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コラム「図書館とわたし 本とわたし」
瑞峯さんのなかよし文庫 林田素子
感慨深い話 としょこ
国立国会図書館からのお礼状 KEI
貸出手続き muca
豊島区立中央図書館 栗原女以
図書館クイズ KEI
懐かしい本 さくらこ
「うた」の中の図書館 KEI
ランドセルと移動図書館 T・H
寄り道 KEI
働き方改革と図書館司書の仕事
べーちゃん

蔵出し一冊 KEI
こんな図書館に M
夢の中の図書館 KEI
図書館にできること さくらこ
絵本のある子育て3 nao.nao
学校図書室は、どんなところ?
学校好き本好きおばさん

小さな小さな本棚 KEI
自動車文庫があったら さくらこ
和邇館で干し柿づくり みっちゃん
図書館見てある記3 けふばあちゃん
物語の題名 ワニファン
図書館徘徊中 muca
自分探し 図書館の思い出 都忘れん子
便利というべきか KEI
ネパール 五つ目の文庫
ネパールの魔女(桜井ひろこ)

図書館でビデオテープを借りた KEI
外国の図書館見学 T・H
いろいろ大変だなあ KEI
図書館見てある記2 けふばあちゃん
図書館あれこれ KEI
子ども雑誌の思い出 まっしゃん
図書館の書庫 KEI
ツバメがやってくる図書館 T・H
収集癖はないのだけど muca
こんな図書コーナーが欲しい
べーちゃん

図書館みてある記1 けふばぁちゃん
子どもの雑誌 島田 耕
図書館と縁遠い人の話 さくらこ
妖精に会いたい チャッピー
原作と映画 H・K
ライブラリー KEI
借りたくないなぁ ベーちゃん
好奇心の寄り道 A・N
本を読む姿 ゆうちゃん
私専用の図書館 KEI
学校に司書が欲しい 子育ておばさん
記憶に残る小説 さくらこ
時代小説との出会い ひーちゃん
絵本のある子育て2 nao.nao
司書の力 エッセイの文探し T・H
司書の職場から I・S
一冊の本から けふばあちゃん
図書委員 muca
忘れられない司書さん2 はやP
忘れられない司書さん1 はやP
時代遅れ? 和邇館利用者
島根県立図書館だより T・H
和邇図書館 T女
読書の楽しみ ケロちゃん
ミッケル号 ワニファン
図書館30分見学記 T女
図書館が好き びわこ
「湖の南」を読んで mn女
和邇図書館と我が子たち
三匹の子ヤギの母

図書館の風景 さくらこ
ぼくの図書館の原点 K・K
レファレンス けふばあちゃん
お元気ですか べーちゃん
司書さんとレファレンス・サービス KEI
「ぐりとぐら」の思い出 I・S
三冊ご用意できています 龍野健
魔女になりたい チャッピー
とっておきの一冊 フムフム
絵本のある子育て nao.nao
本棚の風景 K女
サパナ(夢)図書室 ネパールの魔女
図書館とわたし KEI
自習室だけ借りてた頃 muca
図書館(室)との出会い さくらこ
本との出会い けふばあちゃん
図書館がムラに来た K・M
今月の特集 ヒラマロ
我が故郷の図書館 T・H
ご事情で郁さんに挿絵を描いていただくことが無理に
なり、今は戸辺真依子さんに挿絵を描いていただいて
います。写真を添えておりますコラムは、戸辺さんが
作成されたときに挿絵に変更いたします。
瑞峯さんのなかよし文庫            林田素子         (2017/10/04)
感慨深い話                  としょこ         (2017/09/20)
国立国会図書館からのお礼状          KEI          (2017/09/06)
貸出手続き                  muca           (2017/08/23)
豊島区立中央図書館              栗原女以         (2017/08/09)
図書館クイズ                 KEI          (2017/07/26)
懐かしい本                  さくらこ         (2017/07/12)
「うた」の中の図書館             KEI          (2017/06/28)
ランドセルと移動図書館            T・H          (2017/06/14)
寄り道                    KEI          (2017/05/31)
働き方改革と図書館司書の仕事         べーちゃん        (2017/05/17)
蔵出し一冊                  KEI          (2017/05/03)
こんな図書館に                M            (2017/04/19)
夢の中の図書館                KEI          (2017/04/05)
図書館にできること              さくらこ         (2017/03/22)
絵本のある子育て3              nao.nao          (2017/03/08)
学校図書室は、どんなところ?         学校好き本好きおばさん  (2017/02/22)
小さな小さな本棚               KEI          (2017/02/08)
自動車文庫があったらいいなぁ         さくらこ         (2017/01/25)
和邇館催し 干し柿づくり           みっちゃん        (2017/01/11)
図書館みてある記(3)            けふばぁちゃん      (2016/12/28)
物語の題名                  ワニファン        (2016/12/14)
図書館徘徊中                 muca           (2016/11/30)
自分探しー図書館の思い出           都忘れん子        (2016/11/16)
便利というべきか               KEI          (2016/11/02)
ネパール 五つ目の文庫            ネパールの魔女(桜井ひろこ)(2016/10/19)
図書館でビデオテープを借りた         KEI          (2016/10/05)
外国の図書館見学               T・H          (2016/09/21)
いろいろ大変だなあ              KEI          (2016/09/07)
図書館みてある記(2)            けふばぁちゃん      (2016/08/17)
図書館あれこれ                KEI          (2016/08/03)
子ども雑誌の思い出              まっしゃん        (2016/07/20)
図書館の書庫                 KEI          (2016/07/06)
ツバメがやってくる図書館           T・H          (2016/06/29)
収集癖はないのだけど             muca           (2016/06/22)
こんな図書コーナーが欲しい          べーちゃん        (2016/06/15)
図書館みてある記(1)            けふばぁちゃん      (2016/06/01)
子どもの雑誌                 島田 耕          (2016/05/25)
図書館と縁遠い人の話             さくらこ         (2016/05/18)
妖精に会いたい                チャッピー        (2016/05/11)
原作と映画                  H・K          (2016/05/04)
ライブラリー                 KEI          (2016/04/27)
借りたくないなぁ               ベーちゃん        (2016/04/20)
好奇心の寄り道                A・N          (2016/04/13)
本を読む姿                  ゆうちゃん        (2016/04/06)
私専用の図書館                KEI          (2016/03/30)
学校に司書が欲しい              子育ておばさん      (2016/03/23)
記憶に残る小説                さくらこ         (2016/03/16)
時代小説との出会い              ひーちゃん        (2016/03/09)
絵本のある子育て2              nao.nao          (2016/03/02)
司書の力 エッセイの文探し          T・H          (2016/02/24)
司書の職場から O先生のこと         I・S          (2016/02/17)
一冊の本から                 けふばあちゃん      (2016/02/10)
図書委員                   muca           (2016/02/03)
忘れられない司書さん その2         はやP          (2016/01/27)
忘れられない司書さん その1         はやP          (2016/01/20)
時代遅れ?                  和邇館利用者       (2016/01/13)
島根県立図書館だより             T・H          (2016/01/06)
和邇図書館                  T女           (2015/12/30)
読書の楽しみ                 ケロちゃん        (2015/12/23)
ミッケル号                  ワニファン        (2015/12/16)
図書館30分見学記              T女           (2015/12/09)
図書館が好き                 びわこ          (2015/12/02)
「湖の南」を読んで              mn女          (2015/11/25)
和邇図書館と我が子たち            三匹の子ヤギの母     (2015/11/18)
図書館の風景                 さくらこ         (2015/11/11)
ぼくの図書館の原点              K・K          (2015/11/04)
レファレンス                 けふばあちゃん      (2015/10/28)
お元気ですか。また、どこかで会いたいものです べーちゃん        (2015/10/21)
司書さんとレファレンス・サービス       KEI          (2015/10/14)
「ぐりとぐら」の思い出            I・S          (2015/10/07)
三冊ご用意できています            龍野 健         (2015/09/30)
魔女になりたい                チャッピー        (2015/09/23)
とっておきの一冊               フムフム         (2015/09/16)
絵本のある子育て               nao.nao          (2015/09/09)
本棚の風景                  K女           (2015/09/02)
サパナ(夢)図書室              ネパールの魔女      (2015/08/26)
図書館とわたし                KEI          (2015/08/19)
自習室だけ借りてた頃             muca           (2015/08/12)
図書館(室)との出会い            さくらこ         (2015/08/05)
本との出会い                 けふばあちゃん      (2015/07/29)
図書館がムラに来た              K・M          (2015/07/21)
今月の特集                  ヒラマロ         (2015/07/15)
我が故郷の図書館               T・H          (2015/07/08)
瑞峯さんのなかよし文庫
2017/10/04
林田 素子
萩(梅小路公園)  今から、三十年くらい前のある村の話だ。
 村のはずれの小高い丘の上に「見徳寺」という寺があった。寺の和尚の名前は「瑞峯」。みんなは、「ずいほーさん」と親しく呼んだ。
 ずいほーさんは、本が大好き。お寺のお参りの仕事が終わると、いつも本堂横の鐘撞堂の下で本を読んでいた。夏には、風が通り、冬にはポカポカと日ざしか注ぐいい場所だった。
 ある日のことだった。村の男の子の大ちゃんが本を読むずいほーさんの肩越しからのぞいた。
「あれあれ。大ちゃん。本が読みたいかな」
「うん」
「ちょっと待ってな。大ちゃんが好きそうな本がたしか蔵にあったので。待っててな」
 ずいほーさんが持ってきたのは、「イソップ物語」だった。黄色くなった本は、字が小さくて大ちゃんが読めそうもない。
「話は、おもしろいけど、これじゃあ。大ちゃんにはむずかしいなぁ。よし、わしがよんでやろうか」
 ずいほーさんは、大ちゃんを前に座らせると本を読んだ。大ちゃんは、目をまん丸くしたり、そっと笑ったり、小さな声を出したりして聞いた。ずいほーさんは、何とも不思議な喜びを感じたのだった。
「明日もきていい? 学校が終わったら来ていい?」
「ああ。いいとも。明日のお参りは午前中に終わるから、おいで」
 次の日。だいちゃんは、友だちのしんちゃんを連れてきた。ずいほーさんは、蔵の奥から「日本の昔話」の本を引っ張り出した。
 次の日は、友だちが五人に増え、毎日、子どもが増えてきた。とうとう、鐘撞堂では狭くなり、その隣の観音堂が本の部屋になった。子どもたちは、棚の観音さんに手を合わせてから、ずいほーさんが読んでくれるお話しを聞いた。
「困ったことになった。私が持っている子どもの本は、あれぐらいしかない。どうしたものか。そうだ」
 ずいほーさんは、村々の家を一軒ずつ訪ねていった。
「子どもが読める本はありませんか。いらなくなった本をいただけませんか」
 そうしたら、あれよあれよという間に、子どもが読める本が寺に届けられた。
 また、困ったことが起こった。お寺の仕事はなかなか忙しくて、学校が終わってからやってくる子どもたちの面倒をいつもみてはおられない。でも、「明日はダメだからね」と告げた時の子どもたちの寂しそうな顔を見ると、何とかしないといけないとずいほーさんは思った。
 ずいほーさんは、檀家さんの家を一軒ずつ回った。
「夕方。子どもたちが本を読んでいるとき、留守番をしてくださる人はないでしょうか」
何とびっくり。
「ずいほーさんみたいに本を読むのは苦手だけど、昔話を話してもいいよ」
「もちろん応援するよ。留守番だけでなくて、ちゃんと本を読んでやるよ」
「おやつも作っていこうかね」
こうやって、観音堂の毎日は、誰かかれか村の人の声が聞こえた。
 そんなある朝のことだった。2年生になったけんちゃんとおかあさんが見徳寺にやってきた。けんちゃんは、ランドセルを背負っていた。
「和尚さん。この子、どうしても学校に行きたくないと言うのです。どれだけ聞いても何も言わないし、とにかく、行きたくないとだけ」
 けんちゃんは、おかあさんの後ろで小さくなっていた。
「お寺の観音堂で本を読むといいのです。私も仕事があるし、ここにいさせてもらってもいいかしら。昼には、迎えにきますから」
 ずいほーさんは、ニコニコして言った。
「いいとも。でも、一人でがんばれるかな」
 それから、けんちゃんはランドセルを背負って毎日観音堂にやってきた。ごろりごろりと寝転がって本を読み、読み終わった本は山のようになった。時には、ずいほーさんと庭の草取りをした。
「けんちゃん。今日は、けんちゃんがわしに本を読んでくれないかな」
「うん。いいよ」
 けんちゃんは、大きな声で『ネズミの嫁入り』を読んだ。
「おお。上手いなぁ、いい声だ」
ずいほーさんは、けんちゃんの頭をなでた。
その日のお昼。迎えにきたお母さんにけんちゃんは言った。
「母さん、明日は学校に行く」
けんちゃんのお母さんは、目を丸くした。
 ずいほーさんは、観音堂にもう一つの名前の札をつけた。『なかよし文庫』だった。
 それから二十年ほどたったころ、見徳寺の近くに『村立図書館』が建った。建設の歩みの冊子の中に「瑞峯さんのなかよし文庫」の記録があった。にぎやかな図書館になった。
 あっ。赤ちゃんを抱っこして本を探しているのは。もしかしてけんちゃん?
 きっとけんちゃんの赤ちゃんも本が好きになるね……。

感慨深い話
2017/09/20
としょこ
 先日、図書館で行われた催しに参加しました。
 市の図書館がどういう経過で作られたか、大変感慨深い話を聞くことができました。
 その中の一つの話が、北部のお寺にあった自主文庫でした。
 私の故郷のお寺は、何十年前は、村の文化の拠点でした。村の人たちが集まってきて、世間話に花を咲かせる場でした。また、村の保育所がありました。私も小さい時に、その保育所に入っていました。住職が所長さん。村のおばさんが何人かやってきて、子どもたちのお守り役でした。
 子どもたちが何回も読んだ本がリンゴ箱に入れられていました。所長の和尚さんはその中から本を選んで読んでくれました。知っている話でも、読んでもらえることは楽しいことでした。時には、和尚さんの語りもありました。今で言う、ストーリーテリングでしょうか。同じ話でも毎回どこかが変わっていて、何度聞いてもおもしろかったことを覚えています。得意は、やはりお化けの話や地獄・極楽の話でした。悲鳴をあげながら身体を小さくして聞きました。怖くても、次はどうなったのかと興味津々でした。
 この地のお寺でも、和尚さんが子どもたちのために本を集めて、文庫活動をされたとの話でした。お寺に集まった子どもたちの顔が浮かびました。そして、自分の子ども時代通っていたお寺の保育所がまざまざと浮かんできました。
 このお寺さんの文庫活動を支えにして、自主文庫が次々と生まれてきたようです。当時の文庫活動をされていたおかあさん達の願いの声も資料に残っていました。
『・・・文庫は、あくまで入り口です。いつでも利用でき、たくさんの本に出会うことができる公共図書館が身近にあったらどんなにいいでしょうか……』
『子どもと本が仲良くなれる出会いの場所を……と願って生まれた文庫も、はや九年になりました。始めたときに常連だった子どもたちが、年長の子は大学生に、ヨチヨチ歩きの子は、小学高学年です。略未来を担う子どもを地域全体で育てていき、その成長を町ぐるみで喜ぶことができたらどんなにすばらしいでしょうか……』
 こういう文庫活動からスタートし、公立の図書館が生まれていったのです。
 市民の声を受けて行政でも図書館づくりに奮闘されたことも話題に出ました。
 担当の方の「本に親しむ環境を作ることの大切さ、いずれはこの事業が図書館建設に結びつくこと」という草の根図書館の事業趣意書も感慨深く聞きました。
 今は当たり前の施設でも、創り上げる経過の中には、喜びや大変さがたくさんあったことを知りました。図書館へ通う楽しみが増えた1日になりました。

国立国会図書館からのお礼状
2017/09/06
KEI
 当市の図書館からのメールマガジンを見ていると≪国立国会図書館からお礼状をいただきました≫という記事が目に付いた。
「へえー、お礼状」、「なんのお礼状?」、「何をしたの?」と野次馬根性丸出しで記事を読んだ。
 記事によると「(当市の)図書館では市民からの疑問についての調査結果から、全国の人にも広く役立ちそうな事例を選んで、国立国会図書館の『レファレンス協同データベース』に登録・公開しているが、これまでに多数の事例を登録したとして、国立国会図書館長よりお礼状をいただいた」そうだ。掲載されていた礼状のコピーによると我が市立図書館の累積登録データ点数は、1102点とあった。
「レファレンス協同データベース」という言葉はメールマガジンのこの記事で初めて知った。調べてみると、これは国立国会図書館が全国の図書館と協同で構築している調べ物のためのデータベースで、レファレンス事例、調べ方マニュアル等のデータを蓄積し、これらをインターネットを通じて提供する事業のようだ。2009年に本格的に事業化されたという。
 この事業の必要性や有用性については、肯定論、否定論その他いろいろな意見がありそうだが、データベース自体は、使いこなせば結構役に立つだろうとは感じた。
 興味本位でちょっと覗いた限りでの感想だが、「活用法」、「活用術」、「レファレンス事例」、「おすすめデータ一覧」などの項目は読んでみると、結構楽しく面白い。
 ここまで解った段階で、我が市立図書館はどのようなデータを登録したのだろう、これも野次馬として知りたくなった。
「川端康成は高浜橋を渡ったか」、「坂田三吉が当市に住んでいたというのは本当か」という当市の市民なら興味を持つような、あるいは関心を抱くような質問に対する回答が登録されていた。
 前者について、川端康成は一時期、現在の大阪市東淀川区豊里1丁目から3丁目にあたる三番村に住んでいたことがあり、そこから東海道線吹田駅に向かい中学校のある茨木まで汽車で通っていたと資料にある。三番村から吹田駅に出るには神埼川を渡らなければならない。どのような方法によって川を渡ったのか、“吹田の渡し” で渡し舟を使ったのか、少し下流の高浜橋を使ったのか、が質問者の疑問だったようだ。回答は、「資料によると渡し場があったのは明治8年までで、川端康成が中学校に通っていた大正3年から4年にはすでに高浜橋が存在していたので、川端康成は高浜橋を渡って吹田駅まで歩いたことになる」というものだった。幾つかの関係資料が明示されていた。
 後者については、2009年に重要文化財に指定された旧西尾家住宅で阪田三吉使用の将棋盤を見てきた人からの質問だった。答は簡単で、その旨の記述がある書物2冊と坂田三吉がもっとも長く住んだという吹田市の借家の写真が紹介されていた。
 国立国会図書館からのお礼状の記事からいろいろと勉強することになった。

貸出手続き
2017/08/23
muca
 仲間内のブログ、といってもかなりの人数が参加する、親睦を目的とする組織のだが、私はその運営担当をしている。
 こういうブログは、たまに更新されていればいいというものではないのに、寄稿してくれる人は限られ、私は埋め草にする記事をひねりだすのに四苦八苦である。
 数少ない寄稿者の一人に、艦船や戦闘機などに関わるエピソードを得意とする私の友人がいて、海賊の話を含めたこれら全般に関する史実について面白いことを書いてくれる。
 いつものように原稿を添付した彼からのメールに、次回は潜水艦での「食事とトイレの話」と「軍艦名の話」を書くという予告があったので、それに添える挿絵の準備をしておきたいと思った。
「艦船落書き帳」と題するこのシリーズの原稿は毎回かなり量が多く、運営担当が勝手に決めた権限で(その1、その2などと分割して)掲載日を分けたり、切れのいい所で空行を入れるなどの編集をしているのだが、画像があると多少長い文章でも読む気になり、雰囲気も和らぐものである。
 その挿絵が記事に直接関係があるのかないのかを気にするような、やわな運営担当ではないので、図書館から借りた本を参考にして適当に挿絵を作る用意をすることにした。
 借りたのは「写真 日本の軍艦」と「艦船名鑑」の2冊。
 日頃は古い小説などから旧人を発掘してさしあげたり、「失敗しても我慢して食べれば、どうってことない総菜の作り方」程度の本しか借りない私である。ある日突然このような本をカウンターにさらすのは、いささか気が引ける。
 窓口の女性は(でっかい本って重くて迷惑なのよね、と思っているのかも知れないが)、バーコードのみを視野にしてます風である。
 本に書き込みがされたり、切り取られたりを防止するために、貸出時に係りの人が本を開いてチェックする方式だと、こういう時につい何か言っておきたい気持ちが生まれるのかも知れない。
「戦艦を2隻ばかり設計してみたいのです。これまでにないような勇壮な名前も考えたいと思いまして」
「すばらしいです。設計は前檣か後檣の先端から始めるといいかも知れませんね」
「ぜんしょうって、何ですか?」
「艦の前方のマストです。先っぽから書けば、途中で嫌になって放り出しても僅かな挫折感で済みます。あ、お大事に」

豊島区立中央図書館
2017/08/09
栗原女以
 おっ 水野英子さん!
 5月31日付東京新聞に目を見張りました。滋賀県から東京世田谷に転居して二ヶ月目の朝でした。
 水野英子さん作の「星のたてごと」は、少女時代友達に借りて読んだ漫画です。内容はほとんど覚えてないのですが、ロマンチックな題名と美青年ユリウスのシルエットに憧れたのを思い出します。その作品が図書館に展示されているとの記事でした。
 その漫画がもう一度読める、もう一度読みたい。思いたったらとまりません。新聞記事によると、その図書館は「豊島区立中央図書館」でした。ネットの付近案内図からみると、駅は東京メトロ有楽町線の「東池袋」と判明。
 すぐに行こうと計画しました。東京にきてから肌身離さず持っている地下鉄路線図をしっかり読み、半蔵門線と有楽町線を乗り継いで到着しました。
 案内板通りに地下鉄を出ると、目の前にドドーンと高層ビル。ライズアリーナビルというビルへの突進という感じでした。圧倒されつつ中に入りエレベーターで四階に上がると、中はやはり図書館でした。カウンターがあり、本の案内板があり、書架が林立しています。
 ほっとして漫画コーナーの位置を尋ねると、さらに上の階とのことでした。ワクワクしながら上ると水野英子さんのコーナーがありました。「星のたてごと」一巻・二巻。小型版なので「少女クラブ」のような迫力はなくて物足らなかったのですが、二時間以上かけて読み切りました(禁帯出図書)。
 お疲れさまのわが身ですが、憧れのユリウスに何十年ぶりに会えて、心はワクワクドキドキ。
 読後、文化芸術コーナー書架間散歩。落語・映画・演劇・音楽・DVD・CDコーナーがありました。それと共に「トキワ荘」書架がありました。トキワ荘は、豊島区にあります。水野英子さんは、トキワ荘の住人の中で唯一の女性漫画家でした。手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫さんたちと七か月暮らしたそうです。東京新聞の記事によると、二十四時間漫画の世界、男も女も意識せず、とにかく漫画を描いたと振り返っていました。
「マンガ南長崎トキワ荘」という新聞が、ご自由にお持ちくださいとコーナーに置かれています。漫画という文化を図書館も支えているのだと感じました。今度は、トキワ荘を訪ねてみたいと思いました。
 東京の図書館を一つずつ訪れてみたいと思っています。次は、私の住む世田谷の図書館です。

図書館クイズ
2017/07/26
KEI
和束の森で工作したもの  この欄の読者なら「いまさら、何を言っているのか。寝言を言っているのか。」と呆れられることだろうが、私にとっては新発見であった。
 パソコンを使っていろいろと検索していたときに「図書館クイズ」という言葉が目に止まった。そのときは、この言葉は当面の調査に無関係な用語として頭の中を通り過ぎ、記憶することもなくすっかり忘れてしまっていた。
 それから1年近くが過ぎ、借りた書物を返却するため市立中央図書館へ行ったとき、唐突に、「図書館クイズ」という言葉が頭の中に蘇った。子供室の壁に、この言葉を想起させる何かが書かれていたのかも分からない。
 帰宅し、パソコンに「図書館クイズ」という単語を打ち込んで見ると「あるわ、あるわ」で驚いた。秋田県立図書館、東村山市立図書館、野辺地町立図書館などなど。中には工業高等専門学校の先生が授業で使われた問題もあった。
「図書館クイズ」を冠した書籍が出版されていることも知った。
「『かいけつゾロリ』に出てくる ふたごの いのしし イシシとノシシ。そっくりなふたりは どこが ちがいますか? 見分け方を答えてください。」は東村山市立図書館の問題。
 相模原市立図書館の問題は「『よだかの星』という題名の本の作者が書いた本は、どれ?」であり、解答欄に『キャベツくん』、『ろくべえまってろよ』、『やまなし』が挙げられていた。
 市立小樽図書館のホームページには、過去に開かれた「図書館クイズ大会」の記事があり、小学校高学年向けは「ダンゴムシの足の数はいくつ?」や「マッチうりの少女で、少女が3本目にマッチをすったら出てきたものはなに?」など10問だったそうだ。
 私にとってはこれら全てが難問だったが、子供たちには簡単な問題だったに違いない。もし、正解が出せない子供がいた場合は、図書館にある資料を使って調べるようにとその方法を指導するのだろう。ある図書館では、ヒントとして子供用のパソコンの検索画面が示されていたが、子供たちはそれによりパソコンを使っての図書検索の方法を覚え、正解を導き出したに違いない。
 なんでもクイズ化し、それで知識を得たつもりになっている現代の風潮には賛成いたしかねるが、図書館に関心を持ったり、図書館でいろいろ調べたりすることに関して背中を押したり道筋をつけたりすることにクイズ形式を使うことは別物だろうと好意的に解釈している。
 図書館員やそれをサポートする人たちの、これらの努力が成果を挙げ「図書館クイズ」から出発した、「図書館大好き人間」が数多く生まれることを期待している。

懐かしい本
2017/07/12
さくらこ
 先日、我が家の本棚を整理していた時のことだ。10年前にこちらへ引っ越してくる際に段ボール箱が何十個にもなるほどの本を捨ててきたのに、いつの間にか本が増えていて、また書棚の整理をせざるを得なくなった。古本屋へとの私の提案にもかかわらず、結局、家人の強い主張で毎月1回の廃品回収に出すことにした。つまり、専門書は売るに値せずとの考えと、今読まなければこの先もきっと読まないだろうという事に決着したからだ。
 さて、書架を整理しながら私はふと、あったはずの本を思い出していた。
「あの本知らない? ほら、私の故郷の事が詳しく書いてあって、確か、島木健作の作品紹介がしてあった本」
「ああ、2分冊の?」
と言いかわしながらも書棚を整理していた。この時はその本は見つからなかったのに、数日して
「この本かな?」
と、どこかの段ボール箱から出してきたのだろうか、家人が私の目の前に持ってきてくれた。
 随分と埃まみれになっていたものの、まだちゃんとビニールカバーもしてあって比較的きれいに保存されていたことに安堵した。本棚を整理していて無性にもう一度見たいと思った本に何十年ぶりかでお目にかかれたという思い、それは懐かしい友に会えた心境と似ているかもしれない。
 その本は『紀行小説の四季』の上・下巻だった。この本の中にある島木健作の『生活の探求』を読んでみたいという思いに私を駆り立てたのである。
 自分の故郷での小さい時から聞かされていた水争い。当時は沢山の溜め池があり、5月〜6月頃になると、村の人々は夫々の区域の溜め池の淵に当番制で夜通し火を焚いて誰かが水を盗まないように見張り番をするのである。干ばつが続く年はこの争いがより深刻なものになった。昭和40年頃までこうしたことが続いていたが、今は吉野川から灌漑用水が引かれ水争いも解決されたと聞いている。当時の香川県の水不足による農民の苦悩が描かれている。そして、この『生活の探求』には私が育ってきた町並みが、まるで地図をみるように描かれていた。いつも見ていた山、地名、裁判所、琴平電鉄と町の人達が使う自転車や小さな駅の前の自転車預かり所。これらすべてが今も脳裏に鮮明に残っている。
 この本はこの作者の他の本も読むきっかけを作ってくれた大切な1冊である。

