さんは、今日から新しい道に入って行かれます。その道の向こうには、いろんな可能性が待っています。しかし、大事なのは『志』です。『志』があってこそ、いろんな事柄が実現できるのです。『志』を高く持って、目の前に広がる『初春の道』を着実に進んで行って下さい」と結んだ。
 若者にこれらを話したことを思い出しながら、そして句は異なっても毎年同じことを言っていたなと思いながら、私が話した若者たちの春秋に富む身を少し羨ましく思った。
 今の私の心に沁みるのは「春風や闘志抱きて丘に立つ」ではなく、同じく高浜虚子の作である「秋風や心の中の幾山河」である。

春の楽しみ
2022/09/28
KEI
鰆しゃこ穴子はまぐり鯛めばる 備前の徳利踊る春来る
 気分のいい歌である。何十年か前に新聞の歌壇で見た。第一席に推されていたが、選者の名もその評も全く覚えていない。そのとき、踊る備前の徳利で春宵を楽しむのもいいが、私なら薄手の白磁の徳利だなあ、と思った記憶がある。そのとき徳利は踊らず静かに端座し、辛口の酒をそっと温めているだろうとも。
 このように思った時は、私は未だ若く、春秋に富む身だった。徳利や猪口だけでなく、ワイングラス、ブランデーグラス、ビアグラス、ウイスキーグラスなどにも一切頓着は無かった。徳利は戦前から我が家にあったのだろう厚手の安っぽい感じのものであり、グラス類もお祝いに戴いた良いものも使っていたが、同時にビール会社やウイスキー会社の広告が付けられたものも平気で使っていた。
 現実は、このようであったとしても、心のどこかでは常に白磁の徳利を前にした歳を重ねた自分の姿を眺めていたと思っている。
 自分の目を信じ、数多くの素晴らしい陶磁器を蒐集していた中年の男性が、歳を取りこれら全てを処分した時に、最後に残したのは李朝時代の白磁の徳利であった。
 記憶は定かではなく、誰のどの小説に書かれていたのかは全く覚えておらず、たぶん立原正秋の「春の鐘」(新潮文庫)だろうと思う程度であり、内容も全て忘れているが、この挿話だけは強く私の心に残っている。
 私が現在でも白磁の徳利に強い関心を抱いているのは、この挿話を覚えており、それと同時に、その人物が白磁の徳利を友として静かにゆっくりと杯を傾けているだろう姿を想像しているからに違いない。
 そろそろ薄手の白磁の徳利とそれに相応しい猪口を手に入れ、「鰆しゃこ 穴子はまぐり 鯛めばる」の春を楽しむことを始めたい、と思いつつ何年も経過した。
 最近ではめっきりと酒量も減り、辛口の酒よりも軽いテーブルワインやビールを好むようになった私にはこの歌のような春の楽しみは少し遠のいたようだ。

再読「世界 名画の旅」
2022/09/21
KEI
 手元には図書館から借り出した「世界 名画の旅」(朝日新聞社)5冊がある。合計で124の名画が収められ、その名画に関する、あるいはその名画に因(ちな)む様々な物語が紀行文と写真で紹介されている。1984年秋から1987年春まで2年半に亘って朝日新聞日曜版に連載されたものを書籍化したものである。
 私が好きな絵を中心に眺めたが、特にベラスケスの「宮廷の侍女たち(ラス・メニーナス)」(プラド美術館)とダビッドの「ナポレオンの聖別式」(ルーブル美術館)は丁寧に文章を読んだ。その他ではクラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」、ブリューゲルの「子供の遊び」、ラファエロの「小椅子の聖母」等である。
「宮廷の侍女たち」は、今までにもいろんなテレビ番組でも紹介されているが、王女マルガリータを中心に宮廷の侍女たちが描かれ、王女と並んで絵筆を持つベラスケス自身の姿やベラスケスの前にいるはずの国王夫妻まで描き込んでいる。その重層的な人物配置が賞賛されている絵である。
 この絵を旅した記者は「この絵を見て、私はマルガリータに魅せられた」と書き、マドリードからウィーンの美術史美術館にあるベラスケスが描いた3点のマルガリータの肖像を見に行っている。この3点の絵は「見合い写真」としてウィーンの神聖ローマ帝国皇帝レオポルド一世に送られたものである。
 そこで記者は「お互いに顔を見ることもないままに・・・(マルガリータは)15歳で結婚した」と書き、彼女の結婚生活を幾つかの挿話で物語る。その中では、現在でもウィーンの名物になっている白馬のバレエにも触れている。
 最後に記者は22歳の誕生日を迎えることなく死んだマルガリータの墓所を訪れ、棺の上に小さな生花が供えられていることを報告して文章を終えている。
 記者は、ベラスケスの最高傑作といわれている「宮廷の侍女たち(ラス・メニーナス)」についてはほとんど触れず、そこに描かれた幼いマルガリータに焦点を当てて名画の旅を終えた。
 蛇足を加えると、ピカソはオマージュの意味だろう(と私は想像しているが)ピカソ流のラス・メニーナスをバルセロナのピカソ美術館に残している。
 小見出しに「ルーブルの誇る『顔』」とされたダビッドの「ナポレオンの聖別式」(私は「ナポレオンの戴冠式」と記憶している)とあるこの絵は630p×931pの大作である。この絵の回では、ルーブル周辺のスリ集団の少女の話やルーブルでは「100の職種があり、700人の職員が18の勤務体系で働いている・・・小さな美術館なら館長にあたる責任者が50人いる」との館長の話を書き残している。その他には驚くべき舞台裏の話や典雅なたたずまいを残した美術館の建物とそこに設置された最先端の情報システムなど興味深い話が書かれていた。
 しかし、ダビッド自身が描いたこの絵とほとんど同じ作品がヴェルサイユ宮殿にあることには触れていない。
 その他、クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」はその美しい顔立ちの女性の複製画が老顧問弁護士の執務室に飾られていたこと、ブリューゲルの「子供の遊び」は展示されているその絵の前にキャンバスを立て白衣を着た女性が模写に余念がなかったこと、ラファエロの「小椅子の聖母」は数ある聖母の絵の中で一番の美人だと思ったこと、等を取り留めもなく思い出した。
 それぞれの記者の、ある一つの絵画に触発されての旅を改めて読んで、私自身に関して約40年という年月の持つ重みというか経験や知識の蓄積を感じると共に、絵画を見る目、感じる心には変わらない何かがあることも知った。

閃く小太刀の書評
2022/09/14
KEI
“驚くべき読書量と目利きで知られる”向井 敏さんの「本のなかの本」(毎日新聞社)と「本の船」(毎日新聞社)を、書庫から取り出した。前者では向井さんが好もしい印象を受けた本150冊、後者では自らの好みで選んだ本138冊について1000字弱の文字数で意を尽くした評をされている。
 いずれも毎日新聞連載の書評コラムを纏めたものである。
 向井 敏さんは開高 健、谷沢永一両氏とともに元「えんぴつ」同人であり、その三者の読書鼎談である名著「書斎のポ・ト・フ」(潮出版社)では、“長槍を繰り出す”開高、“剛剣をふるう”谷沢に対して“小太刀を閃かせる”向井と帯に謳われている人物である。
 向井さんの書評は簡潔明瞭にその内容と長所を解説している。私が読んだ幾つかの本についても評がなされていたが、いろんな意味で「実に鮮やか」「上手いなあ」と感心しながら再読した次第。
 その中に、清新な名画アンソロジーというタイトルで「世界 名画の旅」(疋田桂一郎ほか、朝日新聞社)が紹介されていた。これはかつて朝日新聞の日曜版で連載されていた記事を集めたものである。美術担当記者以外の記者の共同執筆になるもので、若かりし私も毎週楽しみにし、興味を持って読んだことを覚えている。なかでも朝日新聞きっての名文家と言われた疋田桂一郎さんの文章には、いつかこのような文章を書きたいものだ、と思ったことも思い出した。
 約40年後の私が、昔と同じような感興、感慨を覚えるか否かいささかの興味もあり、また幾つかの名画がどのように紹介されていたのかを思い出すために、図書館からかなり重量感のある全五冊を借り出した。
 好きな絵、知っている絵に限定し、紹介されている内容を再読するつもりであるが、40年後の私の感想は次週に報告させていただく。

田原坂の英単語カード
2022/09/07
KEI
「街道をゆく」は、司馬遼太郎さんの全43巻から成る紀行文集である。25年間の「週刊朝日」の連載を纏めたものであり、国内は北海道から沖縄まで、そして海外ではアイルランド、オランダ、モンゴル、台湾などの道がある。
 多くの司馬ファンと同様に私もこの紀行文が好きで、新刊書が新らしく発行される都度購入していたと思っていたが、今回書庫の整理をしていてかなりの漏れがあるのに気が付いた。いまさら新しく購入し全巻を揃えるのも如何なものかと考え、さりとて欠落がある状態で保存しておく必要もあるまい、必要となれば図書館から借り出せばいい、と考え全てを処分した。
 話は変わる。
 ある日唐突に何年か前に「田原坂に散らばっていた英単語カード」に触れた文章を読んで目の奥がじんとなったことを思い出した。この文章は西南戦争で最も激戦だった田原坂の戦い、具体的には17昼夜に及ぶ“空中で銃弾同士がぶつかる”ほどの銃撃戦と激しい白兵戦の田原坂の戦い、が終わった後、そこここに残された薩摩軍の若者の遺体の傍には血に染まった英単語カードが散らばっていた、というものだった。
 死に臨んでも勉学を忘れなかった若者の姿に心を打たれたのだろう、今でもこの文章を思い出すと涙が出そうになる。
 確か司馬遼太郎さんの街道をゆくの「肥薩のみち」に書かれていたエピソードだと記憶していたので、原文を確認したくなった。
 そこで図書館で「肥薩のみち」が含まれている「街道をゆく」の第3巻を借り出し、確認しようとしたのだがこのエピソードは見付からなかった。ただ、双方の小銃弾が空中で衝突し噛み合ったまま落下したものを「行きあい弾(だま)」ということは書いてあった。「散らばっていた英単語カード」の挿話はどこで読んだのだろう、どの本に書いてあったのだろう、といろいろと考えたが思いつかない。手元にあるそれらしき本の何冊かを調べたが、分からない。
 このようなことで市立図書館の司書さんの手を煩わすのもどうかとは思ったが、かつて図書館から送られてきたメールマガジンに「『川端康成は通学に際して高浜橋を渡ったか』という質問があり、調査し回答した」という文章が載せられていたことを記憶していたので、私の疑問もこれと同類だと思い、ちょっと気が引けたが、相談しようと考えた。
 レファレンスの窓口へ行き、詳細をお話しし調査を依頼した。「このような調査を依頼してもいいのでしょうか」と遠慮しつつ私の依頼内容と私のそれまでの調査結果をお話ししたのだが、快く引き受けて下さった。
 10日ほど経った頃に図書館から電話があり、いろいろと調査したが解らないという回答が齎(もたら)された。残念だが仕方がない。
 図書館司書と私の調査では解らなかったが、私の頭の中では「田原坂に散らばった血で汚された英単語カード」の映像ははっきりとしており、どこかでこの情景を描いた文章を読んだことは間違いがない。
 集合知という言葉がある。その意味として辞書は、@多くの人の知識が蓄積したもの。Aまた、その膨大な知識を分析したり体系化したりして、活用できる形にまとめたもの、と説明しているが前者の意味での集合知を使えばひょっとしたら答が出るかもしれない。
 例えばインターネットを使い質問し、多くの人びとに尋ねれば答が得られることもあるとは思うが、そこまでするつもりはない。
 人間の頭の働きは不思議なもので、このことを頭の隅に置いているとひょっとしたら思いもかけない時に「答が浮かぶ」「関係のありそうな書物を思い出す」ということもありそうだ。その僥倖に期待しよう。

エリートという言葉、教養という用語
2022/08/31
KEI
 2022年4月10日付読売新聞朝刊の書評欄に掲載されていたある書評が目に止まった。テレビ画面でもお馴染みの元新聞記者、現読売新聞特別編集委員で大変な読書家でもある橋本五郎さんによる「エリートと教養 ポストコロナの日本考」(村上陽一郎、中公新書ラクレ)の書評である。
 38行の文章のうち対象図書に言及しているとはっきり分かる文章は最後の5行であり、他の文章は著者の意見や考えを書評者が纏めあるいは別の言葉で言い換えた文章のようにも思われたが、書物に取り上げられている問題に関しての書評者自身の意見、見方をそれとなく披歴したものかも知れない。
 字面からはどこまでが書評でどこからが書評者自らの意見かよく分からなかったが、このことはともかく「もう本は買わない」と決めている身を直ちに本屋に向かわせた見事な文章だった。
 この本は、現在では揶揄と蔑視のニュアンスを含んで発言されることが多い“エリート”と“教養”について、“エリート”とは普通の人びとよりも、より多くの義務を背負った存在であり、“教養”とは野放図な欲望の発揮を押さえる慎みであることを語義に照らして教えてくれる。語義からの説明や関連事項による補足はいささか読むのに疲れたが、知らなかった諸々を理解することができた。
 “教養”について、大事な場面でより良いものを選び実行すると同時に他のより良い選択肢の可能性への余地を自らに残す源泉、と書いているのは納得できた。
 “日本語と教養”の項では、イギリスにおける階級化している言葉からスタートし、最近の我が国を席捲している(と私には思われる)種々の聞くに堪えない発音、意味不明の略語等を槍玉に挙げているが全く同感である。現在では美しい日本語を聞く機会が少なくなっていると思っている著者、評者や私は少数派なのだろう。
 古今東西の該博な教養と知識に溢れたこの書物は、エリートの本来の意味、分かったようで分からない言葉である教養についての具体的な問題点を知るには恰好の書物である。
 最後に余談を二つ。
 その一は、“詩文を朗詠する”の項で土井晩翠の「星落秋風五丈原」について3頁に亘って触れてあったのには、現在でもこの長い詩をそれほどの誤りもなく暗唱できるほど好きな私にとっては嬉しいことだった。
 その二は、美しい日本語の話し手として、私が常日頃から感心している年配のNHKアナウンサーの名前が書かれていたのにもその判断に心から同意した。

儀礼の急所
2022/08/24
KEI
 阿川弘之さんの随筆集を読んでいたら、谷沢永一さんの「冠婚葬祭心得」(新潮選書)の紹介文が掲載されているのに気が付いた。私の頭の中ではこのお二人の接点は全く存在しなかったので、どのような理由、経緯で阿川さんがお書きになったのかは知らないし推測もできない。
 阿川さんは「論語に虚礼廃止を唱へる弟子を戒めた孔子の言葉が、『賜(シ)ヤ、爾(ナンジ)ハ其(ソ)ノ羊ヲ愛(オシ)ム、我ハ其ノ礼ヲ愛ム』と出てゐるが、谷沢さんの新著は、これを思ひ出させる智慧の書だと感じた」と「冠婚葬祭心得」を紹介している。(私は論語のこの言葉を知らなかったが「賜よ、お前は生け贄の羊一頭が惜しいようだが、私はそれを止めることによって『礼』が失われることが惜しいのだ」というほどの意味だろうか)
 この本は書名は極めて俗っぽいが、約50年前に大ベストセラーになった世俗の儀礼の守りかたについて述べている指南書のようなものではなく、その作法の根本にある人間の気持に焦点を当てて書かれている。
 第1章の葬儀から始まって、婚儀、人生の節目、交際、贈答、会合と人生で遭遇するいろいろな機会での諸々の世の習慣がどのようにして定められたか、その理由を探っている。そしてそこには効率的にことを運ぼうとする工夫が込められていることを解き明かす。
 著者ご本人は「さしたる理由もないのに・・・結婚式も披露宴も省略し、区役所へ婚姻届を出すのみにて済ませた」と自らの行動を書きつつ、その行動が世間の常識から離れたものであったため「多くの人を無意味に途惑わせ、こういう不規則な事例に接して、どう対応したらよいか困らせる結果」となったことを反省を込めて書いていらっしゃる。
 葬儀に関しては、遺言に従ってあえて葬儀を身内だけで行った結果、後日「時を定めず予告もなしに来られる」多くの弔問客の対応に追われ、遺族は疲労困憊した、というような例も書いてある。
 その他、七五三、敬称、議論、六十歳、礼状、儀式挨拶、突然の指名、個展、二次会などなど多彩なテーマを2頁ほどで要領よく料理し、その心得るべき点を書いている。二次会の項では「最初に会費をしっかり取る計らいが肝心である」とあったのには、仲間内の二次会で後日の会費徴収に苦労していた幹事担当の友人を思い出し笑ったことである。
 時代の変化もあり、現在では通用しない考え方もあるが、書かれている急所は変わらない。

「一人でぽつんと生きればいい」
2022/08/17
KEI
 我が国の高齢化現象の象徴のように毎日の新聞には著名な老齢者が著者となっている書籍の広告が並んでいる。
 目に付いただけでも佐藤愛子さんは「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」、五木寛之さんは「捨てない生き方」、樋口恵子さんは「老いの福袋」を発刊されている。
 90歳近くあるいは100歳になろうという著者が、人に読んでもらえる文章、出版社が出版を考える文章を書かれる能力と知力には脱帽する。老害を撒き散らしているとの批評、非難はあまり聞こえてこない。
 偶々2021年11月発行の「一人でぽつんと生きればいい」(祥伝社)を図書館の返却本一時保管棚で見つけたので借り出した。1931年生まれの曽野綾子さんの文章がどのようなものかを知りたいという野次馬根性があったことは否定しない。
 同書の最終頁には「小説NON」の2019年1月号から2020年12月号までの連載「猫のいる家」を改題したもの、書籍化するにあたり加筆修正したもの、とあった。
 ということは、これらの文章は約2年前の曽野さんが88歳の頃の作である。
 この文章もパソコンを使って書かれたものに違いない。かつて読んだ文章で曽野さんはいち早くパソコンを導入し、それで小説を書いていることを告白されている。小説家がパソコンを使い文章を書くことに関し、文章の質が変わることその他賛否諸々の意見が世上を賑わしていた頃の話である。
 ちょっとひねった内容が解りやすく達者な文章で書かれているのには、流石だと思ったが、対象とされるのが日常茶飯事であることもあり、少しもの足りなく感じたのは事実である。
 「しかし・・・(前略)・・・私は自分がどうにもできない世界については、深く憎しみもせず、問題が解決しないからと言って腹を立てもしなくなった。世界や地球というものは、初めから矛盾だらけなのだ。・・・(中略)・・・理由は簡単だ。個々の矛盾に、人間は丁寧に相手をしていられないからなのだ。つまり放っておくのだ。すると人間の浅知恵で、解決しようとした場合よりも、はるかに穏やかで円満な方法で問題がなくなっている場合が多い」(53頁)
 「人間が本気で取り組む仕事は、どれも『一人でぽつんと』なのである。そしてそれが一人でぽつんといることを運命づけられた人の担う任務だと思う。運命は、合議制では理解できないものなのだ」(130頁)
 これらの文章が私がちょっと気が付いたものだが、かつてはもう少し毒があり、切れ味が鋭かったように思われる。
 それにしても家庭の中で猫と暮らしながらも、このような起承転結があり、ちょっと考えさせられる内容を含んだ文章を書かれる曽野さんの知力に感心する。若い頃からの蓄積がものをいっているのだろう。

故園黄葉
2022/08/10
KEI
 文化勲章受章の大作家である阿川弘之さんの小説を読んだ記憶は、恥ずかしながら無く、私には法律家の阿川尚之さん、エッセイストの阿川佐和子さんの父君としての方が親しい。
 借りていた図書を返却した後で、何を借りるというあてもなくエッセイ集の棚を「ア」から順に眺め始めた。
 最近では長い小説を読む根気が無くなり、短編集やエッセイ集に手が伸びる。そしてこれらについても最初から最後まで読み通すというよりも、面白そうなものを選んで読み始める。結果的に順不同で全編読み終えるということもあるが、一部だけ読んで終わりということも偶にある。
 最初に目に付いたのは阿川弘之さんの「故園黄葉」(講談社)だった。茶色の表紙には「故園黄葉満青苔 夢後城頭暁角哀 此夜断腸人不見 起行残月影徘徊」(読み下し文では 故園(こえん)の黄葉(こうよう)青苔(せいたい)に満つ 夢後(むご)城頭(じょうとう)暁角(ぎょうかく)哀し 此の夜(よ)断腸(だんちょう)す人見えざるに 起ちて行けば残月影(かげ)徘徊(はいかい)す となるのだろうか)と私の知らない七言絶句だけが書かれていた。洒落た装丁である。直ぐに借り出し手続きを取った。
 借り出したもののどうしてこの七言絶句が表紙に書かれているのだろうか、とかなり気になった。残念ながら岩波文庫の「唐詩選」(上、下)は今や手元にはない。書棚の世界古典文学大系を紐解く気力もない。試しにグーグルの検索欄に「故園黄葉満青苔」と打ち込んだ。結果は「顧況(こきょう)という人物の聴角思帰(ちょうかくしき、角を聴いて帰らんことを思う)と題された七言絶句」だと分かった。出典は分かったが、これが表紙に書かれている意味はなんだろうと疑問は残る。
 この本には前文もあとがきもなく、内容はというと阿川さんがいろんなところに書かれたエッセイ、紀行文、いろんな書籍の推薦文、葬儀委員長挨拶など多岐に亘る。
 タイトルを順に眺めて行くと、最後の方に「故園黄葉」と題された文章があった。これは友人・遠藤周作さんを追悼する文章、あるいは遠藤さんを思い出している文章だったが、ここに答が書かれていた。
 阿川さんの文章は「諸橋の漢和辞典で『故園』といふ言葉を調べてゐたら、用例に『故園黄葉』と始まる七言絶句が出てゐた」で始まり、「読んで、はからずも遠藤周作を思ひ出した」と続く。そして、遠藤さんの阿川夫人の体調不良に対する20年来の幾度とない優しく思いやりのある態度が遠藤さんの人柄を示す友としての言葉でかなり長く書かれている。阿川夫人は遠藤さんの言葉で心が休まったそうだ。
 還暦が過ぎてからの体調不良についての阿川夫人の訴えに遠藤さんは一瞬沈黙した後「秋が来て、木の葉が段々色づいて、枯れて落ちて行くのと同ンなじなんやなあ」と独り言を言ったそうだ。
 阿川さんは「故園黄葉」の全文を思い出して「ありありと思ひ出したうつし身の遠藤は、もう此の世にゐない」と書き、この6頁のエッセイを「若い頃、故郷の色づいた落葉など、格別感興の対象にならず、すぐ忘れてしまったのか、それとも現在、自分の頭の中が『黄葉青苔に満つ』状態なのかと、暫く考へこまされた」で閉じる。
 阿川さんと遠藤さんとの交流については、いろんな書き物で読み、知っていたが、このような言葉で亡き友を偲ぶお二人の交遊をある意味羨ましく思った。
 「故園黄葉」を読んだ後、タイトルを見て関心を持ったものから順不同で読み始め、全てを読んだが、流石に背後に膨大な蓄積がある大作家の文章は上手い。栄養の詰まった滋味豊かな料理を楽しんだような気分になった。

星の王子さま
2022/08/03
KEI
 この欄で「星の王子さま」(著者;サン・テグジュペリ、訳者:内藤 濯、岩波書店)を取り上げるのはとても難しい。この本に深く思いを致されている方、何度も読み返された方、いろんな意味で愛読書とされている方がおられる中、生半可な文章は極めて危険である。下手な文章は書けない。そこでちょっと斜めの方向から書くこととした。
 書庫にはフランス語の「Le Petit Prance」1冊と内藤 濯さんの翻訳本「星の王子さま」2冊が約60年の間、眠っていた。買ったことは記憶しているが、きっちりと読み通した記憶はない。日本語の本は150頁ほどであるから、それほど時間をかけることなく読んだはずだが覚えていない。フランス語の方は数頁でギブアップした。
 今回改めてというか初めてというか、読み通した。読みながら「おとなというものは、数字がすきです」「人は、気のきいたことをいおうとすると、なんとなく、うそをつくことがあるものです」「たいせつなことはね、目に見えないんだよ」(いずれも内藤訳)を初めとした幾つかの言葉は不正確ながらも覚えている、あるいは読んだ記憶がある、ことに気が付いた。だからと言ってこの歳になるまでこれらの言葉を意識して行動したり、物事を判断したりしたという記憶もない。
 ということは私にとっては普通にある一冊の書物だったということになろうか。
 話は変わる。最近では内藤 濯さん以外のいろんな作家の翻訳による「星の王子さま」が発行されているのに気が付いた。河野万里子(新潮文庫)、倉橋由美子(宝島社)、管 啓次郎(角川文庫)、三田誠広(講談社青い鳥文庫)、池澤夏樹(集英社文庫)の皆さんなどなど。一説によると10冊以上の新しい翻訳本があるという。
 法律を勉強した身であるから、この理由は「原著の著作権が切れたからに違いない」と推測し、いつ切れたのかを調べた。ある国際知的財産事務所所属の弁理士のブログに「2005年1月22日に切れている」とあるのを見付けた。
 著作権切れによって新たに翻訳され、発行されたLe Petit Pranceの中には、子供向けではなく、大人を対象として翻訳されたものもありそうだ。
 とは言うものの私の古く硬い頭の中では「星の王子さま」は内藤 濯という名と強く結びつけられている。
 最後に。
 書庫に眠っていた3冊の現状はと言うと、フランス語の本と内藤さん訳の1冊は第二外国語としてフランス語を選択した孫娘の書棚に、残った内藤さんの1冊は妻が再読してみるというのでリビングのテーブルの上にある。

村上華岳の裸婦図
2022/07/27
KEI
 全身に薄物を纏い、雲かと見紛う岩あるいは石段に腰を預けている。腰の傍らの水盤には蓮の花が浮かんでいる。この女性のお顔を含めて全体の感じは同じ作者の観音像に近い。というよりも観音像そのものである。作者が「生身の人間から仏の世界へと移行して行く接点にある作品」と言われている。
 この村上華岳の裸婦図に初めてお目にかかったのは、30代前半に訪れた山種美術館(当時は東京・日本橋兜町にあった)だった。出席した講習会の昼食休憩の時間を割いて直ぐ近くにあった美術館を訪れたのだった。対面するやいなや、すうーっとそのまま引き込まれそうになったのを覚えている。お顔だけでなく体全体としての清浄さに惹きつけられた。
 私は、その少し前の新聞の文化欄だったか日曜日の特集記事だったかで、この絵が人助けをしたことを読んでいた。そこには人生のあらゆる辛酸を舐め、後は自殺するしかないと思い定めた薄幸の売春婦が最後にこの絵を見て自殺を思い留まった、という逸話が書かれていた。(付記)
 その後、東京での単身赴任の休日の美術館巡りでこの裸婦図には何度もお目にかかっているが、2005年5月の京都国立近代美術館で開催された「村上華岳展」でも久し振りにお目にかかりかつてと同じような感動を覚えた。
 若かりし頃に買った、あまり印刷のよくない画集「世界の美術」(座右宝刊行会編、全30巻)と展覧会で求めた数冊の図録以外は画集らしきものはほとんど保有していない私であるが、その私が唯一持っており、手近においているのがコンパクトな新潮日本美術文庫の39巻村上華岳である。何度もこの絵を見たのだろう、現在では該当頁が直ぐに開くような状態になっている。
 そして展覧会で買った裸婦図のポストカードは写真立に入れて、書斎の書棚に飾っている。
 余談であるが、この絵は2014年に重要文化財に指定されている。また近代美術シリーズの一環として1979年に発行された50円切手の図柄としても採用されている。
(付記)
 記憶を確かめるためにインターネット検索を始め幾つかの手段を講じたが、目的を達することが出来ず、図書館の司書さんの手を煩わせ40数年前の新聞記事に辿り着いた。記事には私の記憶通りの内容が書かれていた。司書さんは親切にも大阪府立図書館所蔵の書籍「美術と私たちの近・現代」(マニュアルハウス、吉村良夫)の冒頭にも、事実関係は若干異なるが、同じ趣旨の文章があるのを見付けて下さった。

江戸古地図
2022/07/20
KEI
 捕物帳について「明治以来の近代化のなかで生まれた日本独自の文学ジャンル」と書かれているのを読んだ記憶がある。そのようなことは知らなかったが岡本綺堂の「半七捕物帳」や野村胡堂の「銭形平次捕物控」などの幾つかは中高生の頃に読んだようだ。
 これら捕物帳には歳時記や有職故実が取り入れられていてそれが魅力の一つとなっていた。また、これらを読むことにより風物詩あるいは江戸情緒を感じていたのかも知れない。
 私の薦めもあり、いま妻は平岩弓枝さん描くところの江戸末期の旅籠「かわせみ」を舞台にした人情捕物帳というか人情話を楽しんでいる。「御宿かわせみ」(文春文庫)全34巻の半ばまで読んだようだ。
 しかし、人生のほとんどを関西で過ごした妻には文中に現れる地名やその位置関係さらにはその間の距離感覚がピンと来ないようだ。ときどき私に質問の矢が飛んでくるが私も漠然とした答えしかすることができない。江戸の切絵図でもあればいいのだが、このようなものは手元にない。
 手元にある帝国書院発行の「大きな文字の地図帳」には、東京中心部の詳細な地図が2頁見開きで掲載されており「御宿かわせみ」に出てくる幾つかの地名も記載されている。
 しかし、これでは十分とは言えない。そこで図書館へ出向き「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)を借り出した。見開きの左の頁には絵図が、右の頁にはそれに相当する現在の地図が掲載されている。
 十分とは言えないが、幾つかの頁を繋ぎ合わせて眺めれば、それぞれの位置関係やその間の距離もある程度推測できそうだ。「御宿かわせみ」の舞台になっている場所が含まれている頁を適当にコピーした。
 今後、妻は私への質問に先立ってこれで調べてくれるだろう。が、文庫本の最初の頁に、文中に現れる場所についての簡単な地図を描いておいてくれればよかったのに。
 余談だが、妻は読んだ一編である「びいどろ正月」の稿の中の「冬のはじめから、江戸は悪い風邪が流行(はや)り出した。・・・風邪をひきたくなかったら、ひたすら、嗽(うがい)をすることです。番茶の出がらしをよく煮出して、そいつで念入りにがらがらとやる。外から帰って来た時は必ずですよ。手をよく洗い・・・」との主人公の友人の医者の発言を私に教えてくれ、「今と同じね」と言った。

提灯に火をつける
2022/07/13
KEI
 ときどきマスメディアは「法律の文章が非常にわかりにくい」「長すぎる」と非難する。企業法務の立場で長年法律に付き合ってきた身には場合によっては、立法担当者に代わって「いわれなき中傷」だと言いたくなることもある。
 確かにわかりにくい法文もあるが、法文の背景をなす制度が複雑であれば、それを表現するための法文が複雑になるのは、ある程度自然のことである。
 また、法文を始めとする法律的文章にはわかりやすさも必要だが、それ以上に解釈上の“まぎれ”が出ないような正確さが必要である。そのために文章が長くなったり、まわりくどくなったりすることがあるが、これは仕方がないことだろう。
「提灯に火をつける」という文章からは私たちは素直に「提灯の中のろうそく立てにさしてあるろうそくに火をつける」ことだと解釈し、それ以外の解釈はしない。しかし、それ以外の解釈はないのだろうか。文字だけを素直に読めば「提灯自体、提灯そのものに火をつける」となるのではないか。
 このようなことが起こらないように文章が長くなることを承知の上で「提灯の中のろうそく立てにさしてあるろうそくに火をつける」と書くこともあるのだ。
 公園の掲示版なら「芝生の中に入るな」や「芝生に入るな」でいいだろうが、法文となると・・・。
 このようなことを考えていたらかつて読んだ元法制局長官の林 修三さんの「法令用語の常識」「法令解釈の常識」「法令作成の常識」(いずれも日本評論社)を思い出した。私が使ったこれらはリタイアした時点で勉強家の若い友人に貰ってもらった。60年以上前の本だがアマゾンで調べてみると現在でも入手でき、最近の日付のレビューも書かれていた。若い人たちが読んでいるようだ。
 もっとも正確性を追い求めるあまり、解り難い文章になっては元も子もない。このことに関してアメリカの弁護士の文章作成についての悪口(?)を言っている笑い話を思い出した。
 そこでは“I give you this orange”(私は、あなたにこのオレンジを差し上げます)という僅か5ワードの文章を弁護士はこのように言う、として85ワードを使った文章が書かれていた。

京の道
2022/07/06
KEI
 熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋から、銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋までの東山山麓の琵琶湖疏水に沿う約1.5kmの散歩道は、哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたという。
 ドイツ・ハイデルベルクの旧市街に沿って流れるネッカー川の対岸の中腹にあるウォーキング道、それはゲーテをはじめ多くの詩人、哲学者が歩き、瞑想や思索にふけった道であるが、この道に倣って「哲学の道」と名付けられた快適な道は、現在では数多くの観光客が訪れる。
 「哲学の道」だけでなく、今までに読んだ小説の中でも京都の道が美しい言葉で描かれているものが幾つもあった。その言葉に導かれる形で小説の主人公が歩いた道を歩いたこともあった。
 夏目漱石の「虞美人草」に描かれた比叡山への道については幾つかの文章を記憶している。祇園で遊んだことはないが、白川を背に横たわるように置かれている吉井勇の歌碑もその紹介文とともに知っている。ノーベル賞受賞対象作の一つだと報じられた川端康成の「古都」は朝日新聞連載時に読み、数多くの京都の名所旧跡や年中行事さらにはそれらに関係する道を知った。北山杉の里中川も訪れた。
 蔵田敏明による「文学散歩 作家が歩いた京の道」(淡交社)は20年間の東京生活から関西に戻ってきたときに買った。帯に書かれた「美しい日本語でたどる京の道案内」という語句にひかれた訳ではないが、久し振りに京都を歩いてみよう、作家が歩いた道や小説に描かれた京都の道を歩いてみようという気持だったのだろう。
 結果的にこの本をガイドブックとして使って小説の主人公が歩いた京都の名所旧跡に連なる道を歩くことはなかった。しかし、暇なときに取り出し、むかし歩いた道を思い出しながら写真や文章を眺めたことは幾度もある。
 最近ではBSテレビが京都の道やそれに連なる風景を観光案内的に興味深く放送してくれている。これはこれでよいと思い録画して楽しんで見ている。
 しかし視聴しながら、かつて私が歩いた道、眺めた風景とは違うように思われるのは、若かりし頃の感性が消え去った結果だろうか。いやそうではあるまい。その当時に心に止めた鄙びた奥行きのある風景、佇まいが観光用に整備された結果だろうと老いた私は思っている。

アラブ首長国連邦 アブダビ日本人学校図書室
2022/07/03
林知子
 この4月にアラブ首長国連邦の首都アブダビの日本人学校に赴任した友人から「アブダビ通信」が送られてくる。
 日本とは、様々な違いがあり驚くことがいっぱいだ。学校の図書室の話も綴られている。この国は監視社会で、様々なところに監視カメラがあり、カメラによって人々の生活は監視され、時には守られている。抜き打ちの検査もあるらしい。
 先日、図書室に抜き打ち検査があったとのことだった。そして、本を検査して、イスラム教の教えと異なる内容のものが調べられて、警告されたという。まだ、警告だけだから廃棄とまてはいかなかったようだが、それ以後は警告本の置き場にも神経を使う必要があるようだ。
 それと比べると、日本の「図書館の自由に関する宣言」など素晴らしい内容だとつくづく思う。その宣言の第4は次のようにある。
 検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。
 検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。
 したがって、図書館はすべての検閲に反対する。・・・
 しかし、この思想をアラブ首長国連邦政府に差し出しても、どこ吹く風であろうか。それだけ、イスラムの教えは強いのだろう。
 この日本人学校は、日本人だけでなく、現地の子どもたちも通っているという珍しい学校で、その子たちをエミラティと呼んでいるという。卒業したら、日本に留学する目的で通っているとのことだ。日本にきたら、図書館のあり方を学んで欲しい。
 子どもたちの図書室での活動は微笑ましい。生徒児童数が少ないので、エミラティと日本人の子ども間の交流はもちろん、異学年交流も自然と生まれていて、委員会活動も3年生から始まっているらしい。(ちなみに日本では委員会活動は一般的には4年生からだ)図書委員では、エミラティの6年生が委員長となり、下学年の子どもたちに本の貸し借りを教えているとのことだ。赴任したばかりの教師にとってはまだ慣れない景色だそうだが、子どもたちは当たり前の活動だという。
 この学校に通う子どもたちの大きな課題は、コミュニケーション能力の低さであるという。これは言葉の壁もあるが、言い方を変えたら喧嘩しないですむと思えることが多々あり、ソーシャルスキルトレーニングを取り入れようと思っているとのことだ。図書室の本を活用して、語彙を増やすことを願っている。
 今、気温が40度を超える地の図書館の話は興味がつきない。次にどんな話がやってくるか。楽しみだ。

花と「うた」
2022/06/29
KEI
 元京都大学教授・花卉園芸学者の故塚本洋太郎さんに「私の花美術館」(朝日選書)という園芸としての花とそれを題材にした絵画についての一冊がある。かきつばたでは尾形光琳の「燕子花図」、すいれんについてはモネの「水連」、ひまわりはゴッホの「ひまわり」といった具合に絵画と園芸学の観点から諸々が楽しく書かれている。
 ボルゲーゼ美術館所蔵ボッティチェリの「マドンナと歌う三天使」の一人の天使の頭に巻かれているのがジャスミンだとか、クレマチス(テッセン)を宮川長春などの浮世絵画家が美人画の着物の文様として描いている一方モネも白花大輪のクレマチスを描いているといった興味深い話もある。
 塚本先生は研究対象である園芸の花を絵画の中に探されたが、ここでは先生の顰(ひそみ)に倣って好きな花とそれにまつわる「うた」を思い出すままに取り上げた。読み直してみて、夏の花が多いことに気がついた、というよりほとんどが夏の花である。真夏に生まれたことと関係があるのだろうか。
【タチアオイ】
 好きな花である。暑い日差しを浴びて土手やちょっとした空地の隅、それに農家の庭先に咲いている。背丈ほどにすっくと伸び、下から上へと順に咲いてゆく鮮やかな赤やピンクの花は夏の訪れを感じさせる。黄色や白の花もあるが、花の外延が少しピンクがかった赤の花が一番好ましい。
 花言葉が、大きな望み、大志であるということを知ったのは、60歳を過ぎてからであった。
 毎年6月17日に相国寺で催される儀式「観音懴法(かんのんせんぽう)」に用いられる花がタチアオイであると知ったのは、平成19年5月に相国寺承天閣美術館で開催された伊藤若冲展に出品されていた「胡銅蟠龍文三具足(こどうばんりゅうもんみつぐそく)」の解説による。
 後水尾院が寄進された花瓶に生ける花として、懴法の行われる初夏に咲き、ある程度の高さがあり、飾られている若冲の「文殊菩薩像」や「普賢菩薩像」の色に劣らない豪華な花であるタチアオイが選ばれたという。
 万葉集巻16で「梨棗(なしなつめ)、黍(きみ)に粟(あは)嗣(つ)ぎ、延(は)ふ田葛(くず)の、後も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く(作者不詳)」と歌われた葵は、このタチアオイなのだろうか。
【沙羅】
 芥川龍之介は、私にとっては小説家というよりも詩人である。高校生の頃、吉田精一著「日本近代詩鑑賞」(明治・大正・昭和編がある)で覚えた詩に「相聞」がある。「恋に恋した」若かりし頃の思い出とともにある。
    また立ちかへる水無月の
    歎きを誰にかたるべき
    沙羅のみづ枝に花さけば
    かなしき人の目ぞ見ゆる
 沙羅とは日本では夏椿のことであると思っていたが、そうでないという説もあるとか。朝咲いて夕方には散ってしまうという清楚だが儚い花である。釈迦が入滅したとき、臥床の四辺にあったという。敬虔な仏教徒が多いスリランカのペラデンヤ植物園で沙羅の木だと教えられたホウガンノキには淡いオレンジ色の花が咲いていた。
【ハイビスカス】
 春山行夫著「花の文化史」(中央公論社)を眺めていたら、佛桑花(ぶっそうげ)という花が目に付いた。ハイビスカスのことである。
 横光利一は、シンガポールで「水牛の 車入りけり 佛桑花」と詠んでいる。真っ赤なハイビスカスは、烈日の直射と濃い緑と赤土によく似合う。マレーシアの国花でもある。
 よく見かけるのは一重咲きであるが、八重咲きもあり、色も白、黄色、絞り等々園芸的に作られたものも多い。花博記念公園内にある「咲くやこの花館」では多くの種類が妍を競っており、夏の植物園訪問の楽しみの一つである。
【ブーゲンビリア】
 40年ほど前、東京に住んでいた頃のこと。園芸店で花の終わったブーゲンビリアをとても安く売っていた。翌年の花を期待して買って帰ったが、その後十数年間は毎年秋に真っ赤な花を楽しんだ。厳密には真っ赤なのは花ではなく、包である。包から突起している花のようなものは萼(がく)である。ブーゲンビリアには花びらはない。
 わが家では、鉢植えで楽しんだが、子会社の法務問題を解決するためにインドネシアのスラバヤへ出張したときには、ホテルの庭に真っ赤な花を満開にした枝回り数メートルという大きな木を見つけた。南十字星の記憶とともにある。
 この花を詠んだ短歌として知られているのには、俵 万智の「ブーゲンビリアのブラウスを着て会いに行く花束のように抱かれてみたく」がある。
【サルスベリ】
 高浜虚子は「炎天の 地上花あり 百日紅」と詠んだ。
 中国原産の落葉樹である。花の色は赤が一般的であるが白やピンクもある。幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ちてツルツルになり、猿でさえすべるということから付けられたという名の由来はよく知られている。事実、手で触って見るとツルツルしている。
 また、漢字で「百日紅」と書かれるのは、約100日間咲き続けることからきているという。正しくは一度咲き散った枝先から、また芽が出て花をつけるので、遠目には咲き続けているように見えるのである。千代女は「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」と正しく詠っている。
 庭木として見ることが多いが、道路わきに植えられているのを見ることもある。サルスベリの赤い花を見ると、友人が大学受験を控えた年に、植木屋が庭にこの木を植えたのをとても気にされていたその母堂を思い出す。そっと私に愚痴をこぼされたが、今になればこの母堂の気持ちがよく分かる。友人もその母堂も今は亡き人である。

桔梗(キキョウ)
2022/06/22
KEI
 日曜日の朝のEテレ番組で「桔梗」についての放映があった。途中から見たこともあり、全体がどのような構成だったかは分からないが、桔梗が絶滅危惧種になっていることや八重咲の桔梗、絞りの花が咲く桔梗が紹介されていた。併せて桔梗の育て方も。
 台所に立っている妻に「八重咲の桔梗があるそうだ」と声をかけたところ、「桔梗はやっぱり青紫の一重の花でしょ」との答。桔梗に清楚な感じ、貴(あて)やかだが少し淋しそうな感じを抱いている私も妻の意見に同感である。
 書棚には「桔梗が絡む思い出に関係する本」と「桔梗の場面が心に残っている本」がある。
「桔梗が絡む思い出に関係する本」は当時大徳寺大仙院の住職であった尾関宗園さんのサインが入った新書版の「不動心」(徳間ブックス)であり、「桔梗の場面が心に残っている本」は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」(文春文庫)第3巻である。
 高校卒業後、2〜3年経った頃のことだが、中学・高校時代の国語教師であった恩師に誘われて2人で大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。
 大仙院の本堂(方丈)の北東にある「書院の間」の前の小さな、記憶では数坪ほどの、幾つかの石が置かれた枯山水の庭を「ごちゃごちゃした庭だなあ」と眺めていると、一人の和尚さんが現われ「鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる滝が、大河となって大海に流れ込む様を表現し、滝、橋、舟などをすべて石で表わす。この狭い空間に広大な景観を表現したものだ」等々を含め、大きな声で丁寧に説明して下さった。同時に当時若かった私にいろいろと人生についても話して下さったようであるが、全く記憶していない。かなり長い間お話していたと思う。
 その後、何かの機会にこの和尚さんは尾関宗園さんといい、著作もある名物和尚だと知り、直ちに買ったのが「不動心」だった。この本にはどういう訳か、尾関さんのサインがなされていた。
 このときの恩師や尾関宗園さんの思い出が、桔梗に連なる。
 大仙院を辞した後、真珠庵を始め大徳寺の幾つかの塔頭を訪れた。高桐院あるいは芳春院の何れか、たぶん高桐院だと思っているが、その本堂の前の庭には白砂が撒かれ、そこに数多くの桔梗が咲いていた。現実はどうだったか、記憶ではこのようだった。そして「桔梗の庭とは」と驚いたことや「石や苔の庭もいいが、桔梗の庭もいいな」と思ったことをよく覚えている。
 この文章を書くにあたり、調べてみると現在では高桐院、芳春院いずれにも桔梗の庭はないようだ。これら以外の塔頭も含めて「かつて桔梗が庭一面に植えられていた」という記述も見つけることはできなかった。しかし、私の心の中には60年近く前の「桔梗が一面に咲いている大徳寺塔頭の庭」と恩師と尾関宗園さんが鮮やかに残っている。
 次に「桔梗の場面が心に残っている愛読書」は、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」である。その第3巻には、久し振りに千葉道場へやってきた竜馬が見た桔梗、千葉道場のさな子が竜馬への想いを託し庭の片隅に植えた桔梗が、さな子とその兄である千葉重太郎との会話で描かれている。文章が長くなるので引用は差し控える。桔梗は竜馬の紋所である。
 この桔梗も司馬さんの文章と共に心に残っている。
 因みに桔梗の花言葉は「永遠の愛」「誠実」「清楚」「従順」である。そして桔梗の青紫色は「桔梗色」と名付けられている「貴やか」な色である。

大津市 こんな図書館あったらいいな
2022/06/19
林知子
「大津市 夢の図書館・理想の図書館」の話題が運営会議で話されている。私は、雲の上の話でなく、小さな夢を語りたいと思う。
 例えば、こんな図書館だったら行ってみたいと思う。
 大津市立北図書館の横に琵琶湖に向かう天神川が流れている。その横は緑地となっていて散歩コースもある。樹木が豊かで、2月頃に咲く様々な椿の花は見事である。椿は品種が多くて、それぞれ人々が改良して育てあげたものも多い。もちろん、野生種の藪椿は、それはそれで味わいがある。
 そんな時に図書館に行ってふと思ったことがある。この時期、図書館入り口のフロアに天神川緑地の椿の写真が掲示されていたらどんなにいいものか。そして、椿に関係する写真集や絵本、椿をモチーフとした小説などが紹介されていたらどんなにいいものかと。
 山本周五郎の「五瓣の椿」や葉室麟の「散り椿」そして澤田ふじ子の「雪椿」などを思い出す。紹介されていたら何度でも思い出して読みたくなるに違いない。
 椿をモチーフとした和菓子も多い。和菓子作りの本を紐解くと「季節を楽しむ和菓子」としてかわいい椿の和菓子写真が載っている。同じ色の椿が天神川横にある。
 椿を使った子どもの遊びの絵本もたくさんある。
 そういう本の紹介のすみに「図書館どこのコーナーにこの本あります」とか「問い合わせしてください。倉庫にあります」とかメモがあったらもっと嬉しい。こんな図書館だったら、通いたくなる。
 また、こんな例もある。
 和迩図書館には、毎年、ツバメがやってくる。私は、勝手に「ツバメがくる図書館」と呼んでいる。今年も巣が二つ作られて、下には新聞紙が置かれている。職員さんが世話をしていることが分かって嬉しいことだ。このツバメがやってくる時期にツバメに関係した本の掲示や紹介をして欲しいといつも思う。また、どなたかツバメの写真を撮って観察記録を掲示して欲しいとも思う。近かったら、毎日通って写真撮影をするのにと思う。
 多くのツバメは春なると遠く東南アジアや台湾から日本に飛来する。が、日本で冬を越すツバメ(「越冬ツバメ」と呼ばれる)もいるという。 3月には西日本や南西諸島にやってきて、4月に入ると東日本の広範囲で見ることができるようだ。子育てで餌をやる姿も面白い。こういう情報は、子どもたちの興味関心をそそるにちがいないと思う。子どもたちが喜ぶ掲示だ。「ツバメがくる図書館」ならではの取り組みになるだろう。
 これらのことは、ちょっとした工夫でできることで、私は図書館の利用者を増やすための「図書館経営実践」だと思う。では、それは誰がやるのかだけど、「図書館をこよなく愛する館長や司書の仕事」だと思っている。何をしたら市民にこの図書館に通ってもらえるか、図書館を活用してもらえるかを館長さんには常に考えて欲しいと願う。
 ちょっとしたアイディアを出していくことで、利用者は通いたくなる図書館ができるに違いないと思う。こんな豊かな実践がある図書館が、私の小さな夢だ。

石上露子と小板橋
2022/06/15
KEI
 机の引き出しの奥から昭和53年7月28日付の日本経済新聞記事の切り抜きが見つかった。「誰がための恋の嘆き」と題された、当時和光証券常務だった松本和男氏によるこの203行の記事は、石上露子の「小板橋」という絶唱で始まり、彼女に纏わる諸々についての丹念な調査の結果が記述されている。
  ゆきずりのわが小板橋
  しらしらとひと枝のうばら
  いづこより流れか寄りし。
  君待つと踏みし夕に
  いひしらず沁みて匂ひき。
  今はとて思い痛みて
  君が名も夢も捨てむと
  なげきつつ夕わたれば
  ああうばら、あともとどめず
  小板橋ひとりゆらめく。
 彼女は、南河内随一の豪商の長女として生まれ、天性の美貌と気品と聡明さと自主的な性格の持ち主だったという。古典的教養は幼少の頃から身に付けており、書画、琴、上方舞、薙刀でも才能を示したとされている。明治36年秋、与謝野鉄幹、晶子主宰の新詩社に入社、41年1月まで「明星」に詩1篇、短歌80首、美文5章を発表して姿を消した。
 発表された多くの短歌は、他の女性歌人の「恋情を訴えるもの」とは異なり「実らぬ恋の絶望感」を詠うものだった。
 女中のお供なしでは外出も許されなかった彼女には19歳のときに相知った忘れられない青年がいたそうだ。松本氏はこの悲恋の相手とされる高等商業(現在の一橋大学)の学生であった長田正平氏のその後を追跡している。新聞記事では松本氏は「そこで、昭和34年ごろから私の長田氏追跡が始まった。・・・しかし、(東京空襲による戸籍資料の消失により)これ以上は現在、どうにも調べようがない。・・・かの絶唱をより深く味わうためにも、今後も調査を続けたいと思っているが」で文を閉じている。
 その松本氏の研究、調査の結果が2000年10月に中央公論新社から発刊された587頁に及ぶ堂々たる「評伝 石上露子」である。
 サラリーマンとしての生活を全うし、その傍ら仕事から離れた分野の研究でこのような著作を残された松本氏に同じくサラリーマン生活を送った者として最大の敬意を表する。
 余談であるが、松本和男編著「論集 石上露子」(中央公論事業出版)には千秋次郎さんが「小板橋」に付けた曲が掲載されている。音符の読めない私にはどのような曲かは分からない。

送られてきたOB会報
2022/06/08
KEI
 私が卒業した中学・高校男子一貫校のOB会報が送られてきた。卒業した時点で終身会費を支払っていたので現在でも律儀に送ってくれているのだろう。
 同期の人物に関する記事があれば読むことになるが、それ以外の記事はちょっと眺めるだけである。今号では特集として「新型コロナに立ち向かうOB」が掲載されていた。
 テレビ画面でよくお目にかかる関西福祉大学の勝田吉郎教授が「運命のままに漂いながら・・・」、災害派遣医療チームのDMAT事務局次長の若井聡智氏が「武漢チャーター便緊急帰国、ダイヤモンド・プリンセス号から始まった新型コロナ・ウイルスとの闘い」と題した文章を寄稿されていた。後者は面白そうだがタイミングが遅い、前者は老齢の身には参考にはならない、という理屈をつけてチラッと目を通しただけだった。
 その他は関係者の挨拶文、同窓会への思いと期待についてのアンケート調査の結果、「AI時代を迎えて」と題する奈良先端科学技術院大学の中村 哲教授の論考などで編集者の苦労が偲ばれる紙面づくりであった。
 なかでもページを埋めるために苦労されたのだろうと思われる記事が、理科教諭の「ポリティカル・コレクトネスの影響」と著者名が明示されていない「『今と昔』教科書の変更点 皆さんの知識は古い?」であった。この二つは興味深く読んだ。
 前者では生物教師30年を振り返って、教科書の記載内容の変更が具体的に述べられている。かつてメンデルの遺伝を勉強するときに習った「優性」は「顕性」へ、「劣性」は「潜性」へと変わっているそうだ。「優性」や「劣性」は遺伝子として発現する力が強いか弱いかの区別であるに過ぎないのに「優れている」、「劣っている」という誤解を招きやすいということで、変更されたという。
 ヒトに関わる病気名、例えば「血友病」「赤緑色盲」「ダウン症」は差別意識を植え付けるとの配慮から、教科書から削除され、中学・高校では教えないことになったという。しかし、現実には、大学入試の「生物」の問題には、いろいろな病気名が出てきて、考察させていると著者は書いておられる。
 後者では21の項目について、変更前と変更後の表記とその理由が記載されていたが、笑ったのは第26代アメリカ大統領の名前が「ルーズベルト」から現地のネイティブの発音に近い「ローズメルト、ルーズヴェルト」と表記が変わったことである。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」を思い出したが、地下でルーズベルトも苦笑しているだろう。
 また、隠れキリシタン発見の方法については、かつては「踏絵」とされていたが、今では「絵踏(えぶみ)」と変わったという。その理由は絵を踏む行為なのだから「絵踏」、踏ませるキリストやマリアの絵が「踏絵」だそうだ。なるほど、なるほど。
 ということで、その後、会報は資源ゴミ回収用の袋に納まった。

「本を選ぶ」ということ−子どもの本
2022/06/05
けふばあチャン
 20年くらい前のことだったでしょうか?文庫仲間の若い友人が、京都三条河原町にあった漫画専門店に連れて行ってくれたことがあります。
 ビルの2階だったか、3階だったか?上がっていくと、そこはすべて漫画。少年漫画に少女漫画、私の知らない作家ばかり、どれがいいのやら、おもしろいのやら、さっぱりわかりません。手塚治、白戸三平、藤子不二雄、…それくらいしか知らなかったのですから。
「この中から、文庫にもし置くとしたら、どれを置く?選んでみて!」と、漫画に詳しい彼女に言われて、しばらく、あちこち書架の間をキョロキョロ、うろうろ、…結局、選べなくてギブアップしてしまいました。
「ねっ、た〜くさんの知らない本の中で、どれでも選べって言われても、困るでしょ。子どもたちにとって、本屋さんや図書館で本を選ぶって、今の乾さんの気持ちと一緒だよ」
 なるほど、よく分かる。幼い子どもたちには、大人が選んだ本から与えるべき。それも最初は2冊か3冊の中で。
「今日は、どれを読む?どっちにする?」と、息子たちが幼い時は、そうやって息子の選んだ本を読んでいました。(その前に私が選んでいるのだけれど、息子は自分で選んだと思って、満足していたのです。)
 大津に越してきて、図書館に行くようになった時は、それぞれに好きな本を選ぶようになっていました。もっとも図書館の本は、司書さんによって選ばれた本が並んでいるので、安心でもありました。
 でも、子どもたちは自分で本を選ぶことはできないのでしょうか?
 初孫が、1歳になって少し経った頃だったでしょうか?まだヨチヨチ歩きの頃だったとおもいます。文庫の絵本の棚から一冊の絵本を抜き出して、私のところに持って来て「ウ、ウン」と突き出して膝の上に乗っかってきたことがあります。
『くまは どこ?』シャーロット・ポメランツ作・バイロン・バートン絵・谷川俊太郎訳という本でした。
 ユネスコ子どもの本100冊というキャンペーンでいただいた本で、私が選んだ本でなかったので、あまり手に取ることのなかった絵本でした。1歳の孫が選んできた本を、その後何度も何度も読まされることになり、他の子どもたちにも人気の一冊となりました。
 松岡享子さんの『子どもと本』の中に、こんな部分がありました。
「図書館で子どもたちが本を選ぶ様子を見ていて感心するのは、幼い子どもほど、選ぶのに迷いがないことです。表紙を見せて並べてあるのは、絵を見て選んでいるのだろうと思うのですが、背文字だけを見せて、棚にびっしり並んでいる本のなかからも、”自分の”一冊を探し出します。字が読めないのにどうして?と、ふしぎに思うのですが、何か第六感のようなものがあるのかもしれません。」
 まさに、孫の場合も、背文字だけを見て選んでいたので、私は「どうしてこれを?」と不思議で仕方がありませんでした。この本を読んだとき、(そうなんだ!子どもの第六感かぁ)と、妙に納得してしまいました。
「本を選ぶ」ということ、個人の場合と図書館の場合は、ちょっと違うかもしれませんが、『子どもと本』の中で「ひとりの人がおもしろいと思った本を、ひとりの子どもと分かち合う、それが基本だと思います」と、そして、このように書いていらっしゃいます。
「だれかに本を選ぶときに働くのは、基本的に親切心――多少のおせっかいのまじった愛情ーーだと、わたしは思っています。人は、美しいものを見た時、おいしいものを食べたとき、おもしろい出来事に遭遇したとき、家族であれ、友人であれ、愛するものに、同じものを見せてやりたい、食べさせてやりたい、その話をしてやりたいと願うものです。それと同じことです。自分の心に深く訴える本、自分の目を開かせてくれた本、たのしい思いを味わわせてくれた本があるなら、その体験をだれかと分かち合いたいと願うのは自然なことです。それが選ぶという行為になるのです」
(うん、うん、そうだ。そうだ)と思いながら読みました。そして、小学生の孫をつかまえて、「『ビーザスとラモーナ』めっちゃおもしろかった。HちゃんとKちゃんみたいだった。読んでみない?」と、おせっかいな愛情をおしつけております。

増田明美さんの人生相談
2022/06/01
KEI
 増田明美さんについて書く。かつてマラソンや長距離走で一世を風靡した増田さん、現在はスポーツ・ジャーナリストの肩書を持ちマラソン解説でも活躍している増田さんについて書くのではない。読売新聞の人生案内の欄の回答者として、元アスリートとは違った面を我々に見せている増田さんについての所感である。
 新聞に人生相談の欄があること自体が私にはその意味や必要性を理解できないが、愛読し参考にしている読者もいらっしゃるだろうし、それなりの意味があると主張される識者もいらっしゃるだろうから、この欄の存在自体について議論するつもりはない。
 人生案内とタイトルをつけた読売新聞の人生相談欄で読む増田明美さんの回答がすばらしい。
 つい先日の相談者は80代の女性、その相談内容は35行の文章で「娘のこと後悔ばかり」と見出しが付けられ「娘のことで深く考えず決めたことが多く、後悔ばかりです」で始まっていた。書かれている内容は、娘の高校進学に際して親としてあさはかな判断をしたこと、娘から預かった書籍を娘の了解を得て処分したがなぜ残しておいてやらなかったかということの2つを例示し、後悔ばかりしていると書いている。
 このような相談に対しては、返事のしようもないと思われるが、増田さんは丁寧に相談者に寄り添った考え方を述べている。42行の増田さんの回答はとても心優しく、すばらしい。
 今まで読んだ増田さんの回答と同じように、まず最初に「まっすぐに引いた線に沿って、美しい文字で書かれた相談のお手紙。あなたの真面目な性格が伝わってきます」と相手をそのまま受け入れるやさしい文章が書かれている。
「娘さんはそれほど気にしていないと思いますよ」と端的に自分の考えを書いた上で、「私は、あなたの娘さんと同じくらいの年齢だと思います」と、これから同年代の女性がどのように考えているかを書きますよ、と理論で納得させるのではなく、気持ちで納得してもらえるような前提を示す。
 そして、相談者が気にして書いている2つの事例のうち、前者の悩みについては娘さんの気持ちを想像し、「10代の頃の葛藤は困難を乗り越えていく力になったはず」「中年になると、母親には『産んで育ててくれてありがとう』の気持ちでいっぱいになります」と書き「娘さんにしてあげられなかったことを数えるよりも、してあげて喜ばれたことを数えていってください」と、自らを否定するのではなく肯定する気持ちで生き、考えるようにと励ましている。
 後者の悩みについては「本のことも、大切な本は自分の手元に置いてありますから、大丈夫」と見事な一閃。
 これを読んだ80代の母親の今まで心の中にあったもやもや、折に触れて思い出した後悔の念は、雲散霧消とまではいかないかも知れないが、心の中で整理されたことだろう。
 増田さんは回答を「それよりも、娘さんのためにも、いつまでもお元気で幸せにお暮しくだいね」で締める。見事な人生案内である。
 これを書き終わった後に、増田さんには「認めて励ます人生案内」(日本評論社)という著作があるのを知った。読売新聞掲載の人生案内を纏めたもののようだ。

人称代名詞
2022/05/25
KEI
 人称代名詞(にんしょうだいめいし)が一般的な用語だと思っていたが、手元の広辞苑を引くと「人代名詞に同じ」とあるではないか。少し驚いた。人代名詞は「じんだいめいし」と読み、「代名詞のうち、事物・場所・方向を指示する指示代名詞に対し、話し手との関係概念を表現し、人を指示するもの。「われ」「わたくし」(第一人称)、「なんじ」「あなた」(第二人称)、「かれ」「あのかた」(第三人称)、「たれ」「どなた」(不定称)などの類」と説明している。
 この説明内容は当然のこととして知っていたが、これらを抽象的あるいは包括的に言う言葉は「人称代名詞である」と疑ったことはなかった。いつの間に「じんだいめいし」と呼ばれるようになったのか。
 このことはさておき、諸井 薫氏はそのエッセイでは、自分を示すのに「男」を使っている。少なくとも私の手元にある数冊のエッセイ集ではそうなっている。つい先日に図書館から借り出したエッセイ集「いい人生とは何か」(角川書店)でも「男」を使っていた。
 最初の頃は少し違和感があったが、「私」だとあまりにも自らの生身が表に出てしまう。「男」という一般的な用語を使うことにより主張や発言内容をちょっとオブラートに包み、読者のあなたもそうではないですか、というような思いをさりげなく表に出す。このような意図があるのでは、と思い始めた。
 同じようなことを小川 糸さんの「ツバキ文具店」(幻冬舎)でも感じた。作者は主人公の祖母を「先代」という名詞を使って表現していた。確かに主人公がいま行っている仕事は祖母から引き継いだものであるため、祖母が「先代」であることには間違いがない。しかし、作者は仕事に関係すること以外でも、祖母という単語を用いずに「先代」で通していた。仕事も含めて人生に大きな影響を与えた祖母に諸々の深い念、思いを持つと共にその仕事を敬意を持って引き継いでいる自分であることを「先代」という言葉の中に含ませているようにも思ったが、果たして正解か。
 これはちょっと前二例とは異なるが、私は手紙や葉書の文章さらには私的なコラム、エッセイや旅行記の文章の中では配偶者を示す言葉として「妻」を使う。彼女の名前や妻を意味するその他の表現を使うことはない。日常的に使っている「妻」と言う言葉が、私にとって一番親しく本人やその人格を示すと思うからだ。

「本を選ぶ」ということー児童文学について
2022/05/22
けふばあチャン
 以前、KEIさんが「本を選ぶ」というタイトルでこのページに書いていらっしゃいました。
 私は、「本を選ぶ」時ってどうしているだろうか?本屋さんでは、書評などで気になった本を探す。好きな作家のコーナーを見る。新書コーナーを物色。
図書館では、日本文学、英米文学、児童文学のヤングアダルトコーナー、詩歌、エッセー、園芸、料理、建築を回って、絵本の新刊、今日帰ってきた本のコーナーをめぐるうちに、なんとなく魅かれるものに出会ったら借りる。
一度気に入った作品があるとその作者の棚をしばらくあさる。とまあ、私個人の時は、こんな具合に本を選んでいる。
 一方、私は『じゃりんこ文庫』という家庭文庫を30年近く、その前はマンションで地域文庫を主宰していた。そのため、図書館の団体貸し出し制度を利用して、毎月100冊から250冊の本を選んでいた。
その場合、どのように本を選んでいたかというと、文庫に来ている子どもたちの顔をひとりひとり思い浮かべては、(車の好きなAちゃんには・・・)(Bちゃんは、今学校で琵琶湖のことを学んでいると言っていたなぁ)(Cちゃんは・・・)というように、文庫利用者が喜ぶであろうものを探したり、できればこんな本にであってほしいと思う本、長いこと読み継がれてきた本、読めばはまりそうな本など、子どもたちと本の内容と思い描いては選んでいた。
小さな文庫でさえ、「本を選ぶ」というのは、なかなか骨の折れる大変な仕事でもあり、楽しくもあった。
 図書館は、限られた予算の中で、利用者ひとりひとりを満足させ、しかも先の利用者を見越して、今買っておかなければならない本も選んでおかなければならない。地域の特色ある資料も、あるいはそれに役立つものも選ぶ必要がある。図書館の選書でその図書館の特徴が出さえする。
 KEIさんが「児童文学というものを私は認めません。子どもには大人にも向くものだけを与えるべきです」という言葉を引用されていましたが、私は、長年「子どもの本」の世界に関わってきて、やっぱり児童文学という位置づけは大切だと思っている。
 児童文学というのは、読み手はこれから大人になっていく成長しつつある子どもたちであるということ。そして書き手は大人であるということ。
児童文学を選ぶときに私は信頼している作家、翻訳家を目安に本を選ぶことが多い。信頼している翻訳家の一人、猪熊葉子さんの『児童文学最終講義』という本の中に、「自分の内部に子どもを生かし続けている大人、それを自覚している人と無意識な人がいることはもちろんですが、その自覚があり、それを作家として作品を書くのに必要な想像力のダイナモにする。そうすることによって結果として出てきたものが、いわゆる「児童文学」と呼ばれるものになる。」と。
子どもを内部に生かし続けている大人が、子どもの時の物語を言葉に変換してくれることで、子どもたちは物語を読むことで、物語の中で生き、冒険をし、子どもを生きる。そして、未来(大人になっていく先)を信じて一歩一歩と成長の階段を上っていく。
人生に必要な言葉を獲得し、しあわせな結末を求めて、物語の世界に飛び込んで行けるーそういう児童文学を選んで、子どもたちの前に差し出したいと思うのです。
 昨年の秋、松岡享子さんが文化功労者に選ばれた時、「子ども文学や読書の問題を正面切って取り上げられたのは、初めてのことではないかと存じます。そのことをうれしく思います。児童文学は、”おんなこども”のものとして、一段ひくくみられてきたきらいがありましたから。」と語っておられた。
ようやく児童文学も、文学の中の一分野と認められたということでしょうか。私もうれしく思いました。

絵画の修復
2022/05/18
KEI
 ドレスデンの国立古典絵画館で見た「窓辺で手紙を読む女」は、私の最も好きなフェルメール作品である。私はこの絵のポストカードを写真立に入れて書斎の椅子の後ろにある本棚に飾っている。
 この作品に描かれている大きな壁には何も架かっていない。しかし、X線検査をするとこの壁にはかなり大きなキューピッドの絵を描いた画中画が描かれている。このことは有名な話である。
 私が一番のフェルメール研究書だと思っている小林頼子さんの「フェルメール論 神話解体の試み」(八坂書房)を始めとして多くの書物では、このキューピッドの絵を塗りつぶし、壁をただただ光を反射する場にかえたのは、フェルメール自身である、手紙が恋文であるとのあからさまな意味の提示を嫌うフェルメールはそれを消してしまった、との推測が書かれている。
 同じ意味合いだが、「科学と芸術の間を遊泳する」生物学者の福岡伸一さんは「フェルメール 光の王国」(木楽舎)の中で「背景の壁には絵が飾られていた。1のカードを持ったキューピッドの画中画。一人の人を愛しなさい。・・・彼はこれを描いたあと、壁の中に溶かし込んだ。おそらく手紙に特定の意味を与えたくなくなったのだろう」と書いている。
 ところが、その後の科学的な調査の結果この塗りつぶしは、フェルメール本人ではなく後世に他人が行ったことが判明した。
 2019年5月7日の各紙は「ドイツ・ドレスデン国立古典絵画館は7日、同館が所蔵するヨハネス・フェルメールの作品『窓辺で手紙を読む女』の上部に、キューピッドが描かれていたが、これを消したのはフェルメールではなく、後に別人が上塗りしたことが明らかになったと発表した」と報じた。記事では「キューピッドが塗り込められたのは、絵画作成の数十年後、フェルメールの死後であることが判明した」と説明している。
 その約2年後の2021年8月同絵画館は「『窓辺で手紙を読む女』の修復が完了した」ことを発表した。その修復により壁に描かれていた大きなキューピッドが現われた。
 この修復についてはフェルメール愛好家の多くから異論が出されたそうだ。この絵が大好きな私としても、報道された修復後の絵と比べ修復前の作品の方が格段に優れていると思い、修復を極めて残念に思っている。
 ドレスデン国立古典絵画館は「原画に忠実に修復する」という方針あるいは原理原則に従ったのだろうが、ルール遵守を第一に考えるいかにもドイツ的な判断だと思う。もしこの絵がオランダのアムステルダム国立美術館所蔵であったと仮定した場合、同館は消されたキューピッドが現れる修復をするだろうか。
 修復後のこの絵は2022年7月16日から9月25日までの予定で大阪市立美術館で開催される「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」の目玉として展示されることが決まっている。鑑賞に行こうか今までのイメージが壊されることになりそうで止めようか、と私は迷っている。

酒を勧む
2022/05/11
KEI
 かなり昔の話である。テレビの「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら、ゲストとして招かれた将棋の田中寅彦九段がかつて将棋の指導をしていた故田中角栄元首相の色紙を鑑定対象品として持参していた。為書がなされていたが、この色紙には何十万円かの鑑定結果が出された。
 ここで書こうとしているのは、その鑑定結果に関してではない。元首相が色紙に書いた「花開多風雨」という言葉に関してである。これは于武陵の「勧酒」の一部分で、正しくは「花発多風雨」である。元首相は勘違いされたのだろうか、あるいは意識的にされたのだろうか「発」を「開」と書いていた。
 私が唐の詩人于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒」(さけをすすむ)を知ったのは井伏鱒二の名訳からである。井伏の訳詩を読んだ後に、原文に当たったのだが実に上手いと思った。
 井伏による訳詩は「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」と言うものである。原詩は「勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」、読み下しでは「君に勧む 金屈巵(きんくつし) 満酌 辞するを須(もち)いず 花発(ひら)いて風雨多し 人生別離足る」である。
 井伏による転結の2行の訳は見事と言うしかない。特に最後の「人生別離足る」を「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」としたのを知った時には、人生とはそういうものか、と思った記憶がある。また、「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」からは「月に叢雲(むらくも)、花に風」を思い出した。
 よく分からなかったのは「金屈卮」であるが、これは、4升は入ると言う曲がった把手の付いた黄金の大杯のことらしい。唐時代の中国では現在の日本の4升と同じ量かどうかは知らないが、なみなみ注がれた4升入りの大杯は持ち上げるのも大変だ。これは白髪三千丈の世界のことなのだろう。とは言え、「人生別離足る」の気持ちを表すのには適切な言葉のように思われる。
 これを機に「日本の詩歌28巻訳詩集」(中央公論社)に収録されている井伏の名訳を読み返した。孟浩然の有名な春暁は「ハルノネザメノウツツデ聞ケバ トリノナクネデ目ガサメマシタ ヨルノアラシニ雨マジリ 散ッタ木ノ花イカホドバカリ」である。

マクソーリーの酒場と私の酒場
2022/05/04
KEI
 畏友がブログでジョゼフ・ミッチェルの「マクソーリーの素敵な酒場」(柏書房)を「ニューヨークに生きる、偏屈で、したたかで、そしてどこか温もりのある、はっきりいってそれぞれタイプの違う奇人のような人たちに、つい引き込まれてしまう見事な描き方」と1,000字強の文章で紹介していた。この文章に惹かれて、この素敵な酒場を図書館から借り出し、そこに含まれている10の短編を楽しんだ。
 畏友と同じように私も同書の冒頭に収められた「故郷のなつかしき家」が一番気に入った。この編は酒場“マクソーリーズ”の4代の経営者と彼らが愛した店やその顧客について達者な筆致でこれらに纏わる諸々を紹介している。
 読みながら私は東京勤務の約20年間(その内の15年は単身赴任だった)に楽しんだ一つのバーを思い出していた。勿論、ミッチェルがこの文章を書いた1940年という時代、さらに一部の文章に至っては遡ること禁酒法の時代という時代による差もあり、さらに生活様式や人種構成が異なるニューヨークの下町と東京の中心地という地域差もあり、比較すること自体意味がなく、単に私の好きなバーを思い出していたに過ぎないのだが。
 私はお酒は強くはないが、弱くもなかった。友人とはビアホールや居酒屋もよく訪れたが、私のお気に入りはホテルのバーだった。
 若かりし頃に知った池波正太郎さんの名言「お酒はきちんとしたホテルのバーで飲むべし。値段は決して高くはない」を実践したつもりだった。そこではマナーも覚えたが、何よりもいろんな意味で雰囲気がよく、池波さんの言のように値段はリーズナブルだった。
 当時の私が一番好きだったのは、旧赤坂プリンスホテルの別館・旧李王家邸の1階にあったバー・ナポレオンだった。ハープの生演奏がなされていた、ゆったりと席が配置された落ち着いた雰囲気のバーだった。ここでは資格審査のためだったのだろうか、暫くの間はボトルキープを許されなかったのだが、それが許されてからはさらにリーズナブルに感じた。
 マクソーリーの素敵な酒場である“マクソーリーズ”と私の“バー・ナポレオン”との共通点を強いて挙げれば、「照明がそれほど明るくなく、心の平安を得やすく、くつろげる」ということになりそうだ。
 もう一つ、私が羨ましく思っているロンドンのパブも思い出した。出張の都度、駐在員と訪れ生ぬるいエールを楽しんだが、そこでは私たちと同じように仕事を終えたサラリーマンが同僚と連れ立ってカウンターで、あるいは路上に置かれた背の高いテーブルの前で一日の疲れを癒しつつ様々な情報交換をしていた。居酒屋でその日の仕事についての話や同僚の噂話をしている日本のサラリーマンと同じだなあ、と思った記憶がある。そして“マクソーリーズ”では・・・。
 それぞれの人物がそれぞれの方法で人生を真面目に生き、お酒を楽しんでいることを思いつつ私もそうだったことを思い出した一編であった。
(最後に一つ補足を。畏友という言葉は、漢和辞典や国語辞典によると「学問や人柄から敬服すべき友、尊敬している友人」とある。先日「尊敬語であるには違いないものの、これ(畏友)を目上の人や同年輩に向かって使ってはならない」という文章を見付けた。根拠は論語にある「後世畏るべし」が理由だという。とは言うものの「墨守」という言葉も、その昔は「説を持して曲げないこと」と言うよい意味の言葉だったということは忘れ去られ「旧弊にとらわれる、融通がきかない」とされている。このような例もあることでもあり、畏友も手元の漢和辞典、国語辞典に書かれている意味合いで使った。)

『旅の絵本』のこと
2022/05/01
けふばあチャン
 腰が痛い、膝が痛い。今日の散歩はやめ!ということも増えてきた私ですが、2,30年前は、まだ、あちこち旅もしたい。
できれば、文庫本数冊とスケッチブックを持って、ふらっと気ままな一人旅がしてみたい。レンタカーを借りて、行き当たりばったりの旅でもいいなぁと、ぼんやり考えていたことがあります。
  今となっては、夢ですが・・・・。そんな時、安野光雅さんの『旅の絵本』を引っ張り出して、ヨーロッパ、イギリスやフランス、イタリア、オランダの田舎であったり、アメリカを西から東に横断したり、と、ひとりの旅人と一緒に絵本の中の旅に出かけます。

 一艘のカヌーでやってきた旅人は、舟を降りると一人の農夫から馬を分けてもらいます。その馬に乗って、森の中をぬけ、ワイン畑で働く農場の横を通り、教会のある村に入ります。
 引越しの荷物を運ぶ人、ポストから郵便を袋に詰める郵便やさん、結婚のプロポーズをしている若者、お墓参りの婦人と眺めていって、学校のそばを通る頃には、前のページの郵便やさんが郵便局に袋をかついで運び込んでいる。子どもたちの徒競走を、しばし馬を下りて応援する旅人。
風景の中に、ゴッホの「跳ね橋」やスーラの「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」の絵、セザンヌの「水浴」の人たちを眺めながら村を抜け、町の中へ。
広場のカフェでくつろぐ人、路上マジックを楽しむ人、結婚式あり、お祭りあり、パレードあり、汽車の走る駅前を通って、汽車を横目にのんびりと旅を続けます。
そしてまた、田園風景の中、ドンキホーテやイソップの犬、ミレーの「落穂ひろい」「晩鐘」、そんなこんなをながめながら旅人は、馬を乗り捨てて、徒歩で夕焼けの丘のむこうに、去って行くのです。
 とまあ、旅人と一緒にのんびりと絵の中を旅すればいいわけですが、じっくり絵を見て、目を凝らして、心を開いて、時には魚の目鷹の目で、よおく観ると、舟から降りた時に飛んでいた二羽のハトは、数ページ登場して、愛を育み子育てをする。
引越しの荷物を運んでいた家族は、数ページ先の町で引越し荷物を下ろしている。一人の女性をめぐり恋の決斗あり、葬式に結婚式、新婚旅行に出かける馬車と、ドラマも展開していきます。
窓からベートーベンが顔をのぞかせていたり、「三匹のこぶた」「おおきなかぶ」「ハーメルンのふえふき」「あかずきん」などの昔話の登場人物やセサミストリートの登場人物などが、あちこちに、他にはいないか?どこに隠れているか?と探すたのしみ。
「ふしぎなえ」の安野さんよろしく平面と立体がこんがらがっているのに、なんの違和感もない等々、何度見てもその度に新しい発見があって、おもしろいのです。