「うた」の中の図書館
2017/06/28
KEI
和束の茶源郷まつりで  ラジオからつい先日に亡くなったペギー葉山さんの「学生時代」が流れて来た。その歌詞の一番には「秋の日の 図書館の ノートとインクの匂い」と大学の図書館がうたわれている。私自身は大学の図書館で勉強したという記憶はないが、この歌にうたわれているような青春の思い出を持つ人達が数多くいらっしゃるのだろう、この歌を好む人は多いようだ。
 10数年前に値段に惹かれて古本屋で衝動的に買った全集がある。中央公論社が昭和40年頃に発行した「日本の詩歌」全31巻である。楽しいお酒を飲んだ後やグラスを片手にいい気分で、私の好きな歌人や詩人が載っている巻を読み返すことがある。
 その内の短歌が掲載されている幾つかの巻を久し振りに手に取り、杯を片手に頁をめくっていると「電燈の ともりそめたる 図書館の 日暮れより夜へ 移るひそけき」(窪田章一郎)が目に付いた。どこの図書館なのだろう。作者は大学教授でもいらっしゃったから、多分、大学図書館だろうと少し酔った頭で推測したが。
 これが契機となり、詩人は図書館をどのようにうたっているのか、ちょっと気になった。若い頃によく読み記憶している明治、大正、昭和初期の幾つかの詩からは「図書館」というような硬い単語は思い出せなかった。
 ここまできたら、詩の中の「図書館」を探し出してみよう、きっとあるはずだ、と手元にある何冊かの詩集の頁を繰った。そして、吉田一穂の「六月」という詩のなかに「図書館裏の影は金色(こんじき)に・・・」を見つけ、草野心平の「風邪には風」で「図書館は閉まってゐた。氷のはった広瀬川ではガ鳥がガゲガゲ鳴いていた。」を見つけた。
 吉田一穂の図書館は、その詩の最初に「低い講義が続く、原書(テキスト)の・・・」とあることから大学の図書館と分かるが、草野心平の図書館はどんな図書館だろう。詩の中に「裁判所、職業安定所、郵便局、連雀町(れんじゃくちゃう)、竪町(たつまち)」などの言葉があることから前橋市立図書館ではないかと思ったのだが、当時の前橋は市かどうか自信がなかった。調べてみると前橋は明治25年に市制が施行され、前橋市となっていた。
「うた」の中の図書館の探索はこれで終わりとしたのだが、ゆったりとした気分で詩を読むのもいいものだ、と改めて思ったことである。
ランドセルと移動図書館
2017/06/14
T・H
 少し前に三年がかりで断捨離をしました。老後のシンプルな生活をするための引っ越し作業でした。
 一年目は眺めてため息をついて元に戻し、二年目は少しずつ区別して捨て、そして三年目はできるだけ悩まないで思い切ってバサッと捨てました。それでも、捨てることができなかった物がありました。その一つが子どもたちのランドセルでした。
 でも、新しい生活をはじめさらに未来がみえてきた時、「もっと引き算生活にして行かねば」と強く思い、再度捨てる作業を始めました。三年がかりの断捨離で決心できなかった物の整理をはじめました。
 最初に頭に浮かんだのがランドセルです。自分では決めかねると思い子どもたちに聞きました。次男は鼻で笑い、長男は「思い入れないなぁ」とつれない言葉。
 結局、やっかいだったのは、私の心でした。ここまでひきずったのだから、簡単に捨てないことにしようと思い、趣味の創作作品のネタにしました。こんなネタは、マイナーだからおもしろくないという批判も受けました。が、気持ちの整理です。
 題して「ランラン ランドセル」。ランドセル視点で書きました。色鮮やかな緑色のランドセルが、主人公俊太朗君と六年間様々な生活をしていくお話しです。でも、やはりお話しの中でも捨てることができなくて、そのランドセルをネパールサチコール村の図書館の移動文庫道具として使う設定にしたのです。再利用で外国に行くのです。
 移動図書館は、特別ミッケル号のようなものでなくてもいい。村里離れた広場に数冊の絵本を入れたランドセルを吊そう。その中の絵本が村の子どもたちに読んでもらえばなんてステキなんだろうと思ったのです。このことがひらめいたとき、私の創作執筆は、はずみました。
 でも、これが完成したら、今度こそはゴミに出そうと思っていました。完成した作品を読んでから、ネバールサチコール村の図書館作りに奔走している桜井さん(コラム ネパールの魔女を参照)に電話したのです。
 大いに話が盛り上がりました。とうとう、ランドセルは、サチコール村の図書館に行くことになりました。九月にネパールに行くので持って行くとのことです。
「でも、村人達はおもしろがってランドセルの奪い合いをするかもしれないよ。壊れてもいいの?」
「それは、結構よ。ランドセルが外国にいくなんて、おもしろい」
 それまでに、ランドセルを磨いて、絵本を集めて……。また、忙しくなりそうです。でも、うれしい忙しさです。
 移動図書館。何か発想豊かに考えて、多くの本が子ども達の身近にすることはないかしらと思います。いろんなきまりは横に置いて。

寄り道
2017/05/31
KEI
「図書館に 寄り道したる 四月かな」
 朝のコーヒーを手に、何気なく「毎日俳壇」を眺めていて目に止まった句である。選者は大峯あきらさん。作者は枚方市の中村輝雄さん。年齢は記載されていない。選者の評は「所用をすませたあと図書館に寄ったのである。四月の季節感がつかまれている。」
 若葉がそよぐ暖かく晴れた長閑な日には、図書館大好き人間は、何を借り出すという目的もなく、何を読むという思いもなく、書物の顔をちょっと眺めようという位の軽い気持ちで、散歩を兼ねて図書館に行きたくなる。このような気持ちのいい日に、所用をすませた後にちょっと寄り道したくなった作者の気持はとてもよく分かる。
 作者が寄り道したのはどのような図書館だったのだろうか。
 公園に隣接して新しく造られた、ガラスをふんだんに使い採光が充分で、窓を通して建物の周囲の緑が目に優しく映る閲覧室がある図書館なのだろうか。そこには、ひょっとしたら座り心地のよいソファが置かれているかも知れない。
 それとも、隣には公民館などの公共施設が建っていたりする、交通至便の場所にあるビルがそれなのだろうか。
 作者は寄り道をした図書館で何をしたのだろう。「いづれのおほん時にかと読む長閑かな」(松根東洋城)や「いずれのおほんときにや日永かな」(久保田万太郎)に倣って久し振りに源氏物語を手に取ったのだろうか。それとも、最近なんとか賞に選ばれ評判になっている小説を借り出したのだろうか。あるいは、書棚を順番に眺めそこから醸し出される知的な刺激を一身に受けて、満足して帰路についたのだろうか。
 私は、大規模書店の本棚や雑然とした古本屋の書棚を眺めることが大好きだったかつての自らの経験から判断し、作者も特に何をするという目的もなく、気持ちの赴くまま図書館の幾つかの棚を眺めて、その雰囲気を楽しみ我が家に足を向けられたのだろうと推測している。
 所用をすませた後に、図書館に足を向けようと思われた作者のいろんな意味での余裕のある豊かな人生と、多くの人がそれぞれの思いで愉しみや学びを享受することを可能にしている図書館に乾杯。

働き方改革と図書館司書の仕事
2017/05/17
べーちゃん
 図書館の椅子に座って、しばし黙想。ふと、新聞コーナーの記事が目につきました。「働き方改革」最近、時々目にする言葉です。働き方改革ね……。
 働く人たちが、自分の仕事に誇りを持って働くための施策なんだろうか。ふと、疑問になり、目の前の司書さんたちの仕事ぶりをじっと見ていました。
 カウンターにいる方達。
 利用者さんと話をしてコンピュータに入力して、すーと走り出す司書さんがいました。カウンターには椅子がないので、中腰で検索。腰は大丈夫かなと思います。
 返ってきた本をお礼を言って後ろのブックトラックに返していく司書さん。返ってきた本を少しでも調べないのかなと思いましたが、次々と返却する人たちに対応するには、そこまでやっておれないのでしょうか。
 ずっと向こうの本棚の前では、配架をしている司書さんたち。10冊ほどの本を手に持って棚に返してみえます。どこにどう配列されているかは、プロの司書さんなら頭の中にきっと入っていることでしょう。しかし、何千冊の本の中にきちんと返却することは大変な作業です。そして、見ていてとっても苦になったのが、本の重さです。雑誌や文庫本でもかなりの重さです。単行本は、相当重い。それを何冊も抱えての仕事は大変な肉体労働です。
 30分ほど図書館にいましたが、その間、誰一人として座って仕事をしている司書さんはいませんでした。
 司書さんは、肉体労働なんだとつくづく思いました。本当に、これでいいのだろうか。私がずっと知っていた図書館の働き方とは少し違うような気がします。とっても苦になったので、友人の元司書さんに尋ねました。彼女曰く。
「本当に司書は肉体労働。でも、知的な専門職。司書の一日の仕事を計画的に把握して、時間配分をして仕事を回してやってたよ。カウンターに椅子がない図書館もあるけど、椅子がある所も多い。椅子があるとなしでは、疲れが違うからね。それは、館の努力事項」
 司書さんが、一番充実している仕事内容は何なのでしょうか。きついけど、やらなければいけない仕事は何なのでしょうか。
 司書さんたちが、生きがいを持って働くことのできる職場に。そういう改革を利用者としても願います。

蔵出し一冊
2017/05/03
KEI
薔薇「イントゥリーグ」  チラチラと雪の舞うある日、インターネットを使って市立図書館の蔵書の借り出し予約をしているときに、同館が「メールマガジン」を発行していることに気付いた。ちょっと気になり、私にも送られるようにパソコンの設定を変更した。
 さっそく送られてきたメールマガジンは229号だった。どの程度の頻度で発行されているのかは、今のところ知らないが、229というのはかなりの数字である。
 目を通してみると、「あるテーマについての関連本の紹介」、「当市の自然・お祭り・民話・資料などの紹介」、「図書館関係のインフォメーション」、などの欄に交じって「本の紹介<蔵出し一冊>」というのがあった。メールマガジンの文章によると「図書館職員が今までの読書体験の中から紹介する珠玉の1冊」を掲載する欄だそうだ。
 そして、この号では、<蔵出し一冊>として、シャンソン歌手・石井好子さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」が紹介されていた。一瞬「へえー」と思った。
 私の記憶が正しいとすれば、このエッセイ集は、かなり評判がよく、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したはずであるが、半世紀近く前に発行された本である。洒落た書名だと思いながらも、私の関心が別のところにあったため、買うことのなかった本である。
 今までどのような本が紹介されていたのだろうと、バックナンバーの欄をクリックしてみた。
 20ほどのジャンルに分かれていたが、「旅」、「エッセイ・ノンフィクション」、「時代小説」、「ミステリー」などに交じって「大人にすすめたいこどもの本」というジャンルもあり「タンタン チベットを行く」や「星の王子さま」など6冊が掲載されていた。
「旅」のジャンルでは「かくれ里」(白洲正子)、「深夜特急」(沢木耕太郎)、「河童が覗いたヨーロッパ」(妹尾河童)など私も選ぶだろうと思う書物の名前があった。
 図書館として、少しでもその存在を身近に感じ利用して貰えるよう、いろいろと努力されているのだろう、と感心した。推薦されている図書を読むかどうかは別にして、図書館の職員の方々が、いろんな意味で、自らが「これだ」と思う本を紹介して下さるのは、自分では気の付かなかった、あるいは関心がなかった類の本に出会う機会を得るという点からも意味のあることだ、と思ったことである。
こんな図書館に
2017/04/19
 考えてみると、今までの暮らしの中で図書館・本はずっと自分の身近なところにありました。その時々にぶつかった課題のある時に、ずいぶんと助けられたという思いがあります。
 小中学校時代は、様々な種類の本を読みました。高校時代は学習室を活用しました。社会人となり仕事上で悩んだ時は関係のある本を探して読み、元気をもらいました。介護の時は、病気のことや介護のことの本を探しました。
 各々の時代で自分が探す本は変わりつつも、図書館は本を通して人や社会や世界に私を繋いでくれる所でした。いや、今もそうです。たくさんの本(資料)があり、巡り会った一冊の本から違った世界へと私を誘います。
 生涯を通して、心地良い大好きな居場所であって欲しいと願っています。
 そういう時に「図書館ってどんなふうになったらいいのかな」と尋ねられました。いろいろ考えてみました。私の図書館への願いです。
大津市内の図書館案内のパンフレットがあればいいなあ。それぞれの図書館の特色の説明とか地図とか。きっと、もっと行きたくなるにちがいない。
大津市の図書館の歩みや図書館協議会の資料なども書架に配置して欲しいな。
大津市のことをもっと知りたいな。写真展、絵画展、昔話の語り、講演会開催などあればうれしいな。
文庫本と同様、新書もかためてあったら探しやすい。
以前は、玄関の掲示に読書朗読等の活動をされている団体一覧表があったという記憶が。情報等の問題もあるかもしれないけど、何かの機会に知りたい。
図書館そのものが狭いからか、なかなか要望が出しにくい。
 次々と図書館への願いが出てきます。図書館スタッフはいつも忙しく歩きまわってみえます。でも、そういう時でも声をかけたとき優しく対応してくださっているのは、嬉しいことです。
 私たちの願いと同様、スタッフの方々が仕事の中で感じられていることなど、共に話し合い交流できる場があったらいいなと思います。

夢の中の図書館
2017/04/05
KEI
クリスマスローズ  私は夢を見ることの少ない人間だと思っているが、ある夜、一つの夢をみた。(「どのような人物でも毎夜いくつかの夢を見ている、ただそれを記憶していないだけだ。」との説に従えば、「目覚めた時に前夜の夢の一つをはっきりと思い出したある朝があった。」と書くのが正しいのだろうが。)
 私は、外国のどこかの大きなお屋敷の豪華絢爛たるロビーの気持ちの良い大きなソファーに一冊の書物を手にして一人で座っている。入口とその反対側のドア部分を除く全ての壁面は天井まで造り付けの書棚で覆われており、そこには革表紙の書物がぎっしりと詰まっている。天井にはフレスコ画が描かれている。
「何処だろう。」、「つい先日BSテレビの旅番組で見た、欧州のどこかの国の貴族の邸宅の一部屋だろうか。」、「かつてフェルメールの『ギターを弾く女』を見るために訪れたロンドン郊外のケンウッド・ハウスの図書室もこのような感じだった。」、「そうではなく、開け放たれたドアの向こうにも同じような部屋が並んでいることから考えるとどこかの図書館に違いない、きっとそうだ。」、「とすれば、どこの図書館だろう。」などと脈絡なく夢の中の私は考えていた。
 そして、そのときに私が手にしていたのは、不思議なことに、十数年前に古本屋で買った紫色表紙の「日本の詩歌」全集の中の土井晩翠や三木露風の詩が入っている、私のお気に入りの巻だった。
 目覚めたときには、これらのことしか覚えていなかった。なぜこのような夢を見たのだろう。
 何十年も前に「夢を見ることは、脳にとって、何らかの情報整理機能として必要であると思われる。」と書かれた文章を読んだ記憶がある。私の記憶とこの仮説が正しいとすれば、この夢は、私の心が未だ読んでいない本を読み新しい知識を得ることよりも、かつて読み何らかの示唆を得た書物を反芻することを欲している、ことを暗示しているのだろうか。
 現在の私が希求している読書とは、積読(つんどく)状態である数多くの本に囲まれて、青春時代や壮年時代を思い出させる書物を再読することだ、と教えてくれているのだろうか。
 それとも、自由になる時間は充分にありながらも、新しい本や書棚にある未読の本を読む時間が少なくなっている最近の自分自身に対する言い訳がこのような夢になって現れたのだろうか。
 書庫の本棚に並んでいたり、机の回りに積み上げられたりしている、読んでいない数多くの書物を眺めながら、暇な老人は、夢の中の図書館を材料にこのような馬鹿げたことを考えた。

図書館にできること
2017/03/22
さくらこ
 もう2年前になってしまったが、愛知県田原市立図書館の元館長、森下さんの講演があり、DVDでも田原市立図書館の紹介があった。複合施設の素晴らしい建物と図書館経営のお話をお伺いした時から、一度見学に行ってみたいと思った。だが、今になるも実現できていない。
『みんなの図書館』に、田原市立図書館では認知症の方々に配本をされていることが掲載されていた。私はその記事に興味を覚え、田原市立図書館に連絡を取ってみた。すると、すぐに『元気はいたつ便 訪問サービス利用案内』が送られてきた。
 訪問サービスとは何か、それは、図書館職員が施設に赴き、「元気プログラム」や「グループ回想法」を行うもので、訪問回数は3か月に1回、時間は1時間程度と説明書きがあった。
「グループ回想法」は、毎回一つのテーマを設定し、古い道具や写真などを用いて、昔懐かしい思い出を語りあう事だと書かれてあった。これは脳の活性化につながるため、現在では、介護予防や認知症予防などにも効果があると言われている心理療法だそうだ。田原市立図書館がこの事業の実現に至るには、これが地域にとっての最重要課題と位置づけ、関連機関との協力と連携があったことを知った。
 今、私たちの住む大津市でも高齢化はどんどん進んでいる。大津市の人口統計では342,532人中第2号被保険者(40〜64才)が84,618人、第1号被保険者(65才以上)が114,800人(平成28年4月1日現在統計)となっている。つまり、65才以上の高齢者は大津市人口の3割以上を占めていることになる。そして、現在介護申請者を含めた要介護者は大津市人口の0.6%であることがわかった。私が敢えて、ここにこうした高齢者への宅配サービスの例を紹介したのは、大津市でも高齢化がハイスピードで進んでいる状況の中で、図書館サービスのあり方を再度考えてみる必要があるのではないかと思ったからである。時代はどんどん変化している。その中で、公共図書館は地域の図書館として何が一番必要とされ、かつ、優先されるのか、経費、職員、行政すべてにおいて図書館が地域の人々と共に生きていく存在であることを今一度確認する必要があるように思う。
 今後は様々な図書館サービスが様々な方法により展開できることが期待される。

絵本のある子育て3
2017/03/08
nao.nao
 絵本のある子育てのコラムを書かせてもらって、早くも三回目になりました。読み返してみると、一つの大切な育児記録です。
 2017年2月。長男は2歳8ヶ月。そして、新しく家族に仲間入りした次男は10ヶ月。毎日ドタバタ劇場です。
 そんな毎日の中、長男は決まって寝る前に読んでほしい本を何冊か選んで持ってきます。産まれたときから読み聞かせをしてきたこともあってか、本が大好きです。
 2歳には難しい絵本も集中して話を聞いています。父親が
「この本は長すぎるから違うのにしようよー」
と言うと、だだをこねるほどです。父親は、仕方なしにもういいと言うまで読み聞かせをしなくてはなりません。
 昼寝の時や、夜寝る前、絵本を読みながら、気がついたことがありました。それは、
「次男に本を読んでない!!」
 はっ!とさせられました。
 もう9ヶ月。あれよあれよという間に大きくなってました。初めての育児の時は絵本を育児に取り入れよう!自分も楽しもうとやってきてたのに。ちょっとショックでした。
 でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お兄ちゃんが弟に簡単な赤ちゃんの絵本を読んであげているではないですか!
「けんちゃん!本は食べないよ!」
「やぶっちゃだめよ」
 私が長男に言ってきた声かけも同じです。本を大切にしてくれています。
そして、
「くまさんが、いないいないばー。」
「だるーまーさんが、どてっ」
 字はもちろん読めませんが、このページのセリフをちゃんと覚えていて、それを弟に語るのです。子どもの記憶力はすごいです。
 絵本の大好きな小さなお母ちゃんが誕生です。
 子ども同士で絵本を通じて大きくなっていきます。
「絵本のある子育ては何て素敵なことなんだ」
 まだまだ未熟者の母の私が子どもに気づかせてもらったことです。
 最近、反省の意味も込めて、毎日ひとりに一冊づつ、昼寝、夜、順番に絵本を読み聞かせています。もちろん特等席の膝の上もかわりばんこです。
学校図書室は、どんなところ?
2017/02/22
学校好き本好きおばさん
 学校には、図書室があります。
 私が知っているいくつかの学校の図書室は大変興味深くて、そこは大きな本の宝箱です。
 ある小学校は、一階・二階・三階の教室のど真ん中にオープンスペースとして図書室が三つありました。それぞれ絨毯敷きのフロアで、一階は低学年用の絵本がいっぱい。休み時間になると、子どもたちがその図書室にやってきて本を探し、授業中には調べ学習で本を探しています。何とも贅沢な図書室でした。聞くところによると、市の方針で学校創設にあたって、図書館運営を中核にする学校作りをめざしたとのことです。本の蔵書数も目を見張りました。
 その市内にある別の小学校も図書室の活用は充実していました。PTAのお母さん達が自ら申し出て教師と共に作ったボランティアグループがありました。名前は『図書レンジャー』と言いました。
 この図書レンジャーのお母さん達の活躍はすばらしいものでした。定期的に朝の読書の時間に読み聞かせをしました。また、年に何度か計画を立てて、国語の読書単元の時間にお母さん達の読み聞かせがありました。ただ、単に読み聞かせだけでなく、ブックトークやエプロンシアターまでありました。それは、お母さん達がクラブ活動として研修した成果です。
 毎月の図書室掲示の仕事も担っていて、とっても素敵な掲示が図書室廊下や図書室内にありました。子どもたちの学習内容を調べ、それに合わせた掲示や、四季折々の様子と伝統行事の掲示もありました。
 休み時間に本を借りにくる子どもたちのコンピュータ貸し出しのお手伝いも慣れたものでした。
 これらのPTAの方との連絡・打ち合わせをするのが、司書教諭の役割になっていました。まさに、学校司書さんの役割をお母さん達が担って、学校の教育活動を応援してくれているのでした。
 この市の学校と市立図書館の連携も特色あるものです。
 教師達が『今、この学習をやっているのでこういう本が欲しい』と電話やファックスで市立図書館の司書さんに連絡をすると、数日後、宅配便で本が何十冊も送られてきました。その本を見ると司書さんの力の大きさが分かりました。『えっ、こんな本。すごい、知らなかった』と、どれだけ司書さんに助けられたか分からないということです。返却も宅配便でした。移動図書館がない代わりに、市の予算としてこんな方法が取られていたのです。
 それぞれの学校の図書活動。地域の学校では、どんな工夫がされているか。もっと知りたいと思います。
小さな小さな本棚
2017/02/08
KEI
 図書館の定義には全く当て嵌まらず、またどのように拡大解釈しても個人文庫とも言えない、小さな小さな本棚の話である。
 会社をリタイアしたのを機に、書籍の処分を始めた。この時に、子供たちが小学校在学中に読んでいた本が幾つかの段ボール箱に詰められて書庫の片隅に残されているのに気が付いた。
 中味を見ると、さすがに絵本はなかったが、シリーズで発行されていた偉人伝、ちょっと背伸びをすれば小学生でも読めそうな単行本、親の私も愛読していた那須正幹さんの「ズッコケ三人組」や漫画「ドラえもん」などがぎっしりと詰まっていた。処分しようとする私に、妻が「孫たちが読むかも分からないから、捨てないように」と言った。
「それもそうだ」と納得したが、同時に、両親が新刊書を買ったり、図書館で借り出したりしてそれぞれの子供たちに与えようとするだろうから、何十年も前の古びた本を孫たちが手に取る筈はない、とも思った。
 そこで「物は試し」との気持ちで、私の書斎にあった小さな小さな本棚を、リビングに持ち込み、そこにこれらの本を並べた。家にやってきた孫たちには「ここにある本は、昔、(あなたがたの)お父さんやお母さんが読んだ本だよ」という程度の説明はしたと思うが、後は何も言わなかった。
 我が家に顔を出した孫たちは、この小さな本棚から適当な本を勝手に取り出しソファに寝そべって読んだり、続きを読むべく「持って帰ってもいい?」と聞き持って帰ったりした。孫が手に取った本を見て、親が「これは面白かった」というような説明をしていることもあった。
 このようなことが続いた後、つい先日、小学校6年生が、比較的小さな活字のシャーロック・ホームズ物語3冊を持って帰って、小さな小さな本棚の蔵書は偉人伝数冊を残すだけになった。妻に「これらの人は人気が無いんだね」と言うと、「みんな読み終えているよ」との答だった。そこでこれらは処分することとした。
 空になった本棚を眺めながら、私は「さて、次はどのような書物を並べようか」と考えている。
自動車文庫があったらいいなぁ
2017/01/25
さくらこ
 私の住居地の市民センターは、大津市内の他地域よりも比較的に利用度が高いと言われている。定期的な利用は事前に登録をしておいて使用する前に申請が必要だ。空き部屋がない時は、ロビーで会議をすることもある。ロビーには丸型の机と椅子が何脚かある。
 10人位なら簡単な会議もできる広さがあり、市民課の窓口とは衝立で隔離されていて、とても便利なので、時々急な会議やちょっとしたミーティングには利用させてもらっている。
 そのロビーの窓際には全面に書架があり、地域の方が寄贈された本が所狭しと並べられている。
 先日、そのロビーで会議をした後に知り合いの方のお孫さんが子どもを2人連れて来られた。10か月の女の子は抱っこされ、2歳の男の子は手を引かれていた。部屋に入ると直ぐに、窓際の本棚から乗り物の本を取り出して見始めた。その本をちらっと見るとかなり傷みがあり、埃もついていたけれど、男の子はその本が好きとみえて見入っていた。男の子がページをめくるたびに覗いてみたのだが、内容はあまり良いとは思えなかった。図書館には多分置かないだろうと思われる本だったので、私はそのお母さんに問うてみた。
「いつもこの場所で子どもさんに本を見せているの?」
 するとお母さんから次のような返事がかえってきた。
「下の子どもは小さいし、図書館には車で行くことはできるのだけどなかなか行けないし、自転車で行こうとしても、道幅が狭くて子どもを2人乗せていくには危ないのです。だから仕方なくここを利用しているんです」
 その話を聞いて、どうしてこの地域に巡回車を走らせないのだろうかと思い、早速、図書館へ行って尋ねてみた。色々と今までの経緯があって、という話を司書さんから聞いた。
 しかし、乳飲み子を抱えて図書館まで行けない人やお年寄りのために、住居地のすぐ近くまで本を運んで来てくれる巡回車が実現したら、どんなに助かることだろう。
 これまでの規定や決まりごとは兎も角として、自動車文庫のメリットは図書館のPRにもなる。また、分室や分館を建てるよりも経費においては安くつくはずだ。
 就学前の子ども達には800メートル圏内位に分室があればいいなぁとは思うが、まず、自動車文庫を私達の地域にも走らせて欲しいなぁって思う今日この頃である。
和邇館催し 干し柿づくり
2017/01/11
みっちゃん
 大津図書館和邇館のサークルに参加させてもらって数年になる。部屋が無料で借用できて、図書館に関係する私たちサークルの集まりには大変ありがたい。その分、何かでお返ししなければならないと常に思っている。
 お返しだけでなく「良い図書館にするための活動」をしなければならないと思い始めたのが2年ほど前のことだった。全国的に図書館の民営化の問題が浮上し、日頃図書館に通っている私は、否が応でも考えざるを得なくなった。
 市民だれでも使用できて、みんなの図書館となるようにしなければならない。図書館は、金銭的な利益を生む施設でなくて、みんなが成長していく場でなくてはならない。市民一人一人が大事にする図書館でなくてはならない。
 でも、それは、どうやったらいいのだろう。なかなか、知恵が回らない。
 そういうときに、和邇図書館とサークル協議会の呼びかけで行われた「干し柿づくり」に参加した。干し柿は、天候に左右される意外と難しい作業だ。それよりも、まず渋柿が必要だ。どういう催しになるのだろうと興味半分で参加した。しかし、予想以上の充実した催しになった。そして、こういうことも「良い図書館にするための活動」の一つなんだとつくづく思った。
 館長さんとサークル代表の皆さんで収穫に行ったという渋柿が並んでいた。この催しを聞きつけた地域の方からの渋柿の寄付もあったそうだ。
 参加した人たちは、小さい子どもから七十を越えた方達で50人余。年齢層が大変厚かった。また、旧志賀町の各地域からの参加であった。部屋には、干し柿に関係する本がいっぱい並べられていた。司書さんたちが中心になって集められたとのことだった。一見「この本も干し柿のことが書かれているの?」と思われるものも並んでいた。ページをめくるとちゃんと干し柿に関係するページがある。司書の選定の力を感じた。
 別のサークルの方の読み聞かせも行われた。参加者の心がぐんぐんと干し柿バージョンになっていく。
 皮をむいて、紐に吊す。年代でむき方や吊し方の技術は異なる。さすがに慣れた方もいらっしゃる。皮をむきながら、ちょっとなめてみると、何と渋いこと。この渋さが干すことによって甘く変身する。初めて参加した子どもたちは、この作業のあと何日かして食べることができるようになると、自然のすばらしさを感じるに違いない。
 一人、6個ほどの柿を吊した紐を大事に持って帰宅した。みな、満足そうだった。
 こういうイベントを実施すると企画者の方達は大変である。その苦労は並大抵でない。でも、主催者の皆さんの満足げな顔を見て、参加者の私も心が豊かになった。
 この干し柿づくりは、きっと来年も行われる違いない。今度は、友人を誘って参加しようと思っている。
図書館見て歩き(3)
2016/12/28
けふばあちゃん
−日野市立中央図書館―
 東京に出たついでに日野市立中央図書館を訪ねました。JR中央線豊田駅を降りて・・・。はて、この先は?・・・通りがかりの方に道を尋ねる。
「市立図書館に行きたいのですが・・・どういけばいいですか?」
「ああ、図書館ですか。この道を右に行って、左に曲がって、真っすぐ行くといいですよ。ああ、このまま真っすぐでも行けますよ。」と、ニコニコして教えてくださる。真っすぐでもいいといわれたのでそのまま行く。坂道を下って、やがて右へ、今度は登り。不安になって再び別の方に道を尋ねる。「図書館は、・・・?」またまた、にこっとして、「ああ、図書館ですか。すぐそこですよ。ご案内しましょう。」と先に立って案内してくださる。やがて、レンガの図書館が目の前に。図書館は、日野市民の誇りなのかなぁ。図書館というだけで、皆さん笑顔になるっていうのは、とちらっと思う。
 玄関ホールの掲示板には『本を宅配します』『日野ヤングスタッフ新メンバー募集』『おはなし会へおいでよ』『見たい!聞きたい!作家の素顔―初野晴さん講演会』などなど、魅力的なお知らせがいっぱい。正面左は階段、二階『レファレンス』と大きく書いてある。右が一階一般図書と児童室。
 入ってすぐ左のカウンターには、司書さんが数人。ここでもにこやかに迎えてくださる。「大津から来ました。ちょっと見学させていただいていいですか?」
 旅行鞄を預かっていただいて、ゆっくり見せていただく。カウンター正面に一般書架があり、大きなガラス窓を通して、鎮守の森の大きな欅やヒノキが見え、その鎮守の森を囲むようにかぎ状の児童室がある。
 10月だったので、児童室には、ハロウィンのカボチャや蝙蝠、魔女などの切り絵や折り紙が飾られ、森側の窓辺は、「あきみつけた」「あきのこえ」などの特集コーナーがある。
 それ程広いというのではない児童室だが、子ども新聞、子どもの本の雑誌、民話・昔話、おはなしの本、子どもの本の研究書、日野市についての資料、本のこと、図書館、哲学、心理学、ジャーナリズム、博物館などのコーナーがある。洋書の棚では、長い間読み継がれたのか、本の背の天のところが摩耗して丸くなっている。窓辺のトイレットペーパーの芯に毛糸をまいて作ったお人形を、なんと豊かで温かなんだろうと思いつつ眺めていると、ぼそぼそと小さなお子さんに読み聞かせをしているお父さんの声。きっとこのお父さんも子どもの頃にここに通ってきておられたんだろうなぁと、思わず「ひまわり号」からの日野の図書館の年月を感じてしまう。
 一般書架では、入り口に近い方から、特集コーナー(旅にでようか)、新聞・雑誌・実用書(家庭料理・お弁当・保存食・麺類・パン・お菓子・飲料・料理道具・・・)があり、右手の鎮守の森側は、吹き抜けでガラスの壁がある。森を眺めながらの読書コーナーがあって、左に移るほどに書架の背が高くなってゆく。また、書架の下二段は30度から45度の角度がついているので、かがまなくても下の段の本の背を見ることができる。
 壁際は、天井までぎっしりの本。上の方には、全集物や専門書が並ぶ。社会学講座・日本女性史・リルケ全集・イプセン戯曲集・・・などなど。一番上の天井に近いところは案内板が少し下向きになっていて、見やすい。また、「ご希望の本が他の場所にある場合もありますので職員におたずね下さい。」の案内板が貼ってある。吹き抜けから見える二階の窓には、大きく「レファレンス室」と書かれている。
 カウンターでたずねてみる。「古典や全集物もあるようですが、開架書庫になっているのですか?」
「いいえ、書庫は別にあります。こういうものもあるのなら、他にもあると思っていただけるので・・・」
 二階は、レファレンス室(調べもの相談室・辞典・図鑑・雑誌・コピーサービス)と市民資料室(市政資料・郷土資料)があり、インターネットにもつながる。ホールには「しごと情報コーナー」がある。
 日野市には、この中央館の他に6つの分館と移動図書館1台がある。
 50年前に移動図書館「ひまわり号」1台で出発した日野の図書館の精神は、ずっと受け継がれ、市民の中に深く根ざしてきていることを実感した。豊富な資料とその質の高さに好奇心を揺さぶられ、知識欲を満たしたくなるような書架のひとつをざっと見ただけであるが、棚並べからそんな風に感じたものである。
「滋賀の図書館はガラパゴス」とか「これからの図書館像」とか「課題解決型図書館」とか、今いろんなことが言われている。が、図書館がどういう所で、どういう仕事をするところか、この日野の図書館の精神こそが図書館ではないか。つまり市民が自らを高め、自由な思考と判断のできる自立した市民が増えるよう、市民の自己形成への資料を提供し、判断の材料を整えることこそが図書館の仕事ではないか。それは、市民一人一人と向き合って、つまり、貸し出しを中心とした仕事をして、初めて司書も育ち、市民の側も、自分自身で問題解決ができるような市民が育つのではないだろうか。
 日野の市民の方々が、「みんなの図書館」と誇りに思い、職員も市民一人一人のために適切な資料提供をする、こういう地道な仕事こそ、私たちの求める「市民の図書館」なのだとつくづく思う。
物語の題名
2016/12/14
ワニファン
 図書館に行って本を選ぶとき、まず題名に惹かれて本を取り出すことが多い。作者が、どうしてこんな題名を付けたのか、興味をそそられる。
 若い頃読みあさった松本清張文学など、その題名には驚かされた。
『点と線』『眼の壁』『ゼロの焦点』『砂の器』など、一体この物語はどんな筋なんだろうかと思うが、予想すらできなかった。読み終わってから、「そういうことなのか……」と分かったような気分にさせられたものだ。
 題名を見ただけで、だいたい物語の筋やテーマを予想できるものは、どこか気楽でもあるがちょっとしたワクワク感はうせる。
 老後の趣味で創作をしているが、題名をつけるのは苦労する。趣味の範囲を超えるものではないのでたいした問題ではないだろうが、合評の席に持って行くとなると「ちょっと考えました」というかっこつけのふりもしたい。
 最近、子どものふれあいをテーマにした創作を書いたが、題名には苦労した。その最後の方に「ずっと友達」という台詞を書いたが、テーマから考えてもそれでいいかと思い『ずっと ともだち』にした。が、書いてみるとどうも直接的でおもしろみにかける。悩んだ挙げ句『こうちゃん ちかたん 二人の天使』にした。この題名を見て、何を想像できるか。読んでくれた人たちがどんなことを思い描けるか、興味深い。合評での批評が楽しみである。
 そういう時に、友人である児童文学作家 野村一秋さんの新作が送られてきた。彼の奥さんは、重度の障害を持つ子どもの学級担任である。その生活の一端を夫の野村一秋さんが物語にした。もちろん、創作である。そのテーマは、子どもたちの友情のあり方、友達の関係だ。では、どんな題を彼はつけたか……。それは、『4年2組がやってきた』だった。なるほどと感服し、その題の良さと共に物語を読んだ感動も彼に伝えた。
 ふと、図書館の司書さんのことを考えた。
 本を題名だけでなく、しっかり読んで内容を把握しておく。図書館司書さんの腕の見せ所、プロとしての力はこういうところにあるのではないかと思う。
 図書館の窓口で、
「すみませーん。友達に関係する本を子どもに読ませたいので、選ぶのを助けてください」と尋ねられたとき、どんな本を示せるか。
 この問い合わせをした方は、本棚にある『・・のともだち』などという題名のものを聞いているわけではないだろう。それは、棚を見たら分かることだから。
 内容を把握しておいて、それを示す。
 思わず、司書さんがんばって……と叫びたくなる。
図書館徘徊中
2016/11/30
muca
妻籠宿で見た「つっとこ」  図書館に入ると、その時の必要に迫られている参考書が欲しい場合は、まずその書架に向かう。
 例えば、次回のウォーキングに予定しているコースの参考になるようなものだが、できるだけ新しい情報が載っているのを見たいのに、そういうのがあるはずがないことも承知しているので、ほとんど通り過ぎるために寄るみたいなものである。
 その後はそのときの気分で順序は変わるものの、訪問先はほとんど同じで、棚を端からゆっくりと眺めて、既視感のない背表紙を察知していく。
 辛いのは最下段だ。
 数分間しゃがんでしまうと、立ち上がる時に貧血を起こしそうな気がして、棚に手を触れながらゆっくり立ち上がらなければ不安になる。
 時々は棚の上の方と下の方の本を入れ替えてくれないものかと思うが、こんなに低い棚の書物を整理する職員さんも気の毒である。
 本は、いくつかのカテゴリーを混ぜて借りることが多い。
 この一年ほど、なぜか時代小説もそれに加えるようになった。
 これは外国の推理小説や法廷物に新しい蔵書がなくなったせいだと思うが、私はこういうものをリクエストしないだけの分別があるので、ないならないでじたばたしない。
 ところが時代小説を読みだしてあきれたのだが、必ずといっていいほど先頭に近いページの隅に丸印が書き込まれているシリーズがあるのだ。
 これは、こういうのを乱読する輩が既読を瞬時に分かるようにしているのだが、私も何ページも眺めなくてもそれが分かる記憶力があればと思うけれど、こういう方法で解決するのが蔓延していないのがまだしも救いと見るべきかも知れない。
 必ず寄るコーナーは短歌と俳句で、1・2冊は借りることが多い。
 非常に腹立たしい思いをするのは、短歌や俳句に鉛筆でチェックがされているのを手に取ったときである。
 語句に傍線を引いている個所まである。
 これは何のつもりなのだろう。
 いいと思った歌か俳句の、一時的なマーキングなのか。
 それならそれで転記をするならして、せめて書き込んだ印を消したらいかがなものか。
 他人が何らかの評価をした痕跡がはっきり残されているものなど、誰が読みたがるだろう。
 好きな歌人の作品であれば、読む気になれない気にさせてしまった人物への怒りはさらである。
 私にとっては特に腹のたたない狼藉もあった。
 毎日の新聞がバインダーに挟まれて図書館に置かれていた頃のことであるが、座席で本を眺めていたら、辺りをはばかるような音でピリピリと紙を破る気配がした。
 見渡したら図書館の新聞を破っている男がいる。
 紙面はどうやら競馬か競艇のページで、出走表の部分を恐る恐るいただいているのである。
 情けないというより、新聞を買う金までも馬券か舟券に回したいという、潔いというか、徹底というか、ほほえましささえ感じられる光景に思えた。
 自分にとってどうでもいいものについては、このように大らかな気分でいられるという、まことに勝手な私なのである。
自分探しー図書館の思い出
2016/11/16
都忘れん子
 最近図書館へ行ったのは、近所の方に病気が見つかり、ご自身が納得いく医学書を探せるように車で送ってあげたときでした。若い世代はネットで調べられますが、年配の方はやはり本をじっくり読みたいものではないでしょうか。久しぶりに訪れた図書館は本との出合いを楽しんでおられる方々で活気があふれているように見えました。私も久しぶりに雑誌のバックナンバーを手にして楽しみました。
 私自身、ここしばらくは本離れ、図書館離れでしたが、友人、知人は本好き、図書館好きですので、刺激を受けてまた図書館を訪れるのも良いかなと思いました。昔からエッセイが好きで、生き方を模索していた若い頃のことを思い出しました。いろんな人のエッセイを読み、落合恵子さんと加藤諦三さんの作品を図書館で借りて読みまくった記憶があります。お二人の名前を今でも雑誌等で見つけると心が弾み揺さぶられます。図書館があったからこそお二人の作品の多くを読めたように思います。加藤諦三さん、昔は“頑張れコール”のメッセージでしたが、この数年は“ゆっくり”のメッセージに変わっておられます。作者も年齢、経験とともにより相応しいメッセージを発信して下さるのがよくわかります。
 私は2年前に病気になり、何とか手術ができましたが、その後も毎月検査を受けており、再発の恐れを抱えています。自分の本は片付けて、友人が良かったと言う本は、図書館に頼ろうと思っています。ネットとは違い、図書館に入りさえすれば、子どもの絵本、医学書を始めとする専門書などとともに、時代をつないできた“膨大な”本の世界にも浸れます。
 また、図書館の魅力のひとつは、廃刊になってもう手に入らなくなった本にも出合えることです。
 忘れられない本が一冊あります。高橋正國作『ぼくの姉さん』というテレビのドラマ本ですが、とにかく面白い内容で何回読んでも一人で声を出して笑っていました。仕事で嫌なことがあった時、よく借りに行って読みました。久しぶりに図書館を訪ねて今でも「笑える」か試したくなりました。
 さあ、人生の後半戦。友人、知人が「良かったよ」と言う本、世間が絶賛した本に出会うため、そして、自分の思い出探しに図書館を訪ねてみることにします。
便利というべきか
2016/11/02
KEI
自分の蔵書を眺めている  当市の図書館で大幅なシステム改新が行われた。借り出し・返却手続きの機械化に合わせて、自宅のパソコン上に「Myライブラリー」を作ることができるようになった。図書館が所蔵している書籍のうち、関心のあるもの、読もうと思っているもの、気になっているものなどを個人のパソコン上の本棚にリストアップしておけるというものである。説明では、10種類の棚に各100冊、合計で1000冊までリストアップできるという。
リストアップした書物については、分館を含め市内全部の図書館での借り出し状況や予約状況が確認できる。
 本の顔を眺めて読むべきか否かを決定することを旨としてきた私であるが、このシステムには少し関心を抱いた。
 これから私が読もうと思っている、著者名と書名をはっきり記憶している何冊かの本を、試みに「Myライブラリー」に登録してみた。するとそれぞれの書物毎に「貸出可」と「貸出中」の表示が現れた。「貸出可」の書物の場合、画面から予約すれば、翌日あるいは翌々日に指定した図書館の窓口で受け取ることができる。(正確には、翌日あるいは翌々日に指定した図書館の予約本の棚に置かれている自分の予約本を探し出し、自ら機械の操作をして借り出し手続きをとれば、それで終わりということになる。)
 このシステムは、図書館の本を、1000冊までであるが、自分の書架にある本と同じように管理し活用できることを可能にしたと言えよう。考えようによっては、図書館の一部を自分の仮想書庫として使えるということだろう。そしてそこにある本は専門家がきっちりと管理してくれるということになる。貸出中の書物は直ぐには見ることができない、書き込みや折り目を付けることは避けるべきだ、ということを除けば、まあ自分の本がそれだけ増えたと考えてもいいかも分からない。
 ただ、図書館を始め大型書店、小さいが店主の考えで選定された特色のある本が並ぶ書店、古本屋といったところの書棚を眺めてそれまでに知らなかった本に巡り合えるという幸せは、このシステムでは享受できないだろう。それにパソコンにあまり縁のない人には意味のないシステムだろう。
 とは言うものの「まあ便利になった」というのが、平均的な図書館利用者であると自認している私の意見である。
ネパール 五つ目の文庫
2016/10/19
ネパールの魔女(桜井ひろこ)
トウガラシ(メデューサ) 『年に5ヶ月出るビザを使って、ネパールに滞在したい。年を越えたら10ヶ月のビザになる。それが、私のネパール滞在の夢』
 が、年老いた母との暮らしでは、その願いも叶わない。1年に1ヶ月だけのネパール行きだ。来年のはじめ1月の終わりからネパールへ行く計画。今、五つ目の絵本文庫づくりが始まっていて、その準備の仕事が待っている。五つ目の絵本文庫は、サチコール村の隣のチェトリカラック村に作る(隣と言っても何百キロも離れているが)。日本の多くの支援で絵本文庫は、生まれている。が、支援といっても「はい、どうぞ。作ってあげました」というものではなく、あくまで、村人達の希望に添う形で長い長い時間をかけて話し合い、「我らの村の絵本文庫」の意識が出ることを待つ。
 私は、ネパールに行くと紙芝居興行おばさんとなる。興行カバンと称したカバンには「日本から持って行った紙芝居」「爪切り」「自分用の救急用品」が入っている。
 村を歩き、人がいると思ったら、紙芝居興行のはじまり。ドッコと称した作業用竹籠をひっくり返して台にする。あらかじめ、訳してもらったネパール語で私は読み出す。
 大人も子どもたちも寄ってくるが、前に座るのは必ず大人達だ。子どもたちは、後ろに座って、じっと待っている。
 大人達に読み終わると、やっと子どもたちの番がくる。聞き終わった大人達は、私の背の後ろにたって、紙芝居を指さしながら夢中でおしゃべりだ。
 子どもたちの目の輝きは、どの村でも同じ。食い入るように紙芝居を見つめ、私のいい加減なネパール語の発音に時々笑って聞いている。
 紙芝居を始めた頃、私の姿を見ると駆け寄ってきて、私のカバンの中をのぞき込む子どもたちもいた。大人だって、仕事を休憩して駆け寄ってくる。一日中、あちこちの村を紙芝居興行で歩くこともあるが、ずっとついてきた子どももいる。
 仲良くなっていくと、私のネパール語を直してくれるようになった。私の「ネパール語教室」が始まり、私のここでの語学力は子どもによって伸びた。
 絵本文庫が各地にできてから、学校に通う子どもたちが増えてきたという。学校の教師達の話だ。家の労働力である子どもたちは、学校より家が大事とされて学校に行かせてもらえないこともあった。が、大人も子どもたちの喜ぶ姿や学ぶ姿にうたれたのだろうか。
 絵本を持参するときには、いたずらに日本の文化を押しつけたくないという気持ちで選書する。限られた本の予算や寄付される本からの選書は、なかなか難しい。生きること・命のこと・自然のこと、そういうことを頭の中に入れている。
 何十回、何百回と読まれて、ボロボロになった紙芝居や絵本に、愛おしさを感じる。
図書館でビデオテープを借りた
2016/10/05
KEI
萩  図書館には書籍や雑誌、新聞だけでなく「ビデオテープ、カセットテープやCD、DVDの類も貸出用に準備されている」ということを知ったのは、数年前だった。どのようなテープやディスクがあるのだろう、と興味本位で棚やリストを眺めたところ、ビデオテープでは子供向けの映画や世界遺産を紹介するようなものが目に付いた。古い日本映画や外国映画もあったように覚えているが、具体的なタイトルは思い出せない。カセットテープやCDではちょっと古い歌謡曲、イージーリスニングやクラシック音楽に加えて最近はやりの若手歌手のものもあったようだ。そうそう、名人と謳われた故人の落語家や講釈師の全集などもあった。
声優や俳優が朗読する詩集のカセットテープがあったので、興味本位で室生犀星と金子みすゞを借り出したが、これは失敗だった。朗読が下手というのではないが、今まで私が作り上げてきたイメージが壊されるように思ったのだ。
 この発見(?)のしばらく後に、ポーランド旅行に行くことになった。このとき、何の脈絡もなく「ワルシャワ蜂起」に関連して幾つかの映画が作られた筈だ、いいチャンスなので勉強も兼ねて見てみよう、と思った。図書館のデータベースで検索すると、「戦場のピアニスト」のDVD、「地下水道」と「灰とダイヤモンド」のVHSテープがあることが解った。幸い、我が家にはVHSテープの再生装置が組み込まれた古いブラウン管テレビが捨てずに残されていた。
 ここで映画の感想を述べるのは差し控えるが、DVD化されている比較的最近の映画はともかく、50数年前に話題になった古い映画が保存され、貸し出されているのには、二つの意味で、少し驚いた。その一つはその当時の話題作がきっちりと保存されていたことであり、その二つは同じ保存をするならどうしてDVD化(あるいはブルーレイ化)されたものに置き換えないのか、ということである。予算の都合なのだろうが、時の経過により多くの家庭では、段々とVHSテープの再生ができなくなるだろう。
 昔あった貸本屋と図書館を比較したコメントは見たことがあるが、DVDや各種のテープとの関係でこれらのレンタル業者との比較はどうなっているのだろう。そもそも比較の対象にはならないのかも解らない。このような事を思いつつ、これも興味本位で我が市の図書館のこれら視聴覚資料の所蔵数を調べて見た。
公開されている統計資料によると所蔵数は図書の約15%強の六万強であり、毎年千数百点が受け入れられている。人口35万強の都市として多いのか少ないのかよく解らないが、データではこうなっていた。
これら視聴覚資料について専門家の間でどのような議論がなされているのかは全く知らないが、障害者に対する配慮や高齢化社会を考えた場合、一般論として、大きな文字の書籍とともにこれら視聴覚資料の割合は増える方向に行くのではないか、と単純に考えたことである。
外国の図書館見学
2016/09/21
T・H
 アイルランドに惹かれて、二回訪れた。北アイルランドから、南へ。最後の都市はアイルランド共和国首都のダブリン。そこには、トリニティカレッジというアイルランド最古の大学がある。
 その大学図書館で有名なのがブックオブケルズ(ケルズの書)と言われる旧約聖書の写本である。
 アイルランドのガイドによれば『アイルランドに来たら、ブックオブケルズを見ないと、エジプトに来てピラミッドを見ないのと同じようなもの』だそう。ケルト文化に造詣が深くない人の中には、ただの古びた絵本だと言う者もいる。が、ケルトの書を解説する映像を見た後に、奥のガラス箱に入れられた実際のケルトの書を見ると、大きな驚きが襲ってくる。一字一字丁寧に書き写された言葉、旧約聖書の意味を絵にしたというページ。一月に一度だったかページをめくられるとのことだが、8世紀に書かれた本がこんな美しさで残っているとは驚きである。調べてみると、この「ケルズの書」は「ダロウの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされて、アイルランドの国宝になっており、世界で最も美しい本とも呼ばれる。
 アイルランドを旅していると、修道院やその跡の多いことが分かるが、こういう修道院でこの書は制作されたとのことだ。いずこも同じで、こういう宝物はねらわれる。本来は貴金属製のカバーが取り付けられていたが、1007年に盗難にあった際にカバーは失われてしまったという。
 それを見学してから2階へ。最初の部屋は、古い本の修復コーナーだった。手袋をした職員さんたちが、本の一枚一枚をめくり、汚れを取ってから糊付けをしている。根気のいる仕事だ。手作業の様子をじっと見ていると、本が好きな職人さんたちの雰囲気が伝わってくる。
 さらに進むと、まさにこれこそ図書館という場所にたどり着く。アイルランド最古の図書館、トリニティカレッジの図書館はとにかく圧巻。荘厳な建物内部には、しばらく息が止まりそうになる。古い本が両方の棚にぎっしりと並べられている。
 貸し出しはできないそうだが、上に閲覧室があり、閲覧することができるという。言葉は分からなくても、閲覧して古い本を手にとってみたいという思いが強くなる。
 この大学の創設者は英国イングランドの女王エリザベス1世だという。なるほど、それでこんなに立派かと納得。
 外国旅行など、何年に一度のことで、これから先も行けるかどうか分からない。が、もう一度、この図書館へは行きたいと思う。時間に追われることなく、ゆっくりと建物の雰囲気に浸りたい。
いろいろ大変だなあ
2016/09/07
KEI
いろいろ大変だなあ  私はあまり意識したことはなかったが、新聞記事などから推測すると、図書館では個人情報やプライバシー保護の観点からいろいろと考え、問題が起こらないように留意されているようだ。
 誰の言葉だったか「本棚を見ればその人間が分かる」との趣旨の文章を読んだことがある。この言葉が正しいかどうかは別にして、どのような書物を読んでいるか、どのような書物に関心を抱いているかを知られたくない人もいることは容易に想像できる。
 あるとき、ラトビアに関し何年か前に読んだ書物の記述について正確に知りたくなった。この本は市立図書館から借り出したこと、図書館では旅行案内の書物に隣接した位置に置かれていたこと、ブルーと白のハードカバーで書名には、バルトという言葉とともに風、光、陰といったような一字の単語が含まれていたこと、程度は覚えていた。著者は私にとっては初めての名前であったこともあり、残念ながら全く記憶していなかった。
 この本は、中央図書館か駅前のビルにある分館のいずれかから借り出したという確信があったので、その二つを訪問し、書棚を丁寧に眺めたが見つからない。図書館の図書検索ツールを使い、思いつく幾つかのキーワードで探そうと試みたがそれも不調。
 そのとき、「そうだ、私の借り出し記録に残っているはずだ。本人だから調べて貰えるかも分からない。」と思い付いた。ただ、個人情報やプライバシーの保護あるいは図書館の自由に関する宣言その他の理由で断られるかも分からない、との考えが一瞬頭の片隅をよぎった。断られたら仕方がないが、本人が本人の情報を知ろうとするのだから、例外とされているかも分からない、と思いつつ図書借り出しカードに私の身分証明書を添えて窓口の司書さんにお願いした。
 すると、私にとっては、思いもかけない答が返ってきた。「当館では、貸出記録は図書が返却された時点で全て抹消しています。」
「なるほど、なるほど」。これなら、いろんなところからの、いらぬ詮索を受けることもなく、トラブル発生の可能性もない。
 当市の図書館ではつい4〜5ヶ月前に新しいシステムが導入され、書架に置かれている書物は自分で借り出し手続きをすることができるようになった。設置された機械に借り出すべき書物を置き、図書カードを機械にかざし、画面をタッチすると、書名と返却期限が記載された紙片が出てきてそれで手続きは終わり、というシステムである。返却は、窓口前に設置された箱に一冊ずつ投入すればよい。借り出し・返却に際し誰とも一言も言葉を交わす必要はない。味気ないと言えば味気ない、便利だと言えば便利、これも進歩の一つか。
 事務の合理化、経費削減その他どのような狙い・目的・理由でこの手続きを採用することになったのかは、長い間のサラリーマン生活の習慣から気になるが、調べるつもりは無い。このシステムの採用により結果的には、図書館は個人情報、プライバシーなどを理由とする問題からは解放されることになるだろう。「いろいろ大変だなあ」とは老人の独り言である。
「本探しはどうなったか」ですって。最終的には、パソコンを前にいつも閲覧者の相談に乗っていらっしゃる年配の司書さんのかなりの時間を割いた助けを借りて、無事に探し出すことができたのでした。めでたし、めでたし。