 これは、『旅の絵本』Tですが、1977年4月発行、それを私は、5月29日に駸々堂で見つけて買っています。よっぽど嬉しかったのか、本にメモっていました。
『もりのえほん』は、息子たちと頭をくっつけ合って楽しみましたが、この『旅の絵本』は、私だけのひとり旅を楽しむ本です。
『旅の絵本』U(イタリア編)V(イギリス編)W(アメリカ編)X(スペイン編)Y(デンマーク編)Z(中国編)[(日本編)\(スイス編)そして、安野さん没後に見つかって、今年1月に発行された](オランダ編)まで、一冊一冊買い求めて、(今日はどこの国を旅しようかなぁ)
安野光雅さんしか分からないロンドンの編集者の家、というのもあるらしいのですが、私は、私の旅をこの字のない絵本でさせてもらっています。まだ見つけていないドラマや隠し絵を探しながら。

予約本確保メール
2022/04/27
KEI
 図書館から「予約資料が受け取れます」というメールが届いた。内容を見ると、群ようこさんの「小福ときどき災難」(集英社)とある。その時点では私はこの本を予約したことや予約した理由をすっかり忘れていた。
 いろいろと思い返していると、かなり以前に新聞の書評欄かあるいは自宅に送られてくる小雑誌の巻頭言で誰かがこの本に関して書いていた内容がちょっと気になり予約したことや、新刊書であるためか既に何人かの予約がなされており、「忘れた頃に連絡があるだろう」と考えながら予約したこと等を思い出した。
 予想どおり「忘れた頃に連絡があった」のだが、「予約した事実や予約した理由まで忘れていた」のは私にとってちょっとショックではあった。予約した理由は未だ思い出せない。
 私が群ようこという作家の本を手に取るのは初めてであったが、妻は「麻里子(私の長女)も読んでいた」という。そういえば書庫に群さんの著作が何冊かがあったのを思い出したが、現在では既に処分済みである。
 内容はというと、読み易い文章で日常のいろいろな事柄に関する自らの意見や行動が書かれている。語り口は極めて達者であり、広く目配りされている。同感することが多いが、異論を呈したい文章もある。
 このようなことが相俟って楽しく読み進め、また知らない幾つかの知識を得ることができたが、知的興奮とはちょっと違った感覚を持つと共に文章自体や構成に何か違和感を覚えた。
 その理由を考えてみたがよく分からない。取り上げられているテーマが原因でもなさそうだ。
 このようなことを考えながら最後の頁に到達した。そこには初出として「集英社WEB文芸ゼンザブロー」と私が理解できない言葉が書かれていた。WEBという単語が気になったので調べると、ウィキペディアにこの「・・・ゼンザブロ―」とは「小説やエッセイなどを中心とした文芸作品を誰でも気軽にネット上で読めるように集英社が立ち上げた文芸サイト」とあった。
 これを読んだとき私が感じた違和感は、単行本化に際し加筆・修正されたとは言え「WEB上の文章がその原因かも知れない」と思ったのだが、果たして正解か否かは分からない。
 最後まで読んでも私が直ちに図書館の蔵書を検索し、借り出しの予約を入れた理由は思い出さない。新聞の書評欄あるいは小雑誌の巻頭言には何が書かれていたのだろう。

安野光雅美術館と「もりのえほん」
2022/04/24
けふばあチャン
 心地よい爽やかなお天気の一日。友達を誘って、丹後の和久傳の森、安野光雅美術館に行ってきました。
 京都縦貫道を北に走って、2時間弱。新緑の山々を眺めながら、おしゃべりも止まりません。柔らかな緑の中に時々、山桜のやさしいピンクや白。藤や桐の花の紫も彩を添えます。
いい季節ねぇ。出てきてよかったねぇ」
「そうそう、じっと籠っていたしね。やっぱりコロナの影響は大きいね。友達の訃報も入ってくるんだけど、病院に行くのが遅れて手術できなかったとか。コロナの時じゃなかったらもっと早くに見つかっていたと思うわ」
「こうやって、出てこられるって、いつまでできるか?楽しんでおこうね」

 『森の中の家』−安野光雅館ーは、安藤忠雄さん設計で2017年にオープンしたこじんまりとした居心地の良い美術館です。
植物生態学の宮脇昭先生のご指導のもと苗木から育ててできた、いわば人工の里山ー和久傳の森の中にあります。ミズナラ、コブシ、ケヤキ、クヌギ、など大きな樹の下では、アカメガシワの赤い新芽やヤマブキの花が黄色に、フキノトウは背丈も伸びて白い綿毛になって広がっています。
黒い長細い長方形の箱のような、倉庫のような建物。中に入ると、長細いガラス窓が額縁の中の絵のように外の緑が優しい光と風景を取り込んでいます
美術館の出来るまでのいろんな方々の関わりの足跡のような写真や絵や設計図を見ながら緩やかな階段を上っていくと、今開催中の『わたしの好きな子どものうた』の原画が並びます。絵を見るだけで口をついて童謡が出てきそうです。
 ♪なのは〜なばたけぇ〜に い〜りひうすれ みわた〜すやまの〜は か〜すみふかし〜♪
 ♪あめふ〜りおつきさ〜ん くもの〜か〜げ およめ〜に いくと〜きゃだれと〜ゆ〜く♪
 ♪う〜たをわーすれ〜たカ〜ナリヤは〜♪
「わっ、この絵好きだなぁ!」
「いいねぇ」
「安野さんって、本当に芯から心の優しい人だとおもうわ」
「ユーモアもあって、きちんと言うべきことはおっしゃるしね」
 最晩年、93歳の時に描かれた『京都御苑の花』たち、そして、百人一首の歌をちょっとひねった?「片想いのうた」という書など、安野光雅ワールドを堪能してきました。

 私が安野光雅という人にであったのは、子どもたちの絵本を通してでした。
 長男が4歳のお誕生日から、とり始めた「こどものとも」、その中に「もりのえほん」がありました。これに長男は、そして私も、はまってしまいました。
一見、いろんな木の生えたただの森。それが、よーく目を凝らしてじっとみていると・・・・・。いるいる、ここにも、あそこにも。
「どれどれ?えーっ、どこ?」
「ほらっ、ここ。ここにも、リスでしょ。カンムリツル、サイ、ヤマネコ。・ ・・・・どくろもある。魔女もいる、女の人もいる」
今のハードカバーになってからは、最後のページに答えがのせてありますが、最初のペーパーバックの時は、保護者向けの折込に載っているだけ。絵本には、答えもなくて、息子達と頭をつき合わせ、絵本をひっくり返したり、横向けたり、あっちこっち、ぐるぐる回しながらたのしんだものでした。
いわゆる「かくし絵」。こどもたちも、大人もですが、結構好きな人も多いです。当時、最後までなかなか探せなかったのが、地図でした。そして、魔法使い、人の顔二つというのも見つけにくかったですね。息子と一緒に見つけたときは、「やったー!」と大騒ぎしたものでした。

 その後、新しい本がでるたびに河原町駸々堂で、一冊一冊と買い求めて、友達の遺品も含めて50冊を超えてしまいました。
日曜日のラジオ「日曜喫茶室」での安野光雅さんのお話も大好きでした。「ふしぎなえ」「あいうえおの本」・・・そんな安野さんの絵に出会った後で、エッシャーを知ったのです。
やれやれ、安野さんの本にまつわる私の思い出も次々と止まらなくなりそうです。今回は、この辺にて。

バルト3国
2022/04/20
KEI
 最近バルト3国について政治やIT技術の関連でいろいろと報道され、マスメディアを通してその名を聞くことが多くなった。私の頭の中にあるバルト3国のイメージは、バルト海沿いにある3つの小国、1990年あるいは1991年にソ連から独立した国々と言うものだった。北から南へエストニア、ラトビア、リトアニアと並んでいるのだが、その位置関係もはっきりと理解していたわけではなかった。
 これらの国に関して私が知っている知識はそれほど多くはない。東洋のシンドラーと言われている杉原千畝リトアニア・カウナス領事代理やスパイカメラと言われたラトビア生まれの小型フィルムカメラのミノックスは知っていた。また、エストニアがIT大国でスカイプがその首都タリンで開発されたことも。
 いい機会だし時間もあることだし、ちょっとバルト3国について勉強しようと思った。しかし、歴史から勉強するにはちょっと荷が重い。ということで常識と雑学にちょっと毛が生えた程度で収めるつもりである。
 図書館のホームページで“バルト3国”と蔵書検索すると旅行案内書の他には、学術的な「バルト3国史」(鈴木 徹、東海大学出版会)と「バルトの光と影」(河村 務、東洋出版)以外にはめぼしい書物は見つからなかった。
 この2冊を借り出したが、後者は私と同年配のサラリーマンによる定年後の一人旅の紀行文だった。知的かつ人好きな著者の約20日間の行動が手慣れた筆致で、抑制的かつ具体的に書かれおり面白く読んだ。前者は“つまみ食い”ならぬ“つまみ読み”をしただけである。
 これらの本を読みながら、地図を眺めていろいろなことを知った。一番北にあるエストニアは、フィンランド湾を挟んで80q強でフィンランドに接していること、東はロシアに接し国境線からサンクトペテルブルグまでは僅か数百qであること、リトアニアとポーランドの間にはロシアの飛び地であるカリーニングラードがあること等々である。
 これら位置関係と戦争を含む過去の歴史を絡めて極めて図式的に言うと、エストニアはフィンランドと、ラトビアはドイツと、リトアニアはポーランドとの関係が深い。
 バルト3国が関心の対象になると、不思議なことにバルト3国に関するいろいろな情報が入ってくる。「ながいながい旅―エストニアからのがれた少女」(ローセ・ラーゲルクランツ著、イロン・ヴィークランド絵、石井登志子訳、岩波書店)もその一つである。一読したが、その紹介文には「画家ヴィークランドは子供のときにエストニアからスウェーデンに亡命した。戦争の荒波にもまれる幼い少女の涙と希望の日々を描いた自伝的作品」とあった。

一年に一回開く本
2022/04/17
けふばあチャン
 桜が咲く頃になるとうずうずしてきて、あちこち出歩きたくなる。
 大津皇子山公園のハツミヨザクラ、相模川のソメイヨシノ、近江八幡の水が浜、彦根城、青土ダム、鮎河のうぐい川両岸、野洲川ダムの山桜などなど。
 そして、桜吹雪の時が過ぎると、山々は一斉に芽吹きの時を迎える。つい、先日まで裸木であったのに、やわらかな白っぽい緑だったり、黄色っぽい花のようにみえる新芽。鮮やかな黄緑、青みがかった緑、赤みをおびた新芽、山は様々なやさしい色の衣を羽織りだす。
その中に、常緑の檜や杉の林が、ショッキングピンクのミツバツツジが濃い色どりを添える。

 こういう季節に、毎年本箱から引っ張り出す本がある。
 『色の手帖』小学館と『日本の色辞典』吉岡幸雄 紫紅社の二冊。特に『日本の色辞典』は、とても重宝している。
 「緑系統の色」のところを開いてみよう。
 柳色、裏葉色、木賊(とくさ)色、蓬色、緑色、青緑、若竹色、青竹色、萌黄色、鶯色、鶸萌黄(ひわもえぎ)、鶸(ひわ)色、千歳緑、常盤色、松葉色、若菜色、若苗色、若草色、苗色、山鳩色、青朽葉、苔色、海松(みる)色、青磁色、緑青色、白緑(びゃくろく)色、虫あお(玉虫色)、若緑、山葵色、深緑、浅緑、
 とまあ、古代の人たちの自然への観察力、表現力の豊かさに、毎年のように驚かされる。

   草木染をする友人がいた。「緑の草木を煮だしても緑色にはならないのよ。茶色とかカーキ色とかになって、緑という色にはならない。」
 「緑に染めようと思ったら、苅安などで黄色に染めてから、藍で染めて調節し、ようやくいろんな緑ができるんだよ。」と教えてもらったことがある。
 先人たちは、いろんな植物を使って、布を染めては、着物に取り入れて、また自然を身にまとうように表現する。

   春の山に刺激されて、1年に一回、引っ張り出す本。色見本のような色から、山の色を確かめ、源氏物語や枕草子、平家物語など、引用された一節を読んで、古典をつまみ食いした気分になって満足している私である。

郷愁の詩人 与謝蕪村
2022/04/13
KEI
 友人が亡くなるのは寂しい。毎年末発行の同人写真集のメンバーだった友が亡くなった。写真集には彼の過去の傑作に併せて同期の仲間による追悼文が載せられた。
 追悼文には与謝蕪村の「北壽老仙をいたむ」と旧制第三高等学校寮歌の「現なき日」の一節が彼の人となりを示す短文と共に書かれていた。
 この追悼文についての私のメールに対して追悼文の筆者は「高校生の時、古文で『君あしたに去りぬ』を読んで、感動しました。『岡の邊なんぞかく悲しき』にジンと来ました。・・・朔太郎に、『郷愁の詩人 与謝蕪村』という小冊子があります。・・・」と自らの思いを伝えるとともに私の知らなかった萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」を紹介してくれた。
 直ぐに入手し読んだ。本を処分しつつある身を考えて図書館から萩原朔太郎全集第三巻(新潮社)を借り出したのだが、昭和39年発行のこの書物の活字は余りにも小さい。老眼鏡の上にハズキルーペを付けて読んだことである。
   君あしたに去りぬ ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる
   君を思うて岡の邊に行きつ遊ぶ 岡の邊なんぞかく悲しき
 朔太郎の文章は「北壽老仙をいたむ」の中のこの語句で始まっていた。そして蕪村の句の詩境が「他の一般俳句に比して、遥かに浪漫的の青春性に富んでいる」と述べ、「蕪村の句の特異性は、色彩の調子が明るく、繪具が生々して居り、光が強烈であることである」と続いている。
 朔太郎はここでは春夏秋冬と四部に分けて自らが好きな句、良い句を選んでいる。「菜の花や月は東に日は西に」「月天心貧しき町を通りけり」といった人口に膾炙している句を始めとして私自身も一読好ましいと感じた句が選ばれ、朔太郎の眼で見た意見が書かれている。菊版30数頁の小論であり、あっという間に読み終えた。
 この小論を紹介してくれた友人は夏の部に選ばれていた「愁ひつつ岡に登れば花茨」について「この岡をいつか写真に撮りたいと思っていますが、そのような僥倖が巡りくるでしょうか」と書いていた。朔太郎は蕪村の「愁ひつつ」という言葉に、無限の詩情が含まれて居ると書いているが友人もその詩情を印画紙上に止めたいと願っているのだろう。
 ちなみに、若かりし頃の私もこの句が大好きだった。朔太郎は「青空に漂ふ雲のやうな、また何かの郷愁のやうな、遠い眺望への視野を持った、心の茫漠とした愁ひ」と当時の私の気持ちを上手く表現してくれている。

クマムシ
2022/04/10
けふばあチャン
 先日図書館に予約していた本を取りに行って、ついでに気になっていた本を探しに日本文学の棚を探す。
 しかし、借りたかった本が見つからず、同じ棚でたまたま手に取って借りてきた本、『父 Mon Pere 』辻 仁成著 を読んでいたら、主人公の恋人との会話の中に、water bear(クマムシ)というのが出てきた。
 65頁にこのように書かれている。《体重の約3%程度まで水分が激減し、乾燥しても water bear は、クリプトビオシスになり生き延びることができる。150度の高温から絶対零度の極低温まで、真空から7万5千気圧まで耐えることができる。宇宙空間の実験で10日間生存したことが報告されている。
 放射線にも強い。人間は500レントゲンが致死量だけど、緩歩動物は57万レントゲンまで耐性がある》

 クリプトビオシス?クマムシ?で、Googleで調べてみた。
 《クマムシ》四対八脚の足。地球上に1000種以上。熱帯・極寒・超深海・高山・温泉・海洋・陸上・劣悪な環境に適応し、すごい耐性がある。緩歩動物と呼ばれている。劣悪な環境でもなかなか死なない。が、実際には、プチっと潰しちゃえばあっけなく死んでしまう。寿命は1・2か月。
 《クリプトビオシス》無代謝の休眠状態のことを指す。環境が過酷で劣悪になると生物としての代謝を自ら止めて、乾眠と呼ばれる状態に入る。乾眠状態になったクマムシに水を与えれば再び動き出す。

 へえー、なんともおもしろい生きものがいるもんだなぁ。それこそ、第3次世界大戦が起こって、人間が滅んでしまっても、クマムシは生き残って、また、別の進化の過程を通って、この地球上で違う生物環境になっていくのかもしれないなぁ。などと思いながら想像をたくましくしてしまった。
 『死んだように生きる』『死んでいるけど生きている』・・・この小説の底を流れる伏流水のような生き物だった。

 後期高齢者の仲間に入らんとしている私。まだまだ知らないことがいっぱいあって、いや、本を読むたびに分からない事が増え、知りたいことも増えていく。
 図書館での寄り道みたいに出会った本で思いがけない発見があったりする。これも読書の楽しみ、歳を重ねるのもいいもんだなぁと思っている。

本を選ぶ
2022/04/06
KEI
 2021年11月24日付の読売新聞夕刊は「書店が選ぶ特別な一冊」という見出しで「目利きの書店員に自分にぴったりの本を探してもらう『選書』サービスが人気を集めている」ことについて社会面記事頁の二分の一以上の紙面を使って報道していた。
 この記事を眺めた翌日のこと。図書館から定期的に送られてくるメール・マガジンでは「市民が選ぶ子どもと読みたい100+5冊の本」の改訂版が作成されたことが報じられていた。直ぐに入手した冊子は50頁ほどで就学前から中学生まで5段階に分けて、105冊の本が紹介されていた。
 この二つのニュースから私の選書方法はどうだったかについて思い出してみた。結果は、選書などと大げさな言葉で言うほどのことはなにもない、多くの人がとっておられる方法と違わないはずだ、ということに落ち着いた。新幹線に乗る直前に東京駅にある大きな書店で車中で読む本を適当に買ったことも何度もあった。
 強いて選書と言うならば、私がいろんな意味で好きな作家・評論家の本と彼らが自らの著書の中で具体的な理由を挙げて推奨している本、さらには小さいけれど店主の意思がはっきりと示されている書店の本棚に並んでいる本、から選ぶこともあった。そしてこれらの本が結果的に処分対象から除かれ保存対象となっていることが多い、ということぐらいである。
 自らが読む本を選ぶことに関してはいろんな方法があっていいとは思うが、前者の新聞記事はちょっと驚きであった。その人について知ることなく、その人のためにどのようにして本を選ぶのかが気になった。ある書店は「依頼者に20問の『カルテ』を記入してもらって本を選ぶ」という。ある書店では「悩みや好みに応じて1万円分の本を選んで送る」そうだ。
 記事は「中には深刻な苦悩を吐露し『生きていく力になる本を』と求める人もいた」とも報じていた。
 最近ではインターネットで書籍を買うと、人工知能やビッグデータを使い、勝手に私の好みを推測し、関連する書物を紹介するお節介な情報が送られてくる。
 いろいろな情報を参考にしながら、「自らが読む本は自らが選ぶ」のが読書の楽しみの一つだ、と考える私は世の中の流れから遅れているのだろうか。
 後者の小冊子については、対象とされる年齢の子供たちやその親には役に立つだろう、今後も定期的に改訂することが必要だろう(12年前に発行されたが、改訂は今回が最初だそうだ)、選者の選定基準がどのようなものかは知らないが、改訂に併せて全部または一部を変更することを考える必要もあるだろう、選ばれた本は各図書館で十分な数を保有するよう配慮する必要があるだろう程度のことしか思い浮かばない。
 小冊子の中に、ここからは表現が難しいのだが、子供に媚びるいやらしさあるいは作者のドグマという観点から疑問が呈されていたこともある書物が選ばれていたが、このことについては選定会議で検討済みなのだろう。
 児童文学には極めて疎い私だが、そしてどこに書かれていたのかを全く記憶していないのだが、著名な外国の作家の「児童文学というものを私は認めません。子どもには大人にも向くものだけを与えるべきです」との言葉は覚えている。事実、私が読んで面白かった文庫本を中学生の孫が読んだことは何度もある。
 多くの人が述べているように、かつては子どもは親の本棚から面白そうな本を勝手に選んで読んでいたのではなかったか。
 今後の小冊子の改訂の際には子供向けの本の中からだけ選ぶのでななく、このような観点からも検討されては、とは素人の外野席からの愚見である。

移動図書館「さざなみ号」
2022/04/03
けふばあチャン
 桜が咲き始めるかな?でも、また寒くなった。
 そんなどんよりとしたお天気の3月29日、大津市役所前から大津市立図書館の移動図書館「さざなみ号」が新しくなって、出発式が行われた。
公募で選ばれた中学生たちの絵で飾られた新しい「さざなみ号」は、車の屋根に天窓もあって、どんよりと暗い日なのに移動図書館の中は、3000冊の本も輝いて見えるほどにピカピカだった。
後ろの扉にも、小学生の描いたマスコットキャラクター『HOOT(ホー)』ちゃんが描かれ、車いすの方もこちらから入ることができる。
中身の本もこれから市民のリクエストに応えて、選書に磨きがかかって、たくさんのいい本に囲まれるようになるといいなぁと思いながら見学させていただいた。
 移動図書館。そういう図書館があることを知ったのは、1985年だったか1986年だったか?県立図書館での当時の県立図書館長前川恒雄氏の『図書館講座』を受講した時だった。
映像でみる『移動図書館ひまわり号』、群がるように集まってくる子どもたちが、手に手に本を持って、ニコニコと順番を待っていたり、友だちや司書さんと話していた。みんなはじけるような笑顔だった。
> 私が知っている、それまでの図書館は、かび臭い、勉強の場で、閲覧中心の図書館。本を借りるのも閲覧カードを引いて、司書さんにお願いしてやっと借りられる、なかなかに本を借りるのもハードルの高い図書館だった。
この講座で知った『市民の図書館』、『移動図書館ひまわり号』に出会った時の衝撃と喜びが、図書館利用者となった今に繋がっている。
 『図書館の発見』にこのようにある。
 「市民は図書館を使って本が読める、情報も入手できる。市民は図書館が手近にあることによって、本を読む市民、情報を求める市民となる。誰にも強制されず自分で学ぶ市民となる。本を読む市民は、ものを考える市民である。社会全体がある方向へ滔々と流れて行こうとする時、立ち止まってこれでいいのかと考えてみる市民である。
 民主主義もそれを土台とする地方自治も、考える市民、情報を得ることのできる市民なしには成立しない。この意味で出版・報道とともに図書館は民主主義・地方自治とその深部において強く結びついているのである。」
《貸し出しを中心とする図書館》の真の意味は、ひとりひとりの市民と向き合うことで、考える市民、自ら学ぶ市民とともにある図書館ということではないだろうか?そのためにこそ中小の図書館があるのではないだろうか。
 『移動図書館ひまわり号』より
 「今も、雪や雨のなかを、かじかんだ手に息を吹きかけながら、少数でも熱心な市民のために、小さな移動図書館で巡回している人たちがいる。テレビの圧倒的な影響を受け、白けた表情をしている子どもたちを前に、懸命に物語を読んでいる人たちがいる。あらゆる理論や政策は、与えられた使命を果たすために誠実な努力が積み重ねられている、このような目立たない現場から生まれる。しかし、現場に足をおかないあぶくのような理論や提言が、図書館の発展を妨げ、現場の困難をいっそう大きくしている。
 『ひまわり号』の時代とは、また社会も大きく変化してきている。あの頃のように子どもたちは群がってやってくることもなくなってきていると思う。それでも、図書館には遠い、ちょっと不便な所の住民にとって、移動図書館はやっぱりありがたい身近な図書館であることに変わりはない。
新しい移動図書館『さざなみ号』が、幼い子の手を引いて待つ若い母親や、車を手放した高齢者の元に、今日も走っているんだなぁと思いを馳せている。

人の為と人の夢
2022/03/30
KEI
 「人の為と書いて偽りと読むのはなぜかしら 人の夢と書いて儚ないと読むのはなぜかしら 愛という字には心がちゃんと真ん中にあるというのに 恋という字には心が下にあるのは下心のせい?」
 上手い!
 2021年10月27日付の読売新聞朝刊「編集手帳」は作家・出久根達郎さんの随筆集「新懐旧国語辞典」(河出書房新社)からのこの引用文で始まっていた。
 孫引きは嫌なので、図書館から借り出した原典に当たったが、当然のことながらこのとおりだった。「茶」というタイトルのエッセイの中にあった。
 出久根さんは読者から頂戴したCDの歌詞だとされているが、2頁4段のスペースを使って、この文章を書き出しに使い、明治の文人や江戸の人びとの文字遊びに関する文章を書いておられる。
 その中に「儚い」は尾崎紅葉のつくり字であると書いてある。紅葉は人力車の車を意味する「俥」も作っているという。根拠については触れていないが、出久根さんはこのように書いている。
 確かに峠、榊、辻などは日本で作られた漢字である国字であるが、儚と俥がそうなのかはちょっと気になる。そこで尾崎紅葉が作ったと書かれている儚と俥について現在愛用している漢和辞典(全訳漢辞海第四版)ではどう説明されているかを調べた。
 儚については「迷ってぼんやりするさま。くらい」とあり、儚儚(ぼうぼう)という中国の詩にある言葉が「頭が鈍いさま」という意味とともに載っていた。そして日本語用法として「はかない。無常だ。長く続かない。もろい。あっけなく、むなしい。江戸時代以降の用法」と説明されていた。
 俥については「中国将棋の駒で紅方の車、汽船の動力機関」とあり、日本語用法として「くるま。人力車」とある。
 これだけではよくは解らないが、儚・俥の双方の説明に日本語用法とあるのを見ると、日本で作られた漢字だが偶々(たまたま)その字が別の意味を持っている漢字として中国に存在していた、ということだろうか。
 峠、榊、辻は漢辞海でははっきりと国字と説明されていた。
 漢字を使った同じような文字遊びでは、有名な「信じる者は儲かる」、「躾は身に美しい」、「嘘は口が虚しくなる」、「人を憂える優しい人」、「旨い魚で鮨を作る」もある。
 このようなことを思いながら、この新懐旧国語辞典に目を通したのだが、一つの言葉から紡ぎ出される諸々の話を楽しんだ。

読書会の一コマ
2022/03/27
けふばあチャン
 一か月に一回、友達のご両親が残されたお家に集まって、読書会をしている。
 同じ本を、それぞれの図書館(草津市立図書館・守山市立図書館・県立図書館・大津市立図書館など)で借りだしては、ワイワイ、ぺちゃくちゃ、かしましくおしゃべりをしている。
 本の話から、ついつい脱線ということもしばしばである。
 3時を過ぎると、友達手作りのお菓子が出てくるのだが、これがまたおいしい。
 季節の果物やナッツの入ったパウンドケーキ、レモンのたっぷりはいったチーズケーキ、紫蘇ジュースのゼリー、セロリのケーキ、パンプキンケーキ、・・・ひょっとすると、このおやつが楽しみで集まっているのかもしれないな。
 今月は、ミモザケーキだった。スポンジを焼いて、中をくりぬき、レモンのムースをスポンジのくりぬいた中に入れ、抜き出したスポンジをポロポロにしたので(ミモザの花のように)覆って、きれいなミモザのようなケーキの出来上がり。おいしかった。
「食べて、脱線ばかりじゃだめだね。本題はいるよ〜」「どうだった?」
『希望の図書館』 リサ・クライン・ランサム著 松浦直美訳 ポプラ社
 これが今月のお題だった。
 主人公のラングストンは、お母さんが亡くなった後、おとうさんと二人で、故郷のアラバマから北部のシカゴへと引っ越す。父さんは、母さんの思い出がいっぱいのアラバマには住めないと言うけれど、友達もいないし、学校では『南部の田舎もん』 といじめられる。いじめっ子から逃れて、飛び込んだ大理石の立派な建物が図書館だった。アラバマでは、図書館は白人のもので、黒人は使えなかった。それが・・・。
「ご案内しましょうか?」と女の人に声をかけられる。「本を探すお手伝いをしましょうか?」
「どれでも好きな本を借りられますよ」「あちらのデスクにいるシショのところに行ってください」
 女の人は足を止めて、真顔になった。「黒人のための図書館ですって?この図書館は、シカゴ〈ザイジュウ〉の人のためにあるのよ。」
《シショ》《センショ》《カシダシ》《ザイジュウ》《公共図書館》????
「私たちは、図書館で本を借りるって当たり前のように思っているけど、初めて一人で図書館に来た子どもたちって、こんな感じなんだろうな。司書さんの存在って大きいよね。」
「本の力もね。自分を発見していく力もつけてくれるもんね」
「ラングストン・ヒューズの詩に出会って、どんどん広がっていくね。」
「まわりの大人たちもいいよね。」「うんうん。」
「でも、彼はその大人を越えるよ。」「うんうん、そういえば、『ハーレムの闘う本屋』もよかったよ。」と、こんな調子でぺちゃくちゃ。
 やがて、「え〜、もうこんな時間。暗くなってきたよ。今日もありがとう・」

ちょっと変わった辞書・英和辞典
2022/03/23
KEI
 手元には大中取り交ぜて、また子供が使っていたものも含めて11冊の英和辞典・英英辞典がある。同じものもあるが、これは会社用と自宅用に買ったものでリタイアした時点で会社から持ち帰り書棚に並べた結果である。これらの辞書はリビングの書棚、書斎の書棚に分けて置いている。使い慣れた一冊は机の上に国語辞典、漢和辞典と並んで置かれている。
 これらの中に普通の人の書棚には置かれていないと思われるちょっと変わった辞書、あるいは変な英和辞典がある。
 その内の一つは「アメリカの雑誌を読むための辞書」(坂下 昇・水上峰雄・高田正純編著、新潮選書)で、帯には「本書は『タイム』『ニューズウィーク』からジャーナリスト特有の語彙を中心に選び、アメリカ人の考え方を探ったニュータイプの辞書です」とある。
 丁寧に読んだ、よく使ったという訳ではないが、私はこの辞書から幾つかの単語について、言葉の字面の意味よりも、その背景となる知識を学んだ。
 例えば、energy(エネルギー)という用語では5頁を費やして代替エネルギー源から石油輸出国機構、パイプラインの種類まで説明している。
 cite(引用する、言及する)という単語の説明では「記者がある記事をまとめる際に、材料として、直接目撃(eye witness)したこと、談話(statementやinterview)、資料や文献からの引用の3つが考えられる、つまり・・・quote(引用)する必要がある訳でそのための語彙がかなりある」としてrefer to、mentionなど8つの引用に関する言葉を挙げている。そして「こうした言いかえの言葉に注意すると、ニュアンスがよくわかるようになる」と書く。
 最近の我が国の大手メディアの記事では、語彙が少なくあまりにも多くの画一的な表現を目にする、と思っているのは私だけだろうか。
 もう一つは「アメリカ俗語辞典」(ユージン E.ランディ編、堀内克明訳編、研究社)である。
 この辞書は上司に美味しいお酒をご馳走になっていたときに話題に上ったものであり、上司の「先週この辞書を買った。とても面白い」という言葉につられて買ったものである。英和辞典としては、役に立ちそうもないとは思ったが、アメリカの俗語についての日本語訳が極めて広範に書かれており、これを読むだけでも結構面白い。
 例えば、tripは普通には「旅」だが、この辞書は「(麻薬を飲んで)陶酔する」から始まって麻薬関連の意味のオンパレードである。また、motherでは、最初に「相手を侮辱する(けなす)呼びかけ」との訳がでてきて、目を疑った。3番目に書かれているこの言葉の意味は驚くなかれ「麻薬の売り手」である。
 どのような人物がこの辞書を作ったのか、気になった。訳編者の序文では、原編者は開業臨床心理学者であり、大学の心理学の講師でもあると書かれていた。
 そしてこの辞典を作った動機として原編者は、女性の麻薬患者の治療中に「彼女と私とは意志を通じさせているものの、ふたりともあるレベルの英語で話をしているということがはっきりしてきた。その言葉は、麻薬使用者に共通なスラングと警官が普通に用いる略語から成り立っていた」と書いている。
 結果的に、彼は多くの心理学者や精神科医やソーシャル・ワーカーの通訳のような立場になり、電話で説明したり通訳したりする時間を節約する意味で語句のリストを編集し始めた。その結果がこの辞典であるという。
 一方、訳語である日本語の俗語や隠語ついては関連する文献調査の他大学生を中心に約7,000人の協力を得たそうだ。編訳者は「すべての俗語辞典がそうであるように、本辞典も四文字語(four-letter word)と呼ばれる卑猥なことばや各種の侮蔑的なことばといった常識的な意味での『好ましからざる』ことばを多数収録している」ことにつき、辞典として客観的に記述していることを断り、編者や出版社の品位と結びつけることはご容赦願いたいと書いている。
 辞典の性格として当然のことだろうと思うが、このような断り書きが必要な、心に余裕のない、堅苦しい世の中は願い下げたいとは思う。

「おとうさんのちず」
2022/03/20
けふばあチャン
 私の大好きな絵本に「よあけ」があります。唐の詩人柳宗元の詩にヒントを得てできた絵本といわれています。絵も大好きなのですが、瀬田貞二さんの訳も本当に素敵な日本語で、何度も何度も広げた絵本です。その同じ作者、ユリ・シュルヴィッツの絵本、「おとうさんのちず」をご紹介いたしましょう。
 シュルヴィッツは、1935年ポーランドのワルシャワに生まれますが、4歳の時第二次世界大戦の戦火に合い、カザフスタン、パリ、イスラエルと各地を転々として、1959年にアメリカにたどり着きます。これは、シュルヴィッツが難民状態で過ごしたカザフスタン時代の思い出が絵本になったものです。
『ぼくのかぞくは なにもかもうしなって いのちからがら にげだした。
そして とおいとおい ひがしのくにまで やってきた。(中略)
ねるのは、つちをかためたゆかのうえ。おもちゃも ほんも なかったし、
たべるものも たりなかった。
あるひのこと、おとうさんは、パンをかいにいちばへ でかけていった。』
 ところが、日が暮れる頃になって帰ってきたお父さんは、パンを買わないで、地図を買って帰ってきたのです。「あの金じゃあ、ほんの小さなパンしか買えない。お腹をだますことさえできそうになかった。」とおとうさんは言い訳のように言うのですが、おかあさんは、「地図は食べられないもの、夕ご飯は抜きね」と悲しそうに言います。僕も腹が立った。お父さんを許せないと思った。同じ部屋に住む夫婦は、おいしそうに 音を立てて食事をしている。僕たちは、あたまからふとんをかぶってひもじさをこらえた。
『つぎのひ、おとうさんは かべに ちずをはった。ちずが かべいちめんにひろがると、
くらいへやに、いろが あふれた。 ぼくは、うっとりした。
そして、なんじかんでも あきずにながめたり、こまかいところに みいったり、
うんよく かみが てにはいれば、かきうつしたりもした。
ちずにある ふしぎななまえが ぼくを とりこにした。
フクオカ タカヤマ オムスク、
フクヤマ ナガヤマ トムスク、
オカザキ ミヤザキ ピンスク、
ペンシルバニア トランシルバニア ミンスク!
ぼくは ちめいで しを つくって まほうのじゅもんみたいに となえた。
すると、せまいへやにいても、こころは とおくへ とんでいけるのだった。』
 こうして、僕は、砂漠を走り、雪の山にも登り、うつくしいお宮を訪ねたり、果樹園にもぐりこんだり、ヤシの木陰で休んだり、ビルの立ち並ぶ都会にも跳んでいくことができた。
『ちずのおかげで ぼくは ひもじさも まずしさも わすれ、
 はるかとおくで まほうのじかんを すごしていた。
 ぼくは、パンをかわなかった おとうさんを ゆるした。
 やっぱり おとうさんは ただしかったのだ。』
 地図を貼った後、絵本の画面にも、ぱあと色が広がります。地図の上をふわぁっと、飛んでいく男の子が描かれていますが、本当に”想像の翼”を広げて飛んでいく様子が、画面から伝わってきます。心の空間のなんと豊かなこと!!
 87歳でユリ・シュルヴィッツさん、アメリカで健在ですが、今も戦争はなくならず、新たな難民が次々故郷を追われ、世界のあちこちへと移動しています。
 闇の時代が終わって、世界に『よあけ』のくるのを祈ってやみません。
漢語だから誤読
2022/03/16
KEI
 書庫で処分すべき本を選び出していたところ、呉智英さんの「言葉の常備薬」(双葉社)が目に止まった。同時に何新聞だったかは覚えていないが新聞の書評欄で知り買い求めたことや、新幹線車中で興味深く読んだことも思い出した。
 処分対象の場所に移動させる前にチラッと目を通したところ「漢語だから誤読」という私が今でも覚えている話が目についた。
 この全文4頁の文章は有名な一高寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」を例に挙げて、多くの人の誤解を述べつつ「我々は漢語調の文章に会うと、つい荘重や風格や品位を感じ取ってしまう」と警鐘を鳴らしている。
 呉さんは「嗚呼玉杯に花受けて」の第一番の歌詞を示した後、「さて、ここで問題です。玉杯に花びらを浮かべたり、緑酒に月影を落としたりしている人は誰でしょう。@理想に燃える一高生。向ヶ丘の寮の庭で学友と酒を酌み交わして天下国家を論じているのだ。A愚民俗人ども。天下を憂うることなく、花見酒や月見酒に浮かれ、太平の夢にふけっている」と質問を投げかける。
 そして「正解はAである」と教えてくれ「この歌を愛唱する大多数の人が@だと思っているけれど、歌詞を慎重に読めばAの意味であることは明らかだ」と続ける。
 念のためその歌詞は次のようなものである。  嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影宿し 治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て 向ケ岡にそそり立つ 五寮の健児意気高し
 更に、なぜこのような誤解が生じるのかについて「まず、この歌の題名が誤解を生みやすい。歌詞の中で否定的に歌われていることが題名になっているとは、普通思わない。しかも、それが荘重な漢語で『嗚呼』だの『玉杯』だのと書かれているものだから、当然のように肯定的に称揚しているものだと思ってしまう」と解き明かす。この説明は納得がゆく。
 「我々は漢語調の文章に会うと、つい荘重や風格や品位を感じ取ってしまうのだ」と書かれていることにも同意する。
 呉さんのご意見は「おっしゃることはごもっとも」と頭では理解できる。しかし、多くの人が誤解しているように「五寮の健児も玉杯で緑酒を飲みつつ天下国家を論じている」、と読んでもいいのではないか、読むことはできないのだろうか、とも考えてしまう。
 誤解ということから、子供たちが間違って理解している歌詞を幾つか思い出した。
 その一つは「重いコンダラ」である。かつて子供たちに人気のあった「巨人の星」の主題歌の第一番は「思いこんだら試練の道を 行くが男のど根性 真っ赤に燃える 王者のしるし 巨人の星をつかむまで 血の汗流せ涙をふくな 行け行け飛雄馬どんと行け」であるが、この最初の「思い込んだら」を野球少年たちは「重いコンダラ」と考えた。
 その結果、「コンダラ」とは「グランド整備などに使う整地用手動式ローラー」を言うとそれこそ思い込んだという。巨人の星が一世を風靡していた頃の話である。
 本当にそうなのかとグーグルの検索欄に「コンダラ」と打ち込んだところ「手動式整地ローラーの俗称」とあった。
 「重いコンダラ」を笑うことはできない。同じようなことは、私は三木露風の「赤とんぼ」で経験している。
 私は幼い頃「夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か 山の畑の桑の実を 小籠(こかご)に摘んだはまぼろしか・・・」の第一文の後半の「負われて」を「追われて」と勘違いしていた。長い間「追われて」と思っていた。網を持った子供たちに「追われて」いる赤とんぼをイメージしていた。
 この話を妻にすると「そんなこと・・・文脈からしてもおかしい」と笑われたが、「負われて」が「姐やに背負われて」だと気が付いたのはかなり経ってからだった。