図書館見てある記(2)
2016/08/17
けふばあちゃん
高月町立図書館(現長浜市立高月図書館)
 八日市図書館見学の日、膳所駅に着いてから忘れものに気が付き、慌てて引っ返す。
「近江鉄道ホームでお待ちします」と、わざわざ前日にメールしたのに、「ごめん、Uさん後はお願い!」と車で名神をとばす。
・・・こんなことが以前にもあったなぁ。20数年前、高月町立図書館を見学する日。
「けふさん、大津駅で乗るのは一人だけれど、大丈夫?8時○分発、長浜行だからね。遅れないでね」と仲間から電話をもらっていたので、当日は早くに用意をして、玄関を出る。
 ご近所さんが、「あらっ、けふさん、早いねぇ。お出かけ。ついでに乗っていったら。」と大津駅まで送ってくださる。お陰でホームに早く着き過ぎて、本を読んで待つ。幾度か時計を見ながら、「まだだなぁ。これ違う、この次の次」と電車をやり過ごす。そのうち、本の世界に入りこんでしまって、はっと気が付いて、掲示板を見上げれば、なんと予定の電車は行ってしまっていた。携帯電話もない頃、あわてて切符を払い戻し、家までタクシーで帰ってそのままガレージへ。車を出して名神を走らせ、・・・・。高月町立図書館に着いてみれば、文庫連の仲間は誰もいない。明定館長さん、「なんでもお一人遅れられたそうで、一電車遅らせたそうですよ。先程お電話いただきました」
あちゃぁー!!と、わたし・・・。
 高月図書館も八日市とはまた一味違った地域に根差した図書館だった。
 八日市では、大きなココゴリラが迎えてくれるが、高月ではネコバスが書架の上から「ようこそ、ようこそ!」
 20年前、滋賀の図書館にはめずらしく、漫画のある図書館ということで賛否両論にさらされている頃だった。見学して思ったのは、「漫画もきちんと選ばれておかれている、単なる人寄せパンダではない」ということだった。この館の特徴は、学校図書館・幼保・小中学校など教育機関との連携、教材資料の提供・・・成長途中にある子どもたちの好奇心をくすぐり、如何に知的好奇心へ、自己問題解決の方向に導くか、そういう姿勢の図書館だった。図書館にやってくるのが一番少ないと言われる年代の中高校生が出入りし・・・二階には、壁に穴の開いているところもあった。どういう人とも真摯に向き合われる館長の姿に、きっとあの子たちにもここが“自分のいていいところ、安心な場所なんだなぁ”とひそかに思ったものだった。
 その後、観音の里めぐりのついでに立ち寄ると、「仮設の会」のメンバーでもいらっしゃる明定館長にかがくあそびや切り絵など、文庫に役立つ資料を教えていただいたりした。
 井上靖の「星と祭」の舞台となった十一面観音の里。近くに歴史資料館もあるが、図書館の中には井上靖記念館も併設されていた。郷土を大切に思い、それを次世代へとつないでいく、その橋渡しの役割をも担っていらっしゃるようにも感じた。
 館長の定年退職前に町村合併となり、高月は恵まれていたけれど・・・とおっしゃっていたが、その後の図書館を見ていなくて、どうなったか?きっと、次世代の司書さんたちが館長や地域の思いをつないでいらっしゃることと思う。

図書館あれこれ
2016/08/03
KEI
「図書館」という言葉をキーワードに三つの記憶に残っている文章や発言を書き連ねる。
 一つ目は、会社を離れたばかりの人が書いた文章である。「平日の図書館に行って気圧されました。新聞、雑誌コーナー近くの座席は『常連さん』専用のような雰囲気があり、新入りには近寄りがたい感じです。」と自宅近くの図書館に初めて行ったときの印象を書いていた。
 この人物は周辺の図書館にも足を延ばし「私が学生の頃と違ってどこの図書館もずいぶん立派です。」と書き、「隣のA市の図書館は広々としており『新入り』にも居場所がありそうです。雁行して独立したブースが用意されていて、マイペースで時間を過ごせます。」と続け、「私の地元ほどは地域の高齢化が進んでいないのでこうした雰囲気が保たれているのでしょう。」と自己の考えを述べている。
「常連さん」でもなく、さりとて「新入り」でもない私であるが、この人物の感想はよく理解できる。
 二つ目は長年の友人である読書家の何人かの発言である。彼らは「自分の読みたい本を注文すると、図書館が買ってくれる。新聞の書評欄で気になった本をリストアップし、それを図書館に買ってもらう。」と言う。
 私は、この発言を聞いたときには特にコメントというか反応はしなかったが、何となく違和感というか気になる発言だと思ったことである。自らの蔵書に加える程度の本ではないが、一応読んでみたいというような本を図書館に買ってもらっているのだろうと推測したが・・・。
 それとも、書物の整理を含めていわゆる「老前整理」を始めているので、これ以上蔵書が増えるのを躊躇するという気持ちがこのような行動を取らせるのだろうか。あるいはもっと実利的、現実的に自らの小遣いの効果的、効率的配分(?)を狙っているのか。
 これら友人たちが選び「図書館に注文する」本は、友人たちのこの行動がなくても図書館が当然購入するような書物だろうから、特に気にすることもないのだろうか。
 三つ目はある学者の公共図書館についての文章である。「日本にある公共図書館というものは、占領政策の一環として造られた。アメリカでは大きな町でない限り住居の近くに書店がなく、住民サービスの一環として町に公共の図書館を造った。日本では小さな町であっても書店があったが、このことを知らない進駐軍がアメリカと同じように考えて町に公共図書館を造ることとした。」と書いていた。30数年前に読んだ書物の中に書かれていたが、確かこのような趣旨の文章だった。
 この文章の真偽はともかく、2014年の日本図書館協会の統計をみると、ほとんど全ての市区、半数超の町村で図書館が設置されている。
 どのような内容・規模のものであれ図書館の存在そのものに意味があるとは思うが、多くの住民が積極的に利用・活用できるような図書館とするには、それなりの予算を始め、その組織を管理・運営する有能かつ大きな志と夢を持った人材、さらには考え方・意見はそれぞれであろうが、それを利用する人びとが不断に「図書館に関心を持つ」ことも必要だろう。
 一介の老人はこのようなことを思いつつ、散歩の途中で図書館を訪れては、その時々の気分に従って何冊かの書物を借り出している。

子ども雑誌の思い出
2016/07/20
まっしゃん
 家は、本当に貧しかった。
 職業軍人だった父親は、私が小学校1年の時に亡くなった。それまで、軍人の家としてそれなりの生活をしていた我が家は、敗戦それに続く父親の死と共にどん底へ落ちた。
 母親は、自宅でお茶・雑貨の小売り店を開く。私は、店番の手伝いをして母を助けた。たまにやってくるお客に、ぼそぼそと対応した。多くは、店の片隅でじっとしている子どもだった。
 そんな私に、母親はどうやりくりをしたのか、月に一度の子ども雑誌「小学○年生」を買うことを許してくれた。小銭を握って、自分で本屋に行った。蚊の鳴くような声で、本を求めた。気の弱い私は、外に行って人と話すことなどやりたくないことだった。が、本を買えるという喜びは、声を出す勇気を与えてくれた。
 買うと一日で全部読み切った。毎日、何度もめくって読んだ。おもしろくないページも活字に浸ることが喜びだった。
 年を追うごとに雑誌は成長した。が、私の消極的な部分は、一向に成長せず、小銭を抱えて最低限の言葉を発して店に通い続けた。
 雑誌は、私に活字から導かれる力を与えてくれた。その学年で習うよりもっと難しい漢字が読めるようになり、語彙も豊かになった。雑誌の値段以上の学びを我が身にもたらしてくれたと思っている。学校で習う内容は、とっくに雑誌で身につけていた。
 昭和30年代前半の頃、田舎の町に図書館があったか、記憶にない。学校に図書室があった記憶もない。あったとしても、気の弱い私が「借りる」という行動に出たかは疑わしい。
 よく「読書は、子どもに学力を付ける」と言われるが、私が読み続けた月に一冊の雑誌でも、大いに力を付けるものだと確信している。ただ、必要なのは、自ら求める姿勢があるかどうかによるだろうが。
 こんな弱い気持ちの私だったが、成人した頃には、人前で一応は堂々と話せる自分になった。今では、大人数の前で歌も歌っている。人間は変わるものだとつくづく思う。

図書館の書庫
2016/07/06
KEI
 当市の図書館のホームページを眺めていて偶然に「書庫散策ツアー『ちょっと書庫まで』」が計画されているのを知った。いま流行のバックヤード・ツアーの一種だろうと思い、指定された時刻の少し前に受付窓口へ行った。
 一番乗りだったが、参加者は男3名、女1名の4名と予想外に少なかった。担当の女性司書は、書庫は図書館建物の3階部分と4階部分を3層にして使っていること、書籍は自由に取り出していいが、必ず元の場所に戻すこと、戻す場所が分からなくなれば、書庫に出入りしている係員の誰にでも渡すこと、もし借り出したい本があれば、持ち出して手続きをすること、など基本的な注意事項を簡単に話し、我々を急な階段を使って書庫に案内してくれた。
 これからいろいろと説明しながら書庫の全体を案内してくれるのだろうと期待していたが、「後はどうぞご自由に」ということなので、私は、書庫の端から端までゆっくりと背表紙を眺めつつ、歩き始めた。
 移動式というか電動式の書棚が整然と並んでいるのだろうと思っていたが、予算の都合もあるのか、旧態依然とした書架であるのには、少し驚いた。この書架と書架の間隔は、これ以上は狭くすることができないほど狭く、一部の書架では、我が家の書庫の本棚と同じように二重に本が並べられていた。二重に本を並べるのは、我が書庫の本棚と同じだと喜んだが、さすがにプロ、前列の書物は横にして並べられていた。こうすれば後列の本の題名の一部を読むことができる。
 書架の一番下、足元近くの段に並べられた本の題名を眺めるのは、体が硬くなっていることもあり無理だった。
 紙面が茶色に変色しているような本や丁寧に扱わないと破れそうな、あるいは背表紙が取れそうな本が近年に発行された本の間にしっかりと保存されているのを見るとなんとなく感動し、意味もなく手に取りページを繰った。
 動物関係の書物が並んだ中に「動物からみた邪馬台国」(という表題だったと思う)という本が並んでいたり、私も所有している文科系の学者が書いた知的生産に関する本がコンピュータ・ソフト関係の本の間にあったりしたのは日本十進分類法に従っているのだろうが、「へえー」と思ったことだった。
 女性の参加者は、デザインの専門書らしき書物を3冊ほど手元に置き、階段に座り込んで読んでいた。男性の1人は手元のメモを見ながら本を探していた。もう1人の男性は、さーっと本棚を眺めて、帰って行ったようだ。
 私は、時間一杯書庫の中で書架の間をぶらぶらと歩きながら、本の顔を眺めて過ごした。私が所有している本や関心を持っているテーマに関係する書籍があると目に飛び込んでくるのは、何度も古本屋で経験しているが、ある意味で愉快なことであった。
 数年前に開館した、我が家からかなりの距離にある本館よりも立派な分館では、きっと機械仕掛けの新しい書架が導入されているだろう。しかし、古い書架が、狭い場所でもうこれ以上は入らない状態で、数多くの本を保管してくれているのもいいではないか、と若干の負け惜しみを抱きつつ書庫を出た。
ツバメがやってくる図書館
2016/06/29
T・H
 大津市立和邇図書館に通い始めて数年になる。
 五月のこの時期、本の楽しみに加えて私の心が躍るのが「ツバメ」を見ることである。駐車場から図書館入り口に歩みを進める時、玄関にいる人が上を眺めているとワクワクしてくる。
「あっ。今日は、ツバメが巣にいるんだ」
 お父さんらしい人と上を眺めて話している子どももいる。何ともほほえましい。
 カメラのレンズを天井に向けている人もいる。写真を撮り終えるのをしばし待つ。
 誰が作られたか、ツバメの糞を始末する箱には、びっしりと糞が着いている。予想以上の数が来ているのだろうと想像する。
 このツバメたちは、春になると、長い旅をして南の国から渡ってくる。しかし近年、ツバメは減少しているといわれている。 ツバメは古くから里山の自然の中で生きてきた、人と自然との共存を象徴する野鳥である。ツバメが姿を消すとき、それは私たちにとっても懐かしい風景も消える時なのだともわれている。
 以前の職場にも、やはりツバメがやってきた。いくつもの巣を作って、みなの人気者だった。ところが、ある日、その巣の中にどうしたものかスズメが入り込み、それによってツバメは追いやられた。また、違う巣の中にヘビが入り込み、幼い雛をとってしまった。こういうことが続いた次の年から、ツバメはこなくなった。空を舞っているツバメがいると、巣を作ってねと願うけど、とうとう巣は作ることはなくて、以前の巣のかけらが天井にくっついていた。
 和邇図書館のツバメは、こんな悲しい思いをしないで、ずっと来て欲しいと思う。
 ところで、日本野鳥の会は、 ツバメの子育て状況調査を続けている。ツバメの巣と子育てを観察し、何羽のヒナが巣立ったか、どのような原因で失敗したのか、広く情報を集めて、ツバメの子育ての現状をくわしく知るための調査だという。和邇館の近くに住んでいたら、ツバメの巣を観察してこの調査に参加するのになぁと思う。
 そこまでのことはできなくても、和邇館に「ツバメが来たよノート」を置いて欲しいと願うのだが。図書館に来た日を記し、その時のツバメがどんな様子だったかをメモするノートだ。気がついた人が、簡単に書けばいい。子どもの観察の目、大人の観察の目、それぞれの視点でツバメを見て記していくノートだ。
 ノートでなくても、B紙を一枚壁にはって気がついたことを記すだけでもいい。
 図書館は、地域の特色が出ていいと私は思っている。ツバメがやってくる図書館は珍しいのではないだろうか。そして、この時期、「おすすめの本」にツバメ特集だって組むことができよう。
 今年もそろそろ巣立ちの季節になる。私のこの企画をどうしたら取り上げてもらえるか、画策している間に季節は流れてきた。
 一市民の声をどうにかして届けたい。もし、必要なら、観察支援もやりたいなと思う。来年こそは……。
収集癖はないのだけど
2016/06/22
muca
 愛知県の工場に転勤してからは、休日に名古屋市まで出かけて、デパートをうろついたり、本屋を覗いたりするのが多くなりました。
 京都に住んでいた頃は少し足をのばせば本屋や古書店に寄れたので、そういう習慣が東海市に住むようになっても抜けませんでした。
 本屋では、平積み・面陳列・背差しなどと言われている陳列方法だけではなく、回転式本棚も店先に置かれていることが多いです。
 初めてチャールズ・M・シュルツの「ピーナッツ」に注意を惹かれたのは、こういう回転ラックだったと思います。
 子どもたちと一匹のビーグル犬、というくらいのキャラクターが当初の構成で、大人は一人も登場しない漫画ですが、主人公に違いないチャーリーブラウンは遊び仲間に人気がないばかりか、気の毒なほど軽んじられている存在で、いつの頃からか、主役はスヌーピーになっていったようです。
 趣味が極端に限られている子や、ふるまいに特徴があるだけの子というのは何度も登場させにくいのか、段々起用されなくなっていき、個性的で感情移入しやすいタイプは、新しく登場したキャラクターであっても、期待に応えるだけの存在感がありました。
 途中から登場した中では、ペパーミントパティやマーシー、ウッドストックが私のお気に入りで。
 子ども同士の日常風景なのに、大人が交わすようなセリフがかもし出すユーモアと涼感。
 私自身、人生を斜めに見ているようなところがあるのでしょうか。さめた視線で書かれているようなこの漫画がとても気に入りました。
 セリフは原文と谷川俊太郎氏等の共訳が併記されていて、訳の上手さに感心しながら、なるほど英語ではこう言うのかと勉強になった(ような気がした)ものです。
 このシリーズは、名古屋市の本屋に行くたびに、1冊か2冊新しいのが並べられていましたから、その都度必ず買いました。
 ある程度溜まってくると、バックナンバーを探してまで買うようになったのですが、やがて、いつの間にか新刊も発行されなくなりました(鶴書房は、後にツル・コミックと社名を改めましたが、1978年頃に倒産したそうです)。
 私には物を収集するという趣味はないのですが、このシリーズは揃えたい気持ちが強かったです。
 鶴書房が発行したピーナッツ(全60巻)の内、13(ゼロゼロスヌーピー)、14(うすのろチャーリーブラウン)、15(こんにちはチャーリーブラウン)と21(おはようライナス君)の4冊は、ついに見つけることができませんでした。
「あなたが持ってない第○巻を持ってる。作品の中でも特に面白い。見せてあげない」というお声をかけていただいたら 嬉しいです 悔しいです。
こんな図書コーナーが欲しい
2016/06/15
べーちゃん
 学校に勤務していた頃、環境整備の校務分掌を受け持っていました。いかにして、子どもたちの学びに合う環境作りをするかという仕事です。草花栽培から資料室の整理、図書室の整備まで、その仕事内容は、幅が広いものでした。
 毎年、図書館担当者たちが図書室を整理して、廃棄図書を出します。古い学校だったので廃棄の数も多かったです。私の「もったいない」精神は奮い立ちます。書類上は廃棄しても現物ではまだまだ生かされる本もありました。それをどうにかして活用できないものかと学校中を右往左往していました。
 学校には、階段横の小さいスペースがあります。そこを利用しようと考えました。企画書を作って、職員会に出しました。
私の企画
 小さいスペースに、物置にある畳を三畳ほど敷く(以前、和室があったこの学校には、畳が残っていました)。
 廃棄された本をそのスペースに置く。古い本棚を探してきて設置する。
 置かれた本は、自由に読んでいい。仕舞うことだけ、きちんと指導する。
 かわいい掲示を作って貼り、さあ図書コーナーのできあがりです。
休み時間に、そっと行ってみると、三畳の畳の上に寝転がって本を読んでいる子どもたちの姿がありました。私が横に立っていても、気がつかない。夢中で読んでいます。本の中に入っているのです。
 子どもの姿は本当に楽しい。ごろりごろりと回ったり、腹ばいになって読んだり。クスクスッと笑ったり、あくびをしたり……。
 この光景に喜んだ私は、もう一カ所このコーナーを作りました。小さい子どもたちのためには、畳のコーナーは大事だと思ったのです。かしこばらずにゆったりと本の世界に浸ることができるのです。
 大津市の図書館をのぞくとき、子どもコーナーが気になります。大津本館には、畳が敷かれていました。この畳の上で、子ども達はどんな姿で本を読んでいるのだろうと想像しました。
 近くの和邇館はどうかな? 畳コーナーは、現在のところありません。できたら、子どもコーナーに畳のスペースが欲しいなぁと思うのです。そしたら、新しい本の世界ができるかもしれません。
 こういう市民の企画を募集するというのはないかしら?
 実現した時に、人手がなかったらボランティアでいつでもかけつけます。
図書館みてある記(1)
2016/06/01
けふばぁちゃん
 所属している文庫や連絡会のメンバーと一緒に、あるいは一人で、いろんな図書館を見学してきました。その一部をご紹介したいと思います。
 まず、なんといっても八日市図書館。滋賀の図書館作りの先駆けとなった図書館です。その後、つぎつぎと新しい魅力的な図書館ができてきましたが、やっぱり八日市図書館がいいと思う理由があります。
 ここは住民とともにある本来の図書館の姿が色濃くあるからです。そして、初代館長の西田博志さんの思いや願いが引き継がれた心のホッとする図書館です。
 近江鉄道八日市駅から徒歩10分。大きなクスノキに迎えられて玄関を入ると、大きなぬいぐるみのココゴリラがエプロンをして、どっかと椅子に腰かけ、にこっと?(の気がする)今日の催しなどを首からぶら下げた看板で知らせてくれたりします。
 開館から30年もたつと今では書架も満杯で、図書館員手作りの書架が玄関ホールにできていたりしています。でもそのコーナーの本を見ると、手に取りたいなぁ読んでみたいなぁと思うのです。児童書のコーナーも、「うん、やっぱりこの本あるなぁ。ああ、読みたかった本や・・・」思わず手を伸ばしたくなる・・・・そういう本が並べられているということでも、図書館司書健在なりと思います。
カウンターでは、利用者と図書館司書さんがにこやかに話している姿を目にします。よそ者の私は、本は借りられないので、二階へと歩を進めると、階段には、茶色の空き瓶にお花があちこち生けてあります。以前、見学に来た時、「子どもたちが、階段で走ったり、騒いだりするので、怒るよりも・・とお花を並べたら、走らないでそっと上がるようになった。それからの風習です」と館長がおっしゃっていたことを思い出します。
 階段を上がると、そこは『風倒木』コーナー。大津市民でもここのリピーターは、多いようです。八日市図書館の八日市図書館たる場所になっているコーナーです。開館10周年を記念して作られたこのコーナーは、『自然保護と環境問題を考えるフロア』…環境・原発・自然をテーマに写真集や専門書が並ぶ本のコーナー、有機栽培コーヒーの喫茶コーナー、ここでは地元の陶芸家のコーヒーカップの作品が並び、好きなカップを選んでコーヒーを入れていただけるのです。しかも、100円。その奥は、リサイクルコーナー、市民からの寄贈本・図書館の廃棄本が20円・30円・50円と格安で分けていただけます。
 ここの運営は、NPO法人「人と自然を考える会」に委託されています。その横は、ミニギャラリー。市民の写真や絵画、木工など作品展示の場所であったり、絵画の貸し出しコーナーもあります。初めてこの図書館を訪れた時、びっくりしたのはこの絵画の貸し出しでした。油絵・水墨画・版画・・・本物の絵を1か月借りて、自分の家に飾ることができるのです。「なんと素敵な図書館だろう。この図書館には思想がある。市民の心を豊かにしてくれる思いがある」そんなことを感じたことでした。
 この『風倒木』というのは、久木田禎一氏の短文、『風倒木の人』(河北新報)より取られた。汽車の中で、ある老人が「しかし、岩手にはもっと深い思想を抱いたまま、世に知られず、またそのことを苦にもせず悠々と死んでいった風倒木のような人がたくさんいる。岩手は思索を生む土地であり、思想がゆっくりと時をかけて熟成する地だ。」と語ったことによるそうです。
 ・・・「森や林の中を歩くと、風に倒された巨木が横たわっているのにぶつかることがあるが、これを風倒木というのだそうだ。深くくらい森の中に倒れ朽ち果てた巨木。永い年月を経て、徐々に土に同化し、やがて次世代の森を育てる土壌ともなるであろう巨木。『風倒木』が放つ孤高と豊饒のイメージに誘われ、その後もたびたび岩手を旅した」とこの著者は語っています。・・・「ようかいち通信」−人・自然・図書館―bS5より
 私も、この『風倒木』に魅かれて、何度も八日市図書館を訪れるのです。
子どもの雑誌
2016/05/25
島田 耕
 育った家は古くて大きかった。小学校に入る時まで祖母と叔母に預けられ、二人が育ててくれた。
 父と母と二人の弟と初めて出会って、すぐ下の弟(四才)の言葉にびっくりした。英語だと、私にもわかる言葉がとびかった。アメリカ帰りだった。
 母と弟二人と床をならべて寝るようになって、浴衣で寝ていたのが、パジャマになった。素っ裸にされてパジャマを着る。床に入ると母が本を読んでくれた。弟がいつもそうしていたので、せがんだのか。
 読んでくれた本の中には、男の子二人が出てきた。「善太と三平」と憶えてはいる。のちに坪田譲治の著作と知った。寝ものがたりで聞いたなかに「風の又三郎」もあった。
 父は子どもたちにお化けのこわい話をしてくれた。声色と身振りで祖母のひざに顔をかくした。
 が、本、書物は学校の教科書の他に、子どもの本は思いあたらない。家には分厚い雑誌「キング」があり、漢字にルビがあったのでひろい読みをした。
「金色夜叉」もおぼえている。
 祖母でも母でもない親戚の女の人が、「耕ちゃんにそろそろ子どもの雑誌を」と言って手配をしてくれた。
「少年倶楽部」が自転車のお兄さんによってとどけられるようになった。
 村には鉄道もなくバスが北の海辺の町から南の町へ走っていた。その本屋は村を二つくらい通り抜けた海辺にあって、本のお兄さんはゆっくり上り坂の私の家までのぼってくるのであった。家の前の道で遠くに海や小豆島が見えるところに本屋があると聞いて、立ちつくして待った。
「少年倶楽部」は自分でも読めた。むづかしい字にはふり仮名がついていた。とどいた日には、友だちと遊ぶのもそこそこに読みふけった。一日で全部読んでしまうので、次の月までが待ちどおしかった。
 小学校一年の七月(一九三七年)、日本が中国で侵略戦争をはじめた。子どもの読み物も、強い日本兵のたたかいなどをあつかうようになったことをおぼえている。
図書館と縁遠い人の話
2016/05/18
さくらこ
 大津市の図書館利用者の最近の統計を見ると、滋賀県下の他市に比べて貸出冊数が低迷している。資料費や職制の問題も大きいが、図書館を身近に感じていない人がまだまだ沢山いることを日常の生活の中で感じている。
 4月と言えば桜、先日、その桜見物に(毎年恒例行事となっているが)鴨川に出かけた。今年の枝垂れ桜は見事で花見日和であった。同行した者は大半が男性。元上司のAさんは仲間内では博識者。道端の歌碑をみては作者の説明や他の歌も詠み、「下の句は何?」といきなり質問するのである。万葉集は酒の席でも間違ったことが無い程に頭に入っている。宴会になるといろんな質問が出るが、何故か、いつも私に質問される。「ニューヨークの9・11でどの国が一番多く死者を出したか」「第2次世界大戦で一番多く戦死者を出した国はどこで、何人か」「では、日本の戦死者は何人か」こうした話の後で必ず出てくるのが、カフカの『変身』である。これは、主人公が変身した「虫」の姿が文中に殆ど明らかにされないので、その作品から色々想像を巡らしながら語り合うのである。彼の質問パターンが段々わかってくると、私も先手を打って図書館で色々調べるのだが、どうも、彼は今まで図書館を利用するというのが全く頭になさそうに思える。必要な本は購入と決めていて、いつも持って歩くリュックサックの中には好きな時に読む本が2冊入っている。
 その内の一冊が退職時に私が贈った『日本唱歌集』だ。「鉄道唱歌」はこれには66番までしか載っていないが、彼はこれでは済まさず他にもこれにまつわる歌集をこっそり調べて機会ある度に披露するのである。この場合も図書館ではなく本屋を利用するようだ。また、古書店にもよく行くそうだ。
 そこで、図書館ならその位の本はあると思うわけだが「何故行かないのか」と聞いてみると、面倒くさい、自分の本だといつでも読めるし、大切な箇所は線も引ける。
と、こういった返事が返ってきた。なるほど。彼にとっては図書館の存在は分かっているが自分にとって便利さを優先させているんだなぁと理解したのである。
 さて、図書館の魅力とは一体何であろう。
 利用してみて初めてその人にとっては生活から切り離せないものとなるかも知れない。しかし、利用しないからと言って、図書館の存在を否定しているわけではなく、むしろ彼のような者こそ図書館の価値をよく解っているような気がしてならない。
妖精に会いたい
2016/05/11
チャッピー
 私は、本を読むとその世界に入りたいとすぐに思う子どもでした。以前出した「魔女になりたい」に続いて「妖精に会いたい」と思い続けた話です。
 とっても気に入ってた絵本がありました。妖精の話です。その妖精は、森の中に住んでいました。小さな小さな女の子で、真っ白なドレスを着て、真っ白な羽がついていました。
「このかわいい妖精に会ってみたい」「どこに行ったら会えるのだろう」絵本をめくりながら毎日思っていました。きっとどこかで会えるに違いない。
 我が家の近所に修道院がありました。クリーム色で赤い屋根の建物でした。入り口には立派な鉄の格子扉がありました。別の世界の入り口のようでした。そこから、中をのぞくと庭が続き、ピンクのバラが咲きほこり、バラのアーチやトンネルがありました。
「ここだ。妖精がこの庭にいるに違いない。絶対、ここにいる」
 修道院のシスターたちは、鍵のかかった横の木戸から出入りしています。小さな木戸は、足をかけたら壊れてしまいそうでした。そこで、私はこの鉄の格子扉から中に入ろうと決意しました。妖精に会うためです。
 誰も見ていないことを確かめると、鉄の格子扉に足をかけて乗り越えました。成功です。バラのトンネルの中でじっと妖精が出てくるのを待ちました。ピンクのバラの下は、夢の中のような場所でした。私は、幸せな気持ちでじっと待ち続けました。
「何してるの?」
 バラの中から優しい声が聞こえました。妖精に会いになんて言えなくて、黙っていると
「どうやって入ったの? いけませんよ」
 とうとう、木戸から出されました。でも、妖精に会いたいという気持ちは募ります。数日経ってからまた鉄の扉を登りました。今度は絵本も持って行きました。絵本の妖精が
「私のことだわ」
と出て来てくれそうな気がしました。でもこの日もシスターに見つかって、木戸から出されました。
 この後、母に厳しく叱られました。ご近所の修道院のシスターたちは、私のことをどこの子かちゃんと知っていたのです。
 それでも、あきらめがつかず、格子戸から庭のバラの花を眺め続けました。
「きっと、人間がいるから妖精は出てこないのだろうな」
と思いました。
 この外国の絵本は、自分の家では買ってもらえないものでした。多分、学校の図書室で借りた本です。題名も覚えていません。どの本だったかなぁとちょっと調べてみると、シシリー・メアリー・バーカー作の絵本のような気がします。子ども時代にこんな夢のある絵本に接したことは、幸せでした。そして、私を「会いたい」と思うほどにさせたこの絵本の力の大きさも思います。実際には会えなかったけど、妖精は、ちゃんとバラの花の中にいると今でも思うのです。
原作と映画
2016/05/04
H・K
 映画を見ると原作が読みたくなり、本を読むと映画になってないかと探す。原作と映画の違いを比べるのが大変おもしろい。
「どっちがいい?」
とよく聞かれる。六割ぐらいの割合で「原作がいい」と答えている。でも、あくまで内容による。
 例えば、山崎豊子作の「大地の子」と「沈まぬ太陽」は、原作も読んだし映画も見たが、彼女の作品は断然原作がいい。長い間調べ抜いた緻密な内容を映画に投影させるのは、やはり無理がある気がする。心が揺さぶられる読後感は、映画鑑賞の後にはなかった。
「原作と映画の両方おすすめ。絶対、映画も見て」とみんなに誘っているのが、中国映画「小さな中国のお針子」だ。
 原作は「バルザックと小さな中国のお針子」で作者はダイ・シージエ。日本語の翻訳は新島進である。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、1971年の中国が舞台となっている物語。そのころ中国は毛沢東による文化大革命の嵐が吹き荒れていた。主人公の17歳の青年と、主人公と幼なじみであった18歳の青年の二人は、「知識青年」であったために僻地の農村へ「再教育」のために送り込まれた。二人はそこで、お針子をしている若い美しい娘と出会う。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、二人の青年がお針子に恋をする話がメインストーリーに、主人公の青年が「再教育」をとおして文学にふれる話がサブストーリーになっている。はらはらしながら物語を読み、二人の青年とお針子の少女に心を寄せる。
 某映画評論家も『「原作を上回る映画はない」というのが持論の私だが、今回ばかりは致し方ないか。』とある書評で書いていた。なぜに映画が良かったかというと、その映像の美しさである。その山裾の美しい風景には虜になった。主人公達が住んでいる所は湖南省、張家界で撮影されたということだった。山の尾根の細い道や石の階段、あそこも張家界にあるのだろうかと興味をそそられた。
 中国旅行ツァーにその地が含まれていたものがあり、とうとう飛んでいった。映画以上の美しさがそこにあった。
 この映画の監督も作者本人である。そして、映画制作許可が出るには一年間もかかったとか。中国とフランスの合作である。
 一冊の本は、映画鑑賞の興味を抱かせ、歴史背景を学びたいという意欲も湧く。この本を読んだ後に文化大革命も少しかじった。さらに、自分の目で映像のロケ現場まで見てみたいという欲望まで生まれ実行した。
 それは、図書館の小さな書棚から始まった。
ライブラリー
2016/04/27
KEI
 図書館は英語ではライブラリー(Library)というが、この言葉から思い出す幾つかの図書館がある。
 美しさでは、ポルトガルのコインブラ大学の図書館(ジョアニナ図書館)だ。世界一美しい図書館と言われているそうだが、現実に目にし「宣なるかな」と思ったことである。美しく内装が施された部屋の、全面に巡らされ装飾された書棚には革表紙の古そうな書物がびっしりと並んでいる。ライブラリーであるからには当然のことだろうが、これらの蔵書も研究者は必要に応じて借り出すことができるそうだ。
 日本では、近年に数多く建築された機能美溢れる図書館を別にして、大阪・中之島にあるネオ・バロック様式の大阪府立図書館を好ましく思っている。本館と左右の両翼は国の重要文化財である。残念なことに正面階段を登ったところにある立派な入口からは一度も入ったことがない。つい先日まで、利用者は階段下にある通用口のようなところから入ることになっていた。
 多くの著名人がここで研究し、思索に耽っていたという大英図書館のリーディング・ルームは、一度は訪れたいと思っているが、研究者でもない私にはリーダー・パスは発行されないだろう。ここを訪れるガイデッド・ツアーがあるというような記事を読んだ記憶もあるが、さてどうだったか。
 最後に、これはもう図書館とは言えないだろうがトルコ・エフェソスのケルスス図書館の遺跡も美しい。20トルコリラ紙幣に描かれている。
 ライブラリーには蔵書という意味もある。この意味でのライブラリーをどのように構築するかが、人生後半の心豊かな生活と大いに関係がある、との趣旨の文章を読んだことがある。これに啓発された訳でもないが、若い頃から私独自のライブラリーを作ろうとの意識は心のどこかにあったようだ。
 最近の新聞記事を思い起こすまでもなく、公共図書館の選書は、予算を始めとして考慮すべきことが多く、難しい仕事だろうと勝手に思っている。これに比べて、私の蔵書に加えるべき本の選定は難しくない。小遣いという名の予算の制約は当然あるものの、何人かの著者・作者の本や特定のテーマに関係する書物は基本的にその存在を知った時点で直ちに購入する。これらの書物に加えて、折々に関心を持つ種々雑多な問題については、やさしく書かれた本、基本的な書物、それに、場合によっては、学術的な図書の3種類を選ぶ。読むのは最初の二つの範疇の本で、学術書は辞書的、事典的な扱いである。
 それなりのライブラリーはあると自負しているが、目を通していない本も多い。老い先短い身にとって、さてどうするか。つい最近買った老前整理に関するハウツウ本が何らかのヒントを与えてくれることを期待している。
借りたくないなぁ
2016/04/20
ベーちゃん
 夏樹静子さんが亡くなられた。その報を受けて図書館へ。あれだけの作家なんだから「謹んで・・・」ぐらいの追悼文が垂れ下がってないかと思った。あの時、出会った他図書館の追悼文のように。……影も形もなかった。
 仕方ない、自分で夏樹静子を想って読んでない本でも借りて行こうかと書棚を探索。かなり以前の本があったので借りることにした。 検事 霞夕子のシリーズ物だった。ほとんどのこのシリーズ作品は読んでいたけど、これはどうも読んでいないようでしっかり読んで追悼しようと思った。
 帰ってから読み始めると、内容にはぐっと惹かれるけど、どうも心地良くない。めくるたびに、何かの食べかすが挟まっているのが目に入る。
「これって、ミカンのすじ? ミカン食べながら読んでたのね」
「あれー。クッキーのかす?」
「何々?これって、スルメの背中の軟骨?」
それでも、夏樹静子のサスペンスは私を本の世界へいざなってくれる。はじめのうちは、挟まっているゴミをそのままにして、指先でページをめくり出来るだけ本を動かさないようにして読んだ。が、ゴミの多さにあきれて、とうとう、ゴミ箱を横にしてゴミを掃除しながら読んだ。
 普通なら、こういう本は読みたくないし、途中で終わりにする。でも、今回は、夏樹静子さん追悼である。どんなでもちゃんと読んでおかなければいけない。その思いが強くなった。読み終わった頃、家人が
「おもしろそう。僕も次に読もうか」と。
「止めたがいい。きっと、読みたくないなぁと思うからね」
 さて。私はどうしたらいいのか。知らんぷりして返そうか、それともこのことをちゃんと話そうか。利用者が「借りたくないなぁ」と思う本は、やはり問題である。返却の時、一言お手紙を書いた。
 以前、ある時期に図書館で本を借りるのが嫌だったことがある。その時も、本の汚れだった。
 めくって、シミとかゴミとかがあるとやはり気持ちが引いてしまう。上記、追悼文を出していた図書館の窓口で働いている司書さんは、返却された本を全部めくっていた。これが、サービスかなぁと思う出来事だった。
好奇心の寄り道
2016/04/13
A・N
 子供の頃から「なんでやろ?」と思うことが多く、いい年をして未だにその性分は治らないどころか、ますます進んでしまった。
 一昨年、ヨーグルト作りをしていて、チーズ風の物が作れるようになった。ホエー(水分)を抜いて成形して熟成させる。でも、これは、本当にチーズなのか……という疑問がわく。
 ここで図書館へ。そもそもチーズの歴史とは……。そうか、ヨーロッパの遊牧民は牛の胃袋に入れておいた牛乳がチーズになり、乳酸菌で発酵させた乳から作ったものは、アジアのチーズに。とすると、「酥(そ)」という食べ物はこれかな?
 私の作ったものは、チーズと言えるかも……。聖徳太子も食べたのかなぁと気になる。他に何を食べていたのだろうか。等々、図書館は私の好奇心を満たしてくれる。道中、道に迷ってもそこには司書というベテランの道案内がいて、道を指し示してくれるし、口寂しくなると、チーズで作る料理の本もお菓子の本もあって、目で食欲を満足させてくれる。
 春休みに小学一年生の孫娘と近くの里山を歩いていたときのこと。この子が木に止まってコツコツと木をつつく鳥を発見。「何の鳥?」ということになり図書館へ。
 本人をカウンターの前に立たせて、司書のお姉さんに見てきた鳥の話をさせた。司書さんは生き物図鑑のところに連れて行ってくれて、孫の話から分かるキツツキ科の鳥の写真がたくさん載っている本を広げて見せてくださる。孫は  
「こんなんかなぁ。この色やったかなぁ」
と図鑑に見入っている。好奇心の遺伝子は、受け継がれていくのだろうか。
 こうして、私は本の森を好奇心いっぱいで道草くって歩いている。
本を読む姿
2016/04/06
ゆうちゃん
 息子が幼稚園の頃だったろうか。急いでトイレに入ったかと思うと、何分経っても出てくる様子はない。
「調子が悪いのだろうか、下痢でもしているのだろうか、それとも出なくて苦しんでいるのだろうか」
 扉の前で様子を伺うけど、何の悲鳴もない。時折、小さい音がする。時間が経つにつれて、心配が募った。
「何かあったの?どうした?あけるよ」
 一応の断りを入れて、戸を小さくそっと開ける。そこには、便座蓋の上に座って本を読んでいる息子の姿があった。
 誰にも邪魔されない個室空間は、息子にとって最良の読書室だったのか。しばらくして、水音が聞こえたと思うと、本を抱えた息子がすっきりさわやかな顔で出てきた。これは、何度も続いた。
 友人宅にお邪魔してトイレを借りると、トイレの横に本棚があり、何冊も置いてある家がある。「読書はトイレで・・・」のお仲間なんだろう。
 それ以来。息子はどんな姿で本を読むかが興味関心ごとになった。
 床に座り込んで、左片足を曲げて膝を抱え込んで読む。右手で本をめくりながら、時々お菓子もつまむ。こういう時は、図書館で借りてきた本は禁止だ。お菓子のくずが本の上に散らばり、油菓子の時は、紙面があぶらじむ。
ソファーに寝転んで、右に左に身体を傾けて読むのは、文庫本の時である。やはり、堅い本となるときちんと机の上において椅子に座っての読書。