「三びきのやぎの がらがらどん」
2022/03/13
けふばあチャン
 文庫やいろんなところで、読み聞かせに時々登場する「三びきのやぎのがらがらどん」、ちょっと絵が怖い。でも、一度読んでもらうと「もう一回、もう一回」と何度でも読んでもらいたがります。そして、怖いトロルの出てくるところでは、目を大きく見開いて、じっと聴いています。おおきいやぎのがらがらどんが、トロルをやっつけて山にのぼっていって、くさをいっぱい食べてふとり、「そこでチョキン、パチン、ストン。はなしは おしまい。」で、ほっとした顔をして、「もう一回読んで」となるのです。
 実は、私もいわゆる“よみきかせ”なるものを初めて聴いたのが、この「三びきのやぎのがらがらどん」でした。宇治の造形教室に3歳の長男、2歳の次男が通っていて、お迎えに行った時に、先生に読んでいただいている最中でした。我が家にも一冊買って、その後、文庫の子どもたちや図書館でこどもたちに、もう何度読んだことでしょう。
 歌人の俵万智さんは、2歳の時一年360日くらい、毎日毎日お母さんにくり返し読んでもらわれたそうです。「彼女の言葉の感性は、豊かさはこうやって育ったのでしょう」と福音館の松居直さんがおっしゃっていました。
 一般に昔話は、お話しを通して、世界中でいろんな民族が、人生の予行練習をしているのだと言われます。このノルウエーの昔話も子どもたちが成長して、自己を確立していく課程でじゃまをするもの、あるいは超えなければならない課題、それがトロルだといわれます。そして、これは松居友さんの「昔話とこころの自立」(宝島社)によると、三匹のヤギに象徴されるものは、こどもたちの自立の課程での三回の反抗期をいう。第一反抗期、幼児から少年へ、これは母親からの一体感から切り離す時の母親への反抗。第二反抗期は、少年から青年へ、体の変化に伴い、父親への反抗。第三反抗期は、青年から大人へ、いろんな社会の矛盾や不合理に対する反抗。
ちいさいやぎ(第一反抗期)は、ちいさいことを逃げ口上に知恵を使って切り抜け、二番目やぎのがらがらどん(第二反抗期)は、逃げ口上は使わずとも先を見越して、勝負をのばす。そして、充分に成長したおおきいやぎのがらがらどん(第三反抗期)が、どんなに周りの大人が反対しようとも自分の道を切り開いて、社会に飛び出して行く。
 こどもたちは、お話を聴きながら、“やまばでふとる”つまり成長して行く自分自身を安心して、お話の中に無意識に信じて見ているのでしょう。
 私は覚えるのが苦手で、ストーリーテリングはやらないのですが、このお話だけは、何度も読んできたので、絵本を(字を)見ないでも語ることのできる絵本の一冊です。

書き取り総合練習帳
2022/03/09
KEI
 現在の私は字が下手だ、ということは認識している。小さい頃は習字を習い、それなりの字を書いていた。小学校5年生の私が「行け千里の道」と大書し、表装された掛軸も残っている。それが年齢を重ねるに従って下手になり、会社員の頃は先輩から「コミュニケーションには差し支えない字」と冷やかされるまでに落ちぶれた。
 最近では手紙や葉書を書くのにまでパソコンを使っている。ただ名前だけは自筆にしている。最初の頃は失礼にならないだろうか、とかなり気にしていたが、読み易い字で書かれている方がいいだろう、それに文章の推敲も十分にできるし、と自分勝手な理屈でこのようにしている。返信をすぐにするようになったのも一つのメリットと考えている。
 ところが、最近に至って問題に気が付いた。漢字を正しく書けなくなったのだ。この現象はちょっとしたメモを取るときに現れる。メモの中に「当たらずと雖も遠からず」程度の漢字が度々出現するのだ。
 毎日、簡単な日記というかその日の行動を3年日記に手書きしている妻にはこのようなことはないらしい。
 どうしようか、と考えているときに処分対象の本の中に、長男が使っていたのだろう「書き取り総合練習」(秋末一郎、中道社)との表題の100頁強の問題集が紛れ込んでいるのを見つけた。この本は何年か前に私が処分しようと思っていたときに、妻が「書き取りの練習をするから残しておいて」と言ったので処分をしなかった筈である。
 最近では妻が朝の用事を済ませ、私が一連のパソコン作業を終えた午前9時30分頃から、妻と一緒に毎日この本の1頁ずつ35〜37問を解いている。老夫婦の漢字書き取り合戦であるが、問題に関連する雑談を交えながらのこの時間が実に楽しい。採点が終わるとおやつの時間になる。
 現在ではあまり使われていない言い回しや熟語もあり、かなり難解な問題が並んでいる。悔し紛れに書くのだが、例えば「一心にサイカンを揮う老画伯」など私には全く見当がつかない。「サイカン」で思いつくのは「才幹」程度である。絵筆を意味する「彩管」などこの歳になって初めて知った言葉である。
 「ケンテンを施した語に注意せよ」(圏点)や「世界にカンゼツした日本の医学」(冠絶)もお手上げだった。
 このような結果1〜2割程度が正しく書けない。妻との勝負は五分五分と言いたいが、かなり私が負けている。
 長男が丁寧にチェックしている間違った熟語と私が間違ったのが一致すると、彼も私と同じように間違ったのだ、と何となく親しみを覚える。彼がこの練習帳で勉強していた頃には私は東京で単身赴任生活を送っており、家事、教育の全てを妻に任せていた。その結果として受験生だった彼の生活は全く知らなかった。しかし、この練習帳によってほんの少しだが、彼の受験人生を知ったような気になった。
 現在では第2ラウンドの最終局面に入っているが、最初と同じ間違いをしている、最初は正しくかけた熟語が2回目には間違っているということもある。ほとんどの漢字が正しく書けるような日は来るのだろうか。

おまじない!!
2022/03/06
けふばあチャン
大人になっていても、時々いろんなことが心配になってきて眠れなくなって、自分で自分に、思わず「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」と語りかけていたり、「ケ・セラ・セラ・・気にしない気にしない」とぶつぶつ言っていたり、そんな日もありますね。私は、そんな日、寝るのをあきらめて、写真の美しい本をながめたり、笑える本を読んでいたり、CDをかけて横になる・・・・などとやり過ごしています。
 幼い人たちにとって、毎日毎日がはじめての体験の積み重ねで、はらはらしたり、どきどきしたりの連続なのです。が、それに加えて、新学期の季節、居心地の良い家庭から、知らない人たちの中に出て行くことも多くなります。
 はらはら、どきどきに、びくびくも加わります。
いろんなことが、怖いと思ったり、どうすればいいのかと不安になったり、・・・・
そんな時、どんなちいさなものであっても、ささいな言葉であっても、安心の助けになるものがあるものです。こんな絵本があります。
「びくびくビリー」(アンソニー・ブラウン作 灰島かり訳 評論社)
ビリーもいろんなことが心配で眠れません。パパもママもだいじょうぶだよって言ってくれるけれど、それでも心配はあとから、あとからやってきます。
おばあちゃんのおうちにお泊りにいったら、もっと眠れなくなった。よわむしかもしれないけど、おもいきっておばあちゃんに話したら、「よわむしなんかじゃないさ。おばあちゃんも こどものころは、しんぱいばっかりしていたもんだよ。そうそういいものがあるよ。」
と、おばあちゃんは、しんぱいひきうけにんぎょうをもってきてくれた。
「しんぱいごとを人形にうちあけて、まくらのしたに入れて、おやすみ。そうすれば、この子たちがかわりに心配してくれるから、おまえは、ぐっすりねむれるよ。」
さぁ、ビリーはどうなったでしょう?
息子達がちいさな子どもだった時、この本に出会っていたらなぁ、あの頃、そういえばよく添い寝をして寝付くのを待ったりしていたなぁ、孫たちには、作りましたよ。しんぱいひきうけにんぎょう
時々、枕の下にいれて眠るそうです。
今年6年生になる孫が1年生の時、ひとりお泊り会で3泊しました。その時の一日、大阪の万博公園、国立民族学博物館へ世界一周旅行をしに行きました。「帰りに、ミュージアムショップで一つだけプレゼントしてあげるよ」と言ったら、なんと彼女、「父ちゃんには、世界のコーヒー、母ちゃんは、紅茶がいいかな?ことちゃんは、カステラ・・・・」バアバは、彼女にのつもりだったのに、留守番のみんなに一つずつ。迷って彼女が自分のために選んだのは、小さなマトリョーシカが並ぶちいさなブローチでした。
そこになんと、なんとグァテマラのWORRY DOLLSがあるではありませんか!!びくびくビリーのしんぱいひきうけ人形。その本物です。
思わず買っちゃいました。これで、しばらくぐっすり眠れるかな?
黄色の容器に6人のWORRY DOLLS
横の大きい?のは、孫と一緒に作った“しんぱいひきうけ人形”

幸田真音の経済ホラー小説
2022/03/02
KEI
 幸田真音さんは経済小説家であり、公的会議の委員や大企業の社外役員の経験もある。図書館から幸田真音の経済ホラー小説「財務省の階段」(角川書店)を借り出した。6つの短編小説で構成された読みやすい本だった。
 ホラー小説を読むのは初めてだったが、内容についてはほとんど覚えていない。ただ、「財務省の階段」は「財務省の怪談(?)」とチラッと思ったことだけは記憶している。
 小説の内容とは別に、文中で、彼女の持論だろうと思われる内容を登場人物に語らせているところは興味深く読んだようで、幾つかを乱雑な字で書き留めたメモは残っている。
 日本銀行の金融緩和政策に関連しては、「財務省の階段」で、次のように語らせている。
「高橋是清は、国債の日銀直接引受に踏み込んだが、当初から一時的な措置という認識だった。痛みをごまかす応急措置は、あくまで短期使用に限る。“麻薬” は長くは使えない。高橋自身はその早期使用中止を強く願っていたのだ」
 経済に疎い私は、国債の日銀直接引受や金融緩和政策の是非についてはよくは解らないが、コロナ禍の現在においては極めて妥当な策であり、当面は継続が必要だと思っている。
 そして、テレビの報道のあり方については、「ニュースの枠」の中で、次のように書く。
「神野は立場上も視聴率を無視できない。番組で取り上げるニュースの選択にしろ、取材姿勢にしろ、何があってもインパクト重視、視聴者の関心を集められる話題を最優先させようとする。一方、雅代はあくまで報道倫理をふりかざし、それが世の中にどんな影響を与えるかまで考慮が必要だと正論を口にして、神野の姿勢を厳しく諫めるのだ」。
 この文章は、かつて読んだ阿川弘之と阿川佐和子の往復書簡の形式をとった「蛙の子は蛙の子・・・父と娘の往復書簡」(筑摩書房)に書かれていた父・阿川弘之の文章を思い出させた。
 同書37頁で阿川弘之さんはテレビの報道番組に出演している娘の佐和子さんに父親としての気持ちを述べつつ、最後に山本夏彦さんの名言「人は困れば何を売っても許されるが、正義だけは売ってはならない。正義は人を汚すと聖書にある」をしっかと覚えておいてもらひたい、と書いている。
 宗教関係、特にキリスト教の知識に極めて疎い私なので山本夏彦さんの名言が、聖書のどこに基礎があるのかが分からなかった。私の友人には敬虔なクリスチャンがいないので、教えを乞う訳にもいかない。手元にある山本夏彦さんの幾つかの著書をざっと見た限りでは残念ながら該当する言葉や文章を見つけることができなかった。
 しかし、阿川さんが言うところの山本氏のこの言葉を私は今でもきっちりと覚えており、外部に対して意見を言うときには心のどこかでこの言葉を意識しているようだ。

いいことって どんなこと
2022/02/27
けふばあチャン
 今年は、大津にも時々、雪が降りました。以前のように、雪だるまを作ったり、そりすべりをしたりできるほどには積もりませんでしたが、それでも雪景色を観るのは嬉しいものです。
 私のふるさと、鳥取もよく雪が降ります。私の子どもの頃は、今よりもっと降っていたように思います。屋根の下は、屋根の雪が落ちてくるのでひさし近くまで積もっていました。近くのお寺が遊び場でした。ながーいすべり台を作ったり、カマクラの中でおやつを食べたり、雪合戦、炭で雪釣り、アイスキャンデー作り、雪に顔をうずめて型をとったり、ばたんと倒れこんで体の型を作ったり、みんなして大きな穴を掘って、筵を載せてさらに雪をかぶせて、落とし穴を作ったり……幼い頃は、なつかしい思い出ばかりの雪も、少し大きくなると、雪かき、屋根の雪下ろし、そして、ずぼっずぼっと雪に足をとられながら、庭を横切って蔵まで、お漬物を取りに行かされるのは苦痛でした。早く春にならないかなぁ、……そんな時、鳥取城跡に散歩によく行きました。
 大手門から二の丸、それから天球丸、この辺りまで登るとほとんど足跡もなく、見たところ真っ白な雪。でも、ちろろろろ……とかすかな水の音がして、積もった雪の下を雪解けの水が流れて、……そんな春見つけが大好きでした。
 そんな季節の絵本を二冊紹介いたしましょう。一冊は、ロングセラーのシーマー作、「はなをくんくん」。原画も見ましたが、すばらしかったです。そして作者のシーマーさんにもお会いしましたが、少年のようなすてきなおじいさんでした。
 そして、もう一冊は神沢利子さん、片山健さん作品の「いいことってどんなこと」
 ……屋根の雪がとけて、
 ぴちゃ ぴちゃ ぴてぴて
 しずくは はねて おどって うたっていました。
 あんまり うれしそうなので、わたしはたずねました。
「しずくさん しずくさん、どうして そんなにうれしいの」

 しずくは ゆきのうえにおちて、すきとおったちいさなながれになって こたえました。
 ぴちゃ ぴちゃ ぴてぴて ちろろろろ
 いいことが あるからよ
 いいことが あるからよ
 いいことって どんなことかしら。
  ……………………………………………
 さて、私は、外に出て、なにをみつけたのでしょうね。

挨拶はむづかしい
2022/02/23
KEI
 ゴルフにそれほどの関心は抱いていない私ではあるが、2021年4月12日(日本時間)アメリカ合衆国ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開かれているマスターズ・トーナメントの最終ラウンドについては、その行方をテレビ画面を通して手に汗を握って見ていた。
 いろいろと波乱はあったが結局は、我われの期待どおりに松山英樹さんが優勝した。10度目の挑戦だった。この快挙をスポーツ紙のみならず一般紙も大きく報じた。
 表彰式での松山さんの挨拶について、日本人の私としては特に違和感は抱かなかった。ただ、通訳を介していたのであるからもう少し長く話した方がよかったとは思ったが、悲願の優勝を手にし、嬉しさやその他の名状しがたいいろんな感情が渦巻いている中での挨拶としては理解できた。
 しかし、テレビを見ている多くのアメリカ人や招待され彼のラウンドを見、表彰式に立ち会った人びとはもの足りなさを感じたかも知れない。
 主催者やトーナメント開催に協力した多くの関係者、ここに集まってくれた人々、さらにはこの大会の数多くの先輩諸氏に対する感謝の念を述べ、そして対戦相手を褒め称え、最後に優勝できて嬉しいと発言する、これが彼(か)の国の優勝者の弁である。
 テニスの大坂なおみさんの2020年全米オープンでの優勝スピーチは素晴らしいものだった。小さい頃からアメリカで育って、その文化を身に付けているアスリートだからこその挨拶だと思った。
 このことから、私は丸谷才一さんの「挨拶はむづかしい」(朝日新聞社)を思い出した。保有している丸谷さんの本は全て処分対象外とし書庫に保管してあるので、簡単に探し出すことができた。
 この本は、いろんな席での丸谷さんの挨拶を纏めたものである。結婚披露宴の媒酌人としての挨拶からスタートし、芥川賞贈呈式での挨拶、葬儀での弔辞、米寿を祝う会での祝辞、亡母の法要での謝辞、出版記念会での祝辞、自己紹介、展覧会レセプションでの挨拶、パーティでの乾杯の挨拶、偲ぶ会での挨拶、結婚披露宴への祝電等々38が紹介されている。
 それぞれの挨拶文の前には、経緯や事情その他関連する情報が数行の文章で付記されている。
 そして、最後には「日本人の挨拶」と題した野坂昭如さんとの面白く示唆に富む30頁の対談が付されている。
 このような本が出来たのは挨拶をするに際し丸谷さんが必ず原稿を作っておられたからである。
 原稿を作ることについて丸谷さんは野坂さんの質問に答えて、初めての媒酌人(野坂昭如さんの結婚の媒酌人だった)の際に「仲人が変な話をしてはいけないという気持があって」原稿をつくったことと「うんと偉い先生を偲ぶ会で、中くらいに偉い人」が5分と言われていたのに30分挨拶したこと、という体験から「とにかく原稿さへ書けば、迷惑を懸けなくて済むと思って、あらかじめ用意するやうにしたんです」と言っている。そして原稿は「ある程度の年になると、ものを取っておきたくなるんですね」という気持の結果、保存されていた。
 その後、丸谷さんが、原稿を手に挨拶されるのが注目され、丸谷さんの挨拶を纏めて本を作ろうという話が持ち上がったそうだ。そうなると、突然指名されて挨拶したようなときは、帰宅後にしゃべったことを書いておかれるようになったという。
 一般的には挨拶は紋切り型が多く退屈なものである。ところが掲載されている丸谷さんのそれぞれの挨拶は、目的をきっちりと押さえつつも一つのエッセイのような趣がある。

「はるまでおあずけ」
2022/02/20
けふばあチャン
村上さんのほんわかとした絵が大好きで、クリスマスの頃のなるとよく登場する一冊「はるまでおあずけ(内田麟太郎)」です。
冬の山、冬ごもりする動物たちにサンタさんがプレゼントを配っていきます。
内田麟太郎さんお得意のダジャレも連発。
サンタさんがくつしたにプレゼントをいれようとすると、「おお、かみ、さま。たすけてー。」どきり。「なあーんだ。」オオカミのねごとでした。 
そろり、そろり。サンタさんは,くつ下にプレゼントを・・・。すると、「ゆきは、まだ、やまねえかい。」どきり。「なあーんだ。」ヤマネのねごとでした。
・・・・そして、はげ山へのプレゼントは、これ。でも、はるまで あけちゃだめだよ。・・・なんだったでしょうね。
この絵本にあやかって、というわけでもないのですが、数年前の孫へのクリスマスプレゼントは、「はるまでおあずけ」プレゼントをしました。
えっ、この絵本を・・・ではないのですよ。チューリップやヒヤシンス、ムスカリの球根を50個、鉢植え用に20個、安売りに魅かれて買ってしまいました。その球根と、庭仕事グッズを車に積んで、守山の三男の家に向かいました。(なにしろ幼児の孫は、ここだけでしたから)
息子夫婦は、仕事。孫は、保育園。その留守をねらっていきました。
まずは、アリバイ作り。立ち枯れの植物たちを切ったり、整理したり、まずは庭の掃除から。さて、その次は、肥料をまき、ミニ鍬で少々耕して、あちこちに穴をあけては、球根を埋めていきました。表にも、裏にもあちこちあちこち・・・。南無八幡!!どうかどうか、みんな芽を出して花を咲かせてね。!!
ピンク・白・紫・青・濃いピンク、塊で植えたり、バラバラに植えたり、春になって、孫たちの驚く顔を想像して、夢中になって植えました。
作業を終わって帰ろうかな、という所に孫たちが帰ってきました。
「あっ、ばあばだぁ。ばあばぁ、あそんでって!」
「いっしょにごはんたべようよぅ」
「まぁ、庭の手入れしてくださったんですね。しなくっちゃ、って気になっていたんです。良かったら、ありあわせですが食べってってください」という母ちゃんのお言葉に甘えて、夕飯をごちそうになりました。植木鉢のチューリップだけ、ばあばは、植えてくれたのだとみんな思っています。(二つの植木鉢、一つは、我が家用だったのですが、二つともおいてきちゃいました)
「はるまでおあずけ」は、結局、ばあばかな?
でも、花が次々咲いてくると…その様子を想像してはにやにやしています。

秋の七草
2022/02/16
KEI
 「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」は春の七草であるが、秋の七草はどう覚えればいいのか。
 万葉集の山上憶良の「秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば 七草の花」、「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし)また藤袴 朝貌(あさがお)の花」を記憶すればいいのだが、若い頃からどういう理由からかなかなか覚えられなかった。
 もっと記憶しやすい方法はないのか、と永年思っていたところ、「おくふかきはな(奥深き花)」と覚えればいいとの文章を見つけた。即ち「おみなえし くず ふじばかま かれすすき ききょう はぎ なでしこ」となる。スマートさには欠けるが、覚えやすい。憶良のいう朝貌の花は桔梗との説が有力だからこれで秋の七草を網羅していることになる。
 私のような人もいるのだなあ、と思っていたところ、2021年9月7日の産経新聞朝刊のマンガ「ひなちゃんの日常」(南ひろこ)に秋の七草を「おすきなふくは」と覚える話が書かれていた。
 この言葉も秋の七草の頭文字を上手く覚えやすいように組み合わせている。
 長らく覚えられなかった憶良の歌も今では苦労することなく口に出せる。ということで「おくふかきはな」も「おすきなふくは」も今の私には用がない。
 私がときどき開く昭和32年中央公論社発行の春山行夫著「花の文化史」に、昭和10年に東京の日日新聞が、現代の芸術家と植物学者七人を選んで、新しい秋の七草を選ばせたことがあった、という文章があるのに気が付いた。
 春山氏の本には菊池 寛がコスモスを、斎藤茂吉が曼殊沙華を、高浜虚子がアカノマンマを選んだこと以外に誰がどの花を選んだかは書かれていなかったので調べてみた。結果は次のようだった。
 菊池 寛・コスモス、与謝野晶子・白粉花(おしろいばな)、永井荷風・秋海棠(しゅうかいどう)、長谷川時雨・葉鶏頭(はけいとう)、牧野富太郎・菊(きく)、斉藤茂吉・曼殊沙華(ひがんばな)、高浜虚子・アカノマンマ(いぬたで)
 調べを進めると、同年11月発行の文藝春秋に佐藤春夫が「秋花七種」という随筆(未読)を発表し、その中で、秋の七草として次の七種を選んでいるとあった。
 烏瓜(カラスウリ)、鵯上戸(ヒヨドリジョウゴ)、犬蓼(あかまんま)、曼珠沙華(かがり)、釣鐘人参(つりがね)、野菊(ノギク)、水引(ミズヒキ)
「からすうり ひよどりじょうご あかまんま かがり つりがね のぎく みずひき」と覚えやすい。
 時代が下って昭和55年、植物学者の本田正次、篠遠喜人らによって選ばれた七草は「見渡せば 今も秋野に乱れ咲く 花かぞおれば七草の花」、「ホトトギス ノギク カルカヤ ヒガンバナ マツムシソウ またワレモコウ リンドウの花」だそうだ。
 時代により人により選ばれる花はいろいろだろうが、キクは不動の1位だろう。彼岸花は人によって好き嫌いがありそうだ。コスモスはその可憐さを好む人は多いだろう。アカマンマは地味である。

「だめよ、ディビッド!」
2022/02/13
けふばあチャン
 よくもまぁ、子どもたちというのは、次から次といろんないたずらを思いつくものです。やれやれ、こっちが片付いたと思ったら、またあちら・・・ついつい声も大きくなります。
「だめよ!だめっていっているでしょ!!」
 褒めて子育て、そうしたいと思っているのに、現実は・・・ああぁ!また!もうっ!!
『だめよ、ディビッド!』この絵本を子どもたちの前で読むと、どんなに夢中になって遊んでいた子も、「う、うん?」と、こちらに注目!!目を見開いて、見入っています。
 ディビッドのママは いつも いう・・・・「だめよ、ディビッド!」って!
「だめ!だめ!だめ!」「ディビッド!しずかにっ!!」「もう おへや いきなさい!」「おもちゃを かたづけなさいっ!」・・・・・・・・・
 きっと、子どもたちも聞きなれた言葉なのかもしれません。にやっとしたり、ちょっと引きつった顔になったり、たまに怖そうに固まっている子もいます。そして、どの子も最後の場面で、にこっとうれしそうないい笑顔になります。
 そうなのです。ディビッドのママは、ディビッドが本当に悪かった、そう思っている時、子どもを追い詰めないで、こう言うのです。
「ほうら わかったでしょ、ディビッド!」「ディビイ、こっちにおいで。」
「よしよし、ディビッド・・・だいすきよ!!」と彼を抱きしめるのです。
 子どもたちは、ママのこと間違いなく大好き。ママの方も、どんなにいたずらをしてもあなたのこと大好きなんだよ。って、伝えてあげましょうね。
 ついつい親のほうからすると、子どもを愛しているのは当たり前。
 わざわざに伝えようとしなくっても、親子だものわかってるじゃない。
 つい、そう思ってしまいがちです。
 でも、子どもって意外と真っ正直。だめ。  だめ、ばかりだと自分は、どうでもいいんだ。
 こんなダメな子は、おかあさんに嫌われても仕方ないんだ。おかあさんの好きなのは、いい子の時だけ、いたずらばっかりの自分は愛されなくても仕方がない。・・・・・・・
 そうじゃないよ。どんなあなたも大好きよ。
 ちゃんと伝えてあげましょうね。
 ある意味、この絵本はおとなのための絵本かもしれませんね。  

人生七十古来稀なり
2022/02/09
KEI
 一から十までの数の数え方には、和語系統のひとつ、ふたつ、みっつ・・・ななつ、やっつ、ここのつ、とお、というのと、漢語系統のいち、に、さん・・・しち、はち、く(もしくはきゅう)、じゅう、との二通りがあることは我われはよく知っている。
 しかるに、漢語系統のなかへ和語系統の一部が混入してきて、四と七はしばしば、よん、ななと読まれる。ここで四をよんと言うのは、しは死に通じて縁起が悪いからだ、と聞いたことがあるが、それよりも、二、四、七、十を通じて聞き違いを防ぐのが主眼であろう。
 最近、杜甫の曲江にある「人生七十古来稀なり」を「じんせいななじゅうこらいまれなり」と読むのか「じんせいしちじゅうこらいまれなり」と読むのが正しいのか、が気になっている。私は、「しちじゅう」と読むのが正しいと思っていたのだが、最近「ななじゅう」と読んでいるのに何回か出くわしたのだ。これが影響したのかどうか、つい最近、私自身が「ななじゅう」と言ってしまった。
 どちらでも意味は通じるとは言え、かなり気になる。一応、手元にあるそれらしき書物をざっと見たが、「ななじゅう」と読んでいるのは見つからなかった。全て「しちじゅう」であった。
 それにもかかわらず、私が「ななじゅう」と言ったのは、どうしてなのか、その理由は何なのか、もやもやした気持ちで過ごしていたときに、処分する本として積んでおいた高島俊男さんの「お言葉ですが・・・」(文藝春秋)が目に付いた。同氏は中国文学者・エッセイストで、つい先日(2021年4月)にお亡くなりになった。
 ひょっとしたら、という程度の軽い気持ちで頁を繰った。そこには「人生七十古来稀なり」とのタイトルで、私が気になっていたことを解決する文章が書かれていた。言うまでもなく「じんせいしちじゅうこらいまれなり」が正しいのだが、ここでは私が最近出くわしている「ななじゅう」についての理由のヒントらしきものが書かれていた。
 高島さんの文章は、次のような読者からの歌で始まる。(いずれも七という数字にななとルビがふられている)
 海老名市の菊池四郎さんが送ってくださった歌二首。
 アナウンサー七(なな)とよまねばくびになり
 七(なな)年七(なな)月七(なな)日に お七(なな)夜迎へて何とせう やはりお七(なな)と娘には 名前つけねばならぬかや 七(なな)福神前八百屋のおやぢ七(なな)兵衛
 ごらんの通りいずれも近ごろの、「しち」と言うべきところを「なな」という風潮を皮肉ったものである。(同書174頁)
 私の疑問は「最近の風潮が原因だったらしい」ということで解決したが、私も四十七士、七五調、七味唐辛子、七堂伽藍は正しく「しち」と読んでいる(と書いたが正直なところは「しち」ではなく「ひち」と発音している)が、同じく「しち」と発音しなければならない七百石、男女七歳にして席をおなじうせず、は「なな」と言っている。
 私が七を「しち」ではなく「ひち」と発音することについて、高島さんは「七五三」、「七人の侍」を「ひちごさん」、「ひちにんのさむらい」のごとく言うが、これは、ふとんを敷くのを「ふとんをひく」と言ったりする関西人の発音癖であって、標準語のしちと価値は全く同じだと、関西人である私の心を安らかにして下さった。

おとなになってもう一度絵本にであう
2022/02/06
けふばあチャン
 数年前のことですが、10月のある夕べ、おとな20人程と絵本の時間をもった。
 集まったおとなは、歯科医師、歯科技工士、保健士、公務員、NPOの人、退職後ボランティア活動している人などなど、様々。
 息子たちと一緒にたのしんだ絵本の中でも、私自身がおもしろくて、あるいは感動して、あるいは新しく目を開かされて、何度も手にした絵本や自分自身のために買い求めてきた絵本、そんなこんなの60冊くらいを運んでいって、紹介した後、皆さんに選んでいただいた。
 絵本や児童文学を通して、あるいは実際に出会ってきた“すてきなおとな”について、・・・・話しながら、私は、『文庫』活動を通して、ずいぶんたくさんの素敵な大人に出合わせていただいたのだと改めて実感する。
 創作紙芝居グループ「大津の8にんのおかあさん」の頃(1980年代)にであった飯沼次郎さん、鶴見俊介さん、「よあけ」「おとうさんのちず」のユリ・シュルビッツ、「ちいさいおうち」「せいめいのれきし」のバージニア・リー・バートン、その訳者の石井桃子さん、「もりのえほん」「旅の絵本」の安野光雅さん、「アラスカたんけん記」「クマよ」の星野道夫さん、カニグズバーグや「ゲド戦記」のル・グウィンを紹介してくださった清水眞砂子さん、「めっきらもっきらどおんどん」の長谷川摂子さん、そして、谷川俊太郎さん、数えあげればきりがない。皆さんに共通するのは、どんなに嫌なことでも引き受けることのできるちゃんとした大人なのに、心の中に生き生きとした子ども時代のご自身が、いきいきと生きていて、故にどんな人でも、たとえ幼い子どもであっても、きちんと一人の人格者として向き合うことのできる方たちだった。
 子どもたちの周りにすてきな大人がいっぱいいると、子どもたちは安心して、子どもとして子どもの人生を充分に生きることができる。
 ―皆さんも、子どもの周りのすてきな大人の一人でいてくださいねー
 この日の感想の中に、こんなのがありました。
「絵本からのメッセージは、その時代時代によって自分が年を重ねる度に少しずつ変わり、それが絵本のおもしろさだと今回改めて感じました。ページをめくる時のワクワク感はどの絵本にもあることも改めて感じました。」
「絵本に力をもらった私が今日また絵本に再会しました。心がさらに穏やかになりました。」

新着本は漫画本
2022/02/02
KEI
 市立図書館のホームページの新着図書欄を眺めていたら「49歳秘湯ひとり旅」(松本英子、朝日新聞出版)が目に付いた。新型コロナウイルスが収束したらどこか温泉へ行きたいな、と思っていたこともあり、参考図書のつもりで直ぐに借出手続を取った。忘れた頃に貸出可能の連絡があった。
 さっそく図書館に出向いたが、現物を目にして驚いた。漫画本だった。
 せっかく借りたことだし、と読み始めたが、トータルとしての情報量は少ないものの、下手な旅行案内書より役に立つ内容が具体的に書かれている。
 選ばれている温泉は新潟県の貝掛(かいかけ)温泉、山形県の姥湯(うばゆ)温泉、福島県の甲子(かし)温泉、熊本県の杖立(つえたて)温泉と弓ヶ浜(ゆみがはま)温泉、長野県の高峰(たかみね)温泉の6つの温泉である。杖立温泉という名前は記憶にあったが、それ以外は初めての名前のように思った。
 それぞれの温泉についての特記事項が要領よく纏められている。例えば、貝掛温泉は越後湯沢駅から車で20分とかからない。ポツンと一軒宿の日本秘湯を守る会の温泉宿がある。昔から目に効く湯として名高いという。毎分400〜600リットルの36度のひと肌ぬる湯の源泉かけ流し。と言った風である。
 私が最も関心を抱いたのは、杖立温泉である。熊本県阿蘇郡小国町の山間にある古湯。日田駅からバス。町の26ヶ所に源泉点在。96度の高温泉、湯量豊富。かつての賑わいが静まって、今は昭和の気配が残る町。
 ここ杖立では背戸屋(せどや)と呼ぶ路地の街並みがあり、著者はいたく感激していた。写真撮影が趣味の私にとってこの情報は貴重である。杖立温泉はかつてツアー旅行で訪れ1泊した黒川温泉の近くであり、双方の温泉を写真を撮りながらゆっくりと訪れたいと思っている。
 漫画本としては、子供のためにと買った「ドラえもん」と大きくなった子供たちが買って来た「美味しんぼ」のそれぞれシリーズ本を除き、ポーランド秘史と副題が付された「天の涯まで」(池田理代子、朝日文庫上・下)以来である。
 漫画としての評価は知らないが、自らを表しているのだろう「白く丸い輪郭の額に“松”と書かれた人物」が主人公である。気楽に楽しく読んだ一冊だった。

岸和田の姫
2022/01/26
KEI
 岸和田の姫、と聞いて直ぐに平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」を思い出された方もいらっしゃりそうだ。
 書庫を整理していたら読書家・蒐集家・蔵書家としても有名なお二人、書誌学者故谷沢永一さんと英語学者故渡辺昇一さんの共著「人生の後半に読むべき本」(PHP研究所)が目に付いた。人生の“後半”というよりも“終盤”に近い私であるから、「いまさら」という気持を抱きつつも、処分に先立って、かつて私が引いた蛍光ペンのサイドラインを懐かしみながら、ざっと目を通した。
 その中に、平岩弓枝さんとその著作について言及している文章があった。そこでは「空想、江戸、そして人間がとにかく好感が持てるという点で、それを現在、継いでいるのは平岩弓枝ですね。・・・現役の人が書くなかではやはり時間を快適に過ごす最上の本です」として、平岩さんの著作「御宿かわせみ」を「人生、社会ということに関係なくても、江戸情緒、季節感、それからほのかな人間の好意、人柄のよさなど、読んでいて決して悪い気分になりません」(106頁〜107頁)と紹介している。
 谷沢さんのこの文章については全く覚えていないが、その内容については同感する。私が全巻を揃え、保存対象としている理由もこのとおりである。「御宿かわせみ」シリーズの短編は全て好ましいが、中でも私が一番好きなのは、第12巻「夜鴉おきん」に含まれている「岸和田の姫」である。
 内容やその場の描写、登場人物の発言の多くを記憶しているほどである。
 病んでいる老師を見舞にでかけた主人公が、ひょんな経緯(いきさつ)から泉州岸和田五万三千石の大名の姫君を助ける。老師宅に滞在している間、主人公は何度か姫君の話し相手をさせられる。姫君は好奇心が旺盛で町方の話を根掘り葉掘り主人公に聞く。
 主人公が屋敷へ帰ってしばらく経った頃、大名の家臣が主人公を訪れ、姫君の「一度でよいから自由に江戸の町へ出てみたい」という希望を叶えて差し上げたい、殿も承知である、殿は本年お国入りでその際にはお輿入れの御支度のため姫君を同行される、姫君には二度とこのような機会はない、ぜひともご助力を賜りたい、という。
 姫君は家臣に「大川を眺めたい。永代橋を渡ってみたい。深川の長寿庵へ参って、蕎麦を食べてみたい。木場と申すものをみたい。自身番・・・町廻りをされる定廻りの様子を他ながら、見たい・・・」と言ったそうだ。これを聞いた主人公は絶句したが、これらは主人公が姫君に話した市井の風物であった。
 町娘の姿に変えた姫君は主人公とその友人の蘭方医と共に江戸市中の散策を楽しみ、長寿庵で蕎麦を食べ、富岡八幡で鳩笛を買い、向島の桜を川から愛でた。
 途切れ途切れに、懸命に姫君が吹く鳩笛の音がこの短編の最後の場面である。最初に読んだ時もそうだったが、今回も不覚にも涙を流した。

レファレンス協同データベースを使ってみた
2022/01/19
KEI
 国立国会図書館に「レファレンス協同データベース」というデータベースがある。このデータベースは、国立国会図書館が全国の図書館と協同で構築している調べ物のためのデータベースで、レファレンス事例、調べ方マニュアル等のデータを蓄積し、これらをインターネットを通じて提供している。私は図書のレファレンスに関しては現時点では一番役に立つデータベースだろう、と勝手に思っている。
 あるとき唐突に「権腐十年」と言う言葉を思い出した。権力の座に長年居座っている諸々のスポーツ団体のトップが関与したあるいはトップに関連した不祥事の報道に接したときだったかも分からない。
 この言葉に現れる4つの漢字からは「権力の座に10年も居座ると、その権力の行使に腐敗が生ずる。だから長期間権力の座に留まることはよくない。」という程度の意味であると推測される。
 出典は何なのか、どこに書かれているのか、を知りたくなりレファレンス協同データベースで調べてみた。すると次のようなことが分った。
 元熊本県知事の細川護熙氏の著書「権不十年」(日本放送出版協会、1992)の160頁に「花に十日の紅なし、権は十年久しからず」の文言があり、これは「中国の秦の時代のはやり言葉などをまとめた『通俗編』の一節から引いたものである。また『権不十年』は昔の朝鮮の古い格言に『権腐十年』という言葉があるが、“腐る” では表現がきつすぎるので、「不」という字に置きかえたものだ。」と出典らしきものが書かれている。そして、細川氏がここに書いているそれぞれの言葉について調査の結果を示す「回答プロセス」が付されている。
 その回答プロセスには、(1)「通俗編」については、国内出版では活字版と思われる資料はないこと、(2)「韓国の故事ことわざ辞典」(角川書店 1987)の172頁には「権不十年」(けんはじゅうねんならず)いかに権勢ある地位にあっても、それがいつまでも長続きするものではなく、やがて没落の憂き目に陥ること。ハングル表記もあること。類句として「花無十日紅」が紹介されているが、出典はないこと、(3)その他調査済資料として「成語辞典・名言名句辞典・ことわざ事典」など15の事典、辞典が挙げられているが、いずれにも記載がないこと、が書かれている。
分かったようで分からない回答だが、ただ「権不十年」という言葉はあるが、「権腐十年」という言葉については、出典は疎(おろ)かその存在自体も怪しいということは分かった。
 ここからは、私の推測である。元々は「花無十日紅 権不十年久」(花に十日の紅なし、権は十年久しからず)、「きれいに咲いた花でも十日もすれば色褪せてしまう。それと同じように権力を誇った者でも十年続いた例はない」と言う言葉が韓国にあったのだろう。権力は永く続くことはない、ことを意味する言葉だったのだろう。
 この言葉が誤用されて「権腐十年」となり(あるいはこの言葉にヒントを得た誰かが「権腐十年」と言い)「権力の座に長期間居座るとその行動が腐敗する」との意味を持つ言葉として使われたのだろう。しかし、元々あった「久」と言う字は何処へ行ったのだろう。
 由来はともかく、「権腐十年」は「権不十年久」とともに真理であろう。
 以上、暇に飽かせての「レファレンス協同データベース」利用の結果報告である。