 本を横に置いて読みながらの食事は、料理を作る方としてはうれしくない。それは、喫茶店でやって欲しいと苦情を言ったこともある。こういう時は、雑誌が多い。
 息子に限らず、本に夢中になっている人のまわりには、大きなカプセルがあるといつも思う。自分の世界の中に浸り込んで、誰にも邪魔されない空気をまとっているようだ。
 高校時代のクラスメートで読書好きの女性がいた。校舎と校舎の間は、芝生や木がいっぱいで公園のようだった。彼女は、弁当を一人で食べて、終わると必ず読書をした。
姿勢を正して読みふける姿は、近寄りがたかった。大きなカプセルがここにもあった。
 読書の姿で一つ気になっているのが、学校の正門前に置かれている「二宮尊徳の像」である。
「勉強が好きだったのよ。仕事の合間にも本を読んでたの」と小学校の時に立派な人として教えられた。が、「それって大丈夫ですか?転んだりしませんか?」と質問したかったが、自分の愚かさを出すようで止めたことがある。
 息子の本を読む姿の中には、二宮尊徳流はなかった。
私専用の図書館
2016/03/30
KEI
 文字どおり図書館に住んだ学者の話を読んだことがある。住宅事情がよくない頃の話である。海外留学から帰国したばかりの若手研究者であった彼は、志願して大学図書館の住み込み宿直員になったそうだ。そこで彼は真夜中の図書館という極めて贅沢な空間を得て、そこにある全ての図書を我が物とし、読書、研究、思索に没頭したという。
 図書館に住んだことはないが、当時、日本最大の売場面積と謳われた大規模書店が入居しているビルの上層階にあった職場で勤務したことがある。永年入居していた古いビルを建て直す期間だけということで、一時的に会社全体が引っ越したのだ。大阪駅から徒歩5分弱の距離にある新築のこのビルへは地下街を通って行けば傘も不要であった。このビルの1階から3階までのフロアに「現在入手可能な新刊書は全て揃えた」と豪語する書店が入っていた。
 帰宅途中にこの書店に立ち寄る回数が増えたことは言うまでもない。これ以上に便利だったのは、仕事に関係することでちょっと気になったことを確認したり、手元の図書や雑誌では触れられていない問題について解決のヒントを得たり、新しい学説や判例をチェックしたりすることであった。
 私の専門分野に限っての知見でしかないが、確かに品揃えはすばらしかった。疑問を抱いたり問題点に気が付いたりしてから3分後には、関係する新刊専門書がずらりと並んだ書棚の前に立つことができたのだ。あたかも専用の図書館を私有しているような気分だった。
 立ち読み歓迎ということで、その当時では珍しかったが、窓際には椅子とテーブルが置かれていた。
 ほとんどの椅子が先客に占領されているのが常態だったため、椅子に座ってゆっくりと読んだ記憶はないが、並べられた図書の必要部分の立ち読みをしたり、場合によってはそれらを購入したりした。結果的に随分と時間の節約になったと思っている。
 このような便利なことは、図書の選定方針から考えて市立図書館では期待できないことは明白であり、大学図書館や国立国会図書館でも、その運営システムから考えて、期待できないに違いない。この書店は数年間ではあったが、私専用の図書館のような働きをしてくれた。
学校に司書が欲しい
2016/03/23
子育ておばさん
 さまざまな読書グループとか、学校で「絵本の読み聞かせ活動」や「朝の読書活動」が展開されている。その年代に合わせて、「いい本を子どもたちに」の願いで行われていることは、子育てをする親として大変うれしいことだ。
 こんな話があった。ある方のお孫さんの話である。
 夏休みが終わって二週間ほどしたころ、2年生の祐輔君は、「おかあさん、遅いなぁ」と仕事をしている母親の帰宅を待ちわびるようになり、ついには「おかあさん、おかあさん」と泣くようになった。それは、だんだんエスカレートしていって、母親が台所で食事を作っていても、横で「おかあさん、おかあさん」と泣くようになった。
 一体、どうしたことなんだろう。家族みんなで祐輔君のことを心配して尋ねるが、首をふるだけ。日が経つにつれて「おかあさん、おかあさん」は「おかあさん、死んだらあかん」になってきた。
 明るい秋の日ざしが降り注ぐある日。おばあちゃんは、そっと聞いてみた。
「祐輔君。おかあさんの夢を見たの?」
「ううん」
「おかあさんが死んだ夢をみたの?」
「ちがう。おかあさんだけでなくて、いっぱい死んだの。おかあさんだけでなく、たくさんたくさん人が死んだん。原子爆弾で死んだの」
 祐輔君は、心の中に溜めていたことをあふれ出るように話し出した。それによると、朝の読書で『ヒロシマのエノキ』という本を読んだとのことだった。
『ヒロシマのエノキ』は長崎源之助作である。原爆をうけ、生きのこった一本のエノキ。そのエノキを守る子どもたちの姿を描く、平和の絵本。長い間、読み続けられている本だ。しかし、その悲劇性は、小学校低学年には、消化できない内容であったのだろう。怖さが先に立って、それが身近な人の死を想像し耐えられなくなったのだろう。
 朝の読書用に何気なく置かれた本。きっと、置く方としては大人の感覚で読んで欲しいと願って置かれたに違いない。選書の難しさを感じる話題だった。そして、年代別にどの本を与えたらいいのかと考える、学校司書の必要性を思った。たとえ、恐怖の本を与えたとしても、事後を見守るのは司書の仕事だろう。もちろん、教師もだが。
 祐輔君のその後。
 家族で話し合って、まずおかあさんの帰宅予定時刻をきちんと知らせる。そして帰り際になると「もうすぐ帰るからね」と電話で伝える試みをしていったという。ほどなく、祐輔君は泣かなくなったとのことだ。家族の支えがここにあった。
記憶に残る小説
2016/03/16
さくらこ
 どんな小説でも登場人物の表情があって、この作家はどんな時にこの作品を書いたのだろうかと、興味津々の内に読み始めるとそれがいつの間にか好きな作家になったり、作品の一部分が忘れられないものになったりする。
 先日、図書館でずっと昔に読んだ本が書棚で見つかり、赤茶けてはいたがまだ読める状態だったので借りて帰った。私が好む作家の一人、宮本輝の小説である。彼の『錦繍』は書簡体から始まる、男女間でやり取りされる内容の作品だ。今の世の中では日常生活感覚として遠ざかりつつある。だが文中の言葉を借りれば「語る人にとって、手紙とは精神が伸びやかに活動する事の出来るきわめて重要な場所の一つであるに違いない」と。この小説に出てくる人物は過去を追い立てて再会から1年足らずにそれぞれの道を探り出していく。書簡体であるからこそそれぞれの登場人物のお互いの思いが私という読者に伝わってきたのではないだろうか。
 もう1冊、『草原の椅子』。これは、シルクロードを題材にした小説である。シルクロードのフンザはパキスタンのカラコルム渓谷のなかにあって、三つの名峰に包まれている。ディラン、ラカポシ、ウルタンでどれも7千メートルを超える山だ。この地を旅する場面を読んで様々な思いがしたことを思い出した。読み進む内、そんな険しい場所へ旅をするなんて、おそらく私の一生の中では絶対行けないだろうなぁと思い読み進めた。読み終わっても妙にこの風景がリアルに目に浮かんだことを記憶している。パキスタンと中国の国境を挟んでタクラマカン砂漠があり、そこは、夏は日中の気温が42度もある酷暑、ゴビ灘、竜巻、蜃気楼と旅人にとってはかなり体力のいるところだ。主人公が養子にした5歳の男の子と、再婚相手、主人公の友人の4人で旅する場面がある。ひたすらに前進していくだけの道。人は自分の道をいつも探しつつ、自分にとって最も居心地の良い場所を生きている間永久に探し求める。この題名がまさしくこの景色を見るにふさわしい草原の椅子であり、そこがこの主人公が求める安らぎの場所だと気づいたのである。読者である自分も同じように高齢者になってもなおも同じように探しているのである。
 小説の主人公はいつの間にか読者自身に代わり、あるいは、批評家になり、そうしたところが小説の面白味ではなかろうか。
 「あとがき」に、作者自身が阪神淡路大震災に遭い、その時この国の被災者への国の対応に虚しさを覚えたことなど、そして災害から6か月後にこのタクラマカン砂漠へ旅をし、その直後に書かれた作品だと記してあった。
 宮本輝の作品には必ずといっていいほど地名が多く書かれ、また料理名も詳細で、多方面において物知りだと感心してしまうのである。
 こうしてみると図書館というところは昔読んだ本がまた何度も読むことができる宝庫だと言えよう。欲を言えば、赤茶けている本で利用がある本は、入手できるのなら買い替えて欲しいと思う。
時代小説との出会い
2016/03/09
ひーちゃん
 小さい頃から本を読むことは好きだった。
 小学校の図書室で出会ったのは、怪盗ルパンシリーズ。泥棒なのに魅力的なルパンの冒険をわくわくしながら読んだのを覚えている。それ以降、海外のミステリーにはまり、部活に明け暮れた中学・高校時代の部活の他は、読書は私の楽しみの一つとなった。
 すっかりミステリー一辺倒だった私が日本の時代小説にも捕物帖などのジャンルがあることを知ったのは、歩いて15分のところに図書館が出来たころだった。本屋では見向きもしなかった書棚の前で、借りられるのならと手に取ったのが池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」。鬼平こと長谷川平蔵は泣く子も黙る火付盗賊改方の長官だが、若い頃は無頼でならした遊び人。世情にも通じ、厳しさだけでなくその奥底にあるやさしさ・温かさを感じる人柄に引き込まれ、あっという間にシリーズを読み終えてしまった。鬼平だけでなく、登場人物ひとりひとりがいきいきと動き回る。
 人の金を盗み、人を殺める盗賊達にも道理があり、義理人情があるのである。ただの勧善懲悪ものでない面白さが人気シリーズの理由なのだろう。
 それからというもの、池波さんの数々の時代小説を読みふける日々。最近はブームということもあり出版数が増え、読むペースが追いつかず、知らない作家さんも増えてきた。
 縁があって図書館で働くようになって、はや数年経つ。最近の楽しみは利用者さんと本の話をすること。おすすめした本を「おもしろかった」と返していただいたときは、心の中で小さくガッツポーズ。私はこのように図書館での出会いで時代小説ファンを増やそうとこっそり画策している。
絵本のある子育て2
2016/03/02
nao.nao
 0歳の頃から絵本のそばで育ててきた我が子。1歳8ヶ月になりました。同じ歳の子と比べても絵本が好きな子に育っているように思います。
 読んであげていたものを、自分で広げて絵を楽しんだり、数を数えたり、楽しみ方の幅も広がっています。
 以前のコラムでも触れましたが、私の家はちょっとした絵本喫茶のごとくいろんな絵本が並んでいます。そのため、えー?こんな本わかるの?と親が思うものでも、本棚に背伸びをして手にとり、読んで!と持ってきます。好きな本が何冊かあり、背表紙で判断して持ってきます。
 その作品のいくつかを紹介します。
長谷川義文さんの(だじゃれ日本一周)
 ダイナミックに描かれた絵の横に各都道府県にちなんだダジャレが書かれた絵本。大人の私たちがプッと笑う感じの絵本ですが、彼は絵を見ていろんなことを学び表現しています。お風呂の絵があれば、体を洗う真似。大仏さんの絵があれば「なんまいだー」と会釈。ギターを弾く絵があれば、「ロンロンローン♪」と弾いた真似。それを見ているだけで絵本の面白さに深みが出ます。2歳の我が子に読み聞かせてもらっているようです。
あきやまただしさんの「へんしんトイレ」
 このトイレは不思議なトイレ。使うと何故か変身します。まこちゃんがこまになったり、まんじゅうが十万(じゅうまん)になったり。言葉を繰り返し読んでると違う言葉になる面白さを利用した絵本です。
 まだ、言えない言葉が多いのに、彼は読んでいる気マンマン!
えいえいえい→イエイエイエイエ家!とか、マンマンマンマンマンとまるで呪文です。
文字は読めないので、耳で聞いて、自分の言葉で表現しているのがよくわかります。
かこさとしさんの「だるまちゃんとてんぐちゃん、かみなりちゃん」
 これは、本当にしっかり文章があります。内容を理解しているかは横に置いて、やっぱり絵に注目。
 たくさんならんだ靴、帽子、うちわ、食べ物。一つ一つ指を指してはこれなぁーに?と確認してきます。親も答えられないくらいたくさんの種類が載っていてちょっとした図鑑のよう。これはねぇ....と固まることもしばしば。
 難しい内容だからと絵本を遠ざけるのではなく、本人が気に入った物を選んで持ってくるのもまた成長の一つだと感じています。
 1歳はまねっこの時期とよく言われます。我が子は親、祖父母、お友達のまねっこばかりでなく、絵本からもたくさんのまねっこを学んでいます。
 何歳になっても、絵本のある子育てはその時々に親子で楽しめます。
司書の力 エッセイの文探し
2016/02/24
T・H
 忘れられないエッセイがあった。
 今から、およそ50年ほど前のことだった。高校2年生の現代国語のテストを受けていた私は、その出題文に目を奪われた。様々な問題文に出会ったが、こんなことは初めてだった。テストの設問を読むことを横に置いて、その文を何度も読んだ。問題文の後に、著者が書かれていて「女優 高峰秀子」とあった。「日本人女性は、黒の喪服が似合う」という内容であった。
 それ以来、時々、「女優 高峰秀子」のエッセイを読んだが、どの本にも文は見つからなかった。彼女のエッセイには、その都度感慨深い感想を持ったが、テスト問題文のように強烈に引き込まれることはあまりなかった。時々、あの現代国語のテストのことを思い出し、その文に出会いたいと思っていた。
 ふと思いついて、某図書館の窓口で司書さんに依頼してみた。手がかりは二つ。「女優 高峰秀子のエッセイ」と「日本人女性は、黒の喪服が似合う」という記憶の文である。
 書庫にある20冊近い本を運んできてくれた。過去に私が読んだ記憶がある本をのぞいて、新しい本を一つ一つページをめくったが、やはりない。と
「あのう、探していらっしゃる文は、昭和34年9月8日の朝日新聞『きのう きょう』というコーナーに出されていたものみたいです」
「昭和34年? 新聞? どうして、見つけたのですか?」
「いえ、おっしゃっていたことを使って検索したら、出てきました」
 自分の検索する力の無さに愕然としつつ、この司書さんの力に感動を覚えた。私は、彼女の顔をじっと見つめた。目元ぱっちりした本好きそうなかわいい顔だった。つい愛おしさまで感じた。さらに、私が探しているのが、書籍となったものからの引用でなく、新聞記事であることにも驚いた。
「この館に、その当時の縮刷版がなくて。県立に問い合わせたらあるそうですが、今、電気工事をやっていて、閉館中なんです。それが終わったら……」
 たった数分間でそこまでのことを調べてくださったことに感謝した。
「いえ、ここまで見つかったら、これ以上は私が探します。朝日新聞社に問い合わせてもいいですから。私の思い出のエッセイなんです」
 出してもらった残りの本を時間のある限り読もうと椅子に座っているとまた彼女がやってきた。
「あの。この文章ではないですか? あっ。すみません。再生紙を使ったので汚い印刷で」
 図書館の使用済みの用紙裏に印刷されている高峰秀子のエッセイは、ある方のブログ記事の中にあった。それによると、昭和35年に東大入試に使われ、それ以来有名になった文章であるという。「有名になったと言っても、受験生にはだが」と但し書きがついていた。
 私が出会ったのは、それから5年後ぐらいのことだ。きっと、現代国語の教師は、過去問からその文章を拾い、定期テストの問題に使ったのかとその教師の顔を思い浮かべ少しだけ興ざめもした。
 その探し続けていた高峰秀子の文は、題が「黒」とあった。読み返すと、内容の記憶はその通りだった。
『喪服の女が美しく見えるのは定評があるけれど、しかし、潤んだ心と伏せたまぶたがあってこそ、はじめて黒の喪服がものを言うので、黒は気持ちで着る色だとつくづく思う』との文章でつながる黒について問いかける文は、その昔のテストを受けた教室をよみがえらせた。しかし、私の記憶のたよりだった「日本人女性は、黒の喪服が似合う」文章はどこにもない。一体、どういうことだろうか。私がその文章を私流に解釈したのか、どうかと思い巡らした。もしかしたら、設問文にそれがあったのかとも思った。
 が、どうあれ。長年探していた文章にたどりつけたことは安堵した。しかし、記憶間違いの文章で、司書の彼女はよくぞたどりつけたものかと敬服した。たどりつける手順を知りたいという興味は、私をパソコンの前に向かわせた。
「女優 高峰秀子 エッセイ」や「高峰秀子 随筆 着物」これではダメだということは分かっていた。「高峰秀子 随筆 二十代」でもやったがダメだった。「女優 高峰秀子 エッセイ 日本人女性は、黒の喪服が似合う」でちょっと長く入れてみた。何のことはない簡単に出てきた。が、それは上記のブログ記事であり、これは次の段階で見つけてくれたことだ。司書さんが最初に調べた新聞記事の日時・内容がさっと分かるのは何だったのだろうと調べ進めた。しかし、それにはたどりつけなかった。
 検索している間に面白い記事もあった。東大入試でこの文章に出会った人の思い出もあった。
『高峰秀子は黒の似合う女優といわれていたから、自慢が入っているのではないかしらと思ったりした。試験中にそんな余計なことにおもいをめぐらしたりしたせいか、不合格になってしまったけれど』
 高峰秀子さんは「落ちたのは、私のせいなの?」と墓の下できっと笑っているだろう。
 しかし、問題を解く以前に、当時の高校生たちに、少なくとも二人にだが、様々を思い巡らせる文章が書ける「女優 高峰秀子」の筆の力を感じる。
 長年探していたのに、いとも簡単にたどりつけたという喜びと共に図書館の司書の力を大いに感じた出来事だった。
 私は、この「黒」が自分のエッセイの原点だと思っている。こんな文章を書きたいと思う。
司書の職場から O先生のこと
2016/02/17
I・S
 時折来館されるにこやかな紳士で、洋書を何冊も申し込む方がおられました。当時まだ若かった私にまで帽子を取って頭を下げ、「お願いします」と言って帰られるような方でした。とてもすてきなおじさまなのですが、リクエストされる本はどれも洋書の専門書で、これは○○大学所蔵、こっちは××の施設にあり、などと借り受け先を指定していただいて、やっとたどりつけるような有様でした。届いた本を見ても何の分野なのかすらよくわからず、英語以外の言語のものもあって青くなった記憶があります。
 東京の某大学の教授を退官され、論文を書くために必要な資料を求めて図書館に来ておられたのだと、後からわかりました。大学図書館で依頼された方がいいのでは、と思うこともありましたが、大学図書館とのやり取りの仕方や、図書館以外の施設からも借り受けができることなどを学べた、いい機会でした。
 それから2〜3ヶ月後だったでしょうか、カウンターで再び先生にお会いしました。
「お陰様で論文ができました」と丁寧にお礼を言われ、これを一つ差し上げます、と冊子になったものを下さいました。恥ずかしながら、本文はおろかタイトルさえ読めなかったのですが、ローマ字で先生のお名前があるのはわかりました。それから大学の名前、professor の文字、その前に見慣れない単語がありました。同僚がすぐ辞書を引き、あのにこやかな先生が名誉教授だったと知りました。
 いただいた冊子は今も大事に持っています。内容は読めなくても、私にはどんな本よりうれしい贈り物でした。
一冊の本から
2016/02/10
けふばあちゃん
 団体貸し出しの本の中に、中島京子作「イトウの恋」という本がありました。中島京子さんの本は、好きな本のうち、きっとTさんが選んで入れてくださったんだ。
 読んでみることにしました。イトウ?・・・何と読み進むうちに明治の初め、女性単身で日本の奥地探検をしたイザベラ・バードの通訳だった伊藤鶴吉をモデルに、中島京子の作り上げた小説・・・推理小説を読むように謎解きに引き込まれていきました。
 中学の新米教師久保耕平と部員の赤堀君、一人の人物を通して郷土の歴史を紐解こうとする。久保の実家に残されたイトウの手記をたどるうちに、イトウの子孫にあたる漫画家の田中シゲルとの出会い。明治の初めのイトウの年上のイギリス人女性I・Bへの想いとそれをたどる現代の久保・赤堀・シゲルとの絡み…小説は小説としておもしろかったのですが、読み進むうちにこの小説の元となった、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」が読みたくなってきました。
 図書館で何冊か借りてきました。写真集もありました。イザベラ・バード自身によるスケッチも素晴らしく、当時の日本の風俗・習慣・自然環境・・など、実によく書かれています。冒険家というより民俗学者という感じ。
 よく知られた東北・北海道の他、東京・伊勢・京都・滋賀など関西も旅をしていて、びわ湖や大津祭りの記述もありました。
 また、京都では、同志社の創立者新島襄夫妻とも会い、八重さんの手作りのお料理で共にお食事をしたようすも書かれていました。
(「完訳 日本奥地紀行4−東京ー関西―伊勢 日本の国政」 東洋文庫)
 写真集は「ツイン・タイム・トラベル イザベラ・バードの旅の世界」金坂清則。
 明治の初期、あんな時代に世界中を旅していた女性がいた。しかも単身で。なんだか勇気が湧いてくるーそんな本との出会いでした。
 本っておもしろいですね。開いて読んでみなければ出会えない。また、一冊の本からまたどんどん広がっていく。今回、文庫の仲間の手引きでありましたが、司書さんから勧められた一冊がこういう風に広がっていく。それが図書館の良さなのでしょう。
図書委員
2016/02/03
muca
 ませていた私の小学生時代は、謙虚を美徳と心得ておりました。
 客観的に申しますと、居るか居ないか分からない子でした。
 居るか居ないか分からないとは言え、知識欲だけは持ち合わせておりましたので、小学校の図書室からやたらと本を借りては読みふけりました。
 貧乏だったので、当たり前のように共働きをしていた母は、当たり前のように「小学一年生(という名前だったと思います)」の定期購読を始めてくれ、それが本好きになるきっかけだったと思います。今日は本屋さんから来月号が届いているかなと、わくわくしながら学校から帰ったものでした。
(2つの小学校区を擁していた)中学校に上がると、同じ学年でも半分は知らない子となり、その代わり乱暴な子は倍に増えたので、居るか居ないか分からない子は、ますます影が薄くなったのでした。
 この頃から急に大人びてきた女の子たちは、「あなたたち男の子は、ずう〜っとそういう生き方のままでいなさいね」と言わんばかりに見えました。
 大人びてきた女の子の中に、いつの間にか図書委員におさまっているのがいました。
 その子は私と同じ小学校の同窓生であったのに、中学校の図書室で本を開いている姿は、知的に見えると同時に、生意気なようにも見えました。
 一方、小学生時代はドイルやポー、ルブランやデュマなどの合間に、源氏物語も難なく読みこなしていた、早熟の“居るか居ないか”には、ふつふつと対抗心が芽生えるのでした。
 次の学期に、何を思ったか“居るか居ないか”は、その子と同様図書委員に立候補していました。
 その女の子は、そんな私を一瞥しただけでした。
 一学期だけ、その子と二人で図書委員をしましたが(そういう軟弱な役をしたいという物好きは他にいなかったのです)、特に大事な仕事があるわけでもないので実に退屈でした。図書委員が集まって何かをしたり決めたりするということもなく、何のための委員だったのかまったく不可解でした。
 その後、“居るか居ないか”のくせに“居ても居なくてもいい”図書委員まで経験した私の本との関わりは、読むことだけに戻ったのでした。
忘れられない司書さん その2
2016/01/27
はやP
「たった一人の司書でもあれだけの仕事がやれたのに……」
 こう思っている自分は、もしかしたら危険な考えかもしれない。Kさんは有能な司書だった。
 しかし、たった一人の司書が、自分の好みを優先する選書をしたらどうなるのだろうか?司書だれしもが好きな分野、好きな趣味がある。例えば犬・ネコが好きな司書が自分の好みが出てしまって、それが選書の基準になったらどうなるのだろうか。利用者さんへも好みが出て、あの人には優しくし、この人に対してはつっけんどんにする。こうなったらどうなるのだろうか。
 そう考えると、やはり、図書館には複数の司書が、できれば3人以上在籍していることが望ましい。それぞれ得意な分野を担当し、得意な選定をし、複数で選書決定をすることが大事であろう。利用者対応も同じで、様々な目で利用者を知りつくしていくことがサービスとなる。
 さらに重要なのは、司書の仕事を守り育てる上役の立ち位置である。選定が偏っていると思われたらきちんと指摘する。利用者対応に問題があると思われたら指導する。プライバシー保護が弱かったら具体的に指導する。そういう人が図書館には必要である。
 この会のホームページ記事やつどいの講演者の話を聞くと、大津市立図書館の管理職は司書資格がないという。教育長さんの答弁では「経営能力、マネージメント能力がある方を配置しているから問題ない」とのことのようだ。
 行政マンとしての経営能力、マネージメント能力は確かに培われた経験から持ち合わせていらっしゃるであろう。が、ここ図書館の職場の経営能力・マネージメント能力は司書の活動を上回るぐらいの見識と実績が要求されると思う。
 有能なKさんの後ろには、縁の下の力持ち的な存在が多くいた。図書室の表舞台には出ないけど、統計処理をしたり、廃棄処理をしたり、時にはKさんに叱咤激励もした。つまり、 図書室の経営、マネージメントを支える校務分掌部の教師たちであった。その部の教師達をやる気にさせたのもKさんの熱心さに他ならなかった。
 忘れられない司書さんの取り組みで見逃すことができないこんなこともあった。
 入学したすぐに、図書室のオリエンテーション学習を計画した。どんな高校生活を送ろうか、どんな部活に入ろうかと希望を持つ多感な生徒達にその思いに応じての話は、生徒達に図書室の本をめくらせた。本との距離を入学時に縮めることができた。
 Kさんの居場所とする図書室は掃除が徹底していた。本の上に乗っている埃などなくて、そこまでやるのかと周囲が思うほどの清掃ぶりだった。その部屋で多くの生徒達が行き来し、部屋の一角で静かに読書する姿を見てほほえむKさんの姿は今でも脳裏に浮かぶ。
忘れられない司書さん その1
2016/01/20
はやP
 当ホームページの記事を拝読するたびに、考えさせられることが多い。その一つは「正規職員、司書数」のことである。人数が多いことは大事だが、それと共に司書の資質は重要だよとつい思ってしまう。
 忘れられない司書さんがいる。
  司書資格を持つKさんは、某県立高校にたった一人の司書として赴任した。正規職員ではなかった。1年ごとに契約をする臨時職員であった。
 彼女が図書任務について以来、あっという間にその図書室は一変した。利用者が大幅に増え、貸し出し数も驚くほどの数字を示しだした。その後何度かに亘って図書館利用実績を発表し、周囲の県立高図書運営に携わる人たちを驚かせたことからもその実践の確かさを伺うことができる。
 何がそういう変化をもたらしたのだろう。
まず、図書室に入って目にする掲示である。本という宝物の世界に入った気分にさせられた。おすすめの図書、みんなのお気に入りの図書、新刊図書等々のアピールの掲示物の豊かさには、思わず感嘆の言葉が出るほどだった。文字といい、デザインといい、用紙の色づかいといい、その場に立ちすくみ、つい、おすすめの本を探したくなる。予算が限られていたので、用紙は様々な廃物品を工夫することもあった。本の帯の活用も目を見張った。
 続いて、カウンター業務の秀逸さである。常に、来室者に目を配り、生徒の好みを探り、それと共にこの生徒にはこんな本も薦めたいと考えていたようだった。声かけもするが押しつけない、聞かれたら答える。が、時々「どうだった」とか「こんな本もあるわよ」と積極的になることもあった。常に自分が高校生だったら何を読みたいかと考え、生徒達に寄り添っていたと思う。
 Kさんが大事にしていたのは、選書である。こんな選書もやっていた。
 1年に一度ではあるが1年生、2年生の図書委員を市内の大型本屋に連れて行き、各自、10冊ずつ本を選ばせる。その学校には、PTAによる図書予算もあったので、県の予算規約では買えない小さな文庫本も購入できた。一人10冊の選定は、どんなにふるい落とされたと言っても何冊かは、自分で選んだ本が図書室の書棚に並ぶことにつながり、図書委員たちの充実感と共に他の生徒達への宣伝にもなった。1年間の選書は、哲学書から実用書、ファンタジーまで選書の幅は広がった。もちろん、教師の教材研究のための専門書も選ばれた。司書として、すべての本を読んでいるわけではない。しかし、好まれる本や必要な本は何かの見極めと、この高校生という年代に読んで欲しい本を選びたいという信念があったように思う。在庫の本、新刊を常に把握している姿があった。
 図書館の仕事をしていく上で大事なのは、プライバシーの保護である。利用者の本の選定を見ると、どんなことに興味を持っているか、どんな思想信条なのかは、一目瞭然になる。しかし、そのことは、他言してはならない司書としての心構えだ。Kさんは、そのことは徹底していた。だから、利用者は安心して相談でき、好みの本を選ぶことができたと思う。
 近所の市立図書館に通っていくと、ついこの司書さんと比較してしまう。
「一人でもあれだけの仕事がやれたのに……」と。この話には続きがある。
 来週に、また。
時代遅れ?
2016/01/13
和邇館利用者
 和邇図書館利用者です。こじんまりとしていて、建物が好きなのでよく利用します。そこに利用者の声欄があって、4月からいろいろ物議をかもしている投書が貼ってあります。声をそのまま出すというのは、図書館の勇気を感じます。その中で多いのが、本に閉じられていた返却年月日お知らせのはんこが止めになったことについての意見でした。そんな時に、友人がやってきて、私が借りている本を見て言ったのです。
「ね。それって、貸し出した後の返却日のはんこでしょう?」
「うん。そう。だけど5月で無くなったけどね。これは名残」
「こんなことしている図書館がまだあったんだ。時代遅れよ」
「時代遅れか? でも、無くしちゃいけないと言って、いろいろ意見があるのよ」
「何が問題なの? 返却日のしおりみたいなのを挟んでくれるのでしょう?」
「たくさん借りた場合、一枚しか挟んでもらえないし。この本の利用回数も見るのがおもしろいのだって」
「一枚ずつくださいって言えばいいこと。本の利用回数を利用者が見て楽しむなんて。それは、大事なことじゃないでしょう?そんなこと。図書館側は、今やコンピュータ管理なんだから利用者数は分かるし。あなたは必要?」
「特にね」
「いちいち、一冊ごとにはんこを押す手間、大変よ。きっと、利用者も紙を挟まれることに慣れたらどうってことないから。しおり代わりでいいわよ」
 特にこの件はどうこう思ってなかった私は、投書に書かれていることを再度振り返ってみました。時代遅れ、慣れたらどうってことない。そんな気もします。もしかしたら、問題はこのはんこを廃止するにあたって、丁寧な説明とお詫びが足らなかったのかもしれません。新しく変わることは、なかなか臆病ですから。
 和邇館利用者の私が一番苦になるのは、中が暗いことです。大津市財政難の中、電気料削減でしょうか。
 投書には苦情がつきもの。読みながら、なるほどと思うこともあります。が、利用者からの温かい声には、同じ利用者としてホッとします。
島根県立図書館だより
2016/01/06
T・H
 国宝松江城を眺める島根県立図書館の話を書いたら、故郷の読書大好きな方から、その図書館の話が舞い込んできました。
 市民に募集して、「図書館探訪イベント」があったとのことです。小学生相手のこういう企画は、社会科や生活科の授業に合わせてよく企画されることです。が、大人向けはこの図書館では初めての試みだったとのことです。