お名前は?
2022/01/12
KEI
 本が大好きな姪とこれまた本大好き人間の叔父との会話である。どの本に書かれていたのか、読んでいてとても楽しかったので、今でも内容を覚えている。
 姪は何かの余興で“坊っちゃんクイズ”をしたという。「叔父さんには難しいかな」、と侮るので、叔父は「漱石は小学生以来の我が愛読書」と大口をたたく。「坊っちゃんのばあやの名前は?」、「ばあやの好物は?」、「坊っちゃんの好物は?」といった私でも答えられる質問から始まって「坊っちゃんが松山へ発つとき、駅でばあやから餞別に貰った三つの物」、「坊っちゃんが寝る時の癖」などと私には難問もあった。が、叔父さんは全てきっちりと答えた。
 このように書きつつ、最後に「して坊っちゃんの本名は?」という問題が出され、叔父さんは兜を脱いだ。姪は笑って答を教えてくれない。
 このような話だった。
 川端康成の「伊豆の踊子」にも名前がある。記憶によると物語の最後に踊子の名前が「薫」であることを旅芸人一座の栄吉が餞別の一つとして口中清涼剤のカオールを渡しつつ、教えてくれる場面があった。
 竹取物語でかぐや姫を育てた竹取の翁にも名前がある。その冒頭に「今は昔。竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をばさかきの造となんいひける。」とある。私の手許の本には「さかきの造(みやっこ)」と書いてあるが、「さぬきの造(みやっこ)」との表記もあるらしい。
 話を元に戻そう。姪による最後の難問について、叔父さんは多分「坊っちゃん」を読み直したに違いない。
 私の答は「夏目金之助」というのだが、多分叔父さんもそう考えただろう。
 姪は何を正解としたのだろう。まさか弘中又一を正解としたのではあるまい。広中又一とは漱石とほぼ同時期に愛媛県尋常中学校で数学を教えていた教師の名前である。

吹雪の夜の侍
2022/01/05
KEI
 与謝蕪村の句に「宿かせと刀投げ出す雪吹(ふぶき)哉」がある。その場の情景が目に浮かぶような句である。(ちょっと調べたところでは、古くは「雪吹」が一般的で、現在のような「吹雪」が見られるのは近世になってからだとか)
 この句を知ったのは60歳を過ぎてからであった。60歳を超えた私がこの句を知ったときに瞬間的に思い出した西条八十の詩があった。小学校高学年の頃に読んだ「少年詩集」(大日本雄弁会講談社)に載せられていた「その夜の侍」である。
 この詩は次のようなものであり、今でもそれほどの誤りなく暗唱することができる。
  宿借せと 縁に刀を投げ出した 吹雪(ふぶき)の夜のお侍。
  眉間(みけん)にすごい 太刀傷の 血さえ乾かぬお侍。
  口数きかず 大鼾(おほいびき) 暁(あさ)まで睡(ねむ)つて行きました。
  鳥羽(とば)の戦の 済んだころ 伏見街道(ふしみかいだう)の一軒家。
  その夜炉辺(ろばた)で あそんでた 子供はぼくのお祖父(じい)さん。
  吹雪する夜は しみじみと 想(おも)ひだしては話します。
  「うまく逃げたか、斬(き)られたか。」 縁に刀を投げ出した その夜の若いお侍。
 先人は与謝蕪村のこの句「宿かせと刀投げ出す雪吹(ふぶき)哉」をどのように解釈しているのか、気になった。新型コロナウイルス蔓延の中、図書館へ行くのも憚られるので、蕪村の句をキーワードにインターネット検索をすることとした。
 2018年4月から9月までの予定で京都新聞に連載されていた「黛まどか『蕪村を読み解く』」がヒットした。<動かぬ言葉を厳選 緊迫の一瞬を切り取る>との見出しのもとに、この句が取り上げられていた。
 そこでは黛さんは「『宿かせと・・・』は、侍が吹雪の中を行き暮れて一軒の民家に転がり込み、刀を上がり框(がまち)に投げ出して『これで一晩泊まらせてくれ』と迫っている場面だ。切羽詰まった侍の様子と共に、吹雪の凄まじさもリアルに伝わる」、「・・・まるで芝居の一場面を観ているかのように前後の物語が浮かぶ」と解釈、説明している。
 黛さんはこのように言うが、私は侍が「刀を投げ出した」のは単に「害意はない」ことを示した行動だと思っている。「害意はないので一晩だけ眠らせてくれ」と言ったのだと思う。宿賃の代わりに刀を差し出した、とは解釈のし過ぎではないだろうか。
 そして、西条八十は多分、蕪村のこの句を基礎に「その夜の侍」を作ったのだろう。

栞(しおり)
2021/12/29
KEI
 広辞苑では栞を「読みかけの書物の間にはさんで目印とするもの。古くは木片、竹片などでも作った」と説明している。
 私の幾つかの愛読書には種々雑多なものが栞代わりに、と言うか栞としてはさまっている。美術館や博物館の入場券やパンフレット、旅行先のホテルや宿屋の宣伝絵葉書、レストランや喫茶店の案内リーフレットなどなどである。
 若干恥ずかしいものには、カエデやイチョウの紅葉・黄葉がある。外出先でこれらを栞代わりに挟むときには「女学生でもあるまいに」とは思う。
 しかし、あるときイチョウの葉を栞代わりにはさむことは意味がある、と知った。古書にはイチョウの葉が多くはさまれているという。これは書物保存法についての通俗書に「虫よけにはイチョウ、イチジクの葉を用いよ」とあることにより虫よけとして用いられているからだそうだ。
 広辞苑の編者である新村出博士は、結婚の祝いとして新婦の父上からお祝いに延宝元年版の「源氏物語湖月抄」55冊を戴いたが、各冊にイチョウの葉がはさんであった、と思い出話を書いておられるという。
 私のイチョウ葉の栞はそのような深淵なる理由からではない。適当な栞がないときに、頁の隅を折るのが嫌なので、手近にあった綺麗なイチョウの黄葉を使っただけである。しかし、これらの話を知って少し嬉しくなった。
 なお、図書館から借り出した本には、返却期日の記憶のためもあって自動借出機から排出される返却期日が印刷された紙を外側が表になるように二つ折にしたものを挟んで栞としている。

古書店主のレファレンス
2021/12/22
KEI
 出久根達郎さんは古書店主である。そして直木賞作家でもある。この出久根さんに「本のお口よごしですが」(講談社)という優れたエッセイ集がある。北海道新聞日曜版に「古書往来」として1987年9月ら1990年9月までの間に連載された文章を纏めたものである。
 ここでは書物に纏(まつ)わる古今東西の諸々が軽妙な筆致で書かれている。その中に古書店主のレファレンス作業が書かれた一文がある。現代の司書さんも同じような漠然とした質問に対応されているのだろう、と思いながら読んだことである。
 ちょっと引用しよう。
 本の売買のみが古本屋の仕事ではない。客の本さがしもひきうける、と書き「めがねをかけた犬がですね、鉄砲をうつのです」・・・「言葉をしゃべりましてね」・・・「額に、いや全身だったか黒いペンキをぬっていましてね」・・・「立派な本でしたよ。布表紙で箱に入って」という会話から、田川水泡のマンガ「のらくろ」だと一週間後に判明した話。
 出久根さんは、そのお客が元大学教授で量子力学の本ばかり買う人だからマンガには思い及ばなかった、と残念そうに書いている。
 ちなみに、私はこのマンガを読んだことはないが、直ぐに「のらくろ」に思い至った。
 「サンズの川はご存知ですね」・・・「子供たちが歌をうたってますよね。ひとえ積んでは父のため、って聞いた覚えありませんか」、「あります、あります。確か、ふたえ積んでは母のため・・・」、「その歌の全文を知りたいんですが、なんという本にでてますかしら」
 出久根さんは仏教書、民俗学の本や数え歌や俗謡全集にあたったが、見付からない。地獄の研究書にもない。3日かかって歌の正体が「和讃」であるのをつきとめた。新書版の通俗仏教書に出ていたという。
 この本の売値は100円だった。「客には大層喜ばれたが、儲けだけを考えたら、この商売やれるものではない」と出久根さんは書いている。
 この依頼内容について、「ひとえ積んでは父のため」という言葉は何かの小説で読んだ記憶が朧げにあるが、私にはそれ以上の知識はなかった。試しにグーグルの検索欄に「ひとえ積んでは父のため」と打ち込んでみた。一発で「西院河原地蔵和讃 (賽の河原地蔵和讃)」が現れた。
 グーグル先生がかなりのことまで教えてくれる世になり、便利なことこの上ないが、いろいろと想像を巡らせ、知識を総動員して調べることに郷愁を抱く私は、多分時代遅れなのだろう。

漢字表記辞典
2021/12/15
KEI
 スーパーインポーズというのだろうか、それともテロップが正しいのか、テレビのニュース番組などでその内容や発言者の言葉を文字で画面表示しているのをよく見かける。聴覚に問題がある人だけでなく、視覚から入る情報の方が理解しやすい人にとっては有効な方策だと思っているが、中には誤った漢字が使われている場合もあり、「オイオイ」と言いたくもなる。
 手元には約40年前に三省堂から発行された「大きな活字の漢字表記辞典」が2冊ある。この辞書が発行されたことを知ったとき直ぐに会社用と自宅用として買ったことを記憶している。当時、一般的な辞書の活字が小さく、使用・活用に難渋していたことが主な理由の一つである。
 その理由とは別のもう一つの大きな理由として、「ある言葉を漢字で書き表す場合、どの漢字が適当か、正しいか」ということを簡単に知りたかったこともある。
 例えば「はかる」という言葉を表す漢字としては「図る」「計る」「測る」「量る」が直ぐに思い浮かぶ。ちょっと考えると「謀る」や「諮る」も思い出す。この辞書は、「合理化を図る」「解決を図る」「便宜を図る」「時間を計る」「計り知れない」「うまく計られる」「水深を測る」「標高を測る」「距離を測る」「面積を測る」「測定器で測る」「目方を量る」「升で量る」「容積を量る」「暗殺を謀る」「悪事を謀る」「審議会に諮る」と教えてくれる。
 日本語の表記について勉強したこともない私であるが、今までの経験から、漢字仮名交じり文は日本人が発明し、育んできた日本語に最もふさわしい表記法なのではないか、と思っている。その表記法はその文章に相応しい漢字を使って初めて意味があることになる。
「なく」という言葉についても「泣く、鳴く、啼く、哭く」が思い浮かぶが、それぞれの使い方を簡単な例で教えてくれる。ただ、人が「なく」場合、「泣く」と「哭く」が使われることをこの辞典は教えてくれるが、その違いまでは教えてくれない。その違いは漢和辞典によらなければならない。漢和辞典には「泣く」は声は出さずに涙だけ流すもの、「哭く」は声を上げ涙を流すもの、とある。
 パソコンの変換キーを使えば、簡単に漢字に変換できるが、その使用に当たっては細心のとは言わないが、このような観点からちょっと注意するのがよいとは、自己反省を込めての思いである。
 今までこの欄に掲載いただいた文章の中に誤った変換がなかったことを願っている。

ふたつよいことさてないものよ
2021/12/08
KEI
 私は同じ本を2冊買うような不注意な人間ではないと思っていた。本を買う時には目的がはっきりとしており、「この本を買うのだ」ときっちりと意識していると信じていた。ところが書庫を整理していて同じ本が2冊あるケースに何度もぶつかった。
 その理由を考えてみると、読書の時間も取れないほど忙しい時にたまたま覗いた書店で贔屓の著者の新刊や私が関心を持っているテーマについての本が目に止まり買ったような場合が思い当たる。忙しいこともあり買ったものの読まない内に買ったことすら忘れてしまい、再度買ったようなケースが多い。
 もう一つのケースは東京単身赴任中の私と在阪の長女がそれぞれ買ったものである。これは仕方がない。
 いま手許には河合隼雄さんの「こころの処方箋」の新潮社版ペーパーバックと文庫本がある。ペーパーバックを保有しているにも拘らず文庫本を買った理由ははっきりと覚えている。文庫本の末尾に谷川俊太郎さんの「三つの言葉」という5頁の短編が掲載されていたからである。そこには「こころの処方箋」に書かれている数々の言葉が河合さんの心の中でどのような過程を経て紡ぎ出されたかを谷川さんの見方で書かれていた。
 最初に「こころの処方箋」を買ったのは今は廃業した古き良き時代の趣のある古本屋だった。宗教関係の本が並んでいる中に置かれていた。
 何気なく手に取りパラパラと頁をめくると「ふたつよいことさてないものよ」という見出しというか箴言が目に付いた。続いて4頁ほどの文章でその意味することが実に解りやすく書かれていた。同じように合計55の箴言とそれについての短い説明や筆者の意見や見方が易しい言葉で書かれている。言葉は易しいがその意味するところは深いと思った。
 河合さんは「(人間の心に関する)法則は好きではないが、それでも割とすきなのが『ふたつよいことさてないものよ』という法則である」と書いている。そして「この法則はまた、ふたつわるいこともさてないものよと言っていると考えられる。何かわるいこと嫌なことがあるとき、よく目をこらして見ると、それに見合う『よいこと』が存在していることが多い」と具体的に例を挙げて説明している。
 読んで「なるほと」と頷かされる。
 谷川俊太郎さんも「たとえば『ふたつよいことさてないものよ』は、河合さんの読者の間では流行語のようになっていて、私自身もことあるごとにこの言葉を呪文のように繰り返す。そういう力をもった言葉はそうざらにあるものではない」と書いている。
 この2冊の「こころの処方箋」で覚えているのは唯一「ふたつよいことさてないものよ」だけである。

「本の虫の本」
2021/12/01
KEI
 実に面白い。本の虫は英語でbookwormというが、この「本の虫の本」(創元社)の著者たるbookwormsは林 哲夫氏ほか4名で画家、新刊書店員、古本屋店主、フリーライター、ジャーナリストと紹介されている。それぞれの方が、30編前後のエッセイというかそれともコラムあるいは随筆というのが正しいのか、1頁2段で4段ほどの短文を書かれている。
 それぞれの方が読書遍歴や職業経験から得た知識や自らの意見をきっちりと根拠を示して書いていらっしゃる。その意味では、本に関する知識や経験の宝庫と言ってもいい。読みながらそれぞれのテーマは本好きの友人との酒席の話題に持ってこいだな、と思ったことである。
 本の虫といえば、紙魚を思い浮かべる。著者の一人は「フナムシを細く小さくしたような銀色のあれ。シミ目シミ科の昆虫で、英名はsilverfish。寿命は7〜8年と思ったより長い」と概説する。そしてセイヨウシミとヤマトシミについて述べ、紙に穴を開けるのはシミではなくシバンムシだと教えてくれる。
 そして自らの仕事との関係について、鹿児島県大隅諸島のある島に住んでいる人のご尊父の書籍を引き取った話に及び、そのご尊父は自らも敬愛する高名な学者であったと驚く。引き取った本の隙間から這い出してきた紙魚はふだん見かけるものよりも一回り以上も大きかったそうだ。
 最近では紙魚はほとんど見ることもなくなり、関西地域で時々見かける程度だと書いているが、私も最近は見たことが無い。
 上に述べた話は古書店店主の一文だが、著者の一人である画家は「ブック・マン」との表題のもと「本には目があります。眉があり、耳があります。口もノドもあります。・・・化粧をして、遊びが好きで、腰にバンドを付け、ジャケットを着て・・・」と8行の文章に19の書籍に関する言葉を連ねた洒落た短文を書いている。
 ここで目とは紙の繊維の流れ目、眉とは和本の本文の上部の欄外の眉上(びじょう)、耳とはハードカバーの本で背の両側が溝に沿って少し盛り上がって広がっている部分・・・だそうだ。
 化粧は化粧箱、バンドは帯紙のことだとわかるが、遊びが書物の表紙と本文との間にあって両者の接着を補強する紙のうち接着されていない部分、ジャケットとは表紙の上に巻かれている紙(ダストジャケット)のことだとか、知らない術語が多い。
 書評あるいは書籍紹介文を書いているフリーライターは「おすすめの本」の中で、自分の仕事を初対面の人に説明するとかなりの確率で「何かおすすめの本はありますか」と聞かれることがあり、絶句すると書いている。
 それはそうだろう。何も情報が無い段階で「おすすめの本」と聞かれても適切な答を出すことができるはずはない。この質問に対し、著者はそのような場合は、質問者が男性なら吉村 昭、女性ならアン・タイラーと答えると書いている。恥ずかしながら、アン・タイラーは読んだことが無い。
 このような文章が約160編並んでおり、本の虫たちが楽しんで作った本である。一人の読者として面白く楽しく読んだ。

「地図の博物図鑑」
2021/11/24
KEI
 実に面白い。眺めていて飽きることがない。「地図の博物図鑑」(日経ジオグラフィック社、ベッツイ・メイソン、グレッグ・ミラー著、藤井留美訳)は、縦28p横23.3p重さ1.35sであり、その形や重量に見合う知識や楽しみを提供してくれた。
 はしがきには「脳は地図のためにある。視覚的な生き物である人間がものごとを理解するには、目に見えるようにすることが重要だ」と書かれている。脳が地図のためにあるかどうかは知らないが、地図を読み解くためには脳が必要だとは思う。つい先日、南北が逆になっている地図をそのままの形で理解するのに難渋し、最後には紙面の天地を逆にしたことに自らの脳の力の衰えを感じたのを思い出した。
 ロンドンのタクシーの運転手は営業免許を取得するために、ロンドン中心部から半径6マイル(約9.7q)にある道路・建物・駅・公園などの公共施設に関するあらゆる知識を習得する必要があるとされているが、このために使われている地図、通称「エー・トゥ・ゼット」も掲載されている。この範囲にある道路の数は約2万5000だそうだが、一方通行の道もあり、全て覚えるのは大変だろう。図鑑に掲載されている地図を見ながら、彼の国のドライバーの知識に感服した。
 とは言うものの優れたカーナビが存在する現在においても同じような試験が行われているか否かはちょっと気になる。
 次に目に止まったのは、1854年に自宅近くで発生したコレラの流行を記録した地図である。
 若き医師ジョン・スノウは死者が出た家を一軒ずつ地図に記入し、ある井戸ポンプの周辺に被害者が集中していることを見付け出した。これに基づく聞き取り調査の結果、全ての例で井戸ポンプとの関連が確認された。コレラは水が媒介すると確信したスノウは井戸ポンプの取っ手をはずさせた。この逸話は伝説となり、スノウの作った地図は画期的だと評価されたという。
 現実にスノウの作った地図を見ると実に細かく丁寧な実態調査がなされていることが伺える。現在の日本で新型コロナウイルス感染に関して緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置のもとになっているデータも基本的には実態調査に基づいている。
 日本の地図についての言及もある。これも地図の範疇に入るのだろうか、東海道五十三次を描いた巻物である。そこでは、米国の空間デザイン研究を行っている建築家ジリー・トラガヌーの「旅案内と図版入り旅物語を兼ねたようなものです」との言葉を紹介している。確かに彼の指摘するとおり、町や店の状況、宿場間の距離といった実用情報に止まらず街道沿いの場所に纏わる物語や詩歌、逸話まで盛り込まれている場合もある。しかし、日本人たる私にはこれが地図だとは理解できない。
 その他、アムステルダムの移り変わりを建築年月別に色分けされた建築物で示した地図、データ視覚化の先駆者が作った欧州の綿花輸入実績を可視化した地図、人工衛星からのデータに基づき作られた夜間照明状況を示す地図などなど興味深い地図が満載である。

世界の路地裏
2021/11/17
KEI
 路地裏とは魅力的な言葉である。表通りの華やかさや喧騒とは無縁の、生活に密着した落ち着いた狭い通路とそこにあるちょっとした広場を感じさせる。そこでは地域に根付いた人々の日常生活を垣間見ることができる。
 と、こう思ったが、ふと「路地」と「路地裏」にどのような違いがあるのだろうか、と疑問が生じた。手許の広辞苑には「路地」は載っているが、「路地裏」はない。路地裏と路地は同じような意味の言葉なのか、路地裏は路地のさらに奥のところを指すのか疑問は残る。
「世界の路地裏100」、「新・世界の路地裏」と題されたピーピーエス通信社の複数の写真家の作品が掲載されているピエ・ブックス発行のこの2冊の本はいずれも縦26.5cm、横16cmの変形であり、写真集の常として重い。そのため扱いにくいこと限りがない。
 しかしながらこの縦長の紙面は路地あるいは路地裏の写真にはぴったりである。狭い路地・路地裏にある建物を写すと同時にそれ自体とそこでのいろいろな生活を描くためにはこの縦長の紙面が最適であることを掲載された写真が教えてくれる。
 この本は書店ではなくラケットボール仲間との懇親会が開催されたお洒落なレストランで知った。テーブルのすぐ横の棚にこの本が置いてあった。「ディスプレイかな」と思ったがウエイトレスに聞くと手に取ってもよいとのことだったので、食事が提供されるまでの間眺めていた。そのときに出版社名と書名をメモしたという次第。
 2冊とも主としてヨーロッパの観光地の旧市街地の路地あるいは路地裏やそこでの生活を切り取っている。私が同じような写真を撮った場所も幾つか含まれていた。
 ヨーロッパを旅していると旧市街地と新市街地が整然と区分され、旧市街地はかつて存在したままの姿で残されていることを知る。旧市街地の中に新しく造られたコンクリートの住宅が立ち並んだり、機能的なオフィスビルが建てられる、というようなことはない。
 旧市街地では現代の人々も何世代か前の人々と同じように同じ建物に住んでいる。郵便局も銀行も昔ながらの建物の中で業務を行っている。そこにあるカフェも周りの雰囲気を乱すようなことはない。
 そこには幾つかの規制があるように聞いたこともあるが、どうだっただろうか。
 我が国では、昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し、城下町、宿場町、門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られている。
 現在、重要伝統的建造物群保存地区は100市町村で120地区あり、約29,000件の伝統的建造物が特定され保護されているという。
 そしてそこでは建物の外観を変更する場合は厳しい規制をかけていると聞いている。木で造られたこれらの建物が近代化、効率化の波に飲まれ無機質なものに変容することの無いように願っている。
 この2冊の本を眺めながら、ヨーロッパではこの景色を何十年後の人たちも現在の私たちと同じように眺めることができるのだろう、と少し羨ましく思った。

本から思い出す今は亡き人
2921/11/10
KEI
 エッセイの中で「歳を取ると新聞の訃報欄が気になる、この欄から新聞を読み始める」と書かれていたのは、どなただったろうか。いつの頃からか私も訃報欄を読むようになったが、無意識に自身の年齢と比較しているようだ。
 この一年を振り返ってみても、私の本棚に並んだ書物の著者の何人かがお亡くなりになっている。今回、改めて整理途中の本棚の著者名を丁寧に眺めてみた。
 既にお亡くなりになっている方が多いのに気が付いた。大半が鬼籍に入られている。考えてみれば当然である。それらの書籍の殆どは私のサラリーマン現役時代に買ったものであり、著者の殆どは私より年配であった。
 リタイアした後も、新刊書が発行されるたびに買い求めていた私が好きだった著者の多くもお亡くなりになった。何となく寂しさを感じている。
 著者名を眺めていて桃井 真という名前に目が止まった。氏もお亡くなりになって久しいが、国際政治学者・軍事アナリストであった。そして女優の桃井かおりさんのご尊父でもある。コロンビア大学大学院のジャーナリズム科とハーバード大学大学院の行政学科をそれぞれ1年で卒業された俊秀だが、その経験を綴ったのが「ケネディにつづく若者たち」(講談社)である。両校の学生の猛烈な勉強ぶりと彼らの生活をいきいきと描いている。
 特に印象に残り、今でも覚えているのは「12時を過ぎると寄宿舎の窓の光と人影が下級生の住む2階から上の方に向かって順に消えて行く。大学院生の住む上の階では明け方の4時頃にポツリポツリと光が消える」という文章だ。これを読んだときには、当時のアメリカの学生の勤勉さに驚いたものだ。桃井さんはこのような仲間と2年間過ごしたのだ。
 最後には「知にささえられたタフさ」との小見出しで、卒業式後に行われた男性だけのタブ・カクテル・パーティ(氷が半分以上詰まり、シャンパンを1ダースあけたバス・タブに、それぞれが持参したウイスキー、コニャック、ラム等でスパイク(強く)したカクテルをパンチ・グラスで飲むというもの)の話がある。
 夜の9時から明け方の5時まで飲んで「飲むほどに、酔うほどに・・・しっかりとした国際問題への理解を示し、長時間にわたり核戦争・軍事戦略論を展開し」最後には車を置いてしっかりとした足取りで歩いて帰る。
 著者は「この、肉体的、精神的、そして知的タフさこそ、アメリカを支えるエネルギーであろうか。ケネディに続く若者たちの一群であろうか」と目を見張った。
 本棚にあったこの本に目が止まったのにはもう一つの理由がある。この本には若くしてお亡くなりなった先輩との思い出が詰まっている。
 あるとき先輩と一献傾けながら、かつて読み、感激し、後輩に読むようにと渡したこの本を話題にした。先輩もこの本を読んでおられ「アメリカの名門大学の学生はよく勉強している。勉強の厳しさを描いた場面と卒業式後に行われた男性だけのタブ・カクテル・パーティの場面が特に印象に残っている」と言い、「それに比べて・・・」と話題が移った。
 再読したいが、後輩に進呈し手元に無く、発行元にもないと言った私の言葉を覚えておられ、後日「屋根裏部屋にあった。返さなくてもいいよ」と言う言葉と共に頂戴したのがこの本である。

ちょっといい話
2021/11/03
KEI
 何かしなければならない、時間を無駄にしてはいけない、と思いつつ何をする気力も無くだらだらと時間を潰すような日が続くことがある。そのような時には、読みやすい短編集やエッセイ集を手に取るに限る。それがきっちりとした文章、凛とした文章で書かれておれば言うことはない。
 つい最近のこのような状態の時に手に取ったのが山本一力氏の「旅の作法、人生の極意」(PHP研究所)であった。初出欄によると業界団体と大手企業の隔月刊誌に書かれたものを集めたもののようだ。
 著者の山本一力氏については、人間へのあたたかなまなざし、情緒豊かな作風に定評がある時代小説の名手である、という以外には知らない。ただ、どこで読んだか「先に進みたければ、まず目の前のことを片付けることが大事」、「時代小説を選んだのは何より言葉がきれいだからだよ」という氏の言葉は覚えている。
 この本では、氏は切れのよい文章で今までの経験から得た諸々をさりげなく披露されている。
 かつて日参した町場の中華料理店の元店主が、見事に代替わりを成し遂げた息子について正味で喜ぶ姿に胸を打たれるとともに、注文に対し調理場の誰もが「かしこまりました」という返事に味も信念も継承していると寿ぐ。そう言えばこの言葉を聞かなくなって久しい。
 娘2人と旅をした友人一家が新幹線で祖母の家から一人で帰る小さな女の子について下車駅を教えてやってくれと頼まれた話では、上の娘の実に適切な相手に寄り添った行動を具体的に書く。そして最後に「子から教わる親は至福だ」と述べる。
 ジョン・マン(中浜万次郎)の生涯を描く歴史大河小説の取材でアメリカ各地をレンタカーを駆使して訪れ、さまざまな情報を得る話では作家の取材についての努力を知った。別の稿では「その地を踏みしめてこそ、実感できることは山ほどある」と書いている。
 そして最後に書かれている14歳で始めた文通相手である米国人女性と50年目に初めてミズーリ州カンザスシティのルート66沿いの場所で逢う話はほのぼのと心温まると同時にそれぞれの人物の誠実さを教えてくれた。現在では精神科医となっている文通相手は受け取ったエアメールと贈られた品々を全て鍵付きの皮バッグに保存していたという。
 隔月刊誌に書かれた文章を大雑把な分類で纏めたものであり、一貫性に乏しいが多くが5頁前後の文章であるため、どこから読んでも途中でやめても問題がない。そしてところどころに氏の意見、主張が声高ではない落ち着いた声ではっきりと書かれている。
 生誕地の集いで、90歳が目前の人生の先達の「昨日を振り返るのも、明日を思うのも、今の私には意味がない。今日をしっかりと生きること。これを肝に銘じている」を書き、自らについて「先を見る目を凝らすあまりに、いまを踏みしめる足元を見詰める目が甘くなってはいないか」と反省する。
 現在の生活、気持ちに助走をつけてくれた一冊だった。

本を処分する
2021/10/27
KEI
「本とわたし」というテーマで落としてはならないのが、本の処分である。古き良き時代にあっては、商店街の片隅や大学の近くに古本屋があり、それらが地味ではあるが古本の売買を始めとする古書の流通に大きな力を貸していた。これらの店と客との間の人情味あふれる諸々を書いた文章を幾つも読んだ記憶があるし、町の古本屋や専門書を扱う古書肆の主人の経験談を書いた何冊かの本は一時期私の愛読書だった。
 有名な神田古書店街、早稲田古書店街、阪急古書のまち等は存在するものの、最近では街中で古書店を目にすることが少なくなった。我が家の近くにあった3軒の古本屋も全て姿を消した。
 そこで老前整理の一環としての本の処分が問題になる。結果的には蔵書を涙を呑んで資源ごみとして処分することになるのだが、何か得体のしれない申し訳なさが心を過(よぎ)る。文字の神様に申し訳ないような気がする。と言っても私が死んでしまったら残された家族にとっては無用の長物であることには間違いがないのでその手間を省くためにも処分しなければならない。
 ということで現在では気が向いたときに資源ごみとして100冊単位で不要図書を処分しているのだが、一旦処分対象と決めたものの保存対象へと気持ちが変わることが多く、処分は遅々として進まない。
 これらを行っているときに、私が保存対象と決めた本は、その中身を知悉している本やそこに書かれている文章を記憶している本が多い、ということに気が付いた。
 逆に処分対象とした本は、そのテーマや著者には現在でも関心があるが、読んでいない、読んだ記憶はあるが内容は全く覚えていない本である。読んでいない本を捨てるのは誠にもったいなく著者に申し訳ないことではあるが…。
 あるとき全国展開をしている新古書店がインターネットで買取業務を行っていることを知った。本の裏表紙に2つのバーコードがある本だけが対象だが、段ボール箱に詰めておけば送料無料で引き取り、値段を付けてその額を振り込んでくれ、値段の付かない本は無料で処分してくれる、とホームページに書かれていた。
 評価額は極めて低いだろうし、引取手数料も念頭に評価されるだろうから最終的な買取額は微々たるものになるだろうが、もしその中の一冊でも古本として市場に出回ることにでもなれば「著者や出版社にも申し訳が立つ」程度の軽い気持ちで取り敢えず、ミカン箱4箱の荷物を作りインターネットで連絡した。
 何日か後に連絡を受けた買取額は予想通り微々たる額であったが、買取対象となった本一冊ごとに1円あるいは5円と明細が付されていたのには笑った。0円という本も多くあった。
 しかし、本来なら資源ごみとして処分される運命だった何冊かは新たな読者の手に渡る可能性が出たわけで、その意味では書物を処分する罪悪感が少し薄れたようだ。
 頭の中で次に処分する本はあの著者のあのシリーズ物、あのことを論じた何冊かの本と考えていても、現実に書棚にある現物を目にすると処分を躊躇(ためら)ってしまう。
 処分したとしてももし将来読みたくなれば近くには図書館もあるし、再び手元に置きたくなれば購入できるだけの小遣いもある。このように考えても、心の葛藤は納まらない。我が心の中の保存派と処分派の対立はいつまで続くことやら。

「辞書の仕事」
2021/01/20
KEI
 畏友があるブログのコラムでこの本「辞書の仕事」(増井 元、岩波新書)のことを興味深く書いていたので、彼に倣って私も手に取った。岩波書店で「広辞苑」「岩波国語辞典」等の編集作業にかかわった人物が、自らの経験を踏まえて辞書をめぐるさまざまなことを素人に分かるように解き明かした本である。
 200頁ほどの新書版なのでアッという間に読み終えた。
 著者の増井氏は「国語辞典の編集は日本語学の専門家がする仕事で辞書編集者は著者を手伝うアシスタント、せいぜい頑張ってコーディネーター(調整役)です」と書いているが、結局のところは自分が納得できる形の辞典を作成しようとしているという誇りを持ってコーディネート(調整)している。
 辞書は言葉を正す「鑑(かがみ)」なのか、言葉を写す「鏡(かがみ)」なのか、についての記述は、辞書に言葉の正しい使い方、正しい意味を求めていた私にとっては、ちょっと衝撃的なことが書かれていた。
 そこには、多くの人が普通に使っている「誤用」を辞書が正すことは不可能、言葉はいつも「乱れ」「変化し」ている、国語辞典は言葉の意味を記述するが定義はしない、などなどが具体的な例とともに書かれていた。
 存在しない言葉が辞書に書かれている例として挙げられている「みすずかる」のエピソードは面白かった。この言葉は「信濃」にかかる枕詞で、私の大好きな言葉の一つでもある。しかし、賀茂真淵が万葉集にある「水薦刈」「三薦刈」を「みすずかる」と読んだのは誤りで「みこもかる」が正しいことは最近の研究者の一致した見解であり、その結果辞書には「みすずかる」の説明としてこのことが書かれているという。手元にある他社の国語辞典で確認したが、著者の言うとおりであった。
 辞書に書かれている例文には、実際の使用例と執筆者等が例として作り上げた文があり、この例文選定や作成もなかなか難しい作業だそうだ。
 かつて「くんだり」の用例として「青森くんだりまで来た」というのがあり、青森の中学校の先生から「何とも名状しがたい思いにとらわれた」と問題を指摘されたという。この例が不適切だとしても、適切な例はどのようなものか、著者を始め関係者の誰もが賛成できる例文は未だ見付かっていないそうだ。
 用語の場合は、その語の使用法としてかなっているかどうかを十分に吟味するが、ともするとその例文が表現している内容への考慮がおろそかになる面があると自戒を込めて書いている。
 その具体的な表れの一つが女性蔑視で、日本語が総体として少なからぬ女性蔑視の表現(「女だてら」「男まさり」が挙げられている)を持っていることは、事実だとし、個々の語の意味を解説する場面であれば、その言葉にひそむ社会的な偏向やそのよってきたる所以を説くこともできるが、用例を掲げる段になると難しいと説く。
「辞典は社会の意識を忠実に反映するものたるべしとして、よく見られる使用例をそのまま掲げることが求められているのか、あるいは、そうした社会的な傾向・風潮に対して、それをよしとしない態度をとるか、辞典編集者はその判断を迫られています」と書く。
 今までに辞書の編集や各種事典の比較など辞書・事典にまつわる何冊かの書物を読んだが、この一冊もその仲間に入れよう。

「東海道五十三次をよむ」
2021/10/13
KEI
 現役の頃、京都に単身赴任している後輩に誘われて京都から大坂(大阪)までの東海道の一部を歩いたことがある。真夏の日曜日、ペットボトルを何本も空にし、JR京都駅を出発点に淀宿、枚方宿を過ぎてJR高槻駅まで歩いた。後輩は手にしたメモを見ながらいろいろと説明してくれたが、淀城の石垣以外は何も覚えていない。
 上の文章をお読みになった殆どの人は「ん?」と思われただろう。東海道は京都三条大橋が始発点であり終着点であることは我われの常識である。大坂まで続く筈はない。
 後輩は私の疑問に対し「東海道は、一般的には江戸と京を結ぶ、品川宿〜大津宿の五十三次を言うとされているが、かつては伏見・淀・枚方・守口の4宿場を含め、五十七次で江戸〜大坂を結ぶ街道だった。しかし、京と大坂の区間は、京街道、大坂街道などと呼ばれていたことや歌川広重や十返舎一九の作品で東海道五十三次の呼称が広まったため、東海道とは別の街道と思われるようになった」と概略このように教えてくれた。記憶によると確かこのような説明だった。
 図書館のホームページの新着本案内の欄で「東海道五十三次をよむ」(鈴木健一編、三弥井書店)を見つけ、予約手続を取った時、何十年か前に後輩から聞いたこの話を思い出した。
 この本は、編者の鈴木健一氏を始め、17人の学者や学者の卵(失礼)が、東海道五十三次のそれぞれの場所においてテーマを定め、江戸時代の文学を中心に興味深い10数頁の文章を書いている。それぞれに脚注や参考文献も付されており小論文集の趣がある。
 例えば、小田原宿では「小田原のういろうは何に効くのか」を主題とし、小田原ういろうの歴史を紹介し、歌舞伎の“外郎(ういろう)売”の科白や“透頂香”(とんちんこう、ういろうの別名)に関連する江戸文学を取り上げている。ここで言われているういろうは、和菓子のういろうではなく「仁丹に似た小田原地域の大衆万能薬」のことである。
 東海道最大の宿場町であった宮宿、桑名宿ではこの両宿の間の渡しである七里の渡しについて「七里の渡し、どんな船旅だったのか?」をテーマに、船賃や航路、さらには天候と船旅の不安、船酔の対策と船上の楽しみ、についてシーボルト等外国人の日記を含む各種の文献を紹介しながら検討している。
 これらに加えて、1頁が上下2段に分けられたスペースの10行程の文章で、53の宿場と日本橋、三条大橋を要領よく紹介している「コラム 五十三次さまざま」もある。
 最近、長編を読む気力が衰えたと感じている身にとっては、小編の集積でありつつ一貫したテーマで編まれているこの本は結構読み易く楽しめた。

「白い歯の美しい女の子」
2021/10/06
KEI
 過日掲載いただいた「路上の文字」で、本を構成している文字について書いた。今回は同じく本を構成する文や文章についてちょっと考えてみようと思う。
「白い歯の美しい女の子」は女それとも男? 絵に描くとするとどのような絵になるだろうか?
 普通には歯磨製品のコマーシャルに出て来るような、“白い歯がキラキラ光っている少女”を連想する。しかし、他の読み方はないだろうか。“白い歯の美しい女”がいてその“子”と読むことも可能である。この場合の“子”は男か女かは分からない。また、美しいのは“歯“でなく“顔”である可能性もある。慎重に読んでみると8通りの読み方ができる。
 私が、この文に最初に出会ったのは、遥か昔のこと。岩波書店発行のロゲルギスト著「第四 物理の散歩道」であり、続いて木下是雄著「理科系の作文技術」(中公新書、ここでは「黒い目のきれいな女の子」が例にあげられている)であった。いずれも理科系の人物が著者である。
 その後、文科系の著者である田中齋治・上野幹夫両氏の「契約意識と文章表現」「契約文章読本」(いずれも東京布井出版)にもこの例があることを知った。
 一つの文が8通りに読まれては大変である。読点を活用したり、語順を変えたり、説明を入れたりして一義的な意味を持つ文あるいは文章に構成する必要がある。
 サマセット・モームは「作家の手帳」の中で「同じ文章が二人の人に対して、同じ影響を与えるものとは決して言えない」趣旨を書いている。作家はこのように言うが、日常のコミュニケーションの場では、「同じ影響を与える文章」「一義的な意味を持つ文章」を書くように努力すべきだろう。
 新聞や雑誌を読んでいて「ん?」と思うことがときどきある。前後の文章から意味を汲み取ることができることが多いが、疑問が最後まで残るということも偶に経験する。また、事実と意見の区別が明確にされていない文章が目に付くこともある。
 私はSNSはやっていないが、引用されているSNSの文章を見て首を傾けることもある。短い文章で短時間に意図するところをきっちりと書くということは難しいのだろうが、やはり注意深く文章を構成すべきだとは思う。電子メールでも同じだろう。
 3年ほど前だっただろうか、私がメンバーになっているスポーツ・クラブのスカッシュ・コートの前で顔見知りの大学院生がコートの順番を待ちながら「理科系の作文技術」を読んでいた。「珍しい本を読んでいるね」と声をかけたところ「今、論文を書いているのでその参考に」と答えた。40年近く前に出版された本だが、現在でも版を重ね、後進の参考になっているのを知って嬉しく思った。
 自己を省みることなく、偉そうにこのような文章を書いてしまった。「ああ、恥ずかしい」

「九十歳。何がめでたい」
2021/09/29
KEI
 図書館へ本を返しに行ったついでに、書棚をチラッと眺めた。特に何を借りようという当てもなく、並べられているエッセイ集の表題を目で追っていた。
 そのとき佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」(小学館)が目に付いた。佐藤さんは100歳近いお年の小説家だということは知っている。そして「あゝ玉杯に花うけて」の著者の佐藤紅緑さんがお父さんであることも。しかし、私は現在まで佐藤さんの書かれた文章を読んだことはない。
 ただ、このエッセイの表題は、新聞の広告欄か書評欄で見た記憶がある。手に取ってみると大きな活字でゆったりと印刷され、1時間もかければ読み終えることができそうだと感じた。
 女性週刊誌に連載されたものを纏めたものであるが、日常茶飯のあれこれや思い出話が達者な文章で書かれている。私の計算が正しければ、これらは92歳前後の時の文章である。
 新聞の人生相談欄に関する文章も複数あった。自らの考え方や意見を、質問者、回答者の何れにも嫌な思いをさせないような配慮をしつつ、お書きになっているのは、「さすが」と思ったことである。
 これらの文章を読みながら、はてさて佐藤さんはどのようにして文章をお書きになっているのだろうか、一字一字原稿用紙のマス目を埋めていらっしゃるのか、私と同じようにパソコンをお使いになっておられるのだろうか、が気になった。
 文章中に「読者」ではなく「讀者」「理不尽」ではなく「理不盡」(この言葉は私のパソコンでは一発では出てこなかった)があることを考えると手書きのように思われるが、「インターネットを使い調べると」とあるのを見ると疑問もわく。しかし、同居の娘さんが調べられたのだろうと解釈すれば、やはり前者と見るべきだろう。
 最後に、「今まで何十年も頑張ってきて…愈々(いよいよ)『のんびり』の生活に入ってみると、これがどうも、なんだか気が抜けて楽しくないのです」と書き、このような生活を続けているうちに「だんだん、気が滅入ってきて…ウツウツ」するという状態になられた。
 このような時に週刊誌へのエッセイの連載を依頼され、隔週ならばという条件で連載を始めたが、「何週間か過ぎたある日、気がついたら、錆びついた私の脳細胞は(若い頃のようにいかないにしても)いくらか動き始め、私は老人性ウツ病から抜け出ていたのでした」と書いていらっしゃる。
 予想どおり1時間足らずで読み終えたが、私がタイトルを付けるとすれば「九十歳。それがどうした」とするだろう。
 余談だが、この本を読みつつ、100歳の折に「百歳は折り返し点」(未読)を上梓された文筆家の物集高量(もずめたかかず)さんを思い出した。朝日新聞にかなり大きなスペースで同氏の紹介記事が掲載されていたことを記憶している。

“風”こと百目鬼恭三郎さん
2021/09/22
KEI
 かつて百目鬼恭三郎さんの名を知ったときには、“どうめききょうざぶろう”と正しく読めなかった。書庫には全てではないが氏の著作が何冊かある。その中の何冊かは東京に単身赴任しているときに買ったのだろう。ある本には栞代わりに大谷美術館と旧古川庭園の入場券の半券が挟まれていた。
 懐かしさを覚えその内の一冊「風の文庫談義」(文藝春秋)を手に取り、パラパラと頁をめくっていると最後の頁に「著者を惜しむ」と題した丸谷才一氏の文章があった。丸谷氏のこの追悼文はよく覚えている。
 追悼の文章は、百目鬼さんとの最後の座談会に触れ、その後知り合った経緯と人柄を簡単に述べ、氏のジャーナリスト、批評家、文人としての活動をそれぞれ10行ほどで説明する。
 最後に「あとに残るのは、あなたの優しい、独特の人柄と愉快な談話です。その思い出をなつかしんでいるうちに、またいつか、お会ひすることに、なるでせう、どこかの町の腰掛けの料理屋で。そこでなら、宿痾(しゅくあ)のいえた君と共に杯をあげることができるわけだ」で締め括る。この最後の「腰掛けの料理屋で宿痾のいえた君と杯をあげる」という文言が当時とても印象深かった。
 “風”というのは百目鬼さんが1976年から1983年まで「週刊文春」誌上で書評を連載した際のペンネームである。
 この書評については、谷沢永一さんが「あぶくだま遊戯」(文藝春秋)で「『風』と名乗る覆面剣士が、ほぼ二年前に忽然と登場。だいたい一千字以内の枠のなかで、見せかけの名著の切り捨て御免。世間のいわゆる書評屋連中が、いかに空虚なお世辞ばかり書いているか、実例に照らして有無を言わせず、醒めた目でオトナの批評を展開している」と述べるに止まらず、論拠の具体性、当該一冊だけでなく対照される書物についても取り上げていることにつき絶賛している。
 当時は、この“風”が誰なのかが大いに詮索されたそうだ。
「風の文庫談義」では精選された63冊の文庫本を取り上げ、その内容を説明し具体的に批評する。
 その筆頭には犬養孝著「万葉の旅」(全3冊)(現代教養文庫)が取り上げられ、芭蕉の「おくのほそ道」と対比しつつ、その優れた点を具体的に述べている。私も長年愛読した書物であるだけにある意味とても嬉しく思った記憶がある。他に大学者が一般読者向けに分かり易く書いた「古代国語の音韻について」(橋本進吉、岩波文庫)や森鴎外の次女小堀杏奴が書いた「晩年の父」(岩波文庫)などが取り上げられている。
「読書人読むべし」(新潮社)では「ノリとハサミで作りあげたような読書案内」や「自分の読書遍歴を語ったりあるいは近時読んだ本についての感想を述べる、といった態の本」ではなく「私自身の本探しの体験をもとにして」作った読書案内であることを述べる。
 以上が百目鬼恭三郎さんの本に纏わる私の思い出である。

歩いた、よかった、ふれあった。
2021/09/15
KEI
 ある程度の年齢になり来し方を振り返る余裕が出てきたとき、人は自らの人生を纏めたくなるのだろうか。そしてそれを子供たちや孫たちに読んでもらいたくなるのだろうか。
 高齢化社会が関係していると思っているが、新聞の広告欄に自分史の自費出版を勧める広告が目に付くようになった。また、これら広告を念頭に置いたのか否か、そしてどのような記事内容かは全く不明だが、週刊誌の特集記事の見出しに「自分史は書くべきではない」というのがあるのを見つけたこともある。
 広い意味では自分史の一部と言っていいのだろうか、自らが経験したある特定の事柄を綴った本もある。
 16年かけて夫婦で東海自然歩道を歩き通した経験を纏めた「歩いた、よかった、ふれあった。」(田中正八郎、田中はるみ、山と渓谷社MY BOOKS)はこの範疇に含まれる本である。
「山らしい山に登ったこともなく、休日に近所を散歩する程度の中年夫婦」が、東海自然歩道を16年かけて歩き「私たち夫婦は本当に何でも話し合うようになった…三重県に近付くにつれて妻は『もう定年離婚はしなくて済みそう』と、にっこりした」で終わるこの一冊は、ある意味で著者2人の自分たち史である。
 現在と異なり東海自然歩道1,343km(当時、現在は1,697km)に関する案内書は少なく、情報の入手方法も限られた中にあって、夫婦がいろんな方法で情報を集めながら、時間をかけてゆっくりと歩き通した全ての記録を綴ったものである。
 自宅から出発し自宅に帰る2泊3日あるいは3泊4日というスケジュールで、33回に分けて、東京都八王子市高尾の「明治の森高尾国定公園」から大阪府箕面市箕面の「明治の森箕面国定公園」に至る東海自然歩道を踏破されたのであるが、その間の記録が日記形式で、途中での人との触れ合いやそのことにより得られた情報も含めて実務的かつ詳細に書かれている。
 この本を読み始めてチラッと「私たちも…」と思ったが、「急角度でどこまでも高い壁のような山肌が立ちはだかる。そこを細々と続く道を見上げたとき『もうダメ、歩けない』と道に座り込んでしまう。今来た道を戻るのも地獄、帰るに帰れず、進むに進めず…窮地に陥る」の記述を読んだときには私の単純な思いはすぐに消えた。
 この記述はご夫婦が歩かれた時点での嘘偽りのない実感だったのだろうが、あとがきでは「歩道上の三大難所はさすがに大変であったが、無理をしなければだれでも歩ける」とお書きになっている。
 これから東海自然歩道を歩かれる方々にとって参考になる書物であると同時に紀行文として読んでも楽しい書物であると思った。
 私には旧街道を歩くことを趣味としている自称「アル中」患者の友人がいる。本人は「歩き中毒」を意味するこの言葉が気に入っているようだ。自身の毎回の歩きについて記録を取っているか否かは知らないが、その自称「アル中」患者が、この本を読めばどのような感想を聞かせてくれるだろうか。

「古文研究法」
2021/09/08
KEI
ハナトラノオ  中古の人々の衣装について、束帯(そくたい)は第一礼装で大礼服のようなもの、狩衣(かりぎぬ)はモーニング程度の礼服、直垂(ひたたれ)は背広にあたる、もともとは身分の軽い庶民の着物であった素襖(すおう)は武士の通常服になった、といった知識とそれぞれの内容や着る順序など細かいことを知ったのは、学習参考書の「古文研究法」(洛陽社)の説明文からだった。
 この「古文研究法」の著者は十数年前に91歳でお亡くなりになった筑波大学名誉教授・文学博士の小西甚一氏である。氏は1951年に36歳という若さで日本学士院賞を受賞されている。勲二等瑞宝章も受賞され、文化功労者にも名を連ねておられる。
 その大学者が1955年、40歳のときに出された学習参考書が、この「古文研究法」である。私はこの本によって小西甚一という碩学の名を知った。
 その「はしがき」には、「これからの日本を背負ってゆく若人たちが、貴重な青春を割いて読む本は、たいへん重要なのである。学者が学習書を著わすことは、学位論文を書くのと同等の重みで考えられなくてはいけない」と意気込みを述べ、当時の「えらい先生の名になっているが、中味は大学院あたりの学生が他の参考書を抜き書きし寄せ集めた」参考書を批判している。
 もともと古文が大好きだったこともあり、参考書としてこの本を使ったのだろう。そしてこの本が大好きになったのだろう。「学者が学習書を著わすことは、学位論文を書くのと同等の重み」との語句は今でも覚えている。
 これらのことの結果、受験後も処分することなく手元に残し、さらに40頁分が増えた改訂版も買って結果的に書棚には2冊が並んでいる。
 このようにこの本に愛着を感じているのは私だけではない。私が買った改訂版には茶色に変色した19981129日付の朝日新聞の切り抜きが挟まれている。
 そこでは「書棚から」の欄に、同社編集委員の河谷史夫氏が5段の文章を載せている。「どうせろくでもなかった(受験の)記憶を一掃すべく、昔のものはすべて処分したが『古文研究法』(洛陽社)だけは後に古本屋で買い戻し今もわが書棚にある。大学の先生が片手間に書いたような類書を圧していて、著者はただ者ではないと感じたものだ」と。
 この本の「はじめに」として書かれているたった6頁の文章は国語を勉強するに際しての根本、基礎を教えてくれる。
 曰く「国語はたいへん筋道の立った勉強が必要なのであって、つかみどころの無いような勉強のしかたでは話にならない。…頭をしぼらなければ、ぜったい力はつかないのである。…勉強に筋道を立てないから、ぼんやりした印象しか残らないのである」
 そして具体的に「語学的理解、精神的理解、歴史的理解」に分けて説明する。
 その説明は痒い所に手が届くように親切である。例えば「語学的理解」では「はかなし」という言葉については次のように説明している。
「はかがゆく」「はかどる」「はかばかしい」などの「はか」を「なし」で否定した形。
どしどし行ける感じの反対が基本意味だから、いろんな訳があるけれど、要するに消極的な感じである。がっちりした、巨大な、確実な感じと反対だと思えばよい。訳語は、前後の関係に注意して択ばなくてはいけない。
 この説明に加え「はかなし」の意味について(1)長もちしない・頼りない・確かでない(2)つまらない・ちょっとしたことだ・問題にならない、と訳語を示し、例文をあげて丁寧に説明する。
「精神的理解」について言えば、例えば「社会」という項目では「政治のしくみ」「教育と学芸」「経済および貨幣」と分けて、極めて具体的に説明する。
 この文の最初に書いた衣装についての説明を含めて、これらは別の言葉に言い換えれば「古典を読むのに必要な常識」ということになろうか。いろんな方向からこれら常識を教えてくれる。
 何十年か振りに適当なところから読み始めたが、時間を忘れて、面白くかつ楽しく読み進んだ。

「邦人奪還」
2021/09/01
KEI
 副題に“自衛隊特殊部隊が動くとき”という語句が付された、2020年6月発行の小説「邦人奪還」(伊藤祐靖、新潮社)を知ったのは、同年8月頃のラジオ番組からだった。どの様な紹介だったかは今では全く覚えていないが、直ぐに図書館の所蔵を検索し、予約したのだから何か感じる所があったのだろう。
 予約したことも忘れていた半年後に図書館から連絡があり、借り出し読み始めた。プロローグの尖閣諸島魚釣島に上陸、同島を占拠した中国人5人を自衛隊特別警備隊の3人が“蒸発”させる話から引き込まれ、あっという間に読み終えた。
 主たるテーマは、クーデターを起こした可能性のある北朝鮮軍部がミサイル発射を企図していて、その発射基地の近傍に日本人拉致被害者6名が居住する施設がある、という情報がもたらされ、この所在の分かった6名の拉致被害者を奪還するという話である。元自衛官で海上自衛隊特別警備隊の創設者という作者が描くオペレーションは、臨場感が溢れ迫力満点である。
 6人は無事救出されたが、31名の自衛隊員が亡くなった。
 この奪還計画に際し、政府トップの会議でなされた我が国の安全保障法制や自衛隊の位置付け等に関する議論、さらになぜこの奪還計画を遂行しなければならないのか、奪還の代償として生じる多大な犠牲を直視できるのか、といった本来ならもう既に結論が出されていなければならない問題についての記述(103頁〜150頁)には考えさせられるところが多かった。
 この欄での政治的な議論は相応しくないが、私も含めた我われ日本人は結論を出さなければならない問題に目を瞑り、あるいはそれを避けて生きているように思った。
 ここまで書いて、数年前の度重なる北朝鮮のミサイル発射や核爆発実験の結果、始まった朝鮮半島有事の際の在韓日本人の救出についての議論を思い出した。この議論がなされていた当時の長期滞留の在韓日本人は38,000人を超えており、出張者や旅行者の数を入れると韓国滞在日本人は6万人近いとも言われていた。
 有事の際にこれら日本人をどのように帰国させるかが、議論されていたわけであるが、その後どうなったかは寡聞にして知らない。“喉元過ぎれば熱さを忘れる”というのだろうか。

すごい美味しい
2021/08/25
KEI
 テレビ画面から「すごい美味しい」という声が聞こえて来たり、画面の人物が「すごく美味しい」と正しく発音しているのに、画面の文字では「すごい美味しい」となっていたりするのを見ると、私は非常に違和感を覚える。
 手元には「名鏡国語辞典」編者の北原保雄氏の編になる「問題な日本語」(大修館書店、「な」だけが色を変え、少し斜めになっている)がある。この本はいろいろな問題表現を4〜5頁で、「どうしてそういう表現が生まれてくるのか、誤用であったとしても、その誤用が生まれてくるいわば『誤用の論理』は何なのかを究明」している。
 前掲の用法「すごい美味しい」について、同書は「形容詞を連用修飾に用いる場合は、連用形(副詞形)の『〇〇く』の形で、『おそろしく光る』『えらく疲れた』『すごくおいしい』のような言い方をするのが普通です」と説明しつつ、夏目漱石(「恐ろしい沢山書いたね」)、樋口一葉(「恐ろしい長い物を捲(まく)り上げる」)、泉鏡花(「恐ろしい利く唐辛子だ」)、野坂昭如(「ものすごいまずい」)、曽野綾子(「すごい立派な干菓子」)を例に挙げ、「戦後の作品には見られますが、比較的新しい用法のようで、不自然に感じる人も少なくないのでしょう」と説明する。
 そして「『おそろしい』、『えらい』、『すごい』という形の副詞があると考えてもよいのではないでしょうか」と誤用に理解を示す。
 このような私が不適切ではないかと思っている用法、例えば「こちら○○になります」「猫に餌をあげる」「とんでもありません」などについて、その依って来る所を説明しつつ「語構成や昔の言い方がどうだったかといった固定的な見方で正しいかどうかを判断するのは適当ではありません。文法的な解析や過去の用法の吟味とあわせて、現在の生きた用法をしっかり見据えることが必要です」としている。
 そういう考えかたもあろうとは思うが、私は言葉の乱れは文化の乱れを齎(もたら)すのではないか、なんて大袈裟に考えてしまう。
 それまで正しいとされてきた言葉や表現では言い表せない物事、現象や状況が現れたときに新しい表現が生まれるのは当然である。しかし、知識の不足から生まれる誤用の結果としての新しい表現は「いかがなものか」と思ってしまうのだ。
 昔、フランス語を勉強していた時に「明晰ならざるものフランス語にあらず」(Ce qui n'est pas clair n'est pas francais.)という言葉を知った。この言葉が表しているように、フランス語は明晰で、論理的で、さらには美しい言葉である。
 外国語と日本語を比べることは意味がないと言われそうだが、明晰性や論理性は別にして、美しい言葉が誤用の結果美しくない言葉に変容して行くのをみることは余りにも残念である。

男の美学
2021/08/18
KEI
 2020113日のNHKのラジオ深夜便アーカイブス「人間国宝に聞く」で講談師・神田松鯉さんが「男の美学」というテーマで話をされていた。講談でよく出てくる“義侠心”や“恩を忘れない”ということも含め興味深い話だったが、私は変なことが気になっていた。それは「男の美学」という言葉についてだった。
 ロマンあふれるこの言葉、「男の美学」が意味するいろんな事柄については、今まで多くの先人が考えるいろいろな内容を読み聞きしていた。そしてそれは直接間接に私の人格形成にも関係していたと思っている。ということでこの言葉は私にとっては好ましい言葉、憧れのフレーズでありこそすれ、それ以外の意味は存在しない。
 私が気になったのは「男の」という形容である。なんでもかでも男女平等、性差別を云々する最近の風潮から文句が付けられるのではないか、と外野席から危惧しただけのことである。どうして「男の」美学なのか、なぜ美学は男だけのものなのか、などと非難されそうに思ったという次第。
 しかし、坂東眞理子・昭和女子大学総長のベストセラー「女性の品格 装いから生き方まで」(PHP新書)という本もあることだし……と理由にもならない理由を付けてこの問題には深入りしないこととした。
 本題に戻る。
 神田松鯉さんの話を聞きながら、私は塩野七生さんの菊版の「男たちへ」「再び男たちへ」(いずれも文藝春秋社)と池波正太郎さんの「男の作法」(新潮文庫)、「男のリズム」(角川文庫)を思い出していた。
 塩野さんの本は、2冊で600頁を超える堂々たるもので、「フツウの男をフツウでない男にするため」「フツウであることに満足できなくなった男のため」として120の考え方がエッセイの形で提示されている。
 その一つ、「装うことの素晴らしさ」の項では「装うとは、着る人間の個性に合ったものであるべきである、という従来の考えに、私はまったく賛成しない。装うとは、着る人間がどのような個性を生きたいかで、決まるものだと私は信じている」と書く。「男が上手に年をとるために」では、10の戦術が楽しく書かれている。その7は優しくあることであり、8は清潔であることである。
 池波さんの本からは、正しいお酒の飲み方やちゃんとした店での食事の作法を教わったように思っている。それまででも礼儀正しさや正しい言葉遣いは心掛けていたが、これらについてその本質をそれとなく教えてくれる人はいなかった。
 さらに、時間の管理について池波さんからは「余裕を持って生きるということは、時間の余裕を絶えずつくっておくということに他ならない……わかっていることはすべて予定を書き入れて余分な時間を生み出す……そうすることが、つまり人生の余裕をつくることなんだよ」と教わった。
 神田松鯉さんの話から、いわゆるハウツー書ではなく、それぞれの世界で一流の人物が、経験から語ったり、書いたりした人生哲学書のことをチラッと思い出したことである。

新書365冊
2021/08/11
KEI
 毎日の通学時間を使い、当時1冊30円だった70頁前後のアテネ文庫(弘文堂の学術系文庫、1948年創刊、301巻をもって刊行休止、2010年より一部につき復刻版刊行)をジャンルを問わず毎日1冊読破していた時期があった。内容を理解していたか否かは極めて疑問であるが、買った本は全て電車内で読み通したことだけは間違いがない。
 若い一時期にこのような自慢にもならない経験をした私であるが、「新書365冊」(宮崎哲弥、朝日新書)を書かれた宮崎哲弥さんには脱帽した。宮崎さんは20037月から20063月までの33ヶ月間、毎月発行された新書全冊を読破し評価するという、私から見れば無謀な計画を実行された。宮崎さんによると「(毎月)手にした新書は、少ないときでも60冊、多いときには100冊にものぼった」そうだ。
「新書365冊」はこの33ヶ月間の無謀な行為とそれに先立つ1年半の新書紹介を含めて新書をジャンル別に纏めたアンソロジーである。と同時に優れた新書書評集でもある。
 岩波新書を始めとして〇〇新書という名で発行されている書籍は多いが、私は最近発行される新書の幾つかについてちょっとした疑問を抱いている。私は新書というものは「背後にしっかりした学問の体系があり、それをあえて表に出さずに易しくものを解き明かす」ものだと思っていた。学問的レベルを落とすことなく平易に書かれた入門書だと信じていた。ところが、最近では「学問的基礎もなしに、単なる思い付きを書き連ねたような本が多い」と宮崎さんと同じ感想を抱いている。
 とは言いつつも、私自身もサラリーマン時代には入門書ならぬ門前書のような時流に沿っただけの新書を数多く購入していた。正直に白状するとほとんど全てがこのような新書だった。思い返してみると、手っ取り早く時流に乗った諸々を表面的に理解するために読んだようなものだった。
 宮崎さんはこの本で自らが読んだ新書を分類し評価されている。Bestとされた本についてはきっちりと具体的に評価し、その内容を纏めている。Betterとされた本については、問題点や検討不足を指摘したりしている。Moreとされた本については50字から200字ほどで簡単に内容を説明している。
 そして最後の第16章の「問題な新書」(「な」には上部に点が付されている)では19冊がWorstとして掲げられ、宮崎さんはこれらを短い文章で批判している。一番短いのはたった1行、14字で切り捨てている。
 宮崎さんがこの本のために新書を読まれた期間に、私も何冊かの新刊の新書を読んだが、私が読んだ本は一冊も批評の対象にはなっていなかった。批評・批判の対象にすらならない本、あるいは可もなく不可もない本ばかりを選んでいたのだろうか。

「大作家は盗作家(?)」
2021/08/04
KEI
 マスコミで著作権侵害問題が報道され、議論されているのをみると、いつも反射的に一刀両断の解決は難しいだろうな、と思ってしまう。対立している双方の意見や見解を聞くと、外野席からではあるが、それぞれについて「それもそうだ」「そのような考え方もあるなあ」と同情したり、一方の当事者の立場に立ち、相手方の見解に憤慨したりする。
 著作権侵害をテーマにした永田眞理さんの「大作家は盗作家(?)」(こう選書)の最初の章に揚げられた例を読んで頭を抱えた。そこには島崎藤村の詩「逃げ水」と讃美歌が並べられていた。
 それぞれの最初の1聯を転記すると「ゆふぐれしづかに ゆめみんとて よのわずらひより しばしのがれる」(島崎藤村「逃げ水」)、「ゆふぐれしづかに いのりせんとて よのわづらひより しばしのがる」(讃美歌319番「わずらわしき世を」)である。
 ほとんど同じではないか、と思った。
 次に述べられている例は人口に膾炙している「夜明け前」の冒頭部分である。この文章と江戸時代の紀行文作家・秋里離島の「木曽路名図絵」の一節を比較している。この文章も見方によっては「藤村は離島の文章を現代風に翻訳したに過ぎない」と言われそうだ。
 この本はいろんな例を挙げて、著作権というものを考えさせてくれ、以後私が著作権問題を考えるときの多面的な見方を教えてくれたように思っている。「翻案と剽窃」「素材と小説」「引用の作法」「ゴーストライター問題」「パロディ論争」「換骨奪胎と本歌取り」などなど。
 私は俳句や短歌を作ることはできないが、17文字、31文字で作られるこれら短い文学にあっては、ひょっとしたら先人の作と同じようなものになり、あらぬ疑いがかけられるのでは、などと思ってしまう。俳人、歌人の皆さんはどのように考えていらっしゃるのだろうか。
 また、辞書などは先人の業績の上に築かれるものであるが、語句の解釈は別として掲載されている用例、例文などについて著作権問題をどう考えればいいのだろうかとも。
 著作権については著作権法という法律が制定され、そこでは著作物について「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(第2条1項)と定義しているが、この文章の解釈が一筋縄ではいかない結果、著作権の侵害問題についてもいろいろな見方がなされることになる。そしてそれは時代により変わって行く。
 著者は「日本にもっと深く個人主義が根をおろし、日本人の間に独創性、個性尊重の思想が徹底しないかぎり、安易に剽窃と創造の間に一線を画することはできないのではあるまいか」と締め括っている。

「池波正太郎のそうざい料理帖」
2021/07/28
KEI
 この「池波正太郎のそうざい料理帖」(矢吹申彦、平凡社)は古本屋で見つけた。
 内容は池波さんの「食卓の情景」(新潮文庫)、「味と映画の歳時記」(新潮文庫)、「池波正太郎の銀座日記(全)」(新潮文庫)、「食卓のつぶやき」(朝日文庫)、「小説の散歩道」(朝日文芸文庫)といった食日記や食エッセイに書かれている料理について、手順をイラストで再現したものである。そしてそれぞれの料理には3〜4頁の池波さんの文章が引用されている。
 料理や食事に関する池波さんのエッセイのほとんど全てを読んだと思っている私にとっては、引用されている文章はとても親しい。引用されている文章の前後まで思い出されるものもある。「小体(こてい)な料理屋」「小鍋だて」「つけ場」などの言葉は池波さんのエッセイで学んだ。
 取り上げられている料理は「あくまで素人でもつくれる江戸・東京風の『そうざい』」とある。とは言うものの、目玉焼きしか作ることができない私には再現は無理だろう。
 このようなことを思いつつ、インターネット検索画面に「池波正太郎 料理」と打ち込んでみた。驚いたことにcookpadには「池波正太郎レシピ」として31品の再現料理が掲載されていた。「池波正太郎先生の〇〇」とか「池波正太郎好み○○」とか「池波流○○」と言った命名だけでなく「剣客風〇〇」「梅安風○○」「鬼平江戸の味○○」もあった。皆さんそれぞれに楽しんでいらっしゃる。
 皆さんが池波さんの料理をこんなに楽しんでいらっしゃるのなら、池波小説のファンが、小説の主人公が活躍した場所を訪れて、そこで蘊蓄を傾け、一献傾けつつ小説の中に描かれた料理を食べる、というテレビ番組があってもいいではないか、と思った。
 調べてみると、時代劇専門チャンネルで2013年から2014年にかけて『池波正太郎の江戸料理帳』全26話が2クールに分けて放映されていたという。池波正太郎ファンが考えることは同じということか。
 放映当時にこの番組を知っていたら、と少し残念に思ったことである。

古色蒼然たる文庫本
2021/07/21
KEI
 文庫本は処分すべき書籍の筆頭にあげられるだろう、とは私の独断である。理由はいろいろと思いつくが、それぞれに異論が出そうに思われるので、ここでは「議論は避けるに如かず」がベストの選択か。
 私が蔵書の整理に際し最初に手を付けたのは文庫本だった。殆ど全巻が揃っている気楽に楽しんだ推理小説家2人の著作と最近数年間に購入した本を除いて原則として全て処分した。処分対象は小さな活字の国内外の小説類が中心だった。買ったものの読まなかった小説もあった。
 ところが、思い切りが悪く幾度も処分すべきだと思ったものの、それでもなお捨てられない古色蒼然たる9冊の文庫本が手元に残されている。もう読まない、残しても意味がないと理性では結論付けるが、感情は処分することを拒絶する。このようにして何年も経過した。
 これらの本は残すことに決めた文庫本の隣に纏めてそっと置かれている。統一性のないことおびただしいが、私は勝手にこれら9冊の存在感は大きい、と思っている。
 この9冊のタイトルを見る限り、残すことについての選定基準がないように思われそうだが、それぞれの本には10代後半から20代前半の私の思い出が詰まっている。映画「奇跡の人」の入場券の半券が栞代わりに挟まれているのもある。通っていた中学校・高等学校の近くの書店の名前が印刷された栞が挟まっているのもある。
 敢えて利用価値があったという説明をすれば、10年近く前にはハイデルベルク訪問に先立ってこの中の一冊を再読したし、数年前には書きつつあった文章の正誤を確認するために該当個所を探したし、などと理由にならない処分できない理由も頭をよぎる。
 処分するつもりはさらさらないが、もし処分したとしたら今後これら9冊は入手可能かはちょっと気になる。インターネットを使い調べたところ、現在でも古本で全て入手できそうだ。値段は1円の本もあり、100円強の値段がついているのもあり、3,750円の値段がついているのもあった。無料の電子書籍もあったのには驚いた。
 以上が処分できない古色蒼然たる文庫本の話である。
 ちなみに私が処分を躊躇っている9冊の古い文庫本は、恥を忍んで書き出すと、次のようである。このタイトルを読まれた方は統一性の無さに呆れられただろう。
 吉田精一著「日本近代詩鑑賞」(明治編、大正編、昭和編)(新潮文庫)、鶴見祐輔著「子」(上・下)(角川文庫)、亀井勝一郎著「大和古寺風物詩」(新潮文庫)、会津八一著「自註鹿鳴集」(新潮文庫)、テニスン作・入江直祐訳「イン・メモリアム」(岩波文庫)、マイアーフェルスター作・番匠谷英一訳「アルトハイデルベルク」(岩波文庫)

1冊で1000冊
2021/07/14
KEI
 現役の頃、たまに若い友人からある特定のテーマについて読むべき本、あるいは参考にすべき文献の紹介を頼まれることもあった。そのようなときは、何冊かの本を選び、基本的な書物はこれ、手っ取り早く概要を知るにはこの本、最近の研究成果はこの論文集などとその特徴を踏まえて話していた。
 手元には現在テレビ画面でもお馴染みの宮崎哲弥氏の「1冊で1000冊 読めるスーパー・ブックガイド」(新潮社)という俗な表題の著書がある。この本の表(おもて)表紙の裏には宮崎さんのサインが書かれている。私は昔から宮崎さんのファンであるが、わざわざサインを貰うような趣味もない。書店で「サイン本」として売られていたのを買ったのだろう。
 この本は一言で言うと極めて優れた読書指南本あるいは読書案内本である。
「日々生起する事件や事故、社会問題から『お題』を抽出し、その関連書籍を紹介し、評釈を加えて」いる。氏の言によると「テーマに関係する10冊から20冊ほどの対象書をリストアップし、本を集め、四日ほどで卒読し、冊数を絞り込み、再読し、それらの位置付けを示し」たものである。週刊誌連載という性格上、この作業を一週間でしたそうだ。驚くべき読書能力であり読書量である。(私はここで言われている“卒読”という単語の意味を知らなかった。広辞苑で調べると「本をざっと読み終えること」とあった)
「新世紀教養講座」と題して135回、「ミヤザキ学習帳」として119回、合計254回即ち254週の成果が並んでいる。
 前者について言えば、例えば異常気象について第120回講座として「世界的異常気象は環境危機か?地球温暖化への真っ当な異論」との表題のもと、「異常気象はこう読む」(浅井富雄、小学館文庫)、「モルジブが沈む日」(B・リース、NHK出版)、「環境危機をあおってははいけない」(B・ロンボルグ)、「地球温暖化」(伊藤公紀、日本評論社)、「地球温暖化の真実」(住明正、ウェッジ)を取り上げ、1頁約770字でそれぞれの内容と宮崎さんの意見を要領よく説明している。
 そして後者では、例えば、2005425日に起きたJR西日本福知山線脱線事故については、「血で錆びた鉄路――鉄道事故との戦いの歴史を振り返る」との題のもと、十字の横軸左側に「安全重視」を、右側に「効率重視」を取り、縦軸上部に「技術」、下部に「制度」を取った四角形に、絞り込まれた関係書籍6冊を、それぞれの内容と特徴を100字から200字で纏めた上で、該当する場所に配置している。
 正直に白状すると、宮崎さんがこの本で紹介している1,355冊のうち私が読んだのは両手で数えられるほどにしか過ぎない。買ったのはもう少し多い。が、もし私が将来これらの問題について考えよう、と思ったときには素晴らしい指南書になるだろうことは間違いない。

自ら老いを戒める
2021/07/07
KEI
 最近、「キレる老人」と言う言葉を以前に増して聞くことが多くなった。残念ながら街中(まちなか)でこれらの人を目にすることもある。専門家はその原因をいろいろ説明してくれる。
 しかし、私は病気に起因するものを除いては、それぞれの人の心の持ち方の問題だろう、と単純に思い、自らはこのような「キレる老人」にならないようにと身を処している(つもりである。)
 還暦が近くなった頃に書店で手に取り迷わず買った本が曽野綾子さんの「完本戒老録」(祥伝社)だった。この本は現在89歳の曽野さんが65歳を迎えるころに刊行されたもので、その副題は「自らの救いのために」である。
 曽野さんのエッセイや評論は宗教的思惟を秘め、思いやりがありつつ視点がきっちりと定まっており、それに加えて切れ味がよく、私はそれまでにもかなりの冊数を購入していた。
 この本は三回目の改訂版であるが、どこから読んでも智恵が与えられ、考えさせられる箴言が、3つに分類して合計121並んでいる。例えば、


他人が、何かを「くれる」こと、「してくれること」を期待してはいけない。そのような受身の姿勢は、若い時には幼児性、年とってからは老年性と密接な関係を持つものだからである。
 曽野さんは別著「晩年の美学を求めて」(朝日新聞社)で「くれない」族と言うタイトルで「自分の精神がどれだけ老化しているかを量るには、どれくらいの頻度で『くれない』(「誰々が何々をしてくれない」と言う言葉)を発するかを調べてみるといい」とも書いている。

若さに嫉妬しないこと。若い人を立てること。
 これがなかなか難しい。すぐに大人気(おとなげ)のない行動をしそうになる。

明るくすること。心の中はそうでなくても、外見だけでも明るくすること。
 曽野さんの「老いの才覚」(ベスト新書)にある「いくつになっても『精神のおしゃれが大切』とも一脈相通ずるのだろうか。

嘘をつかぬこと。
 これには、注が要りそうだ。曽野さんは「日本人には遠慮という表現法があるから、その嘘も、決して悪意からでたのではないのである」と書き、「むしろあからさまに、自分の望みを言うことのほうが、はたから見てかわいらしい老人に見える」と書いている。遠慮という名の嘘の意である。

攻撃的であることをやめること。年寄りは、保守的どころか、破壊的、攻撃的である。口汚く、人やものの悪口を言わないこと。
 曽野さんは「怒り、ののしることは、自分を受け入れられなくなることに対する八つ当たりだと自戒したい。……どうしても関心や同感がもてなかったら、ただ静かに遠ざかればいい」と書く。精神衛生上もその方がいいと私も思う。