 施設説明から始まりました。 松江城西側の堀に面した閑静な場所にある島根県立図書館は、建築家菊竹清訓氏の設計です。コンクリート打放しの壁、ガラスや鉄骨で構成された切妻屋根を思わせるエントランスなど、モダニズムの真髄とも言える素材とダイナミックなデザイン。中央の吹抜けホールには、2階部分を一周できる回廊があります。建物を外から見てもすばらしいものです。堀川めぐりの船から見た方達からは、堀に向かって雁行する美しい姿が印象だと感想を寄せられていました。
 モダニズムの建築は、この松江城のまわりにある県庁や武道館などもあり、統一されています。
 中の設備としては、最初は床暖房計画だったらしいです。が、予算の関係でそれは断念されたということです。
 一番圧巻なのが書庫見学でした。ぎっしりと並べられている本・・・本。まさに、図書館は知の宝庫。ここの図書館の書庫は、地下にあります。問題は、松江城のお堀の水。もし、堀の水量が増したり、何らかのことで決壊した時、地下倉庫の書籍は水浸しになります。そこで、そういう場合を予測して、水揚げポンプが設置されていました。
 昭和43年に作られた建物で老朽化も進んでいるのが課題です。
 この図書館の利用者資料はいくつかありましたが、一番興味があったのが、時間帯利用者グラフです。12時〜13時の利用者が大変多いのです。官庁街にあるので休憩時間の利用者なんでしょうか。

 図書館は、地域の宝物。建物にもアイディアが溢れていて、その地の誇りを感じることができます。
 こういう大人利用者対象の「図書館体験」がこちらの図書館でもあって欲しいと思います。
和邇図書館
2015/12/30
T女
 比良山系のもと、大津市の湖西に住みだして「和邇図書館」に通い始めた。
 和邇という地名は、和邇氏の根拠地があったことに由来するそうだ。鞍馬・大原方面から北近江・北陸方面への山越えの中継地点で、京都と外部の境とされていた。歴史を語る土地の図書館である。開設された時は、志賀町立和邇図書館だったそうだ。合併後は、大津市の三つの図書館の一つである。
 歴史のおもかげを感じるのが、和邇図書館の建物である。湖西線から見ると「あの建物は?」と思うほどであり、目にとまるすてきな建物である。
開設時の頃のことを調べてみると

建 築 主 : 志賀町
所 在 地 : 滋賀県大津市和邇高城25
施  工 : 戸田建設(株)大阪支店
受  賞 : 第25回中部建築賞 入賞
コンセプト:
南北に7つの駅を持つ人口約22,000人の町の、地域計画を含めた基本計画から始まり、人々の立ち寄りやすい文化ゾーン(ホール、支所、保健センター、体育館、グラウンド、テニスコート)の中に計画しました。小さな町の図書館ながら、図書の見計い・現地装備を行うことで新刊書の発売と同時に、図書館の書架に新刊書が並ぶことを実現しました。
登録率81%、町民一人あたりの貸出冊数14.6冊という実績の図書館です。13の移動図書館のステーションを設置、ステーションでのお話し会など館外の児童サービスも手がけています。今後増築計画に基づき、書庫・開架スペースを増やしていく予定です。