他人の手を借りる時は、職業として割りきってやってくれる人を使うこと。他人の好意をうまく利用しようとするさもしい根性はいけない。
 高齢者に手を貸すこと自体が喜びだと考え、実行する人びとも数多く存在する。私の身近にもいらっしゃる。「それをする人」と「それを受ける人」との関係を外野から見ていると上手くは説明できないが、実に理想的のように思われる。
 そして曽野さんは「ここに書いてあることの、どれ一つとってみても、私はそれにまったく反対の生き方があることを肯定する」と書く。確かに人生というものは人の数だけあり、それぞれが人生なのだから。
再びフェルメール
2021/06/30
KEI
 図書館の書棚を眺めていると「挑発の画家 フェルメールの謎と魅力」(西永 裕、秀和システム)が目に付いた。フェルメールがいったい何を挑発しているのか、少し興味を抱き借り出した。
 フェルメール作品は数が少ないためか、そこに描かれている窓や地図などのモチーフ、人物やその衣装、さらには消された画面などを手掛かりに一つの物語を紡ぎ出すことができる。このことについては多くの研究者がそれぞれの意見を発表している。
 しかし、この本では同じ衣装を着た女性が描かれている二つの絵から一つの物語を私の目の前に提示してくれた。
「兵士と笑う女」は壁に大きな地図がかけられた窓のある部屋で、後ろ向きの兵士と話している手にワイングラスを持った女性が描かれている。「窓辺で手紙を読む女」は一人の女性が窓に向かって立ち手紙を読んでいる。というより読んだ後に手紙の内容を思い返しているように見える。壁には地図はない。この二つの絵それぞれはそれだけで独立した素晴らしい絵である。
 特に後者は、私の一番好きなフェルメール作品であり、その絵葉書は写真立に入れて書斎に飾っている。この絵を眺めながら私はいつも彼女が読んでいる手紙は恋文であるに違いない、と理由のない憶測をしている。恋文とすればどのような人物からのだろうかとも考えている。
 この二つの絵が描かれた時期は、研究者によってその前後が異なるが、ほとんど同じと考えられている。もし前者が後者の前に描かれていたとしたら、この二つの絵から一つの物語を紡ぎ出すことができると著者は言い一つの仮説を述べる。
 前者は、描かれている地図と兵士の衣装から判断して、海外から帰国した兵士が異国での珍しい話あるいは冒険談を女性に話し、ワイン片手の女性はそれを夢中で聞いている。そして後者では再び遥かな異国へ旅立った兵士から来た手紙を読み、相手が今どうしているかと深く考えている、という仮説である。
 その他、二つの絵(「取り持ち女」と「眠る女」)に描かれている女性の顔がとてもよく似ていることから一つの物語を考え出すことや壁に掛けられた地図が同じ(「青衣の女」と「兵士と笑う女」)であるのになぜ色が違うのか、などについても楽しい推理を提供してくれる。
 この本は、男女の問答形式で書かれた書物であるため読み易く、さらにこの手法はいろんな見方を提示するのに有効だとは思うが若干議論が散漫になっているのは残念である。が、好意的な見方をすれば、読者に自らの感性と知識で考える余地を残してくれたのだろう。
 著者が本書で取り上げている異なった絵に同じ衣装が描かれているということやモデルの顔がよく似ているということについては、別の解釈があり、私はその別の解釈が真実だろうと思っているのだが。
 このようなことを思いつつ、著者の提示した疑問や解釈を、フェルメール全作品の大判のカラー写真を横に置いてそれを参照しつつ、緊急事態宣言下の雨の一日を過ごしたことである。

「青春」という名の詩
2021/06/23
KEI
 私が現役の頃だったが、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたをいう」や「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」という語句が含まれているサムエル・ウルマンの詩「青春」は、多くの企業人に感銘を与え、いろんな挨拶の場で語られ、新聞紙上、社内報上で報じられていた。週刊誌も特集を組んだ。
 最近2〜3ヶ月の間に何回か、新聞記事あるいはテレビ報道でサムエル・ウルマンの名と彼の有名な詩である「青春」という言葉を目にし、耳にした。老齢化社会との関係だったかどうかは記憶していない。
 このことが、当時東洋紡会長だった宇野 収氏と千代田化工建設に勤めていた作山宗久氏の共著になる「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ウルマン」(産業能率大学出版部)を思い出させた。
 書庫から取り出して再読したが、150頁たらずのハードカバーであったことと、共著者の一人である作山氏のあくなき事実探求の行動に興味をそそられ、2時間足らずで読み終えた。再読しつつ、事実解明の中心的役割を果たしたアラバマ州バーミンガムの公立図書館での調査については全く覚えていないことに我ながら呆れた。
 日本で語られている「青春」には幾つかのバージョンというか、異同がある。作山氏は調査の結果、9個のバージョンを確定し、その関係をとても分かり易い表に纏めている。そして「八十年の歳月の頂から」というウルマンの親族による自費出版の書物(1920年発行)の巻頭にある詩がオリジナルであると突き止めた。このくだりはとても興味深い。
 最後に作山氏は「日本の経営者は『青春』をよく引用する。彼らは人生の一時期において若い人たちではない。そして活動家である。『青春』は同時代の人々に対しての活動家の人たちからの贈物(ギフト)である。ギフトは毒に通ずる。人生を諦観のうちに終えようという人たちにとって、この贈物はどうひびくのだろうか」と書く。
 表題のテーマについてはこれで終わるのだが、以下は書中に書かれているアメリカの図書館のレファレンス・サービスについての一挿話である。
 作山氏は同氏の調査に協力してくれ、多くの資料を提供してくれたバーミンガムの公共図書館のサービスについて「こっちの要求条件さえはっきりしていれば、これだけのことをしてくれるのだから」と感謝の念で書いている。
 作山氏は同図書館に5時間近く滞在し、何部かに纏められた新聞の切り抜きファイルを閲覧し、関係のありそうなパンフレットや自費出版の書籍を読み、106枚の必要なコピーをとった。
 ライブラリアンの一人は少しだがサムエル・ウルマンについて書かれている1920年発行の「バーミンガムとその周辺の歴史」を探し出してくれ、バーミンガムに住んでいるウルマンの孫やウルマンがレイ・ラビ(ユダヤ教の指導者でそれを職業としない人)を務めていた寺院の現在のラビとの連絡も取ってくれた。
 作山氏は「私が求めた以上のことをしてもらった」「ところで連中は私のアイデンティフィケーションを要求しなかった。パスポートも出していない。図書閲覧票や複写要求票に記入してもいない」と書いている。

「英語教育大論争」
2021/06/16
KEI
 ある程度の数の人が話している言語として、現在世界には1,000強の言語があるそうだ。また、その内で最も使用されている言語は英語であり、15億人が英語を話すという。
 別のデータでは英語を母国語として話す人は3億3千万人、第二言語として話す人は5億1千万人だとされている。国際連合の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の6言語であるが、その事務局の作業言語は英語とフランス語のみである。現在の世界では英語が世界共通語と言って差し支えない。
 2019626日付の日本教育新聞によると「学習指導要領が見直され、英語教育が2020年度から大きく変わります。小学校3年生から英語教育がスタートする一方、中学校では英検準2級、高校では英検2級以上を目指した授業が展開されます。国際化が進む新時代に対応するのが狙いで、ガラパゴス化しているといわれてきた日本の英語教育に本格的なメスが入ります」とある。
 英語教育について疎い私には「ガラパゴス化」といわれても何のことかよく理解できないが、英語教育の方向はどうも会話能力増強にあるようだとは推測できる。
 御多分に漏れず私も個人教授、グループ英会話教室出席やカセットテープの利用を始め長期間に亘り多くの方法により英会話を勉強した。英会話上達に関する多くの書物も読んだ。結果はどうだったか。「言わぬが花」としておこう。
 リタイアする時点で、英会話習得に利用した種々のカセットテープ等は「不要なら処分して」と言ってその全てを英会話を勉強しているという秘書嬢に貰ってもらった。英会話上達法などとのタイトルが付された何冊かの本は全て処分した。
 手元に残したのは平泉 渉・渡辺昇一の「英語教育大論争」(文藝春秋)と何冊かの英語教育に関連する本だけである。「英語教育大論争」は、昭和49418日に参議院議員の平泉 渉氏が発表した「外国語教育の現状と改革の方向」について英語学者の渡辺昇一氏との論争を纏めたものである。帯には「英語教育百年を総決算する白熱の大論争!」「英語に関するあらゆる問題が俎上にのせられ、論争し尽くされた必読の書」等とある。
 本文中には、言語学者の鈴木孝夫氏が司会を務めた二人の対談もあり、これを含めて著者二人の主張・論争を興味深く読んだ記憶がある。
 マスコミ報道で知る限りだが、そして私の個人的感想に過ぎないが、これ以後も新しい考え方はなく、同じ議論を繰り返しているようだと思わざるを得ない。
 英語教育とはそもそも何を教育するのか、不自由なく会話ができる能力を獲得させることにあるのか、それとは異なった内容、例えば英語で書かれた書物を自由に読める能力、きっちりとした英文を書ける能力を意味するのか、私にはよく理解できない。
 英語教育について真面目に勉強したことのない私であるが、自らの経験から私はきっちりとした英語の書物を辞書を引きながらでも読めること、そして文法的に正しい文章を書けることが第一だと思っている。換言すれば外国語である英語と知的格闘をする能力を涵養することが英語教育だと信じている。
 そして英会話については「話す」能力より「聞く」能力が大事だと考えている。聞けなければ話せないし、話す内容が無ければ、話す能力は意味がないとも。
 私が身近に経験したことであるが、自他ともに英会話が堪能だとされていた私の同僚が書いた文書について、内容が理解できないと言った米国人弁護士がいた。
 また、私は英語での技術援助契約交渉が終わった後の会食時のくだけた会話は、ほとんど「聞け」なかったという経験をしている。話される知的な内容もさることながらスピードや言い回しについて行けなかったのだ。結果的にその場では殆ど「話す」ことができなかった。
「話す」能力についてもなにもネイティブと同じように話す必要はない。テレビ画面に登場するアフリカや東南アジア諸国の政治家や学者は内容のある話を自国語訛りの英語でしているが、英語が母国語の人々もきっちりと理解している。
 と、ここまで書いて最近の中学一年生の英語の教科書はどのような文章から始まっているのか気になった。
 私は、This is a pen.から英語を勉強したと記憶しているが、最近では Hello. I am Jack Smith. I am from New York. I am good at baseball. と自己紹介から始まるようだ。

ビブリオエッセー
2021/06/09
KEI
 産経新聞夕刊の一面下段に「私の一冊 ビブリオエッセー」という読者投稿欄がある。そこには600字程度に纏められた、本についてのさまざまな切り口からの文章が掲載されている。「投稿はペンネーム可」とされているが、多くの方は実名で書かれている。
 最近では、視力の衰えもあり、新聞記事については特に気になっている事件や問題以外は、「見出し」だけで済ませているのが現状である。「見出し」は必ずしも内容を正しく表現していないと言われており、事実そのとおりだとは思うが、この点については「記事全体を読まない私が悪い」と割り切っている。
 このような私であるが、このビブリオエッセー欄は比較的丁寧に読み、時には妻と感想を述べあったり、表現について意見を交換したりしている。
 投稿者の年齢は10代20代の若者から70代80代の年配者まで様々であるが、それぞれが取り上げている書物には大きな特徴がある。壮年者を含む若者が対象としている多くは私の知らない書籍であり作者である。一方、年配者あるいは老齢者が対象としている本は私が読んだか否かを別にして、殆ど全ての書名や作者名は私にとって親しい書物である。
 若者が、私にとって親しい書物を取り上げて書いているのに出会うと何となく嬉しくなるとともにエッセイに書かれている内容が気になる。心の中で私の理解や感想と私が読んだ年齢を比較してしまう。
 私と同年配の方が取り上げられている書物についての文章は、あまり違和感なく読めるのは、やはり生活してきた時代や人生経験というものが理解力を含めた読書行動に及ぼす影響が大きいのだろう、と理由もなく思ってしまう。過去の読書を思い出して書かれている文章、再読した感想が書かれている文章とエッセイの内容は様々であるが、押し並べて投稿者の心情が理解できる。
 人生の方向を決めるに際し大きな役割を果たしたと書かれている文章や失意の時に心の慰めを得たと書かれているコメントを読むと、そのような本を持っていない私は少し羨ましく思うが、ある意味幸せな人生を送ってきたことになるのだろうか。
 このような私でも、心が鬱屈したときやちょっとした励ましが欲しいとき、あるいは心に余裕を持ちたいときなどには、迷わず手にする何冊かの書籍がある。必要部分についてはほとんど暗記しているこれらであっても、現実に活字を追い、考えることにより心の平穏・平安を取り戻す。
 この欄に掲載して下さった拙文はある意味で私の「ビブリオエッセー」なのかもしれない。

「闇の絵巻」
2021/06/02
KEI
 畏友がブログで「見てから読むか」「読んでから見るか」と問題を提起していた。映画とその原作についてである。
 この文章を書きながら「2010年の春、京都国立博物館の『没後400年長谷川等伯展』で『楓図壁貼』や『松林図屏風』を見てから『闇の絵巻』を読んだのだろうか」、それとも「小説を読んでから彼の絵を見たのだろうか」と記憶を確かめた。
 長谷川等伯について伊藤若冲ほど深くは関心を持たず、澤田ふじ子さんの「闇の絵巻」(上下、光文社時代小説文庫)という小説をそれまで知らなかったことを考えると、どうも「見てから時間を置くことなく読んだ」ようである。
 長谷川等伯の名は日本史の教科書で知っていたし、テレビ画面では彼の絵を何度も眺めたが、彼の一生を描いた澤田ふじ子さんの小説「闇の絵巻」は、当時の絵師の世界の諸々を教えてくれ、とても興味深いものだった。
 能登の七尾に生まれ、そこで育った長谷川等伯(信春)は、絵師としての大望を抱き、京に上り、当時、画業隆盛を誇っていた狩野一門に対し競争心を持ち、才覚と人脈で秀吉に取り立てられる絵師に成り上がる。そして画壇主流派の狩野派を脅かすほどの人気を得る。
 しかし、画才に恵まれ跡継ぎと見込んでいた長男の久蔵が狩野一門に殺されるという不幸に見舞われる。
 澤田さんは、久蔵の葬儀について簡単に触れた後、「(等伯は)直後から、狩野一門の再起を牽制するように、目ざましい活躍をつづけた。久蔵没後の翌年、等伯は<慟哭と鎮魂の水墨画>といわれる『松林図屏風』を描きあげている」と非業に倒れた愛息への等伯の思いを綴っている。
 そして「もっとも狩野永徳の障屏絵(へだてえ)は、多くが城館をかざっていたため、戦火であらかた失われた。それにくらべ長谷川等伯の絵は、いまもおおく残っており、美術史は永徳より等伯の作品に重きをおいている」と述べる。
 ライバルの狩野永徳の活躍についても「安土築城」と題した項で、どのようにして狩野永徳が狩野一門を率い安土城を飾る数千枚にもなるだろうという障屏絵に対応したか、どのような周到な準備作業がなされたか等が詳細に興味深く書かれている。
 余談だが、狩野永徳の準備作業を澤田さんの文章で読みながら、私はなんの脈絡もなくピーテル・パウル・ルーベンス工房を思い出していた。規模も異なり目的も違うが、ルーベンスも殺到する注文に対し工房を組織して対応した。ルーベンスがチョークで描いたデッサンに数人の若い画家が色をつけ、最終的な仕上げをルーベンスが行っていたと言われている。
 最後に、長谷川等伯の「楓図壁貼」と「松林図屏風」はいずれも国宝に指定されている。前者は絢爛たる金壁画であり、後者は豊かな墨調を持つ余白美の極致といわれる水墨画である。年齢のしからしめるところか私は後者が好きである。

探した本
2021/05/26
KEI
 何かの機会に先生や読書好きの友人に薦められたり、書物の中で激賞されていたりしていた本を探した思い出話である。
 現在ではインターネットを使えば、実に簡単にこれらの書物を探すことができ、必要とあれば翌日又は翌々日に入手できる。便利と言えば便利であるが、時間をかけて本を探す楽しみが奪われるようで味気ない。
 手元にはいずれも古色蒼然とした、江藤 淳「夜の紅茶」(北洋社版と牧羊社版の2冊)、青柳瑞穂「ささやかな日本発掘」(新潮社)、中村光夫「戦争まで」(垂水書房)、塩田良平「随筆おゆき」(雪華社)、向井 敏「紋章だけの王国」(日本実業出版社)がある。
 いずれも時間がかかったが近所の古本屋、会社から最寄駅までの間にあった古書店や大学近くの古書肆を巡り探し出したものである。と言ってもこれらの本を探す目的ではなく暇潰しに訪れたときや他の本を探しているときにちょっと気を付けていただけである。
 そうそう「紋章だけの王国」は仕事で浜松に出張した時に、ふと目に付いた小さな古本屋で偶然に見つけたものだった。
 数日前に久し振りにこれらの書物を書庫から取り出し、それぞれを適当なところから読み始めたが、若かりし頃の色々を思い出した。
「夜の紅茶」の中で同名のタイトルのエッセイの最後にチラッと書かれているアメリカン・コーヒーについての「たしかに能率の味がする。ゆとりとか、香りとか、情緒とかいうものとはついに無縁な、禁欲的かつ金属的な味がするのである」などは今でも覚えている。
「随筆おゆき」の著者の塩田良平氏は二松学舎大学学長を務められた国文学者であるが、私には旺文社の大学受験ラジオ講座の現代文担当の講師としての方が懐かしい。中原中也の「冬の長門峡」についてすばらしい声で、受験を離れていろいろと幅広く説明されることを、一言も聞き漏らさないように注意して聴取していたことは懐かしい思い出である。
「紋章だけの王国」はテレビCMの歴史と構造(と言っても1953年から1976年までの20数年間だけである)を当時電通に勤めていた向井 敏氏が纏められたものであるが、現在にも通ずる何かがあるように思いながら解説されているコマーシャル・ソングやコマーシャル・メッセージについての文章を読んだ。
 ここにも書かれているが今でも懐かしく思い出すのは、レナウンの「ワンサカ娘」や明治製菓の「マーブルチョコレート」等のコマーシャル・ソングであり、さらには富士フイルムの「ワタシニモウツセマス」(扇 千景)や森永製菓の「大きいことはいいことだ」(山本直純)といったコマーシャル・メッセージである。
 もしこれらの書籍を読もうとする現代の若者は、直ぐにインターネットでアマゾンの在庫を確認するだろう。彼らに習う形で私も戯れに検索してみた。「随筆おゆき」と「紋章だけの王国」は見当たらなかったが、他は古本で入手できるようだし、「ささやかな日本発掘」などは電子書籍でも読めるようだ。

「信長の棺」
2021/05/19
KEI
 私がこの本、加藤 廣さんの「信長の棺」(上下、文春文庫)を買ったのには、今思い出すと、どうも著者に理由があったようだ。
 それは著者が元々は小説家ではなく、中小企業金融公庫(現日本政策金融公庫)に勤務後、経済研究所顧問、大学講師等を経て経営コンサルタントとして独立された人物であることとその人物が75歳にして初めて世に問うた小説であることだったことにある。
 買ってから小泉純一郎元首相が絶賛したとか、元首相の愛読書だとか報道されていたことを知った。これらの報道の結果、一気にベストセラーになったそうだ。
 本能寺の変を巡る諸々については、未だに多くの謎があり、多くの学者、研究者や巷の歴史愛好家が多くの意見を出している。
 なぜ信長の遺骸が見つからなかったのか、光秀の謀反は衝動的なものだったのかそれとも計画的なものだったのか、秀吉はなぜあれほど早く毛利と和睦でき、山陽道を「中国大返し」できたのか等々、現在でもいろいろと疑問が残っている。
「信長公記」を書いた太田牛一を主人公に加藤さんはいろいろと想像を巡らし、事実を解釈し、話を進める。加藤さんのこの本を一言で言えば「太田牛一が『信長公記』を書いていく様と行方が分からない信長の遺骸を捜す過程を描く物語である」あるいは「太田牛一の目を通して、本能寺の変を見つめた一冊である」となるのだろう。
 巻末には参考文献として、「信長公記」を始めとして、人物、東洋思想、キリスト教、地理と経済、建築、城、土木、植物、芸術、天文と10のテーマで合計32冊が掲げられている。
 土木では「明治以前土木史」と「トンネル」が参考文献として掲げられているが、「本能寺には秘密の地下道が掘られていて、万が一、敵に襲われたときにはその地下道を通って、約70間ほど離れた南蛮寺へと逃れる手はずが整えられていた」と書くために加藤さんは当時のトンネルの掘り方やトンネルの歴史まで調べられたのだろう。
 久し振りに再読したが、忘れていることも多く、新鮮な気持ちで読み進めることができたのは「忘却の功徳」か。それでも本筋から少し離れてそこここに描かれている挿話についてはかなり正確に覚えており、記憶の不思議さに少し驚いたことである。

新設図書館
2021/05/12
KEI
 気持ちのいい春の一日、いつものウオーキングのルートを少し変えて、JR東海道線沿いの緑豊かな遊歩道を歩いた。この2km強の遊歩道沿いには昨年末に新しく開館した市立図書館がある。今まで覗いたことはなかったが、ちょっと立ち寄ってみようと思った。同行の妻はその間、途中で見つけた土筆を摘んでいると言う。
 2階建の図書館の1階には2008年末に引退した初代新幹線「0系」が置かれていた。「団子鼻」と呼ばれて親しまれた人気車両である。新型コロナウイルス終息の暁にはいろんなイベントで利用されるのだろう。
 いつも行く本館(現在改装工事中)や駅前の分館とは異なり、明るく広々としており実に気持ちがいい。受付にいた職員におおよその図書の配置状況を聞き、適当に眺め始めた。すべての図書が新しく購入されたのであろうくたびれた本は見当たらなかった。
 何を借りるという当てもなく眺めていて目に付いたのが、浅田次郎さんの「パリわずらい 江戸わずらい」(集英社文庫)だった。浅田さんが直木賞、司馬遼太郎賞、大佛次郎賞など数多くを受賞されていることは知っていたが、2011年から2017年までの間、日本ペンクラブの会長を務められたことは借り出しに際しチラッと眺めたこの中の一文によって知った。
 この本はJALの機内誌に連載したものを集めたもので、これが3冊目であるとあとがきに書かれている。それぞれ原稿用紙7枚分、5頁程度のエッセイである。
 表題と初出雑誌から考えて旅に関する文章がほとんどを占めているのでは、と思ったがそうではなかった。タイトルにある「わずらい」は文字どおり病気の意味であり、「江戸わずらい」とは、参勤交代制度によって江戸詰めになった地方藩士が白米を食べることにより患うこととなった脚気のことである。「パリわずらい」とは、氏がパリに滞在すると必ず体調を崩すことを「江戸わずらい」になぞらえてそう書いていらしゃる。
 興味深く読んだのは「続・消えた二千円札」だった。二千円札は現在では全くと言ってもいいほどお目にかかれない。何年か前に、釣銭の一部として受け取ったときには、注意喚起の意味だろうか「二千円札です」という言葉が添えられた。私も受け取ったものの間違いそうで手元に置くことなく直ぐに支払いに使った。
 浅田さんは欧米では20ドル紙幣や20ユーロ紙幣が紙幣の主役として流通しているのに、それらに匹敵する二千円札が流通していないのを残念がり、「各都道府県の偉人を描いた47の自治体の二千円札を発行する」というアイデアを出す。そしてどの県は誰の肖像とするかを楽しく書いていらっしゃる。鹿児島県は西郷隆盛、高知県は坂本龍馬で決まり。岩手県は宮沢賢治か石川啄木か、島根県はラフカディオ・ハーンだろう。千葉県は伊能忠敬ではどうだろう、などと書き、この話題だと宴席は和やかになると続ける。
 その他「チップの考察」ではチップの額についての悩み、「文明の利器」では老子の「民に利器多くして国家滋(ますます)昏(くら)し」(国民生活に便利な道具が増えると、国は暗くなる)を述べ、「ちくわぶ奇譚」では氏の好物のおでん種であるちくわぶが関西には無いことを嘆く。
 どこから読んでもよい一冊であり、示唆されるところの多い一冊だった。
 私が新しい図書館を観察している間、土筆摘みに精を出していた妻は580gもの土筆を採った。甘辛く煮つけられた土筆はその夜の晩酌の一皿になった。

書評
2021/05/05
KEI
 書評から知らなかった本を知り、その後その本が愛読書の一冊となった経験は何度もある。また逆に「書評に騙された」「仲間褒め」と思ったこともある。事程左様に書評を書くことはとても難しい。その極致とも言える見事な書評に出会った。
 図書館から借り出した丸谷才一の最後の文集「別れの挨拶」、これは彼の評論、エッセイ、文庫解説、書評などを集めたものであるが、をペラペラとめくっていて「ヒーローとその恋人」に目が止まった。2011717日の毎日新聞に掲載された文章だそうだが、私が名前だけを知っている大沢在昌の「絆回廊 新宿鮫]」が紹介されていた。
 一読してこの書評の上手さに感心した。最初に主人公の紹介であるが、単に「東大法学部卒業、国家公務員試験上級職合格」と書くのではなく、「東大法学部の卒業生と聞くと、みんな何となく煙たがる。わたしにもその気持がすこしはわからぬでもない」と東京大学卒業生としての自らの経験をそっと書き、「親しくてしかも敬愛の念を抱いている知人が……何人かゐる身なのに」と続け「あ、もう一人、あれを忘れてゐた」と主人公に言及し、その輝かしい経歴について想像させる。
 そして、そのような経歴を持ち、伝説的な功績を持つ主人公がなぜか昇進せず、警部に止まっていることを述べ、この主人公・新宿鮫を眠狂四郎や金田一耕助をしのぐスターと評価する。
 その文章の褒め方は具体的でありつつ理論的である。「第一に作者の文体がいい。小説の文章として小粋である」と書き、6行ほどの例を挙げる。見事な例示である。
 実例を挙げ、文体、文章を褒めた後、第二として「小説の作りが上手い」と述べる。その意味するところを、私が正確に理解したとは思わないが「半分以上過ぎた所で、ある重要人物に変転が生ずる。これが憐憫をもたらす」と説明し「愛とも友情ともどう名づけたらいいのかむづかしい情念をめぐる悲劇性を文章だけでやって見せる」とする。
 第三として「構へが大きい」とし「東京を描くこの都市小説は、東南アジアの現在全体を扱ふ」「さらに、二十一世紀の市井風俗を題材とすると見せかけて実は日本近代史全体をとらへようとしてゐる」とその広大なスケールを語る。
 このように絶賛した後に、この小説を楽しんだ読者の一人として、最後に主人公の恋人が主人公と別れることに抗議している。コナン・ドイルがシャーロック・ホームズを滝壺で死なせた事件以来の愚挙である、とまで書き、楽しんでいる。
 この書評を読んで、直ぐにインターネットで市立図書館の在庫状況を確認したことは言うまでもない。

リタイアした企業人が書いた本
2021/04/28
KEI
 私たち写真仲間内では一斉通信する必要がある情報の連絡のためにメーリングリストを使っている。この文章を書いている時点での最新メールの番号は5,939となっていた。
 新型コロナウイルスが大きな問題になっている時期での写真展の開催の是非もこのシステムを使っていろんな観点から議論された。
 あるとき、仲間の一人から彼の友人が書いたという本の紹介が掲載された。このようなことは珍しくない。幅広くいろんな情報を交換しようということで、テーマや内容は各人の常識に任せている。
 著者は全く知らない人物だったが、定年まで勤めあげた企業人がどのような本を書かれたのか、ちょっと興味があり購入した。タイトルは「60歳からの暮しの処方箋」(西 和彦、幻冬舎ルネッサンス新書)というもので、いわゆるハウツー物の範疇の本だった。
 一つのテーマを2頁で書いてあり、その意味では極めて読み易い本だった。「我が意を得た」「全く同感」と感じた幾つかを書き留める。
「通勤とともになくなったもの」の項では、通勤時の電車内での本を読む時間、通勤時に得ていた車内広告や街の風景と人の様子からの雑多な情報のことを書いている。確かに、リタイアしてからは全てが自分の時間であり、読書の時間は大幅に増えたはずだが、読書量は激減した。街がどのように変わっているのかも判らなくなった。
「パソコン、ありがたいけれども悩みのたね」の項では、会社ではパソコンのトラブルはいつも周りの若者がさっと解決してくれた。今まで他人任せであったこれらを自分で解決するためにいろいろ試行錯誤し、問題発生のたびにノートを作っているがそれもあまり役に立たない、とかつての私と同じ悩みを書いている。このことに関しては現在の私は親切かつ有能な友人に恵まれ、何の心配もない。
「困った世代? それともパワフル時代?」と題した項目では、リタイア後はみんなでやるスタイルに慣れること、くだらないと思われる話もすべて終わりまで聞くこと、結論を急がないこと、など自らを省みて合点することの多くが書かれている。
 その他「平日のまちに気づく」「不確かになる時間感覚」と私も気付いていた諸々を具体的に述べている項目もある。
 著者は次の言葉で今までの諸々を締め括る。「『安定した地域との関係の中で、本当の自分の時間』を自信を持って、穏やかに過ごせるようになりたいものです」
 最後に「安定した地域関係」について言及されていることについては、5年間の家族帯同の東京生活、合計15年の東京単身赴任生活はあったものの、人生のほとんどを現在住んでいる地で過ごしている私にとっては、「さもありなん」と思ったことである。

「芭蕉発句新注」
2021/04/21
KEI
 新型コロナウイルス問題で外出を自粛していた期間に、安東次男さんの「芭蕉発句新注」(筑摩書房)を読んだ。この本は、私が勝手に読書の師と思っているある読書人の書物で激賞されており、かなり以前に買ったものである。購入後直ぐに読み始めたが、最初の2〜3句を読んだところで、とても私の知識や能力は及ばない、対抗できない、読み解くことはできない、と諦めた記憶がある。
 今回、時間をかけてゆっくりと目を通したのだが、それでも著者の言わんとするところ、著者の意図が充分に理解できたとは思っていない。私の知識不足、感性の至らなさを感じただけである。
 有名な「よく見れば薺(なづな)花さく垣ねかな」についての説明を取り上げてみよう。
 安東さんは、この句を次のように説明する。
 まずナズナについて、正月の若菜を代表する草だが、七草のなかで一番早く咲き始める。見つけるといよいよ春だという実感が湧く、と春の訪れを感じる草であることを言う。続いて、多くの鑑賞者が見落としているナズナの生態に触れる。
 そもそもナズナは平地の日あたりの良い場所を好む。垣根などにふさわしいのは七草ならばハコベの方だ。まさか、こんなところにも、というおどろきが初五文字に出ている。「物の性質をよく知っていてもなおかつ虚をつかれた、というところがみそである」と。
 この説明に続いて多くの人の「思弁的に云いつくろう」評釈を「血の通わぬ解釈」と具体的に批評する。
 次いで、季語やこの句に関連する後人の作品を披露してくれる。例えば「薺(摘、打、粥)という新年の季語は古くからあるが、薺の花は元禄頃までの歳時記には見当たらない」とし、ナズナの花が取上げられるようになったのは「芭蕉が面白く詠んでみせたからだろう」と言う。
 さらに、この句を踏まえて、其角の「うすらひやわづかに咲る芹(せり)の花」や蕪村の「妹が垣ね三味線草の花咲ぬ」というような「一趣向のある句が生まれてくる」といった具合である。
 至れり尽くせりの解説である。
 話は横にそれるが、先般第11号が発行された私たちの研究会の会報の名前は「なずな」である。その名の由来はこの句にあるとは発案者の言。これが一例とは言わないが、この句は多くの人に愛されているのだろう。が、果たして安東さんが解き明かして下さったような理解をしている人はどれほどか。
 この書に納められた句は137。それぞれについて1〜3頁の緊張感ある文章での評釈が続く。学校で習ったりその後知ったりした芭蕉の句は多いが、その全てについて新しい見方を教えてくれた。一句一句を丁寧に時間をかけて読み、考えるに相応しい一冊である。
 著者がお書きになった内容をすべて理解したとはとても言えないが、知的格闘をするとともに知的興奮を覚えた一冊であった。

「乗り鉄」が書いた本
2021/04/14
KEI
「乗り鉄」「撮り鉄」という言葉を知って久しい。いつの時代にも、老若男女に拘わらず、鉄道に乗ることや鉄道列車の写真を撮ることを楽しむ鉄道ファンが存在する。
 つい最近、この言葉に加えて、「呑み鉄」という言葉を知った。NHKBSプレミアムでときどき放映される「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」という番組によってである。列車の中ではお酒と窓外の風景を楽しみ、沿線の酒蔵と居酒屋を訪ねてその土地のお酒と料理を楽しむ人を言う言葉らしい。
 これらのことから故宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」(河出文庫)、「最長片道切符の旅」(新潮文庫)や「時刻表昭和史」(角川選書)を思い出した。深い教養、知識と知性に裏打ちされた格調高く、軽妙でユーモア溢れる文章で書かれたこれらは、ある時期の私の愛読書であった。著者の宮脇さんは中央公論社の編集長、編集局長、常務取締役を経て作家に転身された人物である。
 私は宮脇さんの「時刻表2万キロ」によって鉄道に乗ること自体が趣味として世間に認知されたと思っている。その結果が現在の「乗り鉄」に繋がっていると言うのが私の意見である。タイトルの「2万キロ」は当時の国鉄の旅客営業キロ数が20,992.9キロメートルであったことに由来する。宮脇さんはその全線を完乗されたのだ。
「最長片道切符の旅」では著者は、有効期間68日、65,000円の北海道・広尾線広尾駅(1987年に廃止)から九州・指宿枕崎線枕崎駅までの最長片道切符を使い旅している。どのようにして一筆書きの最長ルートを選定したのか、興味を抱きつつ読んだものだ。
 著者が自分の少年・青年時代の体験をもとに、昭和8年から昭和20年までの時刻表掲載の鉄道ダイヤ変更の歴史と同時代の歴史を辿った「時刻表昭和史」は私が最も好きな宮脇本である。
 この著書の227頁以下には、米坂線の今泉駅前で玉音放送を聞いたときの思い出が次のように書かれている。
「放送が終わっても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。…時は止まっていたが汽車は走っていた。まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。…こんなときでも汽車が走るのか、私には信じられない思いがしていた。けれども、坂町行109列車は入ってきた。…昭和20815日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」
 本稿はこれで終わるつもりであったが、以下を書いておく必要に気が付いた。
 私は前掲の文章を読んで感激すると同時に長い間、終戦の日にも宮脇さんが乗られた列車にとどまらず、全ての列車が宮脇さんが書かれているように粛々と定時運行されていた、と短絡的に考えていた。
 しかし、2013731日付の読売新聞(朝刊)の「古今をちこち」に書かれた磯田道史さんの文章が短絡的な思考に警鐘を鳴らしてくれた。
 そこには「8月15日の正午、この日誌の著者(天皇の車馬を司る主馬寮の職員)は東京で玉音放送をきいて泣いた。しかし義宮様に乗馬を教えなくてはならない。夕方の4時、上野駅から日光に向かっている。しかし敗戦のショックで『国鉄従業員為す処を知らず列車の運転、為に大遅延。夜12時に漸く日光に着く』。これがこの日誌の終戦記事である」と書いてある。
 何事も短絡的に考えず、一事が万事と思わず、事実はどうか、と考える意識や習慣を常に持つ必要がある。

霊柩のご送還
2021/04/07
KEI
 海外出張や海外旅行に行くに際しては海外旅行保険を付保することは常識であろう。しかしそれを付保した本人は自らが死に遭遇することはまず考えていない。私も同じであり“保険はお守り”程度の認識である。
 しかし、現実には海外で命を落とす人も多い。アフガニスタンで武装勢力に銃撃されお亡くなりになった中村哲医師やイラクで銃撃を受け殉職された奥克彦参事官の例もある。観光旅行でもエジプトの観光地ルクソールにおいて日本人10名を含む67名が死亡したイスラム原理主義過激派による無差別殺傷テロ事件も起こっている。ニュージーランド南島のクライストチャーチで発生した地震によっては日本人留学生28人が亡くなった。
 外務省の海外邦人援護統計によると、2019年には529人が海外でお亡くなりになっている。
 国際霊柩送還士との副題のあるノンフィクション「エンジェルフライト」(佐々涼子、集英社)を読んで、外国でお亡くなりになった人々のご遺体を日本に送還し、エンバーミングを施し、遺族へ送り届けるまでの諸々、さらにはこれらを巡る種々の問題を極めて具体的に知ることになった。
 この本の最初に現れる鉄板で封をされ海外から搬送されてきた箱に入ったご遺体の描写は、私の想像を絶するものであり、思わず目を背けたくなった。
 この本で描かれている人物たちはこのような状態のご遺体をエンバーミングして生前のような状態に戻しご遺族に届ける。
 彼らは日本で最初に設立された国際霊柩送還専門の会社エアハース・インターナショナルの従業員たちである。この本は彼らの現実の活躍やご遺体に対する思い、遺族との関りなどを抑えられた筆致で紹介している。読みつつ何度か涙を流したし、鼻の奥がツンとなった。
 国際霊柩送還の仕事について著者は「海外で邦人が亡くなった場合は、まず現地において警察による検視や遺族による本人確認が行われる。その後さまざまな書類上の出国手続が取られるとともに、現地の葬儀社やエンバーマーが適切な処置をして遺体を飛行機などに乗せ、日本へと送る。日本に到着した遺体はエアハースが必要な処置をして、自宅や葬儀社に送り届ける」と説明する。
 現地でご遺体の状態を見て本人と確認した人びとの多くは、国際霊柩送還され入念にエンバーミングを施され、傷跡や欠損部分のない生前のようなご遺体と対面し、繰り返し繰り返し心からの感謝の言葉を述べる。
 そして記憶からは無残な遺体の状態は消し去られ、幸せだった時、楽しかった時の状態のみが残る。
 著者は最後に今までの取材を次のように総括する。「たとえ遺体の処置をしても、医療的な手術のように命を救うわけではないし、蘇生するわけでもない。…なぜ次の日には骨にしてしまうというのにわざわざ合理的とは思えない行為をするのだろう。…我々はいくら科学が進歩しようとも、遺体に執着し続け、亡き人に対する思いを手放すことはできない…」と。

「エンド・オブ・ライフ」
2021/03/31
KEI
 最近はラジオをよく聞くようになった。佐々涼子さんという1968年生まれのノンフィクション・ライターを知ったのは、ゲストとして呼ばれ自らの作品についての話をされていたあるラジオ番組を通してだった。
 佐々さんの「エンド・オブ・ライフ」は、20202月に発行された終末期医療と終末期のあり方を考えさせるノンフィクションである。京都で訪問医療を行っているある診療所とそこに勤務する訪問看護師を主人公に、彼らが直面した死、さらには著者の母親とそれを自宅で看護する父親の在宅介護の状況など、を織り交ぜた作品である。
 訪問看護師とともに著者も少なからぬ数の患者の看取りに立ち会っている。最近ではめったにしないが、考えさせられる発言や表現にポストイットを貼り付けながら読んだことである。読みながら不覚にも涙を落としたり、目頭が熱くなったりしたこともあった。
 末期癌の女性を彼女の希望に添って、3人のスタッフが多量の酸素ボンベを準備し、家族と共に南知多の潮干狩りに連れて行く話や同様に他の同じような状態の患者とともにディズニーランドに行く話などには心を動かされ続けた。
 そこには患者の意思を尊重し、家族に思い出を作ることに可能な限り配慮するという診療所のスタッフの真摯な態度があった。
 著者は「死をテーマに取材を続ける私は、人の不幸を書くことを生業(なりわい)としたことに、どこかで言いようのない違和感を覚えていた」「在宅医療の専門家から『家で過ごすというのは、素晴らしいことです』と何度聞かされても、難しさばかりに目が行ってしまい、どう書き進めていいのかわからなかった」と「不幸を書くこと」や「家に病人を抱えることがどれだけ負担になるのか」という問題を抱きつつ書いている。
 そして「助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択することが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ」「予後告知は医師がするものではない。患者自身が感じているものを引き出すのだ。人間は、どこかで自分の死期を予期する能力がある」「亡くなりゆく人は、残される人の人生に影響を与える。…死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える」と多くの終末期患者の看取りに同席した経験から書く。
「患者が死を受容できるように心を砕き、遺された時間を後悔のないように生きるように導いていた」訪問看護師が、癌を患い、終末期に近づきつつあることを知った時に発した言葉が「僕は生きることを考えます」であった。
 また、著者の「家で看取られたいですか」との質問に対する訪問看護師のきまり悪そうな「こんな仕事をしているけれど、病院でいいわ」との答なども含めて考えさせられることの多い一冊だった。
 言い古された言葉だが、死は全ての人々に平等に与えられる。そしてその時期は自らは決定できない。一瞬、一瞬を大事に生きて行く。「死」を考えるのではなく「生」を考える。これも一つの答だろう。

手作りリーフレット その1
2021/03/24
事務局 林 知子
 2020年度の大きな活動は『大津市立図書館って?』と題する図書館のリーフレット作りだった。これは、私たちの会の長年の夢とでもいう取り組みだった。やっと、それが実現して市民の皆さんの元に届けることができるようになったことを本当に嬉しく思う。
 この取り組みを事務局として記録してコラムで届けたいと思う。
 昨年度の『つどい連続講座』の中で、講師の岸本さんから小さい冊子を紹介された。アメリカのニューヨーク公共図書館で出されている冊子だった。それを貰った運営委員が内容を訳して運営会議に紹介してくれて、小冊子作りの機運が一気に盛り上がり、運営会議で制作の話が始まった。
◎どんな冊子にしたらいいのか。
 図書館とはどういうところか、図書館には何があるのか、今の図書館の現状はどういうものなのか…そういうことを書きたい。小冊子の形も考えようよ。次々と内容についての話し合いが進んだ。みんなの要望の中で多かったのが『カバンの中に入れておいて、すっと出して渡せるものがいい』ということだった。
◎どんな折り方がいいのか。
 冊子の折り方一つで貰った時に開きたい気持ちが大きくも小さくもなる。簡単に開けて見ることができるものがいい。そして、ちょっとだけおしゃれな折り方にしたい。そこで決まったのがA4二つ折り、それも少しずらして。そして二つに折ったのをさらに二回折っていく。和服の身ごろを合わせるような折り方だ。
◎内容は、何を入れたらいいのか。
 この話し合いは何度も続いた。
・表は『大津市立図書館って?』にした。
・裏は、この冊子は「図書館? 行ったことないなぁ…」「あんまり興味ないなぁ」という方へ贈ります。図書館は「知の泉」「本の森」です。ちょっとのぞいてみませんかと訴える文を書いた。もちろん、図書館大好きの人にも渡したい。でも、そこにとどまらずに図書館のことを知らない・興味がないという人に届けることが大事だ。それが私たちの大きな願いだった。
・1ページ目には、図書館の無料の原則について書いた。これは図書館法に定められている重要な原則だ。図書館の運営費すべてが、私たちの税金で賄われていることは大事なことだ。「いつでも だれでも どんな本でも無料で借りられます」これが図書館の意義だ。
 どんどんイメージが膨らんでくると小冊子づくりの仕事も楽しいものになった。
ところで、今、私たちは「リーフレット」と呼ぶ。それは、最初に届けてよんでくれた方が「ああ。いいリーフレットね」と言ってくれた情報からその名前を使うようにした。
 つまり、作りながら直して、さらに付け加えていくという、まさに市民による手作りリーフレットになった。
 この手作りリーフレットの話はどんどん続いていく。次回「その2」は、2ページ目に書いた内容紹介から始めることにしたい。続く

運(うん)
2021/03/17
KEI
 201212月にお亡くなりになった米長邦雄さんは、私が好きだった棋士の一人である。史上最年長の50歳で名人位を取り、最後には日本将棋連盟会長も務められた。本人は否定しているが、米長さんの言葉として有名なのは、「兄達3人は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」がある。
 この米長さんには多くの著書がある。言うまでもなく殆どは将棋関係の本だが、中に何冊かの人生論的な本がある。「運を育てる」「ふたたび運を育てる」(いずれもクレスト社)「人生における運の研究」(致知出版社、渡辺昇一との共著)、「人間における勝負の研究」(祥伝社)等がそれである。
 この米長さんの著書中に、プロ棋士になるための奨励会の年齢制限の最後の年に、弟子を日本で一番狭い門であると言われている四段に昇段させた話がある。勝利の女神に微笑んでもらうために米長さんは弟子に次のように言った。「対局のたびに、その前日でも翌日でも、お父さんのお墓参りに行ってくれ」「 … ただ、ぶらっと行って話をしてくればいい … 」と。弟子はこの教えを忠実に守った。
 その結果、弟子は最終局に勝ち、上位者が負けたことにより四段に昇段した。米長さんは「女神は結果よりも過程に興味を持つ」と締め括っている。
 また、米長さんは「自分にとっては(勝負の結果はあまり意味はない)いわゆる消化試合であるが、相手にとってはその人の運命を左右しかねない一番には、絶対に勝たなくてはならない」と説く。そしてその対局には羽織袴姿で臨んだという。
 問題を起こしかねない発言、放言もあるが、勝負の世界で生きてきた人の経験に裏打ちされ、深く思いを致した諸々が軽妙洒脱な筆致で書かれている。
 また、私は米長さんの書かれたものから「惜福(せきふく)」という言葉を習った。文字どおり「福を惜しむ」ということで、自分に訪れた幸福の全てを享受してしまわず、後に残しておく、天に預けておく、という意味だそうだ。私はよく理解できていないのだが、このことは幸田露伴が言っているという。
 過去の多くの対局が頭に入っており、勝負に際してはとことん相手の手を読み、考え得る全てを出し切って、勝負していると考えていた米長さんが、「勝負の女神に好かれる」ことを考え、それを「運」と思い、これらを得るために努力されていることを知り、適切な表現ではないが、米長さんをより身近に感じた。

小さなかわいい文庫 木戸文庫
2021/03/10
べーちゃん
 小さな木戸文庫は、湖西線志賀駅を降りて5分ほどの所、ムラの神社参道横の木戸会館の中にある。月に一回、10時半〜11時半まで開館という小さな文庫だ。前半の30分はお話会、後半は本を借りる・選ぶ時間だ。特別大きな宣伝もされていないで、自治会ゴミカレンダー隅に遠慮深く予定が書いてある。会館の玄関を入ると手作りの文庫の札が置いてある。知る人ぞ知る文庫、口コミで利用者さんが通ってくる文庫だ。
 2月17日の文庫開館日は朝から雪が降る冷たい日だった。玄関を入ると大人の靴の横に小さい靴が。左右逆になって置かれている小さい靴が何ともかわいらしい。今日の文庫訪問者の姿が想像できた。スタッフさんの読み聞かせの声が心地良く響いている。お母さんと子どもの二組の参加だった。
 八畳ほどの畳の部屋にはスチールと木製の本箱がいくつもあり、そこには子ども用の本がギッシリ並んでいた。草の根文庫の時代の本、和邇図書館のリサイクル本、各方面からの寄贈本だそうだ。自治会からの補助金や他の補助金を利用して新刊図書もそろえるとか。今年度は、滋賀県子ども文庫連絡会の紹介で「公衆電話会」から23冊の新しい絵本の寄付をもらえるということだ。「和邇図書館の絵本コーナーより、こちらが充実してるのですよ。新刊も多くて」とスタッフさんの言葉。本当にそう思った。
 この木戸文庫の歴史は古くて、竹村知事時代の文化振興策の中で「各地に草の根文庫を作ろう」という取り組みで生まれた。「草の根木戸文庫」と言った。時間を経る中で変わってきて、一時閉館状態になったが、本の管理をずっとされていた方がいた。その後、今のスタッフ達を中心にして17年ほど前に生まれ変わり、読み聞かせと本の貸し出し活動が再度始まった。名前も「木戸文庫」となった。その「木戸文庫」も当初は夕方開館の小学生向けの活動だったけれど、子どもたちの成長に伴って利用者も減ってきた。そこで、現在の形の「幼児向け 月一回 1時間」になったとのことだ。短時間の活動だけど、その後もお母さん達とスタッフとの話や時には子育て相談の時間にもなるという。「小さい文庫だけど役割はとっても大きい」ことを感じた。
 開館時間の終わり頃に一組の子どもづれのお母さんがやってきた。「遅くなっちゃって。今日は本を返しにきたので」と。そのお母さんに向かってスタッフが「はい。これ」と一冊の本を手渡した。「わー!いいですか」とお母さんの喜ぶ声。どういう本をこのお母さんは求めているのかということを理解していて、これを読んで欲しいというスタッフの思いを見た。思わず「そうよね。これなんだわ、必要なのは」と心の中で私は叫んだ。
「この子たち、ちゃんとストーリーも分かってしっかり聞いてくれるのですよ。私は、あの本棚の2段目くらいの本を読むようになって欲しい。今は、そのきっかけづくりのつもりです」と。2段目には小学生が一人で夢中になって読むだろうという本が並んでいた。「本箱もいっぱいなので、ズッコケシリーズをそろそろ処分しようかと」みんなの手に触れられてヨレヨレになっているようなズッコケシリーズ。我が子もこのシリーズで育ったなと思い返した。メモ書きを手渡してくれたが、その裏を見ると「選書会用紙」とあり「本の名前と自分の名前を書いてください」と印刷されていた。こうやって、広くみんなの声を聞いて選書されていることを知った。
 地域の小さい文庫活動。とっても大きい貴重な活動だと思う。たとえ、月一回でも待っている子どもがいる、親がいる。
 滋賀県の図書館が全国でも有名になった歴史の中で、こうした草の根文庫活動や個人の文庫活動がある。それが今も受け継がれていること。それを発信したいとつくづく思った。

落語家、大学で教える
2021/03/03
KEI
 私の好きな落語家の一人に桂 文珍さんがいらっしゃる。
 この落語家が1988年から5年間、関西大学文学部の非常勤講師を務めた。この間の経緯については書誌学者である同大学教授の谷沢永一氏の著書に詳しいが、桂文珍対談集「浪花友あれ」(毎日新聞社)に次のような言葉が記録されている。
 文珍「私が関西大学でやらせていただくことになった時に教授会があったと思うんですけれども、どうでしたか」
 谷沢「もちろん、文学部教授会全員一致と。これは日本の会議ですので、黙っているということが全員一致賛成になりますのでな。(笑)」
 文珍「なかなか含蓄のある、難しいお言葉ですが」
 谷沢「それで、本当のところどれぐらいの方々が賛成されておったかというと、五百二十人ほどの教育職員のうち、賛成者が学長を筆頭に五〜六人だった…」
 谷沢教授はこれに続いて「日本には大学の専任教育職員が十三万人おるんですがね。非常勤はもう、はるかに上回ります。その方々の中で、しゃべったとおりの講義で本にできる、あるいはそれをだす度胸のある方がね、何人おるかと(笑)」と語っている。
 ここで話題になっている本が「落語的学問のすすめ」(潮出版社)である。「一年間毎週月曜日の第一時限、無遅刻、無欠勤」で国文学史特殊講義との講座名で講義した内容をそのまま本にしたという訳である。
 文珍さんは「何を教えられるのか、私なりに考えたのは、日本の伝統文化である落語、特に上方落語の歴史とその背景、遺産、さらにそれを敷衍させた落語的なものの見方、考え方について話してみたらどうだろうか」(「日本の大学 この国の若者は、こんなんでっせ!」、潮出版社)と考え、講義に臨んだという。
 実に面白い。まるで落語を聞いているようである。教訓的な話をするにしても面白く具体的に説明する。最初の授業の様子を取材したが、誤った内容で報道したテレビ番組を評して「ああいうのんを見ていると、実に映像というものは、どないでも映るという感じがするわけですが(笑)、見る側としては、そのへんの真実を見極めなければいけないですね。…テレビに映ってるのがすべてだというふうに思ってしまうのは大きな間違いのもとです。…」(32頁)といった具合である。
 ここまで書いた時、唐突に後に最高裁判事になられた大隅健一郎教授の授業を思い出した。大教室の演壇に置かれた机に教科書だけを広げて、背筋を伸ばし、音吐朗々、理路整然、淀みなくそのまま書けば立派な参考書になるような講義だった。私はノートを取るのを忘れ、聞き入り、時には睡魔と戦った。文珍さんの生徒はノートを取るのを忘れ、聞き入り、時には爆笑したのだろう。

移動図書館ミッケル号(2)
2021/02/24
H・T
 さあ。次のステーション「木戸小学校」だ。僕の住んでいる和邇図書館は、大津市と合併する前に「滋賀県文化振興策」の一つとして建てられた。比良山系を望む図書館で有名だ。何と、いつの頃からかツバメが巣を作り出して、ツバメが来る図書館ともなった。
 建物もかっこいい。「第25回中部建築賞 入賞」.という賞を貰った建物だそうで湖西線の電車から見るとその建物のかっこ良さが分かる。全体に曲線を描いていて屋根の上に灯りを取り込む丸い窓がある。ステンドグラスも使ってある。
 その僕の図書館の建物にどこか似ているのが木戸小学校だ。瓦屋根の学校は珍しい。その屋根の上にかっこいい時計台がある。前の学校は小さかったので広くしたい、お洒落にしたいとの願いがあったようだ。これも志賀町時代に建てられたとのことだ。志賀町の人たちは、琵琶湖や比良山系に合う建物を建てたんだなぁと思う。
 さあ、木戸小学校へ到着。えーとこの時間は子どもたちは何の勉強かな?
 たった20分の時間に子どもたちが僕のまわりに並ぶのはできっこない。そこで、先生達が工夫したんだって。
 それぞれのクラス用にコンテナーボックスがあって、そこに司書のおばちゃんが用意した本が入っている。そのコンテナーを僕の背中から取りだして渡す仕組みだ。
 貸し出しカードは担任の先生のカード利用。そのコンテナーが学級文庫になるって仕組み。読み終わったら隣のクラスと交換。学級文庫が時には学年文庫になるってわけだ。
 隔週、こうやって何百冊の本が木戸小学校に届けられ交換される。つまり、和邇図書館の「分館」のようになるって仕組みだ。ここの子どもたちは、僕のいる和邇図書館までは電車に乗って、そして歩いてだからなかなか通えない。だけどこうやって、本を読んでくれているんだ。時には、授業で使う本のリクエストも司書さんに届くそうだ。
「二年生でたんぽぽの勉強をします。選んでください」「宮沢賢治を勉強します。学校にはあまりないので、選んでください」「平和学習をしますからよろしく」こんな時は司書さんの力の見せ所。何せ、司書さんは「本のことをいっぱい勉強している図書館の専門職」だからね。
 そういう先生の要望を受けて司書さんが選ぶ本を僕が運んでいるということだ。
 図書館にやってくる利用者団体の人が言った。
「ミッケル。あのね。大津市の図書館の運営方針の中にね『次代を担う子どもを育む図書館。子どもたちが読書の楽しさに気づき、生涯を通じて本がそばにあるくらしを送ることができるよう、成長段階に応じた読書環境の充実を図ります。また、学校・園との連携を図り、学校図書館充実への支援に努めます』ってあるのよ。ミッケルは、その仕事をしている立役者ね。つまりね学校と公立図書館を繋いでいるの。ずっとがんばってね」
 そうか、そんな大事な仕事をしているんだ。うん。がんばるよ。でも大分老いぼれちゃってね。エンジンの音もブルールン。隣の図書館の「さざなみ号」はピッカピッカの新しい車になったそうだ。いつか、新しくなって新ミッケル号になるまでがんばらなきゃ。
「ミッケルまたね」子どもたちが手を振ってくれている。さあ、次のステーションに出発だ。
 ところで、何で「ミッケル号」?それは「図書館で本を見つけましょう。たくさん読みましょう。本で知恵や工夫を見つけましょう」ということなんだって。名前を付けるときにいろいろ工夫したらしい。僕は「ミッケル」気に入ってるよ。名付けてくれてありがとう。

移動図書館ミッケル号(1)
2021/02/17
H・T
 僕の名前は「ミッケル」。本名は、ちょっと長くて「大津市立和邇移動図書館ミッケル号」と言うんだ。いつもは和邇図書館の倉庫にいるけど、隔週の水曜日午後に外に飛び出す。僕のお腹に約2000冊の本を入れて走るんだ。
 大津市の北部が僕の担当区域。運転手のおじさんと司書のお姉さんが一緒だ。時々、図書館の館長さんが乗ることもある。約18箇所を回る。僕が止まるところは決まっていて「ミッケル号ステーション」という。琵琶湖を眺めながら国道を走り、さらに横道に入ってからステーションで止まる。そこで本を借りてもらうという仕組みだ。一箇所に止まっている時間は約20分。うーん、短いなぁ。でも、半日で18箇所だから仕方ないか。
 僕が大好きなステーションの一つが「木戸会館」だ。長い樹下神社の参道の途中の歩道橋の近くにこのステーションはある。下の方を見ると鳥居の向こうに琵琶湖が見え、上を見ると鳥居の向こうに立派な神社がある。
 5月5日にはこの地域の神社の祭りがあってこの樹下神社に立派な神輿が集まるのだという。その神輿が僕が通るこの参道をたくさんの人たちに担がれて登ったり下ったりするという。何で知ってるかって?そりゃあ、図書館の資料で調べたさ。何でも日吉大社に関係している地域らしくて、その神輿は日吉大社の神輿とよく似ていて派手で立派だそう。
 図書館で調べたといえば、この木戸という地域のほんの一部に残っている風習で面白いのが「大晦日にイワシを食べること」らしい。節分に食べるイワシは有名だけど、大晦日にイワシなんて珍しいことだ。もちろん、これも図書館郷土資料で調べたこと。何せ、毎日は暇なものでこういうこともやっている。まあ、僕の研修の一つだ。ステーションで聞かれたら答えなきゃね。
 木戸会館のステーションに3年ほど前までいつも通ってきてくれるおばあちゃんがいた。白髪だったけど背はすらっとして若く見えた。「ミッケル。よくきてくれたね。待ってたよ」といつも僕の背中をなでてくれた。目が悪いらしく司書のおばちゃんが「これがいいわ。きっとこちらがいいと思って選んできたわ。この方が字が大きいからね」と取りだしてあげていた。借りるのは、時代小説と絵の本だった。何でも絵を描くのが趣味なんだそうだ。そうか。司書のお姉ちゃんは借りる人のことを考えて僕のお腹に本を入れるんだと思った。おばあちゃんは、帰りには「ミッケルありがとうね。また。再来週ね」と僕をなでてくれた。
 そのおばあちゃんの姿がある時から見えなくなった。ずっと心配していたけど、時々一緒に借りるおばあちゃんに思い切って聞いたら「亡くなったのよ。ここに来るのが楽しみだったのにね」と言った。僕は、その日悲しくてシュンとなった。
「ミッケル。次、行くよー」の言葉もあまり耳に入らなかった。でも、「ミッケル。ほらー。次はミッケルの好きな木戸小学校だよ。子どもたちが待っているよ」
 僕は、ハッとした。そうだ。僕を待っている子どもたちがたくさんいるんだ。「おばあちゃん、あの空の上でも本を読んでね。僕もがんばってるよ」走り出すエンジンの音と一緒に声をあげた。

「大河の一滴」
2021/02/10
KEI
 私は五木寛之さんの小説は読んだ記憶がない。が、「百寺巡礼」に書かれた幾つかのお寺についての文章は読んだことはある。また、NHKのラジオ深夜便での元同局アナウンサーの須磨佳津江さんとの人生と歌とをテーマにした対談番組は好きでよく聞いていた。
 新型コロナウイルス問題に関連して多くの時間を自宅で過ごしておられる方々に、いま五木寛之さんの「大河の一滴」(幻冬舎)が読まれている、とのNHKテレビの報道を耳にした。他にもどこかの民放テレビがこの本を取り上げて特集番組を作ったことも知った。
 現在問題になっている新型コロナウイルスに対しては、今後は「“闘う”のではなく“共存する”」「“ウイズコロナ”の生活や社会を目指す」などと言われている。その場合の生活の指針、心のよりどころ、あるいは考え方のヒントがこの本の中にあると考えられ、読まれているのだろうか。
 阪神淡路大震災の後である平成104月に発行されたこの「大河の一滴」には、私自身も五木さんが言われるように「自らの頭で真面目に考えてみよう」と思った幾つかの発言があった。
「結局は、時間が解決してくれるのを待つしかないのだ」「人生というものはおおむね苦しみの連続である」「いまこそ私たちは、極限のマイナス地点から出発すべきではないか」「なにも期待しないという覚悟で生きる」「いま、人間は少し身を屈する必要があるのではないだろうか」「ぼくらの前にはもう一ぺん新しい戦後の焼け跡・闇市というものがひろがっているのではないか」等々である。
「大河の一滴としての自分を見つめて」との小見出しの項の最後を五木さんは「私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。…いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還ってゆく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか。『人はみな大河の一滴』ふたたびそこからはじめるしかないと思うのだ」で締め括る。
 また、“面授”という言葉が出て来る。人間と人間が向き合い、お互いに息づかいの聞こえるような距離でもって何かを学び、何かを伝え、そして何かが伝えられることをいうそうだが、五木さんは「コンピューターが全盛になっていけばいくだけ、もっと肉声の聞こえるような、人間との接触…が大事にされなければ、人間は大事なものをなくしてしまうのではなかろうか」という。テレワーク、WEB会議を考える時には同時に“面授”も考える必要がありそうだ。
 五木さんより少し若いといっても既に老齢期にある私であるためか、五木さんの考え方の基礎、根本にあるものをある程度は理解することはできたと思っている。しかし、精神の高揚している時期の若者は五木さんの思いについてどのように考えるだろうか。もし私が30代40代の頃に、この本が発行され、それをきちんと読んでいたと仮定したら、どのような感想を抱いただろうかと思う。
(追記)
 この原稿を事務局にお届けした後に、金沢大学教授の仲正昌樹さんが20201227日付の産経新聞朝刊で「リモートで失われる社会関係資本」としてイングランド銀行のチーフ・エコノミストのアンディ・ハルデーン氏が「リモート・ワークの割合が増え、他社とのリアルは接点が減少していることの負の影響を指摘」し、「ZOOMなどでのリモート会議は、公式的な情報を効率的に獲得するには有用だが、非公式的な会話を通じて得られる『暗黙知』や『個人的情報』が失われがちだ」と言っていることを紹介されていた。
 具体的には、「会議の席で会議が正式に始まる前後での個人的な会話、エレベーターからオフィスに向かうまでの数分間の立ち話、パブなどでの同窓生との情報交換等」のことである。
 長年の間、企業で働いていた私にはこのハルデーン氏の意見はとてもよく理解できる。五木さんの言われる「肉声の聞こえるような、人間との接触」と一脈相通ずるのではないだろうか。

聖徳太子はいなかった
2021/02/03
KEI
 2020411日のNHKの番組「ブラタモリ」のテーマは法隆寺であった。法隆寺と言えば「聖徳太子」がすぐに思い出される。番組を眺めながら、かつて読んだ「聖徳太子はいなかった」(新潮選書、谷沢永一)を思い出していた。
 さっそく書庫から取り出して再読したが、そのあとがきは「聖徳太子がいなかったことは、とっくに学界の常識となっている」で始まり「一般人の立場からながめると、聖徳太子がフィクションであるという知識が、世間のすみずみにまで広がっているとはかならずしも言えないようにみてとれる」と続き「この問題をめぐっての学術書はすでに出つくしているのだから…先学のなしとげた見事な研究成果をおそるおそる禿筆(「ちびふで」とふりがなを付している)でなぞってみようかと…」とこの本を書くことになった経緯を述べている。
 そして「この世に実在した人物でない」聖徳太子について、「聖徳太子を伝える文献と遺物とのどこにどのようなホコロビが見つけられるか」「イメージとしての聖徳太子を必要とした条件はなにか」「全智全能の聖徳太子をつくったのは誰か」「皇太子としての聖徳太子のモデルは誰か」について歴史資料や現在までの諸学者の検討結果を幅広く取り上げ説明してくれる。
 広範囲にわたる実例をあげてのその説明は、要点は外さないながらも多くの文献を引用しつつ、読者の頭の回転を強く要求するもので、最近の軟弱な文章を読みなれている身にはきつく、いささか努力が要った。
 この本を読みながら、聖徳太子を小・中学校ではどのように教えているのか、気になった。原典にあたるということで、小・中学校の教科書を読めばいいのだがどういう方法があるのか思い付かない。仕方がないので、インターネットで調べることにし検索欄に「聖徳太子 学習指導要領」と打ち込んで見た。
 2017215日付の日本経済新聞の記事がヒットした。そこには「変わる歴史用語、聖徳太子→厩戸王 学習指導要領案」との見出しの次のような内容の記事があった。
 曰く「『聖徳太子』は『厩戸王(うまやどのおう)』…新学習指導要領案では、重要な歴史用語が最近の研究成果を反映して変更される。…社会科では…『聖徳太子』は小学校で『聖徳太子(厩戸王)』、中学校は『厩戸王(聖徳太子)』に変更。小学校では人物に親しみ、中学校では史実を重視する観点から表記を入れ替えている。聖徳太子は死後につけられた称号で、近年の研究では厩戸王に当たる可能性が高いとされている」
 聖徳太子の業績と言われているものが必ずしも厩戸王の業績ではないことがはっきりとしていることや聖徳太子の人物像の記述にフィクションがあるとされていることから「妥協の産物のような解決だなあ」とは事情を知らない者の無責任な発言である。
 聖徳太子はこの世に実在した人物ではなく、必要に迫られた当時の人の頭の中で作り上げられた虚像であるとしても、過去7回も紙幣に登場しており、日本人には最も親しい歴史上の人物の一人であることに変わりはない。

「知らない日本語 教養が試される341語」
2021/01/27
KEI
 テレビ画面で「甚だ遺憾に存じます」と言う言葉とともに頭を下げる人物が写っているのを見ると、この人物はお詫びをしているのか、それとも思い通りにならず残念な気持ちを言っているのか、若干の皮肉を込めて気になる。
 そもそも「遺憾」と言う言葉は「諦めきれない心情」を表わす言葉であり、思いどおりにならず、心残り、残念、惜しいことをした、という意味である。この言葉にはお詫びの意味は含まれていない。辞書にも遺憾について「思いどおりにいかず心残りなこと。残念、気の毒」等とある。
 ところが、テレビ画面では知ってか知らずか、誤用というのか悪用というのか「甚だ遺憾に存じます」と言う言葉で事態を切り抜けてしまう。
 次に「鳥肌が立つ」である。この言葉は「肌に粟が生じる」「総毛立つ」と同じ意味で「寒さや恐怖のせいで、体の毛穴がふくれて、肌にぽつぽつができること」「皮膚が、鳥の毛をむしり取った後の肌のようになる現象」を意味する。
 寒さを感じ恐怖を覚えたとき以外に感動したときにも、肌にぽつぽつができる。結果は同じでも、原因は正反対である。感動に際して使うのは誤用と言うべきだろう。
「遺憾に思う」や「鳥肌が立つ」についての解説のあるこの本の書名は「知らない日本語 教養が試される341語」(幻冬舎、谷沢永一)と俗であるが、内容は普通の人が常識として書いたり話したりする言葉について、それが「どのような歴史的由来に基いており、如何なる意味を含んでいるか…総浚えしてみよう」という意図で書かれている。
 著者は「主題は言葉の探索である」と書きつつ、「言葉の意味を知るという手立てに代わりはないが…人間を知る。世間を知る。生きてゆくうえでの知恵を深めようではないか、という欲の深い誘い」が狙いであると述べている。一つの言葉が凡そ1頁で説明されており、どこから読んでもいい。面白く為になる。
 例えば「墨守」について私は「旧弊にとらわれる」「融通がきかない」と悪い意味の言葉だと思っていたが、その昔は「自説を固く守って動じないこと」「説を持して曲げないこと」とよい意味の言葉だったようだ。だからと言って、昔に使われた意味で現在この言葉を使うとすると誤解されそうだ。
「襟につく」(利益目当てにこびへつらう)、「既往は咎めず」(過去の失敗にこだわらない)、「衣紋を繕う」(服装や姿勢の乱れを整える)、「解語の花」(単なる美人)、「刮目して見る」(注意深く観察し直す)、「玉山倒る」(大酔する)、「地を掃う」(跡形もなく廃れて何も残らない)、「口耳の学」(耳学問)など知らなかった言葉や使ったことがない表現も教えてくれた。もっともこれらの言葉は既に死語になっている、と言われそうだ。
 この文章は以上で終わるつもりであったが、「遺憾」と「鳥肌が立つ」については一言補足をしておく必要があることに気が付いた。ちょっと長くなるがご容赦いただきたい。
【遺憾について】  最近購入したベネッセ表現読解国語辞典(初版)では、「遺憾」の慣用句として「遺憾の意を表する」を記載し、@として「自分の行為を釈明して、我ながら残念に思うと、詫びる気持ちを表す」、Aとして「相手の行為に対して、残念に思うと非難したり抗議したりする気持ちを表す」と例を挙げ、「遺憾」に「詫びる」意があることも記載しているのに気が付いた。私は@の意味で「遺憾」を使うのは今でも誤用だと思っているが、既に市民権を得ているのだろうか。
【鳥肌が立つについて】  感動に関連して「鳥肌が立つ」を使い、その後の使い方に強い影響を与えたのは、2000年のシドニー五輪の開会式でのNHKアナウンサー(当時)有働由美子氏の「(感動で)鳥肌が立ちました」との報道からだと思っている。仄聞するところによると、NHKにはこの表現に対して高齢者層から数多くの批判が寄せられたという。もっともこのような使い方は、1980年代から若者の世界で始まったと読んだこともあるが、どの書物だったか。
 最近では、老若男女のタレントや若年層アナウンサーを中心に、何の考えもなく「感動で鳥肌が立った」との表現が使われている。つい先日もラジオ深夜便でベテラン男性アナウンサーが同じ表現をしたのを聞いた。私はその都度、違和感を抱くと共に「もう少し言葉を勉強したら」と思ってしまう。
 ただ、客観的に見た場合、最近では少し状況が変わってきているとも思われる。文化庁が平成27年に実施した「『国語に関する世論調査』の結果の概要」によると、「余りのすばらしさに鳥肌が立った」と「余りの恐ろしさに鳥肌が立った」について、両方を使う人も含めて、前者を使う人は62.0%、後者を使う人は56.6%、私のように後者だけに使う人は僅か29.1%となっている。
 また、日本新聞協会の新聞用語集(2007年)では「鳥肌が立つ」について「恐ろしさや寒さのために皮膚がざらつく状態を指すのが本来の意味。最近、感動・興奮の表現としても用いられるようになり、採用する辞書も出てきた。しかしまだ違和感を持つ人も少なくないので感動表現で使うことは慎重にしたい」としているが、「2010年代後半に出版された新聞・通信社の用語集5点のうち2点は、既に『鳥肌が立つ』の用法について注意喚起するのをやめている」という。(いずれも原典にあたることはできなかった)
 辞書の扱いについては、「明鏡国語辞典 第2版」(大修館書店)はこの語句について「いい意味で使うのは、本来的ではない」とし、「新明解国語辞典 第7版」(三省堂)は「本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて、ひどく感激する意に用いることがある」と述べながら、その後に続けて「規範的な立場からは容認されていない」と保守的な立場を明らかにしている。
 ベネッセ表現読解国語辞典では「恐れる」についての慣用表現の一つとして「肝を冷やす、背筋が凍る、血の気を失う、身の毛がよだつ」等と並んで「鳥肌が立つ」を挙げているが、「感動する」についての慣用表現には「鳥肌が立つ」は含まれていない。
 その一方で、『広辞苑』は、2009年発行の第6版で第5版の記述を改め「近年、感動した場合にも用いるとし『名演奏に鳥肌が立った』」を認める容認派に転じ、「三省堂国語辞典 第6版」は、「強い感動をうけたとき」にも用いる、と語釈の中で明記し、例文に「鳥肌が立つほどの名演技」を挙げている。
 感動を表わすのに「鳥肌が立つ」という言葉を使うことに強い抵抗、違和感を覚える私はどのように表現すべきか、いろいろ考えたが思い付かない。「感動で体が震えた」「感動を覚え涙が出た」「万感胸に迫った」位が私の語彙である。

アマチュアが書いた旅の本
2021/01/20
KEI
 一時期、旅のプロではないアマチュア、それも還暦を過ぎた人物が書いた海外個人旅行の本を楽しく読んだことがある。個人で行く海外の旅について計画段階でいろいろ試行錯誤する過程や現実の旅でのあれこれ、更にはそれぞれの人生経験から得られた知識や考え方がさりげなく披露されるのを興味深く読んだものである。
 これらの本に触発されて「個人海外旅行をしたい」と言う気持ちが起こったこともあったが、結果的にはそこまでは踏み切れなかった。しかし、著者たちは多分「今からでも遅くない。旅に年齢制限はない」と言うだろう。
 長谷部 洋氏の「夫婦でヨーロッパ」(山手出版)や高田信也氏の「手作り熟年の旅」のシリーズ4冊(文藝春秋、PHP研究所他)が私が楽しんだ主な本で、いずれも定年退職後還暦を過ぎての個人海外旅行について書かれている。両氏とも仕事の関係で文章を書き慣れていらっしゃるお方だと拝察するが、全く異なる分野での個人的な楽しかった経験をのびのびと書かれている。この道のプロのライターとは異なった視点、論点が興味深かった。
 前者は、基礎編として団体ツアー旅行と個人旅行の利害得失を経験に照らして客観的に述べた後に個人旅行の準備のあれこれを書く。特に個人旅行についての個人旅行派のお嬢さんとのポイントをついた軽妙洒脱な会話と理論闘争でお嬢さんに完敗した経緯はよく記憶している。そして応用編として13日間のポルトガル周遊旅行の詳細な計画と実行の結果を具体的に書き綴り「夫婦でポルトガルへ行って、本当によかった」という心からの言葉で締め括る。
 後者も計画段階での楽しみを述べるところは同じであるが、計画に当たっての心情として、現在の我々が物質的欲望を充足させるために飽くことのない経済成長を追求することに疑問を抱き、先祖代々築き上げてきた諸々に目を向けないことを問題視する。そして自らを顧み「人生古希を過ぎると…もっと穏やかで落ち着いた社会…を求めるようになる」「旅の大きな目的が自分自身の『心の癒し』にあると思うようになってきた」と書く。
 いずれにしても、単なる旅行ガイドブックと異なるこれらの書物により、私は、頭の中で著者と共に計画を立て、旅行を実行し、トラブルに対処し、いろんな場所で共に感動し、現在と未来を考え、我が国と比較し、旅先での土地の人との心の交流を楽しみ、そして「心の癒し」を感じることができた。
 両氏とも伴侶と共の旅行であり、さりげなく伴侶の諸々を紹介されていることにも好感を持つことが出来た。

本棚の飾り物
2021/01/13
KEI
 最近ではあまり見かけなくなったが、かつてはいろいろな出版社からシリーズ物の世界文学全集がよく出版されていた。何種類の全集があったのか、これが全部だと保証はできないが、ちょっと調べたところ1960年代から現在に至るまで14種類の世界文学全集が出版されている。世界文学全集とは銘うっていないが正続81巻の「世界の名著」もある。
 ご多聞に漏れず、私も筑摩書房が1964年から2004年にかけ刊行した全54冊から成る「世界古典文学全集」を所有している。ご想像のとおり読むこともなく本棚の飾りになってしまっている。
 これらの全集については「もともと読破するものではない。この出版形式が創始された当初は『いつか思い立った時すぐ読めるように手元にそろえておく』という心意気を趣旨とした」(読書人の壺中25頁)という好意的な見方もあるが、結果的には「いつか思い立った時」が到来することなく、最後には本棚の飾り物になってしまっている。
 この飾り物となってしまった全集とどのように付き合うか。今更全巻を読み通せるわけはないし、そして悔し紛れに言うのだが、これから全巻を読破することがそれほど大切だとも思えない。そこで、折角手元にあるのだから、実際に手に取り、挟まれている月報を読み、その後1ヶ月間は机の傍に置き、折に触れてあちらこちらと覗き見する、こととした。
 今、机の傍らには「三国志1」(24A)(三国志演義ではなく三国志の魏書の前半部)が置かれている。内容を眺めてみると、本文と同じ大きさの字体で書かれた注がやたらと多いのに気が付いた。注の方が本文よりはるかに多いような感じである。一瞬「本文だけなら読み通せるかな」と思ったほどである。これから1ヶ月間、ときどき適当なところから目を通そう。目を通すのに飽きれば、そこで終わりとし、次回は違った場所からスタートしよう。そして1ヶ月経ったら別の本を持ってこよう。
 古典については「古典の味読が読書生活の真髄である」という意見を聞いたことがある。この原則そのものは否定し難いとしても、多くの人は外国語の古典は翻訳で読むことになる。この翻訳が問題をもたらす。読んでよく解らない翻訳に当たったときには、理解に難渋し、読むのを諦めることになる。私も何冊もの読むのを途中で放棄した外国の小説がある。
 しかし、翻訳も進歩する。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にしてもかつての翻訳と比べて圧倒的に読み易い翻訳が現れた。亀山郁夫氏による光文社古典新訳文庫の5冊本である。新刊状況に鋭敏なアンテナを張り巡らせておけば、いろんな分野の古典について時代の先端を行く、読み易く分かり易い翻訳に辿り着けそうだ。そう考えると全集の意味や価値はなくなってしまい、いよいよ本棚の飾り物になってしまう。

シャーロッキアン
2021/01/06
KEI
「英国で最も有名な、小説中の人物三人は?」と聞かれたとき、あなたはどうお答えになるだろうか。ハムレットはすぐに頭に浮かぶが、後の二人はさて?
 答はロビンソン・クルーソーとシャーロック・ホームズである。そのシャーロック・ホームズには、彼を実在の人物と見なし、コナン・ドイルの著書を基礎に各種の研究を行うことを趣味とするシャーロッキアンが存在する。彼らはホームズの出身大学、3年の空白期間の活動内容、事件の年代特定などを真面目に推理、研究する。
 日本の数多のシャーロッキアンの中で最も有名な人物はおそらく故長沼弘毅氏と河村幹夫氏であろう。前者は米国のシャーロッキアン団体“ベイカー・ストリート・イレギュラーズ”の唯一の日本人会員、後者は英国の“シャーロック・ホームズ協会”のこれまた日本人唯一の会員である。もちろん日本にも“日本シャーロック・ホームズ・クラブ”があり約1,000人の会員が活躍しているという。
 この河村幹夫氏の著作になる「シャーロック・ホームズの履歴書」(講談社現代新書)はホームズ愛好家にとってはとても面白い。随所にシリーズの物語中のシャーロック・ホームズや同僚のワトソンの言葉が引用され、絶頂期のロンドンを舞台に活躍した名探偵の素顔を解説している。
 ベーカー街221番地Bでのワトソンとの共同生活についても、下宿代の滞納のないことを始め、部屋の状況、朝食、好物などを小説の中から探し出し、当時のイギリス人の生活描写を含め興味深く説明してくれる。
 更に、シャーロック・ホームズが生きていた時代のロンドンのあれこれを、具体的にはビクトリア時代のロンドン、警察制度とスコットランド・ヤードと言った硬い問題から霧とガス