とあった。コンセプトを読むと、できた時の住民の喜びを想像できる。登録率81%、町民一人あたりの貸出冊数14.6冊という実績など、本当にすばらしい。
 私が、この図書館で一番興味を持っているのが「毎年、ツバメがやってくること」である。ツバメがやってくる図書館なんて、なかなか近くにはない。
 来年こそ、やってくるツバメの観察記録を書いていこうと思っている。観察する前に図書館の書物にも親しむことはもちろんである。
読書の楽しみ
2015/12/23
ケロちゃん
 定年退職をして、30年ぶりに図書館通いを始めた。以前の図書館通いは、子どもたちと一緒に土曜日が恒例だった。何冊も抱えて帰宅して子どもたちは本を読みふけった。
 今は、一人で手提げ袋を持ってのんびりしたものである。
もっぱら借りるのが推理小説。気楽でいい。内田康夫作は、これまで何十冊も読んだ。それでもまだ借りる本がある。ちゃんと調べてはいても、ページを少しめくると「しまった。これは読んでいた」というのが時々ある。彼の浅見光彦シリーズは、何年経っても、主人公浅見光彦は若くて、きれいな女性がまわりに存在する。兄は、ずっと刑事局長であり、安泰そのものだ。何か、浮き世離れをしている気がしても、読んでしまう。
「しまった。これは読んでいた」と一番思うのが、松本清張の作品。読んだ題名と作品が結びつかなくて、覚えていることができない。若いときは、夢中で読んだが、年を取ると彼の作品はきつい。自分で心のひだをじわっじわっと攻められるようで苦しい。身体に悪いので、最近は読まない。
 夏樹静子の作品もよく読む。推理小説ではないが、彼女の「椅子がこわい」は心と身体のつながりをモチーフにしたもので興味深かった。腰痛に悩まされて、様々な医者や民間療法でも完治せず悪化の一途をたどったのだが、「腰痛は、精神的なものだ」と診断され「夏樹静子の葬式を出しましょう」と作家生活から遠のくように診断を受けて治療が始まる。2003年に「椅子がこわい」の題名で出版されたが、現在は「腰痛放浪記椅子がこわい」の題名で再版されている。
もちろん、治療の結果「書いてもいい」という診断を受
けて作家生活を再開したのだ。
 最近、特に借りて読むのが宇江佐真理である。時代物の第一人者と言っていいだろう。つい、最近第16回山本周五郎賞候補となった『あやめ横丁の人々』を読み終えた。「あやめ」だから、花のあやめを想像し、江戸の町人長屋にアヤメが咲く池でもあったのだろうと思った。
が、「あやめ」とは「人をあやめる」ことだった。人をあやめる人たちが住む横丁の話。何とも切ない話だった。
最後の章では、じわっと涙が湧いた。
  宇江佐真理さんは、『幻の声 髪結い伊三次捕物余話』を始めとして何度も直木賞候補になった。悲しいことに、この秋に乳ガンで他界された。伊三次の活躍に出会えないと思うと残念である。
 図書館に行くと、私と同じ世代の人たちがいっぱいである。思想信条や貧富の差、年齢などを問わず、誰でも利用できる公共図書館のありがたさを思う。
ミッケル号
2015/12/16
ワニファン
「ねね。ミッケル号ってなあに」
「和邇館の移動図書館号の名前だってよ」
「ふーん。なんで、ミッケルなの?」
 和邇館の前で、二人の女性が話していました。私も、このミッケル号がどうしてこんな名前なのか、知りませんでした。名前の由来を知らないのは、私だけじゃないんだ。そう思って、窓口の司書さんに尋ねました。
「それはね。本を『見つける』ということなんです。見つけるが……ミッケルで」
 なるほどそういう名前なんですか。納得です。
 ご近所のおばあちゃんで、いつもいつもこのミッケル号を楽しみにしていらっしゃる方がいます。目が不自由で、行きたくても和邇館まで本を探しにいけないのです。
「ほら。これだけの本棚からだったら、簡単に探せるでしょう。だから、私には好都合なんですよ」
 ちなみにこの方の大好きな本は、推理小説だそうです。そして、文字が大きい本を選ぶと言っていました。本を選び終わった時、彼女は言いました。
「以前は、もっと長い間、ミッケル号がここに停まっていて、ゆっくり選べたのに。最近、すぐに次の所に行っちゃうので、ちょっと困るわ」
 見つける……ミッケル時間が足らないのです。
「本を選ぶのは大変。本の説明をしてくれる人がいたらなぁ」
 見つける……ミッケルお助けマンが欲しいのです。
 和邇館の歴史をたどる冊子を読んでみますと、「ミッケル号」の停車場は年代によって少しずつ増えていってます。逆になくなった所もあります。利用者が少なくて中止されたとか。
 多くの市民が誰でも活用できるのが図書館です。図書館に行くことができない人のために、ミッケル号が活躍して欲しいなと願っています。
「ねね。ミッケル君。回っていてどう?
 楽しいことってなあに」
「ねね。ミッケル君。今日は誰にあったの? あのおばあちゃん来てくれてたの?」
「ミッケル君。来週も頼んだよ。私が大好きな本を乗せてね」
 ミッケル君のまわりで、いろんな話が飛び交っているようです。
図書館30分見学記
2015/12/09
T女
 最近、各地の図書館の様子が大変気になっている。何かの用で他市へ出かけると、近くに図書館があったら、短時間でものぞいてみたくなる。
 11月の末、愛知県豊田市のコンサートホールで演奏会が開かれた。その会場は、ビルの最上階の見事なホールである。同じビルの三階から七階までが豊田市立図書館となっていた。
 豊田市駅を降りるとすぐそこに「参号館」という大きなビルが見えた。駅からの通路で入ると二階で、吹き抜けのエントランスがある。エスカレーターを一つ登ったら、図書館があった。
 広くて明るい図書館に入ると右手に大きな広い窓口カウンターがあり、窓口に座っている三人の司書さんの前まで誘導のテープで仕切られている。まるで銀行窓口のようだった。そこの一つずつの窓口に返却や貸し出しをする人たちが列をなしていた。並んでいる人数を見ただけでも、この図書館の盛況ぶりが分かる。
 返却の様子を見ていると、これがまたおもしろい。窓口担当者は、返却された本を一冊ずつページをめくって点検する。そして、バーコードで本人返却の確認をして「ありがとうございました」の笑顔。それが終わったら、返却された本を近くの機械にあてる。機械は、自動で本の背表紙の記号を読み取る。その間に次の人の窓口対応が始まっている。並んでいる人を待たせない工夫がそこにあった。
 返す本をページをめくって点検されることに対しては、「そんなことまでやらなくても……私はちゃんときれいに読んでますよ」と思う人もいるかもしれない。しかし、図書館の仕組みとしてのその仕事は利用者の心構えを確認させる。大事なことだと思う。雑誌と単行本のページめくりの速度は微妙に違う。ある窓口では、雑誌を二度めくっている方もいた。
 窓口と奥の書庫を常に行ったり来たりしている司書さんもいる。予約本の貸し出し担当と見受けた。利用者と笑顔で話したり、質問に答えている姿はたのもしく私の眼にうつった。
 しかし、ふと疑問が頭によぎってくる。この窓口の人たちはどういう身分だろうかと。公共図書館であるから、図書館の正規職員であるだろう。けど、いろいろな形があるから、そういうことも知りたいと思った。ちょっと調べると正規職員は20名だそうだ。
 入り口左手に「司書が選ぶ10冊の本」のコーナーがあり、選んだのを分野別に展示してあった。その横に「宇江佐真理追悼コーナー」ができていて「謹んで、お悔やみ申し上げます」の張り紙があった。人気作家宇江佐真理さんは長い間乳がんの闘病記を書かれていたが、先月帰らぬ人となられた。日本各地の図書館でこんな追悼コーナーが作られているのだろうなぁと思った。
 トイレに入ったら、洋式トイレの中に何ともかわいらしい子供用洋式便座が設置されていた。
絵本を探しにきたお母さんと一緒にトイレに入って用を足す姿が浮かんできた。
 次に行く機会があったら、数時間滞在し、すみずみまで見たいと思うほどのすばらしい図書館だった。
図書館が好き
2015/12/02
びわこ
 小学校の時、必ず図書室で本を借りていた。そこは、沢山の本の中から好きなものが自由に選べる幸せの空間だった。本の虫というわけではなく、他の遊びもしていた普通の子だったが、本も読んでいるという生活だった。
 少し大きくなり、調べ物があると、滋賀会館の2階か3階にあった図書館にも行ったし、昔、琵琶湖万博があった科学館の中にあった図書館にも行った。
 悲しいことに高校の図書館は貧相だった。その頃ちょうど新しく浜大津に図書館が出来、定期券が使えたので時々寄って帰ったな。レコードも置いてあり、わくわくしたものだ。
 大学の図書館にもよくいたな。私を探す時はまず図書館という状態。リスニングルームでジャズを聴いていた。論文提出前には自習室できばった。国試の勉強には、便利な場所にあった各地の図書館を使いまくった。
 そして、大人になり子どもが出来、絵本や紙芝居を親子で借りに行った。
 しかし、ある人が「八日市図書館はいいわよ」と教えてくれ、訪れてみたら、私の今まであんなに愛していた図書館達のレベルの低かったことに、愕然とした。井の中の蛙とはよく言ったものだ。
 同じように税金を納めて生活をしているのに与えられた環境がこんなにも違うのかと。
 もちろん、それは図書館に関してだけで言えることではないだろう。けれど、図書館の大切さを、それを機会に調べていくと、私達にとって知の財産であり知る権利の砦であり・・・とますます「やっぱり大事やん!」と思えることばかりなのである。
 自分たちの住む自治体の公共図書館が、もっとよくなればいいなと考えていたら、この会にめぐりあった。熱い思いを持った人たちが集まり、市に声を届けることが出来るようになり嬉しい。市民の声を届けることで、図書館レベルが向上することを切に願っている。
「湖の南」を読んで
2015/11/25
mn女
 大津市に住んでいながら、大津事件のことをよく知らなかった。今回、富岡多惠子さんの「湖の南」をみんなで読んだ。大津事件については何人かが書いているが、「湖の南」は、一番新しい作品に位置づけされるのではないかと思う。富岡多恵子さんは琵琶湖畔に移り住んでこの小説を書かれた。そのためにびわ湖周辺のいつも見る景色やビアンカ、花火大会、窓から見える三上山、柘植、貴生川、水口駅といった駅名の鉄道沿線等、非常に身近な風景やものを感じさせた。また新しく津田三蔵宅で見つかった三蔵の書簡も活用して犯人津田三蔵の家族や親族、知人などの生活、ニコライ日記からみたニコライ皇太子や王妃のこと、そして文中に電気屋の息子タビトからくる手紙の話題も取り入れ、現在も起こり得る何かとこの時代や事件とを交差しながらの展開もされていた。
 時はロシアがシベリア鉄道を開通、ロシアの勢いは日本にとっても大きな脅威であった。そのような時、明治24年(1891)5月1日、来日した大津遊覧中のロシア皇太子ニコライを、警備中の巡査津田三蔵が斬りつけるという事件が起こり、時の明治政府も天皇も真っ青になった。津田三蔵の父は藩に仕える医師であり、武力の方でも優れていたが、不用意なことから謹慎、息子の三蔵は父の薫陶を受け武道にも励むが、藩兵となり、西南戦争にも従軍、手を怪我する。そのようなことからか巡査になるが、大阪の巡査になれず、滋賀の地、東浅井郡速水、2年後に守山署詰め、その時は野洲郡三上村駐在所勤務である。その時、津田三蔵は大津で警備にあたっていた。
 三井寺上の西南戦争碑の所でニコライが来るというので警備もしていた。ニコライはそこには来なかったが。大津遊覧中にニコライを警備中の巡査津田三蔵が刀を首の後ろにあて斬りつけるという事件となった。大国ロシアを恐れる明治政府は津田三蔵を大逆罪で死刑にするよう迫ったが、裁判では津田は日本の国法による正当な判決を願いたいと申し立てているが、大審院長の児島惟謙は刑法どおり無期徒刑とし、日本が司法権の独立を貫いたと評価もされる事件であった。津田三蔵は北海道に送られ9月には亡くなる。著者もいっているが、もしも西南戦争がもう少し早くおわっていたら、津田三蔵も教師になる機会もあったであろうし、人の運命のいたづらというものをも感じさせられた。
和邇図書館と我が子たち
2015/11/18
三匹の子ヤギの母
 絵本読み放題、図鑑借り放題で私の子どもたちは育ちました。子ヤギたちの一番の思い出は、毎晩寝る前の読み聞かせだったそうです。私の股の間にはまり込んでお話しを聞くのが幸せだったって言ってます。昼間は見ることを楽しみ、夜は、聞いて想像することを楽しんでいたそうです。
 自分で読むようになると長女は推理小説、二女と三女はファンタジーを好みました。「エルマーの冒険」は忘れられない一冊です。
 三女は自分で調べることが好きです。特に小さい頃から本で調べるのが好きです。博物館でも説明文をよくよく読んで学びますし、動物園では本で学んだことを確認したりして楽しんでます。博物館巡りにもはまっていて、時々私もお伴します。
 同じように本に触れさせたのに、我が子のお気に入りは三人三様です。
 子ヤギの生活を見ていると、本の力の大きさに驚かされます。読む力がついてくると、その物語を通して想像する力もついてきました。他者の気持ちを多角的に考えることもできるようになりました。自分の学びたいことを自分で見つけ、進学・就職も自分で決めました。
 末っ子の就職も決まり、肩の荷をまた一つ下ろしています。今までの子育てを振り返ってつくづく思うことがあります。子育ての中での和邇図書館の大きさです。
 先人の情熱とたゆまない努力によって、この図書館はできました。第25回中部建築賞入賞という大きな建築賞ももらったすてきな建物です。できた当時は、志賀町立図書館でした。
 開館当時からの館長以下司書の方達の熱意と真摯な仕事ぶりのおかげで、使いやすい通いたい図書館となりました。選書がしっかりしているからこそ、安心して子どもたちに本をとらすことができました。良書に囲まれて育ったおかげで、本を選ぶ目もできました。
 たくさんの本に出会えたことはたくさんの人に出会い育ててもらったことと同じです。幸運でした。ありがとうの気持ちでいっぱいです。良い図書館が近くにあって本当に良かったとつくづく思うのです。
 大津市に合併して大津市立和邇図書館となった今でも、その歴史を引き継いで欲しい。この恵みと幸せを市民みんなが味わって欲しいと思います。
図書館の風景
2015/11/11
さくらこ
 どんな図書館にも顔がある。最近建設された図書館はまるで書店のようだ。今よりずっと若かりし頃は、図書館と関わってきたことから、旅をするとその町(街)の図書館に立ち寄った。図書館関係者で知り合いになった方と再会してお話することも楽しみだが、何よりもその方がどんな風に働いているかをこっそり窺うことも大いに勉強になった。書架の配列、カウンター周り、職員の動き、利用者の様子、蔵書構成、その中でも参考書の種類は特に気になった。小さな図書館ほど参考書が少ない。いつも図書館にこそ様々な参考書を置くべきだと思っている。
 さて、ここしばらくそういった旅をすることができなかったのだが、今年の夏、いつも利用している家から一番近い図書館で微笑ましい父子に出会った。ちょっと、紹介する。
 お父さんと小学1、2年生位の男の子が1冊の本を見ながらこんな会話をしていた。
「くどいおかあさん」
と子どもが声を出して読む。すると、お父さんが
「くどくど言うおかあさんってわかる?」
「うん、うちのかあさんは言わないね」
「そうだね」
「よそよそしいかあさんって?」
「そうだな〜ほら、知っていても知らんぷりしているようなことあるだろう、そんなことだよ」
「ふ〜ん、そうなんだ」
「さびしいおかあさん」
「そうだな、とってもつらいことがあったとき、かなしそうな顔するだろう、そんなときの感じかな」
「じゃ、今度は『どんなおとうさん』を読もうか」
「あっ!悔しいおとうさんって、この間僕とはさみ将棋
していた時のおとうさんの顔に似ているよ」
「そうか?」
 こんな風に父子が五味太郎の『ことばがいっぱい 言葉図鑑』を読んでいる姿に遭遇した。私は絵本講習会参加の事前調べに図書館に行っていて、子どもの座る椅子で山のような絵本を読みながら彼等の会話と様子を盗み見ていたわけだが、時にお父さんが説明に困り、いろんな言葉で子どもに説明している姿や、子供の楽しそうな顔を見て、時々は声に出して笑いたくなるのを堪え、時々はその父子の姿に愛おしささえ感じて微笑みかけた。
 図書館の風景はいろいろあるが、こんな父子の姿は実に微笑ましい。
 図書館施設は外見も良いものに超したことはないが公立図書館は身近で利用したい人がそこで気持ち良く楽しむことができ、そこに住む人々に役に立つ図書館であって欲しいと思う。
ぼくの図書館の原点
2015/11/04
K・K
 1953年、ぼくは東京・世田谷区立中学校の2年生だった。学校には、図書館はおろか図書室もなかった。ある日のこと先生から、古い書類やら教材やらが雑多に積まれている部屋でなにかの手伝いをするように言われた。
 初めて入る部屋は物珍しく、きょろきょろしていたら、片隅に古い書棚があって、数十冊程度の本が並べられていた。ぼくの目を引いたのは、書名は忘れてしまったが、ジュニア向きに書かれた、古代ギリシャの歴史を扱った本だった。偶々その頃、国語の教科書にそんな話が出てきていたからである。
 その日から何日か、ぼくは昼休みや放課後にこの部屋に通ってこの本を読み進んだ。狭くて薄暗い空間だったが、そんなことは気にならなかった。そのうちに、あることに気づいた。ある遺跡と町の位置関係が、教科書の記述とは食い違うのである。「北西と書いてあるけれど、どう考えても南西に当たるはずだ」といった些細なことだったけれど、気になって仕方がない。
 そこで、国語の授業がその部分にさしかかったとき、は〜い、と手を挙げて、これこれこういう訳で教科書は間違っている、と発言した。話をじっと聴いていた先生は、う〜ん、と唸ってから「そんなに熱心に言うところをみると、正しいようだ。みんな、教科書を訂正して」と言われた。先生が、教科書よりもぼくを信じてくれたことが嬉しかった。
 このことから、物事を調べる楽しさを知り、また、筋の通らないことは見過ごしてはいけない、などという「生き方」のようなものについても考えるようになった気がする。中学校の小さな書棚は、いわばぼくの図書館の原点なのだった。
 それから5年後、大学生になっていたぼくは同窓会の会合に呼ばれて、久しぶりに母校の校門をくぐった。そして目にしたのは、なんと新築間もない立派な図書館だった。誇らしげな後輩たちの顔が目に浮かぶとともに、彼らがちょっぴり羨ましくもあった。
レファレンス
2015/10/28
けふばあちゃん
 今はなくなってしまった大阪万博公園内の「大阪国際児童文学館」(現在は、府立図書館に間借り状態)、そこへ時々文庫のこどもたちと遠足を兼ねて見学に行っていました。ちょっと大きい子は、円形の書架のまんが本に囲まれて、しあわせそうに座り込んでいました。この図書館のすごいところは、子どもの文化に関するいろんな資料を集めていることで、とても有名でした。
 ある時、私の子どもの頃に好きだった漫画、熱を出して学校を休む時しか買ってもらえなかった少女雑誌に連載されていた中国の女の子の漫画のことが頭の中に浮かんできました。
 長いおさげの女の子とちびちゃんの男の子、それだけしかおもい出せなくて、何という漫画だったのか・・・? 私のおぼろげな記憶を頼りに尋ねてみました。
「そうですね、この中にありますか?」
 と、司書さんが2・3冊の本を探し出してくださいました。それらを眺めているうちに、
「あった!!これこれ、この女の子!」
「ああ、上田とし子の『フイチンさん』ですね。単行本と雑誌がありますが、どれをご覧になりますか?」と、何冊かの単行本を出していただいたのです。半世紀ぶりの出会いです。
 そうそう、門番の娘フイチンさん、お金持ちのお坊ちゃんがこの子だった。
 そうそう、この坊ちゃんの遊び相手になるんだった。
おてんばで明るくて前向きなフイチンさん。
 そうそう、『少女クラブ』だった。『なかよし』の連載が手塚治虫の「リボンの騎士」、この二つが読みたくて「ああ、熱が出ないかなぁ」と、少女の私は、思ったものだった。
 あの日、もやっていた霧が晴れたような喜び、児童文学館の資料と司書さんに感謝感謝の一日でした。
 レファレンスで思い出す、私のちいさな図書館体験の喜びでした。
お元気ですか。また、どこかで会いたいものです。
2015/10/21
べーちゃん
 私が勤務した地の各学校には、市から「子どもたちの心を豊かにする取り組み」のために○十万円もの予算が配分されていた。それぞれの学校の特色ある実践のために自由に使っていいというものだった。
 私は某小学校でその企画担当にあたり、「プロの童話作家・挿絵画家さん」たちの招聘を行った。学校図書館が充実していて、子ども達の貸し出し数は大変多い学校にあって、その物語を書いた方に出会わせたいという企画だった。
 工藤直子さん、新沢としひこさん、宮川ひろさん、岩崎京子さん、湊周作さん、丘修三さん、梅田俊作さん・悦子さん、角野栄子さん、今は亡き今西祐行さん・・・。まだ、書き切れない。よくぞ、小さな学校にこれだけの方達がきてくださったものだと感激する。
 それぞれの方達から得たものは大きくて招聘にあたっての思い出話はつきない。中でも、「よい子に読み聞かせ隊 下田景樹さん」は強烈な印象だった。(風貌だけでなく)
 出張の帰り、30分ほど時間があったので東京のブックフェアへ立ち寄った。めざすは、児童図書コーナー。そこに大きな看板があり「よい子に読み聞かせ隊 志茂田景樹読み聞かせ」とあった。本人が、何人かの子どもたちを前にして自作の読み聞かせ真っ只中。そして、その横に「よい子に読み聞かせ隊 全国どこにでも行きます」と書いてあった。目に入った二分後には、私は奥さんの下田光子さんに交渉していた。もし機会があったらねとその時は曖昧な打ち合わせで終わったが、彼の読み聞かせの実施に至るまでの熱い思いに触れ大いに共感した。そして、学校にもどるや企画書を作り、職員会へ提案した。
「あの姿のあの人を呼ぶんですか?」反対意見も飛び交う中を私は、志茂田景樹さんの読み聞かせに対する情熱を訴え続けた。ほどなくして「近くで講演会するから、ついでに寄るわね」と奥さんの言葉。何度も予算実情を話し、了解の下で来校の運びとなった。
 校長室での挨拶交渉は奥さんに任せ、ほとんど口を開かなかった彼は、体育館の子どもたちの前に出た途端、豹変した。満面の笑顔で両手を振りながらの登場。そして、PTA副会長のピアノの演奏をバックにして、身体中を使って自作を朗読された。それは、朗読というより「一人語りの芝居」のようだった。
 子どもたちの食い入るような目。時々、表情を変えて小さくつぶやく声。笑い声。一緒に手を動かす子たち。会場は、志茂田ライブ劇場と化した。
 社会学級をやってもなかなか保護者が集まらないのに、この時は、子どもたちの後ろの保護者席は超満員。興味深さもあってのことだったろう。
「大型バスを購入して、そこに絵を描いて、全国に読み聞かせ隊で回りたい」その日の言葉だった。
 時々、報道で「よい子に読み聞かせ隊 志茂田景樹さんの取り組み」を耳にする。
 お元気でうれしいです。また、どこかで会いたいものです。
司書さんとレファレンス・サービス
2015/10/14
KEI
 文部科学省のホームページでは、司書さんについて「司書は、都道府県や市町村の公共図書館等で図書館資料の選択、発注及び受け入れから、分類、目録作成、貸出業務、読書案内などを行う専門的職員です。」と説明している。
 今まで、図書や資料の検索で司書さんのお世話になったことはなかったが、先日初めてその手を煩わせた。自分で調べるべき程度のことであり自分で調べようと思っていたが、孫も連れず1人で場違いな児童書の部屋でキョロキョロしている老人を気にされたのか、たまたま年配の司書さんと目があったのでお願いしたという訳である。
 私が場違いな場所にいた理由は、「ピーターラビット」シリーズの著者であるビアトリクス・ポターとナショナル・トラスト運動の関わりについて、小学5年生に理解できる程度の説明が上手くなされた本を探そう、というものだった。
 司書さんは「ポターの伝記中に書かれているのでは」と、蔵書にあるポターの伝記数冊とポターを含む20世紀に活躍した女性についての子供向け書物をリストアップして下さった。私はナショナル・トラスト運動やその歴史から調べようと思っていたが、丁寧に書かれた子供向けのポターの伝記の中できっと説明されている筈だ、という極めて簡単かつ素直な答に直ぐに思いが至らなかったのは不覚だった。
 このことがあって、唐突に、高校生の頃に知ったアメリカの図書館で行われているレファレンス・サービスという言葉を思い出した。詳しい定義は知らなかったが、漠然と図書館での「調べ物の手伝い」をするような意味、それも専門的な問題についての調査協力のように思っていた。そのときはアメリカでは便利なサービスがあるのだなあ、という程度の認識だった。この頃の私は、たまに行く図書館で、あまり充実していない内容の図書カードを繰っていた。
 インターネット全盛の現代では、得られる情報は玉石混交ながら、書斎のパソコンが種々のレファレンスの助けをしてくれる。
 しかし、このような時代にあっても司書さんによるインターネットを超えた、あるいはインターネットとは別次元のレファレンスに関する業務は、図書館の利用者から期待され続けるだろう。そして、その内容は、図書館の性格、図書館の存在意義等から自ずと決まってくるのではないだろうか。一介の図書館利用者に過ぎない私であるが、このように感じている。
 耳をそばだたせている訳ではないが、聞こえてくる老若男女の種々雑多な質問に、いろいろと調べ丁寧に答えていらっしゃる我が市の中央図書館とその分館の司書さん達に心からのエールを送る。
「ぐりとぐら」の思い出
2015/10/07
I・S
 小学校3年生の施設見学で、毎年いくつかの学校が私が司書として勤務する図書館にも来てくれます。
 ある年、図書館の見学はするけれど本は借りません、という学校がありました。好きな本を選んで借りる時間はどの子もいちばん楽しそうなのに、と残念に思いましたが仕方ありません。
 でもせっかく図書館に来るのだから、何か本に触れてもらう時間をつくりたい、と思いました。そこで、図書館の説明をする時間の中で、1冊絵本を読むことにしました。「ぐりとぐら」です。人数が多かったので大型絵本を用意しました。
「私がやります」いさましく手を挙げたのはいいけれど、500席もあるホールの客席を使って、何クラスもの子どもたちを相手にしての読み聞かせです。大型絵本の扱いにも不慣れで、マイクを持ちながらスムーズにページをめくれず、見かねた先生が助っ人に入って下さいました。
 3年生に「ぐりとぐら」は幼すぎるかと心配しましたが、子どもたちは集中して聞いてくれ、緊張したけれど、とても充実した時間でした。
 それから何日かたって、2人の女の子が「ぐりとぐら」を探しに図書館にやってきました。学校で読んでもらった、とのこと。
「先生に読んでもらったん?」と何気なく聞くと「図書館で読んでもらった」と。
 それは私ではありませんか!
 読み聞かせの経験もろくにない私が思いつきと勢いだけで選んだ「ぐりとぐら」でしたが、それを覚えていてくれて、わざわざ図書館に探しに来てくれた2人の女の子のことを、何年もたった今でもときどき思い出します。
 探している人に本を届けること、本が届いた人の喜びをいっしょに感じることが、私の仕事であり、喜びなのだと教えてくれた、小さな出来事でした。
三冊ご用意できています
2015/09/30
龍野 健
「三冊ご用意できています」図書館司書のNさんが、にっこりと微笑みかけてくる。ここは大津市立北図書館である。私は予約の本を受け取りに来館したのだ。考えてみれば、入院したとき以外は、週二回はここを訪れていることになる。すっかり馴染みの場所という訳である。
 私がこの北図書館に通うようになって、七年が経とうとしている。それまでの私は、時折調べ物をする以外、図書館を利用することが殆どなかった。懇意にしている書店があり、定期刊行物の購読をお願いしていた。他に読みたい本があれば、別口で取り寄せして貰っていたのである。
 私的な書物ばかりでなく、仕事関係の本や資料等も多かったので、平均するとひと月あたり、四万円程の支払いとなっていた。当然のことながら、蔵書は増える一方である。文藝春秋、大学への数学などの月刊誌や週刊朝日、新潮などの週刊誌を蔵書数に含めると、優に三万冊を越えていたのである。
 二十数年前に、三LDKのマンションを購入して十数年そこに住むことになるのだが、六畳程の洋間を書庫として使用していた。琵琶湖に近く、湿気に悩まされてもいたので、除湿機を一台置いていた。二段スライド式の書棚二台、スチール製の書架三台、机の上には文庫本用の木製書棚一台。それでも収まりきらず、押入の中にぎっしりと本の詰め込まれたダンボール箱が十個程積み重ねられていたのである。
 昭和四十六年春に、故郷宮崎を後にしてから、数多の転宅を経験して来た。引っ越し貧乏とはよく言ったもので、移る度に家財道具を処分したり、衣服を捨てたり、又、高い引っ越し代を支払うことになる。かくて、僅かな蓄えも霧散霧消するのである。
 だが、書物だけは別で置いて行くことも、捨てることもできない。その都度ダンボール箱を手配し、何日もかけて、本を詰め込み、新居に運び込み、荷を解き、書棚に入れ替えるという、気の遠くなるような作業を繰り返してきたのである。三十数年、連れ添ってきた書物もある。蔵書というものは、楽しくもあり、苦々しくもあるのである。
 ところが、平成十八年夏、私は、腎細胞癌に倒れた。更に悪いことに、左大腿骨に転移していた。三回の手術、十回の放射線治療、三ヶ月の入院。退院後も、一年間のインターフェロン投与とリハビリテーション。主治医に言わせると、奇跡的に回復した。
 その間、嵩む医療費に充てる為に、自宅マンションを売却することにした。それから、現在のアパートに移り住んだのである。
 引っ越しの際、食器棚や大テーブル、机や椅子やガスファンヒーターなどの家財道具は勿論、書物も処分しなければならなかった。とても、入りきらなかったのである。
 京都の書店に引き取って貰ったのだが、全集や単行本はそこそこに売れたが、文庫本はそうはいかない。ダンボール三十個程が残った。止むを得ない。廃品回収である。トラックに乗せられて出て行く本を見送るのは、我が子に別れを告げるように辛かった。
 しかし、移り住んでしばらくすると、私の本の虫が蠢き出す。本を読みたい。買いたい。幸いなことに私の脚でも徒歩五分の距離に、前述の図書館があったのである。
 滋賀県は福祉県であり、大津市もそうである。公共施設は充実している。県内の図書数や蔵書数、県民ひとりあたりの貸し出し数、どれをとっても全国有数であり、中には全国一のものもあるやに聞いた。
 貸し出しカードを作って貰い、通うようになる。驚いたことに、リクエスト制度がある。新刊本など、自分の読みたい本をリクエストすれば、購入してくれるし、なければ他の図書館や県立図書館との相互借り入れができるのである。最大十五冊まで借りられるし、期間は三週間。本の虫の私には、有り難い限りなのである。
 佐賀県の武雄図書館ではないが、喫茶コーナーもあり、車椅子も二台設置してある。何より図書館の方々の熱意や本に対する愛情が素晴らしい。頼りにできる。
 先のNさんを始めとして、皆が私の顔を見知ってくれるようになり、彼らの熱意に甘えて読書プランを相談する迄になった。大作、大作家に取り組もうと思った。司馬遼太郎「街道をゆく」全六十四巻が皮切りである。若い頃、週刊朝日の連載を楽しみにしていたし、「近江路」がその口火を切るのも何かの縁である。
 途中、読みあぐねたことも返却が遅れたこともあったが、彼・彼女らの優しい眼差しに励まされて、半年かけて読破した。
 今は、浅田次郎に取り組んでいる。こうやって、読書の楽しみ、喜びに浸っているが、本を所有するという欲求が沸々と……。あの哀しさも判っている筈なのだが。
魔女になりたい
2015/09/23
チャッピー
「どんな本が好き? どんな本読んでたの」
 問われる度に思い出すのが子どもだった頃の私です。
 私は、本を読むとその世界に入りたいとすぐに思う子どもでした。
「M・スチュアート 小さな魔法のほうき」を読んだとき、私は、魔女になって箒で空を飛びたいと思いました。
 友だちと我が家の縁側で遊びました。長い縁側は私たちの恰好の遊び場でした。私は長い柄の箒にまたがって、両手で箒の柄を持ってから友だちに頼みました。
「ゆかちゃんは、この箒の前を持ってね。のりこちゃんは後ろね。私が『ゴー』と言ったら、箒をあげて走ってね」
 私の頭の中には、私が魔女になりその縁側から飛び立つ姿が浮かびます。
「行くよー。ゴー」
 長い縁側のはしから走り出して、飛びました。でも、小学校2年生の私たちです。2人の力が私の身体を持ち上げることなんてできるはずはありません。その上、箒の細い柄にまたいだ私は身体のバランスを保つことができませんでした。
 バターン。大きな音がしたかと思うと、私たち3人は障子の敷居の上に倒れてしまいました。畳に真っ赤な血が飛んだと思うと、一番真ん中の私の頭からは、血が吹き出てきました。
 頭の後ろを3針縫いました。友だちは、無事。
 叱られるし、痛いし、魔女になって飛ぶことは叶わなかったし。その日は、苦痛の一日でした。
 この話には、落ちがあります。
 病院からもどったら、おばさんが私のために編んでくれた毛糸のセーターにアイロンをかけていました。
「ほら、出来上がったよ。プレゼントね」そう言うと
「怪我をしたんだって。どれどれ。3針も縫ったんだってね」
と言って、私の頭を触りました。と、アイロンから煙が。キャー。水色のセーターには、茶色いアイロンの後がくっきりと。
おばさんは、泣きべその顔になりました。結局、そのセーターを着る機会はありませんでした。
 それでも、私の「絵本の中に入り込む妄想癖」はしばらく止まりませんでした。妖精に会いに行こうとしたり、町探検で迷子になったり、木くずの中にもぐり込んだり。
 また、機会があったら聞いてください。
 本は、冒険の世界に私を連れていってくれました。
とっておきの一冊
2015/09/16
フムフム
 私が勤務する小学校は、お母さん達の読み聞かせ活動が大変盛んです。週何回か朝の読書の時間には、当番を決めて読み聞かせがあります。
 私たち教師も読み聞かせに参加します。もちろん、自分の学級の読み聞かせは日常的に行っていますが、一年に一回は他の学級の読み聞かせに入ります。教師達が学校中の子どもたちを知っておきたいという願いの一つからです。
 アミだクジをして、読み聞かせに入る学級を決めます。どこに入ることができるかは大変楽しみです。全然知らない子たちの学級に入る時は、私が入ったらどんな反応をするのか、楽しみでもあり緊張もします。子どもたちの反応は、とっても新鮮です。
 去年は、二年生の学級の一つに入りました。その時選んだのがスーザン・バーレイ作「わすれられないおくりもの」でした。
この物語は
  賢くて何でも知っているアナグマは、いつもみんなから頼りにされ慕われています。
  でも、秋の終わり、年取ったアナグマは自分の死を悟ります。ある夜、長いトンネル
  を浮き上がるように走る夢を見ながら死にました。『長いトンネルのむこうに行くよ、
  さようなら アナグマより』という手紙を残して――。かけがえのない友だちを失い、
  残された仲間たちは悲しみでいっぱい。みんな、どうしていいかわかりませんでした。
  春が来て外に出られるようになると、みんなは互いに、いろいろなことを教えてくれ
  た優しいアナグマの思い出を語り合うのです。
という内容です。
 私がこの本に出会ったのは、小学校二年生の時でした。私の小学校では、お昼の給食が終わったら休み時間、その後に掃除の時間がありました。その休み時間に学校の図書室に行くのが私の毎日でした。
 ある日のこと。かこさとしさんや寺村輝男さんが大好きで読み尽くした後、他の本を探そうと一生懸命でした。と、掃除の移動の音楽がなり始めました。
「どうしても、今夜読む本を借りなければ」
 あわてて取り出したのがこの一冊でした。帰ってから、布団の中で読みました。読んでいくうちに涙が出てきました。泣いている姿を見せるのも辛くて、布団の中でもぐって泣きました。
 絵本を読んで泣いたのは、今までにこの一冊だけです。偶然取りだしたこの一冊は私の人生の「わすれられないおくりもの」となりました。
「二年生の時に出会った本を二年生の子どもたちに読んでやりたい」
 読み聞かせ担当学級が二年生に決まったときにすぐに選んだ本でした。
 でも、読み聞かせは、ちょっと失敗。この本への自分の思い入れが強すぎて、感極まってしまったのです。子どもたちは「先生、大丈夫」と労ってくれました。
 今年、その子たちを担任しています。今年は、学級では宮西達也さんシリーズを読んで紹介しています。めちゃくちゃ元気な三年生。読書大好きな子どもたちです。
絵本のある子育て
2015/09/09
nao.nao
 障害のある子どもの学童保育で働いていた私にとって、「子どもたちとどんな本を読もうか? どんな本が面白そうか?」そんなことを考えながら図書館の絵本コーナーで過ごすことは楽しみの一つでした。そして、一緒に楽しめた本は本屋さんで購入!
 そんなこんなで、私の部屋はちょっとした絵本喫茶とでもいいましょうか。
 絵本喫茶オーナー?の私にも家族ができ、1歳の息子の育児でバタバタと1日が終わります。そんな日々の中でも、絵本を読むことは親子の大切な時間になっています。
 3ヶ月ごろから、絵本を見せ、読んで聞かせ、身振り手振り、時には歌も交えて楽しんできました。
 すると、1歳の今、絵本に好み、楽しみ方のバリエーションが広がってきました。
「いないいないばあ」は昔からある本で親しみもあり、早いうちから読みましたが、絵が怖かったのか本を伏せました。1歳を超えた今は、どこでも、誰にでもばぁ!と言うくらいこの本の虜です。
 かがくいひろしさんの「だるまさん」シリーズでは、だるまさんの赤い色が目に入りやすいのか、目で追って楽しみました。そこから楽しみ方が変わり、「だるまさんの目、だるまさんの歯」など自分の顔にもあるパーツを触って確認しています。
 先日、いたずらをしたので、「めっ!!」と叱ったところ、自分の目を指差してニヤリ。思わず笑ってしまいました。
 他にも「しろくまちゃんのホットケーキ」では、自分もホットケーキを作るように混ぜる動作、たまごを落として割れちゃうシーンでは両手を口に当てて「やっちゃった!」のポーズ。
 くっついたでは、「お母さんとわたしがひっついた」のページで私と自分を指差します。
 きんぎょがにげたでは、大好きなフルーツが描いてあるところで、「マンマー」と叫びます。
 こんな風に、どんな時期も驚かされたり、笑わせられたり。絵本を通しての育児は子どもの感性を豊かにしてるように思います。
 2歳、3歳と年を重ねるごとに絵本を通してどんな成長が見られるかもまた楽しみです。
 子育ての新しい世界がひらけることでしょう。
本棚の風景
2015/09/02
K女
 本棚の中には捨てるに捨てられないセピア色じみた本が何冊かある。その一冊に
「古池や かわずとびこむ 水の音」
がある。ある時、私はその句を読んで目を閉じ、風のそよぐ音さえ絶えた夜のしじまを思い浮かべていた。すると夫が
「おい。どうしたんだ」
と言うから、声を出して読んだところ
「フーン。その蛙は『との様ガエル』だナ」
と言った。
その途端、蛙がとび込んだ「ポチャッ」という澄んだ水音は「ドボン」という水音に変換されてしまったのだ。
 別の一冊に
「かめにさす 藤の花房 短かれば 畳の上に とどかざりけり」
 まあ、何という深い味わいを秘めた短歌だろう。私は、作者が重い病にかかった体を横たえ、春の庭にすだれのように垂れて揺れている藤棚を思い浮かべて涙が出そうになっていた。すると夫が
「どうしたんだ」
と尋ねたので、声に出して読んだところ
「そりゃあ 瓶がデカ過ぎたんじゃねえのか」
「・・・・・」
 それらの本を読んで数日後、夫が一枚の選挙ポスターの前で笑い転げていた。尋ねると
「読んでみろよ。○○候補のはげます会だとさ」と言う。たしかに、その候補の頭の毛はまばらに生えているに違いないけれど、なんで、腹を抱えてまで笑いころげなければならないと言うのだ。憮然としている私に。彼は声を一オクターブ近く上げて笑い続けたのである。
 けれど、私は知っていた。
 兵隊に行かされて、九死に一生を得て帰ってきた夫が、魂を奪われるほど感動して憲法の前文や9条を読んでいたことを。
 夫が大好きな憲法の本は、セピア色した本の傍に何時も一緒に置いてある。
サパナ(夢)図書室
2015/08/26
ネパールの魔女
「少しだけど、子どもたちのために使ってね」友人がくれた図書券を抱えてブックオフへ一走り。子どもたちが目を輝かせて読む姿を想像すると選書にも力が入る。私は、今日購入した本を抱えて、ネパールのサチコール村へ旅立つ。
 日本から飛行機で約9時間。ネパールの首都カトマンドゥに到着すると、バスとジープに乗り換えて途中一泊して13時間。さらに、山岳地帯の山道を3時間歩いてサチコール村に到着する。遠くにエベレストやダウラギリの雄大な山並みが見える奥深い地だ。
 私は、10年前日本のNGO「世界の子どもと手をつなぐ会」が作ったヘルスポスト(診療所)の手伝いのために、初めてこの地を訪れた。それ以来、この地の魅力に取り付かれて、毎年、訪れることになった。
 初めて行った時に、二冊の紙芝居を持参した。一冊は「アヒルのピッピとニワトリのピー」言葉は分からなくても鳴き声は共通だろうと思った。この紙芝居は大受けした。が、もう一冊「同じだ 同じだ」は全然ダメだった。洋服を着たニワトリが人間のようにして歩く絵を見て「そんなことはない」と大騒ぎになり物語の中に入ることもできなくてこの紙芝居は隠さざるを得なかった。
 次の年。考えた末に「日本昔話」の紙芝居を何冊か持っていった。畑で土を耕す光景やタネを蒔く姿、家から立ち上る煙の様子など、日本の昔の光景とサチコール村の様子が合致するのか、読むたびに笑いが起き、「アンコール」をねだられた。読むと言っても日本語は通じる訳はなく、会話だけをネパール語に訳してもらったものを大げさな声で読んだ。農作業でひと息つく時間に村の広場で読み続けた。
 ところが、子どもたちが私に代わって紙芝居を読み出した。ネパール語に訳したからといって文字は、カタカナ。読めるはずがない。子どもたちは、絵を見ながら自分たちの物語を創り、それを語りだしたのだ。何という創造力か、その姿に胸が熱くなった。
 通い出して何年目かに、村の学校の横に村人たち手作りの「図書室」が建った。多くの友人達の資金援助によるものだった。二階建てで、集会室を兼ねている。
 その図書室の名は「サパナ」日本語で「夢」だ。
 村人たちは、図書室にある本を読みながら『夢』を語り合う。現在、200冊ほどの本が棚に入っていて、読み続けられている。最初に持っていった紙芝居はボロボロになっているが、大事に読み伝えられている。
 昨年だったか。ふと思いついて「洋服を着たニワトリが人間のようにして歩く絵」の紙芝居を試しにやってみた。不思議と違和感なく入っていき、いつかの大騒動もなかった。この10年近く、様々な本の文化に接してきた村人たちの心は、擬人化もちゃんと受け付けるようになっていったのだと感慨深かった。
 ブックオフで今回選んだのは、数々の「迷路の絵本」だ。読み聞かせが始まると、いつものように「大人たちの輪」ができ、その次が子どもたちだ。子どもたちは、大人の時間が終わるまで後ろでちゃんと待っている。
「待っててね。もうすぐ、新しい本を届けるからね」
 膨らんだリュックをよしよしとなぜた。
*このコラム欄で、サチコール村の小さな図書室のことを知っていただける機会を得ました。
 また、いつの日か、投稿したいと思います。
図書館とわたし
2015/08/19
KEI
 図書館という言葉から想起する現実の図書館が2つある。最初に頭に浮かぶのは、市立の中央図書館とその分館である。中央図書館は我が家から歩いて10分程のところにある緑豊かな公園内の4階建のビルであり、その分館は、利用者の便を図ったのだろう、駅前のビルの5階にある。
 特に予定のない午後にこれらの図書館に散歩を兼ねて足を向ける。最近では特に何を調べる、誰の本を借りるという当てもなくのんびりと棚を眺め、その時々に目に付いた書物を数冊借り出す。近頃では9ヶ所に分かれている当市の図書館の蔵書の全てをインターネットで検索でき、希望する図書館のカウンターで受け取ることができる。便利と言えば便利であるが、私は本の顔を眺めて選択するのが好きである。
「図書館で借り出す本は、自分が一番読みたい本ではなく、二番手の本である。」ことにはずいぶん前から気付いていた。一番気になる本は手元に置きたい、という気持ちがそうさせるのだろう。とは言うものの、蔵書の整理と処分を始めている現在では、意識して一番手の本を選ぶようにしている。
 頭に浮かぶ2番目の図書館は、国立国会図書館である。現役の頃には、コピーサービスで何度かお世話になった。入手困難な雑誌に掲載されている論文や古い専門書の必要部分をコピーしてもらったのだが、コピー代の高いのには驚いた。
 この国立国会図書館には、大学写真部OB仲間と年に1号の割合で発行している写真集が現在時点で15号まで保存されている。2000年に第1号を発行したときに、誰かが「法律の規定では、この写真集も国立国会図書館に納本しなければならないはずだ」と言い出した。幹事が図書館に出向き照会したところ、納本する必要があるとのことで、発行のつど届けてくれている。
 関西館が建設され収蔵能力が1,840万冊(1冊当り厚さ3pで計算するそうだ)に増えたと教えられたが、我々の趣味の写真集が、極めて小さな部分とは言え、そのスペースの一部を占領するのは心苦しく思っている。現役時代の多額(?)納税に免じて許してもらおうと考えているが、なによりも、我々仲間の写真集が永久に残ると考えることは愉快である。
自習室だけ借りてた頃
2015/08/12
muca
 愛知県東海市の工場(本社は京都)で交替制勤務をしていた頃のことです。コンピューター部門の先輩からCOBOL言語の入門書を貰いました。
 コンピューターなんて触ったこともありませんでしたが、A4サイズで3分冊の綺麗な入門書がいたく気に入った私は、休日のたびに大池公園のそばの図書館に行くようになりました。東海市立中央図書館という綺麗な建物で(上野公民館図書室から移設されたばかりだったらしいです)、何もそこへ本を持ち込んで勉強しに行く必要はないのですが、コンピューターを学ぶにはそういう環境でないと、と思いこんだのです(かまえて取り組む性分です)。その頃は寮生活でしたので、気が散る性分でもある私がつい流されて遊んでしまう寮にいては、せっかくの勉強が三日坊主で終わってしまうと考えたのです。あ、他の寮生のせいではありません。触れなば落ちん風情で寮の食堂と娯楽室をうろうろしていたのは私です。
 図書館の自習室は学生ばかりでしたが、学習の対象や目的が違うとはいえ、皆がそれぞれの勉強のために同じ部屋にいるというのは、気持ちを集中するのにとてもいい空間に思えました。
 使えるコンピューターがあるわけでもないのに、本の説明にならってプログラムを書いていけば、課題の意図通りの処理(例えば集計してその結果を印刷するなど)ができるという仕掛けが、疑いも不安もなしに理解できていくのがうれしくてならなかったです。
 その後、京都本社や東京の営業所で勤務することになり、汎用コンピューターやパソコンを使う仕事がほとんどになっていきました。メカのことはさっぱりの私でも、パソコンについての専門家のように見られる(当社比)ほど浸りきってしまうようになったのです。
 転勤が多く、いずれの地でも近くの図書館をよく利用していましたが、東海市立中央図書館の書架だけは、どのような配置であったか、まったく記憶がありません。
 なにしろそこでは本を一冊も借りなかったのですから(汗)。
図書館(室)との出会い
2015/08/05
さくらこ
 もう何十年も昔の話です。団塊世代の人間にとって戦争の経験はしていないけれど、戦争の話や映像は沢山見てきました。もうすぐ8月の終戦日がやってきます。その度に思い出すのは小学生5年の図書室での出来事。当時、私は学級委員と図書委員をしていた活発な女の子。
 季節は多分春だったと記憶しています。健康診断が給食前に行われて、早めに診断が終わったので、本を整理しようと隣室の図書室に入りました。鍵は常に職員室の入り口にあり、図書委員はノートに記載すれば自由に入ることができました。図書室は県下でも優れた中庭があり、それに面した静かな木造の校舎の一室、教室一部屋位の広さの中に壁面に書架が並べられ、真ん中には机と椅子があるどこにでもある小学校の図書室です。その日は何気なく北側の書架がとても乱れていたので、整理をしようとしてその奥を覗くと、埃まみれになった本と箱が見えました。書架を力一杯動かし、その本を手に取って見ると、そこには人間の真っ黒焦げになった肢体や、火傷を負った人たちの姿がありました。箱の中にはそれ以上の人間の悲惨な姿と景色が映っていました。私はこんな惨い人間の姿を見たのはそれが初めてだったので、昼食はいつも完食のはずが全く食べられずに残してしまいました。そのことは先生に何も言いませんでした。今に思うのですが、誰が、何故、原爆絵図や写真が人目に触れないところに眠らせていたのだろうかと。
 それまでの私の図書室は偉人伝や物語を読む楽しい場所でした。この日からの私の図書室への思いは、単なる楽しい場所ではなく、世の中には自分の知らない事が沢山ありもっと色んな本がある図書館であったらいいなへと、変わりました。
 こんな経験をした図書室との出会いで、大人になって本と関わる仕事に就いた時、偏らない選書を心掛けることとなりました。
 広島や長崎の原爆記念館に訪ずれたのは30歳を過ぎてからでした。今、表現の自由、知る権利など「図書館の自由宣言」を改めて読む度に小学校での出来事が鮮明に思い出されます。
本との出会い
2015/07/29
けふばあちゃん
 最近は、書評を読んで気になる本、本屋さんで読みたいなあと思った本などを、“何でもノート”にメモって、数冊たまると、図書館のネット検索、予約、連絡があると図書館に取りに行く。という方法をしばしばとっている。時間のない時は、とても助かっている。
 がしかし、本との出会いのおもしろさは、図書館の書架をうろうろしていて、なにかに導かれるように出会う本との遭遇にある。
 こんなことがあった。
 返却を終えて、何ともなく詩歌の棚の前に立った。立て続けに学生時代の友を亡くして心が弱っていた時だった。そこで、何の変哲もない深緑と山吹色の背表紙に手を伸ばす。
『長田弘 詩ふたつ』
「花をもって、会いにゆく」と「人生は森の中の一日」というふたつの詩とグスタフ・クリムトの絵でできた詩集だった。
 立ったまま、引き込まれるようにページをめくっていた。ことばと絵のうつくしさにか、その時の私の気持ちに寄り添ってくれるものであったからか、この本を離せないでいた。クリムトのきらびやかな絵は知っていたが、ここのクリムトの絵は、花々と森と湖。背表紙の色が、私を誘い込んだのはこういうことだったのか、と思ってしまった。
 あとがきで、「心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつの時でも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。」と。先立たれた奥様への献詩であった。
 2週間の貸出期間の後、本屋さんで自分のために買う。後、伴侶を亡くした友へ、子を亡くした知人へ、そして心を分かち合える友への誕生日プレゼントにと、買い求めたのだった。
 図書館でいい本に出会うと、人は本屋さんに向かう。そういう棚を構成できる図書館であってほしいと思う。こういう本と出会わせてくれた大津の図書館に感謝。
図書館がムラに来た
2015/07/22
K・M
 つとむくんにとって、きょうは待ち遠しい日です。それは2時間目の休み時間に、町から車にたくさんの本を乗せた「移動図書館さくら号」が、学校に来る日だからです。さくら号は、25分の休み時間に中庭に停まると、大きな扉をあけてくれます。
「わーあ、いいにおい」
 つとむくんは、新しい本のにおいが大好き。さくら号のおねえさんとおにいさんが、机を持ってきて、本を並べてくれました。
「さあ、きょうは、新しい本もたくさん持ってきたよ」
 さくら号の周りには、1年生から6年生までのみんなが集まってきました。
 3年生のつとむくんは、友だちのみっちゃんに助けてもらって、本をさがします。つとむくんは、足が悪いのです。だから大勢のみんなが集まるとどうしても、遅れて後ろのほうになってしまいます。
「つとむくん、『モチモチの木』あったよ!これでいい?」
 みっちゃんが、もぐりこんでつとむくんの読みたい本を探してきてくれました。
「ありがとう、前から読みたかったんだ」
つとむくんは、何度も何度もみっちゃんにお礼を言いました。
 家に帰ると、さっそく宿題をしました。早くやってしまわないと本を読む時間がなくなるのです。夕方はテレビも見たいし、本も読みたいし・・・つとむくんは困ってしまうからです。
「えらいねえ、きょうは宿題をすぐにやるから・・・」
 おばあちゃんの声です。おばあちゃんは、つとむくんがみんなと外で走り回って遊ぶことができないことを一番よく知っています。つとむくんは、宿題を終えると、すぐに借りてきた本を読み始めました。おばあちゃんは、そんなつとむくんを見て、
「そんなに本を読むことはおもしろいかえ」
と目を細めて言います。「うん、おもしろいよ。本大好き!」
つとむくんの笑顔におばあちゃんは、
「私もつーくんと一緒に本を読みたいねえ」
と言いました。
「ほんと? ばあちゃんもよみたいの? だったら今度借りてきてあげる」
つとむくんの目がキッとなりました。
 次の年の春、おばあちゃんのムラの区民会館に一か月に一回「移動図書館かえで号」が来ることになったのです。ムラのみんなは大喜び。お父さんも
「これからは、つとむと一緒に本が読めるからいいなあ」
とうれしさでいっぱいでした。
 それは、つとむくんが、図書館のおねえさん宛てに「おばあちゃんのおねがい」という手紙を書いたことがきっかけになって始まった移動図書館車だったのです。
 図書館のおねえさんやおにいさんたちが、つとむくんの手紙を読んで、図書館のみなさんで話し合って決めたことだと後でわかりました。
 つとむくんが、担任の真知子先生に、
「おばあちゃんが、本を読みたいっていっているけど、どうしたらいいかなあ」
と相談すると、真知子先生は
「すてきなおばあちゃんね。クラスのみんなに相談して、おばあちゃんのところにも、移動図書館が来ることをお願いしようか」
と応援してくれたのでした。校長先生も、一緒に手紙を添えてくださいました。
 きょうも移動図書館かえで号は、たくさんの本を乗せて、ムラからムラへと巡っています。
今月の特集
2015/07/15
ヒラマロ
 和邇図書館の楽しみは「新着図書」と「今月の特集」だ。7月の特集は、新任次長渾身の「スポーツ」である。そのなかで目を惹くのは、赤瀬川原平『老人力』だ。カバーの朱色は、老人を夕陽に擬えたに違いない。書名は何となく記憶にあるから、昔、話題になった本らしい。
 平均寿命が八十歳を越える今日、老人と呼ばれるのはまだ先の筈だが(ただし、「実年齢で」である)、スポーツの特集で「老人力」とは何なのか。回りを見渡しながら本を手に取り、見返しの遊び紙に貼られた惹句を見ると、老人力は、「物忘れ、繰り言、ため息等」だとある。益々わからない。
 通勤の車中で読み出したが、笑える。若い娘達のなかで、ニヤニヤするのはまずい。ひとまず中断し、乗り換えてから再び読み始める。回りはオッサンだからと油断したが、笑ってしまうことには変わりがない。結局のところ、諦めて自室で読むことにした。この本で笑えるというのは、すでに老人なのだろうか。
 読了後、この赤瀬川老人は、『新明解国語辞典』を題材にした『新解さんの謎』の著者であることを知った。以前から気にはなっていた本である。
これは是非とも読まなければならない。今まで何の関心もなかった本を手に取るようになるのは、ほんのちょっとした切掛けからだ。「もっと本を読んで欲しい」、「こんな本もありますよ」。そのような思いから図書館員は工夫を重ねるのだろう。
 それはともかく、問題は、「スポーツ」と赤瀬川老人の『老人力』である。笑うことで顔の筋肉の運動にはなる。腹筋も動く。これがスポーツということなのだろうか。この謎掛けについては、担当者にそっと種明かしをしてもらうほかない。
我が故郷の図書館
2015/07/08
T・H
 田舎育ちの私が、初めて「図書館」という「本の館」に出会ったのは、高校生になってからでした。5月に国宝に指定された松江城。昭和40年頃は松江城内二の丸跡地に県立図書館がありました。木立に囲まれて、お堀の水面を眺めて読書する静かなひとときに魅了されて、時々通いました。木造の建物にも心地良さを感じました。
 受験間近の2月のお昼前。3年生は受験のためのお休み日。友人とともに図書館学習室で受験勉強をしました。勉強に疲れると三の丸付近まで散歩。と、
「ねえ。あんたたち、何をしちょうのー?」
 振り返ると制服姿の婦警さん二人。
「何って? あの勉強?」
 その途端、矢次ばやの質問が私たちの頭の上に降りかかってきたのです。
「勉強? 今日は○曜日だよ、学校があーじゃないの?(あるじゃないの)」「さぼったの」「どげしたん?」「何でこげんとこ歩いちょうのー」「私服だよね。学校どこなのー」
 振り返って考えると不思議なこと。なぜ、ここにいる訳をきちんと説明できなかったのか。警察官に呼び止められたこと、その制服の威圧感だったのでしょうか。おどおどと説明し、やっと解放された私たちは、学校へ逃げ帰り、担任にその報告をしました。
「ははー。補導されたんかー図書館でー。ワルに見えたんだろうなぁ。アッハッハ」
 補導だって?『補導とは、非行の深化を抑止するために適切な措置を講ずること』
 なるほど。ということは。私たちは、婦警さんのおかげで『非行の深化が抑止され』これまでの人生を送ってきたのです。図書館と言うと、時々この話を思い出します。
 その後、お城の堀の横に移設され新しい建物として昭和43年に竣工。地上2階、地下2階鉄筋コンクリート造り、収容冊数583,000冊の図書館です。滋賀県立図書館には到底及びません。でも、窓から国宝を眺めて読書もおつなもの。城と図書館は似合っています。
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